はぐれ鳥と遅咲の花   作:プロッター

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第5話:紙の鬼

 普通の鬼とは別格の存在、十二鬼月。

 今、飛比路とカナエの前に立つ子迂反は、下弦の弐。柱を葬ってきた上弦と比べればまだマシだが、それでも十分厄介だ。

 飛比路は、相手が何であろうと戦いに対する意識を変えたことはない。たとえその相手が十二鬼月であっても、その頸は斬らねばならないと心に誓っている。

 

「こらこら、駄目じゃないか。朱美ちゃん」

 

 その子迂反は、優しい口調で、飛比路とカナエの後ろにいる朱美に話しかける。

 その優しそうな話し方はカナエに近いが、この鬼の言葉からは底知れない何かを感じる。カナエのように、純粋な優しさと柔らかさだけではない何かがあるようだ。

 

「言っただろう?お客さんに帰ってもらうように言ってね、って」

 

 子迂反が僅かに笑みを深める。その笑みからも、寒気を感じた。

 一方朱美は、子迂反の言葉に答えず、カナエの後ろに隠れてじっと様子を伺っている。『あれあれ?』と子迂反が首を傾げるのを見て、飛比路はふっと笑った。

 

「残念だが、朱美はもうお前の下には戻らんようだ、な」

「おやおや。()()私の言うことが聞けないのかあ。私はせっかく、君たちのことを考えてあげていたというのにね」

 

 飛比路の皮肉にも、子迂反は動じる様子はない。どころか、わざとらしく困ったように頭に手を当てる。

 

「それじゃ、お仕置きをしないといけないようだ」

 

 笑みが、獰猛なものに変わる。安らぎなんて抱けない、狂気と殺意が滲み出たものだ。

 それを過敏に感じ取ったか、朱美は『ひっ』と喉が引っ付くような短い悲鳴を上げる。

 そして飛比路とカナエは、日輪刀の柄に手を掛けた。

 だが、それを見た子迂反は腕を広げて首を横に振る。

 

「やれやれ。君たちも他の鬼殺隊と同じように、問答無用で私のことを斬るつもりか?」

「お前たちの事情など知ったことでは、ない。俺たちは悪鬼を残らず斬る」

「それはそれは、結構なことだ。それにしても『悪鬼』ね」

 

 顎に手をやり、飛比路の告げた一言に引っ掛かりを抱いた様子の子迂反。ひょうひょうと笑うその顔で、今何を考えているのか。

 

「ではでは。その言い方では、()()()()は斬らないということかな?」

「善良な鬼?」

 

 およそ鬼殺隊では聞いたことのない言葉に反応したのは、カナエだった。自分の言葉に反応してくれて嬉しいのか、子迂反の笑みが深まる。

 

「そうそう。君たちは鬼が皆悪い存在だと言うが、中には善い鬼もいると考えたことはないか?」

「考えるだけ無駄、だな」

「・・・少なくとも、私は会ったことがありません」

 

 子迂反の問いかけを飛比路が切り捨てたのに対し、カナエは否定しつつも子迂反の質問に応じる。

 カナエを見る。その表情には、真剣さが未だに宿ったままだ。鬼の言葉に惑わされているようではない。惑わされず、真面目にその話に向き合っている。

 子迂反の笑みはより深まった。

 

「いやはや、嬉しいね。この私の話に耳を傾けてくれるなんて、ありがとうお嬢さん」

 

 子迂反はカナエに対してお辞儀をし、反対に飛比路には露骨に不機嫌そうな表情を向ける。

 

「それにしても、君は・・・そのー、何だ。変なお面なんか付けて、私の話に耳を貸そうともしない。全く、人の話はちゃんと聞きなさいって、お母さんから教わらなかったのかな?」

 

 その言葉は飛比路の癪に障った。

 蟀谷の血管が浮かび上がるのを感じつつも、飛比路は口を開く。

 

「・・・生憎、俺にはそんなまともな親がいなかったもんで、な」

「ほうほう、なるほど。だとすれば、君もさぞ辛い人生を歩んできたんだろうね。生まれた時期が違えば、私が保護していたかもしれないな」

「保護?」

 

 鬼の考えなど心底どうでもいいが、『保護』という言葉は聞き捨てならない。

 子迂反は、人差し指を立てた。

 

「そうそう、保護。私はね、可哀想な子供たちを引き取って面倒を見ているんだ。親と喧嘩したり、迷子になったり、路頭に迷ったりする哀れな子供たちを。丁度、お嬢さんの後ろにいる朱美ちゃんのようにね」

 

 子迂反が指さすと、朱美はまた隠れるようにカナエの後ろで縮こまる。

 しかし、もはや朱美一人に対しては何の感慨もないのか、特に気にせず子迂反は話を続ける。

 

「最初は皆、私に感謝してくれるんだ。こうして雨風を凌げる場所に連れてきて、遊びまで用意して、夜になったら山菜を採りに行ったり獣を狩ったり。私は、食べられないんだけど、子供たちに食べさせるためだ」

 

 やはり、村の農夫たちが言っていた獣の死体は、この子迂反の仕業だったらしい。今ようやく、確信を持った。

 

「だけど、どの子も二、三日経つと駄々をこねだす。家に帰りたいだの、親兄弟に会いたいだの、外の世界で暮らしたいだのとね。私には理解できなかった。皆大人や周りを拒絶していたはずだったのに」

 

 そう話す子迂反の表情は、『残念だ』とでも言いたげに両手を挙げる。

 

「そうは言っても、わがままな子供たちは聞かない。だから仕方なく、こっそりお仕置きをしたってわけさ」

「それが棺の中のあれ、か。保存食のつもりか?」

「すぐには喰わないのが私の主義さ。首の骨を折って、しばらくああして置いておくと、いい感じに人の肉は美味しくなる」

 

 飛比路は、カナエや朱美の様子を伺う。怯える朱美の耳を、カナエが優しく塞いでおり、話が聞こえないようにしている。いい判断だと思った。

 

「ただ、子供の肉は栄養価が高いが、腹の空きを満たすには少し足りない。だからちょっと、大人の人たちも失敬させてもらったよ」

 

 子供だけでなく大人もいなくなる理由まで、子迂反はご丁寧に教えてくれた。

 一通りの疑問が晴れたところで、飛比路は溜息をつく。

 

「それで善良な鬼を気取るか?」

「善良善良。理性なく人を喰い散らかす他の鬼なんかと比べればよっぽどそうだと思うよ」

「最終的に喰う点を見れば、お前も他の鬼と変わらん」

「勘違いしないでほしいな。私は保護した子供を全員喰うわけじゃない。ちゃんと従順な子供がいたら、喰わないつもりさ。ただ、そういう子がまだいないだけで」

 

 詭弁だ。

 なぜこの鬼が、最終的にどうするかはともかく、子供たちを保護するような真似をしているのかは分からない。いや、鬼の考えることなど、分からなくていいのだ。

 そして、どんな事情があっても、この子迂反の所業は赦されるものではない。まだ生きたいと願っている子供や大人の命を、自分の都合で奪う時点で引き返せないのだ。

 

「・・・胡蝶、耳を貸すなよ」

「・・・はい」

 

 カナエにも釘を刺す。先ほどまでの会話で、カナエは子迂反の話にわずかながらに興味を示していたからだ。興味とは必ずしも正の面だけを持つとは限らず、相手がつけこむ隙となりかねない。

 鬼の言葉には真実などない。嘘を並べ立て、結局は人を喰らう悪しき存在だ。鬼殺隊とは分かり合えないし、鬼の言葉を理解することだってあり得ない。そこに吞まれるようでは、鬼殺隊失格だ。

 

「さてさて。これ以上話しても、君たちは私の話を理解できないようだし・・・」

 

 子迂反は肩を落とすが、直後に瞳に鋭さが籠る。

 明らかな敵意が宿っていた。

 

「大人しく死んで、私の糧となり給え」

 

 敵意も殺意も隠そうともしない言葉と、威圧感。

 飛比路は花緑青の弧を描く日輪刀を抜いた。

 

「鳥柱・天城飛比路・・・」

 

 鬼を相手にする時、飛比路は自ら名乗る。格好つけているのではなく、自分の過去を振り切れない自覚がある飛比路が、今の自分の立場を再認識するためだ。自分は柱だと、鬼殺隊を支える存在だと、奮い立たせるために。

 

「階級(ひのと)・胡蝶カナエ」

 

 ただ、真似るようにカナエまで名乗るとは思ってもいなかった。

 思わず横を見ると、桜色の刀を抜いたカナエが、飛比路を横目に小さく笑っている。十二鬼月を前にして随分な余裕だ、と飛比路はふっと笑い、前を見る。

 

「「推して参る」」

 

 声が重なる。自然と、普段よりも力が籠ったような気がした。

 それを聞いた子迂反は。

 

「いやいや、怖い怖い。そんなに気合を入れられては・・・」

 

 両腕を、ゆっくりと広げる。

 

「二人同時に相手をするなんて難しそうだ」

 

 そう言った直後、部屋の奥で何かが蠢くのが見えた。『ざざざ・・・』と軽さを含む音を出すその正体は、紙だ。まるで壁のように、床から天井まで届く高さの紙が迫ってくる。

 その迫る紙は、飛比路とカナエを分断するようだ。しかもその進路上には、様子を伺おうとしていた朱美がいた。

 それに気づいた飛比路は、咄嗟にカナエの後ろにいた朱美の背中を掴んで自分の方へと引き寄せる。

 

「えっ?」

 

 朱美が困惑の声を上げた直後、飛比路とカナエの間に壁が聳え立つ。その見た目は本物の壁と遜色がなく、試しに手で触ってみても感触は変わらない。紙でできているようだったが、簡単に破れそうはなかった。

 

「お兄ちゃん、どうして・・・」

「胡蝶とあの子迂反とかいう奴の戦いに巻き込むわけにはいかんから、な」

 

 飛比路が朱美を自分の下へ寄せたのは、この壁が飛比路とカナエを分けるだけでなく、カナエを子迂反と同じ区域に閉じ込めようとしたからだ。十二鬼月との戦闘の場に一般人を留まらせるのは危険以外の何物でもない。だからその前に、カナエと分断されるであろう自分の下へと引き寄せたのだ。

 その時、背後に気配を感じ取る。

 

「伏せてろ」

 

 朱美の背中を押さえて姿勢を低くさせ、飛比路は振り向きざまに刀を一閃する。

 背後に迫っていたのは、大きく口を開けた巨大な虎だった。

 

「これも紙、か・・・」

 

 その虎には顔がなく、模様もない純白の姿をしている。そして、身体全体に四角い模様のようなものがあったが、それは全て折り紙だった。飛比路の一閃は、上顎と下顎を断ち斬る斬撃となり、虎は紙屑の山へと姿を変える。

 しかし、その後ろから同じように紙でできた虎や熊、狼が次々と姿を見せた。

 

―――血鬼術・鳥獣紙牙(ちょうじゅうしが)

 

 まるで威嚇しているかのように体勢が低いが、いつ襲い掛かってくるかわかったものではない。

 そこで、飛比路は後ろにいる朱美の身体を起こした。

 

「朱美、何があっても手を離すなよ」

「う、うん・・・」

「後、極力目は閉じているように」

 

 左腕で朱美を抱きかかえる。敵が複数いる以上、部屋の隅で大人しくするように言っても別方向から攻められる。かと言って守るよう壁際で戦うと、思うように刀を触れない。やむを得ず、こうするしかないのだ。

 結果として、日輪刀は右手でしか持てなくなる。全集中の呼吸で使う技は、刀を両手で握らないと本領を発揮できないものがほとんどだ。だから今のような状況では、技の威力も通常よりは劣るだろう。

 しかし飛比路は、鍛錬の一環で片手だけで刀を振るったこともある。要は、その時の応用だ。

 

―――鳥の呼吸・壱ノ型

 

 呼吸を整える。

 その瞬間、紙でできた狼が飛びかかってきた。

 

―――荒鷲

 

 刀を横に薙ぎながら、前へと踏み出す。

 瞬間、紙の狼の身体が上下に分かれて床に落ち、紙屑の山へと姿を変える。

 片手で刀を振るうと、両手よりも威力は確かに落ちるが、そんなものは柱の自分からすれば誤差の範囲だ。

 

「嘗めてくれるなよ。紙畜生ども」

 

 さっさと片付けて、カナエの救援に向かう。いくら力をつけているとはいえ、カナエ一人で下弦の弐を相手に一瞬でケリがつくとは考えにくい。ギリギリ押し勝つか、劣勢を強いられるかのどっちかだ。

 飛比路は、柄を握る右手に力を込めた。

 

◆ ◆

 

「さてさて、これでお仲間とは協力ができなくなったわけだ」

 

 分厚い壁で部屋が二分され、カナエは子迂反と向き合う。壁の向こうで飛比路と朱美がどうなっているかは、カナエには分からなかった。

 子迂反はにやりと笑う。

 

「あの鳥の面の彼ね。みょうちきりんな見た目だったけど腕は立ちそうだったから、先に君の方から片付けさせてもらうよ。悪いね」

 

 どうやら、子迂反はカナエの実力を下に見ているらしい。確かに、柱の飛比路と比べれば実力は劣るだろうが、それでも全集中・常中は着実に身に付いている。慢心するのはご法度だが、決して自分は弱くないとカナエは自らの心に言い聞かせる。

 

「君も、さっきは私の話が分かる風だったけれど、刀を抜いたとなれば私の意見に賛同はしてくれなさそうだね」

「・・・あなたには申し訳ありませんけど、ね」

 

 つい、話し方が飛比路のようになってしまい、カナエは少しだけ笑ってしまう。

 

「それはそれは、残念だ。ならば、他の鬼殺隊と同様の末路を辿ることになるよ」

 

 心底残念そうな言葉と共に、子迂反は両腕を前にかざす。

 すると、子迂反の周囲にどこからか折り紙が無数に姿を見せた。その折り紙一枚一枚は、独りでに折られていき、忍者の持っているような手裏剣へと姿を変える。

 

―――血鬼術・回刃紙(かいじんし)

 

 直後、その手裏剣が素早く回転をしながらカナエへと殺到する。

 折り紙ならカナエも幼少の時分に遊んでいたし、何なら手裏剣形にも折っていた。だが、この子迂反の折り紙手裏剣が普通の折り紙と同じ威力とは到底考えられず、転がるように右へと避ける。

 行き場を失った折り紙手裏剣は、鋭い音を立て反対側の壁に突き刺さった。人間の肉など軽く切り裂いてしまいそうな威力なのが、目に見えて分かる。

 

「おやおや、いい動きだね」

 

 避けられたことを大して悔しがりもせず、子迂反はさらに腕を振る。既に出現させていた別の折り紙手裏剣を、カナエへと飛ばす。それに対してカナエは、前へと駆け出すことで避けた。長い髪の毛を掠るような感覚が伝わってくるが、気にしない。

 呼吸を整えて、カナエは日輪刀を構える。

 

―――花の呼吸・肆ノ型

―――紅花衣(べにはなごろも)

 

 前方に大きな円を描くかのような斬撃を仕掛ける。これなら、低い体勢からでも、鬼の身体を広範囲で斬ることができる。

 

「危ない危ない」

 

 だが、既に子迂反の姿はそこにはない。

 視線を上げると、離れた場所に立っていた。

 

「綺麗な技だね。今までの隊士とはまた違う感じだ」

 

 楽しそうに告げる子迂反の周囲には、先ほどのように折り紙が浮かんでいる。

 だが、今度はその紙が手裏剣の形に折られることはなく、針のように細く巻かれていく。

 

「ではでは、これならどうかな」

 

―――血鬼術・紙突連弾(しとつれんだん)

 

 来ると気付いた時には、遅かった。

 横へと回避したが、この紙の針は先ほどの手裏剣よりも圧倒的に速い。左の肩や腕を紙の針が掠めていき、二の腕にも突き刺さる。すぐに針を引き抜くが、じんじんと痛む。刀を握れないほどではないけれど、痛みで気が散りそうだ。毒の類がないのが幸いか。

 

(技の速度が速い・・・今までの鬼とは違う・・・)

 

 ここへ来るまでに飛比路から聞いていた通りだ。今まで戦った鬼など目じゃないほど、この下弦の弐の攻撃の速さは段違いだった。

 それでも、カナエが刀を振ることに変わりはない。痛みに耐えて、刀を握る。

 

「立ち向かってくるのかな。健気だね」

 

 すると、また同じように紙の針が子迂反の周りに現れる。

 カナエは『フゥゥゥ・・・』と呼吸を整える。

 

―――花の呼吸・弐ノ型

―――御影梅(みかげうめ)

 

 紙の針が動いたと同時、カナエは無数にも見える斬撃を前へ繰り出しながら突き進む。その素早い刀裁きで、紙の針を斬り、叩き落し、攻撃を受ける前に攻撃自体を斬る。

 その技に意表を突かれたのか、子迂反は僅かに驚いたような顔を見せ、斬撃を後ろに飛び退き避ける。

 

「まさかまさか、僕の針を躱しきるとは。初めてのことだ、面白い」

 

 ぱちぱちと拍手をする子迂反。カナエは、体勢を整えて刀を構える。

 全集中・常中を会得したからだろうか、技の速度も上がっている。以前までだったら、あの速い紙の針を全て切り刻むことなどできなかっただろう。

 自分の力は、十二鬼月にも対抗できている。その事実に気分が高揚すると同時、修業をつけてくれた飛比路に心の中で感謝した。

 

「しかししかし、残念だ。君ほどの可愛い娘なら、鬼狩りにならずとも、もっとまともな人生を歩めただろうに」

「・・・お褒めの言葉、ありがとうございます。ですが、私にも戦う理由がありますから」

 

 鬼に容姿を褒められるなどほとんどなかったもので、思わず口が緩くなってしまう。

 だが、カナエの言葉に、子迂反は『ほうほう』と頷く。

 

「戦う理由、ね。もしや君も、家族を喪ったりして孤独の身となってしまったのかな?」

「っ・・・」

「だとすれば悲しいね。生まれた時期が違っていれば、君も私が保護していたかもしれない。君は他の子と違って従順そうだし」

 

 無自覚に、カナエにとっても辛い心の面を踏み抜く子迂反。

 一瞬にして幸せを喪ったあの夜のことを思い出し、カナエの心に陰りが差す。

 しかし今は、気を抜いたら死ぬ十二鬼月を相手にしているのだ。自分の過去に足を取られている場合ではない。

 

「・・・一つだけ、訊いてもよろしいですか?」

「どうぞどうぞ、何なりと」

「あなたは何故、子供たちを保護しようとするのですか?」

 

 自分の調子を戻すために、気になっていたことを子迂反に聞いてみる。心の平衡を取り戻すための質問だったし、まともな答えを貰えるとは思わなかった。しかし、子迂反は考え込む姿勢を見せる。

 

「ふむふむ、私に興味を持ってくれるとは。君は鬼殺隊の中でも少々変わっているのかもしれない。けれど、質問には答えるのが私の主義だ」

「・・・・・・」

「私は、()()()()が私を救ってくれたように、私も困っている子供を救いたいのだよ」

 

 あのお方。

 それは恐らく、鬼殺隊が長年追い続けている鬼の祖・鬼舞辻無惨のことだろう。人間を鬼に変えることができる唯一の存在だ。

 

「孤独だった私に、あの方は鬼の力を与えてくださった。それから私の人生は大きく変わったよ。だから私は、あのお方のご期待に沿えるように尽力し、あのお方が私にしたように、孤独な子供を救っている」

「何故、あなたは孤独だったのですか?」

「さてさて、それはもう思い出せないんだよ。ただ、私は今の方が満ち足りている。孤独だった過去や理由など、心底どうでもいいことだ」

 

 鬼に変貌すると、人間だった頃の記憶をほとんど忘れてしまうという話を、聞いたことがある。

 恐らく子迂反も、理由があって孤独だったのだろう。

 もしかしたら、無惨に会ったりなどしなければ、鬼などにならず済んだかもしれない。鬼殺隊に入隊するという選択だって、無きにしも非ずなはずだった。鬼殺隊には、カナエや飛比路のような、過去に何かしらあった人たちが多くいるから。

 しかし、子迂反はもう引き返せない。多くの人を喰い殺し、今や鬼の中でも上位の存在だ。今更改心などさせたところで、どうにもならない。鬼になった以上は、人間に戻ることなどできないのだから。

 

「・・・孤独な子供を保護したいと言うあなたの気持ちは、分からなくもありません」

「おやおや。もし本心でそう言ってくれているのなら、とても嬉しいね」

「けれど、あなたは多くの人の命を奪っている・・・とても残念ですが、私は戦うしかありません」

 

 孤独を背負っていたこの子迂反を、できることなら救いたい。斬らずに生かし、人間に戻す方法があればいいのに。

 けれど現実は、そんなに甘くない。この鬼によって、少なくない命は喪われている。今のカナエにできることは、これ以上の悲しみが増えないように、子迂反を斬ることだけだ。

 

「・・・そうかそうか」

 

 カナエの言葉を聞くと、子迂反の目がすうっと細くなる。

 これまでよりも、敵意が濃くなったような気がし、周囲に浮かぶ折り紙が独りでに折られる。

 

「理解できないのならば、死ね」

 

―――血鬼術・舞踊紙鶴(ぶようしかく)

 

 折り紙は、朱美も持っていたような折り鶴へと変わる。

 そして、その折り鶴は、まるで本物のように翼をはためかせてカナエの下へと向かってくる。しかし、その動きは先ほどの紙の手裏剣や針ほど速くは無かった。カナエは刀を振ってその折り鶴を斬ろうとする。

 

「っ・・・!?」

 

 だが、折り鶴はそれをひらりと避けた。それこそ本物の鳥のように。

 そして、折り鶴は引っ掻くようにカナエの腕や肩、脚に傷を負わせていく。どうにか刀を振って、顔に攻撃を受けないようにするのがやっとだ。

 

(自我を持ってる・・・?違う、これは誘導・・・)

 

 折り鶴の攻撃をどうにか避けながら、攻撃を冷静に見極める。

 目を凝らして、敵の動きを見る。折り鶴一つ一つの動きはそこまでではないが、一度にまとまって襲い掛かってくると対処しきれない。ならば、ばらけている今のうちに斬るしかない。

 そのためには、今までよりももっと素早く、広範囲に刀を振る必要がある。

 新たな折り鶴を子迂反が何体も生み出すのを視界の端で捉えながら、攻撃を避けつつ呼吸を整えて、自分の身体全体に酸素が行き渡るのを思い浮かべる。

 折り鶴が、飛び掛かってきた。

 

―――花の呼吸・陸ノ型

―――渦桃(うずもも)

 

 跳躍し、身体を捻りながら周囲を日輪刀で斬る。

 襲い掛かろうとしていた折り鶴を、ひとつ残らずに両断していく。能力の限界からか、一度日輪刀で斬るとそれはただの紙屑になってしまう。

 

「これはこれは、すごいすごい!全て斬り落としてしまうとは!」

 

 流麗な刀裁きを子迂反は称賛する。

 カナエはそれを聞き流し、着地するとすぐに前へと駆け出し、一瞬で子迂反との距離を詰める。あらかじめ、脚にも力が入るように呼吸を意識していたおかげだ。

 だが、距離を詰められて、刀を頸に向けて振られても、子迂反は余裕の態度を崩さない。

 

「私をそこらの鬼と一緒にしてもらっては困るよ」

 

 その理由は、頸に刀を当てた時点で分かった。

 頸が硬いのだ。鉄皮山の鬼とは比べ物にならず、刃が少しも喰い込まない。飛比呂の説明を思い出す。全集中の呼吸だけでは、足りないのだ。

 

「残念残念。頸が斬れないとどうにもならないね」

 

 カナエは仕方なく、後ろへと飛び退き距離を取る。

 だが、子迂反の周囲には既に数多の折り紙が出現していた。それぞれが、手裏剣や鶴などに折られていく。

 

「頸が斬れない隊士は、戦う意味を持たないも同じだよ」

 

 獰猛な笑みを、子迂反は浮かべる。

 次の攻撃はすぐに来る。

 

◆ ◆

 

 大柄な熊は『翡翠』で、飛び掛かってくる蝙蝠は『白鷺』で、それ以外の有象無象は『荒鷲』で斬る。

 呼吸を伴う技を使っても、柱であれば疲れることはほとんどない。だが、あまりにも敵が多すぎるため、飛比路も肉体的な疲労は感じずとも精神的な疲労は感じている。

 

(きりがない、な)

 

 噛みつこうとしてきた紙の犬を両断し、飛比路は鼻息を吐く。

 

「朱美、大丈夫か?」

「うん・・・平気・・・」

 

 左腕で抱きかかえている朱美の様子を窺うが、怪我などはしていないようだ。怯えるように飛比路の首に腕を回しており、視界も恐らく塞がっていると思う。柱が一般人に怪我などさせたら、面目丸潰れもいいところだ。

 しかしながら、この紙でできた獣たちはどれだけ斬っても再生する。となれば、恐らく本体の子迂反を斃さない限りは永遠に復活し続けるのだろう。これは時間稼ぎでしかない。

 だが、現状飛比路とカナエ、子迂反は紙でできた壁によって分断されている。

 

「さて、どうしたもの、か」

 

 それでも状況を冷静に見ていると、この紙の獣たちは再生には少しばかりの時間を要している。それも、細かく切り刻めばそれだけ再生も遅れる。

 ならば、この辺りで一つ仕掛けるべきだ。

 

「掴まってろ、朱美」

「もう掴まってる・・・」

「そうか、すまん」

 

 この状況でも、朱美は言い返せる程度には心も落ち着いてきているらしい。最初にこの屋敷で会った時の話もそうだが、この子はそこそこに気が強いのかもしれない。

 兎に角、今の内に事を進めるのが得策だろう。飛比路は、紙の獣が自分の付近にいなくなったことを確認すると、呼吸を整える。

 

―――鳥の呼吸・伍ノ型

 

 その直後、紙でできた狼や熊、虎が襲い掛かってくる。

 しかし、飛比路は前へと踏み出した。

 

―――青葉木菟(あおばずく)

 

 そして、僅かに地面を蹴って上に跳び、身体を素早く回転させながら円を描くように刀を振るう。それも三回転。

 すると次の瞬間には、紙の獣たちは木端微塵に斬り刻まれてしまう。

 

「よし」

 

 飛比路はそれを見てから、自分たちを分断した壁を見る。

 この壁がせり上がって来た際に見た限りでは、壁の厚さは三寸程度。しかし、硬さからして普通に斬っても無理だろう。いくら紙でも、何重にも重なっていると鉄のように固くなるのだ。一枚一枚が軽くても、その紙が分厚く重なってできた本が重く硬いように。

 

―――鳥の呼吸・肆ノ型

 

 そこで飛比路は、壁に向き合い、日輪刀を握る右腕を一度引く。

 

―――鶺鴒(せきれい)

 

 その技は、連続の突き技。腕に意識を集中し、対象を穿ち抜くことだけを目的とした技だ。

 壁に向けて突きを何度も放ち、やがて壁に皹が入り始め、ついには砕け散る。

 

「あっ?」

 

 間抜けのような子迂反の声。こちらを見て、呆けたような顔だ。

 だが、飛比路が気にしているのは、その子迂反の攻撃と思しき紙片が、カナエ目掛けて殺到していることだ。あれを全て避けきることは、不可能に近い。

 カナエは、どうにか刀を振って迫りくる紙の攻撃をできる限り避けようとしている。斬り刻み、刀で弾き、軌道を逸らしている。しかしそれも完全には避け切れず、針のように細く丸められた紙がカナエの頬や手の甲を掠める。殺傷性は十分なようで、白い肌に赤い血が垂れた。

 それを一秒程度で認識すると、飛比路はカナエの前に立ち、襲い掛かろうとしていた紙を手早く切り刻む。

 

「男が女の肌を傷つけるな」

 

 刀を下ろし、飛比路が子迂反を見る。

 しかし子迂反は、くすくすと可笑しそうに笑った。

 

「よもやよもや、壁を突き破るとは思わなかったよ。そんな人は今まで見なかったものだからね」

 

 まだ余裕そうな態度を崩さない。飛比路の後ろで、カナエが立て直すのを感じ取る。

 

「それにしても、今の君の姿は実に面白い。まるで子連れの剣士みたいじゃないか」

 

 言われて飛比路は、朱美を左腕で抱きかかえているのを思い出す。客観的に見れば、そう見えてしまうのかもしれない。人攫いと言われないだけまだマシだが、後ろでカナエが『ぷふっ』と少し吹き出したのは確かに聞こえた。

 

「・・・俺には妻も子もいない。それに、この子にはちゃんとした親がいる」

 

 割と真剣に否定すると、その横にカナエが歩み出る。

 改めてカナエの怪我の状態を確認するが、刺し傷や切り傷が多少見られるだけで、骨折などの致命傷はまだ負っていないように見える。

 

「・・・ヤツの冗談に笑っていられるということは、まだそれだけ余裕があるってこと、だな?」

「・・・笑ってなんて、いませんよ」

「俺の顔を見て否定しろ」

 

 カナエの目を見ようとするが、カナエは視線を合わせようとしない。

 飛比路は、ふんと鼻息を吐く。

 

「まぁ、いい。まだ戦える、な?」

「はい」

「なら、気を引き締めろ。あれの頸を斬ることだけを考えろ」

 

 再び刀を構える飛比路。カナエもまた、同様に刀を握り直す。

 飛比路は、ここで朱美を下ろして部屋の隅にでも退避させておきたかった。しかし、先ほどのような紙の獣を生み出せるとなると、一人でいさせることに不安しかない。なので、仕方なく抱きかかえたまま戦うことにした。

 カナエに護衛を任せて自分が戦うという選択肢もある。けれど、先ほど見た子迂反の紙を使った攻撃は不規則な動きを見せるので、背後に隠れさせても安全は保障できない。カナエと共にこの場から離脱させても、子迂反の領域であるこの屋敷では守りきれない。それに、カナエは飛比路のように抱きかかえながら片手で刀を振って戦うことはできないはずだ。

 結局、このまま続けるしかなかった。

 

「ですが、あの鬼の頸は硬いです・・・私の力では・・・」

「十二鬼月は基本そうだと言ったはずだ」

 

 いつになく弱気なカナエに、飛比路は冷静に言い聞かせる。

 

「もっと腕に力を籠めるように意識して、斬ってみろ。全集中・常中を習得して、お前は強くなっている」

「・・・はい」

 

 お互いに、刀を構える。

 それを見た子迂反は、両腕を横に広げた。

 

「よしよし、こうなってくると分断させるのは難しそうだし、全員まとめて始末しよう」

 

 すると、天井を覆うように折り紙が無数に出現し、それらが全て細く巻かれていく。まるで、針のように。

 そしてそれは垂直に向きを変えて、今にも降ってきそうだ。

 

―――血鬼術・紙時雨(かみしぐれ)

 

 それを認識した直後、飛比路は朱美を一旦床に下ろし、隣にいたカナエを引き寄せて朱美を庇うように体勢を整えさせる。

 

「少しの間、頼む」

 

 それだけ言って、飛比路は上へと跳び上がる。

 その直後、紙の雨が降り始めた。

 

―――鳥の呼吸・伍ノ型

―――青葉木菟

 

 それを認識すると同時に、飛比路は回転しながら刃を振るい、紙の雨を全て断ち切る。僅かに横に移動しながらの斬撃なので、自分の頭上に紙が降り注ぐこともない。

 そして、着地すると即座に子迂反へと突進する。

 

「おお、速い速い」

 

 しかし、刀を振るう直前で子迂反は脇へと回避していた。流石は下弦の弐、反射速度もそれなりにあると言ったところか。

 だが、避けたのを見て飛比路は一旦カナエと朱美の下へと戻る。そして再び朱美を抱きかかえて、準備を整える。カナエもそれを見て起き上がり、刀を構えて前へと踏み出す。

 

「行くぞ」

「はい」

 

 飛比路が促すと、カナエも頷く。

 しかし飛比路は、口ではそう言っても、朱美を庇っている以上はあまり前に出ることができない。なので当初の予定通り、下弦の弐との戦闘で主体とするのはカナエだ。もしも万が一の時は、飛比路が戦闘に参加する。

 

「良い良い。そう来なくては」

 

 子迂反が前に手をかざすと、紙で構成された虎を生み出す。それは即座にカナエへ飛び掛かるが、横に刀を薙いでそれを防ぐ。

 飛比路は、迫りくる紙の手裏剣を弾きながらカナエの様子を窺う。見る限りではカナエも苦戦している様子はない。飛比路と協力しているのもあるだろうが、動きはとても良い。腕や頬の傷が若干気になるものの、あの程度の怪我は十二鬼月の前ならささくれが剥けた程度でしかないだろう。

 

「はあっ!」

 

 カナエが刀を振るうと、子迂反は飛び退いて攻撃を躱す。カナエの様子を窺いながら、飛比路もまた刀を振って、紙の獣を斬りつつ子迂反の動きを牽制する。

 

「中々やるね。ただ、このままやられっ放しと言うわけにもいかない」

 

 斬り合いの中で、子迂反が左腕をカナエに向けて突き出すと、その周囲に折り紙が無数に現れる。

 何かを仕掛けてくる、と悟り朱美の安全のため一度距離を置いた直後、左腕の周囲の無数の紙がカナエ目掛けて放たれる。

 

「ぐっ・・・!」

 

 腕を交差して衝撃を和らげているが、かなりの衝撃が加わっただろう。カナエが苦しげな声を洩らしたのが聞こえる。

 その攻撃の隙を見て、飛比路は子迂反に斬りかかる。すると、右腕の周りにも折り紙が浮かび上がり、飛比路に襲い掛かってくる。

 それを飛比路は左に避け、後ろから回り込むように子迂反の頸を狙う。しかしながら、子迂反はさらに避けて斬撃を躱した。

 

◆ ◆

 

 紙の束に吹き飛ばされたカナエは、一回転して床に着地する。部屋の端まで追いやられてしまったが、大きな怪我はない。強いて言えば、強い衝撃を受けて鈍い痛みが腹の辺りにある程度だ。

 

「くぅ・・・」

 

 飛比路と子迂反の方を見る。今は、朱美を抱えたまま飛比路が斬り合っているところだ。飛比路に関しては、柱である以上簡単にやられはしないだろうが、彼に抱えられている朱美は別だ。もしも怪我をしたりしたら、心配していた未津子に顔向けができない。

 カナエは即座に、子迂反へと接近する。

 

―――花の呼吸・伍ノ型・・・

 

 呼吸を改めて整えて、技を構える。

 しかし、その直前で子迂反はカナエを見てにやりと笑い、右足を『ダン』と大きな足音を立てて踏みこむ。

 

―――血鬼術・波濤紙象(はとうししょう)

 

 すると、子迂反の周りの床から、波のように薄い紙の幕が出現する。飛比路とカナエは、一度下がって距離を取るが、その薄い紙の幕が無数の折り紙に分裂し、独りでに手裏剣や鶴、針の形に折られ飛比路とカナエに襲い掛かってきた。

 

(さっきよりも速い!)

 

 そして、一度この技を見たカナエには、先ほどよりも速度が上がっているのが分かる。飛比路は刀を振って全ての紙の手裏剣と鶴、針を躱しており、カナエも負けじと刀を振るう。しかし、ある程度はいなすことができても、全てを躱しきることはできず、太腿に紙の手裏剣が一つ刺さってしまう。

 

「つっ・・・」

 

 並大抵の鬼の攻撃なら通さない隊服も、十二鬼月の前では効果が薄いらしい。

 だが、カナエはその刺さった紙の手裏剣を放り捨てて、殺してしまった勢いを取り戻し、再び子迂反の下へと駆け出す。

 だが、子迂反は飛比路の攻撃を躱しながらもカナエに注意を払っているようで、左腕をカナエに向けると、先ほども喰らった紙の針が飛んでくる。それをカナエは、体勢を低くして当たらないようにし、さらに左右に避けながら突き進む。

 

―――花の呼吸・壱ノ型

 

 呼吸を整えて、飛比路に言われたように自分の腕に力が籠るのを意識して、刀を握る。

 すると飛比路が、カナエを一瞥すると、刀の振りを素早くした。カナエが攻撃できるよう、少しでも子迂反の注意を引き付けてくれているのだ。カナエに、頸を斬らせるために。

 その計らいに感謝しつつ、カナエは紙の針や折り鶴を避け、一気に距離を詰める。

 やがてカナエが十分に接近すると、飛比路が朱美を巻き込まないようにするために一度離脱する。

 子迂反が接近するカナエに目を向けると同時、カナエの準備も整った。

 

―――(みだ)(ざくら)

 

 その技は、花の呼吸の全ての基礎となる型。刀を横に薙ぎ、対象を斬る技。

 子迂反は頸に刃が当たる直前まで、余裕の笑みを崩さなかった。先ほどのカナエの斬撃で、自らの頸が斬れなかったからだろう。

 だが、同じ轍は踏まない。

 飛比路のお膳立てによって呼吸を整えられた今、力を籠めて刀を振り入れる。

 

「はぁ―――――――――――ッ!!」

 

 力を籠めるように、声を上げる。自分でも、ここまでの声を上げたことはないと思う。

 しかしそのおかげか、先ほどは切り込みすら入れられなかった刀が、一気に頸へと喰い込む。肉を切り裂く感触が刀から伝わり、子迂反の表情が笑みから驚愕へと変わる。

 

(・・・・・・)

 

 その表情に、僅かにカナエの胸が痛む。

 だが、刀に籠めた力は決して緩めず、日輪刀を振り切る。

 

「が・・・っ!?」

 

 そして、子迂反の頸が、ついに胴体から切り離された。

 跳んだ頸は重力に従い、床に落ちる。ゴロゴロと転がり、やがて崩れた紙の山に引っかかって動きを止める。

 

(悲しい生を強いられているあなたを、このような形でしか救えなくて・・・ごめんなさい)

 

 呆然とした表情を浮かべる子迂反の頸に、カナエは視線を向ける。

 例え辛い経験をしていたとしても、鬼である以上は頸を斬ることしかできず、ただ苦痛を与えることしかできない。それしか今は方法がないと分かっていても、申し訳ないと思ってしまう。

 すると、子迂反と視線が合った。

 

 

―――――――――

 

 

 どれだけ苦しくても、悲しくても、救いの手を差し伸べてくれる人間はそう多くない。救いを求めて手を伸ばしても、その手を握ってくれる人だって同じだ。

 それを分かっているから、私は憐れな子供たちに手を差し伸べていた。

 だが、どうして私は『それ』を分かっていたのだ?

 無惨様に救われたから?違う、それよりもっと前のことだ。

 鬼になってからは、何度も思い出そうとしても、ずっと靄がかかっていたように思い出せないままだった、私の人間の頃の記憶。けれど今は、はっきりと思い出せる。

 

 私の生まれた一族は、代々和紙を作る職人の一族だった。繊細な技術の要る綺麗な和紙を昔から作り続け、財を成してきた。貴族に献上されたこともあったと、祖父は度々鼻高々に話していた。

 代替わりした私の親は、最初は真面目に技術を受け継ぎ発揮していた。だが、祖父が亡くなった後は、理性の箍が外れたのか、積み重ねてきた財産を私腹を肥やすためにしか使わず、受け継いできた技術は二の次に、和紙を作ることも減っていった。高級な食品を買い漁り、屋敷を西洋風に建て替え、酒浸りになった。

 このままでは、身を亡ぼす。

 子供ながらに、私は自分が何とかしなければならないと思って、自分なりに技術を学ぼうとした。

 けれど、親が財産を喰いつくす方が早く、一族は破産。何代にも渡って積み上げてきた蓄えは一代でお釈迦になった挙句、家族は散り散りになった。

 私は天涯孤独となってしまったが、ろくでもない親のことは忘れて、どうにかしようと考えた。そして、一族の和紙を作る技術と、子供の頃から続けてきた折り紙の技術で、新しい働き口を探そうと決意した。

 だが、一族の名は和紙の名家として有名すぎた。そのせいで、私も悪い印象を押し付けられてしまい、結果どこにも拾われることは無かった。

 私は、財産を食い散らかしたりなどしていない。むしろ、どうにかしようとしていたのに。

 誰も私のことを、認めてくれない。

 私に救いの手を、差し伸べてはくれない。

 

「ならば、私が力を授けよう。誰の力も必要とせずに、生きられる力を」

 

 行き倒れになっていたところを、無惨様に助けてもらった。

 そのおかげで、私は今も生きている。無惨様こそ、私に手を差し伸べてくれた唯一の方だ。

 

「お前が成そうと思うことを成せば良い。そして、私の役に立つのだ」

 

 その言葉通りに、私は今まで生きてきた。

 誰も私に手を差し伸べないのであれば、私は私を貫き一人で生きていく。

 他に助けを求める人がいるのならば、他の誰も手を差し伸べないのならば、私が手を差し伸べる。

 私自身、誰にも手を差し伸べられなかった。

 だからこそ、救われたい者が救われない不条理を分かっていたのだ。

 

 

―――――――――

 

 

「・・・はは、は」

 

 転がる子迂反の頸が、乾いた笑みを浮かべた。

 カナエはゆっくりと、その頸へと近寄る。頸を斬ったからもう何もできないだろうし、そこまで注意する必要はない。それに、この子迂反からは、もう敵意や悪意は感じられなかった。

 

「いやいや、失礼。お嬢さんの目を見たら、思い出したんだ・・・」

「目?」

「憐れむような、可哀想なものを見るような目。私を不憫に思いつつも、結局手を差し伸べなかった人間たちと同じ目だったから」

 

 頸が離れた子迂反の胴体は、既に塵に変わりつつある。頸も、切り口から徐々に崩れ始めていた。

 

「子供の頃の私は孤独で、誰にも救われなかった。だからこそ、孤独な子供たちを救いたかった・・・。昔の自分を思い出して、何故私が子供たちを保護していたのか、本当の理由をようやく思い出した」

 

 子迂反は、孤独だった自分が無惨に救ってもらったから、感銘を受けてそうしてきたと言っていた。

 しかし本当は、子迂反自身が人間だった頃に救われなかったから、他の誰かに自分と同じ思いをさせないという意思があったのだ。それを、鬼の力によって記憶が薄れていたせいで、忘れていた。

 子迂反は本質的には、真っ当な心の持ち主だったのだろう。

 

「けれど私は、結局のところ鬼だ。子供たちを保護したところで、人を喰うのは生きるためには避けられない。あの鳥の面の彼が言っていた通りだ、最終的に子供を喰うのだから、私は善良ではない」

 

 飛比路は、少し離れた位置から子迂反の首を眺めている。まだ、朱美はこちらの方を見ていない。子迂反が消えつつあるのも見えないのだろう。

 

「人間だった時の記憶が薄れている間は何とも思わなかったが、今こうして、はっきりと人間だった時のことを思い出すと、鬼の自分が如何に愚かなことをしてきたかが分かる。罪の意識が、膨れ上がってくる」

 

 カナエは、子迂反の頸の前に膝をついた。静かに崩れていく子迂反は、ゆっくりと目を閉じる。

 

「私は結局、何を成すこともできなかった。誰も救うことなどできなかった。私の人生は、間違いだらけだった・・・」

「・・・あなたが鬼としてしてきたことは、許されることではありません」

 

 消えつつある子迂反の頸に、カナエは努めて優しく語りかける。

 子迂反は変わらず、目を閉じたままだ。カナエの言葉が聞こえているかも疑わしい。

 

「けれど・・・あなたが誰かを救いたいと思っていたこと。自分と同じ思いを他人にさせないと思っていたこと。それは正しかったと、私は思いますよ」

 

 告げると、子迂反はハッとしたように目を見開き、カナエを見上げる。

 そして、今までのような挑発的だったり、愉悦に浸るような笑みではない、穏やかな笑みを浮かべた。

 

「・・・そう言ってくれて、嬉しいよ。私も少し、報われた気持ちになる」

 

 カナエに焦点を合わせたまま、子迂反は目を細める。頸の大半が崩れても、その表情を保ったまま。

 

「ありがとう、ありがとう・・・」

 

 そう言って、子迂反の頸は完全に崩れ去った。

 その直後、紙が崩れるような大きな音が壁際から聞こえてくる。見れば、大量の紙が壁際で山を作っており、壁だった場所には窓掛けの掛けられた窓があった。恐らく鬼の力で日光が入る窓を紙の壁で塞いでいたが、子迂反が消滅したことで効力も喪われたのだろう。

 カナエは立ち上がり、子迂反の胴体の方を振り向く。そちらもまた既に塵芥となってしまっていた。

 

「胡蝶」

「・・・分かっています」

 

 飛比路がもの言いたげに話しかけてくる。だが、何を言おうとしているのかはカナエには分かり切っていた。

 

「・・・私の姿勢は、鬼殺隊でも間違っているでしょう。人を喰ってきた鬼に情けを掛けるなど。けれど私は、どう言われても、鬼に対する優しさを失いたくはありません」

「・・・・・・」

「鬼は、辛く悲しい生き物です。誰からも憎まれる存在ですが、私はその鬼に対してこの気持ちを持ち続ける。元々は、私たちと同じ人間だったのですから」

 

 振り向いたカナエは、飛比路のことをじっと見る。やはり、鳥の面に隠された顔はどんな表情をしているのかは見えない。

 やがて飛比路は、『ふん』と鼻息を吐いて、肩を竦める。

 

「・・・奴は消えた。恐らくこの屋敷からも出られるだろう」

 

 そう言って、飛比路は朱美を下ろして部屋の扉へと向かう。

 カナエの言い分や姿勢を責めはしなかった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 陽が昇りだす頃合いで、隠が屋敷へと駆け付けてきた。後始末の彼らの目的は、例の棺に納まっていた死者の埋葬。後で飛比路も確認したが、やはりあの棺の中に生存者はいなかった。つまり、子迂反に連れ去られて無事だったのは、朱美だけだったのだ。

 

「・・・朱美」

 

 飛比路とカナエが、朱美の手を引いて屋敷から出ると、そこには隠が連れてきた未津子がいた。一睡もできなかったのか、目の下の隈は濃くなっている。やつれたような表情だが、瞳は潤んでいる。

 

「・・・・・・」

 

 だが朱美は、一歩を踏み出そうとしない。家を飛び出す前に喧嘩をしたことが、まだ忘れられないのだ。

 そんな朱美の背中を、飛比路は軽く叩く。面を外した顔で、『大丈夫』と言葉にせず表情で伝える。

 続いて、朱美はカナエの顔を見上げる。カナエもまた、微笑んで見せた。怯える必要はない、迷わなくて大丈夫、と。

 やがて決心がついたのか、朱美は飛比路とカナエから手を離して、未津子の下へと歩み寄る。

 

「お母さん・・・あの・・・」

「・・・全く、もう」

 

 朱美が未津子を見上げる。

 すると美津子は、眦から涙をつうっと流して、朱美を抱き締めた。

 

「本当、心配したんだから・・・!」

「・・・お母、さん」

「無事でよかった・・・本当に、よかった・・・!」

 

 感極まったように、湿った声を洩らす未津子。

 その言葉と行動に感化されたか、朱美も肩を震わせて、ついには泣き出した。

 

「ごめんなさい・・・っ!ごめんなさい、お母さん・・・!」

「いいんだよ・・・私こそ、怒ったりしてごめんね・・・ぇ」

 

 ようやっと再会し、仲直りもできた。

 その親子を見て、周りにいた隠も穏やかな目を浮かべる。鬼と戦わない彼らだって、鬼のせいで悲しみを背負う市井の人々を見ると心が痛むし、こうして無事に再会できた人たちを見ると嬉しく思うのだ。

 そして、全ての事情を知っていたカナエも、二人の様子を見て笑みを浮かべる。

 しかし、飛比路だけが遠い目を浮かべてその光景を眺めていたのが、カナエは気になった。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「丁度いい機会、だ。全集中の常中を使って、止血する」

「止血ですか・・・」

 

 飛比路に言われて、カナエは苦い表情になる。止血は鬼殺隊でも損はない技術だが、今までそこまでの傷を負ったことがないせいで、実践はしなかった。今回の子迂反との戦いでそのような事態になってしまったのを、丁度いいとは思いにくい。

 

「腿に傷を負っているだろう」

「はい・・・紙の手裏剣が深く刺さって・・・」

 

 腿の他にも切り傷が顔や腕などに多数あるのだが、一番深い傷はそれだ。痛みが蔓延しているかのように感じて、歩くことすらままならない。

 

「いいか。意識をその腿の怪我に集中させろ」

「はい・・・」

 

 飛比路に言われ、カナエは一度目を閉じ、自分の怪我をしている腿に意識を向ける。

 意識を向ければ向けるほど、痛みが強まってきた。

 

「集中しろ」

 

 だが、痛みに気を取られているのを察知したのか、飛比路が釘を刺してくる。

 カナエはぎゅっと目を閉じて、唇を引き締め、より強く傷の部分に集中した。

 

「傷ついた血管、裂かれた肉がある。そこに集中するんだ」

「・・・はい」

「全集中の呼吸で身体の隅々まで酸素を行き渡らせろ」

 

 締めていた唇を緩めて、呼吸をする。焦らずにゆっくりと、身体に酸素を取り入れていく。

 

「傷ついた部位を酸素で覆うように、意識する」

 

 呼吸を繰り返し、身体の中が酸素で満たされていく。

 そして、先ほど意識した傷ついた身体の部分を、言われた通り酸素を被せるように意識する。

 

「意識を引き絞れ。止血させろ」

 

 ぎゅっと、カナエは手を握り、目を瞑り、口を噤んで意識する。身体の内側で、筋肉が収縮するかのような感覚までしてくる。

 すると、傷口から血が流れ出る感覚は、薄れてきた。

 

「止血できた、な」

「・・・多分」

「全集中・常中を使いこなせれば、そうした刺し傷なんかも止血できる。限度はあるが、な」

 

 カナエは全身を弛緩させる。止血に集中して、身体全体が緊張しているかのように強張っていた。

 続けて、練習も兼ねて他の傷口も止血を試みる。と言っても、太腿の傷が特別深かっただけで、他はそこまででもなかったから、ほとんどが自然に止血されてしまっていた。

 

「あの・・・ところで天城さん。止血できましたし、もう自分で歩けますけど・・・」

 

 そして今、カナエは飛比路に背負われている。脚の深い怪我を心配してのことだろうが、誰かに背負われるとなど久しく経験していなかったし、ましてや相手は男の飛比路だ。恥ずかしさというのを、どうしても感じてしまう。

 しかし、飛比路は『やめておけ』と却下する。

 

「あまり動くと、せっかく塞いだ傷口が開く。今は大人しくしておけ」

「・・・はい」

 

 全集中・常中を使っての止血も、万能ではないらしい。それ以前に、正しい処置をしたとしても、あまり動くと傷口は開きやすいものだ。それにカナエとしても、本当は脚の痛みで歩くのが少し辛そうだと思ったので、ここは大人しく厚意に甘えておくことにしようと思う。

 しかし、何も話をしないまま背負われるというのは、また別の意味で気まずい。何か話題の種を、と考えたところで辿り着いたのは、先ほど感動の再会を果たした親子のことだ。

 

「朱美ちゃん、無事にお母さんと会えてよかったですね」

「・・・そうだな」

 

 だが、その言葉を聞いた飛比路の声が少し下がる。思えば、先ほど朱美と未津子が再開した時も、隠やカナエが微笑ましく見ていたのに対し、飛比路は遠い目を浮かべていた。

 

「・・・天城さんも、安心しましたか?」

「ああ、安心した。だが、同時に羨ましいと思った」

「それは・・・ああした家族が、ですか?」

「・・・あの二人のように、会いたいと切実に願うほどの家族がいて、実際に会えば涙を流して喜び合う家族がいることが、な」

 

 飛比路の境遇を考えれば、家族の心配をするということ自体馴染みのないもののはずだ。鬼殺隊として戦う中で、『家族』という枠組みに触れる機会はあっただろうし、表面上は理解できても、実感が湧かないのだ。

 

「家族や愛情・・・そういうものは未だに理解できん。どうすれば理解できるものかも、分からんが」

 

 その独り言にも聞こえる言葉に対し、カナエは何とも声を掛けることはできない。

 自分は、飛比路にとっては実感ができない家族や愛情というものを、ずっと身近に感じてきた。今は失くしたが、一度それらを享受・理解しているからこそ、何も知らない飛比路に対して何かを教えることができない。教えることが、逆に飛比路を孤独にさせてしまいそうだった。

 

「それはさておき、十二鬼月との戦いは、どうだった」

 

 強引に飛比路が話題を変える。先の言葉に応えられなかったカナエとしても、少しばかり気持ちが軽くなる。けれど質問には真摯に答えた。

 

「正直・・・今までとは全く違いました。戦い方も、思想も」

「思想?」

「鬼の強さは、確かにこれまでのどの鬼よりも強くて、ここまでの怪我を負ったのは初めてでした」

 

 紙を自在に操る血鬼術には苦戦させられた。手裏剣や針はともかく、独立した生物を作り出し、さらに屋敷の構造まで変えた。カナエ一人では、朱美を守りきれず、自分も無事で済まなかっただろう。ともすれば、本当に死んでいたかもしれない。

 

「そして、あの子迂反という鬼のように、人を喰う以外の何かを目的として人を攫っているのも初めてでした」

「まぁ、あの鬼が特異なだけで、他の十二鬼月が同じというわけではない、が・・・」

 

 飛比路が、背負うカナエをわずかに揺らし、体勢を立て直しながら歩き続ける。

 

「どんな理由であれ、お前は鬼に情けをかける、か」

 

 確認するように、飛比路はカナエを振り向く。

 背負われながら、カナエはその飛比路の目を見つめ返す。

 

「はい。それは、変わりません」

「・・・たとえ自分が死ぬことになっても、か?」

 

 飛比路は問い掛けてくる。

 直前まで自分を殺すつもりでいた子迂反の消える間際に、言葉を掛けるのを飛比路は見ていたはずだ。だとすれば、カナエの姿勢が確固たるものであることは伝わっただろうし、その姿勢を失わないまま戦い続けるのを、飛比路は今ここで確かめようとしている。

 面の奥にある瞳が、カナエを射抜くかのようだった。

 

「私自身が選んだことですから、悔いはしません」

 

 それでも、カナエの信念は揺るがない。

 自分自身で選んだ道だから、そのせいで自らが命の危機に晒されても、誰かを憎むことも恨むこともない。後悔が先に立つことはないが、そうなってはならないとカナエは自らに課している。

 そしてその重荷を、誰かに背負わせたりはしない。

 

「・・・そうか」

 

 そして飛比路は、納得したのか前を向く。

 

「・・・今回のことは、お館様に仔細を報告させてもらう」

「はい」

「柱になる素質はある、ともな」

 

 背負いながらの言葉に、カナエは目を見開く。

 戦いの間は、自分が柱になれるかもしれないなど、考えていなかった。素質を見極めると事前に飛比路から言われていたことも、忘れてしまっていた。

 

「戦い方も申し分ない。全集中の常中も、ある程度は会得している。今後の頑張り次第で柱にはなれるだろう。が、気を抜くなよ」

「・・・はい」

 

 完全に頭から抜け落ちていたからこそ、後になってそれを言われると実感が湧いてくる。それは自分の力が認められたからだと分かっていた。

 だが、飛比路から言われたという事実が、どういうわけかとても嬉しかった。

 

「しかしまぁ、『階級丁・胡蝶カナエ』は些か迫力に欠けたが、な」

「な・・・っ」

 

 けれど、続く飛比路の皮肉に、カナエの喜びもガクンと落ちる。

 子迂反のと戦いが始まる前、飛比路が名乗った直後にカナエもまた同じように名乗った。最初に鉄皮山で会った時のことも覚えていたから、気合いを入れるために便乗させてもらったのだ。

 なので、自分を鼓舞するためのあれに関しては、カナエも黙ってはいられない。

 

「十二鬼月と戦うのに気合いを入れるためですよ!いいじゃないですか!」

「それにしたって、せめて(きのえ)(きのと)ぐらいは欲しかった。丁は微妙すぎる」

「階級はどうしようもないじゃないですか!」

「なら、この先もっと鬼を斃して階級を上げればいいだろう」

 

 背負われながら、ぷんすか怒るカナエに対し、飄々とした態度でそれを受け流す飛比路。相手が自分の師匠筋、と言うのも今は忘れていた。

 そして、『階級を上げればいい』という言葉に、カナエもムッとする。

 

「分かりました。では、いつか柱になった時に、あなたと並んで堂々と名乗れるようにします」

 

 意気込んで伝えると、背負っている飛比路の雰囲気がほんの少し柔らかくなったような気がした。

 

「・・・ならば精進することだな、()()()

 

 そして、飛比路が初めて自分を名前で呼んでくれた。

 その事実に気付くのに一拍遅れてしまう。しかし、飛比路もそこには触れないつもりなのか、前を向いて黙って歩き続けている。

 

「・・・はい、頑張ります」

 

 しかしカナエも、それについては言及することなく、ほんの少しだけ飛比路に身体を預けることにする。

 今までは、カナエやしのぶと一定の距離を保っていた飛比路が、親しげに名前で呼んでくれたこと。それは飛比路が、カナエとの距離を少しだけ縮めたいという気持ちの表れなのかもしれない。

 先ほど忘れかけていた、飛比路の言葉に対する嬉しさをまた思い出し、胸が温かくなった。




【設定こぼれ話】

下弦の弐・子迂反の名前の由来は、和紙の素材となる植物『楮』から。
無惨は、子迂反が子供を攫って保護することについて、最終的に全員喰って力をつけているのもあり不問としていました。
また、煉獄外伝に出てきた下弦の弐・佩狼は、この物語の時点では下弦の参と肆の間ぐらいでした。
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