はぐれ鳥と遅咲の花   作:プロッター

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第8話:牛刀を以て鶏を割く

 指示通り、カナエは樹海の東側を捜索していた。

 肩には、飛比路がつけてくれた望月が留まっているが、不思議と重いとは感じない。それに、最初は不気味な感じがした無表情な顔も、見慣れてくると可愛く見える。飛比路は、この不気味の先にある可愛さを見込んで飼ったのだろうか。

 

「あら、ここは・・・」

 

 それから少し走ると、不意に視界が開けた。

 そこには、多くの白い百合が綺麗に咲いていた。この辺りだけ木々は無く、月明かりが差し込んで白い花弁に反射している。何とも幻想的な光景だ。

 この樹海のことを考えれば、この百合は人の手が加わらず自然に咲いているのだろう。だからこそ、自然に完成したこの光景が素晴らしいと思える。

 

「綺麗・・・」

 

 カナエが思わず言葉を洩らす。

 肩に留まる望月もまた、この光景が物珍しいのか、じっと眺めていた。

 

「あなたにも、この美しさが分かるのかしら?」

 

 カナエが問いかけるが、望月はカナエの方を見るだけで何も言わない。鎹鴉のように人間の言葉を話すことはできないのは、飛比路の屋敷で暮らす中で分かっていた。それでも、そう話しかけずにはいられないほどに、カナエも目の前の光景に心を打たれている。

 だが、今は任務中だ。このような光景に目を奪われている場合ではない。

 なのでカナエは、ほどほどに楽しむに留めておき、先を急ぐ。後でまた、飛比路と見に来ようと思った。

 

(・・・天城さん、か)

 

 足を動かしながら、頭を過った柱のことを思い出す。

 最初こそ、自分たちが力をつけるために頼った人だったが、ここ数か月で彼との距離感も随分と変わったと思う。無論、男と女の関係になったわけではないが、それでも近しい存在となれた気がした。

 重い人生を歩んできた飛比路は、自らのことを大した人間ではないと思っている。しかしカナエからすれば、常人なら耐え難いほどの苦痛を味わってなお、柱に上り詰めるほどに鍛錬を重ねているその姿勢は尊敬に値する。

 そして、これまでの飛比路との修行や屋敷での出来事を思い返すと、彼も本当は思慮深い性格だ。故意ではないにしろ、着替えを覗かれた時は流石に動揺したが、あの後でお詫びとして謝罪と菓子折りを貰ったので、それについては差し引きゼロとしている。そこに関しても、律義なところが窺えた。

 そんな飛比路を、自分はどう思っているのか。

 それを改めて考えると、少しばかり心がざわつく。抱いたことがない感覚だ。

 しかし、今は余計なことを考えてはならない任務中だと自分に言い聞かせて、カナエは速度を少し上げた。

 

◆ ◆

 

 鬼殺隊で最強の柱を葬ってきたのは、いつも上弦の鬼だった。

 今、飛比路の目の前にいるのは、その中でも最強の『上弦の壱』。

 

(これが・・・上弦・・・)

 

 飛比路は怖気が止まらない。

 上弦の壱・・・黒死牟を前にして、飛比路は久方ぶりに、鬼に対して恐怖心を抱いていた。

 その体躯から感じる威圧感、重厚感は、今までの鬼など比べ物にならないほどに荘厳だ。十二鬼月の下弦など、幼い子供のようにしか思えないぐらいには、この黒死牟から感じるものは重苦しい。

 飛比路は、今まで上弦の鬼を見たことが一度もない。この黒死牟が、自分の人生で初めて遭遇した上弦だ。脳裏に、前代の水柱が上弦の伍に殺された話が過ぎる。

 自分は今日死ぬのではないか、そんな予感がした。

 この鬼に勝てると、微塵も思えなかった。

 

「・・・ふむ」

 

 そんな飛比路の内心を見透かすかのように、黒死牟は中央一対の目をわずかに細める。

 

「・・・その・・・細い身体と長髪・・・女子(おなご)かと思ったが・・・男だったか・・・」

「・・・・・・」

「それに・・・鍛え上げられている・・・柱か・・・」

 

 重々しく、ゆっくりとした話し方。その声や話し方からも、重圧のようなものを感じる。

 だが、このままでは相手の雰囲気に吞まれたまま、何もできずに死ぬ。それを察知して、飛比路は無理やりにでも笑った。

 

「・・・よく言われる。声を聴くまで女だと思った、とな。それと、長髪に関しては人のことは言えんと思う、ぞ」

「私を・・・前にして・・・軽口を叩くか・・・」

 

 強がりでもある飛比路の言葉を、黒死牟は挑発と取ったらしい。

 しかしここで、飛比路にはある疑問が浮かぶ。

 飛比路は、初見の人には声を聞くまでは女と思われることが多い。では、この黒死牟はどうやって男と見抜き、さらには柱だと分かったのか。もしや、あの六つの眼には、そう言う血鬼術が備わっているのだろうか。

 

「年の頃は・・・二十辺りか・・・その割に・・・細い・・・。他の柱と比べれば・・・さながら小枝・・・」

 

 顎の辺りを撫でながら、黒死牟は品定めをするように呟いている。

 やはり、隊服と外套で隠れている部分まで見抜く。今までも相手にしたことがない能力だ。また、筋肉の質まで見透かしているとすれば、動きも見切られる可能性もある。迂闊な行動は避けるべきだった。

 さらに、この鬼はこれまでの柱を知っている。それでもまだ生きているとなると、やはり何人もの柱を葬ってきたのだろう。下手をしたら、殺した柱の数は二桁に伸びるのかもしれない。

 

(どうする・・・)

 

 この上弦の壱を前にして逃亡、命乞いなどという選択肢は存在しない。それは柱として、鬼殺隊としてあるまじき行為だ。

 そうなれば、必然的に戦うしかない。

 それなら、この樹海にいるカナエと協力する手もある。飛比路は、カナエに持たせたのと同じ鳥笛を持っており、さらに肩には新月がいる。笛を吹いて新月を飛ばせば、四半刻もせずカナエはここに来るだろう。

 だが、飛比路はその案を、頭の中で消した。

 

(・・・駄目だ、な。カナエは呼べない)

 

 飛比路の肩に留まっていた梟が、翼を広げて飛び立ち、近くの廃屋の屋根に降り立つ。飛比路の思考を読み取ったかのようだ。

 樹海周辺の人々が失踪する事件の犯人が鬼で、その正体が十二鬼月である可能性は考慮していたし、それが上弦かもしれないとも考えてはいた。

 だが、上弦の()となれば話は変わる。

 そもそも、上弦の鬼を相手にする時は一体につき柱が二~三人要るのが定石だ。しかし、柱が人手不足の今はそんな状況に持ち込むのが困難だし、今回の任務で同行していたカナエが如何に柱に近いと言っても、この状況では申し訳ないがあてにできない。

 上弦の陸や伍であれば、もしかしたらカナエと二人でどうにか斃せるかもしれなかったが、上弦の壱は鬼の頂点と同義だ。下弦の弐の時と違い、二人でどうにかなるとは思えない。

 

(カナエを死なせるわけには、いかん)

 

 強くそう思う。

 ただそこにいるだけで強烈な存在感と威圧感を放つ黒死牟を、柱の飛比路は最初に見た時点で、『勝てる』と少しも思えなかった。鬼と戦っている中で、戦う前に自信が持てなくなることなど初めてだ。曲がりなりにも幾度の死線を乗り越えてきた飛比路でさえこうなってしまえば、一人増援に来たところでどうこうできると思えない。

 やってみなければ分からない、と後でカナエは言うかもしれなかった。

 だが、カナエがこの場で命を落とす可能性の方が圧倒的に高い。見くびっているのではなく、真剣にそう考えている。

 彼女を死なせるなど、絶対にあってはならない。ここに呼んで無駄死にさせるわけにはいかなかった。

 今は、万が一にも当てはまらない、最悪の状況だ。

 それでも飛比路は、目の前の鬼から目を背けず、背も向けず、相対する。

 

(何としても、奴とカナエを会わせるのを避けねば、な)

 

 これもまた、鬼との戦いで初めて飛比路が感じたことだ。

 自分にとって大切な、ただ一人を死なせないと決意し、守るために戦うなど。

 

(こちらから攻めるしかない、か)

 

 刀に手を掛けて、大きく深呼吸をする。自分の中にある、この黒死牟に対しての恐怖心や怖気を吐き出すようにし、自分の心を安定させる。

 自然と、寒気と鳥肌が引いてきた。

 

「・・・わずかな間に・・・落ち着きを・・・取り戻すか・・・。胆力は・・・それなりに・・・あると見える・・・」

 

 そして飛比路は、感心した様子の黒死牟に向けて、一歩踏み出す。

 

―――鳥の呼吸・壱ノ型

―――荒鷲

 

 上弦の壱を相手に様子見など無駄だ。

 そう判断した飛比路は、一瞬で距離を詰めて頸を斬ろうと鞘から抜いた花緑青の日輪刀を振る。

 だが、刀は空を切っただけだ。

 

「『鳥』か・・・初めて見る・・・流麗な技・・・面白い・・・」

 

 黒死牟の声は、自分の後方から聞こえた。

 音はしなかった。空気も揺れなかった。

 それなのにこの鬼は移動して、何もなかったような様子で飛比路を見ている。

 

―――鳥の呼吸・弐ノ型

―――翡翠

 

 再度飛比路は、全集中の呼吸で黒死牟に接近し、連撃を仕掛けようとする。

 だが、やはりその刀は肉どころか衣服に触れることはなく、黒死牟は先ほどと同じように一瞬で移動して飛比路とは逆方向に立っている。

 

「その細い身体で・・・中々に力のある・・・刀裁き・・・洗練されている・・・」

 

 やはりこの鬼は、血鬼術か何かで飛比路の動きを予見している。でなければ、非常に速い攻撃を掠り傷もなく事前に回避することなどできるはずはない。

 

(ならば、姿を見極めて、速度を上げるのみ)

 

 これまでの鬼なら、最初の『荒鷲』で斬れずとも、次の『翡翠』でそれなりの傷を負わせられた。だが、この黒死牟はそれらを難なく躱している。それなら、躱す前に斬れるように速度を上げ、躱してもすぐに見つけられるように目を凝らす。

 全集中の呼吸で、脚に力を込めて、前へと踏み出そうとする。

 

「初見の呼吸を前にする・・・この昂ぶりも・・・いつ振りか・・・」

 

 すると、黒死牟の上半身が僅かに前に傾ぐ。

 刀を抜く前の仕草のように、飛比路には見える。

 

「相手をするのも・・・また一興・・・」

 

 何かしてくる、と飛比路は察知した。

 

―――月の呼吸・壱ノ型

―――闇月(やみづき)(よい)(みや)

 

 即座に後ろへ退いた飛比路は、黒死牟が刀を振った感覚を察知した。だが、既に間合いの外に出ているので、問題はない。

 そう思った直後、飛比路の視界が広くなり、涼やかな夜風が顔を撫でていく。

 

「・・・?」

 

 音を立てて、飛比路の付けていた鳥の面が地面に落ちた。それは鼻の辺りで半分に割れている。

 続けて、鼻の頭に痛みを覚える。その痛みの出所を指で探ると、血がついていた。

 斬られた。

 

(・・・月の、呼吸?)

 

 黒死牟を見る。刀を持っていないのを見るに、納めたのだ。

 疑問が頭の中で噴出する。

 間合いの外にいたはずなのに、どうして攻撃が当たった?

 黒死牟が攻撃をする予感はした。だから後ろへ飛び退いて距離を取り間合いの外まで移動したはずだが、飛比路のところまで斬撃(と仮定する)は届いた。

 黒死牟の腰に差さっている刀の寸法は、見る限り普通の刀と変わらない。あの刀を使って攻撃をしたとするならば、そこにもまた何かしらの血鬼術が絡んでいるのだろうか。

 それに、月の『呼吸』と言ったか?

 全集中の呼吸を知っているのは、基本的に鬼殺隊だけだ。

 だとすれば、まさかこの鬼は、以前は自分たちと同じ鬼殺隊だったのではないだろうか。

 

(・・・余計なことは考えるな)

 

 戦闘中に鬼の動きに集中し、他のことを考えないようにするために付けていた鳥の面。あれが無くなったことで、視界を確保できた反面、余計なことを考える隙ができてしまう。懸念していたことだ。

 それを今は考えずに、頭を振って目の前の敵に集中する。

 

(この目で確かめる!)

 

 脚の筋肉を意識して、力強く踏み出せるように呼吸で酸素を送り込む。

 そして、一気に黒死牟との距離を詰め刀を振り、動きを見極めるために眼球を見開く。

 肉薄する直前、黒死牟の腕が自らの腰の刀へと向かうのを視認した直後、三日月のような形の刃が一瞬出現するのが見えた。間合いの外の自分の面を斬ったのはそれだと、理解した。

 

「・・・っ!」

 

 認識した直後、身体を捻って黒死牟から離れる。黒死牟が刀を振るうのを横目に捉えながら、できる限り距離を取ろうとする。斬撃が放たれたのを感じ取り、飛比路は地面を転がりながら体勢を整える。その頭上で、斬撃のように空気が揺れた。

 

(なるほど)

 

 刀に、謎の三日月状の不規則な斬撃をいくつも付与して仕掛けてくる。刀を一人で何本も同時に多方向から振るようなものだ。まともに真正面から相手にすれば、すぐ餌食になって殺される。接近戦もあまり不用意に仕掛けない方がいいだろう。

 だとすれば、理想なのは遠距離から牽制しつつ、素早く接近して一撃を喰らわせるという方法。

 

―――鳥の呼吸・陸ノ型

 

 方針を決めると、飛比路は呼吸を整えて刀を構える。

 

―――不如帰(ほととぎす)

 

 そして黒死牟に向かって一歩踏み出して、刀を振った。

 当然、間合いの外なので刃は届かない。黒死牟も訝しむかのように、六つの目が細くなる。

 しかしその直後、何かに気づいたように黒死牟は後ろに退く。

 その正面を、風が吹いた。

 

「形のない斬撃を・・・繰り出す技か・・・面白い・・・」

 

 技の仕組みまで見抜かれてしまった。

 『不如帰』は、間合いの外から刀を振っても、斬撃が空を裂いて対象に命中する技だ。これを行うには相当に腕力がいるので、あまり連発できる技ではない。

 そして、見えない斬撃すらも躱したとなると、いよいよもって戦うのが難しくなる。

 

「来ないのなら・・・此方が待つ道理も・・・無い・・・」

 

 どう戦うかを決めあぐねていると、眼前に黒死牟が迫っていた。

 抜刀しようとしていたので、思わず日輪刀で防ぐ。

 そこで、黒死牟の刀の全貌が明らかになった。

 

(なんだ、これ・・・)

 

 その刀は、形こそ刀だったが、刀身に目玉がいくつもついていた。それは飾りではないようで、本物のようにぎょろぎょろと蠢き、黒死牟の三対の目と同様皹のような血管が浮かんでいる。また、鍔の部分にも目がついており、全体的に気持ち悪い。

 

「刀に・・・気を取られるか・・・」

 

 そんな飛比路の内心を見透かしたのか、黒死牟がそう呟いた直後。

 

―――月の呼吸・伍ノ型

 

 空気が軋むような音が聞こえ、黒死牟の刀の目玉が一斉に飛比路を見る。

 咄嗟に飛比路は、後ろに下がった。

 

―――月魄災禍(げっぱくさいか)

 

 直後、先ほども見た三日月状の斬撃が周囲に拡散し、廃屋や地面にも斬撃の跡が刻まれる。

 飛比路は目を見開きそれを避けようとするが、斬撃が数発飛比路の隊服や外套を掠める。その中心にいる黒死牟は刀を全く動かしていない。刀を振らずに斬撃を発生させるとは、驚くほかなかった。

 

(恐れるな、刀を振って戦え!)

 

 判断が鈍って相手に攻撃の隙を与えるなど、いくら相手が上弦の壱だからと言って不甲斐ないにもほどがある。

 恐れる自分を奮い立たせて、刀を握り黒死牟へ再び接近する。

 

―――鳥の呼吸・壱ノ型・・・

 

 先ほどよりも早く動けるように呼吸を整えて、避けられないように動こうとする。

 しかしながら、黒死牟の反応速度が速すぎて、攻撃を当てる寸前で避けられた。それに、黒死牟は刀に手を掛けている。

 

「く・・・っ!?」

 

 一瞬で刀を抜いたと分かったのは、左腕と背中に痛みが走ってからだ。まだ傷は浅いが、獣の爪のような傷跡が刻まれているのが分かる。攻撃を僅かでも捉えられなければ、左腕を全部持って行かれただろう。

 柱になってから、鬼との戦闘は幾度となく経験してきたが、これだけ傷を浴びせられたのは随分と久しい気がする。十二鬼月の下弦を相手にしたこともあったが、その時だって怪我はほとんどなかった。

 

「柱の割に・・・判断は鈍く・・・目の前の敵にも・・・集中できていない・・・」

 

 左腕を押さえながら、姿勢を低くする。背中にも痛みが蔓延していて、立っているのが難しい。

 そんな飛比路に向けて、黒死牟の赤い瞳が向けられる。

 

()()()()が・・・柱になれるとは・・・鬼狩りも・・・落ちたものだ・・・」

 

 その言葉は、飛比路の心に深く突き刺さった。

 自分が鬼殺隊に入ったのは、自分がどう生きればいいのかも分からず、仕方なく選んだに過ぎない。

 自分は、例え親でも、自分を散々虐げていた者が死んでも、何ら感情が動かなかった。

 同じ柱の悲鳴嶼行冥、宇髄天元、煉獄槇寿郎、冨岡義勇のように恵まれた体格ではない。彼らと比べれば、まるで木の枝のように細い身体つきだ。

 胡蝶カナエや煉獄杏寿郎のように、人に語れるような輝かしい志もない。

 教わった呼吸を会得できず、自分の型を編み出さざるを得ないほどに要領も悪い。

 鳥の面を付けなければ、目の前の敵に集中できないほど情緒は不安定だ。

 

(俺は・・・)

 

 柱の器ではないと、自分で思ってしまう。

 そう思ったのは、今が初めてではない。これまでに何度もあった。

 だが、こうして他人から言われたことはない。鬼の言葉など耳を傾けるものではないだろうに、今はその言葉を深く受けてめてしまう。相手が上弦の壱だから、多くの柱をこれまで見てきたからか、言葉の重みが違うように感じてしまった。

 

(こんな、鬼の言葉に惑わされる程度なものだから、な)

 

 戦いの最中に、十二鬼月の上弦を相手にしている時に、余計なことを考えるのは死と同義だ。それでも飛比路が考えてしまったのは、よりにもよって自分が他より劣っているという、自らの存在意義を揺るがすようなことだった。

 鼻の頭に入った傷から、血が零れ落ちていく。地面に小さな血だまりを作る。

 だが、飛比路の目に、自らの日輪刀に刻まれた『惡鬼滅殺』の文字が映る。それは、鬼殺隊の中でも柱の刀にだけ施される特別な意匠だ。

 

 ―――悲しい記憶を留め続けることは、苦しみを伴うだろう。しかしその記憶は、自分自身が乗り越えようとするための成長の糧ともなる

 ―――その強い思いを胸に、多くの人々を守り、導き、鬼殺隊を支える柱として、強く在り続けてほしい

 

 この刀を初めて受け取った時、耀哉から聞いた言葉を思い出す。

 それは、自分の実力が鬼殺隊に認められたと、実感できた時のことだ。

 

 ―――天城さんは、他にできることがないから鬼殺隊に入ることを選んだ、と言っていましたが、それは蹲ったままでいられず前へ進み生きることを選んだのだと、私は思います

 ―――どれだけ悲しい経験をしても、それでも立ち止まらずに先へ行こうとする。そこはあなたの、強みだと思います

 

 自分の過去を聞いたカナエが、自分のことを認めてくれた言葉を思い出す。

 それは、自分の汚点と思っていた過去が、無駄ではなかったと思った時のことだ。

 そして、彼女の姿を思い出すと、心に光が灯ったように温かくなる。

 

「・・・・・・」

 

 失いかけていた自信が、蘇ってくる。

 刀を握り、立ち上がる。

 

「・・・確かに俺は、他と比べれば柱に相応しく、ない」

 

 黒死牟を見据える。

 飛比路の言葉を聞いて、興味を持ったかのように黒死牟は六つの眦を上げた。

 

「しかし。こんな俺のことを柱と認めてくれる人が、いる。ならば、俺はその期待に全力で応える覚悟だ」

「ほう・・・」

「それができなければ、それは俺の強さを認めてくれる他の誰かを裏切ることに、なる」

 

 呼吸を整えて、背中や腕、鼻頭の傷を止血できるように意識する。この先の戦闘を考えると、傷は増えるだろうし意味もないだろうが、せめて痛みを和らげておきたい。

 

「俺のことを認めてくれる人がいる限り、俺はこの刀を振って戦い、鬼を斬る」

 

 飛比路は、緩やかな弧を描く花緑青の刀を構え、黒死牟を見据える。

 

「鳥柱・天城飛比路、推して参る」

 

 名乗りを上げ、前へと踏み出す。

 もはや、迷っている場合ではない。

 

◆ ◆

 

―――鳥の呼吸・壱ノ型

―――荒鷲

 

 飛比路が呼吸を整えて、黒死牟に接近してくる。

 その速度は、先ほどより上がっているように感じた。しかしながら、その程度は黒死牟も抜刀して防ぐほどでもないので、移動するに留めておく。

 だが、飛比路の反対側へと移動した矢先、首元に飛比路の日輪刀が迫っているのを、黒死牟は察知する。

 

「・・・・・・」

 

 今度は、自らの刀・・・虚哭神去(きょこくかむさり)を抜いて防ぐ。

 その目で飛比路の顔色を窺うが、先ほどよりも不安や恐れの念が薄まっているのが分かる。

 

(痣が発現した様子はない・・・()()()()()()も見えていない筈・・・しかし移動速度が上がっている・・・)

 

 数秒の鍔迫り合い末、飛比路は飛び退いて一度距離を取り、再び日輪刀を構える。

 黒死牟は、生き物の衣服や皮の下にある骨格や筋肉を透かして見ることができる。それは、血鬼術ではない別の技能で、人間でも習得できる。筋肉の動きなどで次にどのような動作をしてくるかを、ある程度把握することも可能だ。

 それでもなお、飛比路は何らかのことをきっかけとして移動速度を上げてきている。黒死牟が見極めるよりも、僅かに速く動くようになった。この飛比路が並みの隊士よりも身体が細く身軽だからこそ、それができるのだろう。

 それができるのなら、何故最初からしなかったのかとは思う。上弦の壱を前にして手加減など、自殺行為甚だしい。だとすれば、何かがきっかけで先ほどよりも力が上がっている。

 

「面白い・・・」

 

 自然と、唇が緩んでそう言ってしまった。

 先ほどまでは未熟でしかなかった柱が、四半刻も経たずに力を上げている。かつては武の道を究めようとした者として、とても興味深い。

 

―――月の呼吸・弐ノ型

 

 再び迫りくる飛比路に対して、黒死牟は『ホォォォォ・・・』と呼吸を整え刀を構える。

 飛比路は何の技を使ってくるか分からないのだろうか、移動速度を押さえつつも接近するのを止めようとはしない。

 

―――珠華(しゅか)弄月(ろうげつ)

 

 その技は、下から刀を振り上げ、三連の斬撃を放つ技。無論、その斬撃には黒死牟特有の血鬼術で三日月状の刃を多数付与し、さらに斬撃と共に大きな三日月の刃を三つ放つ。

 直後に飛比路は、地面を蹴ってわずかに跳躍する。

 

―――鳥の呼吸・肆ノ型改

―――鶺鴒・(ついば)

 

 身体を捻り、多数の斬撃を躱しつつ、黒死牟へと連続の突き技を繰り出してくる。無論、それだけで攻撃全てを避けきれるはずもなく、飛比路の身体の至るところに浅い傷が刻まれていく。

 だが、飛比路は自らの傷を顧みずに攻撃を続ける。それを、刀を振り切った黒死牟は冷静に後ろに下がって回避した。

 間合いの外に出ると、飛比路は日輪刀を左手に持ち、着地して体勢を整えなおすと再び刀を構える。

 

―――鳥の呼吸・陸ノ型

―――不如帰

 

 接近しながら刀を振るう。黒死牟はそれを自らの刀で弾くが、直後に見えない斬撃が迫ってくるのを捉える。察知すると、刀を横に構えてその斬撃を防ぐ。

 しかし、暇を与えずに飛比路は接近して斬撃を繰り出してきた。成程、『不如帰』は時間差で斬撃を与えてくるから、その間に構え直して次の攻撃の準備を整えることも可能なわけだ。

 

「動きは申し分ない・・・」

 

 斬り合いの中で、黒死牟は飛比路を評価する。それは飛比路にも聞こえているだろうが、その殺気立つ表情を見るからに、真に受けていないのだろう。黒死牟としても、この斬り合いの中でこの程度の言葉で動揺するようなら、やはりそこまでの剣士だと思う。

 

「先ほどまでが・・・嘘のようだ・・・」

 

 一度、飛比路が距離を置いて動きを止める。黒死牟もまた剣戟を止めると、変わりようを評価する。すると、飛比路はふっと笑う。

 

「上弦の壱に褒めてもらえるとは光栄だ、な」

 

 刀を構え、そう告げると飛比路は再び黒死牟へと接近する。やはり、最初のように距離を取って出方を見ようとしていたのとは大違いだ。自分が致命傷を負うことに対する恐れを捨てて、目の前の敵を討とうとするその気概、黒死牟からすれば興味深かった。

 

―――鳥の呼吸・伍ノ型

 

 そして、飛比路は黒死牟の正面に大きく踏み込み、地面を足で捉えると体を捩じるように大きく振るう。

 

―――青葉木菟

 

 自身を中心に円を描くような斬撃。先ほどよりも広範囲を切り裂く技だった。

 しかしながら、黒死牟にとってはその攻撃範囲から出ることは造作もない。軽く一歩退くように身体を動かすだけで、間合いの外へ回避することができる。

 その後は、刀を振るい自らの血鬼術を合わせた斬撃を飛比路へと飛ばす。

 

―――鳥の呼吸・参ノ型

―――白鷺

 

 だが、飛比路はその斬撃を、全集中の呼吸の型で弾いた。迎撃用の技と見えるが、血鬼術を織り交ぜた斬撃そのものを斬るとは、大した腕だと思う。

 

「やりおる・・・」

 

 感心する黒死牟。

 しかし、飛比路は意に介さずに再び接近し、刀を振り続ける。それに応じて黒死牟も虚哭神去を振るい攻撃をいなし、止め、反撃する。これだけの剣戟を一対一で繰り広げるのも、久方ぶりな気もした。

 

―――鳥の呼吸・漆ノ型

 

 剣戟を続ける中で、飛比路が『フィィィィ・・・』と呼吸を整える。

 

―――翔鶴(しょうかく)

 

 その直後、飛比路は姿勢を低くしたかと思うと、大きく刀を振り上げる。袈裟斬りにするような軌跡は無論、黒死牟の頸を狙ってのものだ。

 まるで、鶴が大地から飛び立つように、大きく刀を下から振り上げていた。

 しかし黒死牟は、その技を後ろに跳ぶことで回避し、同時に攻撃の準備も整えた。

 

―――月の呼吸・参ノ型

―――厭忌月(えんきづき)(つが)

 

 刀を横に薙ぎ、左右から挟み込む斬撃を繰り出す。勿論その斬撃にも、三日月の刃を幾多も付与してある。どの刃も、下から刀を振り上げた状態の飛比路を左右から切り刻むようなものだ。

 飛比路も、今の体勢だと攻撃をまともに喰らってしまうと気づいたか、表情が凍り付く。それでも、斬撃の隙間を見定めるように目を見開き、僅かな突破口を見つけるとそこをすり抜けるように身体を捻った。しかし、無傷とはいかず、頭頂部で縛っていた髪が斬れて、更に身体の広範囲に傷が走り、血が僅かに溢れる。中でも、脇腹に深く斬撃が喰い込んだのを黒死牟は捉えた。

 

「ごほっ・・・」

 

 血反吐を吐き、蹲る飛比路。

 だが、飛比路の切れた隊服の衣嚢から笛が落ちたのを見た途端、黒死牟は目を見開いた。

 

「・・・・・・」

 

 無言で、斬撃を飛ばす。飛比路は痛みに耐えながら後ろへ飛び退くが、右目を裂く傷が刻まれるのを見た。そして、地面に落ちていた笛も切り刻まれ、使い物にならなくなる。

 こんな行動に出たのも、手製と思しき笛を見ただけで、神経を逆撫でされたような感覚になったのだ。それは黒死牟が鬼になる前から今に至るまで、忘れたくても忘れられない記憶に起因するものだが、飛比路に教える義理はない。

 

「私を前に・・・ここまで耐えたのも・・・久しいこと・・・。だが・・・じきにお前も・・・死ぬだろう・・・」

 

 おもむろに、黒死牟が言葉を発する。

 飛比路は、口元の血を拭い、右目を押さえながら顔を上げた。

 黒死牟と戦って、今まで生き延びてきた隊士はいない。どの隊士も、今の飛比路のように傷を負って血を撒き散らし、終いには死ぬ。

 

「しかしながら・・・お前のような・・・希少な呼吸の使い手は・・・中々に興味深い・・・」

「・・・ああ、そうかよ」

「それが喪われるのは・・・いつの世も・・・もの悲しく思う・・・」

 

 今までで黒死牟が戦った隊士、柱の中にも、独自の派生形を生み出した人物はいたが、両手の指で数えられる程度だ。

 剣術を鍛えてきた者として、各々が型に嵌らず自らの技を磨き極めるのは、とても興味深いものだし、同時にその独自の技が絶えると思うと感慨深くなる。

 飛比路の使う『鳥』も同じだ。見る限り全ての技を出し尽くしたようだが、どれも流麗な技だった。その呼吸の技が、このまま飛比路が死んで無くなると、惜しくなる。

 だから黒死牟は、こう告げた。

 

「お前に・・・その意思があるのならば・・・あのお方に・・・お前を・・・鬼としていただくことも・・・できる・・・」

 

◆ ◆

 

 言っている意味が、分からない。

 いくら身体中の痛みで意識が揺らぐ飛比路でも、右目を失って視界が制限されても、言葉は聞こえている。それでもなお、この黒死牟の言っていることが分からなかった。

 

「本気で・・・言っている、のか?」

「鬼とならば・・・その程度の傷も・・・塞がる・・・。眼球の損失など・・・掠り傷だ・・・」

 

 鬼に対する頸以外への攻撃が無意味なのは、飛比路も嫌という程分かっている。鬼の回復力は凄まじく、病に罹ることも決してない。日輪刀と日光以外では死ななくなる、ほぼ不死身だ。

 

「私は・・・お前のその技が・・・このまま絶えるのが・・・惜しい・・・。お前は・・・傷が癒え・・・永遠に近い命を・・・得られる・・・。双方ともに・・・悪い話では・・・ないだろう・・・」

 

 今の飛比路は、満身創痍。特に脇腹の傷が深い今、処置を早くしなければすぐに死ぬだろう。

 黒死牟の強さは、異次元だ。自分と比べれば、天地以上の差がある。このまま戦い続けても、勝てる見込みはほとんどない。自ら死にに行くようなものだ。

 だが、ここで黒死牟の話を呑み、鬼となればどうだろう。

 傷は治り、命は助かる。どころか、無限に等しい命を手に入れることができる。

 

「・・・世迷言を、抜かすな」

 

 口の中に溜まった血を吐き捨てる。

 柱が鬼になるなど、冗談にもほどがある。いくら自分が他より劣っているとはいえ、魂を修羅に売るような、鬼殺隊の汚点となるようなことにまで手を染めるつもりはない。

 呼吸で脇腹の傷口を少しでも塞ごうと努めながら、飛比路は今一度立ち上がる。

 

「お前たちが誇らしく思う以上、鬼にも相応の利点があるのだろう、な」

「・・・・・・」

「だが・・・今まで戦っていた鬼の醜い姿を見て、そこまでして生に執着したいとは、思わん」

 

 黒死牟だけでなく、今まで遭遇した鬼たちは、鬼になったことを後悔する様子がなかった。カナエと共に戦った下弦の弐・子迂反も、最初は鬼であることに何の抵抗も抱いていなかった。

 最初は違うのだろう。カナエの言葉を借りれば、自分ではない誰かによって鬼に変えられたことに、迷ったり、後悔したり、悲しんだのかもしれない。しかし、いずれは鬼として人を喰う衝動に駆られ、人間だった頃の記憶が薄れ、終いには鬼であることを誇らしく思うようになる。あるいは、知能を失って人の肉を喰らう獣と成り果てる。

 

「鬼になれば、人間だからこそ感じられた当たり前のこと、美しいと感じた事柄が、二度と享受できなくなる」

 

 カナエの言葉を思い出す。鬼はかつて自分たちと同じ人間であり、人からは憎まれ、誰からも認められず、憎悪の対象でしかならなくなる、と。

 同じだった人間を喰うことでしか生きられず、美しいはずの陽光は自らの死に直結し、誰とも触れ合うことができない。

 初めてそれを聞いた時は、内心で鬼に対してそんな考えを持つとは、と無下にしていたものだ。

 しかし今、飛比路はカナエの言葉をようやく理解できた。

 

「そんな()()()()()()()()()になど、俺は死んでもなりたくは、ない」

「・・・・・・」

「死ぬならせめて、人間として、死ぬ」

 

 日輪刀を握り、黒死牟を見据える。

 脇腹の傷がそれなりに深く、痛みで呼吸が若干乱れている。右目を潰されたせいで、平衡感覚が多少可笑しくなっている。それ以外の場所にも多くの傷があって、出血は軽視できない状況だ。

 これ以上の長期戦は、厳しい。

 わずかに空を見上げると、東側の空が微かに薄明るくなっているが、日の出まではまだ大分時間がある。それほど時間が経ったのかと思ったが、この樹海に来た時刻がそもそも遅かった。それでも、持久戦は得策ではない。

 となれば、一撃で黒死牟の頸を斬る為の斬撃が必要になる。

 だが、技は全て出し尽くした。それに、黒死牟の頸を狙った『荒鷲』も『翔鶴』も通じないとなると、残る手段はただ一つしかない。

 鍛錬を重ねて習得した、八つ目の型だ。

 

(ヤツの頸を斬ることだけに、集中しろ・・・)

 

 この一撃を決める時だけは、自分の怪我など考えない。ただ、目の前の敵を屠ることだけに集中する。

 『フィィィィ・・・』という独特の呼吸音が周囲に響く。

 しかしそれだけでは、まだ足りない。自分の脚と腕に、酸素を送り込んで、力をつける。一撃で仕留めるための力を、送り込ませる。

 無意識に呼吸が大きく、激しくなり、音が『キィィィィ・・・』と変わっていく。だが、飛比路はそれを無視して、酸素を多く送り込む。

 

―――鳥の呼吸・捌ノ型

 

 自分の腕や脚の筋肉が、強化されたのを感じ取ると、飛比路は刀を構える。

 それを見た黒死牟もまた、六つの目をわずかに細める。

 

―――比翼(ひよく)鳳凰(ほうおう)

 

 その直後、一瞬で飛比路は黒死牟の眼前に迫る。その速度は、『荒鷲』より更に上だ。

 地面を強く踏み込み、軸を捉えて、花緑青の日輪刀を黒死牟の頸目掛けて薙ぎ込む。

 だが、その刀は黒死牟の刀に阻まれた。

 

「がぁ―――――――――――――――――ッ!!」

 

 力の限り、叫ぶ。血の雫が口から飛ぶが、どうでもいい。

 腕に最大限の力を込めて、刀を押し込む。

 

―――月の呼吸・伍ノ型・・・

 

 黒死牟が技を発動させようとするのを、肌で感じる。空気が軋むようなこの感じ、振り無しで斬撃を仕掛けるあの技だろう。

 だが、それを分かっていても、飛比路は決して退かず、刀に籠める力を緩めもしない。自分の力を全て手に送り、力の限り刀を押し込む。

 すると、黒死牟の刀から鉄が灼けるような音が聞こえてきた。黒死牟の六つの目が自らの刀に向けられる。それも気にせず、叫び続けて刀を押し込む。

 そしてついに、何かが割れるような音が聞こえたかと思うと、今まで阻まれていたものが失われたように、体勢を崩す。

 

「・・・・・・」

 

 荒くなった息を整えながら、周囲を窺うと、目の前にいたはずの黒死牟がいない。

 そして、自分の足元には、あの気色悪い目玉だらけの刀の一部が落ちていた。

 飛比路の斬撃が、黒死牟の刀を破壊したのだ。

 

「中々に・・・面白き技だ・・・」

 

 すると、どこからか黒死牟の声が聞こえてくる。飛比路の攻撃を躱すためか、五~六間先にいた。

 

「斬撃自体が・・・熱を帯びる程に・・・力を籠めた・・・一撃必殺の技と見た・・・」

「・・・その通り、だ」

 

 黒死牟の読みは当たっていた。『比翼・鳳凰』は、全集中の呼吸で自分の筋肉を最大限まで増強させ、防御を考えずに身体全体を使って刀を振るう技。他の技よりも呼吸の精度を上げ、身体の動きを大きくしなければできない。一撃必殺の技だった。

 それが躱されたとなれば、いよいよもって打つ手が無くなる。

 何より飛比路は、既に黒死牟の刀が元通りになっているのを見て、愕然とした。

 

「刀を折られるのも・・・久しいこと・・・実に楽しめた・・・」

「・・・そりゃ、どうも」

「礼として・・・一つ教えておこう・・・」

 

 黒死牟は一歩ずつ前へと足を踏み出し、飛比路との距離を縮めている。何かの攻撃を仕掛けるつもりなのは理解できた。

 痛みが限界を迎えつつある飛比路も、ただでやられてなるものかと思う。荒れていた呼吸を戻しつつ、自分の傷口を呼吸でできる限り防ごうと試みる。

 

「この刀は・・・私の肉から作ったもの・・・。故に・・・折られても・・・すぐに再生する・・・」

 

 十二鬼月の再生速度は、普通の鬼よりも遥かに早い。下弦の鬼でさえ相当なのだから、十二鬼月の上弦の壱ともなれば、怪我が治るのはそれこそ一瞬なのだろう。あの刀も黒死牟の身体の一部だろうから、あっさり再生してしまうのも頷けてしまった。

 心の中で、飛比路は毒づく。

 

「お前は・・・よく持ち堪えた方だ・・・」

 

 黒死牟が刀を振り上げる。

 

―――月の呼吸・陸ノ型

 

「・・・散ることを・・・誇るといい・・・」

 

―――常夜孤月(とこよこげつ)無間(むけん)

 

 黒死牟が刀を振るう。

 繰り出されたのは、前方広範囲に広がるような無数の斬撃。

 

(『白鷺』で迎撃を・・・)

 

 冷静に攻撃を見極めようとする。

 だが、四方八方から囲むように三日月上の刃が迫りくる。

 

(いや、捌ききれん・・・)

 

 痛みで震える手を握り、刀を振ろうとする。

 その直後、家屋が崩れ、地面が抉れ、刀が折れ、肉が裂ける音が響いた。

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