飛比路の死から十日が経つ。
鬼殺隊を支える柱が一人死んだところで、鬼の被害は止まりはしない。だからカナエもしのぶも、下向きになってしまった気持ちを奮い立たせて、鬼狩りの任務に就いている。
その間に、カナエは甲階級に昇格した。最終選別の後で右手に施された籐花彫りで階級を確認しても、『甲』と現れたので間違いない。
だが、甲になって思い出すのは、飛比路から事前に渡されていた昇級祝いの品だ。『甲になってから見る』と言った通り、カナエはその日まで中身を見ていない。しかし、昇級した今もまだその中身は見ていなかった。それを見ると、飛比路が目の前で死んだあの時のことを思い出して、悲しみに押し潰されそうになるから。
一方で、しのぶは丙階級に上がっている。
―――まさか、冗談よね?
飛比路とはどことなく反りが合わなかったしのぶだが、飛比路の死を聞いた時は動揺していた。カナエのように泣きはしなかったが、悲しみに満ちた表情で、口元を押さえていたのは覚えている。飛比路はしのぶにも教えをつけていたし、最近では割と仲良くなっていたように見えていたから、それも仕方ないだろう。
そしてこの日、カナエは鬼殺隊の当主に呼び出しを受けていた。
「まさか、天城が修行をつけていたのが君たちだとは思わなかった」
カナエの前を行くのは、岩柱・悲鳴嶼行冥。カナエやしのぶにとっては、自分たちを育手に紹介してくれた時以来の再会だ。しかし、それを喜ぶ時間はあまりなく、来るとすぐにカナエに同行するよう求めてきた。しのぶは留守番となり、仲間外れにされているようだからか若干不貞腐れていたのが記憶に新しい。
行冥の言葉に、カナエはその大きな身体を見上げる。
「悲鳴嶼さんは、知っていたんですか?飛比路さんが修行をつけていたこと・・・」
「ここに来る前、お館様から君を迎えに行く時に知った。それまでは、全く聞いたこともない」
飛比路がカナエとしのぶに修行をつけていたのを、耀哉は知っていた。しかし、カナエからしてみれば、飛比路が誰にどこまで話したかまでは知らない。ただ、飛比路の性格を考えれば、あまり大っぴらに話したりはしていないのだろうと、大方想像ができた。
「天城は、君たちに対してどう接していた?」
「・・・少しだけ、厳しかったです。けど、私たちのことをちゃんと考えてくれていました」
行冥の質問に、飛比路のことを思い胸を痛めつつも、カナエは答える。
修行に関しては手を抜かなかった飛比路だが、決してカナエたちを痛めつけようとはしていなかった。どころか、自分たちのことを考えてくれていたし、特に力の弱いしのぶに対しては、専用の修行法を考案したほどだ。
行冥は、カナエの答えを聞くと『そうか』と頷く。
「悲鳴嶼さんに聞くのも何ですが・・・飛比路さんはどんな方でしたか?」
「私は柱合会議以外で話をしたことはないが・・・任務には忠実で、鬼殺隊のことを考えていた。柱としての責務を理解していたと思う」
柱合会議で話す内容は、鬼の情報や鬼殺隊の今後の方針についてだと聞く。飛比路は、その会議の場で報告はちゃんとしていたし、鬼殺隊の行く末に関しても考えていたそうだ。飛比路本人から聞けなかったことを知れて、カナエは少し嬉しくなる。だが、同時にもっと話をしたかったと、後悔に似た念を抱いた。
「今日、お館様に呼ばれる理由は恐らく想像がつくだろうが、君は柱となる」
だが、そのカナエの内面を知らないであろう行冥が告げると、カナエは『はい』と意識を正す。
「先日君は甲階級となり、過去には十二鬼月も討っている」
飛比路と共に討伐した下弦の弐・子迂反。あの十二鬼月を斃したことで、条件を満たしたのだそうだ。
今思えば、あの時飛比路に言われたことで、柱を目指すようになったと思う。こうして柱になるまで時間はかかったが、普通は数年かかって柱になるものらしい。
「一つ気になるのが、柱になれるのは『
「?」
「君に対してだけ、この条件が少し変えられて適用されたのが、どうも疑問に思う。恐らくは、お館様にも考えがあるのだろうが・・・」
カナエは階級を飛ばして柱となるのではない。だが、十二鬼月を斃す必要があるにしろ、順序が少し違った。甲階級となったのはつい先日で、それから今日の間に十二鬼月と戦ってはいない。
それでもカナエが認められた理由は、本人にも分からない。以前、鬼殺隊全体が戦力不足で柱にも欠員が多くいると聞いたが、もしかしたらそれが理由なのかもしれなかった。
「この先君は柱として鬼殺隊を支える一人となる。それを忘れずに、戦うのだ」
「はい・・・それは、飛比路さんから学びました」
「・・・そうか」
今もまだ、飛比路が自らを死なせないために、守るために一人で上弦の壱と戦ったのを、カナエは胸に留めている。その戦い方、生き様は、カナエにとっても見習うべきものだと思っていた。
カナエが意思を伝えると、行冥は少しだけ嬉しそうに、唇の端を上げる。
鬼殺隊当主のいる屋敷が見えてきた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
最初にその人を見た時は、どこか儚いと思った。
当主というものだから、もっと存在感が強いと思っていたがそんなことはなく、ゆったりと静かな雰囲気が漂っている。その隣に座っている、妻と思しき女性もまた自己主張を全くせず、ひっそりとしていた。
「よく来てくれたね、カナエ」
当主・産屋敷耀哉が、ゆったりと安らぎに満ちた笑みで、カナエに話しかけてくる。
その声は、自らが亡くした両親のように穏やかなものだ。安心感にも似た感情がカナエの心を満たし、緊張が薄れていく。
「今日まで鬼たちと命を懸けて戦い、人々の命と生活を守ってきてくれて、本当にありがとう」
この柔らかく、包み込むような耀哉の雰囲気に、カナエは呑まれている。
普段なら、お礼を言われてもカナエは謙遜したり素直に『どういたしまして』と答えられる。なのに、今はそれができない。追い詰められているのではなく、この耀哉の纏う春風のような優しい雰囲気に中てられているのだ。
「カナエのことは、飛比路から聞いていたよ。彼の下で修行をしていたことも、十二鬼月を斃したこともね」
飛比路の名前が出ると、カナエの心が硬くなる。身近で亡くなった人の名を告げられると、やはり内面では平静を保っていられない。
その心の変化を耀哉は感じ取ったらしく、わずかに笑みを深めた。
「カナエにとっても、飛比路は大切な人だったのだろうね。それなのに、彼が死んでからそこまで時間を置かず、呼び出してしまってすまないと思う」
「・・・いえ、産屋敷様の心配には及びません」
ようやく引き出せた言葉は、少しだけ悲しみを帯びているのが自分でも分かる。
耀哉は、静かに頷いてカナエを見た。
「行冥から聞いているだろうけれど、これからカナエは柱として、鬼殺隊を支えると共に、最前線で戦うことになる」
「はい」
やはり、そう言う話だった。予想通りの話を切り出されて、カナエは頷く。
柱が鬼殺隊においてどれだけ重要な立場なのかは、飛比路を見て少しだけだが分かっているつもりだ。しかし、自分がその立場に就くとなると、意識も変えねばならなくなる。
これからの耀哉の話を心して聞かねば、とカナエは自らに言い聞かせた。
「実はね、飛比路は生前にカナエを柱に推薦していたんだよ」
「え?」
けれど、唐突に告げられた事実に、カナエは引き締めようとした心が緩んでしまう。
「飛比路がカナエに修行をつけていることは、鎹鴉を通じて聞いていた。階級や戦果、能力についても併せて聞いていて、飛比路から直接
「・・・・・・」
「その話をした時に飛比路は、カナエには柱になれる素質があると言っていた」
子迂反討伐の任務を告げられた時のことを思い出す。柱に直接師事しているカナエとしのぶは貴重な人材だと飛比路は言っていたが、あの時から飛比路はカナエが柱になれると思っていたのか。
「そして、飛比路から推薦の話を聞いたのは、彼が亡くなる一週間前だった」
「・・・・・・」
「柱になるには甲階級で十二鬼月を斃す必要がある。けれど、君は既に下弦の弐を斃しており、階級はその時点では乙だった。飛比路はそれを承知で、この先君がその強さを失うことなく戦い続けると信じ、君を柱に推したいと願い出た」
言葉が出ない。相槌を打つことも、頷いて反応を示すこともできない。
「これまでに、そうした推薦を伝えられたことは一度もなかった。私の前の代はどうだったかは分からないけれどね」
「・・・・・・」
「しかし私は、断ろうとは思わなかった。カナエの実績は元より、鬼殺隊全体の戦力が不足しているため、柱の拡充と言う目的もある」
そして、と耀哉は一呼吸置く。
「飛比路が君を信じたように、私も飛比路と君を信じることにした。飛比路が、誰かの強さを信じてそう願い出たのは、それだけの価値が君にあるということだから。私もその価値を信じ、飛比路の推薦を受け入れ約束した。君が甲階級になって少しした後に、柱にすると」
ここに来るまでの間に、行冥から聞いた話を思い出す。
――――君に対してだけ、この条件が少し変えられて適用されたのが、どうも疑問に思う
答えは、飛比路が頼んだからだった。カナエの力を信じて、必ずや柱として戦えると思っていたから。
想像もつかなかった事実に打ち震えていると、耀哉が懐から封筒を取り出す。『遺書』と書かれていたそれは、自然と誰が書いたものか分かった気がした。
「そして、その願いを告げる前に、飛比路は遺書を渡してくれた」
その遺書を、カナエへと差し出す。耀哉の瞳は、『読んでいい』と言っているようだった。
「飛比路が今までどんな過去を辿ってきたのかは知っているし、飛比路自身もその辛い道のりを自ら忘れていない」
「・・・産屋敷様は、知ってらしたのですか?飛比路さんの過去を・・・」
「私は、散ってしまった隊士の来歴と名前を全て記憶するようにしている。身体が弱い私に代わって、命を懸けて戦い彼らの想いを繋ぐために。飛比路のことも、勿論聞いていたよ」
カナエは、自らの手の震えを可能な限り抑えながら、封筒を静かに手に取る。
「だから飛比路は、誰かに向けて遺書を書くことはなかった。しかし、その遺書を書いてきたということは、それを差し出したいほどの人ができたということだろうと、私は思う」
中にある数枚の便箋を取り出して、カナエは視線を落とした。
『こういった文章を誰かに宛てて書くことはなかったので、見苦しい箇所があるかもしれない。それについては悪く思っているが、どうか許してほしい』
明らかに、手紙などを書くのに慣れていない風だった。カナエは、ほんの少しだけ唇が緩む。
『これまで柱として戦ってきたが、自分が鬼殺隊で戦うのは、自分に何ができるかを考えた末にこれしかできないと思ったからであり、家族や大切な人の仇を討つためなど、大層な理由ではない。だから、そうした真っ当な理由で戦う隊士たちのことは、羨ましく思うと同時に尊敬もしている』
ややぶっきらぼうなところがあった飛比路だが、文章は思いのほか丁寧で字も綺麗だった。普段からこんな感じで丁寧だったらよかったのに、とカナエは思う。
『だから、他と比べれば大したことはない自分が死ぬことで、誰かに何かを受け継いだり、託したりすることはできない。何かを伝えることさえ烏滸がましいのだろうが、それでも伝えさせてほしい』
嘘ばかり、と思う。飛比路は十分なものを、カナエに託していた。
『己にとって大切な人を守るため、誰かの幸せを守るため、大切な人の仇を討つため。自分以外の誰かのことを考えて戦うのは、とても素晴らしいことだと思う』
『けれど、どうか自分自身のことも考えてほしい。人のために戦うのは確かに善いが、戦う人自身が幸せに生きられることを願っている。幸せを奪われたことで鬼狩りに就く者は多いだろうけれど、幸せに生きることは人々に平等に与えられる権利だ』
『悲しみや怒りに衝き動かされて戦うのを、悪いとは思わない。けれど、今までを幸せに生きていたのであれば、いつの日か鬼がいなくなった世界でまた幸せに生きてほしい』
『仮にその傍に自らの大切な人がいなくなっても、強く生きてほしい』
読み終えて、カナエは静かに便箋をしまう。
再び耀哉の方を見ると、その傍らには鞘に納められた日輪刀が置かれていた。鍔も、柄の造りも同じそれは、柱になったカナエのために新たに打たれたものだろう。
「遺書には目を通している。その飛比路の遺書も、鬼殺隊の皆に向けて書かれたものと取れる。けれど、カナエを柱にと推薦を聞いた時に渡されたそれは、恐らくは君に向けて書いたものではないかと私は思う」
耀哉の言葉に、カナエは頷く。カナエもまた同意見だ。
「誰かの思いや願いを胸に戦うことは、自分の中にある強さを引き出してくれる。けれど、時には心に負担をかけることもある」
「・・・・・・」
「飛比路の思いが託された今、カナエには柱としてこの先戦う覚悟はあるかい?」
真正面から、耀哉が訊ねてくる。
しかし、飛比路の思いや行動を知って、後ずさりをするつもりなど更々なかった。
「覚悟は既に決まっています」
「・・・・・・」
「飛比路さんは、私の強さを信じ、守るために一人で戦い抜きました。それを無駄にしないために、私は戦います」
飛比路が死んだ時からずっと胸に決めていた。自分というただ一人のために、命を懸けて上弦の壱と戦い、そして敗れこの世を去った飛比路の行動を無駄にしないために。
その生き様に恥じないように自分もまた戦うと、決意は既に固まっている。
「鬼殺隊の一員として、柱として」
そう告げると、耀哉はカナエに新たな日輪刀を手渡した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「姉さん、おかえり」
帰ってくると、しのぶは鍛錬をしていた。カナエは、『ただいま』と笑って答える。
「どうだったの?」
「うん・・・柱に任命されたわ」
正直に話すと、しのぶは少し憂うような顔を浮かべる。
「・・・あの人みたいに、戦うことになるのよね」
「ええ」
恐らくは、飛比路が上弦の壱に殺されたから、カナエも同様の末路を辿ることになるかもしれないと、不安になっているのだろう。
しかしカナエは、少し屈んでしのぶと視線を合わせる。
「しのぶ、私たちは心に決めたわよね?私たちとは違う、多くの人たちの幸せを壊させないために戦うって」
「・・・うん」
鬼殺隊で戦う理由。カナエがそれを忘れたことは一度もない。しのぶもまた、同じ思いを抱えて戦っていると分かっている。思想が全部同じとは思わないが、根幹にあるのは同じ気持ちのはずだ。
「今までも多くの人たちを救ってきたけれど、柱になればより多くの人を助けられる。多くの人たちの幸せを守れる。私たちはそのために戦っているのだから、躊躇ってはいけないのよ」
「・・・そうよね」
カナエが言い聞かせると、しのぶは少しだけ笑みを浮かべた。
「ごめん、少し気弱になってた」
「まぁ、無理もないと思うわ。飛比路さんだって、あんなことになるとは思わなかったし」
命の保証はない鬼殺隊で、どんな鬼に遭遇するかは分からない。飛比路が上弦の壱と邂逅したことで、それは柱も例外ではないと理解させられた。明日も自分が生きていられる保証がないのは、柱になっても同じだ。
カナエは、主のいなくなった屋敷を見上げる。
「ねぇ、しのぶ。少しだけ一人にさせてもらってもいい?」
「?いいけど・・・どうしたの?」
「ちょっと、ね」
心配そうなしのぶを宥めて、カナエは屋敷へと上がった。
向かうのは、二階にある飛比路の私室だ。障子戸を開けると、開けたままの窓から涼しい穏やかな風が入り、部屋の中を満たしている。
(もう、あの子たちも戻ってこないのよね・・・)
窓際に置かれている、梟用の止まり木を見て思う。
任務で途中まで一緒だった梟たちは、飛比路が大事に飼っていた梟だ。佇んでいると謎の威圧感を放っていたそれも、いなくなると逆に物悲しい。
それと、カナエが保護した雀の雛・・・うこぎは、飛比路が鎹鴉を育成する部隊へと回したと言う。弱っていた雛の育成も、専門部隊ならばより詳しいだろうと思ったから早めに事を進めたらしい。
ただ、鴉とは違って言葉を習得するのが難しそうとの見解には苦笑した。大丈夫なのかと不安で仕方がない。
「・・・・・・」
カナエは、座卓の上に置かれている飛比路の日輪刀を見る。それも、上弦の壱との戦いのせいで半ば辺りで折れてしまっている。今、間近にそれを見るが、鍔に鳥の翼のような意匠が施されているのは初めて見た。
その日輪刀を横目に、カナエは懐から小さな袋を取り出した。ずっと開けられなかった、昇級祝いの品が入っている袋。見るのを躊躇っていたそれを、飛比路の真意を知った今日、初めて開ける。
袋の中には、桐でできた小さな箱が入っていた。その蓋を、ゆっくりと開ける。
「・・・櫛?」
蓋のしたにあったそれを見て、カナエはぽつりと呟く。桜の花の模様が描かれた、つげ櫛だ。
カナエは、自分の髪を手入れするための櫛を既に持っている。しかし、飛比路がこれを贈ってくれたということは、それだけ髪を大事にしてほしいと思ったのだろう。同時に、カナエの髪について考えてくれていたとは、少し意外だ。
だが、箱の中に入っていたのは櫛だけではなかった。
櫛の下には、一枚の紙片が折り畳んで収められていて、それをカナエが開くと。
『おめでとう』
そう書かれていた。
飛比路直筆のものだろう。先ほど読んだ遺書とはまた違い、こちらは柔らかい雰囲気が字からする。これも、飛比路本人とはまるで違う印象を抱かせた。
(あの人は、本当に・・・)
その祝いの品と言葉を、カナエはそっと自らの胸に寄せる。
今までそんな素振りを見せなかったのに、本当はカナエのことを気に掛けてくれていた。飛比路が本当はどんな人間なのかを、カナエはこの数か月屋敷で修業をつけてもらい、一緒に暮らす中である程度分かっているつもりだった。しかし、実際には見通し切れていなかったのだ。
自分をどれだけ大切に思っていたのかを、死んだ後に気づかされるとは、とても心が苦しくなる。
―――愛してる
あの時、飛比路が伝えた気持ちを、ふと思い出す。
これまでカナエは、飛比路のことをどう思っているのかがいまいち掴めていなかった。修行をつけてもらった身として感謝していたのか、共に戦ったことで信頼しているのか、あるいは一時的に一緒に暮らしたことで親しみを抱いていたのか、よく分からなかった。
けれど今は、自分がその全ての感情を抱いていたと、ハッキリ分かる。
そして飛比路が亡くなり、自分のことをどう思っていたのかを知った今は、新しく二つの気持ちを理解した。
まず一つは、悲しいという気持ち。それは飛比路が死んだ時にも抱いたが、彼の真意を知った今、感じるその悲しみはより深いものだ。
そしてもう一つは、そんな気持ちを抱くとは思っていなかった、とカナエ自身で思っていたものだ。
(・・・愛してる、か)
カナエもまた、愛情を抱いていた。
親愛と敬慕の二つの意味で、飛比路を愛していた。
しかし、その気持ちに自分で気付くのは遅くなった。その愛情を向けたい人は、もういないのだから。
そう思うと、カナエのお腹が重くなる。大きな岩を落とされたように感じる。
柱になったことで、耀哉から新しい屋敷を用意すると言われたが、その話を受け入れてよかったと今は思う。
何しろ、この屋敷にいて、この飛比路の部屋を見ていると、今はもういない飛比路に対する愛情を思い出し、心が大きく揺さぶられてしまうのだから。
「カナエェ、カナエェ、任務ヨォ!」
そんな感傷に浸っている中で、鎹鴉がやってきた。
窓際に留まる鎹鴉に、カナエは歩み寄る。
「北西ノ村デ人ガイナクナッテイルゥ!直チニ調査ニ向カイナサイィ!」
「北西ね・・・」
「柱トシテ初メテノ任務ゥ!心シテカカルノヨォ!」
鎹鴉に言われて、カナエも目を一度閉じる。
自分はもう、鬼殺隊を支える柱となったのだ。自分の中にあるやり場のない気持ちに向き合うのも結構だが、鬼に襲われている無辜の人々がいるのならば、それを助けるのが最優先。自分の気持ちは、その時だけは二の次だ。
カナエは、飛比路から贈られた櫛と紙片を胸の衣嚢に仕舞い、一階へと降りる。
「しのぶ」
そして、庭で鍛錬を続けていたしのぶに声をかけた。
「聞こえてたわよ。任務でしょ?」
「うん。行ってくる」
「気をつけてね」
姉妹別々の任務に就くことなんて、今までいくらでもあった。心配していることに変わりはないが、任務の度に今生の別れのような言葉を掛け合うこともない。それは、カナエが柱となってからも変わなかった。
だが、先日の飛比路との任務で、自分たちはいつ死ぬか分からないと、改めて思い知らされた。だとすれば、これが今日カナエが見る最後のしのぶの姿なのかもしれない。
そう思うと、最愛の妹が猶更愛おしくなり、カナエはそっとしのぶの髪を撫でた。
「えっ、何?どうしたの?」
「ううん、ちょっとね・・・」
時間にして一分にも満たないが、それだけでカナエは満足だ。手を離すと、しのぶは照れくさそうな顔でカナエを見上げている。
「じゃ、行ってくるわね」
「う、うん・・・」
そしてカナエは、出発する。しのぶがどこか困惑した様子だったことについては、何も言わないでおいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
北西の村にいた鬼は、十二鬼月ではない大柄な鬼だった。屈強な四肢を持ち、頸も木の幹のように太い。見るだけで硬そうなのが分かった。おまけに顔も変形しており、目玉と口がそれぞれ三つもある。
「そこの木の陰に隠れていてください。ここは私が食い止めます」
「は、はい!」
「もし何か、別の誰かが襲ってきたら、声を上げてください」
「分かりました・・・!」
その鬼の巨躯と異様な顔に圧倒され、後ろで尻餅をついている親子と思しき二人を振り向きながら、カナエは優しく伝える。二人はカナエにお礼を告げると後ろへと下がり、言われた通り木の陰に隠れた。
カナエは、獣のように唸る鬼を見上げて、ゆっくりと鞘から刀を抜く。桜色の刀身は変わらないが、根元には『惡鬼滅殺』の文字が刻まれている。飛比路のものと同じ、柱の証だ。
(あの人と、肩を並べて戦うって言ったのだけれど・・・)
それを見てほんの少し気持ちが下がるが、今はそんなことを考えている場合ではない。
カナエは日輪刀を構えて、鬼を見る。この鬼もまた、かつては自分と同じ人間だったのだろうけれど、今となっては斬るしかない敵だ。
その鬼に対する慈しみの気持ちを失くさず、カナエはこれからも戦う。
それこそが自分の戦い方であり、最愛の人が望むカナエの在り方だ。
「花柱・胡蝶カナエ、推して参ります」
自分が何者なのかを再認識するために、名乗る。
それを教えてくれた人は、もういない。
□ □ □ □ □
「ああ、来たのか」
切り株に、飛比路は腰かけていた。その足元や傍らには、多種多様な鳥たちがいて、中には見覚えのある梟もいる。
飛比路は、書生のような服を着ていた。鬼殺隊の隊服や外套はなく、面もつけていない。
その姿を認めると、カナエは心なしか足取りが少し早くなる。カナエもまた隊服ではなく、鬼殺隊に入る前に着ていたものと同じ柄の着物を纏っていた。
「意外と早かった、な」
「ええ・・・もう少し、ここに来るのは後になると思っていたのですけどね」
残念そうに言うカナエだが、表情は憑き物が落ちたように穏やかだ。飛比路もまた同じような感覚だった。
カナエが歩く道の脇には、多くの白い百合の花が咲き誇っている。カナエが飛比路と死別した樹海の一角にあった群生地にも似ているが、ここはそれよりもはるかに広い。
「両親には会えたか?」
「はい」
「それはよかった、な」
カナエは飛比路の下に来ると、向かい合うようにもう一つの切り株に腰掛ける。すると、一羽の梟がカナエの肩に留まった。それを見て、カナエは唇を緩める。
「俺は、気付いたらこうして鳥たちに囲まれていた。驚いたもの、だ」
「でも、こうしてまた会うことができて嬉しいです」
ここがどこなのかは、飛比路もカナエも理解している。
自分たちがどうなったのかも、分かっていた。
「ここに来たということは・・・お前も自分の責務を全うした、か」
「・・・はい」
「だとすれば、しのぶは一人残るだけになるのか?」
「・・・そうですね」
カナエの表情が曇る。飛比路も、唇を歪める。
一つ息を吐くと、膝の上に載っていた山鳩が飛比路を見上げる。
「あいつはカナエのことを本当に信頼し、愛しているのが、俺にも分かった。とすれば、この先あいつがどうなるかも、分からん」
「けれど私は、あの子はもっと強くなると思いますよ」
カナエの言葉に、飛比路も視線を上げる。
「あの子もまた、飛比路さんに教わって力をつけています。それに、私のことを胸に留めて、この先強くなるでしょう」
「・・・・・・」
「そして、あの子の周りには新しい家族がいますし、いずれまたしのぶを支える人が現れるはずです」
「・・・だといいが、な」
飛比路が少しだけ笑う。かつてはあまり見られなかったその表情に釣られて、カナエも笑う。
しかし、はたと飛比路の顔が驚きに染まった。
「・・・新しい、家族?まさか、もう祝言を挙げて子供まで儲けたとは、な」
「えっ?」
カナエも、飛比路の言葉で自分の言い方に語弊がありすぎたと気づいた。
「違います!違いますからね!?」
「いや、だったら他にどんな意味があると―――」
「言葉の綾です!子供を拾ったんです!」
真っ赤になってカナエが否定する。飛比路の周りにいた鳥は、吃驚したように羽ばたいてカナエと距離を取ろうとした。
だが、次第に落ち着きを取り戻したカナエが、ぽつぽつと話す。
「・・・子供を、拾ったんです。女衒に売られそうになっていた子を」
「ほう」
「その子はしのぶがちょっと強引に引き取ったんですけど・・・他にも、鬼によって両親を亡くした子供たちを、引き取ったんです」
カナエが言うと、飛比路は頷く。
逃げてしまった鳥たちが戻ってきて、カナエの傍にも降り立つ。
「助けたいと思った人を、助けたんだな」
「はい。あなたが最期に遺した言葉の通りに、私は私の生き方を貫いてきました」
「そうか・・・安心した」
すると今度は、カナエの笑みが少しだけ深まった。
飛比路は、そのカナエの表情に眉を顰める。
「・・・ところで飛比路さん、最期に私に『愛してる』って言ってくれましたよね?」
「・・・さあて。何のことやら、な」
照れ隠しのように、飛比路は誤魔化して視線を逸らす。心なしか、膝にのせている山鳩を撫でる手の動きが少し早まったようにも見える。
先の言葉も含めて、図星の反応だろう。ただ、飛比路もまた誤魔化しきれないと悟ってか、すぐに視線をカナエへと戻した。
「あの言葉は、どういう意味で言ったのでしょうか?親しい人として愛しているのか、それとも・・・一人の女性としてでしょうか?」
カナエがなお問う。
飛比路は、目を閉じて、腕を組んだ。その頭の上に梟が降り立つが、気に留める様子はない。
カナエは、次に飛比路が告げる言葉を待った。
「・・・両方、と答えさせてもらう」
「・・・良かった」
その答えを聞いて、カナエは頷き、微笑む。飛比路もカナエのその笑顔を見て、唇を緩めた。
「どちらでも、私は嬉しいですよ」
カナエが告げると、飛比路は肩を震わせてくつくつと笑う。カナエもまた、口元に手を押さえて笑った。
そして少ししてから、飛比路はカナエに話しかけた。
「・・・子供を拾った、と言ったな」
「ええ」
「よかったら、聞かせてくれないか?俺がいなくなった後の、お前たちのこと」
「もちろんですよ」
カナエが居ずまいを正し、飛比路を見る。
飛比路もまた、カナエに身体を向けた。
「では、どこから話そうかしら・・・」
「焦らなくていい。時間など、俺たちにはあってないようなものだから、な」
もしも生きているうちに、この気持ちが通じ合っていればどれだけよかっただろう。
しかしながら、既にお互い
「では、最初に拾った子のことなんですけどね」
「ああ」
「名前もなかったあの子に、私たちは『
やがて話を始めると、風が吹いて百合の花弁が舞い、鳥たちが飛び立っていった。
これにて、カナエの物語は完結でございます。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
以下、後書きとなります。
本編では既に故人となっているカナエを主役(ヒロイン)に物語を書こうと思った際、柱として責務を全うする間のことよりも、その柱に至るまでに何があったのかを自分なり書きたいと考えた末、今回の物語を作り上げました。
カナエやしのぶが強くなる過程には、自分たちの思想もさることながら、誰かが強くなれるように修行をつけていたのではないだろうかと考え、オリジナルの柱―――飛比路との交流を描くことにしました。
ただ、オリジナルの柱=カナエ同様に故人となるため、今回のような物語の終わり方を迎える形になりました。こうした終わり方(失恋)を書くのは初めてのことでしたが、最後に飛比路とカナエが再び出会えたことで、ほんの少しだけ悲しい気分を和らげられることができたかな?と思います。
また、しのぶやカナエはもちろんですが、柱が主人公ということで、柱になったばかりの義勇、天元、柱としての任期が長い行冥、槇寿郎、柱になる前の杏寿郎も書かせていただきました。
特に天元、槇寿郎、義勇に関しては、柱に着任する際の時期やその時の様子が不明だったため、自分なりの解釈を交えた上で書かせていただきました。こちらもお楽しみいただけたようであれば幸いです。
最後になりますが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
また機会がございましたら、お会いできればと思います。