五等分の花嫁と七色の奇術師(マジシャン)   作:葉陽

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第23話 迫り来る魔の手  

 

 

 秋の肌寒い夜の下。

 

 日付が変わってしばらく過ぎた時間帯、男は不穏な影を伴って姿を現した。

 

 男の口元はいやらしく弧を描き、そして目標のマンションに向かって踏み出した。

 

 

 

 男は素早くマンションの塀をよじ登り、コソ泥のように背を丸めながら、素早い足取りで階段を駆け上がる。

 

 しばらくして屋上まで上って来た男は、腰に巻き付けていたロープを取り出し、屋上の柵に括り付け、それを使って屋上から目的の部屋まで降下する。スルスルと音もなく降りる手際に、何度も行ってきたことが窺える。

 

 そして目的の部屋ーーー中野家の部屋のベランダに降りた男は、ポケットから刃物を取り出し、窓をくり抜いて開錠をしようとサッシに手を掛けた。すると、なんと窓が開いたではないか。降って湧いた幸運に、自身の運の良さに気を良くしながらも、音もなく窓を開け、ついに侵入した。

 

 逸りながらも忍んだ足取りで、寝ているであろう部屋がある二階に上り、そこで少し迷った。

 

 

 

 部屋の扉が五つ。さて、どれが目的の人物がいる部屋か。どうしようかと逡巡し、片っ端から開けることにした。

 

 まずは手近なこの部屋だ。

 

 

 

 目を付けた扉のドアノブを引き、中にするりと入り込む。

 

 中に入った男は、乱雑した部屋に思わず面を喰らうも、視線を上げれば、ベッドに女が二人いた。暗いため分かりにくいが、どちらも顔が整っているとみた。

 

 

 

 これはこれは。俺の好みが二人も。

 

 

 あちこちに散らばっている服や物に足を取られないように進み、獲物を狙う獣のように気配をひそめ、ニタリと嗤う男は何も知らず夢を見る女の顔に手を伸ばす。鈍く光るナイフを掲げて。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー……

 

 

 

 

 

 目の前には血の海が広がっている。

 

 これは夢だ。

 

 

 

 目の前には友達が死んでいる。

 

 これは夢だ。

 

 

 

 目の前には目を見開いて死んでいる一花がいる。

 

 夢だ。夢だ。夢に決まっている。

 

 

 

 月に照らされたその姿に生気は無く、既に死神に袖を引かれていた。

 

 待ってくれ。連れて行かないでくれ。

 

 

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。

 

 

 

 鼻を侵す鉄の臭い、仄かに感じる血の温もり。

 

 

 

 夢であれ。夢であってくれ頼むから。

 

 

 

 そしてまた一人、イキタエタ。

 

 

 

 三玖の長い髪が床に流れ、その色を赤へと変えていく。

 

 

 

 物言わぬ骸へと変わりゆく。

 

 

 

 抱き起こした体は思ったよりも軽い。それは血を流しすぎているからだ。

 

 

 

 陶磁の様に白い肌は、鮮やかな深紅の色に染まり、絹の様な髪は、海に揺蕩う海月のような白さへと変わり。

 

 

 

 彼女たちだけじゃない。

 

 二乃も、四葉も、五月も、誰も彼も。

 

 

 

 たった独り、僕を残して死んでった。

 

 

 彼女らの血で真っ赤になった僕を置いて。

 

 

 僕も血まみれなのに、何故死神は僕を見放したのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー……

 

 

 

 

 

「ーーーーはぁはぁはぁはぁはぁ………」

 

 嫌な夢を見た。最悪な気分だ。

 

「はぁ」

 

 未だに夢の残像が瞼の裏に残っている。

 

 

 

 一花の流した血の温もり。

 

 二乃が零した血の色合い。

 

 三玖の軽くなったその体。

 

 四葉が遺した最期の言葉。

 

 五月に触れたその冷たさ。

 

 上杉の光を無くした双眸。

 

 

 

 追いかけてくる残像を振り切るように首を振って、僕はベッドから立ち上がる。

 

 眠気は無いし、もう一度眠れそうにない。

 

 風にでも当たって、気分を一新しようかとゆっくりと扉を開けて廊下に出る。

 

 

 草も花も、虫も獣も何もかも、眠りにつく丑三つ時。

 

 当然音を立てるものは無く、歩く度に幽かにギシッと軋む床が、背中を押すように恐怖を煽る。

 

 

 階段を降りようと、手すりに手を置いた直後。

 

 

 ーーーからからから。

 

 

 何処からともなく聴こえてきたその音に、一瞬両肩を震わせた。

 

 

 何処から聴こえてきた来たのか。聴こえてきたような方向に顔を向ければ、ベランダの窓が開いていた。

 

 どうやら風で煽られたカーテンが窓に叩きつけられていた音のようだ。

 

「………はぁ」

 

 

 知らず知らずのうちに息を止めていたみたいで、思ったよりも大きなため息が喉から出た。

 

 

「多分一花かな?」

 

 

 ベランダに最後まで居たのは一花だから、きっと一花が鍵を掛け忘れていたのだろう。窓に反射して映る自身の顔を、ぼんやり眺めつつそう考えていると、

 

「ーーーー!!」 

 

「ん?」

 

 ほんの少し、何か聞こえた気がする。いや、気のせいか。風の音か何かに間違えたのに違いない。幽霊でも何でもないと思いつつも、ベランダに出ようとしたその瞬間。

 

 

「きゃあああああ!!!」

 

 

 耳を貫く絶叫。絹を裂くようなその声に、僕は慌てて階段を駆け上る。

 

 

「きゃああああああ!!!」

 

 一拍遅れて聞こえてきたその声は三玖のもの。恐怖に満ちたその声に、先程の夢が頭を過る。

 

 まさか、まさか、まさか。

 

「やめ、やめて、離して!!!」

 

 

 その悲痛な叫びに、胸が軋む。

 

 殆ど勢いを止めず、飛び込むように部屋の扉を開けた。

 

 

 

 ユキトくんっ、雪斗ぉ、と涙が流れる声がする。

 

 青褪めて、通り越した白い顔。その頬を伝う幾筋の涙。

 

 

 

 一花と三玖しか居ない筈のその部屋に、見たこともない男が、ナイフらしきものを携えて、顔を青白く染めて震える一花の腕を握っていた。

 

 

 

 その男の顔は酷く貪婪的で、吐き気を催すほどの感情を、その顔にさらけ出していた。

 

 

 

「なんだお前ぇ、俺になんのようだぁ? 俺の邪魔をすんのかぁ?」

 

 

 

 その粘りつくような声が耳を震わせる。

 

 

 

 腹の底がどろりどろりと煮えていく。

 

 

 

 そして目の前が真っ赤に染まり、何も考えられなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー……

 

 

 

 

 

 

 

 手を伸ばしたその刹那、気配の外側で何かが這う音がした。咄嗟に振り返るも遅く、這って来た縄に腕を縛られた。

 

 

 

 なんだこれは?

 

 

 

 防犯機能か何かか、と思い持って来ていた刃物を取り出し切ろうとした。

 

 しかし、ピン、と縄が張り詰めたかと思えば何かが飛んで来た。そして腕に思いっきり噛みついてきた。

 

 

 

「ーーーー!!」

 

 

 

 痛みで声を出しそうになり、必死で喉で押し殺した。少し声にならない音が出たが、そんなことを気にしてはいられない。嚙みつかれた右腕を見れば、そこには得体の知れない化物がいた。暗くて良く見えないが、見た目は植物のくせに動物と同じくらいに動いている。思わず動転して、左手に持っていた刃物で追い払うように叩きつけた。

 

 

 

 ガシャンッと何かが割れるような音が化物からした。

 

 

 まずい。

 

 

 

 そう思った直後、手前の女が目を覚ました。

 

 しばたたく目はこちらを見やり、大きく見開いた。

 

 それにこちらも見開いた。この女、俺が求めていた一花だ。

 

 

 

「きゃあああああ!!!」

 

 

 

 耳を貫く絶叫。その叫びに目を覚ました隣の女も叫んだ。

 

 

 

 こうなったら仕方ない。出来るだけ傷つけたくはなかったが、楽しむためにはしょうがない。

 

 力づくで手籠めにしてやる。刃物をちらつかせれば、大抵の女は黙って従う。

 

 

 

 拳を固めて殴られても、所詮は女。痛くも痒くもなく、愚かな足掻きに過ぎない。

 

 刃物を使うまでもなく、一花は呆気なく男に囚われた。

 

 

 

 掴んだ腕は今にも折れそうなほど、細く、白い。

 

 

 

 その白さを味わうように、赤赤とした舌がいやらしく唇の端を舐めた。

 

 

 

「やめ、やめて、離して!!!」

 

 

 

 そしてその指を口にふくもうとしてーーーしかし。

 

 

 地震のような勢いで階段を駆け上がる誰かの足音。

 

 

 

 焦りに焦って思わず手が止まる。

 

 しかし、自分の手には武器がある。相手が男であろうと、誰であろうと刃物には敵わない。

 

 そう確信して、振り返ったのと同時に。

 

 

 

 吹き飛ばされるように開かれた扉。

 

 飛び込んできた一人の男。

 

 男は男でも、扉を開けたそいつは十中八九高校生。なら、やられる心配はない。

 

 そう思い込んでいた。今の今までは。

 

「なんだお前ぇ、俺になんのようだぁ? 俺の邪魔をすんのかぁ?」

 

 

 男は刃物をちらつかせれば、簡単に諦めると思ってた。

 

 しかしこれは悪手だった。

 

 

 青年から突如として発せられた怒気。

 

 こちらが狩られる側だと思ってしまいそうな殺気。

 

 

 

「肌が粟立つ。虫唾が走る。反吐が出る」

 

 

 その声は地を這うように低く、とても高校生の青年が発しているとは思えない雰囲気を放つ。

 

 

「地獄に堕ちろ外道が」

 

 

 地獄から漏れ出たような声、爛爛と光るその血のような目。

 

 それに恐れをなしたのか、男はぱっと手を一花から離した。

 

 それとほぼ同時に、力強く踏み込まれ、一瞬震えた部屋。

 

 消えたかと思うほどの速さで、雪斗は男の眼前へ。

 

 

 

「ぼべぇ!!」

 

 

 

 反応が出来なかった男は、雪斗の一撃を顔面に喰らって膝をつく。手にしていた刃物はどこかへと飛んで行った。

 

 

「ごはぁ!!」

 

 

 男が武器になりそうなものを探すよりも速く、今度は下から蹴られ、浮き上がった体は部屋の外へと転がるように飛んでった。

 

「一々喚くな。黙れよ」

 

 

 

 たった二回。

 

 その二回で男の体力は尽きた。

 

 

 尻もちをついて口と鼻からだらだら血を流す男を、雪斗は卑睨する。

 

 

「立てよ。こんなもんで許されると思うなよ」

 

 

 蛇のように絡みつく殺気。

 

 

 雪斗の気迫に圧され、逃げようと体を引きずる男に、もう一度雪斗は命を刈り取るように蹴りを放つ。

 

 

「死ね。外道が。地獄に堕ちろ」

 

 その瞳は地獄の炎さえ凍らせてしまうような冷たさを放っていた。

 

 

 

 

 

 

ーーー……

 

 

 

 

 

 危なかった。もうほんと、あと少しでアウトのラインを超えるところだった。もしかしたらチョット超えたかもしれないけど、死んでないからセーフ。…………セーフだよね? アイツのHPをミリ残しにしちゃった気がするけどきっとお医者さんが何とかしてくれるさ。…………失敗してくれることを願うけど。

 

 上杉がタックルで僕を止めてくれなかったら、三途の橋までぶっころがして、川に突き落として、強制的に彼岸まで退去させていた。改めて感謝。

 

 いや、まあ、怒られましたけど。警察に。過剰防衛だって。やりすぎだって。でも反省はしてない。だってアイツさ、いやゴミはさ、ホントにゴミでさ、うん。くたばれ。燃え尽きてしまえ。ゴミはゴミだ。慈悲はない。

 

 さて、そんな僕は今。

 

「大切なご息女を危険に晒したこと、大変申し訳ありませんでした。一花や三玖たちに重大な精神被害を与えてしまったこと、深く謝罪致します……」

 

 病室にて、中野さんに向かって土下座してた。頭が床にめり込まん勢いで謝っていた。

 

「如何なる処分も受け入れます。家庭教師を辞めろと言うのなら従います。今後一切娘たちに近付くなと言うならば、それに従います」

 

 額を床に口付けて、ぴたりと止まって数秒。何だか不安になってきた。何で何も話さないんでしょう? 無言が辛い。

 

 このまま過ごすのかと思ったら、頭の上で気配が動いた。

 

「謝罪は要らない。そもそも君は家庭教師だ。護衛として雇っている訳ではない」

 

「恐れ入りますが、家庭教師であっても雇われている身でいる以上、雇い主の大切な者を護るのは然るべきことではないでしょうか?」

 

 頭を下げたまま、僕は告げる。

 

「また、男で生まれた以上女性や子供を守らなくてはなりません。それが大切な友達なら、尚更です」

 

 何やら気配が動いたと思ったら、僕の肩に手があてられた。 

 

「顔を上げなさい」

 

 恐る恐る顔を上げれば、そこには冷たさがとれた顔があった。

 

「もう一度言う。謝罪は要らない。むしろ私が感謝をすべきだ。ありがとう。娘たちを守ってくれて」

 

 中野さんの“父親”としての顔に驚いて、一瞬固まってしまった。

 

「娘たちが無事で良かった。君のお蔭だ」

 

「………どういたしまして、と言っておきます」

 

 その一花と三玖たちは現在、姉妹たちに囲まれてセラピーの真っ最中である。そこには僕の鳩も送っといたから、アニマルセラピーも加わっている。がぶりんの御蔭でギリギリ間に合うことが出来た。後で好物をあげないとね。…………五月が知ってるのかな? 僕知らないんだけど。あと、割れた植木鉢を買ってやらないとな。いっそ土管にしようか。

 

「この話は終わりだ。傷に障るだろう。ベッドに戻りなさい」

 

「お気遣い痛み入ります」

 

「私は医者だよ。当たり前のことだ」

 

 さて、僕が何故病室に居るかと言ったら、腕と足の筋肉を少しやったから。アドレナリンドバドバで脳のリミッターが外れてたらしい。無茶な体運びでやらかした。

 

 中野さんによると、完治まで一週間はかかるそうだ。

 

 皆さんお気付きだろうか? そう、中間テストに間に合わない。

 まぁ確かに僕は、テスト延びないかな~って思ったけど、僕のテストが延びて欲しいんじゃなかった。

 

「そろそろ僕は戻るよ。お大事にね」

 

「はい」

 

 ちなみになんで病室にいるかというと、念のため詳しく検査したいそうだ。別に要らないと思うが、ここは中野さんのご厚意に甘えよう。 

 

 中野さんが病室から出て、何もやることがなくて天井のシミを数えること数分後、幾つかのシミが動き出したかのように見えてきた頃、何やら複数人の足音が外から聞こえてきた。事情聴取だろうか。既にやったんだけどな。どうせなら頼み事しておこう。あの人型ゴミにくだる罰は是非とも極刑でお願いしたい。ゴミはゴミらしくゴミ箱か、ゴミの終点焼却所に送っといて下さい。それでも、詳しくないから十中八九懲役何年か、罰金ぐらいにおさまっちゃうだろうと思うけど。ねぇねぇ死罪でいいじゃん性犯罪。首に縄くくって落とされろ。もし世間に放たれたら烏けしかけて糞まみれにしてやる。局地的糞嵐に巻き込まれてくたばれ。ゴミはゴミ。ゴミ以上になることはない。リサイクルなんてもってのほかだ。

 

 そんな物騒なことを考えてたら、ガラッと扉が引かれた。その扉の先には、警察の方々ではなくて一花達と上杉がいた。もう大丈夫なのだろうか。

 

「ありがとう。本当にありがとう」

 

 僕のベッドに着くなり一花は頭を下げてそう言った。それを切欠に三玖と、続いて二乃、四葉、五月にありがとうと言われた。

 

「ううん、無事で良かったよ」

 

 一花の頭を優しく撫でればぼろぼろと泣き出してしまった。

 

「う゛ん゛ありがどう!!」

 

 よしよし。

 

 一花のサラサラとした髪を、精一杯の慈愛を込めて梳く。その涙の雨が止むまで撫でた。

 

 そして雨が止んだ先には、一花の名に相応しい凛とした綺麗な花が咲いていた。

 

 

 






伏線回収です。
がぶりんの『害虫』駆除としての役割と、不審者情報ですね。がぶりんの役目はこれにて御免ということで。
ありがとうがぶりん。森へお帰り。
~~♪
~~~~♪
(何か壮大なBGM)

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