眠れぬ夜。
近頃は、忍者学校の演習場がある林の中を、何とはなしに歩き回ってやりすごすのが常だった。
考え事はしない。
ポケットに手を突っ込んだまま、ぼんやりとくだらないことを思い出すのだ。
たとえば、その日の忍者学校でのつまらない授業。
退屈な演習。
同期生たちのやかましいおしゃべり。
ドベのナルトがイルカに怒られる様子。
それから……少し前にやって来た奇妙な編入生のことなど……。
かげろう
その日も、まだ涼しい春の夜風を頬に受けながら、サスケは暗い林道を彷徨っていた。
ときおり任務帰りの忍者の気配を感じることはあっても、お互い正面から対峙するわけではないから特に警戒はなかった。
まして、里の内部で敵に出くわすことも無い。
だから、やっとでたあくびを素直に表に出した。
そんなときだった。
今しがた思い出していた奇妙な編入生が、突然目の前に現れたのだ。
林のくぼ地、わずかに開けたところに、編入生……『いずみナナ』が立っていた。
サスケから向かって左の方を向いたまま突っ立っている。
こちらに気づいた様子はない。
とっさに木に隠れて、様子をうかがう。
顔を少し上げて、ナナは何かつぶやいている。
視線の先には何もない……いや、白い煙が揺らいでいた。
煙といっても、何かが燃えている臭いも、火薬の匂いもない。
物体の燃焼によって発生した煙でないことはすぐにわかった。
が、それが何かはわからない。
息を殺して、注意深くナナの様子をうかがった。
表情は穏やかだ。
胸の前で、「未」の印に似た形で手を組んでいる。
そして、「さようなら」とかすかに聞き取れる言葉をつぶやいた。
その途端、ナナは糸が切れた操り人形のようにその場に倒れこんだ。
「なっ……!?」
身体は勝手に動いていた。
湿った草むらに顔面を強打する前に、サスケはナナを抱き留める。
「お、おい!」
ナナは意識を失ってはいなかった。
が、闇夜でもその顔に血の気が無いのははっきりとわかった。
そのうえ、触れた身体が異常に冷たい。
「サス……ケ……?」
ぼんやりとした視線が向けられる。
わずかに安心した途端、ナナの両目は音が聞こえるくらいに見開かれた。
「な、なんで、ここに……?!」
焦った様子で身体を起こそうとする。
が、本人よりも、その力のない四肢を抱いているサスケの方が、それが叶わないことを知っていた。
「ま、まだ動くな!」
案の定、ナナはほんのすこし身じろいだだけで、すぐサスケの腕の中に崩れ落ちた。
「何があった?!」
混乱する頭を押さえつけ、サスケは状況把握に努めた。
ナナのほうもかなり混乱していることと、そんなナナをこの三か月の間で一度も見たことがなかったことが、それを可能にしていた。
「え、ええと……」
言いよどむところも、いつものナナらしくない。
それほど親しいわけでもないが、この編入生が普段どんな受け答えをするのかくらいは知っていた。
「さっき白いのは何だ?」
「み、見えたの!?」
質問を問い返されて、サスケは思い切り眉をひそめた。
不快だったからではない。
あの白い煙を「見えた」ことに、ナナは驚いている。
ということは、「見えない」のが普通……なのか。
であれば、その「普通」とは何か。
いや、ナナも自分も「普通」ではないということか。
脳裏で思考が目まぐるしく動く。
「あ、あの……」
黙り込んだサスケに、ナナは恐る恐る言った。
「ええと……ね……」
どうにかこの場をやり過ごそうとしているのが見え見えだった。
「とりあえず病院に連れて行く」
「え?」
「なんでかは知らねぇが、低体温症を発症しているだろう」
震えの症状は見られないから、すでに意識水準が低下して「寒さ」を感じなくなっているようだ。
だとすれば、表面を保温しても無効なので、できるだけ安静に病院へ運んで加温した輸液を注入するべきである。
……と、忍者学校で医療忍者の講義を受けたことを思い出して判断した。
「ほら、つかまれ」
ナナは大きな目を何度か瞬いた。
そして、抱き起こそうとするところを懸命に制した。
「ま、待って、ちがうの!」
「違う?」
「びょ、病院は……行かなくても、大丈夫……」
最後は消えるような声。
そして、目を逸らす。
「大丈夫……だから……」
「大丈夫」……と言われて、サスケはしばし迷った。
いっこうに力が戻る気配のない四肢。
生きているとは思えないほど冷たい肌。
顔色は……いつも通り青白い。
そして、完全に普段の朗らかさを失った表情。
闇の向こうに逸らされたナナの瞳には、驚きと困惑と、明らかな拒絶が滲んでいる。
低体温症の見立てが誤りだったとしても、「大丈夫」であるはずはない。
たとえ、ナナを知らない人間が居合わせたとしても……だ。
これは明らかな拒絶だった。
あからさまな、とっさの拒絶だ。
ナナは、どこか他人の視線や言葉を受け流すようなところがあった。
それには気がついていた。
幼げで純真な笑顔のわりに、決して本当の心は見せない危うさ……それをサスケは感じ取っていた。
それが、これほどに動揺と拒絶をはっきりと示している。
いままでの観察結果と、この状況を合わせて考えてみて、サスケはひとつの結論に至る。
この奇妙な編入生は、そう直感した通り“奇妙”なのだ。
そもそも急に里の外からわざわざ忍者学校に入ることには最初から違和感があった。
来年の春には卒業試験を控えたクラスに、である。
忍法はもちろん、忍規や基礎の手裏剣術でさえ全く“さわった”ことが無い様子のナナが、何故このクラスにいるのか……。
かといって、基本的な脚力や体力に劣るわけでもなく、体術はそれなりの域に達していると見ていた。
だから今さらよくよく考えると、何らかの「そうせざるを得ない事情」を抱えていたのだ。
そしてその事情とは、おそらく里レベルの……火影の意向に関わるほどのものなのではないかと思えた。
でなければ、忍術の「に」の字もわからないよそ者を、忍の養成所である忍者学校に編入させるはずがない。
その事情が何かは別として、とにかくこの和泉ナナが「普通ではない」のであれば、今はそのつもりで接するべきではないのか……。
「わかった」
思案したあげく、サスケは言った。
「え……?」
もう一度、目を丸くするナナに、サスケはきっぱりと言った。
「ウチに連れて行く」
そして有無を言わさず、ナナを背負った。
「サ、サスケ……」
「とにかく身体が冷えすぎだ。温めたほうがいいんだろ?」
「う、うん……」
「お前の家よりオレの家のほうが近い」
「で、でも……」
「嫌なら無理やり病院に連れて行くぜ?」
よほど病院が嫌いなのか、それとも何か都合が悪いのか、ナナはようやくおとなしくなった。
冷たい腕が、遠慮がちに回される。
「ちゃんとつかまってろ」
そうして、サスケは来た道を駆け戻った。
「ほら、これ飲め」
茶などという気の利いたものは無いから、白湯を渡す。
さきほど二枚重ねで包んでやった毛布から、ナナは白い手を出して湯呑を受け取った。
「あ、ありがとう……」
未だ戸惑った様子で、いつもの調子を取り戻してはいないようだった。
ベッドの端にちょこんと座ったまま、うつむきがちである。
「ナナ」
ビクンと、毛布越しに肩が揺れた。
「怖いのか?」
「ち、ちがう……」
自身の否定の言葉からも逃げるように、ナナは白湯を飲み乾した。
当然、弱った体にその行為は無謀で、ナナは激しく咳き込んだ。
「おい……」
「ご、ごめっ……」
手から湯呑を奪い取り、ため息をつく。
背中をさするなんて真似はしなかった。
「サスケ……あの……」
呼吸が落ち着いてしばらくすると、わざと沈黙を保っていたサスケに対し、ナナは言った。
「なんで……、あそこに居たの……?」
咳のせいで、若干、声がかすれていた。
「オレの質問には答えねーのに、オレには質問するのか?」
ナナは毛布の端を引き寄せながら、「だって」と口を尖らせた。
非常に幼い様子だ。
が、やっと「いつも」の様子に戻っていると、サスケは感じていた。
「オレはただ散歩をしていただけだ。なんとなく歩き回っていて、たまたまあそこを通りかかった」
「そうなんだ」
何故だかナナは安心したように息をついた。
「で……?」
そして、諦めたような視線をサスケに向けた。
「お前はあそこで何をしていた?」
短い問いに、ナナはもう一度息をついて、観念したように答えた。
「鎮魂……」
「ちんこん……?」
その言葉を知らなかったわけではない。
あまりにも突拍子もなかったから、鸚鵡返しになっただけだった。
「あの辺りに、“向こう”に逝けなくて彷徨っていた霊が集まっていたから……それで……」
躊躇いがちなナナの説明は、もどかしかった。
「それで?」
「それで……その魂たちを……“送って”た……」
「魂を送る」……それが「鎮魂」であると、サスケは納得せざるをえなかった。
ナナの途切れ途切れの口調では、聞いている側がそうするのが良策だとすでに知っていた。
「何故お前がそんなことをする?」
だから、さらに一歩踏み込んだ。
ナナは少しの沈黙を置いて、囁くように答えた。
「そういう力が……あるから……」
「そういう力」とは、つまり「霊の魂」とやらを「送る」力である。
ナナはあの時、あの場所で、それを行っていた。
ということは、あそこに浮いていた得体の知れない白い影が、「霊」というやつなのか……。
また、サスケはひとりで納得した。
この見解が間違いであるとは思わなかった。
やはり、ナナを無理やり問い詰めるより、勝手に解釈した方が良いと思った。
「お前、巫女か何かか?」
そういえば、初めて出逢った時、ナナは巫女のように長い髪を結び、古風な袴を身に着けていた。
里の外から来た……巫女……。
そう言われれば、ナナの「奇妙さ」は少し減る気がした。
が、ナナは答えずに唇を噛んだ。
青ざめた顔が、またうつむく。
そこに現れた感情に、サスケは戸惑った。
表情を暗くするということは、サスケの問いを否定したうえで、「答えられない」ということだろうか。
それとも、肯定したうえで、その役目を煩わしく思っているからだろうか。
「私……」
答えを見つけあぐねている間に、ナナは瞳を合わせた。
そして、すぐにまた逸らした。
言いかけた言葉も飲み込んで、何かを堪えるように目を閉じる。
毛布に包まった身体は、ますます小さく見えた。
「わかった」
思わず、サスケはそう言った。
「え……?」
「もういい」
何故だか……これ以上、ナナを困らせるのが嫌になった。
「最後に一つだけ答えろ」
ただ、理解する。
勝手な解釈だったとしても、それで納得してやろうと思った。
ナナの、誰にも知られたくない「秘密」ならば。
「なに……?」
恐る恐る……、上目づかいのナナは、少し笑えた。
「その、異常な身体の具合は、本当になんともないのか?」
その問いに、ナナは安堵の表情を見せてうなずく。
「しばらくすれば治るから」
あまりに無防備な笑みだった。
「アレをやるたび、毎回そうなるのか?」
「ちがうの。今日のはちょっと、数が多くて……」
「負かされそうになったのか?」
「それは大丈夫。ただいっぺんに力を使いすぎただけ」
今度の「大丈夫」は、やけに力がこもっていた。
自信……とも違う、当然の響きだった。
「サスケが温めてくれたから、今回は回復が早いみたい」
そして、突然の屈託のない台詞。
ここへきて初めて、サスケは己の行為に気恥ずかしさを覚える。
「べ、べつに……突然目の前でぶっ倒れたクラスメイトを見過ごすわけにもいかないだろう……」
ナナは声を出して笑った。
「それもそうだよね」
単純に、「突然目の前でぶっ倒れたクラスメイトを見過ごす」という様子を想像して、おかしくて笑っている。
その頬には、だいぶ赤みが差しこんでいた。
「も、もう休め、ナナ」
「で、でも」
「いいからそのままそこで寝ろ」
「う、うん。ありがとう」
ベッドで休むよう促すと、素直に横たわりながらナナは言った。
「ねぇ、サスケ。私もひとつ、聞いていい?」
黒い目が、しっかりとこちらを向いていた。
「なんだ……?」
サスケは立ち上がって、電気を消しながら言った。
その背に、ナナは問う。
「あの雨の日に、どうして『サスケでいい』って言ったの?」
耳に、あの雨音が響いた。
隣のナナの声をも時折かき消すほど強い雨音が、ナナの家に近づくにつれ、徐々に鎮まっていった。
あの時の、不思議な感覚を思い出す。
「何故、そんなことを聞く?」
「だって、女の子たちはみんな『サスケくん』って呼んでるから」
振り返ってナナを見た。
急に暗くなったせいで、その顔は闇に溶けかかっている。
が、ナナの瞳ははっきりと見えた。
そこにはただの疑問が浮かんでいる。
サスケの心底を探るでもなく、ただ、謎を解きたいというだけの幼い興味。
サスケはフっと笑った。
ナナは不思議そうな顔をする。
「サスケ?」
「いや……」
そう、ナナが興味を持つほどのことはなかった。
……と思う。
こうして改めて問われて、初めてサスケはその理由を自身に問う程度のことなのだ。
あの時、雨の雫を肩に浴びながら、冷たさを感じもせずにそう言った訳は……。
「演習で……」
「え?」
それを自身に確かめるように、サスケは呟いた。
「オレらが組まされることが多いだろ?」
「うん」
「だから呼びやすいほうがいい」
ナナはおおげさなくらい大きくうなずいた。
「ああ、そっか!」
納得した顔をして、ナナは演習でのことを話し始めた。
曖昧に返事をしながら、サスケはナナの様子を眺めた。
まるで蓑虫みたいな成りで、だが先ほどよりずいぶんと元気な様子だった。
「……の時も結局サスケが全部の暗号を解いちゃったもんね」
「あんなの、どうせパターンは決まってるんだ。慣れればお前にもすぐ解けるようになる」
「ほんと?」
「ああ……。その話はいいから、いい加減もう寝ろ」
床に横たわりながら、サスケはため息をついた。
(へんなヤツ……)
が、「ウザく」はない。
ナナはたいてい、誰かの話を聞く側の立場ですごしている。
例えばナルトとか、サクラとか、いのとか、キバとか……うるさい連中の話を、いちいちうなずきながら楽しそうに聞いていることの方が多い。
ヒナタのようにどこか怯えているようでもなく、ただ控えめに輪から一歩引いていた。
今のように「スイッチ」が入った時だけ、にぎやかに話すのだ。
それでも、他の女子のようにいちいち同意を求めないし、聞いている姿勢を求めてくるわけでもない。
だから、特に距離を置きたいと思う相手ではなかった。
演習で組んでも居心地が悪いと感じることは無いし、むしろ他のクラスメイトの誰よりもやりやすかった。
もちろん、ナナの現状の成績ではこちらの負担が重くなるのだが……それでも不快ではなかった。
皆、見た目に騙されているようだが、体技や体力面で足手まといになるようなことはない。
サスケにとってずいぶん久しぶりの、「敬遠しない他者」だった。
あるいは、逆に居心地の良さを感じるほどに……。
(それはない……)
暗闇の中、目を開けた。
そして、目の前のドアを睨んで今の考えを否定する。
(ただ少し、興味が湧いただけだ)
そう……その“奇妙”な雰囲気に、ほんの少し興味があっただけだ。
今夜のアレを見て、ますます気にはなっているが……。
そう考えるうち、スースーと寝息が聞こえた。
ちゃんと毛布を着ているのか立ち上がって確認する。
と、ナナはダンゴムシのように丸まって眠っていた。
「いくらなんでも暑いだろ……」
少し笑った。
寝息はとても無防備で、だが身を縮める姿は警戒を保っているようで……ますます“奇妙”だ。
「へんなヤツ……」
もう一度つぶやいた。
とにかく、ナナは他の者たちとは決定的に違うのだ。
だから……あの雨の中、出し抜けにあんなことを言ったのだ。
『サスケ』
あれ以来、ナナは律儀にもそう呼んでくれている。
そういえば、それはとても自然だった……。
「窒息するぞ」
サスケは、ナナの顔のあたりの毛布を引っ張った。
「う……ん……」
起きる気配はない。
よほど消耗していたのか、それともやはり、ここで安心しているのか……。
自然と口の端が上がっていることに気づいて、もう一度大げさにため息をついた。
とりあえず、明日の朝、どんな顔をして起きて来るのか楽しみだ……。
ただ、そう思った。