錠の閉まる音が、夜風によって曖昧に消された。
部屋に無くなって困るものなどなかった。
必要なものは全てリュックに詰めたし、木ノ葉の住人の目に触れてはならないものは残らず処分した。
まだ、身体は普段のとおりには動かなかった。
この調子では、今から木ノ葉を出なければ、和泉の里に着くのは三日後の真昼間になってしまう。
昼間……“当主”や“その奥方”が起きている時間になど、里に入りたくはなかった。
(……ふぅ……)
身体の痛みのせいもあるが、ナナはアパートの階段を下りただけでため息をついた。
空に月はなかった。
それだけが救いだった。
まるで、“あの夜”がすぐ側に来ているようで……。
里を抜けたサスケと同じ時刻に同じ道を通る皮肉を、ナナは自嘲した。
同じような荷物を持って……。
火影の許可を得ているとはいえ、任務以外の目的でこんな時刻に里を出るなど、とても“日常的”といえないのは承知していた。
それに……。
「ナナ……」
誰かが呼び止めるところも、あの夜にそっくりだ……。
ナナは目を伏せて、その声に振り返った。
「本当に、行くのか……?」
見透かしたような白い瞳が、こちらを向いていた。
「うん」
神経質そうな彼の眉間に、シワがよった。
「木ノ葉では、できない修行なのか……?」
「うん」
ネジの言わんとしていることは、ヒシヒシと伝わってきた。
が、ナナはただうなずくにとどめる。
「せめて、身体が完治してから行けばいいだろう……」
「うん」
互いに、そんな言葉はムダだとわかっていた。
ナナは卑怯な自分を嘲あざけりつつ、不安を隠しもしないで立っているネジに歩み寄った。
そして、
「ネジくん……これ」
「…………?」
ポケットから取り出したものを、素直に開かれた彼の手に乗せる。
「……鍵……?」
「うん、ウチの鍵」
ネジはナナの瞳を探った。
「持ってて」
ナナはかわすように笑う。
ネジは手の中のそれを黙って見下ろしていた。
「ナナ……」
しばらく流れた沈黙を、ネジは低く震える声で断った。
「必ず戻って来い……」
「あたりまえでしょう」
笑って見せても、ネジは苦しげに奥歯をかみ締める。
「オレたちはもっと強くなって、またサスケを連れ戻す任務につく。お前も……」
「ネジ君」
ナナは、どこか必死なネジの言葉を、やんわりと、だがきっぱりと遮った。
「私は、『姉を倒す力を得るための修行』をしに行くよ」
「…………」
やはり……悟っていたのか、ネジは黙った。
ナナはそんなネジを少しの間だけ見つめてから、呟いた。
「サスケのことは……もういいや……」
「……ナナ……!?」
はっきりと口にすることは予想していなかったのか、ネジは目を見開いた。
彼の手から、鍵が地面に零れ落ちた。
「私には、他にやらなくちゃならないことができたから……」
「だがっ……」
「何が“一番”か、それを知っただけ」
何が一番重要なのか……何を一番に成さねばならぬのか……。
それがわかっただけ……。
ナナはネジにそう言った。
姉の存在……その禍々しい魂の存在は、ナナだけの問題でないことはネジも理解しているはずだった。
そして、ナナしかそれを消し去ることができないことも。
ネジはうつむいて、こぶしを握った。
彼の足元に転がる銀の鍵を、ナナは拾い上げた。
そして、もう一度、
「ネジくん、ありがとう」
そうささやきながら、手渡した。
「……っ……!!」
ネジはそのナナの手をしっかりと掴んだ。
「……ネジくん……」
迷っているのはネジだった。
ナナは静かに、ネジの言葉を待った。
「ナナ……」
心は平らだった。
「お前はいつか……オレに聞いたな……」
ネジの必死な声が、逆にそうさせているのかと錯覚しそうになる。
「『本当に運命は変えられると思うか』……と……」
ナナは小さくうなずいた。
木ノ葉病院の中庭で、少しだけさらした弱い心。
あの夜の臭いは、容易に蘇る。
『まだわからない……だが』
あのネジの言葉は、決して忘れてはいない。
『だが、変えてみようとしてみる気にはなった』
運命に抗う決意を伝えてくれたこと。
それがどれほどの強さを分け与えられる結果となったか……。
ナナはネジの手を握り返した。
「今は……」
ネジの言葉を聞くために。
「今は、『運命は変えられるものだ』とはっきり言える」
それは、“今の”ナナの心にも響いた。
だが、
「ありがとう」
ナナは微笑を返し、身体を離した。
「ネジくん、強くなったね」
「ナナ……」
ネジの白い瞳に、ナナはどす黒い影を落とした。
「私も……強くならなくちゃね」
他人事のように言って、ナナはネジに背を向けた。
「ナナ……!」
ネジの視線は、ナナの背を押しも引き戻しもしなかった。
ナナが感じる空気も風も、もう、以前とは何もかも変わってしまったから……。
「さよなら」
そう言って歩き出したナナに、返す声は無かった。