「お前がイライラしたってしょうがないだろう」
向かい側に座るテマリの言葉にも、反応のカケラすら示す余裕がなかった。
もうずっと前から張り詰めた糸。
チョウジとネジが危篤状態を脱したことを告げられても、ナルトが無事に運ばれたことを聞かされても、
シカマルの心は震えたまま、断ち切れることはなかった。
なぜなら……。
ナナガ……イナイ……
いくら待っても、ナナの無事は……いや、ナナの発見すら報告されなかった。
「任務に犠牲はつきものだ。精神訓練くらい受けてんだろ?」
テマリの言葉に、苛立ちながら答えてみる。
「訓練と実戦は違う……」
任務がどういうものか……理解しているし、忍の世界がこういうものだということも、わかっていたつもりだった。
だが、わかっていたつもりでも、こうも乱れる心。
その時、
「ツナデ様!!」
シズネが息を切らして走って来た。
そして、第6集中治療室でチョウジを見守っているツナデを呼ぶ。
シカマルはそのシズネの様子に、思わず立ち上がった。
「シズネ、どうした?!」
出てきて尋ねたツナデに、シズネは言った。
「はたけカカシが、いずみナナを連れて帰還しました!!」
その言葉に、ホっとすることはまだ許されなかった。
続けてシズネが言ったのは、
「非常に危険な状態です、すぐに来てください!!」
今までの彼を、さらに深いところへ突き落とすようなセリフ。
一瞬、強張った彼を、テマリが促した。
「お前、行かなくていいのか?」
言われて初めて、彼の足は動き出す。
まるで宙を駆けるように、足は安定を欠いていた。
薄暗い廊下に、カカシに抱かれたナナが現われた。
場は、一瞬だけ凍りついた。
彼の心臓も、同じように固まった。
カカシのベストから垣間見えたナナの四肢は、まるで人形のように力なく。
カカシの腕に収まったナナの頭は、死人のように静かだった。
そして……。
「これは……!!」
ツナデが血に染まったカカシのベストをめくった瞬間、言葉を失った。
そのツナデの背中越しに覗いた、ナナの傷……。
ヒトの仕業とは思えぬほど、おぞましい傷が、白い胸を赤黒く犯していた。
「五代目っ !!」
カカシの声に、ようやく我に返ったのはツナデだけ。
「す、すぐに第9集中治療室に運べ!! 全ての機器の電源を入れろ!!」
「は、はい……!!」
シズネでさえも、覚束ない反応を示す。
彼はただ、その場に立ち尽くしていた。
いや、立ち竦んでいた。
不安とかじゃなく……、完全に恐怖が彼を支配していた。
「おいお前、とにかく座れ」
見かねたテマリの声も届かなかった。
すぐに駆けつけた医療忍者の増員メンバーの足音も、彼の肩を叩いて己の任務に向かったカカシの辛そうな目も、いつの間にか駆けつけた他の砂忍の姿さえも、彼の五感には触れなかった。
ただ、慌ただしく開いた扉の音にだけは敏感で……。
「おい、いずみナナの容態はどうなんだ?」
出てきたシズネを呼び止めて尋ねた我愛羅の声と、
「頭蓋骨を含め、ほぼ全身に骨折が……。あとは胸部の裂傷による出血が多すぎて……今はまだ何とも……」
シズネの『答え』だけが耳に入り、脳へとダイレクトで繋がる。
さっき目にしたナナの傷。
真っ暗な視界に、それだけが見えていた。
そこにあるのは恐怖で……。
再びシズネが戻って来るまで、彼はずっとそこに縛り付けられていた。
どのくらい時間が経ったのか、わかるはずもなかった。
見覚えがあるようなないような……灰色の着物を着た老女がシズネに連れられて、すぐに帰って行き……。
その後は医療班の人間が慌しく出入りし、扉の向こうからはツナデの苛ついた声が時折聞かれ……。
いのやサクラも駆けつけて、そして、いつしかカカシも任務を終えて戻っていた。
『誰か』を失う怖さ……。
それがこれほどに苦しい想いだったのだと、今、骨の髄まで叩き込まれていた。
誰だって願うだろう。
こんな思いはもうしなくてすむように……と。
だから……。
「おい、お前……」
「どーしたのよ、シカマル?」
彼はその場に背を向けた。
もうこれ以上、このまま『怖さ』を感じていたら、頭がいよいよどうにかなりそうだった。
コレから開放されるのは、ただひとつ……。
彼は言った。
「オレは……」
唯一、出すことができる。
「今回の任務で嫌ってほどよくわかった……」
ただ単純に、今思うことを。
「オレは忍にゃ向いてねえ……」
向いているつもりもなかったし、向き不向き自体、考えたこともなかったが……。
突きつけられた現状がそう思わせる。
「ちょ、ちょっとシカマル!」
忍になど、向いていない。
忍など、もう……。
「何言ってるのよ、こんなときに!」
誰の言葉にも、言い返すただの一言だって無かった。
「お前、案外もろかったんだな」
彼はそのままに歩き出す。
忍という人生から開放される道へ……。
「このまま逃げるのか?」
その時、聞こえてきた声。
それは聞き慣れた父の声だった。
が、そこには聞き覚えのない怒気があった。
「オレは自分をわきまえてんだよ」
言い返しながら感じる苛つき。
その向かう先を知りながら……。
「わかったようなこと言いやがって」
父の低い声を聞く。
「お前はただの腰抜けだ……!!」
突き刺さっても、この『怖さ』よりはずいぶんとマシだった。
きっと、そんなものはすぐに消えるから。
この苦しみと違って、すぐに過去へと変わるはずだから。
だが。
「お前が忍を辞めたって、お前の仲間は任務を続ける。お前が目を背けた世界で、仲間は戦い続けるんだ」
珍しく長く語る父の言葉は、一言一言が胸の『怖さ』にも触れる。
どうしようもないはずの『怖さ』に、ジワジワとしみこんでいく。
「逃げることじゃなく、てめぇが『強く』なることを考えやがれ……それが本当の仲間ってもんだろうが……!!」
「…………」
自然と奥歯をかみ締めた。
何が『怖さ』なのかすら、もうわからなくて……、言い返す言葉も思い浮かばず、ただそこに突っ立っていた。
そのとき……。
「みんな!!」
勢いよく扉を開け放ったツナデの言葉が、
「ナナの容態が安定した!!」
周りの安堵や歓声を呼んだ。
(……ナナ……!!)
そして、彼の中の何かを叩き起こした。
(ナナ……!!!)
いっそう強く、歯を食いしばった彼の背に、
「シカマル、任務は失敗だったが……」
ツナデは言った。
「誰も死ななかった」
ナニモ……ウシナワナカッタ……
この手で導くはずだった仲間たちを、誰一人として失わなかった……。
「それが何よりだ」
その現実は、彼の中に熱い何かを生む。
父の手が、乱暴に背中を叩いた。
「次こそは……」
全てを熱に委ねながら、必死で言い切った。
「完璧にこなしてみせます……!!!」