「ナナ!!」
後ろでした声に、ナナは生き返ったかのように瞬きをした。
「大丈夫か?」
前を行く連中には聞こえないくらいの声で、ネジが言った。
「ゴメン、大丈夫」
ここまで来ても、まだ心配を……、迷惑をかけている。
そんな自分が情けなかった。
だからせめて、今できることとして、振り返って言った
「大丈夫だから!」
大丈夫……。
こうして前に進むことが、自分自身の一歩になる。
そして、枝を蹴る足に強さを増す。
チョウジの背を追う視線にも、強さを増す。
想う、心も。
サスケ……
感情を全てさらけ出したのは、あの時が初めてだった。
サスケの何がそうさせたのか、正直よくわからない。
心がぐちゃぐちゃな時、イタチにみたいに現れるから。
自分は孤独でいようとするくせに、ほうっておいてくれないから。
自分も辛い思いをしているくせに、寄り添ってくれるから。
何もわかってないくせに、わかったように言うから。
『オレのことをわかっていな』と言うサスケに、『わかってる』と言えない自分の卑怯さに嫌気がさしたから。
それでも、言う勇気なんてなかったから。
ぐちゃぐちゃがめちゃくちゃになって暴発したのに、サスケはずっと側にいてくれた。
怒っていたのに、ずっと手をつかんでいてくれた。
その熱に、はっきりと意識していた。彼と言う存在を。
はっきりと……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「っこの……ウスラトンカチが……」
ため息ともいえる息遣い。
「泣けよ、こんな時くらい……」
怒ったような口調は、すでに限界だったナナを泣きたくさせた。
喉が、ヤケドのように痛む。
でも、泣きたくはなかった。
泣くわけにはいかなかった。
イタチに去られてからは、絶対に泣かないと決めていたから。
耐えて、拳を握り締める。
同時に、彼の手の温度も熱くなる。
(サスケ……!!)
自分でヒトリを望んだクセに、拒絶しようとしたクセに……。
心は止める間もなく、すがるようにその名を呼ぶ。
何度も、何度も……。
(サスケ……)
そしてとうとう、感情は行き場を失った。
どうしようもなくなって顔をあげる。
目が合った。
まるで一瞬たりとも目を背けてはいなかったかのように、サスケはナナを見下ろしていた。
「なんて顔してんだよ……」
潜めた眉は、“彼”とは全然違っていて……今後は不思議とナナを安心させた。
(サスケ……)
再び彼の名を呼ぶ心に、
「お前……」
呟くようなサスケの声が、
「あんまりひとりで……」
やけに柔らに染みこんだ。
「無理するな……」
『頼れ』とも言わないし、『心配だ』とも言わない。
まして、『側にいる』など、決して言わない。
しいて言うなら、『見ていてムカツク』。
そして、『無理するな』……それがサスケの言葉。
これが“サスケ”なんだと実感した瞬間、肩の力が抜けた。
情けなくダランと降りた拳にも、まだサスケの手は沿っていた。
指をそっと握っても、離れてはいかなかった。
少しだけ強く絡めながら、ナナはサスケの瞳を探した。
其処に映る、自分の姿を捜した。
(……あった……)
そこで揺らめく自分の弱さと、
サスケの闇をみつけた。
ナナの醒めた目と、冷めた熱をからかうように、風が吹いて……。
でも、それさえ現実じゃないと思えるくらい、ナナの中身はまっさらだった。
(サスケ……)
その名前だけ、バカみたいに繰り返し……。
真上の太陽が、その状況に似合わず強く照り付けて、ナナはますます感覚を失った。
ただサスケの瞳だけが、ナナを繋ぎ止めていた。
小さい頃から、イタチの語りで想像していた姿とは、ずいぶん違っていたけれど……。
明るく光り、よく動く瞳ではなかったけれど……。
傷つき、影を映しながらも、それでもキレイなサスケの瞳……。
激しさを秘めた静かさで、沈み込むような深さで……。
「サスケ……」
今の彼を呼んだ。
「私……」
情けなくひきつった喉を無視して、ナナは言った。
「海が見たい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「みんな止まれっ!!」
シカマルの合図で、全員枝の上で立ち止まる。
キバや赤丸以外の面々にも、嫌な臭いがしているのがわかった。
「この形は……『結界法陣』だ……!」
ネジがそれを口にした。
やはり、サスケを連れて行った者たちは『結果忍術』に長けている。
もともと『陰陽術』から発展した『結界忍術』。
つまりは、和泉の影響が強いということ……。
だからナナは決意を強くした。
(やっぱり私は、アナタをソコから連れ戻すよ)
なんとしてでも。
命と、そしてこの『名』に懸けて。
たとえサスケが、あの景色を忘れてしまっていても……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「キレイ……」
そんな単純な言葉すら、砂を踏みしめてしばらく出ずにいた。
「海、初めて来たのか?」
「……うん……」
不規則に岩にぶつかる、意外に静かな波の音が、昼間の熱を洗い流すようだった。
そして、心さえも。
瞬間、半日以上も歩き続けた疲れが、同時に二人を襲う。
「ふぅ……」
どちらからともなく出たため息とともに、二つの影は湿った岩に座り込む。
「遠かったね……」
「お前が急に変なこと言い出すからだろ……」
「イキナリ引っ張って行ったのはサスケじゃない」
「魔がさしたん……」
「あ、流れ星だ……!」
「…………」
今まで目にした何よりも、美しいと思える景色。
それをサスケにもらった気がしていた。
ナナはそっと、サスケを見た。
静かな波を見ているのか、それとも再び落ちようとしている星を見ているのか、
「ナナ……」
そんなナナの心を再び燻らすように、
「オレは……」
サスケは言った。
「オレは……実の兄に、一族を殺された……」
突然の告白が胸を刺す。
何を思って“今”それを口にしたのか。
「アイツが何を考えていたか……今でもわからないことばかりだ……」
次第に吐き捨てるようになっていく口調が、悲しかった。
『知っているよ』……せめて、そう言いたかった。
「アイツは血の繋がりのある者たちを全員殺して去って行ったし……、一番近くにいたオレだけを生かした」
知ってるから、言葉にしなくていい。
声に出して、また傷つかなくていい。
そう言いたかった。
「そしてあの日から、オレの『願い』はこの手でアイツを殺すことになった」
こんなに痛い『願い』はない……。
「だから……」
だから、痛みの中で耳に響くサスケの声だけを、心に留めて……。
「だから、お前も自分を責める必要はない」
波よりも、心鎮める声。
ナナは、深く息を吸った。
初めての香りと、初めての潮騒。
そして、初めてサスケが言葉にした闇。
それら全てに素直になって、ナナは囁いた。
「私ね、水が嫌いなの」
唐突な言葉に、怪訝そうにこちらを見たサスケと目を合わす。
「泳ぐのも苦手」
「……知ってる……」
授業ではなんとかカバーしていたつもりだが、サスケの目をごまかせるはずもなかった。
「水の中は、息ができないから……」
当たり前の理由でも、サスケは何も言わずに聞いている。
「だから、水の中は私の『居場所』じゃない」
水の記憶は、和泉の里の、河の記憶。
傷にしみこむ、水の痛さ。
呼吸が浚さらわれる、息苦しさ。
底に沈む、体の重さ。
抜け出した後の寒さ。
それは恐怖の記憶ではないけれど、全ての苦しみの象徴だった。
「……じゃあ、お前の居場所はどこなんだよ」
そんなナナに、サスケは波間を眺めたまま問う。
深い、問いだった。
和泉の故郷を離れて、でも『和泉の人間』でなくてはならず……。
それでも、『忍』としての自分を望む。
何が本当の姿かわかるはずもなく、
腰を下ろす場所もまだ知らない……。
それを、姉の死で弱った心に思い知った。
結局は、ヒトリで膝を抱えるしかないのだと……。
せっかく友ができたとしても、それでもヒトリで風に吹かれなくてはならない。
秘密は容赦なく孤独へと追いやる。
側にいてくれるサスケにも、何も言えない弱さを思い知る。
心は冷たく荒ぶるばかり。
だが。
「だけど……」
ひとつだけ気づいたことがある。
「海の底って、音も光もなんにも無くて、きっと静かだから……」
サスケの瞳の中に、
「そこまで行き着いたら……」
彼の闇と自分の怖れを見つけたときに。
「きっと私は、安心する気がする……」
光もなく、音もなく……、でも目に見えない激しい流れがそこにある。
暗くて寒い。息もできない。
けれど……。
「そこが私の『居場所』なのかな……」
それこそが、今の自分の心が休まる場所だと思う。
「なんだよ、それ……」
サスケはそうつぶやいて、また静かな波を眺めた。
その声は、馬鹿にしているようでもなく、かといって、いつもの少し怒った口調でもなく、ただ細波のように聴こえてきた。
『サスケの瞳は、まるで海の底……』
そんな彼への呟きは、自分の胸だけに収めた。
『私の居場所は……』
またひとつ、星が流れた。
そしてただ、名前を呼んでいた。
サスケ……
サスケ……
サスケ……
サスケ……。
本当は、あの時とっくに気づいていた。
ずっと、抱いていた心に。
(私はずっと、
イタチの語ったサスケに焦がれてた。
そして、イタチが変えたサスケも、変わらず好きだった。
(サスケも、そうなのかな……)
サスケは昨日、あんなに優しい声で、『ずっと好きだった』と言った。
『ずっと』と。
だったら、あの後も“色々”あったけれど……。
偶然、サスケだけに陰陽術を使ってるところを見られたのも。
偶然、サスケが修行しすぎて倒れてるところをナナだけが見つけたりしたのも。
今までの全ての『偶然』には、ちゃんとした意味があったのかもしれない。
サスケ……。
(こんなにもアナタを好きになることは、きっと仕方のなかったことだよね)
出会うことすら、意味のある偶然だったのだから。
ナナがどんなに自分の立場をわかっていても、
サスケがどんなに進もうとする道を決めていても。
(こんなに好きになっちゃうのは、当然のハナシだったんだよね)
だから、この『痛み』は必然で……。
あの時、この想いに気づいていながら知らないフリをしてたのは、この時が来ることを知っていたから。
だから、サスケはあの崖の上で、私を抱きしめてはくれなかったし、ナナも海に吸い込まれるヒカリを見ながら、サスケの手を繋ごうとはしなかった。
でも……。
でも、もう大丈夫。
両目を見開いて、ちゃんと心を見つめることができたから。
砕けて散らばった心のカケラを、今、やっと全部拾い集めた気がする。
元に戻すことなんて決してできないそれを、捨てずに、大切にしまっておく。
それを抱えてサスケを連れ戻す。
サスケの名前を呼びながら、
サスケの影を追いながら、
命を懸けて、戦うから。
そして、この旅の終わりにはきっと、想いも終わらせることができるから……。
逃げないで、見止めて。
きっと、ちゃんと終わらせることができるから。
そしてまた、自分の行くべき道を歩いていくから……。
想いを見つめて、余計に自分の道を思い知ったなんて、ものすごく皮肉なことだけれど……。
サスケ……
サスケのことをこんなにも好きになることができて、よかったと……、今、そう思うから……。
サスケが、あの流れる星たちを忘れても、あのひとつひとつを、決して忘れずに心に置いておく。
そして、いつまでも流れるそれにサスケの幸せを願う。
いつか、そんな瞳を捨てられることを。
いつまでも、あの星に願うから……。