はぐれ鳥と遅咲の花   作:プロッター

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第3話:籠鳥雲を望む

 鬼殺隊の存在は、公には明かされていない。

 組織自体が政府非公認のため、堂々と刀を提げて出歩くことは許されない。彼らが戦う鬼は、陽光の下に出られないため人の多い日中に活動せず、亡骸は灰と消えるので、存在自体が御伽噺程度だ。だからこそ、鬼殺隊は日の目を見ない。

 鬼殺隊に命を救われたことで無償で尽くしてくれる、藤の家紋の家という例外もある。また、一部では『鬼狩り様』『人食い鬼』という伝承が語り継がれているが、鬼殺隊や鬼を正直に信じる人間などほとんどいなかった。

 

「なんで・・・なんで母ちゃんを殺したんだよ!」

 

 だから、自分の身内や親しい人が鬼になったとしても、信じようとしない。特に子供は、まだ現実を冷静に見るほどの考えも発達していないから、例え身内が鬼に変貌して暴れたり襲い掛かっても『ちょっと気が触れた』程度にしか思えないのだ。

 

「あのままでいれば、君は死んでいた。母親に喰われていた」

 

 しかし、鬼殺隊では鬼の存在など常識だし、誰かにとって大切な人が鬼になったとしても、冷静に討たねばならない。

 鬼を人間に戻し、人として生きる道を取り戻すことができれば、それ以上に素晴らしいことはないだろう。だが、現実にはそんな方法などない。できることは、日輪刀で頸を斬ることだけだ。

 

「わかんないよ!なんで母ちゃんが俺を喰うんだよ!」

「それが鬼だ。鬼になってしまえば、人を喰う以外に生きられない。例え身内でも、鬼は容赦なく人を喰う」

「嘘だ!!」

 

 それでも、鬼殺隊と鬼、それぞれの事情を全て理解できる者など、そういない。

 ましてや、心がまだ未熟な子供にそれを理解してもらうなど、無理難題だ。

 

「この人殺し!母ちゃんを返せよ!返してくれよ!!」

 

 だから平気でそう言える。

 鬼は元々人間だから、鬼殺隊もある意味『人殺し』だ。それに、この少年にとってあの鬼は大切な家族で、鬼も鬼殺隊も知らないし、信じない。事情を知っている人からすれば、鬼殺隊は正義の味方だが、何も知らなければそう見えるのだろう。

 心無い言葉をぶつけられても、身体を叩かれても、この少年の家族を殺したも同義だ。だから、抵抗は許されなかった。

 

「天城様・・・」

 

 後始末にやってきた隠が、戸口から恐る恐る声をかけてくる。地位の高い柱に声をかけるのが畏れ多いだけでなく、目の前の現実を受け入れられず癇癪を起こす子供の前に出るのは、気が引けたのだろう。

 

「後は任せる。この子のことも」

「分かりました・・・」

 

 ついには子供は地面に座り込んでわんわん泣き出し、収拾がつかない。

 だが、あの子からすれば親を殺した飛比路がこの場にいても、できることはない。だから飛比路は、戦闘の後処理や親を喪った子供の処遇を、全て隠に任せることにした。逃げた、と言われても否定できない。

 その場を去る前に、ちらっと少年を振り返る。泣きじゃくっており、隠も手を焼いているように見える。

 

(・・・あの子は、きっと母親のことを愛していたのだろう、な)

 

 泣き叫ぶ子を見ながら思う。

 母親が鬼になったのは理解できずとも、母親が死んだことにあれだけ悲しんでいるのだ。それだけ、あの少年にとっての母親は大切な存在だったのだろう。溢れるほどに愛情を注がれ、愛していたのだろう。

 そんな母親があの少年にいたことが、飛比路は羨ましかった。

 だが、時間は前にしか進まない。自分の過去や喪った人のことをどれだけ考えても、どうにもならないのだ。

 たとえ責められたとしても、鬼に苦しみと悲しみを植え付けられる人を増やさないために、鬼と戦い続けなければならない。

 それが鬼殺隊だ。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「全集中・常中?」

「ああ。それが俺たち柱の力が通常よりも強い理由、だ」

 

 屋敷へ戻ると、飛比路は約束通りカナエとしのぶに修行をつける。鬼殺隊の現実にやきもきするより、今は後進の育成が先決だ。

 

「お前たちも全集中の呼吸は会得しているだろう。が、『常中』は丸一日全集中の呼吸を続ける」

「丸一日って・・・」

「戦っている時はもちろん、食事の時も風呂の時も、眠っている間も、だ」

 

 無茶なことを言うなと、しのぶはげんなりとして見せる。

 しかし、カナエは飛比路の説明を理解しようとしているのか、顎に指をやって考え込む。

 

「全集中の呼吸は、人間の身体能力を一時的に上昇させる・・・。それを絶えず続けていれば、基礎体力の底上げになる、ということですか?」

「その通り。察しがいい、な」

 

 カナエが答えると、飛比路も頷く。呑み込みが早い者に対しては、教えていて苦にならない。しのぶは少し遅れて『そういうこと』と納得していた。

 

「初めの内は、戦闘時より長く呼吸を続けられるようにする。それから時間を少しずつ伸ばし、最終的には一日続けられるようにする」

「その方法は?」

「とにかく地道に鍛えるだけ、だ」

 

 言いながら飛比路は、庭の手入れ用の箒と鎌、鋏を取り出す。

 

「まず手始めに、全集中の呼吸を続けながら、掃除と庭の手入れだ」

「分かりました」

「はーい」

「ちなみに、下手な手入れをしたら許さんぞ」

 

 飛比路自身、理由があって体格には恵まれていない。だから鍛え方も独自のものだが、日常動作に全集中の呼吸を組み込む鍛錬は、自分以外の柱もやっていた。飛比路はそれを今も続けている。

 カナエは箒を手に快諾、しのぶは鎌を手に不承不承と返事をして、早速作業を始めた。

 それを横目に見ながら、飛比路は刀の手入れの準備をする。二人が修行をしている以上、何かあった時にすぐ動けるようにするためだ。

 

(・・・まさか、俺みたいな奴が修行をつけるとはな)

 

 二人の様子がしっかり分かるように、縁側に腰を下ろす。

 飛比路は、あまり現実味が湧かなかった。柱に就いても、自分が大層な人間とは中々思えないせいで、誰かに修行をつけることになるとは過去に考えたことがない。

 しかし現実に、自分を頼ってきた隊士が二人もいる。強くなりたい理由は破天荒だが、向上心はあるので教えて損はない。それに、現在柱は空席だらけなので、もしかしたらこの二人が柱になれるかもしれない、という打算的な意味も含めた期待もあった。

 

(一応できてはいる、か)

 

 二人の様子を窺う。全集中の呼吸をするよう意識しているのか動きが若干硬いが、一応持続させることはできているらしい。

 戦闘の際に全集中の呼吸をする時間は、最低でも技を繰り出す際の十数秒程度。飛比路も、習得したての頃はそれだけで十分苦しかったし、常中ができるようになるまでも苦労が絶えなかった。最初の内は、一分も続けられなかったと思う。

 しかし、カナエたちは数分程度は余裕で続けられている。全集中の呼吸を身に付ける際、それなりに肺も身体も鍛えていたのだろう。

 

「ぜはっ」

 

 そう思っていると、しのぶが鋏と鎌を落とした。さらには膝をついて、胸の辺りを押さえる。一先ずの限界を迎えたらしい。

 

「あまり無理はするなよ」

「・・・分かってる、わよ」

 

 しのぶに声を掛けるが、強がるようにそう言うと、大きく深呼吸して呼吸を整える。そして、鋏と鎌を持ち上げて作業を再開した。

 一方のカナエは、そんなしのぶの様子を窺いながら、細く長く息を吐く。彼女もまた、できる限りのところまで全集中の呼吸を続けていたらしい。

 飛比路から見ても、初めての割にはかなり長く呼吸を続けられたと思う。素質は十分にある。

 次の段階に進むのにも、そう時間はかからないだろうと思った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 修業を始めて四日後。

 飛比路は斧を手に、カナエとしのぶを連れて森へと来ていた。

 

「次の段階では、斧で木を切る」

 

 飛比路が杉の木を手で叩く。

 それを聞いたしのぶは、珍しく得意げな表情を見せる。木を切ること自体、そこまで難しいと思っていないのだろう。

 だが、飛比路としてもただ木を切らせるわけではない。

 

「ただし、()()()()()切り倒す」

「三回?」

 

 飛比路の説明にカナエが疑問を呈する。しのぶはきょとんとした。

 

「全集中・常中を会得すれば、確かに力の底上げができる。だが、集中を乱せば呼吸が途切れることも最初は多い。会得してから時間が経てばそれも少なくなるが、な」

 

 飛比路が軽く斧を杉の木に当てる。当然ながら、この程度では切り倒すことはおろか、刃が食い込むこともない。

 

「庭の手入れや家事をしながら全集中の呼吸を続けるのは、二人ともできている。次は、呼吸を続けながら力を均等に使って、この木を三回丁度で切る。多くても少なくても駄目だ」

 

 斧の柄を向け、それを最初に手に取ったのはカナエだ。

 これまでもそうだったが、何かを始めたり、話しかける時はいつもカナエが先だ。恐らくは、姉として妹のしのぶに手本を見せるためでもあるのだろう。

 

「では、始めます」

 

 カナエは斧を握り、『フゥゥゥゥ・・・』と全集中の呼吸を始める。

 そして、杉の木に斧を垂直に打ち込んだ。その一回目の刃は、幹の三分の一程度まで入る。

 一度斧を抜いて二回目、同じ位置に刃が入り込んだが、あまり奥まで進まない。

 そして三回目、刃は進んだが、結局切り倒すまでには至らなかった。

 

「残念だった、な」

「はい・・・」

「まぁ、最初はそうなるのも仕方がない。この先、できるようになればいい」

 

 そして、今度は斧をしのぶに差し出すと無言で受け取る。

 飛比路は、カナエが切った木とは別の木の上の方を見上げる。

 

「よし、この木なら切っていい」

「何を見てたの?」

「鳥の巣がないか見ていた。流石に、巣のある木を切り倒すのは申し訳ないんで、な」

「へぇ、意外と動物には優しいのね」

 

 皮肉っぽい笑みを浮かべるしのぶ。

 そして、カナエと同じように呼吸を整えて、斧を垂直に打ち込む。しかし、刃はカナエと違って、幹の四分の一程度しか入らなかった。

 

(・・・・・・)

 

 飛比路は何も言わず、しのぶの番を見届ける。カナエもしのぶの後ろからそれを見ていたが、なぜか愁いを帯びた表情だ。

 結局、しのぶは斧を三回打ち込んでも、刃は三分の一程度しか進まなかった。

 

「おい、胡蝶」

「え?」

「何ですか?」

 

 終わったのを見計らい飛比路がしのぶに話しかけるが、返事をしたのはしのぶとカナエの二人だ。

 

「えっと、私もしのぶも『胡蝶』だし、呼び方を変えてくれませんか」

 

 そう言われれば、二人は姉妹で同じ『胡蝶』だった。呼び方を変えないと、混乱させてしまう。

 

「じゃあ『胡蝶妹』」

「・・・何よ」

 

 なのでそう呼びかけたが、納得のいく答えではなかったらしい。カナエは苦笑し、しのぶは不機嫌そうに飛比路を見た。

 

「腕を捲って見せろ」

「何、急に?」

「お前、腕の力が弱いのだろう」

 

 飛比路が言うと、しのぶはぐっと唇を噛んだ。図星なのだろう。

 全集中の呼吸を持続させる最初の修業で、しのぶは特に問題なかったのは飛比路も知っている。だが、今の鍛錬でカナエが三回斧を打ち込んで三分の二以上は切れたのに対し、しのぶはそれよりもさらに少ない。

 呼吸が上手くできていないはずはない。しのぶはカナエよりも小柄だが、女性の筋肉という面も併せて考慮しても、力が弱い可能性が強かった。

 

「・・・・・・」

 

 斧を置いたしのぶは、黙って隊服の腕を捲る。

 肌の色は綺麗に白いが、案の定細かった。飛比路よりもさらに細く、骨と皮と少しの肉しかついていないようにしか見えなかった。

 そこで、カナエが飛比路を見る。

 

「しのぶは、私や天城さん、他の隊士のように刀を振って戦う力がないんです。なので、日輪刀も呼吸の技も、突きに特化しているんです」

「突き技では鬼は斃せないはずだが」

「毒です。しのぶは、鬼を斃せる毒を作って、それを鬼に打ち込むんです」

「なるほど・・・」

 

 説明を聞いて飛比路は驚かされた。

 まさか、鬼の頸を斬らずに鬼を斃す隊士がいるとは思わなかった。自分より腕の力が弱い隊士がいる点も驚きだが、毒とはありそうでなかった発想だ。

 一方で、しのぶは自分の弱さを突き付けられているようで悔しいのか、視線が下に向いている。力が弱いというのは、存外傷つきやすい要因なのだろう。

 

「・・・悪かった。お前の事情を把握していなかった、俺の責任だ」

 

 謝ると、しのぶは無言で斧を突き返してくる。『別に』と呟いたのは、確かに聞き取れた。

 しのぶには何か別の修業方法を用意するべきか、と飛比路は頭を動かしつつ、斧をカナエに渡す。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 全集中・常中の修業を始めて、二週間ほど経った日のこと。

 

「一度、手合わせをしてみるか?」

 

 練習用の道場に二人を呼び出した飛比路は、木刀を二本用意していた。

 一本はもちろん飛比路のもので、もう一本はカナエかしのぶのものだ。

 

「はい、お願いします」

 

 先に出たのは、やはりカナエだった。

 ここまで修行をつけてきて分かったが、カナエはしのぶよりも先に物事に取り組み始めることが多い。しのぶが引っ込み思案でないのは分かっているし(むしろその逆だ)、取り組み始めれば真剣に向き合う。言うなれば、無意識の内に姉妹間でできた序列のようなものだろう。

 カナエが木刀を手に取ると、しのぶは壁際に立って傍観と審判に徹しようとする。

 

「呼吸の技を使って構わない。全力で来るといい」

「分かりました」

 

 距離を取りながら飛比路が言うと、カナエは頷く。

 そしてお互いに、距離が開いたところで足を止める。カナエがしのぶの方に目を向けて、頷いた。開始の合図を任せるということだろう。

 しのぶは、飛比路とカナエを交互に見る。お互いに、準備ができたことを確認しているのだ。

 

「それじゃ・・・始め」

 

 その直後、飛比路は前へと飛び出してカナエの眼前に迫る。カナエの顔は驚愕に染まるが、気にせず木刀を右から打ち込む。

 だが、直前でカナエは木刀を構えて飛比路の攻撃を防ぎ、体勢を崩す程度に留める。

 飛比路はそれを見て、素早く体を逆に回し、反対側からカナエに木刀を打ち込もうとする。しかしカナエは、それを後ろに飛び退いて避け、距離を取ってから今度は飛比路に向かって突っ込んできた。

 そのカナエの攻撃を、飛比路は刀を横に構えて防ぎ、押し返して距離を開けさせる。

 

―――花の呼吸・伍ノ型

 

 一方のカナエは体勢を立て直しながら着地し、呼吸を整え技を準備する。使っていいと言われたのなら、柱を相手に使わない手はないだろう。

 

―――(あだ)芍薬(しゃくやく)

 

 直後、カナエは飛比路に再度接近し、素早く連撃を仕掛けてくる。

 しかし飛比路は、その連撃を冷静に見切り、九回全ての連撃を退けた。

 

「いい動き、だ」

 

 防がれたことで、カナエは再度距離を取る。攻撃を受けた後で飛比路がすぐには動けないと踏んでのことだろうし、確かに飛比路もわずかな時間を要した。

 

―――鳥の呼吸・弐ノ型

 

 しかし、その『わずかな時間』も、常人からすれば『一瞬』と表現できるほどの時間でしかない。『フィィィィ・・・』と独特の呼吸音を出し、木刀を構える。

 

―――翡翠(かわせみ)

 

 その技は、相手に急接近し二連続で斬る技。

 刹那で飛比路は、カナエに迫り攻撃を仕掛ける。カナエが防御するよりも早く、木刀による二度の攻撃は当たった。これはあくまで稽古なので手加減はしたが、それでもカナエは耐えきれず、背中を床につけてしまう。

 

「勝負ありだ、な」

「ありがとうございます・・・」

 

 倒れこんだカナエに手を差し伸べると、その手を掴んでカナエは起き上がる。

 そこで、聞くだけで不機嫌そうな足音が聞こえてきたので、そちらに目をやる。案の定、しのぶが腕を組んでしかめっ面をしていた。

 

「何か不満が?」

「修行をつける相手に呼吸を使うってどうなの?」

「そうでなければ、お前たちも全力を出し切れまい」

 

 技の威力については加減したが、呼吸も使わず戦ってもカナエの成長には繋がらない。今回は呼吸の技で勝負がついてしまったが、恐らく今後修行を続けていれば、技を喰らっても簡単には背をつけないだろう、と飛比路は思う。

 それと、『徒の芍薬』を受けた時に感じたが、カナエの力は女性の割に存外強い。全集中・常中の修業を続け、基礎体力が僅かでも上がってきているからだろう。

 

「次は、胡蝶妹がやるか?」

「ええ、望むところよ。姉さんの仇、討ってやるんだから」

「私死んでないんだけどな~・・・」

 

 豪語するしのぶに対し、カナエはほんわかと答えた。

 飛比路は首を回して木刀を構え直し、しのぶもまた木刀を手に構える。

 刀を振るう力が弱いしのぶだが、突き技に特化した日輪刀を得物とし、技も相応のものを使っていると聞く。

 また、しのぶにはカナエと別の修行法を用意した。木でできた円形の的を突き、丁度三回で割らせるというものだ。原理はカナエにやらせた杉の木を切り倒す修業と同じで、しのぶはこれをかなり早い段階で突破できていた。

 技術面では、しのぶもカナエに引けを取らない。そんな彼女のことを、飛比路は侮りなどせず、むしろ警戒している。

 

「では二人とも、始め」

 

 カナエが合図をすると、先に動いたのはしのぶだった。

 その動きは、動体視力を鍛えている飛比路でも見失いそうになるほど速い。思わず、感嘆の息を漏らすほどだ。

 カナエより小柄で、飛比路より線が細いしのぶは、見た目通りと言うべきか動きが速い。そして繰り出される木刀の突きの威力も、申し分ない。突き技は、技の後で如何に相手の反撃を喰らわず離脱するかが鍵となるが、しのぶの場合はそれを身軽さで補っているようだ。

 動きが素早いとなれば、飛比路からも攻撃を当てるのは少々難しい。呼吸を整えて技を使う暇を与えられず、飛比路から距離を詰めても、しのぶは正確に距離感を把握して回避する。

 

「いい調子だ」

「褒められるほどのことはしてないわ」

 

 素直に評価しても、しのぶは喜ばない。相変わらずの不満そうな顔だ。

 そこでしのぶが、飛比路の胸目掛けて木刀を突き出してくる。至近距離だったので、飛比路はやむなく横に構えた木刀で防ぐが、やはり突きの力が強い。勢いを受け流すため、一度飛比路の方から距離を取る。

 

―――蟲の呼吸・蝶ノ舞

 

 しのぶが技の準備を整えているのを、飛比路は呼吸で感じ取る。

 そしてこの時、飛比路には技を準備する時間ができた。動きが速く、打ち合いの間に技を構える時間がないのであれば、一度距離を取ったこの瞬間に仕掛けるしかない。

 しのぶがどんな技を使うかは分からないが、突き技ならそれに対応できる技を使う。

 直後、しのぶは前に踏み出した。

 

―――(たわむ)

 

 しのぶの姿が陽炎のように揺らぐ。

 その瞬間を見計らって、飛比路も呼吸を整え技を構える。

 

―――鳥の呼吸・参ノ型

―――白鷺(しらさぎ)

 

 前方を大きく薙ぐように、木刀を振る。

 木刀を握る手から、しのぶの技によるものだろう突きの衝撃が伝わるが、構わずに木刀を振り切る。

 その斬撃は、しのぶ本人にも命中した。

 

「う・・・っ」

 

 一撃を喰らったしのぶは、失速して床に降り立つ。

 相手の攻撃に反応し、迎撃する『白鷺』。飛比路が会得した当初は、技を使っても攻撃を弾くだけか、退けても攻撃を防ぎきれないことが多かった。しかし、修練を重ねた今ではほぼ確実に相手の攻撃を弾き、かつ相手にも一撃を加えられるようになっている。

 しのぶの勢いが落ちたところを見計らって、飛比路が接近する。先ほどの技がそれなりに効いたか、しのぶの動きは鈍かった。

 

「・・・勝負あり、だな」

 

 しのぶの眼前に、木刀を突き付ける。しのぶも認めたのか、木刀を床に置いた。

 そこへカナエが拍手をしながら歩み寄ってくる。

 

「惜しかったわね、しのぶ。でも、前より少し動きが良くなったと思うわ」

「そう?」

「本当よ。きっと、修行のおかげだと思うなぁ」

「そっか・・・だったら、嬉しいかな」

 

 カナエが褒めると、途端にしのぶの表情が緩む。

 修行をする中で、しのぶはカナエを前にすると幾分か態度が軟化するのが分かった。飛比路相手には刺々しいが、恐らく風貌と言動が気に喰わないのだろう。それを改善するつもりはないが。

 また、しのぶが姉のカナエを信頼し、愛しているのも分かる。たった一人の肉親だろうし、カナエだってしのぶには物腰柔らかで優しいから、家族として好きになるのも当然の帰結と言える。

 

(それが必ずしも正しい方向に向かう、とは言い難いが)

 

 だが鬼殺隊では、それが隊士としての生き方を左右しかねない。

 生死に係わる戦いを常に強いられるのが鬼殺隊だ。明日も笑っていられる保証はなく、親しい仲間や先輩後輩の死に涙することも少なくない。

 特にしのぶとカナエのように、血の繋がりが濃く愛情が深い関係なら、死別した時どうなるか分からない。死を糧に隊士として強くなるか、戦いに目を背け刀を置くか。無関心とはいかないだろうし、その二択となるはずだ。

 飛比路がどうこう言える資格はないが、この二人の先が不安になる。

 

(まぁ、愛情を注ぐ家族がいるというのは尊いもの、だ)

 

 二人を見て、そんなことを思った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「はあっ!!」

 

 夜の闇を裂くように、桜色の日輪刀を振るう。込めている力は、以前よりも強くなったと自分で思った。

 迷いのない一閃は、屈強な鬼の頸へと滑り込み、そのまま勢いが削がれることなく頸と胴体を切り離す。

 

(前よりも、力がついてる・・・)

 

 着地したカナエは、自らの手を見る。目に見える程に腕が太くなったりしたわけではないが、戦闘の際に疲れることが少なくなり、刀を振るう強さも上がったのが分かる。全集中・常中が順調に身に付き、基礎体力が上がっている証拠だ。

 今回戦った鬼は、鉄皮山の鬼と違って血鬼術を使わず、知能もほとんどない獣のような鬼だった。しかし、理性なく鬼の力を振り撒いて暴れる厄介な相手だ。辺りの塀や空き家は崩れ、地面も抉れている。

 

(・・・どうか、この人が来世では鬼になどなりませんように)

 

 そしてカナエは、地面に横たわり、声も上げずに塵芥となっていく鬼を見て祈る。

 なりたくもない鬼にされ、人間としての生き方をほとんど奪われた哀れな存在。今の自分にできるのは、そんな鬼を斬るだけだが、他に救う方法があるのならそうしたい。それが見つからないから、カナエはこういう形でしか『救う』ことができず、鬼に対して心の中で祈りを捧げる。

 やがて鬼が跡形もなく消えると、今回襲われかけた女性へと視線を向けた。

 

「お怪我はありませんか?」

「は、はい・・・ありがとうございます!何とお礼を言っていいものか・・・!」

「いいえ、ご無事であればそれで十分です。ですが、こうした夜更けにはあまり出歩かないようにしてくださいね。今日のようなことが起きるかもしれませんから」

 

 人のことは言えないが、こんな夜道を一人で歩くのは些か不用心だ。鬼云々だけでなく、暴漢に襲われる可能性だってある。

 

「ありがとうございました・・・!このご恩は、忘れません」

 

 女性は、お礼を告げてぺこぺことカナエに頭を下げながら、街へと向かう。自分の家か用事かは分からないが、人気の多い場所にいれば安全だろう。

 手を振って見送ると、後ろから足音がいくつも聞こえてくる。

 

「お疲れ様です」

「隠の皆さん・・・ご足労をおかけしてごめんなさいね」

「ご心配なく。これが自分たちの仕事ですから」

 

 黒装束と白い口布という装いの『隠』。大規模な戦闘で負傷した隊士や民間人を治療・搬送したり、鬼殺隊の痕跡を消すために血の跡を洗い流したり地面を均したりする、後始末を専門とした部隊だ。彼らは皆、剣士の才に恵まれなかったり、何らかの理由で戦線から退いた者たちで構成されている。

 

「どうもですー」

 

 そんな中で、カナエに話しかけてくる隠が一人。目の形と、聞き覚えのある声で誰だか分かった。

 

「ええと、武本さん、でしたっけ」

「はい、そうです~」

 

 鉄皮山の後始末にも駆けつけて、カナエとしのぶを飛比路の屋敷へ案内した隠・武本。飛比路のように独特な区切りの話し方と違い、何とも間の抜けたような話し方をする人だ。

 

「すみません。先日は無茶なお願いを聞いてもらって・・・」

「いやいや、あのぐらいお安い御用ですって」

 

 カナエが頭を下げるが、武本は陽気に首を横に振る。初対面の隊士から突然『柱の屋敷へ連れて行ってほしい』と頼まれるなど、結構図々しいとカナエは分かっていたが、武本は快諾してくれた。それについては頭が上がらない。

 

「そういえば、武本さんは天城さんと割と親しそうな雰囲気でしたけど・・・」

 

 そこで気になったのが、飛比路と引き合わせてくれた時のこと。柱を前にしても武本は随分と気安く接していたし、飛比路もまた武本とは初対面ではなさそうだった。丁度いい機会なので、聞いてみることにする。

 

「ああ、あいつとは同期なんですよ」

 

 武本は、もったいぶることもなく答えた。

 

「育手は違いましたが、同じ最終選別を受けたんです。その時の生き残りは、俺とあいつだけでした」

 

 カナエやしのぶも経験した、藤襲山で行われる最終選別。鬼のうろつく山で七日間生き延びると言う過酷な試練だったが、あの日々を乗り越えたのならば、この武本も相当な手練れだったのではないかと思う。

 

「実は俺、任務で鬼の攻撃を受けて足に大怪我して。傷は治ったんですけど、それまでの強さを発揮できなくなって、隊士を辞めることにしたんです。それで、隠になりました」

「そうでしたか・・・」

 

 剣士を諦めた経緯は、痛みを伴うものだった。本人は気にしていない風だが、カナエとしては他人の過去でも心が痛む。

 そこで、今度は武本はカナエに訊いてきた。

 

「天城の下で修業してるんですって?」

「ええ、全集中・常中を」

「へぇ~・・・まさかあいつが誰かに修行をつけるなんてなぁ。考えもしなかった」

「武本さんは、天城さんの昔のことをご存じなんですか?」

 

 思わず、興味が湧いてきたので聞き返すカナエ。何せ、屋敷の中では鳥の面を被り素顔を見せようとせず、そう言う他愛もない話をしたこともない。何か知らない一面が知られるかもしれなかった。

 しかし、武本は首を横に振った。

 

「いや、あいつは・・・あまり自分の過去のことは話さないんです。俺も詳しくは知りません」

「そうですか・・・」

 

 武本が言うには、飛比路はその風貌だけでなく、元々近寄りがたい印象があったらしい。最終選別の時から鳥の面を着けており、素顔は見たことがないそうだ。食事に誘ったこともあったが、承諾されたのは一度だけ、それも『絶対に自分の顔を見るな』と念を押されたと言う。

 言われてカナエも、飛比路の下で修業を始めて一月近くなるが、一度も食事を共にしたことがないのを思い出す。お互い任務もあるが、一応はカナエもしのぶも飛比路の屋敷に世話になっている身で、食事は基本屋敷で摂っている。だが、誘っても飛比路は『一人で食べる』の一点張りだった。

 

「最初にあいつを見た時は、『こんな細い男が隊士に?』って思いました。けど、最終選別の七日を過ぎたあいつは、俺よりも傷や汚れが少なくて。挙句今は柱で、同期として誇らしいと思いますけど、あいつのこと何も知らないなって思うんです・・・」

 

 何も知らない、という言葉にカナエも視線を落とす。

 最初にしのぶと共に屋敷を訪れた日、自分たちのことはある程度話した。しかしよく考えれば、飛比路のことは柱としての力以外ほとんど何も知らない。

 何故鳥の面を付けているのか、どうして身体があれだけ細いのか、何で最初は自分たちのことを拒絶したのか。

 

「でも、あいつが胡蝶さんみたいな人にはちゃんと修行を付けてるみたいで安心しました」

「そう、ですか・・・」

「きっとあいつはつれない態度なんでしょうけど、悪い奴じゃないんです。だから、どうか分かってやってください」

 

 武本は目を細めてそれだけ言うと、他の隠にどやされて撤収作業の協力に戻る。

 飛比路を分かってほしい、という言葉を、カナエは忘れることができなかった。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 ある日の朝、鳥の囀りでカナエは目を覚ました。瞼がまだ重いが、外を見ると空が白み始めている。夜明けも間近だ。

 隣の布団では、しのぶがまだ寝息を立てている。彼女は低血圧の気があるので寝起きが悪い。そのしのぶの寝顔ときたらとても穏やかで、それを見るだけでカナエの心は温まった。

 一方のカナエは標準体質なので、少しの時間で意識が覚醒する。しのぶの寝顔を堪能するのもほどほどに、寝間着から隊服へ着替え、しのぶを起こさないように布団を畳んで部屋を出る。ここで朝を迎える際は、一人で鍛錬に励むと自分で決めていた。

 だが、一階に降りると、何かが勢いよく風を切る音が何度も聞こえてきた。

 その音がするのは、北側の裏庭。廊下を歩き北の縁側に出ると、一心不乱に木刀の素振りをする飛比路の後ろ姿が見えた。先刻から聞こえる風を切るような音は、その木刀を振る音だったのだ。

 

(・・・あら?)

 

 その姿と音に圧倒されながら、視線を下に向ける。

 そこには、普段飛比路が付けている鳥の面が置いてあった。

 

(もしかして、今の天城さんは・・・すっぴん?)

 

 淡い期待を抱き、カナエは改めて飛比路の方を見る。

 

「起きていたか」

 

 だが、飛比路はカナエに視線も向けず、素振りを止めて話しかけてきた。

 カナエに気づいた様子がなかったので思わず面食らうが、それでもカナエは笑顔を取り繕う。

 

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

 

 挨拶をすると、飛比路は顔を向けず返事をする。

 しかし、カナエが瞬きをした直後、飛比路は縁側に座っていた。しかも面まで付けていて、あまりの速さにひっくり返りそうになる。素顔も見えなかった。

 

「何か用、か?」

「ええと・・・」

 

 本当は、素振りの音に圧倒されていただけだ。

 しかし、自分が来るまで鳥の面を外していたのを見て、以前武本と話したことを思い出す。

 同期の武本でさえ知らない、飛比路の過去や面、異常なまでの痩身の理由。

 恐らくは本人にとってもあまり触れてほしくないことのはずだ。故に、訊くのは慎重にならなければならない。このまま穏便に修行を続けるなら、訊かない方が得策なのだろう。

 けれどカナエは、ここで訊かなければ後悔しそうな気がした。武本から話を聞いたうえで、飛比路のことを何も知らないままでいると、後になってカナエ自身の胸のつかえが抜けないと思ってしまう。

 

「どうして、私たちの前ではいつも鳥の面を付けているんですか・・・?」

 

 だからカナエは、恐る恐る訊ねる。

 すると、飛比路の纏う空気が一段鋭くなり、持っていた木刀を傍らに置く。琴線に触れたのは明らかだ。

 

「あなたに修行をつけてもらって、私たちは少しずつ強くなってきました。ですが私たちは、あなたのことをほとんど知らない・・・」

「・・・・・・」

「私は、あなたのことを知りたいんです」

 

 飛比路は『ふん』と鼻息を吐く。

 

「知ったところで、どうする?あまり、人の過去は突き回すものではない、と思うが」

「私は、あなたの力になりたいと思っているんです」

「力に、ね」

「はい。もしも、あなたが何かで苦しんでいるというのであれば、私はその支えでありたい」

 

 カナエの目と、飛比路の面の目の部分が正対する。

 その面の奥にある瞳も表情も、カナエには見えない。だが、飛比路はどこか意外そうな表情をしているのは、何故か分かった。

 飛比路も、かつて何か辛い思いをしてきたように、カナエは思う。

 だとすれば、それを飛比路一人が背負っているのを放置しておきたくない。

 

 ―――重い荷に苦しんでいる人がいたら半分背負い、悩んでいる人がいれば一緒に考え、悲しんでいる人がいたらその心に寄り添ってあげなさい

 

 今は亡きカナエの父の言葉だ。その言葉は当然だと思うし、カナエもまたその考えを実行できるようにありたいと思っている。

 だから、飛比路の苦しみも理解し、それを軽くしたい。今だけは、柱とか師弟関係とか、関係なかった。

 

「俺に何があったのかを聞いて、自らの心が傷つくかもしれないのに、か?」

「そうであっても、私はあなたのことを理解したい。天城さんが何を思い、どんな経験をしてきたのか。その上で私は、あなたのことを支えたい」

 

 そこまで言うと、飛比路は溜息をついた。呆れと言うより、観念に近い感じだと思う。

 

「お前は最初に話をした時からそんな感じだった、な」

 

 最初、というのはカナエがしのぶと共にここへ来て、飛比路の本質を見抜いた時のことだろう。その時のことを今引き合いに出すとは、とカナエは思ったが飛比路は態度を改めてくれたようだ。

 

「まぁ、いい。話を聞いてどうするかは、お前が選べ」

 

 そう言って、飛比路は空を見上げる。

 日の出までは時間がありそうだが、空は先ほどよりも明るくなってきていた。

 

「俺は、愛情と言うものがよく分からない」

 

 

―――――――――

 

 

 一番古い記憶は、母親に殴られた時のことだ。

 小さな農村の外れにある家の一人息子として、俺は生まれた。貧しい家で、記憶のない頃はどんな扱いだったか分からないが、大して変わらなかったのだろう。

 物心ついた頃には、既に親から虐待を受けていた。殴られ、蹴られ、髪を引っ張られていた。食事だって、野菜の切れ端と、研いでもない少しばかりの米を渡されるだけで、まともだったことは全くない。栄養など、ほとんど摂取できなかった。

 たまに、村に住んでいる人が様子を見に来るが、その時だけ俺は仲のいい親子を演じさせられた。村の人たちに虐待が気付かれると、村の助け合い精神で渡される食料が無くなると知っていたからだ。俺の怪我は全て自分の不注意で負ったものと言わされ、反吐が出そうになった。

 

 そんな感じの生活を強いられていたものだから、自分の意思なんてないも同然に生きていた。自分は一体何のために生きているのだろうと、子供ながらに考えていたと思う。

 どうしてそうなったか、理由は分からない。大方、貧しいのに手のかかる子供など邪魔な存在でしかなかったのだろう。鬱憤を晴らすための、人形みたいなものだ。

 愛情なんて、毛の先ほども存在しない。そんな家だった。

 痛みに苛まれない日はなく、親が外へ出ていても、俺は家から出ることができなかった。体中が痛くて動けないし、逃げ出そうとして見つかったらどうなるか、怖かったから。

 

 だが、記憶が確かなら、六歳の時。暑苦しい夏の夜に、換気のため開け放たれた戸口から、俺は親を起こさないよう静かに逃げ出した。今までずっと我慢していた痛みや、親に対する恐怖に耐えきれなくなった。外がどうなっているのか、親や他の村人に見つかったらどうするか。そんなことをその時だけは忘れて、逃げた。

 けれど、怪我の痛みまでは忘れることができず、食事も不十分だったせいで、やっとの思いで一町半を走ったところで転んだ。しかも、痛みがぶり返してきたせいで、起き上がるのも難しい。

 そこで、人の姿をした何かが後ろに立つ。

 

「ガキか・・・喰い応えのなさそうな痩せっぽちだが、腹の足しにはなるだろ」

 

 それは、鬼だった。

 その鬼は、()()()()()()()を舐め取って、俺に向かって爪を向けていた。今思えば、あれは血鬼術の類を持ち合わせていない雑魚鬼に当たるのだろう。

 けれど、自分は今から死ぬと本能で分かっていたのに、不思議と恐怖を感じなかった。むしろ、生きながらに地獄を彷徨うような現状から解放されると、わずかな希望さえ見出していたのだ。

 だが、そこに鬼殺隊の隊士が駆けつけてきて、鬼の頸を切った。

 

「大丈夫か、坊主!?そんな怪我まで・・・」

 

 鬼が灰になるのを横目に、隊士は俺に声をかけてきた。どうやら、俺の怪我は先ほどの鬼に負わされたものと思っているらしい。

 しかし、俺は心の片隅で落胆していた。きっと俺は、あの家に連れ戻される。そうしたら、またあの生き地獄が待っているのだから。

 

「もしかして、あの家の子か・・・?だとしたら・・・すまなかった」

 

 どういうわけか、その隊士は俺に頭を下げた。

 何故そんな行動をしたのか分からないまま、俺は隊士に背負われて家に連れて来られた。

 両親は、死んでいた。家の中はそこら中血に塗れていて、途轍もない悪臭が立ち込めている。あの鬼は、戸口が開いたこの家で呑気に寝ていた、俺の両親を先に喰い殺していたのだ。口元についていた血は、親のどちらかのものだったのだろう。

 

(・・・・・・)

 

 だが、その家の惨状を見ても、俺は何も思わなかった。

 唯一の親が死んで悲しいとも、俺を虐げてばかりだった親が死んで清々したとも思わなかった。

 生まれて初めて、『無関心』と言う状態に陥った。

 

「親御さんを助けられなくて、本当にごめんな・・・」

 

 涙ながらに、後悔しているかのように、隊士は俺に声をかけてきた。

 けれど俺には、それが空虚なものにしか聞こえない。

 親の亡骸を前にしても、俺の感情は微塵も動かず、『助けてくれてありがとう』としゃがれた声で隊士に言うことしかできなかった。

 

 

―――――――――

 

 

「あの時点で俺は、親のことをとうに『親』と認識していなかった。赤の他人としか、思っていなかったんだろう、な」

 

 太陽が山の向こうから顔を出し始める。

 普段なら気持ちが高揚するはずだが、今のカナエはとてもそんな気になれない。

 

「鬼殺隊の道を選んだのも、その先自分がどう生きれば分からないから、仕方なく選んだに過ぎない。親の敵を討つためでも、誰かを守るためでも、ない」

 

 飛比路は変わらず、空を見上げたままだ。どんな顔をしているのかは、面のせいで見えない。

 

「俺の身体が細いのは、成長の基礎となる幼少期に満足な食事を与えられなかったから。この面は、戦う時は自分の過去に気を取られず敵に集中するため」

 

 そして、と飛比路はカナエの方を見る。

 

「どうしようもない理由で戦っている俺には、立派な理由で戦うお前たちに()()()()()()()()から、だ」

 

 自嘲気味に飛比路が告げる。

 その時、バサバサと翼を羽ばたかせ、一羽の鎹鴉が降り立つ。首元に群青の布を巻いたその鴉は、飛比路のだ。

 

「伝令ィ!伝令ィ!北東ノ山デ隊士ガ多数消息不明ィ!柱ノ飛比路ハ至急向カエェ!!北東ニ向カエェ!!」

 

 鴉の濁声は新たな指令を飛比路に告げた。

 言われて、飛比路はゆっくりと立ち上がる。

 

「俺の話は終わり、だ。今の話を聞いて、お前たちがどう考えて、どう行動に出るのかは、自由だ」

 

 それだけ告げて、飛比路はその場から姿を消す。自室に刀を取りに戻ってから出発するのだろう。

 カナエは、声も掛けられず、その場に座ったままでしかいられなかった。

 鬼殺隊の多くの人は皆、相応に重い過去を背負っていると理解している。だが、親を愛し愛されていたカナエからすれば、唯一無二の親から愛情を与えられず、苦痛しか与えられなかった飛比路の過去は途方もないほど悲しいものだった。

 愛情を実感できず、生きることの意味も見出せず、命の尊厳を踏み躙られる日々を送ってきた飛比路が、今のように生きるまではそれなりの苦労もあったのだろう。それを思うと、胸が痛い。正直、カナエの想像を軽く超えている過去だった。

 

 ―――俺はまともな人生を歩んではいない

 

 最初に話をした時の、あの飛比路の言葉を今になってようやく理解した。

 飛比路の口からは聞かなかったが、最初にカナエたちの修行をつけてほしいという頼みを断ったのは、飛比路が自らをまともではないと思っているからだろう。まともではないからこそ、誰かに修行をつけることを自分で良しとしなかったから。

 

「・・・あ、姉さん。ここにいたんだ、おはよう」

 

 不意に、後ろから声をかけられる。ようやく目を覚ましたしのぶだ。眠そうに眼を擦っているが、髪は整えられているしちゃんと隊服も着ている。

 カナエは、自分の中に積もっている飛比路への不安を一度脇に置いて、しのぶに笑みを向ける。

 

「おはよう、しのぶ。よく眠れた?」

「ええ、どうにか・・・姉さんは何してたの?」

「ええと、ちょっと天城さんとお話をしてたの」

「お話・・・ね」

 

 飛比路の名前を出すと、しのぶはちょっとだけむくれた。

 しのぶが自分のことを大切に思っているのは分かる。そして、飛比路に対しては若干刺々しい態度で接しているのは、いまいち彼のことを信頼できていないからだとも、理解している。つまりは、嫉妬しているのだ。

 

 ―――お前たちがどう考えて、どう行動に出るのかは、自由だ

 

 あの言葉は、きっとカナエが飛比路を軽蔑したと思っているからだろう。

 鬼殺隊の柱で、隊士からその強さを称賛されても、過去や志が他と比べれば惨憺たるものだと分かっているから。生い立ちを聞いて、カナエとしのぶが自分の下を離れることも考えているのだろう。

 けれど、少なくともカナエは、そんなつもりはない。

 

「・・・あのね、しのぶ」

「?」

「ちょっと、いいかしら?」

 

 手を招いて、しのぶに隣に座るように促す。

 

「何?改まって」

「実は一つ、しのぶに相談があるの」

「?」

 

 きょとんとした顔をするしのぶに、カナエは説明をした。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 二日後の夜明けに、飛比路は屋敷へと向かっていた。

 北東の山に潜んでいたのは、またしても十二鬼月ではなかった。それなりに人を喰って強くなっていたにしろ、あの程度の鬼にやられるとは少しばかり嘆かわしくなる。散って行った彼らの志は自分なんかと比べれば素晴らしいものだろうが、人員だって無限ではないのだ。

 

(さて、あいつらはどうしている、か)

 

 屋敷に戻りながら、飛比路はカナエとしのぶのことを考える。

 これまでに、自分の過去のことを話したのは、育手と耀哉の二人だけだ。

 育手には掻い摘んでしか事情を話していないが、『その痩せた身体では隊士になるのは難しい』と難色を示された。実際、その育手からは『風』の呼吸を教わったのに、使いこなせず自分で派生形の『鳥』の呼吸を編み出すしかなかった。柱になったことを報告した時も、最初は冗談か何かと思われたほどだ。

 しかし、一隊士に過ぎないカナエがあの話を聞いて、難色を示すだけで済まないのは想像がつく。カナエに話したとなれば、しのぶにも気取られるだろう。

 二人が技術を学ぶために頼んだ柱は、鬼殺隊としては異端者だったのだ。カナエたちの戦う理由など目じゃないほどに、飛比路自身も普通ではない。人が離れても不思議ではなかった。

 

(何故、話してしまったのだろう、な)

 

 本当なら、話さず適当にはぐらかしておけばよかったのだ。

 それなのに、カナエに話してほしいと言われると、どうしてだか気持ちに緩みが生じ、話しにくいことまで話してしまう。最初に修行を付けてほしいと頼まれた時もそうだったが、あの綺麗な瞳と芯の通った言葉で訴えかけられてしまうと、どうにも断り切れなかった。自分は結構チョロいのだろうか。

 

(・・・阿呆らしい)

 

 益体もないことを考えるのはやめて、屋敷へ戻る。

 

「あら、おかえりなさい」

 

 だが、門戸をくぐった直後に、聞き覚えのあるやんわりとした声に出迎えられた。

 驚いてそちらを見ると、朝の鍛錬中だったらしいカナエがいた。手には木刀を持っている。

 

「丁度良かった。今、しのぶが朝食の準備をしているんです。行きましょう?」

「・・・・・・」

 

 その表情は、以前と変わらない柔らかな笑み。まるで、飛比路の過去など少しも気にしていないかのように振舞っていた。

 先んじて玄関へと向かうカナエだが、飛比路はその場に留まる。

 

「どうかしました?」

 

 戸を開けたところで、カナエが振り向く一昨日の話は聞いていただろうに、何故にそこまで普通でいられるのか。いや、あるいは開き直ったとも考えられる。

 

「・・・いいのか?それで」

 

 だから、訊かずにはいられなかった。

 カナエも質問の意図は理解したのか、笑みを崩さずににこりと笑う。

 

「天城さんの過去のことは、私も正直胸が痛みます。けれど、あなたが私たちにちゃんと修行をつけてくれたことに変わりはありません」

 

 カナエの言葉に裏はないと、根拠がないがそう思わせられる。

 

「それに天城さんは、他にできることがないから鬼殺隊に入ることを選んだ、と言っていましたが、それは蹲ったままでいられず前へ進み生きることを選んだのだと、私は思います」

「・・・・・・」

「どれだけ悲しい経験をしても、それでも立ち止まらずに先へ行こうとする。そこはあなたの、強みだと思います」

 

 親が死んだ後、飛比路は自分がどう生きればいいのか分からなかった。分からなくて鬼殺の道を選んだ。

 だが、カナエからしてみればそれは、生きることを諦めず、その場に止まらず自分から成長を望んだように見えるらしい。

 飛比路自身、そう考えたことは一度もない。

 あの後、何もせずに残りの人生を無為に過ごそうとしたら、きっとあの死んだ親のような愚かな人間になってしまうと思った。それだけは嫌だったから、それ以外の道を考えて、結局鬼殺隊に入ることしか思いつかなかった。ただ、それだけだ。

 それを、カナエは評価している。

 

「・・・お前みたいな、年下の女に励まされるとは、な」

「あら、ちょっと失礼じゃありません?」

「褒めているんだ」

 

 思わず笑ってしまう。自分自身が情けなくて。自分よりも短い時間しか生きていないカナエに気付かされて。

 飛比路の皮肉にカナエはやや不満そうだったが、本気で怒っている風ではない。そんなカナエに促され、飛比路も屋敷に入る。

 

「あ、帰ってきたのね」

 

 食卓用の座敷に顔を見せると、しのぶがせっせと朝食の準備をしていた。

 白いご飯と味噌汁、焼き魚と生姜の佃煮。それらがきっちり三人分、用意されている。

 

「・・・俺もここで食うべきなのか」

「当たり前じゃない。何のために三人分用意したと思ってるのよ」

 

 自分でも馬鹿らしいと思う質問をすると、しのぶが馬鹿なことを訊かないでと言わんばかりに答える。

 飛比路は、修行をつけ始めてから今日に至るまで、一度もカナエやしのぶと食事を共にしたことはない。それはやはり、自分如きがカナエたちのような立派な心で戦う隊士たちに合わす顔がないから、面を外せないからと避けてきたからだ。

 正直今も、外したくない。

 

「・・・俺だけ別の部屋で食べるのは―――」

「「駄目」」

 

 カナエには笑顔で、しのぶにはしかめっ面で切り捨てられた。この二人、半ば興味本位でこんなことをしているのではないだろうか、とまで考えてしまう

 だが、ここまで強い口調で断られると、流石に観念せざるを得ない。

 飛比路は腰を下ろし、ゆっくりと鳥の面を外す。

 

「・・・・・・」

 

 視界が広がり、カナエやしのぶ、食卓が広く見渡せるようになった。

 そして、カナエもしのぶも物珍しそうな目で飛比路の素顔を見ている。自分が美男子なんて自覚はないし、幼少に受けた傷の跡や痣はもうないはずだが、気になるのだろう。

 

「・・・何とか言ってくれないか。無言は気まずい」

「そうねぇ。思ったより普通だなって」

「普通か」

「何よ、美男子とでも言ってほしかったの?お生憎様、私そういうことは言わない主義なの」

「別にそこまで言ってないだろ。何でお前はそうも刺々しいんだ、姉を見習ったらどうだ?」

 

 前から思ったが、やはりしのぶとは反りが合わない。隙あらば嫌みを捻じ込んでくる姿勢に、飛比路も額に青筋を浮かべる。

 一方でカナエは、そんな飛比路としのぶのやり取りを微笑ましく眺めている。

 

「二人とも仲がいいわねぇ」

「「仲良くなんてない」」

 

 しのぶと被って否定してしまった。先刻まで口喧嘩をしていたのに息ぴったりなもので、可笑しいのかカナエが口元を押さえて笑っている。それを見ると、飛比路の若干逆立った神経も収まってくる。

 

「もういいわ、早く食べましょう」

「ああ、その意見には賛成だ」

「そうね、せっかくしのぶが丹精込めて作ってくれたのに、冷めちゃうわ」

 

 しのぶが提案すると、飛比路もカナエも頷き、揃って手を合わせる。

 

「「「いただきます」」」

 

 飛比路にとっては、誰かと食べる食事は本当に久方ぶりだった。

 そして、三人で食べる朝食はとても美味しかった。




【おまけ】

しのぶ「ねぇ、あの池の鯉って名前つけてないの?」
飛比路「そうだな。特には」
しのぶ「だったら、私が付けてもいい?」
飛比路「まぁ、別に構わんが」
しのぶ「やった。それじゃ、どうしようかしら・・・」
飛比路(名前をつけたがるとは、意外と年相応なところがある、な)
しのぶ「こっちの色鮮やかなのは『鯛』で、こっちの銀色のは『鯖』にしようかしら」
飛比路「待て」
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