はぐれ鳥と遅咲の花   作:プロッター

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第6話:大きな過ち

 カナエとしのぶが飛比路の下を訪れてから七か月が過ぎた。

 当初、全集中・常中の術を教わるために来た二人だったが、今はここを拠点として任務に赴くようになった。そして、任務の合間に鍛錬を重ね、個々の力を付けている。

 鬼殺隊で通常の隊士のほとんどは、任務の合間に藤の家紋の家に寄って身体を休め、また別の任務に発つ。野営をする隊士も少数いるが、持ち家がある隊士は柱以外でそういない。

 女のカナエとしのぶが、男の飛比路の屋敷に厄介になっているのは、倫理的に考えると問題があるのかもしれない。しかしながら、当人たちは妙な気を起こすつもりなどないし、鬼殺隊でも特にそれに関する規則などはなかった。それ以前に、外聞などを気にするより、鬼との戦いで死なないように力をつけることの方が大切だ。

 

「さぁ、かかってこい」

「では、遠慮なく」

 

 そんな折、飛比路とカナエは道場で木刀を構え対峙する。

 飛比路が手で招くと、カナエは即座に接近し攻撃を仕掛けた。

 

―――花の呼吸・伍ノ型

―――徒の芍薬

 

 カナエが位置を取ったのは、飛比路の右横。即座には反応しにくい位置だが、飛比路に動きを見切られてしまい、逆に木刀を打ち込まれそうになる。

 しかしながら、それよりも早く斬撃を仕掛け、攻撃の暇を与えないようにした。

 

「動きが速くなった、な」

 

 攻撃を受けつつも、飛比路は冷静にカナエの動きを分析している。

 これでもカナエは、割と本気で攻撃を仕掛けているつもりだ。『徒の芍薬』で九連撃を仕掛けているが、一歩及ばない。それでも飛比路の言う通り、これまでと比べて刀を振る力が強くなり、速さも増していると自分で思う。

 しかし、カナエが強くなったからと言って、飛比路が弱くなったわけでもない。

 

「ふ・・・っ」

 

 飛比路が木刀を振ると、カナエは弾かれて一度距離を取らざるを得なくなる。全く持って、自分よりも細いあの腕でどうやってこれほどの力を出しているのか。カナエは驚かされる。

 

「目の前の敵に、集中しろ」

 

 姿勢を整えようとすると、先の自分と同じように真横に飛比路が立っていた。そして自分の身体を木刀で薙ごうとする。それをカナエは、寸でのところで体を屈めてやり過ごし、さらに床に手をついて飛比路の腹部に蹴りを決める。

 

「やるな」

 

 腹に受けた衝撃を後ろに流そうと、飛比路もまた退く。あまり痛みを感じていないのか、苦しそうな顔ではない。

 しかして、カナエは再び距離を取ったのを見逃さず、今度は正面から木刀を手に突っ込む。

 

―――鳥の呼吸・参ノ型

―――白鷺

 

 飛比路は全集中の呼吸を用いて迎撃してきた。以前、しのぶとの手合わせで見せた技だ。

 それが分かっていても、カナエは勢いを殺しきれず、一先ずは防御して自分への衝撃を最小限に収めようとする。飛比路が振った木刀の衝撃をわずかに腕に感じ、後ろへと飛び退いた。

 だが、着地した時点でカナエは少し後悔する。

 

―――鳥の呼吸・肆ノ型

 

 その間にも、飛比路は攻撃の準備を整えてしまっているのだ。このわずかな間にも飛比路は構えられるのだから、もう少し後のことを考えておけばよかった。

 

―――鶺鴒

 

 実際、カナエの予想は当たった。

 距離を取ったカナエに、飛比路は連続の突き技をお見舞いしてくる。あくまで鍛錬なので力加減をしてくれているのは分かっているが、それでも十分身体に響くし、鈍い痛みも長引く。

 しかしながら、カナエはそれを喰らっても、床に背や膝をつけることが少なくなった。それもまた、全集中・常中をものにして、基礎体力が向上しつつあるからだろう。自分の体力が増しているのを、カナエ自身も実感しており嬉しさが強い。

 

「耐えた、か」

「まだまだです」

 

 飛比路もまた、それを理解しているらしく、高揚しているかのような表情だ。

 月日が流れて感じた変化だが、飛比路がカナエたちの前で面を外す機会もそれなりに増えたと思う。今までは、食事を一緒に摂る時以外では素顔を晒すことはほとんどなかったが、最近だと屋敷にいる時は大体面を外している。心境の変化があったの明らかだが、来たばかりの時とは違い打ち解けられた感じがして、カナエとしては嬉しい。

 ただ、そんな嬉しさも今は後回しだ。鍛錬とはいえ相手は柱、全集中・常中を会得しても気を抜けば負ける。目の前で戦う相手に、今一度集中した。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

「お願いだから、普通に寝かせてくれないかしら・・・」

 

 変化があったのは、しのぶもだ。と言っても、こちらは良い意味と悪い意味の両方でだが。

 朝食の席で、しのぶは妙に疲れた様子で飛比路に話しかけている。任務明けでもないのに、元気がなさそうだ。その理由は、カナエも飛比路も理解している。

 

「眠りに就く前に、全集中の呼吸を意識していないから、だ」

「そんなこと言われたって、簡単にできるわけないじゃない。安眠妨害もいいところよ・・・」

 

 しのぶは今、全集中・常中の修行の一環として、眠っている間も全集中の呼吸が続けられるようにしているところだ。

 その方法は、飛比路が飼っている梟を布団の上に載せて眠り、全集中の呼吸が止まったら嘴で突かれるというものだった。しのぶが不眠症気味なのは、中々全集中の呼吸を続けられずに突かれて、寝付けないからだろう。ちなみに、この修行をしている間、しのぶとカナエの寝室は分けられている。部屋は余っているので困りはしない。

 

「しのぶは低血圧で眠りが深いから、全集中の呼吸を続けるのが難しいのよね」

 

 カナエはしのぶを労わるように言って、ほうれん草のお浸しを食べる。

 

「姉さんはどうやって寝てる間も続けられたの?」

「う~ん・・・どうやってと言うか、普通の呼吸が全集中の呼吸になるように、身体に覚えさせる感じかなぁ。それを寝てる間も続けるって感じで・・・」

「えぇ・・・」

 

 カナエの方法に、しのぶは一段とげんなりして味噌汁を飲む。

 と言っても、そのやり方は事前に飛比路から教わったものだ。日中に全集中・常中の呼吸の方法を身体に覚えさせて、寝てる間もそれを持続させる。無意識下で全集中の呼吸を続けられるようにするのだ。

 

「任務に支障が出るようであれば普通に休んでも構わん、と最初に言ったはずだが」

 

 疲れた様子のしのぶに対し、煮物を食べた飛比路が話しかける。しのぶの体質に関しては飛比路も把握しており、その上で修業を組んでいた。なので、飛比路はしのぶに無理強いもしない。

 だが、しのぶは首を横に振る。

 

「分かってるわよ、それぐらい。けど、姉さんはどんどん強くなってるのに、私は遅れてるような気がして・・・」

 

 カナエが下弦の弐と戦ったと話した時、しのぶは心底驚いたという。しのぶも十二鬼月の存在とその強さは耳にしていたから、知らない間に死ぬかもしれない戦いをしていたことが驚きだったそうだ。また、顔や腕、脚などの怪我について『嫁入り前の綺麗な身体なのに!』と若干ズレたことも言っていた。

 だが、それからカナエは戦果を着実に伸ばしつつあり、階級は現在乙にまで上がっている。あともう少しで柱の次に高い階級甲となるので、実力はそれこそ鬼殺隊屈指となりうる。

 一方、しのぶの階級は未だに丁。カナエと比べて力が弱く、普通の隊士のような戦いができないのはしのぶも分かっているだろうが、釈然としないらしい。

 

(それにしても、しのぶも天城さんにかなり心を開いたみたいね)

 

 以前までなら、飛比路の前でしのぶは弱音交じりの本音をこぼすことなどなかった。それは、ある程度飛比路のことを信頼するようになったからでもあるだろう。修行の内容に関して不満をこぼすことはあるが、そのあたりの間柄は変わらない。

 

「焦らず自分に合った速さで会得するといい。俺は、呑み込みが遅い程度で突き放したりは、しない」

 

 そんなしのぶに対しても、飛比路は最初の時のように厳しくはしなくなっている。これまでの間に、飛比路も辛い過去を経験していても、根は真面目なのをカナエは分かっている。このような場でも、飛比路がしのぶやカナエに気を許しているのだと窺えた。

 最初はやや仲の悪そうだったしのぶと飛比路が、今はこうして打ち解けているのを見ると、カナエとしても微笑ましい。そんな二人を眺めつつ、カナエは味噌汁を啜った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 暗闇の中、空を割く音がカナエの耳に滑り込んでくる。その音を感知すると同時、地面を蹴って跳び上がると、鎌のように変形した骨が腕から突き出ている鬼が、突っ込んできた。

 その鬼は獣のように唸りながら、宙に舞うカナエの姿を睨みつける。

 そんな鬼に対して心を痛めながらも、カナエは日輪刀を握り、呼吸を整える。

 

―――花の呼吸・参ノ型

―――空桔梗

 

 刀を抜き、勢いよく上から叩き斬る。

 骨が隆起し、鬼の体質も相まって硬いであろう腕は、まるで豆腐のようにあっさりと斬り落とせた。

 直後、鬼が苦痛に塗れた叫び声を上げる。びりびりと空気が震えるのを、全身で感じる。

 そして、着地したカナエ目掛けて突進してきた。左手の鋭く尖った爪を前に突き出し、串刺しにしようとしている。けれど、その動きはやや直線的だ。

 

「・・・っ」

 

 迫る鬼が自らの間合いに入ると、カナエは横へと素早く避けて爪を避け、力強く地面を踏み込む。

 掠り傷もない。反応速度も以前と段違いだ。

 

―――花の呼吸・壱ノ型

―――乱れ桜

 

 そして、日輪刀に力を籠めて、鬼の頸目掛けて刃を振るう。

 桜色の刀は、鬼の頸にすっと入り込み、秒にも満たず両断する。肉を切る感触は、カナエにはほとんど伝わってこなかった。

 

「・・・・・・」

 

 頸が無くなった胴体は、力が抜けたように地面に倒れ伏す。

 地面に転がった頸は、ぎょろぎょろと目玉を動かしてどうにか状況を把握しようとするが、すぐに塵になってしまい胴体諸共崩れ去った。

 静寂が満ちると、カナエは日輪刀を鞘に納める。

 

(どうか、安らかにお眠りください)

 

 消え去った鬼を思いながら、心の中で祈る。

 十二鬼月と戦ったことで、それ以外の鬼と戦う際は心身ともに大分余裕ができるようになった。一度強敵と戦ったことで、その際の反省点を洗い出す機会ができ、それを生かして戦いをより最適化できている。結果、これまでよりも鬼との戦闘が肉体的には苦でなくなったように思う。

 しかして、戦い方が変わっても鬼に対するカナエの姿勢は変わらない。飛比路に言った通り、例えこの想いが原因で足元を掬われ命を落とそうとも、全て自分で決めたことだ。鬼に対する『救いたい』という気持ちは、どうあっても失いたくない。

 

(・・・隠の方が来るまで、まだ時間はかかるかしら・・・)

 

 山間から太陽はまだ見えないが、空はほのかに明るい。

 鎹鴉の指令を受けて、鬼が原因と思しき失踪事件が増える林に来たが、思いのほか調査と討伐は早く終わったので、隠が来る夜明けまでまだ少し時間がある。鎹鴉から追加の指令も受けていないので、少々休憩することにする。

 しかしその時、近くから何かの鳴き声が聞こえた。

 

「あら・・・」

 

 その音の出所は、鬼が潜んでいた茂みの近く。

 恐る恐る、カナエがそこを覗き込むと、鳥の巣が落ちていた。それも、その近くには成鳥と思しき雀の死骸が落ちていて、聞こえていた鳴き声は巣の中にいた雀の雛だった。

 

(可哀想に・・・)

 

 先の戦闘で巻き込まれたのだろうか。胸が痛くなるカナエ。

 そのまま見て見ぬ振りもできず、成鳥を埋葬することに決める。幸いにも、周囲は柔らかい土ばかりなので、雀が収まる程度の穴を素手でも掘ることができた。

 穴に雀の亡骸を丁寧に横たえ、上から土を被せて手を合わせる。この雀も、鬼との戦いに巻き込まれなければもっと長生きできたかもしれない。鬼殺隊と鬼との戦いで落とされる命は、何も人間だけではないのだと思い知らされた。

 

「・・・この子はどうしようかしら」

 

 祈りを捧げ終えて、次にカナエが目を向けたのは、巣の中でカナエに向かって鳴く雀の雛だ。このまま放っておくと、すぐに飢えて死んでしまうだろう。そうなれば、また尊い命が喪われてしまう。

 だが、ここで保護したとしても、カナエは鳥の育て方など分からない。

 

(そうだ、天城さんだ)

 

 そこで思い出したのが、自分が今世話になっている柱の飛比路だった。『鳥』柱と名乗るほどだし、梟まで飼っている。だとすれば、保護した鳥や雛の育て方も分かるかもしれない。

 それに気付くと、カナエは手拭いを取り出して雛鳥を優しく包み込み、抱きかかえる。

 すると、山間から陽が昇りだし、隠がようやく到着した。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 カナエが屋敷に戻ると、飛比路は自室で寝落ちしていた。

 座卓に書類を並べており、片手に何かの本を握ったまま、机に突っ伏している。定期的に飛比路の背中が律動しているので、眠っているのだ。

 

(・・・最近任務が多いみたいだし、疲れているのかしらね)

 

 柱は多忙だと、飛比路は度々話している。

 全集中・常中の修業をしている際も、飛比路は修業の方法をカナエとしのぶに教えるだけで、自分は任務に出ることが多かった。つきっきりで修業を見ていたことなどほとんどない。

 今は柱の数も足りていないと聞くので、恐らく一人当たりの負担が多いのだろう。柱が如何に普通の隊士よりも打たれ強いとはいえ、限度と言うものはあるらしい。

 

(この子は何で頭の上に載ってるのかしら・・・?)

 

 そしてカナエが気になるのは、その飛比路の頭の上に佇んでいる梟だ。

 飛比路から聞いた話では、全体的に茶色い羽根と黒っぽい翼を持つこのメスの梟はオオコノハズクという種類らしく、飛比路は『望月(もちづき)』と名付けている。

 さらにもう一羽、窓際の止まり木にコノハズクが留まっている。望月よりも翼の色が薄い、同じオオコノハズクの名前は『新月(しんげつ)』。こちらはオスで、カナエのことをじっと見つめている。

 望月は、眠っている飛比路の頭の上で、微動だにしない。その状態で、カナエとその腕に抱えられている雀の雛を新月同様じっと見つめているが、大きな目で見つめられるとどうも委縮してしまう。同時に、この状況でも眠り続けている飛比路が少し可笑しく見えた。

 

「・・・・・・」

 

 カナエは、飛比路に視線を移す。

 柱としての責務や、そして飛比路自身の過去など、背負うものはあまりにも多い。そんな飛比路を気遣いたいと思い、傍に畳んであった外套を飛比路へと静かに掛ける。

 しかし、掛け終えたところで飛比路が顔を上げた。

 

「あ、起こしてしまいましたか・・・?すみません」

「・・・いや、いい。そこまで深い眠りじゃなかった」

 

 カナエの謝罪を手で制する飛比路。起き上がっても、顔を軽く振っても、頭の上の望月はそのままだ。

 そして飛比路は、カナエの腕の中にいる雀の雛を見て、『それは?』と目で問うてきた。カナエは素直に、戦闘に巻き込まれたようだったので拾ったと、経緯を説明する。

 

「俺が『鳥』柱で、梟も飼っているから、と。流石にそれは、安直すぎやしないか」

 

 だが、飛比路は困惑した様子だ。どうも、カナエの読みは外れてしまったらしい。

 

「天城さんでは分からないですか・・・」

「雛鳥を保護したことは、ない。ウチの望月と新月も野良だったが、自然と懐いてきた結果成り行きで飼っているし、な」

 

 言いながら、飛比路は頭上の望月の羽を撫でる。望月は全く意にも介さない様子で、カナエは一周回って面白く見えてきた。

 カナエを横目に、飛比路は立ち上がると棚から本を数冊取り出す。野鳥の本と思しき表題だった。

 

「そもそも何を食べさせればいいのか、どう育てればいいのかも分からん」

「それは私の方で調べます。私が拾ったんですし・・・」

 

 もちろん、世話は自分でするつもりだ。飛比路やしのぶに手を貸してもらうことこそあるかもしれないが、任せきりにするつもりはない。飛比路はそれを聞くと、持っていた本をカナエに渡した。

 

「なら、野鳥のことは基本これに載っている、参考にするといい」

「ありがとうございますね」

 

 本を受け取るカナエ。

 そこでふと、気付く。

 

「・・・戻してこい、とは言わないんですね」

「まぁ、その大きさの雛を捨ておくと、いずれは野垂れ死ぬ。ならば、拾って飼った方がまだ建設的、だ」

 

 雛鳥をカナエが拾ったことに対し、飛比路は責めたりせず、戻して来いとも言わなかった。それは飛比路としても、幼い雛鳥を放置することに後ろめたさを感じているのかもしれない。

 あるいは、自らの境遇に重ねたのだろうか。

 

「その雛鳥、拾った以上は簡単に死なすなよ」

「ええ。もちろんです」

「悪いが、少し読み物に集中したい。世話をするなら自分の部屋で、な」

「分かりました」

 

 カナエは一礼して、飛比路の部屋を後にする。

 そして、腕の中の雀の雛に視線を落とす。

 

「・・・さて、あなたはどんなご飯が食べられるのかしら?やっぱり木の実かしら、それとも野菜かしら・・・?」

 

 分からないことだらけだが、この雛鳥はちゃんと育ててあげようと、カナエは思った。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 数日後、飛比路は任務に赴いていた。

 今回の飛比路の任務は、鬼の調査。発生している現象は人の失踪で、鬼によるものの可能性が高い。だが、今回の任務地は山岳地帯で、鬼の捜索には時間が掛かる。

 鬼の存在を確認するまでは、ひたすら粘らなければならない。場合によっては、一週間以上はその場に留まる必要もある。だが、四日後には柱合会議があるので、それまでに見つからなければ一度帰って会議に参加し、その後再びここへ戻る。長丁場となるのは飛比路も避けたいものだ。

 

「いただきます」

 

 最初の夜を迎え、飛比路は持参したおにぎりを食べる。程よい塩加減と、梅干しの刺激が相まってとても美味しい。

 これを作り持たせてくれたのは、カナエだ。任務や修行の際に食べられるよう、朝の内に多めにおにぎりを握ることが多く、それを飛比路やしのぶに持たせることもある。飛比路も自分で作ったことが何度もあるが、ここまで美味しくできたことはない。

 また、しのぶもああ見えて結構料理が上手だと最近になって分かっている。本当、親を鬼に殺されたりなどせず、鬼殺の道を歩まなければ、あの二人も良い嫁となれただろうに。今からでも遅くはないのかもしれないが、それは飛比路が口を挟むことではない。

 そんなことを考えながら、飛比路はおにぎりを食べ進める。

 

「・・・ご馳走様」

 

 いつ敵襲があるかも分からないので、食事に時間は掛けられない。ゆっくりと味わいたかったがそうもいかず、おにぎりを口に放り込んで手を合わせる。

 それにしても、ここ最近では自分の屋敷にカナエとしのぶを住まわせていることに全く違和感を抱かなくなった。最初の内は、修業をつけるという理由があってもかなり抵抗感があり、必要以上に接することも憚られたが、今はいるのが当たり前で、何も言葉を交わさなければ逆に気まずささえ感じてしまう始末だ。

 

(・・・それが、家族というものだろうか)

 

 考える。

 ろくな家族の下に生まれなかった飛比路は、まともな家族とはどういうものか、未だに分かりかねている。穏やかだっただろうカナエとしのぶの家族や、下弦の弐との戦いで出会った親子など、それらしい関係は今まで見てきたが、まだ分からないことが多い。

 その中で、半年を超えてカナエやしのぶとの生活が続くうちに、次第に『こういうものではないか』と思うようになってきた。血のつながりが無くても、あの二人と過ごす時間はとても心地よく、『本物』を知らなくてもそんな感じがしてくる。

 カナエとしのぶに対しての思い入れも深くなっていた。『柱の自分が鍛える以上、強く育てなければならない』という使命感の他に、『大切にしたい』とある種願いのような気持ちも抱いている。

 こんなことは初めてだ。この気持ちの根本にある感情が何なのかはまだ掴めないが、その気持ちを抱くこと自体、特に悪い気も起きない。

 これが俗に言う、『愛情』というものだろうか。

 未だ自分が抱いたことのない、その感情だろうか。

 

(・・・それよりも今は、任務だ)

 

 立ち上がって、居住まいを整え駆け出す。どれだけ考えても答えの出ないことに悩むより、今は目の前の任務が最優先だ。

 ただ、今の自分に『愛情』が芽生えつつあるのだとすれば、それはとても喜ばしいことだと思う。

 

 

□ □ □ □ □

 

 

 飛比路が任務を終えられたのは、出発から四日後の未明だった。

 

「疲れた・・・」

 

 粘った末、鬼の討伐は無事に終わったが、何分肝の小さい鬼だったため、尻尾を掴むのに大分手こずった。そのせいで、夜間が主体の調査が長丁場となり、疲れた上に寝不足気味である。

 今は湯浴みをした後で半日ほど眠りたい気分が、今日は柱合会議の日だ。仕方ないので、湯浴みと仮眠でどうにかするしかない。疲れている時は湯浴みをするのが飛比路の主義だ。

 

(あとは、これか)

 

 屋敷に向かう飛比路は、小さな袋を携えている。それは、カナエが拾った雀の雛に与える餌となるだろう野草や木の実だ。任務の合間に見つけたものを拾っただけなので、これを食べる確証はないが、ないよりはマシだ。これは、後でカナエに渡せばいい。

 やがて屋敷へ辿り着き、面を外したところで欠伸が漏れる。屋敷の二階を見るが、明かりのついた部屋はない。カナエもしのぶも休んでいるのか、任務で不在なのだろう。柱だからと言って、他の隊士の任務状況は飛比路も知らなかった。

 一先ずは、敷地内の井戸に赴き、水を汲んで顔を洗う。それで少しすっきりしたが、やはり眠気や疲労を完全に取り除くことはできないので、湯浴みをすることにした。準備はやや手間だが、考えている場合ではない。半年に一度の柱合会議に、疲労した状態で参加するなど失礼だ。

 

「くぁ・・・」

 

 風呂用の水を汲んだところで、欠伸を一つこぼす。

 玄関の戸を開けると、二人分の草履が置いてあった。やはり二人とも眠っているのだろう。ならば起こさないようにと、ゆっくり風呂場へ向かう。

 

 この時、飛比路は疲労と眠気のせいで、若干思考が鈍っていた。最上階級の柱でも、やはり眠気には勝つことができない。一日二日程度の徹夜はそれなりに経験したので問題ないが、四日は飛比路もあまり経験しなかったので、気が参っていたのだ。

 今は明け方で、二人とも屋敷にいるとなれば、眠っているとしか考えていなかった。

 それでも、もう少しものを考えて、注意深く周りに目を配ればよかったと、後になって割と真剣に後悔している。

 

「えっ?」

「あ」

 

 風呂場の戸を開けた飛比路は、着替えている途中のカナエに出くわしてしまった。

 幸いにも(?)肝心なところは見えていない。隊服の下に着ていた襯衣(シャツ)を脱いだところだったので、胸は下着で隠れているし、下袴だって履いている。隊服が厚手で若干分かりにくかったが、カナエは結構起伏に富んだ体つきだ。

 しかし、これは女性からすれば大層恥ずかしいことらしい。視線が合った瞬間から、カナエの顔が赤くなっていく。申し訳ないが、そんな顔を見るのは初めてだった。

 一方で飛比路も、自らが悪いことをしたという自覚はある。

 

「いや、悪かっ―――」

 

 その謝罪の言葉は、全集中・常中を会得したカナエの平手打ちで搔き消された。

 カナエは、飛比路よりもほんの少し前に任務から帰ってきていたのだ。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 しのぶは低血圧の気がある。なので、眠りは結構深くなりがちで、覚醒までは時間がかかる。

 全集中・常中の修行の一環で梟と一緒に眠る時は、その眠りが深いことが災いし、全集中の呼吸を忘れて何度も突かれ、あまり眠ることができないでいた。

 しかしながら、今日は少し事情が違う。

 今夜は全集中・常中が上手くできて、梟―――望月だ―――に突かれることもなく眠っていられたのに、明け方聞こえた『バチン』という大きな音のせいで呼吸を乱してしまった。結果、突かれ眠気が失せてしまい、仕方なく起きることにする。

 

「大丈夫ね」

 

 起き上がったしのぶが目を向けたのは、枕元にひっそりと置かれている小さな籠だ。中には手拭いが幾重にも重ねら、その中央辺りで雀の雛がすぅすぅと眠っている。望月に突かれてしのぶが悶絶したのにも気づいた様子はない。

 先日、任務の帰り際にカナエが保護した雛だが、しのぶは当初『また何で・・・』と呆れにも似た気持ちになった。ただ、カナエが心優しいことは妹だからこそ分かっているし、ここで世話になっている飛比路も反対していないので、渋々しのぶも協力している。

 

(自主練、しようかな)

 

 二度寝する気は起きない。雀の雛が問題ないことを確認すると、髪を整え、隊服に着替える。それから、望月を飛比路の部屋に帰しに行った。

 飛比路の部屋の戸を開けると、望月は何事もなかったかのように、窓際の止まり木に留まると目を閉じてピクリとも動かなくなる。しのぶは生き物にはそこまで詳しくないのでよく分からないが、あの場所がお気に入りらしい。

 

(よく分からないのはあの人も同じね・・・)

 

 戸を閉めて庭へと向かいながら、しのぶは飛比路のことを思い出す。

 半年以上もここで修行をし、しのぶ自身強くなれた実感はある。ここに来たときは階級が庚だったが今や丁まで上がっており、鬼との戦いでも疲れることが少なく、強力な鬼を相手にしてもそこまで苦戦することがなくなった。

 だが、その修行をつけてくれた飛比路のことは、正直まだよく分かっていない。

 幼少期は親から虐待を受け、愛情・家族を知らないことはカナエの口から聞いている。そこに関してはしのぶも気の毒とは思っていた。しかし、飛比路の性格に関してはまだよく分かっておらず、『若干不愛想だけど時々優しい』というのが今のしのぶの評価だ。

 最初に会った時はぶっきらぼうだと思ったし、今もまだその辺りの評価は変わっていない。けれど、悪い人ではないのかも?とは思いつつある。

 

「あ、いた」

 

 何てことを考えながら庭に出ると、飛比路が一人で鍛錬をしていた。まだ日も出ていないのに、その姿勢は見習うところがある。

 しかしながら、今の飛比路はただ単調に木刀を振るだけでなく、何か呼吸法の技を使っているかのように、身体を動かしていた。大きく体を捻り、木刀をその勢いのままに振っている。研ぎ澄まされた一閃というよりも、全力を込めた一撃、と言うべきだ。

 

「・・・・・・」

 

 しかしある時、ぴたっとその動きを止めた。木刀を下ろし、呼吸を整えている。

 

「朝から精が出るわね」

「しのぶか・・・」

 

 話しかけてもいい頃合いだと思って声をかけると、飛比路はしのぶの方を見ずに応じる。以前までは『胡蝶妹』などと失礼な呼び方をされたが、それも今は改善してくれている。尤も、先にカナエの方を名前で呼んでいたようで、それは若干不服だ。

 

「何の練習してたの?ただの素振りじゃなさそうだったけど」

「気づいていた、か。新しい技の練習、だ」

「へぇ?新しい技・・・」

 

 しのぶが縁側に座る。飛比路は、しのぶの方は見ずに木刀の素振りを始める。

 

「俺の『鳥』の呼吸の基となった『風』の呼吸は全部で九つ。だが、『鳥』の呼吸は七つしか型を編み出せてない。他の柱より劣ってるから、力をつけなければならん、のだ」

 

 素振りを続けながら話す飛比路。

 以前飛比路から聞いた話では、他の柱は飛比路と違って屈強な体つきをしているらしい。特に、岩柱・悲鳴嶼行冥の名を聞いた時は、しのぶもカナエも大きく頷いた。二人が会った時点で、行冥はかなり大柄だったから。

 しかし飛比路は、自らが他より力が足りていないことを理解している。しのぶからすれば、柱であるだけでも十分大したものと思うが、自分の力不足を自覚している面に関しては、親近感が持てる。しのぶもまた、腕の力が弱いのを分かっているから、己の非力さを理解している同じ人を見ると、少しばかり心が軽くなる気がするのだ。

 

(この人は、努力家なのかもしれないな)

 

 十分な栄養も与えられず痩せていた幼少の頃から、鬼殺隊の柱になるまでは当然死に物狂いで鍛錬を重ねてきたのだろう。それが恐らく、飛比路の長所なのかもしれない。

 そんな感じで飛比路の素振りをしばしの間眺めている。

 

「ああ、そうだ。今日は柱合会議だから、修行や食事は各々でやっていい」

「はいはい、分かったわ」

 

 飛比路が素振りの合間に告げると、しのぶは頷く。

 しかしそこで、ふと気になった。

 

「そういえば夜中に何か『バチン』って大きな音がしたんだけど、知らない?」

 

 瞬間、飛比路が振った木刀が、手からすっぽ抜けた。そのまま宙を舞い、八間ほど先の地面に突き刺さる。

 あまりにも唐突で、初めて見る出来事に、しのぶの大きな目が一層見開かれる。

 

「え?」

「俺は何も知らない」

「いや、絶対何か知ってるでしょ」

 

 すぐに否定する飛比路だが、逆に疑わしくて仕方がない。明らかに動揺している。

 しのぶは庭に降りて、飛比路の下へと歩み寄る。先ほどからしのぶの方を全く見ないことも気になった。

 

「・・・ねぇ。その手形、何?」

 

 そして飛比路の顔を見ると、しのぶの目が皿のように細くなる。

 飛比路の左頬には、真っ赤な手形ができている。何もなかったなど全くの嘘だ。

 

「いや、これは―――」

「姉さんね?姉さんと何かあったのね?」

 

 この屋敷には飛比路とカナエ、しのぶの三人しかいない。しのぶは眠っていたのだから、この手形を付けたのはカナエだと必然的に分かる。

 しのぶに隠そうとしたとなれば、考えられるのはしのぶに心配を掛けさせないためか、あるいはしのぶにバレると色々と面倒だからだ。

 しかし、しのぶにとっては優しい姉のカナエが、こんなことをしたとなれば相応に何かがあったのだと、しのぶにも分かる。

 この男は、カナエに何をしようとした?

 

◆ ◆

 

 飛比路は、内心で焦っていた。

 しのぶの推理は的を射ている。この左頬の手形は、未明にうっかりカナエの着替えを目撃したことで喰らった平手打ちの痕だ。これに関しては、飛比路自身悪いことをしたと思っているので、素直に反省している。

 だが、そんなことを馬鹿正直に言えば、カナエを大切に思っているしのぶが平静を保っていられるはずもない。得意とする毒を打ち込まれかねなかった。そんな理由で三途の川を渡るなど、柱以前に男として、人間として不甲斐なさすぎる。

 かと言って、この痕を誤魔化すほどの術は、現状ない。

 

「まさか、姉さんの寝込みを襲ったとかじゃないでしょうね」

「断じて、否」

「じゃ、何があったのよ?」

 

 黙っていると、あらぬ誤解をされかねない。

 やむを得ず、大人しく説明することにする。

 

「俺が明け方に任務から帰った時、丁度カナエが風呂から出たところだったんだよ」

 

 しかし、全てを正直に話せば命はないので、誤魔化せる範囲は誤魔化す。それぐらいの胆力と、それを隠し通せるほどの面の厚さがなければ、柱は務まらない。あくまで持論だが。

 幸いにも、しのぶは現時点では刀を取り出して飛比路を刺そうとはしていない。

 

「で、俺が『湯上り姿も結構いいな』って言ったら照れ隠しで―――」

 

 朝の屋敷の庭に、全集中・常中の平手打ちが命中した音が響き渡った。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

「だっはははははっ!!お前っ、なんだその派手な手形はよぉ!?」

「・・・訊かないでくれ、宇髄」

 

 出会って早々、天元に腹を抱えて笑われた。

 柱合会議のために産屋敷邸まで赴いたが、庭で会った開口一番にそれだ。仮にも飛比路の方が年上なのだが、この男はそう言った年功序列をあまり意識しない。

 

「いや、その顔で地味な反応は逆に笑えるってオイ!ははははっ、くっ、腹が・・・っ!」

「・・・何も言わないでくれ、宇髄」

「にしてもお前、それ二人から叩かれたんだろ・・・?お前そういうのとは縁がないと思ったのに、どういう・・・だははははは!!」

「・・・訊かないでくれ、宇髄」

 

 何故に出会って即天元から爆笑されるのかは単純明快。

 今の飛比路の両頬に、真っ赤な手形がくっきりと浮かび上がっているのだ。もちろん、これはカナエとしのぶの二人から喰らったもので、腫れているせいで鳥の面を付けることさえできない。包帯などで隠すという選択肢もあったが、何か全てが面倒になったので、放置したままここへ来た。

 

「おい、冨岡(とみおか)!見て見ろってこいつの顔!」

 

 そこで天元が声をかけたのは、飛比路も始めてみる隊士だ。

 右半分が無地、左半分が亀甲柄の羽織を隊服の上から着る男。頭の後ろで長い黒髪を無造作に縛っており、天元や飛比路より背は低いが、だからと言って非力とは到底思えない。

 この場にいるということは、新しい柱なのだろう。数が足りていない今はありがたい。

 冨岡、と呼ばれた男は飛比路の顔を見る。無機質な青い瞳だ。

 

「・・・すごく痛そうだ」

「痛そうって、そりゃそうだけどよぉ。もっと言うことあるだろ?こんな派手な手形つけてんだから!」

 

 いまいち薄い―――天元の言葉を借りるなら『地味な』―――反応に、天元は失笑するが、飛比路は手で制して冨岡を見る。

 

「・・・いいんだ、それで。鳥柱の天城飛比路、だ。あんたは?」

「・・・冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)

 

 ぼそぼそと名乗る義勇。あまり人と話すのが好きではないのだろうか、と飛比路は適当に考える。

 一方の天元は、義勇からは面白い反応が見られないと悟ったのか、同じくその場にいた行冥に話しかけた。

 

「なぁ悲鳴嶼さんよォ!天城の顔すごいことになってますって!」

「私には見えないのだが、どうなっているのだ・・・?」

「いや、こいつ顔に二人分の手形がついてるんですよ!多分女のだろうなぁ。見たら派手に爆笑モノですって!」

 

 全盲で飛比路の惨状が分からない行冥は、天元が爆笑して飛比路が細々と否定する状況に、じゃりじゃりと手で数珠をこすり合わせて困惑しているようだった。この顔を見られないことは嬉しかったが、余計なことに天元が事細かに詳細を教えてしまう。行冥の威圧感は天元にも伝わっているのか、彼に対しては敬語だ。

 瞬間、行冥の雰囲気が重くなる。

 

「天城、柱ともあろう者が不埒な真似をするとは・・・見損なったぞ」

「・・・違うんです、悲鳴嶼さん。あれは事故です。過失です。偶発的に起きた、予測不能で回避不能な事態だったんです」

「ぶっくくくく・・・」

 

 全盲の行冥は、物体の配置を見ずとも感じ取ることができるが、人間の皮膚上の異常は分からない。なので、天元の説明を真に受けて飛比路が本当に不埒な真似をしたと思い込み、厳しい言葉を向ける。

 だが、飛比路は決してそんな真似をしたつもりはない。確かに着替えを見てしまったのは恥ずべきことだが、言った通り過失なので、柱の本分を忘れて手を出したのではないと伝える。

 その様子を眺めている天元がまた笑いを堪えているので、いい加減一発ぐらい叩きたい。義勇は興味がないのか、明後日の方向を見ていた。

 

「お館様の御成りでございます」

 

 すると、そんな一同のざわめきを断つ、鶴の一声が響く。

 見れば、座敷の奥からあまねが耀哉の身体を支えながら姿を現したところだった。

 

「おはよう皆。今日はいい天気に恵まれたね。誰一人欠けること無く、新しい柱も加わって柱合会議を迎えられたことを嬉しく思うよ」

 

 耀哉が告げた直後、飛比路、行冥、天元、義勇の四人は一斉に耀哉に向けて庭に跪く。前回同様、この場には炎柱の煉獄槇寿郎の姿はない。またしても体調不良だろうか。

 しかし今は、いない者のことを考えるよりも、今の会議のことが大切だ。

 

「お館様におかれましても、ご壮健のようで何よりでございます。今後とも健やかな日々をお送りできますよう、心よりお祈り申し上げます」

「ありがとう、飛比路」

 

 お館様への挨拶は早い者勝ちだ。前回の柱合会議は行冥が挨拶をしたので、二回連続にはさせず飛比路が挨拶をする。

 

「君も()()をしているようだけど、元気そうで何よりだ」

 

 だが、耀哉が告げた言葉に、飛比路は喉が干上がる。

 今回に限らず、耀哉を前にする時はいつも面を外す飛比路だが、その顔は現在両頬に紅い手形と奇妙この上ないものだ。耀哉も左目が見えなくなりつつあるが、それでも飛比路のそれは見えているらしい。だが、敬愛する耀哉にまで心配されたとなると、飛比路自身非常に申し訳ない気持ちになる。

 それによく見てみると、耀哉の脇に控えるあまねは飛比路を見てキョトンとしているし、隣に跪く天元に至っては笑いを堪えて肩を震わせている。

 

「・・・これは自分の不注意ゆえのものです。柱合会議や任務に影響はございません。お館様の御気遣いには感謝いたしますが、ご心配には及びませんので」

 

 そう告げることが、今の飛比路にできる最大のことだった。

 ここまでいたたまれない柱合会議も初めてだと思う。

 

◆ ◆

 

 同じ頃、飛比路の屋敷では。

 

「もう、ほんっとに信じられない!」

 

 自分の中の怒りが治まらないのか、しのぶは腕を組んでぷんぷんしている。

 

「姉さんに向かってあんな気軽にあんなこと・・・ううん、姉さんじゃなくても女の人相手にそう気安く言うものじゃないのに!」

 

 聞いたところによれば、どうやらしのぶは今朝方飛比路とひと悶着あったらしい。その理由は、カナエの湯上り姿を『良い』と飛比路が評価したから、だそうだ。

 

「ピィ?」

 

 一方でカナエは、膝の上に載る雀の雛に野草を与えながら、飛比路との今朝のことを思い出す。

 あの時のことは当然覚えているが、しのぶに正直に話してはいない。引っ叩く直前飛比路は謝ろうとしていたので、アレはわざとではないだろう。引っ叩いた後、飛比路から正式に謝罪を受けたので、平手打ちと併せてお互い様とその場は収まった。

 だが、あの後飛比路とは顔を合わせていない。結局カナエは恥ずかしすぎて、あの後湯浴みを一刻して冷静になろうとした。

 

「まぁまぁ、しのぶ。私はもう大丈夫だから」

 

 すり潰したうこぎの葉を雀が食べ終えるのを見てから、しのぶの方を振り向き笑う。

 しのぶが聞いた話は、飛比路が誤魔化したものと分かっている。正直にあの出来事を話せば、命の危険に晒されると思っての判断だろうし、カナエも多分そうなると思っている。しかして、一応は飛比路の尊厳を守るために、それ以上の追及は止めてもらおうとした。

 

「じゃあ何で姉さんはまだ顔が紅いのよ?」

 

 だが、しのぶに指摘されて、思わずカナエも顔に手を当てる。

 確かに妙に顔が熱い。じんわりと、微熱を帯びているような感じだ。決して体調不良などではない。今の今まで話し、ものを食べ、今朝は鍛錬だってできたのだから。

 その反応を見て余計に安心できなくなったのか、しのぶが詰め寄ってくる。

 

「ねぇちょっと、本当にあの人に何もされなかったのよね!?」

「え、ええそうよ。何もされなかったわ」

「本当の本当よね!?もし何かされたなら私あの人と一戦交えなきゃならないんだけど!」

「大丈夫だから、本当に私は大丈夫だから!」

 

 額に青筋を浮かべるしのぶを宥めるカナエ。

 自分の顔が熱くなっていたのは、未だに恥ずかしさを処理できていなかったからだ。

 しかしながら、あの時飛比路にあられもない姿を見られたことに関しては、本当に墓まで持って行く必要がありそうだとカナエは思う。飛比路の命と尊厳を守るためにも。

 膝の上の雀は、何が起きているのか分からないのか小首を傾げていた。




【おまけ】

 柱合会議の翌日。
 座敷で飛比路はカナエの前で正座し、菓子折りの箱を恭しく差し出した。

「この間は本当にすまなかった。これは詫びの印として、受け取ってほしい」
「どうも・・・」

 カナエとしては、ここまで畏まって謝罪されるのはどうも少し落ち着かない。それでも、飛比路はこうした事態に陥ること自体皆無だったのだろうから仕方ないと思い、菓子折りの箱を受け取る。

「しかし、あの時出くわしたのがカナエで良かったと思う」
「ちょっ・・・それ、どういう意味ですか!?」

 だが、飛比路がぽろっと零した言葉は聞き捨てならなかった。その言い方では、前々からカナエのあのような姿を飛比路が見たかったという風に聞こえるではないか。
 しかしながら、飛比路は神妙な面持ちのまま続ける。

「あの場にいたのがしのぶだったら、俺は多分その場で殺されていただろう、な」

 言われて、カナエも少し思い浮かべる。
 もしもしのぶが、あの時のカナエの立場だったら。自分の恥ずかしい姿を事故とはいえ飛比路に見られたら。

「・・・そうかもしれませんね」

 我が妹とはいえ、飛比路の言うような事態になる可能性が捨てきれない。
 カナエは、そうなることを本気で恐れているような目の前の飛比路に、同情した。
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