今日はサスケにとって、一年で最も嫌悪すべき日。
できることなら消し去ってしまいたい日。
おまけに、“あの日”と同じような丸い月がかかっている。
サスケは眠れるはずもなく、あてもないまま静かな道を歩く。
何度この日を、こんな風にすごしただろう。ただ、独りで家に居たくなくて、朝まで演習場で修行したり、里をうろうろ歩き回ったり、川の流れを眺めていたり……。
今夜の満月は、今までで一番あの日の月と似ている。
サスケは憎々しげにそれを見上げた。よみがえるあの日のイメージに抵抗しようと、それを繰り返しては足元の小石を蹴る。
真夜中の里は怖いほど静かで、空気が痛いくらいに澄んでいた。
彼はまた、そう感じる自分をも嫌悪した。
そしてムリヤリある場所へと足を向ける。
この日を恐れていて、どうして強くなれるのか……と、険しい顔で己にそう言い聞かせる。
月と蝶(後編)
角を曲がると、黒い電柱が目に入る。
ちょうどその真上に満月が君臨していたあの日……。
サスケはそれを無理に見上げる。何かに挑戦するように。
(あの時、あそこにアイツが居たんだ……)
そして道に視線を戻す。一族の者たちがことごとく血まみれで倒れていた情景がよみがえる。
吐き気を抑え、彼はキッと道の先を見すえた。
すると、視界の隅に動くものがある。それで悪夢は中断された。
(なんだ……?)
サスケが目を凝らすまでもなく、明るい月のおかげでその正体はすぐにわかった。
「蝶……?」
月光で青白く光る羽をヒラヒラさせ、小さな蝶が彼の前を横切った。
「こんな夜に……、蝶……?」
なんとなく、サスケはその蝶を追う。
蝶は誘うようにヒラヒラ舞ながら、飛んできた方へ戻り始める。
するとその先に、よく知った少女が息を切らして立っていた。
「ナナ……!?」
蝶はナナの肩に止まって、月光にかき消されるように消え去った。
(……消えた……?)
サスケが何を言っていいのかわからず、ただ立ち尽くしていると、ナナは息を整えて言った。
「サスケ、こんばんは」
そして、にこりと微笑んだ。
なんだか魔法をかけられたような、不思議な瞬間だった。
ナナの笑みはとても柔らかく、それでいてどこか泣き出しそうなもろい笑みだった。
それが月の下で極上に映え、サスケはますます言葉を失った。
こんな日に、こんなにも言いようのない感情を手にするとは思いもよらず……。
ただ、さっきまでの哀れな自分が、少しだけ救われたような感覚だった。
「こんな夜中に、何をしてるの?」
ナナはからかうように言った。
「……別に……」
本当はそう答えるのがやっとだったが、彼は無理に両手をポケットに突っ込んでみせた。
「お前こそ、何してる? いつもの“アレ”か?」
「……私は、ただの散歩……」
「……オレもだ……」
二人は立つ距離を縮めようともせず、少しの間、互いの様子をうかがうように沈黙した。
「月にでも、誘われたの……?」
やがてナナが口を開く。それは、普段の彼女とは別の、どこか大人びた口調だった。
「……いや……」
逆にサスケは、いつものようにそっけなく答える。
「大きな満月だね……」
ナナは「ほぅ」と息を吐いて、空を仰いだ。
眩しくもないのに目を細めるしぐさに、サスケはなんとなく本音を漏もらす。
「……オレは……満月は嫌いだ……」
ナナはゆっくりと、視線をサスケに向けた。
二人の漆黒の目が絡み合うと、ナナは陰のある笑みをよこした。
「私も、嫌い」
はっきりとつぶやかれた言葉に、サスケは許されたような安心感を得た。
同時に、今の今まで堪えていたものが、“ただの強がり”へと変わる。
目の前のナナだって、ずいぶん華奢な姿で、十分に悲しげな目をしているのに、それでも笑みをくれるから……。
サスケは、ズルズルと心が解ほどけていくのを止められない。
自然と、手はポケットから抜け出した。
「ナナ……」
声が、勝手にその名を音にする。
ジャリ……と、小石が彼の足音をしるした。
そしてサスケは、少し小さなナナを捕まえた。
「サスケ……」
突然のことに、サスケ自身の脳の奥でさえ驚きの声をあげているのに、ナナはちっとも身じろぎせず、そっと彼を抱き返す。
細くて折れてしまいそうな体は、それでもサスケを安心させた。
サスケにはこんな感情も、こんな存在も初めて与えられたものだった。
「……ナナ……オレは……」
サスケはナナの白い首筋に、うめくように言った。
「オレは……あの月が、怖かったんだ……」
ナナはその痛々しい声を聞き、うでの力を少し強めた。
そして、彼の耳に唇が触れる距離で、そっとささやいた。
「サスケ……もう、大丈夫だよ……」
なにが『大丈夫』だとか、なぜ『もう』なのかとか……聞かずとも、サスケは確かにナナの言葉の意味を受け取った。
しっかりと、その存在を腕の中に確信した。
(……モウ、ダイジョウブ……)
サスケの心に、じわりじわりとそれが染み込んで、さっきなんかよりずっと強さを持てる気がしていた。
「ああ……もう、大丈夫だ……」
彼は低い声でそう告げて、わずかに体を離した。
改めて近くでナナの顔を見下ろす。深い深い瞳が、彼に向けられていた。
「もう、怖くない……」
サスケはしっかりと視線を返して言った。
その強い言葉に、ナナはほんの一瞬目を見開いて、それから微笑んだ。
ナナはいつもの笑みを浮かべようとしたのだろうが、サスケの目は、苦しげにまつ毛を震わした刹那をとらえていた。
「うん」
ナナはうなずいた。
そして、そんな表情を隠すように、ポンと彼の肩に頬を乗せた。
「ナナ……?」
ナナの瞳の“影”が示す意味は、サスケにわかるはずもなかった。
「サスケは、強いね……」
風に吹かれて地を転がる枯葉のように、ナナはつぶやいた。
サスケには、それがひどく頼りなげに聞こえて、ぎこちなく再びナナの体に腕を回す。
そして言った。
「そうでもない……」
今強さを持てたのは、間違いなくナナのおかげだと、そしてこれからも……とは口にできないでいる。
が、確実に予感はしていた。
ナナは、さっきよりずっと遠慮がちに、サスケに体を沿わす。
ただ、その細い指先は、まるですがるようにサスケの服を握っていた。
「強いよ、サスケは……」
ナナはもう一度言った。
「それはお前だ」
サスケは本心からそう答える。
しかしナナは、それを彼に似合わぬ謙遜と受け取ったのか、彼の肩をくすぐるようにクスリと笑った。
そして、こうつぶやいた。
「……私も、満月を好きになれそう……」
サスケはまた、言い知れぬ安堵の波に呑まれるような感覚を覚えた。
ナナという名の
ナナもまた、強く立つサスケにその身をゆだねていた。
忍の里の道端で、ぬくもりを捧げ合う少年と少女を、
巨大な満月はいつまでも見守っていた。
それだけが、ここで起こった少年の
とある秘境で起こった少女の悲しい