ひと葉 ~壱の巻~   作:亜空@UZUHA

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怨睨 ―オニー(5)

 川の音がした。

 あまり好きな音ではなかった。

 草の匂いも、こころなしか水の香に薄められていた。

 

『私ね、水が嫌いなの』

 

 ふと、そんなセリフが思い出された。

 自分の言葉と気づくのが後だった。

 そして、つづけざまにあの光景が脳裏に浮かぶ。

 

 サスケ……

 

 ナナはゆっくりと目を開いた。

 片手の先が、水に漬かっていた。

 

(……冷たい……)

 

 痛い……より、そう思った。

 

 いつもの半分くらいしか、息が吸い込めなかった。

 それでも、ナナはゆっくりと顔をあげた。

 その耳に……聞こえてきた声。

 その瞳に……移った姿。

 

「サスケ……?!!」

 

 声になったか、ならないか……。

 激しい動悸にさらに呼吸を乱されながらも、ナナの意識は完全に『サスケの姿』に奪われた。

 川の上に浮かび上がるサスケは、あの海でナナの隣にいたサスケじゃなかった。

 呪印を顔に浮かび上がらせた顔でもなく……。

 バケモノのように、背から何かを生はやしたサスケが居た。

 

(……サスケ……?)

 

 それが、ナルトを殴り飛ばす。

 力を手にし、笑んでいる。

 

 サスケじゃない……

 

 そう思うほうが簡単だった。

 だが、そう思えないほどのリアルさで、バケモノのようなサスケの姿が瞳にはいりこんでいた。

 

(行かなくちゃ……)

 

 止めなくちゃ……

 

 奇跡的にそう思い起こせて、ナナは川から腕を引っ張り上げた。

 だが……。

 起こそうとした体は、再び地に押し戻された。

 土が口に入る。

 草が頬を切る。

 が、すぐに視界は上へと反転した。

 

「……うっ……」

 

 衝撃から一瞬で覚め、目を開けると……、そこに空は無く、あったのは、影を落とす姉の顔……。

 

「…………!?」

 

 激しい憎しみに燃える瞳が、金に光って自分を見下ろしていた。

 汚れ、乱れた髪が、ナナの頬に降りかかっている。

 首にはまた、冷たい手が絡みついていた。

 

「少しばかり、やりすぎよ、菜々葉……」

 

 狂ったような歪な視線で、琴葉はナナを捕らえる。

 

「あなたはもっと、苦しんでくれなくちゃ……」

 

 己自身、そうとうなダメージを受けているはずなのに、何も感じないかのようにいるのが不気味だった。

 

「あんなふうに、“全てを受け止めたような顔”で私を消そうとするのはよくないわ……」

 

 操っていた『物体』を保つ霊力が損なわれ、姉の『肉体』は姿を変えていた。

 右半身からは皮膚が剥がれ、ところどころから肉が落ちている。

 左半身からはあばらや肩の骨が突き出ている。

 

「あなたはね……菜々葉……」

 

 ボタボタと肉片や体液を草に沈めながら、琴葉は残酷に言った。

 

 

「あなたは心の淵まで絶望して、流す涙も無くなって……、“自ら”生を失うべき存在よ……!!」

 

 

 琴葉の望む、遊びが終わる時。

 これが、描いていたシナリオ。

 

「だから……」

 

 朽ちる『肉体』を気にもとめず、目だけを激しく光らせて、琴葉はナナの髪をわしづかみにした。

 

「……ぐっ……」

 

 そして狂気の顔を作って言った。

 

「だから私が、もっと傷をつけてあげる……!!」

 

 そして、ナナの左腕に爪を立て……朱のサラシを引き千切った。

 

「やめてっ……!!!」

 

 目の前で、千切れた朱の想い。

 それは同時に、ナナの最後の力が引き裂かれた瞬間……。

 

「いい悲鳴だわ、菜々葉……!!」

 

 今までで一番楽しそうに笑い、琴葉はボロ布を川へ放り投げた。

 そして……言った。

 

 

「『イタチの思い出』がなくなって悲しいの? 菜々葉」

 

 

 知っている……?

 琴葉はあの日……を知っている。

 イタチが里を捨て、幼いナナを捨てて行った、あの夜を……。

 

「…………!!」

 

 ナナは金の瞳を凝視した。

 

「あの日、あなたは泣きもせず、追いすがりもせず……、ずいぶん聞き分けのいい子だったわね」

 

 なぜ“あの日”を知っている……?

 思うナナの頬に、琴葉の息が降りかかる。

 

「言い忘れたけど、今の私は『時空(とき)』をも越えられるのよ……」

 

 改めて、姉の体が『霊体』なのだと実感する。

 いや、そんな暇もなく、ナナは姉にしたたかに殴られる。

 

「この目も……!!」

 

 息もつけぬほど、激しい拳。

 

「この耳も……!!」

 

 感情そのものが、カタチとなってナナの体を攻め立てる。

 

「この舌も……!!!」

 

 痛みはもう、長い間奥に隠していた『恐怖』と簡単に繋がった。

 

「全部奪ってやりたいっ……!!!」

 

 抗う『強さ』は、もう引き千切られてしまったから。

 

「でも菜々葉! あんたには、もっともっと……!!!」

 

 血の味も、姉の声も、初めて触れるように恐ろしい……。

 

「もっともっと、見て、聞いて、言って、苦しんでもらわなくちゃ……!!!」

 

 憎悪……。

 快楽……。

 もう、ナナには、向けられるモノがどちらなのかわからなかった。

 ただ、さっきまでの決意も、想いも、あんなに必死で掻き抱いていたものが、すべて……。

 

「フフフ……」

 

 琴葉の狂喜に犯されていた。

 

「もう抵抗する心もないの? 菜々葉!!」

 

 琴葉は高く笑い、虚ろになるナナに顔を近づけた。

 そして、真新しい、それでいてボロボロに汚れたベストを引き裂いた。

 

「やっ……!!」

 

 喉の奥から反射的に漏れたのは、情けない『怯え』だった。

 それをうっとりと聴き止め、琴葉はナナの露あらわになった懐から、“隠し武器”を奪い取る。

 あの、一本のクナイを。

 

「これも、イタチにもらったんでしょう?」

「…………!!!」

 

 見開いたナナの瞳は、あまりに無防備すぎた。

 

「イタチに救われた時に」

 

 そこに付け入る……容赦ない言霊。

 

「やめ……て……」

 

 『何で知っているのか』なんて言う余裕はなかった。

 ナナは次に襲う琴葉のそれを、察して震えた。

 歯が鳴る程に……。

 

「フフ……」

 

 これこそが、琴葉の最も欲しているものと知りながら、抑えきれない恐怖……。

 

 

「サスケ君が好きなあなたが……、そのサスケ君が『殺したいと』願う相手に救われるのって、どんな気分なの?」

「…………!!!」

 

 

 片手で首を締められているせいでもなく、ナナは呼吸を奪われていく。

 

「サスケ君を好きなクセに、イタチに護られるあなたはナニ?」

 

 言葉は、防御力を失ったナナの心に侵入し、そこにあるものを片っ端から破壊する。

 

「イタチの想いも知ったクセに、サスケ君への想いを認めるあなたはナニサマ?」

 

 瞳を閉じろ……耳を塞げ……

 心を閉ざせ……

 

 そんな命令も、琴葉の言葉が寸断する。

 

「今、この状況は全て、イタチが作ったものなのに」

「…………?!!」

 

 言霊が、ナナの中の何かを捕らえた。

 その瞬間、津波のように押し寄せる現実。

 この状況……。

 イタチが産んだ……?

 現在(いま)を、イタチがもたらした……?

 

 サスケの憎悪を。

 仲間の戦いと傷を。

 この胸を刺す、激しい痛みを……。

 もたらしたのは……イタチ。

 縋すがり続けてきた、イタチという存在。

 

「あら……」

 

 狂喜の琴葉に、少しの驚きが浮かんだ。

 

「あなたの涙を見るのは、あなたが3つの時以来かしら……菜々葉」

 

 伝うモノの温度も知らず、ナナはただ、草に沈んでいた。

 

「菜々葉、あなたには……」

 

 これ以上、破壊されるものは無い……それくらいに全てを失った。

 

「サスケ君への想いを抱いて生きることすら、許されないわね」

 

 生きる……?

 それすらも、本当は許されない……。

 そんな疑問に、かつてなら自嘲できただろうか……。

 

「菜々葉、例えば……」

 

 琴葉の握るクナイが、宙でキラめいて、ナナはそれを見つめているのに、

 

「コレすらも失ったら、あなたはどう生きるの?」

 

 逃げる力もないままに、呆けたように首を振る。

 

(ヤメテ)

 

 琴葉は心底幸福そうに笑み、ナナにクナイを突き刺した。

 

「……っ……!!!」

 

 ナナの心臓の真上、あの『刻印』に……。

 

 

「コレすら無くしたら、あなたは何のために存在するのかしらね、菜々葉!!!」

 

 

 興奮したように、琴葉はクナイを再び振り上げる。

 

 切っ先から滴った自らの血を浴びながら、ナナは『痛み』さえ届くことのない闇へと……、その魂を誘われて行った。

 

 

 

 

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