夜が明けて、鬼殺隊本部の産屋敷邸に飛比路が報告にやってきた。
「ご報告に参りました」
耀哉は、縁側で飛比路が報告に来るのを待っていた。
彼が縁側で正座する一方、飛比路は庭に跪き頭を垂れている。その手には、鬼との戦闘の際には必ずつけていると言う鳥の面があり、今の飛比路は素顔を晒していた。
「鉄皮山に潜伏していた鬼は、十二鬼月ではありませんでした。が、かなりの数の人を喰っており、概算でも七十人近くは喰っていたと思われます」
「そうか・・・。鉄皮山には、どれだけの人がいたのかな」
「生存者は鬼殺隊が一名、のみ。死亡した鬼殺隊士はおよそ七名、民間人の遺体も多数ありました」
報告を聞く耀哉も、報告をする飛比路も声に乱れはない。
しかして、耀哉は自らの心が痛むのを自覚しており、飛比路も同じだろうと思う。多くの無辜の人が犠牲になり、鬼殺隊の仲間も殺されてしまった。耀哉自身、心が痛まずにはいられない。
だが、耀哉は自らの心を落ち着かせて、飛比路に声を掛ける。
「急な任務を頼んでしまってすまなかったね」
「お気遣いには及びません。そのために自分がいます、から」
「ありがとう、飛比路。今日は身体を休めるといいよ」
「お気遣い痛み入ります。それでは、失礼いたします」
そう言った直後、飛比路は姿を消した。自分の屋敷に帰ったのだろう。
それから少しの間、誰もいなくなった庭を眺め、やがて耀哉は立ち上がる。
「お館様」
「ありがとう、あまね」
そこへ、耀哉の妻である
耀哉の額の辺りは、焼け爛れたように肌が変色している。今はまだそこまで歩くのに支障は無いが、左目の視力は少しずつ衰えている。
これは、産屋敷一族に生まれ落ちた男の遺伝的な病だった。しかし、耀哉はこの病に対し気を悪くしたことは一度もなく、それを『報い』と捉えている。
「今月に入り、鬼の被害は七件・・・被害は月日が経つにつれて、増えていく」
あまねに支えられ私室に戻りながら、耀哉は口にする。それに対してあまねは、口を挟まず耀哉の顔をそっと窺うだけだ。
「私の子供たちは、
産屋敷一族は、代々男が病弱な体質だ。耀哉も以前、戦う隊士のように刀を振ってみたが、すぐに脈が狂い倒れてしまうほどに身体が弱い。
だからこそ、耀哉は戦えない自分に代わって命懸けで鬼と戦う鬼殺隊の皆を大切に思い、自らの子供のように慈しみ、労わる。
だが、鬼の数が増えるほどに、隊士もまた殺されていく。しかも今は、鬼殺隊でも最強の『柱』さえ不足しているのだ。また、隊士の数が足りなければ、それだけ鬼に喰われる人も増えていく。負の連鎖たるこの現状を、耀哉はとても歯痒く思っていた。
「人々の悲しみは、連なるべきものではなく、断ち斬るべきものだ」
「・・・はい」
「その悲しみを生み出したあの男は、何としても打ち倒さねばならない」
あまねが頷くと、耀哉は足を止める。
「・・・
静かに口にしたのは、この世に蔓延る悪鬼を生み出した全ての根源。
耀哉の意思を示すその言葉には、病弱な身体に不釣り合いなほどの強さと重さが備わっていた。
◆ ◆
自分の屋敷へ向かいながら飛比路は面を付け直し、肩や首を回して凝りを解す。
(・・・帰ったら湯浴みと、庭の手入れか)
帰宅後の予定を立てる飛比路。今日は耀哉から休むよう言われたので、緊急招集でもない限りは身体を休めて大丈夫なはずだ。とはいえ、不測の事態が起きた際にすぐに対処できるように、準備はしておかなければならない。
鬼殺隊本部から飛比路の屋敷までは、少し距離がある。だが、柱の身体能力があれば移動にそこまで時間はかからないし、体力を消費することもない。
なので、割とすぐに飛比路は自分の屋敷まで帰ってくることができた。
しかしながら、門戸の前に他人が待っているのに気付くと、途端に嫌な予感がしてくる。
「おう、お疲れさん」
門戸の前には三人いた。そのうちの一人、黒い装束に口布、頭巾を被った戦闘後処理部隊『
「何の用だ、
「こちらの二人が、お前さんに用があるんだとさ。俺は別に用はないよ」
武本と呼ばれた隠が手で示したのは、二人の女性の隊士だ。
一人は見覚えがある。飛比路よりも少し背の低い、緑の蝶の髪飾りと、隊服の上に蝶の翅脈のような羽織を纏うその隊士は、鉄皮山で助けた者だ。
だが、さらに背の低いもう一人の隊士は知らない。後頭部の紫の蝶の髪飾りと、白い羽織を隊服の上に着けている。初対面のはずだが、飛比路にしかめっ面を向けていた。
そんな二人を見る飛比路を尻目に、武本は『それじゃ』とだけ言ってその場を去る。本当にこの二人を連れて来ただけのようだ。
「・・・突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。私は階級
残された三人の内、最初に口を開いたのは鉄皮山で会った隊士だ。あの時は助太刀に入っただけで名前を聞かなかったので、飛比路は初めてその名を聞いた。
カナエが礼儀正しく挨拶をするのに対し、紹介されたしのぶという少女は目礼だけ。人のことは言えないが、表情もあって何とも不愛想な子だと飛比路は思う。階級も名乗らないが、カナエより下と思われる。
「昨日は助けてくださり、ありがとうございました」
「例には及ばん。で、態々隠を頼ってまでここに来るとは、何の用だ?」
頭を下げるカナエだが、謙遜でも何でもなくあの程度のことは、同じ鬼殺隊に礼を言われるまでもない。
それより、昨日の今日で何故ここへ来たのかが気になる。まさか、礼を言うためだけではあるまい。
カナエも、飛比路に促されると頷いた。
「実は、あなたにお願いがあって伺いました」
「お願い?」
飛比路が質すと、わずかにカナエは逡巡したように口を閉じる。しのぶは、口を挟もうとはせず、カナエの様子を窺うのみだ。
やがて、カナエは真っ直ぐな目を向けた。
「私たちに、修行をつけていただけませんか」
「悪いが、断る」
頼みを聞いた直後、飛比路は拒否した。何のためにここへ来たかなど、少し頭を動かせば分かったはずだ。
その答えに、しのぶが小さく溜息を吐く。そう答えることを予想していたらしい。
「差し出がましいお願いであることは分かっています」
一方、カナエはすぐには諦めきれないらしく、なおも飛比路に言葉をかけてくる。
だが飛比路は既に意思を伝えたので取り合う必要がなく、門戸を潜り屋敷へ戻ろうとした。
「それでも、
修行をつけられるほど強い隊士は、自分の他にも大勢いる。それに、自分は他人様に修行を付けられるほどの人間でもないと、飛比路自身は思っている。
だが、カナエの言い方は、自分でなければできないと言っている風に聞こえた。そうなると、少し話は変わってくる。
「・・・・・・」
振り向き、カナエの瞳を見る。
宝石のように綺麗に輝く瞳だが、強い意志が込められているように見える。頼みを聞いてもらえるよう、都合のいいことを言っている風ではない。
ここで無下にするのも後味が悪くなりそうだったので、飛比路は仕方なくこの二人を屋敷に招き入れることにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
鬼殺隊で最も高い階級『柱』。
そこに至るまでには、階級
とは言え、その階級は単なるお飾りではなく、報酬も相応のものが用意される。支給される給金に際限はなくなり、生活に困らない規模の屋敷も与えられる。普通の人なら堕落しそうなほどだが、鬼殺隊で血の滲むような努力を経て柱まで上り詰める人間は、そういう欲に囚われることが全くと言っていいほどない。休日に自分の好物や趣味を楽しむのに少し使うのがせいぜいだ。
飛比路もまた、その例に漏れず自分の屋敷が与えられている。二階建ての母屋は、一反に届かないにしろそれなりに広い。庭には小さな池があり、観賞用の鯉が二匹泳いでいる。また、植えられている草木は全て飛比路自身が手入れをしており、綺麗に整えられていた。
「『俺でなければ』という言葉は、一先ず置いておこう。が、何故に修行を望む?」
その庭を臨む客間で、飛比路はカナエたちと座卓を挟み向かい合って座っている。机にはカナエたちが持ってきた土産の菓子が置いてあるが、誰もそれに手を伸ばそうとはしない。
「修業なんて、強くなるために決まってるじゃない」
そう強気に告げたのはしのぶだ。何とも尖った感じの言い草だが、しかめっ面も含めそういう性格なのだろう。しかして、鳥の面を付ける異様な風貌の柱を前に強気な態度でいられるとは、かなり肝は据わっていると見える。
一方、しのぶの隣に座るカナエは『こら』と小さな声で諫めた。
「失礼しました。私たちが修業を望むのは、私たちの力がまだ十分と言えないからです」
「ふむ」
「私もしのぶも、今まで血鬼術を用いる鬼と戦うことは多くありました。ですが、昨日の鉄皮山で戦った鬼のような身体の硬度を増す能力は今まで経験がなく、私の力では頸どころか腕さえも斬れませんでした」
言われて飛比路は、昨日助太刀に入った際、カナエの刀が鬼の腕に阻まれていたのを思い出す。あれは、血鬼術に阻まれていたのか。だとすれば、あの戦闘の後で飛比路が山を見て回って見つけた隊士は、皆その血鬼術に苦戦し返り討ちに遭ったのだろう。
「その鬼の頸を斬った力を知りたい、と」
「はい。天城さんは、女の私たちと同じぐらい身体が細く、それほど体力や筋力に恵まれているようには見えません。だとすれば、血鬼術で硬化したあの鬼を斬ることができ、また素早く移動できるのは、何か特別な修行の成果ではないかと思ったんです」
よく見ている、と思う。
確かに飛比路の身体は、事情があって屈強ではない。自分の使っている『鳥』の呼吸は、『風』の呼吸の派生形なだけで特別なものでもなかった。日輪刀も普通より弧が長い程度で、これでどんな鬼も斬れるなどの代物でもない。呼吸法や装備ではなく、修行の方法に目を付けるとは、観察眼はあると思う。
「それが、俺でなければならない理由、か。お前たちと体形がほぼ同じだから、と」
「はい」
「だとすれば生憎、だな。俺のやっていることは他の柱もやっていること。俺にしかできないものでも、ない」
肩を竦めて言うが、カナエもしのぶも退く気はないらしい。
他の柱と同じことをやっていると言ったが、その技術を会得するまでの道程も同じか、と問われるとそれは怪しい。自分以外の柱は皆恵まれた体格だし、相応の修行も積んできている。飛比路も何の苦労もなく今の技術を会得できたわけではないが、修行方法に工夫はしている。
だからこそ、この二人は飛比路に修業をつけて欲しいと頼んできたと解する。他の柱を知らないのかもしれないが。
そこで飛比路は、二つ目の質問をする。
「・・・お前たちは、何故そうまでして強くなりたい?」
「強くなって、多くの鬼を斬るためよ。他にどんな理由があるの?」
強気に答えるしのぶ。カナエも答えは同じだったらしく、訂正しようとはしない。
「ならば、何のために鬼を斬る?」
そんな二人に、さらに問う。この鬼殺隊で鬼を斬るそもそもの理由を訊ねる。
殺された家族、友、恋人の仇を討つためという理由はごく一般的だ。鬼殺隊に属する人間の大半は、そうした背景がある。
戦いで生き残りたい、という理由でも責めない。それは人間のみならず、生き物として真っ当な生存本能だから。飛比路自身もそれは分かる。
市井の人々の命と生活を守るため、という理由でも同じだ。鬼殺隊は元々そのために存在しているのだから、何もおかしくはない。
ただ、階級を上げて給金を多く貰いたい、という理由なら論外だ。そういう欲に塗れた人間は、こうした生き死にを懸ける場では、例え力をつけても死にやすい。修行をつけるだけ無駄だ。尤も、この二人はそうではないだろうと直感で思う。
「今を生きる人たちの、幸せを守るためです」
静かに、しかし重みのある言葉をカナエは紡ぐ。
それがこの二人が鬼と戦い、強くなりたい理由。飛比路は『なるほど』と頷こうとするが、カナエが『そして』と続けた。
「かつては人間だった鬼を・・・救うため」
組んでいた腕に、力が籠る。
この娘は今、何と言った?
「・・・鬼を救う、と言ったか?」
「はい」
聞き間違いではなかったらしい。
カナエは大きく頷いたし、その目には一切の曇りもない。隣に座るしのぶを一瞥しても、同意見らしく大きな菫色の瞳に力が宿っているのが分かる。
「自分で何を言っているか・・・分かっているのか?」
自分の言葉が鋭くなるのを自覚する。
今の今まで、鬼殺隊は鬼を斬ることを目的とした組織であり、飛比路もただそれだけを考えていた。鬼は罪のない人々を喰い、平穏を乱す悪しき存在。だからこそ、そんな鬼には同情も憐憫も抱かないでいる。
だが、この目の前のカナエは、あろうことか『鬼を救う』と告げた。それを聞き流すことなどできない。
しかしながら、カナエもしのぶも動じない。飛比路が疑いの目を向けることも、全て承知の上であるように。
カナエは口を開く。
「・・・鬼は元々、私たちと同じ人間でした。私たちと同じように美味しいものを食べ、美しい景色を見て心を躍らせ、誰かとの触れ合いを楽しんでいたんです」
カナエの視線が、飛比路の面から机へと落ちていく。
「ですが、自分ではない誰かによって鬼へと変えられ、人を喰うことでしか生きられず、美しいはずの陽光を目にできず、人と触れ合うことが許されない・・・。それは、とても悲しいことです」
本気でそう思っているように思えるカナエの口ぶり。隣に座るしのぶは、眉間に皺を寄せながらも目を伏せているので、真意は窺えない。
「人を喰えば、人から憎まれる。誰からも認められず、褒められもせず、ただ憎悪の対象でしかない。そんな鬼を、私たちは救いたい」
「・・・・・・」
「鬼を人間へと戻す方法があれば、是非そうしたい。けれどそんな都合のいい話はありません。だからこそ、私たちは強くなり、鬼を悲しみと苦しみから救うために刃を振るいます」
カナエの表情は、覚悟を決めたものだ。
深く悲しい生から救うために、鬼を斬る。それこそが、今の二人を衝き動かす真の原動力だ。
(・・・正気とは思えん、な)
それを理解した上で、飛比路は思う。まさか、そんなことを考える隊士がいるとは思わなかった。
先ほどのカナエの『今を生きる人の幸せを守る』という言葉から、カナエとしのぶは幸せを奪われたのだろう。それは恐らく、親か友、あるいは恋人だ。
しかし、その仇を討とうと意気込むならまだしも、その親しい人を奪った『鬼』という種を救うなど普通ではない。普通ではない人生を歩んできた飛比路が言えたことではないが、そんな飛比路からしてもこの二人は異様だ。
「・・・話は分かった」
だが、鬼を救うという理由は兎も角、人々の幸せを守るという理由もあるので、そこに関しては一先ず合格と言っていい。そうした真っ当な理由も持ち合わせているのであれば、協力するのもやぶさかではなかった。
しかしながら、飛比路は未だに首を縦に振ることができない。
「だが、一つ言っておく。俺は、誰かに何かを教えられるようなまともな人間では、ない」
「どうして?柱なのに?」
これこそが、修行を付けるのを渋る理由だ。
飛比路が告げると、しのぶが首を傾げた。鬼殺隊の中でも上位の人間には、まともな人間しかいないとでも思っているのだろう。それが本当かどうかは、飛比路自身も含めて疑わしいのだが。
「仔細は省くが、俺はまともな人生を歩んではいない。思考についても、普通かと問われれば疑わしい。そんな俺が教えたところで、お前たちが真っ当に強くなれるとは、思えん」
「私はそうは思いません」
「何?」
「え?」
だが、カナエは飛比路の言葉をすぐに打ち消した。これについて、飛比路はもちろんだが、隣のしのぶも虚を突かれたように声を上げる。
「あなたが普通の思考を持っていなければ、昨日の戦闘では私ごと鬼を斬っていたでしょう。その方が、手間が省けた」
鉄皮山で助太刀に入った際、カナエは刀を鬼の左腕に止められているところだった。
人命を考えずに効率だけを考えれば、あの時はカナエごと鬼の頸を斬っていれば事は済んだ。しかし飛比路は、鬼の左腕を斬って先にカナエを助けた。その点で、飛比路がまともな考えを持っているとカナエが判断したらしい。
「それに戦闘後、あなたは私の怪我の心配をしてくれましたよね?他人を心配することは、それこそまともな人にしかできない」
飛比路は、カナエの言葉を黙って聞く。
「今日もまた、あなたは私たちをここへ招き入れた。私たちが多くの理由も言わず、ざっくりとしか言えなかったのに、あなたは聞く姿勢を見せてくれました」
自分の行動一つ一つを指摘され、再び組んでいた腕に力が籠る。
きっと、カナエは優しい性格をしているのだろう。鬼に対して憐みの感情を捨てず、今も飛比路の言動から人格を読み取っている。しかも、悪い印象を際立たせず、良い面を重点的に捉えていた。
おまけにその表情ときたら、曇りない綺麗な瞳と微笑みで、善意以外の余分な感情が入っていないようだ。
そんな顔を向けられることが、飛比路には耐えられない。
そして、自分の全てを知らず、昨日今日の僅かな時間だけを取り上げられることに対して、無性に苛立ちが積もってくる。
「だからあなたは―――」
「・・・下らん」
カナエが何かを言おうとする前に、苛立ちが許容量を超えた飛比路は立ち上がる。
驚いたようにカナエもしのぶも見上げるが、その視線には応えずに縁側に出て姿を消した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
心が参った時の気分転換の方法は人によるが、飛比路の場合は森林浴だ。
それも、ただ森の中でのんびりするだけでなく、鳥と戯れることが多い。
「・・・はぁ」
屋敷から程近い場所にある森の中。手頃な切り株を見つけると、飛比路は腰かけて面を外す。ここは気分転換だけでなく自らの鍛錬でも訪れるため、自分の庭みたいなものだ。
腰を下ろして少しすると、一羽の鳥が近くに降り立つ。色からしてツグミだ。
そのツグミに、飛比路は視線を向けるだけだ。猫なで声で話しかけたり、手を差し出したりしない。急に行動を起こすと、鳥の方が驚くからだ。
やがて、不意にツグミが羽を広げて飛び立ち、飛比路の膝の上に留まる。きょろきょろと辺りを見回し、飛比路と視線が合うとその場で座り込んだ。
「・・・・・・」
その仕草に、飛比路の唇が緩む。
飛比路は、鳥と意思疎通ができるなどの、特別な能力は持っていない。鬼殺隊の柱として、人並み以上の体力と剣技を身に付けていても、それ以外はただの人と同じだ。
だが、こうして一人静かにしていると、自然と鳥たちが寄ってくる。今もまた、切り株の脇にスズメが降り立ち、肩にはヒヨドリが留まる。思い返せば、全集中の呼吸を習得する修行の一環で、森の中で座禅をしていた時からこうなった気がする。鳥類自体が好きなので、何も困ることはないが。
(あの二人、全くもってよく分からん)
鳥たちの囀りに耳を傾けつつ、飛比路はあの二人の訪問者のことを思い出す。人間以外の生き物や自然の音は、思考を研ぎ澄ませてくれるのだ。
カナエたちが、人々の幸福を守るために強くなりたい、という理由で修業を望むのは飛比路も理解できる。しかし、『鬼を救う』などと言った時は流石に度肝を抜かれたし、会ってまだ半日も経ってない飛比路の本質を見抜かれたのにも驚かされた。
本当に、あんな人物は初めて見る。今までも、柱の自分が隊士と接することは度々あったが、誰もが『柱』という立場に畏怖し、平身低頭に徹していた。カナエやしのぶのように、一切物怖じせずに意見されるのも初めてな気がする。
半ば衝動的にここへ来たが、思考を落ち着かせ再考しても、理解に苦しむところは多い。
(まぁ・・・俺が柱について偉そうに語ることもできないが)
自嘲気味に笑い、目を閉じる。もう少し、気持ちを落ち着かせたい。
近くに鳥たちの気配を感じながら、意識を鎮めることに集中する。
―――――――――
飛比路が柱に任命されたのは、紅葉が紅く染まる時期だった。
「君は自ら辛い道を選んだんだね」
飛比路の話を聞いたうえで、耀哉はそう告げる。
耀哉は、優しい眼差しを飛比路に向けていた。
鬼殺隊の当主と面会するのは初めてなもので、会う前はそれなりに心を引き締めていたつもりだ。しかし、この耀哉の纏う穏やかな雰囲気、心にそっと触れるような優しい声が、自然と飛比路の心を解してくれた。
そして、自分の中だけに留めていた苦しい過去を話し、耀哉はそう言ってくれた。
「多くの人は、自らが経験した辛い思いを心の奥底に仕舞い、目を背け、向き合うのを恐れる。けれど飛比路は、その思いを決して忘れず、自分からその思い出と共に生き続ける覚悟を決めたんだ」
その言葉を、飛比路は耀哉の目を見ながら聞く。
自分とそこまで歳の差がないはずなのに、一言一言の重みが途轍もない。自分の心に容赦なく入り込んでくるかのような、鋭さ。けれど苦痛とは思えず、自分の穴ぼこだらけの心を埋めてくれるような、優しさに満ちている。
「悲しい記憶を留め続けることは、苦しみを伴うだろう。しかしその記憶は、自分自身が乗り越えようとするための成長の糧ともなる」
耀哉の傍らに控えていたあまねが、飛比路へと歩み寄り、日輪刀を差し出してくれる。柱になったことで、新たに打ち直されたものだ。
飛比路は静かに日輪刀を受け取り、鞘から刀を抜く。柄を握る手に力を籠めると、浅葱鼠色の刀身がゆっくりと花緑青へと変わり、飛比路の目を映した。
その刀身の根元には、柱のものにだけ特別に刻まれる『惡鬼滅殺』の文字がある。
飛比路が正式に柱になった証だ。
「その強い思いを胸に、多くの人々を守り、導き、鬼殺隊を支える柱として、強く在り続けてほしい」
耀哉の言葉を聞いて、飛比路は刀を鞘に納める。
そして、深く頭を下げた。
「・・・精進いたします。お館様」
―――――――――
目が覚める。同時に、傍にいた鳥たちが一斉に飛び立つ。
微睡みの中で思い出したのは、崇拝にも近い形で尊敬している耀哉と初めて話をした時のこと。あの日、飛比路は初めて誰かに認められたような気がして、まるで広大な草原にいるかのように穏やかな気持ちになった。
あれから年月が経ったが、飛比路の力はなお衰えていない。耀哉の言っていた通り、飛比路の中にある消えない記憶と感情が、飛比路の力に歯止めをかけないほどの原動力で在り続け、今の自分を形成しているのだ。
しかし飛比路自身、その原動力は褒められたものと思えない。むしろ、思い出すだけで虫唾が走るようなものだ。耀哉には認められても、それについては一生拭えないと考えている。だから飛比路は、自分が立派とは口が裂けても言えなかった。
何より、柱になっても守り切れなかった人は大勢いる。自分を誇らしく思うなど、誰かに何かを教えるなど、聞いて呆れる。
―――その強い思いを胸に、多くの人々を守り、導き、鬼殺隊を支える柱として、強く在り続けてほしい
それでも、自分の気持ちに折り合いが付けられなくても、耀哉の言葉をふいにするわけにはいかない。それは、飛比路が尊敬し、飛比路のことを信用してくれている耀哉の期待を裏切ることになる。
「・・・全く」
苦笑しながら、飛比路は面を被り直し、重い腰を上げる。
そして、自分の屋敷へと足を向けた。
◆ ◆
「姉さん、本気であの人に修行をつけてもらうつもりなの?」
しのぶに言われ、カナエは池の中を泳ぐ鯉から視線を移す。
飛比路が退出して残されたカナエたちだが、座敷で寛いだままでいるのも妙に申し訳なかったので、庭に出たのだ。そこでカナエは、やけに手入れが行き届いた庭の池が気になり、しのぶは不機嫌そうに腕を組んで庭をうろうろしている。
「しのぶは嫌かしら?」
「私はあんまり気乗りしない。だってあの人、何だか近寄りにくい感じだし、つっけんどんだし、変なお面被ってるし」
つっけんどんなのはお互い様ではないだろうか、という考えがカナエの頭を過るが置いておく。また、面を着けているのに関しては、鬼殺隊の刀鍛冶が皆ひょっとこのお面を着けているので、カナエはあまり気にしていない。
「でも、あの人は話を聞く姿勢を見せてくれたでしょう?だから、そこまで悪い人じゃないと思うわ」
「けど、私たちが『鬼を救う』って言った時、あの人絶対『正気じゃない』って思ってたわよ」
実際しのぶの言う通りのことを飛比路は思っていたが、二人とも読心術は持ち合わせていないので本当かどうかは分からない。
しかし、カナエはしのぶを見て、悲しい笑みを浮かべる。
「それは、今までも言われたでしょう?
「そりゃそうだけど・・・」
二人の両親が鬼に喰われ、自分たちもまた鬼に喰われそうになったところを助けてくれた隊士・
それに、今まで二人が会ってきた隊士は、誰もが家族や兄弟を鬼に殺され、復讐心で戦っていた。『鬼を救う』と考えている隊士は他にいなかったし、言おうものなら『どうかしてる』と一笑に付されたものだ。
戦う理由としては、カナエやしのぶの方が異端なのだろう。
「でも、だからってあの人じゃなくてもいいんじゃない?やってることは他の柱と同じだって言ってたし」
「けれど、その技を身に付けるまでの鍛え方は、きっと他の柱の方とも違うはず。それはあの人からしか学べないわ」
鬼殺隊は男がほとんどで、カナエも女性の隊士は妹のしのぶ以外見たことがほぼない。そして、その多くの隊士が鍛えられた体格を持ち、飛比路のように線の細い男の隊士は初めて見る。男性と女性で筋肉のつき方が違うのは分かっているが、それでも自分たちが強くなれるような術をあの人は知っているはずだ。
「でも・・・」
なおもしのぶは、納得がいかないらしい。
そんなしのぶに、カナエは静かに歩み寄って笑いかける。
「まぁまぁ、そう言わないで。あの人も、しのぶのそんな顔じゃなくて、笑ってる顔を見たら優しくしてくれると思うわよ?」
「絶対ないから、それ」
全否定するしのぶ。カナエとしては、幼い頃から見ていたしのぶの笑顔はとても可愛らしいし、住んでいた街の男を恵比寿顔にさせていたものだから、きっと飛比路も態度を柔らかくしてくれると思ったのだが。
ちなみにカナエは自覚していないが、自分の身内や大切に思う人をとても誇らしく思い、また絶対の信頼を寄せている。しのぶがいれば何とかなる、と割と本気で思っているのもそれが理由だ。
「それに、姉さんが色々言ったから、あの人怒って出て行っちゃったじゃない」
「あれは、自分のことをあまり卑下してほしくなかったの。自分のことを自分で貶めるのは、とても悲しいことだから」
どんな人であっても、自分のことを一番理解しているのは自分自身だ。その一番の理解者である『自分』が、自身のことを低く見ているのはとても悲しい。だからカナエは、せめてもの思いで、そうして自分を卑下する者に対しては穏やかに接し、また相手のことを認めるように努めているのだ。
しかし飛比路は、カナエのその態度が気に喰わなかったらしい。だとすれば、それはただただ申し訳ないと思う。
と、その時。目を離していた池の鯉が、パシャっと跳ねる。
「まだ、残っていたか」
そして、二人の傍に音もなく飛比路が立っていた。昨日の鉄皮山でも、先刻屋敷を出る時もだったが、移動が速すぎて察知できない。
唐突な声と登場にしのぶは息を呑んだが、カナエは笑みを浮かべたままだ。
「まだ、お返事を聞いていませんでしたので」
最初は無下に断られたが、話をしたうえでの明確な返事はまだもらっていない。
にこっと笑って見せると、面の奥で飛比路が鼻息を吐いたような感じがした。
「・・・意思は変わらん、か」
それから、しのぶの方も見る。カナエの希望は叶わず、しのぶはやはりしかめっ面だった。もっと笑っていた方が可愛いのにと思う。
すると飛比路は、頭の脇を指で掻いて。
「・・・泣き言を言っても聞かんし、後悔しても知らんぞ」
二人に向けてそう告げた。
しのぶは驚いたように目を見開き、カナエも心が跳ねる。
「それでは・・・」
「ああ、いいだろう。修行をつける」
飛比路が告げると、カナエは安堵の息を吐く。しのぶも『仕方ない』とばかりに、腕を組む。
ようやく見通しが立ったので、カナエは改めて飛比路に頭を下げる。
「これから、よろしくお願いしますね。天城さん」
【主な登場人物】
天城飛比路
主人公・20歳。隊服の上に黒い外套を着用し、鳥の面を着けている。身長は平均男性より高めだが、体重は平均より低い。長い髪を頭の頂点で縛り、また体の線が男の割に細いため、初見で女性とみられることが多い。鳥の呼吸を極めた鳥柱だが、他の柱と比べれば自分は軟弱者と思っている程度には自己評価が低い。趣味は森林浴と庭の手入れ。日輪刀の刀身の色は花緑青。
胡蝶カナエ
当時15歳。隊服の上に蝶の翅脈を模した羽織を纏い、緑の蝶の髪飾りを二つ付けている。身長・体重共に平均程度を保っている。綺麗な瞳をしており、飛比路曰く『宝石のよう』。花の呼吸を習得しているが、女性故か体力・筋力が若干男性に劣り、近い体形の飛比路に強くなれる教えを乞う。家事全般が得意で、芸事も一通りできる。日輪刀の刀身の色は桜色。
胡蝶しのぶ
当時12歳。隊服の上に白い羽織を纏い、紫の蝶の髪飾りを後頭部に一つ付けている。身長・体重共に平均よりも低い。いつもしかめっ面をしている。周りに対してはつっけんどんだが、カナエに対しては絶対の信頼と愛情を寄せる。体格面に恵まれず、突き技に特化した蟲の呼吸を使う。カナエの意思に従い、飛比路に教えを乞う。料理と薬作りが得意。日輪刀の刀身の色は藤色。