日の出頃、イズモによって五代目火影の前につれてこられたシカマルは、聞かされた事態に少なからず驚いた。
かつての同僚である大蛇丸によってこの混乱がもたらされたことをボヤく綱手と、全てを語り終えすすり泣くサクラを前に、彼は大いに戸惑っていた。
「サスケが里を抜けたことはわかりましたけど……、まさかオレを呼んだのって……」
眉をひそめる彼を、綱手はさえぎった。
「まぁ待て。もう一人、この“任務”を言い渡したいヤツがいる」
「もう一人……?」
怪訝なシカマルの前で、綱手はドアをみやった。
「すいません火影様、探すのに手間取って遅れました」
遅れて現れたのはコテツだった。
彼はそう綱手に詫びると、後ろを振り返る。
「ほら、入れ」
そして彼に促されてのろのろと部屋に足を踏み入れたのは、ナナだった。
「ナナっ!!」
涙で顔を濡らしたサクラが、その姿を見るなりすがるように叫んだ。
「ナナっ! サスケくんが! サスケくんがっ……!!」
だが、しゃっくりあげるサクラを、ナナは見ようとはしていなかった。
そればかりか、まるでその瞳は何も映してはいないかのように、暗く濁っていた。
(ナナ……?)
シカマルはその様子に気づく。
コテツに背中を押されるようにして火影の前に進み出るナナは、青白い顔で恐ろしく無表情だった。
「ナナ、たった今サクラから聞いたんだが……」
綱手はわずかに怪訝な顔で様子を伺い、だが、きっぱりと言った。
「サスケが昨夜、里を抜けた」
ナナはつぶやくように答えた。
「……そうですか……」
シカマルは隣に並んだナナの横顔を見る。
「ナナ! 私っ、止めたんだけど……!! それでもサスケくん……!!」
サクラは懸命に訴えた。
「どうしてもっ、私たちとは違うんだって言って……!!」
黙って突っ立っているナナの腕に、サクラがしがみつく。
「復讐が全てなんだって言って……!! 行っちゃったのっ……!!」
それでもナナは、黙っていた。
驚きも、悲しみも、何も浮かべない顔で。
明らかにおかしいその様子に、シカマルは気づく。
「ナナ……お前……知ってたのかよ……」
一瞬の静寂。
躊躇ったが、続けた。
「お前もサスケに会ったのか……?」
「…………」
「え……?!」
物言わぬナナの代わりに、サクラが反応した。
「ナナっ?! ナナもサスケくんに会ったの?!」
ナナはようやく口を開く。
「会ったよ。里を抜けるって言ってた」
ぶっきらぼうな
「サスケとは他に何を話したんだ?」
「…………」
「ナナ?」
ナナは表情のないままに言った。
「……報告をしなかったことの、罰は受けます」
答えではなかった。
「ナナ、そんな答えを聞きたいんじゃない。何があったのか聞いている」
「…………」
火影からの問いかけにも、ナナは答えようとはしなかった。
「ナナでも……サスケくんを止められなかったの……?」
黙りこくったナナに、サクラが悲しげにつぶやいた。
「私……ナナの言葉なら、サスケくんも聞くんじゃないかって……そう思ってたのに……」
言い終えた瞬間。
「ちがうよサクラちゃん」
ナナは初めてサクラを向いて言った。
「私はサスケを引き止めてない」
「え……?!」
その場の誰もが、ナナの言葉に息を呑んだ。
「ど、どういうこと?!」
「私はサスケを止めたわけじゃない」
「…………?!」
綱手ですら、予想外のセリフに言葉を失っている。
コテツとイズモも、顔を見合わせた。
「ナナ?! どうしてっ?!」
その言葉の意味をやっと理解した時、サクラは掴みかからんばかりに言った。
「どうしてサスケくんをひきとめなかったのよ!!」
「…………」
「ナナなら……サスケくんはナナの言葉なら……ずっと、聞いてたのに……!!」
サクラは湧き上がる疑問と悔しさをぶつけるように詰め寄った。
「どうしてなの?! サスケくんはずっとナナを見てた!! 私にはわかってた……。
二人はきっとどこかでわかりあってるんだって……」
「…………」
ずっとサスケを見つめてきたからこそ、知ってしまっていたのだろう……。
心のどこかで、認めないようにしてきた事実。
シカマルにはわかる気がした。
「サスケくんはナナにだけ心を開いてて、ナナはサスケくんのことを一番わかってて……」
死の森で、サスケが大蛇丸の与えた呪印によって暴走しかけたとき、止めたのはサクラでなくナナだった。
その時、はっきりと知ってしまった現実……。
シカマルも“同じもの”を見ていたからわかる。
だから、サクラの叫びを止められなかった。
「ねぇナナ!! 何とか言ってよ!!」
悲しさも、悔しさも、嫉妬心さえも押しのけて、サクラは叫んでいた。
「ナナだって、本当はサスケくんのことっ……!!」
「っ……私は……!!」
突然、ナナは悲痛な叫びを遮った。
そして、陰のこもった瞳をどこかに向けて、はっきりとこう言った。
「……私はサスケがキライだよ」
瞬間、サクラの手はしたたかにナナの青白い頬を打っていた。
「お、おい……!!」
よろめいた体をシカマルが支えなければ、ナナの姿はそのまま消えてしまいそうだった。
「ナナ……どうしてっ……!!」
最後は言葉にならず、サクラは泣き崩れながら部屋を走り出た。
「ナナ……お前……」
シカマルの腕から身を離し、赤らむ頬を気にもせずに再びフラリと立つナナは、人形のようだった。
「ナナ、どういうことなんだ?」
綱手は再び問いかけた。
しかしナナは、抑揚のない声で言った。
「……木ノ葉の忍が里を抜けるのを、黙って見過ごしたことの罰も受けます」
「……ナナ……」
綱手は言葉を呑み込み、ナナの様子をじっくりと眺めていた。まるで睨みつけるように。
そんな綱手と、一瞬だけ目が合った。
が、シカマルも困惑を返すことしかできない。
「とにかく……」
綱手はひとつ深呼吸し、椅子に座りなおした。
「シカマル、ナナ、お前たち二人に任務を言い渡す。ナナの罰だとかは、任務遂行の後の話だ」
シカマルはその言葉に対し、素直に戸惑いを表した。
「に、任務って……」
綱手はなかば強引に告げる。
「中忍のお前たちは、優秀と思われる下忍を率いてサスケを連れ戻せ」
「連れ戻すったって……」
“敵”の強さは明確ではない。
つまりは『計り知れない』ということになる。
誰かを『率いて』の正式な任務も初めてだ。
なにより、全く作戦が立てられない状況にあることは間違いない。
どれほど簡単な任務でも、作戦が無ければ成功率は否応なしに下がるのだ。
だが、そんな任務に対する動揺を断ち切るかのように、ナナが低い声で言った。
「イヤです」
「ナナ?!」
突然の完全なる拒否に、全員がナナを凝視する。
「私はサスケを連れ戻しには行きません」
ナナの言葉で、一瞬、室内が凍りついたように張り詰めた。
シカマルは恐怖すら感じた。
これほどまでに他者を遠ざけるナナの姿は異常だ。
サスケだけじゃなく、火影の命すら拒絶する異常さ。綱手さえも動揺を隠せずにいる。
「……ナナ、これは火影命令だ。なんとしてでも行ってもらう」
綱手は姿勢を正してからそう言った。
「木ノ葉の忍である以上、火影の命令は絶対だ。違うか?」
そんな切り札のような台詞まで付け足した。
だが……。
「……命令違反の……罰も受けます……」
そのつぶやきに、綱手もとうとう言葉を失った。
太陽が雲に隠されたような、肌寒い空気が室内にたち込めた気がする。
「ナナ……」
あの河原でのナナは暗闇に落ちて行くようだった。
今のナナはすでに闇色に染まってしまったようだ。
今さら懸命にそんなナナの心を考えても、答えを出せるわけはなかった。
だが、サスケを連れ戻すにはナナが必要だとシカマルも思っていた。
サクラが言っていたように、サスケはナナだけに心を開いていたことに気づいていたから……。
いや、
「じゃあ、オレひとりで適当に頭数そろえて行って来ます」
少しの沈黙の後、シカマルはそう言った。
「……仕方ない、お前だけでやってくれ」
諦めたような綱手の言葉を確認して、シカマルはうつむくナナの腕を掴んだ。
「んじゃあ、とりあえずナナを連れて行きますよ。下忍じゃねぇけど」
「…………!?」
思わず彼を振り仰いだナナを引いて、彼は綱手に言った。
「火影命令じゃなくて同期の“仲間”の頼みなら、聞いてくれんじゃないかと思って」
その言葉を聞いて、ナナの唇がかすかに震えた。
それを見たシカマルはにわかに安堵する。
ナナは完全に心を捨て去ったわけではなかった。
「頼んだぞ」
同じく安堵したような綱手に対し、軽い口調で答えた。
「ま、なるよーになるっスよ……」
色々な意味をその適当な言葉に込めて、彼はナナの冷たい手を引いたまま、火影の執務室をあとにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
細く冷たい手首をつかんだまま、シカマルはしばらくの間、無言で歩いていた。
ナナは手を離すよう抗議する。
が、彼はますます力をこめた。
ここでナナの手を離したら、取り返しがつかなくなることはわかりきっていた。
「シカマルっ、離してってば……!!」
ナナは聞いたこともないような、反抗的な口調で言う。
シカマルは廊下の真ん中で立ち止まり、息を切らすナナと向き合った。
「私、行かないよ」
その瞳に、初めて浮かぶ嫌悪の影。
シカマルはそれを見つめてから言った。
「腫れてんぞ」
ナナの左の頬は赤く腫れていた。
そこにそっと手を伸ばすと、ナナは拒むように身を引いた。
サクラは、サスケを引きとめなかったと言ったナナにくってかかった。
怒りをぶつけ、悔しさを露わにしていた。
が、サクラのことは責められないとシカマルは思う。
サクラがどれほどサスケに想いを寄せていたか、それはチームメイトのいのを見ているからわかるつもりだ。
あれだけサスケを見つめていたなら、わかったのだろう。
そのサスケが見つめる先を……。
サクラ自身、それを認めるのは辛かったに違いない。
それでも、サクラはそれをはっきりと口にしてナナにぶつけた。
ナナならば引き止められたはずだと言って。
その悔しさは尋常でないことくらい、シカマルでもわかった。
サクラの吐き出す言葉は震えていた。
だがナナは、サクラの悲鳴を遮るように、決して上の空ではない声で言った。
『私はサスケがキライだよ』
その瞬間、サクラの右手がナナの左の頬にとんだ。
ナナはそれを避けもせず受け止めたように見えた。
それは、何故か。
「ナナ、なにを怯えてんだよ」
「怯えてなんか、ないよ」
全ての言葉を拒むように、顔を背ける。
それでも、シカマルはもう動揺しなかった。
こんな急に変わり果てた“友”の姿を見せつけられても、今は不思議なほど落ち着き払っていた。
目の前にいるナナは、サスケのことを『キライ』だと言って壁を作り、それに手をついてなんとか立っている……。
シカマルにはそう思えてならなかった。
それがわかったから。
「逃げんなよ」
祈るような気持ちをこめて、ナナに言う。
「逃げてないよ」
ナナの横面は、苛立ちすら露わにした。
「いいや、逃げてる」
「何からっ……?!」
ムキになって思わず睨みつけてきたナナの目を、シカマルはしっかりと見据えて言った。
「お前自身のホントの気持ちから」
「…………」
そのたった一言でナナは言葉を失う。
そしてまた、彼の視線から逃れるように目を逸らす。
「お前、もし
「……そんなことっ……」
必死に、自ら築いた『壁』を保とうとする。
「そういうことだろ」
「…………!!」
核心をついた言葉とはいえ、あの穏やかだったナナがこんなにも取り乱している。
シカマルの胸も痛んだ。
そんな風に、必死で我慢することなどないのに。
そうまでして、自分をたった独りで支えなくてもいいのに。
だがこの痛みはもう知っている。
あの川原で『悲鳴』を聞いたときから刻まれた痛みだ。
だから心を押しとどめて、ナナの『壁』を無理やり壊す。
「ナナ、負けんな」
「…………!!」
シカマルの言葉は、必死で堪えるナナにとどめを指した。
「ちゃんと自分を見てやれ」
「……っ……」
もうナナは、自分を保つことなどできてはいなかった。
綺麗な涙が、伏せたまつ毛からようやく零れ落ちる。
「……ったく、お前が他人に冷たいフリすんのなんて、チョウジが断食するより無理な話なんだよ……」
責めて、泣かせて……、シカマルはそっとナナのうつむく頭を片腕で抱きかかえた。
「面倒くせーから、この間と同じこと言わせんなよ……」
『この間』……。河原で、言ったセリフ。
『お前が道に迷ったときの休憩所くらいには、なってやるよ……』
覚えていてくれたのか、ナナはフラリとよろめいた。
「シカ……マルッ……」
驚くほどすっぽりと彼の腕におさまったナナは、痛々しいほど震え出す。
「私っ……」
千切れそうな声は、シカマルの胸を締め付ける。
「……私っ……サスケがキライだよ……!!」
あの時とは違う。
「ナルトを殺そうとしてまで、強さにこだわるサスケがキライ……!!」
もう、落ちてる
「サクラちゃんや、みんなを捨てて……行っちゃえるサスケがキライ……!!」
底から響いて来るような……。
「……サクラちゃんに、あんなふうに言わせたサスケがキライっ……!!」
ナナは訴えかけるように彼のベストを握りしめ、シカマルは受け止めるようにその肩を抱き締めた。
力を入れていなければ、逆に自分の方が絶望の色に犯されて、ナナを支えることができなくなってしまいそうだった。
「サスケはっ……弱くて、ズルイッ……!!」
シカマルは必死で耳を傾けた。
「こんなっ、気持ちを気づかせて……!!」
ナナは、半ば祈るような気持ちで待っていたシカマルに、全てを投げ出すように叫んだ。
「私を……『スキだった』と言って……いなくなっちゃうサスケなんてっ……ダイキライだよっ……!!」
(ナナ……)
残酷な二人の運命を、シカマルは呪った。
ただ、しゃっくりあげるナナを抱き締めることしかできない自分も、決して涙を見せなかったナナをこんなにさせたサスケも、彼は呪った。
この腕の中の儚い存在を支えるすべを思いつかず……。
何故こういうときばかり余裕を失くして、気の利いた言葉のひとつも浮かばないのか……と、頭の隅っこで自嘲してみる。
サスケの想いも、ナナの想いも、全部吐き出させたこの状態で、言うべきことの“正解”など知らなかった。
なにひとつ思いつかなかった。
ただ、ひとつの想いのために懸命に言葉をつむぐ。
「ナナ……サスケはオレたちの“仲間”だろ?」
ナナは思い出したように、弱々しく呟いた。
「……ナ……カマ……」
結局こんな“作戦”しか浮かばない。
それでも、必ず成功させなくてはならなかった。
ナナは一瞬だけ顔を上げて、すぐにうつむいた。
その瞳に浮かぶ暗い影の隙間には、たしかに『心』が存在していた。
そこを目がけて、また祈るようには言った。
「仲間を救えるのは、“オレたち”だけだ」
サスケを救う場所……、そこには、なんとしてもナナが居なければならないのだと、強く思う。
あのサスケがただ一人、心を許していたナナという存在が、彼をここに呼び戻すのにはどうしても必要だった。
先が読めるというのも考え物で、そんなことはとうにわかりきっていたことだった。
サクラやいのと同じくらい。
いや、彼女ら以上に知っていたかもしれない。
つくづく、自分もナナを
「木ノ葉の忍として、一緒に来てくれ」
だが、こうして強引に手を引いたのは、それだけじゃなかった。
傷口を開かせるようなことをしてまで、一緒に行かなければならない理由があった。
『仲間』とか、『オレたち』とか、『木ノ葉の忍として』とか、安っぽく単語を並べてでも、一緒に来てほしい理由があった。
何故なら……、二人はきっとろくに「さよなら」もしていないのだ。
いや、サスケは言ったかもしれないが、ナナは言えなかっただろう。
それでこんなに泣いているナナを、ほうってはおけなかった。
この先、たとえば任務が成功してサスケが戻って来たとしても……ナナは前には進めない。
そう思った。
「さよなら」も言えない別れを、一生悔やむことになるかもしれない。
そんなナナを見ていたくはなかった。
友として、ナナにはまた笑って欲しかった。
だから……。
「ナナ」
それらの想いを秘めて、シカマルは願った。
「オレやこれから誘うメンバーのためにも。お前の力が必要だ」
ナナの“これから”のために。
そして、自分の……。
「オレらと一緒に来てくれ」
ナナは黙っていた。
その間はとても長く感じられた。
だがシカマルはじっと待った。祈るように。
ややあって、腕の中でナナは弱々しくうなずいた。
言葉はなかった。
だがそれで良かった。
シカマルはナナを精一杯強く抱き締めた。
せめて今、自分がナナの側にいると伝えたかった。
何かが欠けてしまったようなナナのココロを、埋めることはできなくても。