“予感”と呼ぶほど、大そうなものではない。
ただ、そんな気がしていただけ……。
“予感”と言うほど、新しいものではない。
ずっと、そんな気がしていた……。
夢から覚める直前のような、奇妙に不安定な感覚の中、ナナは夜風に誘われ歩き出した。
向かった先に佇む桜色の髪を見かけ、なんと声をかけたものかと戸惑う。
同じ類の“予感”を胸に、今夜、あの少女もここに来ていたのだ。
そして、二人の感覚は、寸分の狂いもなかったことが証明される。
不自然な荷物を背負ったサスケが現れ、サクラに近づいた。
ナナは逃げるように身を隠す。
舞台上の二人のセリフを、袖で聞いているような感覚だった。
闇を駆け抜けるサクラの言葉は、本当にまっすぐだった。
全てを投げ打ってでもサスケの傍に居たいのだと、迷いの無い訴えはまっすぐにサスケにぶつけられた。
ナナは気配を殺したまま、じっと立っていた。
サクラの悲鳴のような叫びを聞きながら、ただただその場に立ち尽くしていた。
それは他人事のように耳に入るのに……、なぜか心には、いちいち鋭い角度で突き刺さる。
「行かないで!!」
サクラはそう叫んだ。
心の奥底から湧き出す想いを、ありのままにまっすぐサスケにぶつけた。
(サクラちゃん……)
胸が、大きくズキリと痛んだ。
なんと切なく、なんと力強い声だろうと……。
(サクラちゃん……)
もう一度ナナがその名を心の中で繰り返した時、夜風がサスケの囁きをそこまで運んだ。
「サクラ……ありがとう……」
瞬間、ナナは静かにその場を去った。
『私はサスケ君が好きで好きでたまらないっ!!』
耳の奥、サクラの声がこだましていた。
『サスケ君が私と一緒にいてくれれば、絶対幸せになるはずだから!!』
それは鋭い刃のように、ナナの心に突き刺さっていた。
『復讐だって手伝う!!』
胸の傷口から滴る熱いものを、黙って眺めているような感覚のまま、ナナは走った。
『それがだめなら……』
木々が自分に向かって枝を振り上げているように見える。
『私も一緒に連れてって……』
良く知った里の林なのに、なぜだか知らぬ風景のようだった。
気づけばそこに来ていた。
里を一望できる、火影岩の頂上。
里で最も空に近い場所。
風の止まないこの場所が、いつもナナを落ち着かせた。
が、今日ばかりはそうはいかなかった。
『私も一緒に連れてって……』
まだ、サクラの声が鳴り止まない。
耳をふさごうとした、その時……。
「……なんで……」
ナナはかすれた声で呟いた。
眼下の里に……?
いや、その呟きに答えるものが、彼女の背後にあった。
「……お前がどんなに気配を消すのがうまくても、オレにはお前がわかる……」
いつもより和らげな声。
いつもより大人びた声。
ナナは息を整え、ゆっくりと振り返った。
「……サスケ……」
彼の瞳は、もうずっとそうしていたかのように、まっすぐナナを見つめていた。
「……なんで……ここに……」
黙って行くはずじゃなかったのか、と、皮肉をこめて言うつもりだったのに、ナナの口からはやっとそれしか出てこなかった。
サスケは静かに答える。
「サクラのおかげで気が変わった……」
そして、立ち尽くすナナにはっきりと告げた。
「ナナ、オレは里を抜ける」
わざわざ宣言されなくとも、嫌というほどほどわかっていた。
いや、“初めから”わかっていた。
いつかこの日が来ることは。
だがそれでも、その決意は新たな刃となってナナに突き刺さる。
もう少しも身動きできないナナに、サスケは言う。
「……ナナ、オレはどんなことをしてでも『力』を手に入れる……」
腹の底から吐き出された決意は、憎しみの色をしていた。
さらに色濃くなったその目的は、“彼”と再会して己の弱さを思い知ったためか……。
(……どんなことを……してでも……?)
ぼんやりと回転するナナの脳に、いつか死の森で聞いたセリフが浮かんだ。
『たとえ、悪魔にこの身をゆだねようとも……』
サスケは文字通り、
「オレは力を手に入れる。他には何もいらない……」
ついでサスケの口から出た言葉に、ナナは血が凍るのを感じた。
今までともに過ごした時間は、彼にとってまるで意味を持たぬものになったことを知ったのだ。
(私たちは……)
足もとから何かが崩れていくようだった。
今まで交わした言葉、向けられた不器用な笑み……それらがやけに鮮明に思い出され、浮かんだそばから消えていく。
このまま居たら何もかもを失うようで、ナナは怖さを覚えた。
(もう……何も……言わないで……)
頭の片隅でそう呟いた。
が、サスケはきっぱりと告げた。
「そしてオレは、イタチを殺す……」
彼の口から、イタチの名が吐き出された瞬間、ナナは首を締められたように苦しくなった。
しかし苦痛に抗うすべは無く、ナナはただそこに立っていた。
目の前のサスケは、すでに別人のようだった。
彼を引き止める言葉は、ひとつも生まれてこない。
そんな状態をわかっているかのように、サスケはゆっくりとナナに近づいた。
一歩も動けない。視線すら外せない。
「ナナ……」
自分を呼ぶ彼の声が、今までで一番優しく聞こえた。
そして瞳は、“あの日”見たものに、よく似ていた。
(……嗚呼……同ジダ……)
この上ない皮肉。
サスケがナナを見つめる瞳は、あの日、イタチが別れを告げた時と同じ色をしていた。
「ナナ……」
そのサスケの瞳が、苦しげに揺れた。
そして彼はそっとナナの頬に触れる。
「……ナナ……泣くな……」
「…………」
言われて初めて、ナナは自分が涙を流していることに気づく。
ぎこちなく流れた雫は、サスケの冷たい指先に受け止められた。
そして次の瞬間、ナナはサスケの腕の中にいた。
「…………」
そのぬくもりがなぜか懐かしく感じられ、思い切り目を閉じた。
「ナナ……オレは……」
耳元で囁かれる声は、すでに遠いところから聞こえてくるようだった。
「オレは……ずっとお前が好きだった……」
「…………」
その言葉に、どんな答えを返せばよいのかわかるはずもなかった。
驚きも、喜びも、哀しみも感じなかった。
ただ胸にあるのは、そこで蠢くのは、やはり……。
「……ズルイよ……サスケ……」
告げたと同時に終わらせる、その勝手な残酷さ……。
ナナは彼の体を抱き締める代わりに、両の拳を握り締めた。
「……サスケは……ズルイ……!」
焼けるように痛む喉をこじ開けて叫んだ。
「……ナナ……すまない……」
サスケはそう囁いて、腕の力を強くした。
突き飛ばすことさえできずに、ただ拳を握りしめたまま、ナナは痛みを吐き出した。
「……私は……サスケが……」
迫り来る何かから逃れるように……。
「……キライだよ……!!」
その時初めて、サスケはフッと笑った。
瞬間、ナナは別れを悟った。
サスケは体を離し、ナナに微笑した。
そして最後にもう一度、雫をぬぐった。
その指先が離れると同時に、サスケの姿は闇に解けた。
キレイに欠けた月だけが、立ち尽くすナナを見下ろしていた。