メジロマックイーンの甘え方   作:PFDD

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どうして前後篇になってる上に1万字越えてるんですか?(電話猫

今回、作者の悪癖が出たので糖分なしとなります。
タイトル詐欺となりますが、ご容赦ください。


式場で・前編

 くらやみ祭り以降、マックイーンと少し距離を置くようにした。まず、家に入り浸るのを止めさせる。トレーナーとはいえ、頻繁に独身男性の家に通うのは、メジロ家やチーム、そしてマックイーン自身の世間体へ悪影響を与える。今更すぎる理由だが、それでもマックイーンは自分の要望に従い、部屋には近づかないようになった。どうやらメジロの家での事情が変わったらしく、少し忙しくなったとのことだ。もちろん連絡は取り合うし、家の都合がつく限りはチームのサポートもしてくれた。

 こういうことをするのは、うら若き少女を預かるものの、当たり前の責務であるが、同時に我儘だと自覚していた。事情が重なったとはいえ、好意を寄せてくれるマックイーンを突き放すような真似をしている。先代、いや他のトレーナーであればもっといい方法で彼女の恋心を諦めさせるやり方が浮かんだのかもしれないが、未熟な自分にはこのような時間稼ぎ染みた方法しか考えつかなかった。そのような真意を隠してマックイーンにこの提案/最低な我儘を告げた時、彼女は目を見開き、俯いてしまった。それでも自分が理由、いや言い訳を話すと、微笑みを作った。

 

「……ちょうどこちらも忙しくなるので、しょうがないですわね」

 

 震える声で、そう肯定してくれた。

 その顔が無理に作ったものだと、ひと目で気づいた。尻尾も耳も、あまりにも分かりやすいのだ。けれども、告げた側である自分は、それを見て見ぬ振りをするしかできなかった。それが彼女のためでもある。

 名家のお嬢様と凡庸な指導者。しかも一方はスターと言われるウマ娘で、もう一方はめぐり合わせがよい、凡庸な指導者。そんな2人が恋に落ちるのは、普通はドラマや漫画の世界だけだ。彼女の約束された未来を考えれば、そういう関係になることなど烏滸がましい。

 それは彼女の夢を叶え、支えると告げた自分自身の誓いに反するのだ。

 だから、これで正しいのだ。

 そんな風に自分にそう言い聞かせながらしばらく、サブトレーナーのころのような生活をしていると、奇妙な感覚を覚えた。

 家に帰ると、誰もいない部屋に違和感を感じる。マックイーンが使っていた日用品が、使用者のいないことに抗議しているかのように目につく。暗い部屋に足を踏み入れるたびに、冷たい寂しさが足元から胸へと這い上がってくる。胸にまで到達した冷たさが、風穴を作って、心に虚無感を作り出す。椅子に座っていると、膝の上に重さと温もりがないことに気づき、仕事が捗らなくなった。

 そこまでして、ようやく自分の中にある"メジロマックイーン"というウマ娘/女の子が心の割合の多くを占めていることに気づいてしまった。気づいて、愕然として、部屋の電気も付けずに笑いたくなった。笑う代わりに、酒をしこたま買ってきて、思いっきり飲んでやって、吐いて、また飲んで、また吐いて、そのまま寝た。翌日は酷い二日酔いで動けず、自主トレの連絡だけをライスシャワーにして、もう一度寝た。

 それでようやく意識を切り替え、チームシリウスのトレーナーへと自己意識を無理やり変容させた。メジロマックイーンというウマ娘の復帰と、ライスシャワーのドリームトロフィーリーグ移籍までのプラン構築。それに他のウマ娘の出走レースとそれまでのトレーニングスケジュールと、やることはたくさんある。

 そう、多忙だと思い込む日々を、一ヶ月。その間、メジロマックイーンとは事務的な会話だけに留めた。チーム内のウマ娘たち何かあったのか聞かれたが答えを濁したが、様子が変だと同僚のトレーナーたちからも同じようなことを聞かれてしまった。何とか笑ってやり過ごし、チームを支えるトレーナーに努める。もちろん、メジロマックイーンの家の事情も考慮しつつ、秋の天皇賞に間に合うようにスケジューリングする。彼女を支えると決めている以上、メジロマックイーンの使命を達成させることは絶対だ。こういう時に何かと突っ込んでくるゴールドシップと、実は直球で聞いてくることが多いライスシャワーが何も言わず、裏側でコソコソと話していたことが気になったが、調整のことで手一杯となり、意識を割けなかった。

 そして、6月。もう夏の始まりだと言うのに、自室の寒さは余計に深まるばかりだ。何だかんだ年を取ったのか、疲れも取れないような気がした。

 そのような日々を過ごしていたある日に、唐突にゴールドシップが自分とメジロマックイーンに頼みこんできた。

 

「頼む頼む頼むよ〜! ゴールドシチーの代わりにこのバイト行ってくれよ〜!」

 

 いつものテンションで拝み倒しながら差し出してきたのは、ブライダルモデルのバイトだった。なんでも、ゴールドシチーが元々入れていたモデル仕事と、事務所の上の方からの仕事がバッティングしてしまい、しかも日程もズラすことができないということで、せめてもの形ということでブライダルモデルの方は代役を探すことになったのだ。おまけに今回の仕事で使うドレスはウマ娘用のため、人間では代わりが務まらず、事務所側の他のモデルウマ娘もその日は出払っているという間の悪さ。なのでゴールドシチーが学園の目ぼしい友人に声をかけ、一日バイトの相談しているという状況だった。

 神出鬼没のゴールドシップにも当然の如くその話がピクンと立つ耳に入り、勝手に引き受け、シリウスの面々というよりメジロマックイーン個人に頼み込んできたというのだ。メジロマックイーン個人なのは、ゴールドシップのいつもの気まぐれだろう。

 正直、気晴らし以外の目的が見いだせなかった。メジロマックイーンの方を見ても、分かりやすいぐらい困惑していたが、チームメンバーの反応は上々だった。

 

「あの、偶にはこういうこともいいと思いますよ? 最近のマックイーンさんはその……思い詰めてるような感じでしたから」

「そうそう、最近仏頂面が増えてきてるよ〜。トレーナーもですよー」

「どうせなら、トレーナーも付き添いで行ってきたらどうですか? 意外と面白いかもしれませんよ?」

 

 ライスシャワー他、チームのウマ娘にもそういうことを言われ、予想以上に顔に疲れがでていることに気付かされた。むう、と唸ってしまう。しかしそれなら、と他のウマ娘はどうなのかと聞くが。

 

「え、えーと、ライスはその、その日は用事があって……」

「私はちょっと地元に顔見せにいかなくちゃいけなくて……」

「エアグルーヴさんからお仕事を頼まれまして……」

「ちょっと空の世界いってハジケリスト共とラップ対決しなきゃいけねーからパスな」

 

 どうやらこちらも間が悪く、予定が空いている娘はいなかった。断ろうにも、ゴールドシチーには既にライスシャワーからも引き受ける旨を伝えているようなので引くに引けない状態らしい。はぁ、とひとつため息を吐いて、横目でもう一人の渦中の人物を見た。考えていることは一緒なのか、ばっちりと目が合ってしまった。

 

「…………その、いいのではないですか、トレーナーさん。こうなってしまっては、ゴールドシップさんは人を簀巻きにしてでも事を運びますよ」

 

 メジロマックイーンが、遠慮がちにこちらを伺ってきた。彼女の言うことももっともだと思いつつ、改めてバイトの条件が書かれた書類を確認する。通常はマネージャーやディレクターが仕事の範囲を越えないか同伴するらしいが、今回はそれも式場側でしか調整できなかった為、結果としてこちら側から誰か付き添いが必要なのも理解できた。実質的に拒否権なしの状況に、嵌められたのかもしれない、とゴールドシップをちらりと見るが、当の本人は早速どこかへ行く準備をしているのか、巨大なバッグに何がしかの道具を押し込もうとしていて顔が見えなかった。

 仕方ない、わかった。改めてメジロマックイーンと目を合わせ頷くと、彼女の顔に華が咲いた。

 

「ええ、楽しみですわね」

 

 ぎこちなさがあるが、それでも綺麗な笑みだ。誰もが見ても可憐だと感じるだろう。だからこそ、余計にそれを直視できなくて、再び書類に目をやった。

 誰かが、拳を握りしめる音が聞こえた。

 

 

 そして、そのような話をしてから、数日後。学園への届け出など雑多なことをこなしていると、バイトの日はすぐに訪れた。

 

「ありがとうございます! いやー、まさかあのメジロマックイーンさんに引き受けてもらえるなんて! ささ、どうぞどうぞ」

 

 今回の仕事場である郊外の専門結婚式場につくと、今回のディレクターである若い女性が自分たちを歓迎してくれた。挨拶も早々に受付での手続きと簡単な段取りの確認を終え、足早にメジロマックイーンに衣装を通してもらうためブライズルームへと案内してもらうことになった。その道すがら、ディレクターがふんふんと鼻息荒く自分たちを観察している。特にメジロマックイーンには念入りで、周囲をグルグル回りながら舐め回すようなレベルだ。他の会場で披露宴をやっているのか、着飾った一般客もいるようで、そのような人々からも奇異の目で見られているのも相まり、非常に居心地が悪かった。

 

「あ、あの、何か?」

「いやー、さすがですね。ゴールドシチーさんの輝くプロポーションも最上級ですけど,メジロマックイーンさんの均質の取れた体と持って生まれた気品さも堪りませんね! 最初はもうダメになるかと思いましたけど、最高の撮影になりそうです」

 

 うんうんと1人で納得していたディレクターに気圧されそうになるが、しかし何かあればメジロマックイーンのためにならないため、程々にしてください、と釘を刺す。ディレクターもわかってます、と軽く返すが、しかし意地の悪い顔でこちらを振り向く。

 

「ですけど、こんなに綺麗な娘のウェディングドレスが見れるんですから、トレーナーさんとしても役得なんじゃないですか。あ、いっそのこと、ウチのスタッフの代わりに新郎役やってみますか?」

「っ」

 

 ふふんと得意げに提案するディレクターに、結構です、と端的に断る。メジロマックイーンのような天性のものを持っているならともかく、自分のような素人がしゃしゃり出ても撮影の足を引っ張るだけだ。相手も本気ではなかったようで、あらら残念、と話を切った。ただ、メジロマックイーンの視線だけが、一度こっちに向き、そのまま床へと落ちた。その機微はわからないが、おそらくは新郎役有りでの撮影とは聞いていなかった辺りだろう、と考えつく。

 そこまでして、ふと思う。ただの撮影とはいえ、新郎の姿をした誰かが、メジロマックイーンの傍にいること、その光景を。

 瞬間的に怒りと苛立ちが同時に沸き立ち、ついで、何故そんなことを考えてしまったかと、頭を振って打ち消す。自分から一方的に突き放しておいて、勝手な妄想をして、その中で怒りを抱くなど、まるでバカみたいで、滑稽だ。

 

「どうしましたの、トレーナーさん?」

 

 そのような情けない自分を見透かすように、メジロマックイーンがこちらの顔を覗き込んできた。少し言葉に詰まりつつ、何でもないと答えた。

 

「そうですか……あの……いえ、何でもないですわ」

 

 自分と同じように、何かを喉に詰まらせる彼女から視線を外し、目的地にたどり着いたプロデューサーへと目を向ける。その目が妙に細められており、ふーむ、と何事かを呟いていたので、追加の用件でもあるのかと尋ねたが、いえいえと首を横に振った。

 

「大丈夫です大丈夫、ただ、そういうものだなと……さ、ここからは男性は入るの禁止です! しばらくお待ち下さいね!」

「あ、トレーナーさん……」

 

 メジロマックイーンが何かを言い終える前に、その芦毛の髪がブライズルームの扉の向こうへと消えていった。特に仕事のないただの付き添いのため、すっかり手持ち無沙汰の状態となってしまった。かといってこのまま部屋の前で待つという選択肢は、一般客やスタッフの迷惑になるので、別の場所に移ることにした。

 独り身である都合上、あまり縁のない場所ということで、せっかくだからと会場内を歩き出す。礼服やドレス姿の人々に、忙しく動き回るスタッフ。その内の何割かが今回の撮影スタッフであり、更にその中には力仕事向けのウマ娘が交じっており、芦毛と黒毛の尻尾をなびかせて、撮影会場であるチャペルに機材を運んでいた。どうせなら手伝おうかとぼんやりと考えたが、しかしその前にふと、壁に立てかけられたホワイトボードに飾られる写真を見つけた。

 それはこの式場で挙式したカップルや夫婦の写真だ。それだけならばよくあるものだ。ただ、その内の幾つかは、人間とウマ娘のものだった。光によって切り取られた笑顔は自然体のもので、皆が皆、とても幸せそうだった。

 懲りずに余計なことを考えてしまう。マックイーンも、いつかはこんな風に笑って、誰かと共に歩んでいくのかと。

 また、拳がしなる音がした。何となく下を向けば、無意識に形作っていた自分の右手があった。開いた手の中は、予想以上の力で握りしめられ、爪痕が食い込んでいた。

 

「ん、そこにいるのは……よお、久しぶりだな!」

 

 何でだ、と自分自身に煩悶とする直前、聞き知った声が聞こえた。思わず手を隠してそちらを向くと、そこには意外な顔があった。

 先代シリウストレーナー、こんな自分を後継者として育ててくれた先生だ。トレードマークのハンチング帽はなく、代わりにあまり似合っていない礼服を纏った恩師が、目をパチクリと瞬かせていた。おそらくは自分も同じような顔をしているだろう。

 先に再起動した自分が、何故ここにいるのかと尋ねた。

 

「何、姪っ子の結婚式と披露宴でな。オレがオグリの元トレーナーだからって、どうせならゲストであいつを呼んでくれって頼まれたんだよ。オレはオグリのオマケってわけだ」

 

 こういうことはよくあるんだよ、と肩をすくめる先生に、そうなんですか、と肩の力を抜く。久しぶりに自然と息ができたような気がした。肝心のオグリキャップのことを聞くと、今は式場側から用意された特製キャロットケーキを頬張りつつ、新郎新婦やゲストと写真撮影をしていて、しばらくは動けないらしい。本当に連れてきただけですねとつい口に出してしまうと、うるせぇと小突かれてしまった。

 こちらも、ゴールドシップから始まった奇妙な事情を伝えると、何だそうなのか、とわざとらしい笑みを返された。

 

「オレはてっきり、お前らが本気で結婚して式場の下見でも来たのかと思ったよ。って、今のマックイーンはまだまだ学生かつ現役だから無理だったなっ」

 

 朗らかに笑う先生に、冗談きついですよ、と何とか口元に笑みを作って返した。そう言いながらも胸が傷んだ。

 

「……どうやら、何かうまくいってないようだな」

 

 だが、自分の未熟さをこの先達はひと目で見抜いてしまった。自分の顔が強張ってしまったのがわかった。はぁーと大きなため息を一度し、先生はこちらへ背中を向けつつ、手を上げた。

 

「休憩時間で、オグリも他のやつに取られていねーんだ。少しぐらいは話を聞いてやるさ」

 

 ついてこい、というジェスチャー。一瞬躊躇ったが、しかし今自分には何もすることがないこと、何よりも先生という相手に、この胸の寂寥感を紛らわす方法を聞けないか、と縋るような思いを抱いて、その大きな背中に着いていった。

 連れられて来たのは最上階だ。第2ブライズルームと小道具部屋が中心だが、広めのエレベーターホールの先の分厚い扉の向こうは、ちょうどチャペルを上から覗けるような配置となっており、撮影スタッフの一部もここで作業を行っていた。先生は廊下にあった自動販売機で缶コーヒーを2つ買うと、その1つをこちらに投げ渡すと販売機横のベンチに腰を下ろした。冷たいブラックコーヒーの缶を開けつつ、自分はその横に立ったまま、背中を壁に預ける。

 

「んぐ……で、どうしたんだ?」

 

 そう催促されて、一度コーヒーで喉を潤してから、ゆっくりと、思い出と感情を言葉に変えていく。

 チームシリウスのメイントレーナーになってから、最初はメジロマックイーンと2人だけで再興したこと。チームにゴールドシップやライスシャワーなどといった新しいメンバーが入ったこと。新しいエースが天皇賞・春を3度勝ったこと。メジロマックイーンがしばらくレースに出られない間、ウマ娘とトレーナーという垣根を越えてしまうほどに距離が縮まってしまったこと。彼女の好意に気づいて、今一度距離を置こうとしようとしていること。

 そこまで言うと、先生は目元を手で覆いながら天を仰いだ。同時に吐き出される息には、大きな呆れが含まれているように思えた。

 

「はあ〜〜〜色々突っ込みたい気持ちはあるがよ……お前、何でマックイーンと距離を取ろうとしてるんだ?」

 

 気を取り直して、話を続けるようにと手をふる先生に、戸惑いつつも頷き、胸の内を話した。

 世間体の面から、この関係を続けるには危険であること。そしてこのままだと、チームシリウスのメジロマックイーン(エース)でも、メジロ家のメジロマックイーン(ウマ娘)でもなく、ただのメジロマックイーン(女の子)だけを見続けてしまう恐れがあったこと。

 もしそうなれば自分はシリウスのトレーナーではなく、メジロマックイーンだけのトレーナーに、下手をすればより酷いただのバカな男になってしまう。それが恐ろしい。たった1人に熱を出し、領分を越え、視線を向けた相手の未来さえ奪いかねない。何よりも、先生から託されたチームを放棄し、瓦解させるかもしれないという、自分自身への恐怖があった。

 そこまで堕ちれば、もはや自分はトレーナー失格だ。いくら一心同体を誓ったとはいえ、身を滅ぼしかねない男に、未来あるウマ娘を巻き込むわけにはいかない。

 だから先に、こちらから突き放すようなことをし始めた。それが結果としてウマ娘の、いやメジロマックイーンの為になると考えたからだ。

 

「……どこか間が抜けてるかと思ったが、そういう自分自身の機微まで抜けてるとは思わなかったぞ、ったく」

 

 何で式場まで来てこのアホみたいな人生相談を受けなければならないんだ、とぼやいたことに、少し腹が立った。自分は真剣に考え、決断した。これが彼女とチームのためになると。

 そのはずなのに鼻で笑われてしまった。自分の怒気が顔を現れてしまっているのがわかり、誤魔化すようにコーヒーを飲んだ。ブラックコーヒー特有の雑な苦味が、感情をセーブしてくれる。自分は冷静なのだと、心を無理やり落ち着かせる。

 

「……お前はな、今まで一方的に好きだった相手が、急に好いてくれていたことに気づいて、今更怖気づいてるだけなんだよ」

 

 だが、告げられた言葉に、頭が真っ白になった。

 

「何驚いてるんだ。お前、見習いのころからアイツのほぼ専属のような状態だったじゃねぇか。オレは課題としてお前とマックイーンに菊花賞を取るようにさせたが、同時に他のウマ娘の面倒を見るよう言ってたんだぜ」

 

 先生の言葉の通り、その最後の1年はオグリキャップの復帰を目標として、全てをオグリキャップ有マ記念に注いでいた。その間、自分は当時のチームシリウスの、オグリキャップ以外のメンバーたちを任されており、マックイーンの菊花賞獲得と並行して、コンディション維持を行っていた。結果として重賞レースなどは獲得できなかったが、誰も怪我などさせることなく、本人たちの希望もあって、他のチームへの移籍も手伝っていた。シリウスに留まらないのかと説得もしたが、当時は皆、困ったような顔で首を横に振っていた。それはまだ見習いだった自身の未熟かとも自省したものだ。

 

「オレは正式に引退した後、当時の奴らにも挨拶に行ってな。余計なお節介込みでどうしてシリウスから抜けたかも聞いたんだよ。そしたらアイツ等、なんて言ったと思う?」

 

 先生は困ったような、しかし同時に納得できたといった、力のない笑みを向けた。

 

「お前らの邪魔をしたくねーだとよ。もちろん引き抜きや専属トレーナーが見つかったってのが大半だが、どいつもこいつもそこだけは一緒だった。ああついでに、アイツらにお前らに会ったら、お幸せに、とか言伝を受けたぞ」

 

 今更すぎるけどな、と肩をすくめた。自分が最後に彼女たちに会った時、引き抜きなどの理由は自分も聞いていたが、邪魔をしたくなどという頓珍漢なことは一切言われなかった、そこも信頼の差だとは思うが、しかしそのような真意でチームを去っていたとは思いもしなかった。

 

「それだけ、お前ら2人の距離は、他のやつと違って近かったんだ。初めての担当ウマ娘に散々鈍いって言われていたオレでさえ気づいてたんだぞ? お前の目にはマックイーンしか、マックイーンにはお前しか映ってなかったんだよ」

 

 何でチームの中で専属トレーナーみたいなことやってんだか、と呆れられた。言われながら思い出してみれば、自分とマックイーンが話している時、どうにも話しかけづらそうにされていた気がする。加えて、菊花賞のためだからと、コーチングもマックイーンを優先にしてくれと、気を使われていたこともあった。当時の見習いとしては全員の状態を管理しきるには難しく、純粋に善意からのアドバイスだと思っていたが、まさかその裏側にはそのような意図があったとは、考えつかなかった。

 同時に、たしかにあの頃から、マックイーンとは距離がどんどん縮まっていた。そもそも、彼女をチームにスカウトしたのは自分だった。選抜レースで思うように結果を奮うことが出来なかったマックイーンが気になり、食事計画などのアドバイスをし、その縁からチームにスカウトすることとなった。彼女はその後、チームのエースであるオグリキャップに惚れ込み、他のチームメンバーともうまくやっていたようだが、自分よりもどこか距離があったように思えた。それはメジロ家の誇りや矜持といった、目に見えぬ線を引いていて、できる限り格好いいところだけを先輩や同期に見せるようにしていたことからも明白だった。

 思い返せば、その境界線が当時から、自分と話すときだけは揺らいでいたような気がする。それは彼女が自分には心を開いてくれている、信頼されていると受け取っていたが、そこから誰かに繋げるという気は不思議となかったことは確かだ。もしかしたら独占欲のようなものが働いていたのかもしれない、と今更ながらに気づき、これでは専属トレーナーと揶揄られても仕方ない、と猛省してしまう。

 その行動が表に出てしまい、顔が赤くなって、たまらず手で覆いながら呻いてしまう。どうしようもなく恥ずかしかった。

 

「なーに今更恥ずかしがってんだ。たくっ、そういう意味では、お前らはお似合いでもあったってことさ。チームも最悪、すぐになくなるかもしれないと、内心戦々恐々としてたんだぜ?」

 

 肩をすくめながらとんでもないことを言う先生に、即座にそんなことはない、と返した。自分たちはそのような恩知らずではないし、チームシリウスが好きだったことは事実だ。チームを託された時、プレッシャーと共に嬉しかったことは間違いないのだ。そこはメジロマックイーンも同じ気持ちだと、疑いなく言える。そのことを改めて、正面から伝えると、ビシッと鼻先を指で差された。

 

「そう、そこだよ。お前ら2人は当時から"一心同体"だった。だからこそ距離が近すぎて、好意や感情、使命感までごっちゃになってたんだよ。けど、それが言葉にできる感情だって気づいて、ようやく自分たちは違う目線もあると理解した……思春期のガキじゃないんだから、お前が先にそういうことに気づけってんだ」

 

 ぐうの音も出なかった。たしかに恋愛経験は自慢できるほどないが、常識程度には理解している気はしていた。だが今、自分自身の感情にも揺れ動かされている状態では、ヘタレや恋愛初心者の誹りを受けても仕方なかった。

 

「まったく……序でにいうが、お前が本当に怖いのはシリウスって絆がなくなることでも、メジロ家や世間体っていうでかい枠組みでもねぇ。メジロマックイーンっていう一人の女の恋心に応えきれるかっていう、テメエ自身の自信のなさだよ」

 

 ブラックにして正解だな、そう総締めくくり、座りが悪そうにコーヒー缶をすする先生。自分は逆に、手の中にある缶の口に、その奥にあるコーヒーの水面に映る自分の顔に見つめていた。

 彼女の心が怖い。そんなことにも気づけなかった自分自身に、驚きと落胆があった。なぜこんな簡単なことに気づけなかったのかと、どうして指摘された今も尚、その恐怖心に縛られているのかと。どうしたいのかも決めきれない半端者のままのかと。何よりも、こうして改めて指摘されたことで、マックイーンへ向けていた感情に名前という形が作られることに、戸惑っていることに。

 たまらず、どうしたらいいんでしょう、と声に出してしまった。自分で発音してみて、ずっと情けない、震えた声。

 ため息を吐かれた。

 

「……そんなの、人に聞くことじゃないだろうが」

 

 そして、思い切り背中を叩かれた。

 びっくりして、コーヒーを落としそうになった。たまらず席を立ち、手から滑ったコーヒー缶を空中でキャッチし、先生へ振り返る。自分に活をいれてもらう時、いつもこうしてもらっていたが、それが今だとは思わなかった。

 

「お前は、アイツをどう想っているんだ」

 

 今までになく真剣な目で見つめられ、背筋を正した。叩かれた背中がじんわりと熱を帯び、それが全身にまで伝わっていくような気がした。言葉が頭と身内に染み渡り、意味が意識を塗り替える。無理やりしていた感情の蓋が緩み、そこに仕舞っていた言葉が溢れ出してきた。

 メジロマックイーンをどう想っているか。

 それだけは、ずっと前から決まっている。

 

「男は出たとこ勝負だ。ウマ娘も人間もそこは変わらない……追い込みだろうと、差しだろうと、先行だろうと、逃げだろうと、結局は最後の踏み込みが大事だ。だからよ、色んなことを一度棚に置いて、自分の気持ちと惚れた女に全身全霊で向き合ってみろ。それが男としてオレが教える最後の教訓だ」

 

 はい、と自分でも驚くぐらいに通る声で返してしまった。先生はようやく、朗らかに笑ってくれた。

 

「ようし、ちょっとはマシな顔になったな。なら行ってこい。うまくいったら今度奢ってやるよ」

 

 そう言って、コーヒー缶を差し出される。自分もその意図を察して、自分のコーヒー缶を出し、軽くぶつけた。コン、と音がなる。軽い音だが、それで十分だ。そのままぐいと残りを飲み干すと、コーヒーの苦味が口いっぱいに広がった。甘えきっていた自分には、これでもまだ甘すぎるが、気付には十分なぐらいだ。

 缶を捨てると共に、大扉の向こう、下の階から歓声が上がった。どうやら主役が到着したらしい。

 行ってきます、と深く一礼し、駆け出す。先生の視線を受けながら、眼下のチャペルに向かうべく駆け出そうとし。

 

「お、そこのトレ……メジロマックイーンさんの付き添いさんよ、ちょうどいい所にいた!」

 

 道具置き場の一つから、ひょこりと顔を出した長身の女性スタッフに呼び止められた。帽子を深く被っているので顔は見えないが、芦毛の尻尾を持っていることからウマ娘だとわかる。知り合いに似た雰囲気の声だと思いつつ、急いでいるのでと一声返して無視しようとしたが、横から現れた、これまた顔を帽子で隠した黒髪のウマ娘に腕を掴まれ止められた。小柄な体に似合わずとてつもないパワーを持っているのか、びくともしなかった。

 

「そ、その、今新郎役さんが大事なことになって、代役を探しているんです! だからトレー……マックイーンさんの付き添いさんが、やっていただけませんか!?」

 

 こちらもどこかで聞いたことがあるような、心地の良い声音だ。だがしかし、その言葉の意味は反芻し、渡りに船だと頷く。

 すぐに着替えは済むかと聞けば、2人のウマ娘はサムズアップで答えた。

 

「おうよ、このゴル……スタッフさんが超究極剛速球でバッチリ仕上げてやる!」

「ライ……わたしも、手伝います! だから、マックイーンさんを迎えに行ってあげてください!」

 

 どこか見知った雰囲気の2人に頷き、お願いしますと返しつつ、この短い時間に、ぶつけるべき言葉を浮かべる。それは感情と想いと心、理性の中で往復し、爆発し、だが大事なことを伝えようと、徐々に研ぎ澄ましていく。

 この短くも長い時間が、自分にとって天皇賞だ。

 




(ゴルシ・ライスは暗躍中のため掛け合いなしです)

この話を書いてる際に10連回したら白マックイーン出ました、
更にその初育成で温泉券も出て、初めて温泉行けました。

・・・マックイーンからのプレッシャーが怖いんですけど(震え声

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