ファミリーレストラン“バルティモラ”。
東京都内を中心に展開するファミレスチェーンで、この街にも数店舗展開していた。
その店舗の一つでは、昼時の目の回るような忙しさが過ぎ去り、落ち着いた空気が流れていた。
「休憩入りまーす」
アルバイト店員の如月 涼は、首の関節を鳴らしながら休憩室に戻る。
10時に開店してから、この時間まで休憩を取るタイミングがなかった。
入って2年以上が経ち、バイトリーダーがいない時は、その代わりとしてフロアの指揮を任されることも多かった。
涼が休憩室に入ると、そこにはペットボトルを両手で持った小さな少女がいた。
彼には気づいていない。
後ろからそっと近づき、上から彼女の顔を覗き込んだ。
「おいおい、何で巴さんがオレの紅茶花伝飲んでるんですかねー?」
「ふぇぇっ!?!?」
朝倉 巴は慌てて上を向き、瞳を白黒させながら涼を見つめた。
巴は数ヶ月前に入ってきた涼の後輩で、今は恋人同士だった。
新人として入った直後から、暇さえあれば涼に絡んでくる。
そもそも人懐っこく、誰とでも仲良くできる性格だったが、特に涼には「こいつと幼馴染だったのか」と錯覚させるほどに話しかけてきた。
そんな彼女に涼も興味を持ち始め、いつしかお互いに恋心を抱くようになった。
「だ…だって先輩… これ休憩所に置きっぱなしだったから、もう飲まないかなぁって思って」
巴は、上目遣いで涼を見つめる。
「だからって勝手に…つーか全部飲みやがったな、このぉ」
顔の小さな巴の柔らかい頬をつっつきながら、涼は空のボトルを取り上げた。
片手で空のボトルを弄びながら隣に腰掛ける涼を、巴は目で追っていた。
「あ、あはは…怒った?」
茶目っけと不安が混じった表情を浮かべる彼女を、涼はにやけそうになるのを堪えながら見つめ返した。
彼の眼に、巴の慎ましい胸が映る。
「おっぱい触らせてくれたら許してあげようかな~」
「それなら……ふぇ……え?……な、なあ!?」
何の前触れもなくセクハラ発言を吐いた涼に、巴はまたしても目を白黒させた。
みるみる顔が紅潮し、頬を膨らませる。
「そ……そういうのは……もうっ!何言ってんのこんなところで!バカぁ!エッチ!」
ポカポカと涼を叩く巴。
「嘘だって、怒らないで」
御目当ての表情と反応を見ることができ、涼は満足げに巴の制裁を受け入れていた。
「ふんっ!しーらないしーらない」
「あはは、ごめんて」
満足した涼は、背後にあるゴミ箱にペットボトルを捨てた。
夕方______
「おつかれーっす」
「おつかれさまです!」
シフトを終え、涼と巴はそろってバルティモラを後にした。
二人は並んで歩き出す。
身長178cmある涼と、150cmに満たない巴が並んで歩くと、遠目には親子の様にも見えた。
歩きながら、他愛のない話をする2人。
「そういえば先輩。先輩は、運命とかって信じる?」
ふと、巴はそんな話題を口にした。
「運命か……」
その言葉に、涼は自分の過去に思いを巡らせる。
「……運命は信じるよ、なんとなくだけど」
運命を否定する気は無い。
だが、いっぱいあった嫌な記憶が、どれも運命で決まっていたと考えるのは嫌だった。
「えぇー?なんとなくー?」
無論、涼が何を考えて答えたのか、巴は知る由もない。
曖昧な答えに対し、口を尖らせた。
「だって、巴ほど乙女じゃねえからさ」
「えへへ」
巴が照れ臭そうにする。
実際彼女は、最近では珍しいくらいに乙女な性格の少女だった。
私服も、フリルのついたものを好む。
「でもちょくちょく、ああ運命だなって思う時はあるよ」
「例えば?」
「そりゃまあ……巴に出会った時とか」
「ボクもだよ!ボクも、先輩と初めて逢ったときから、やっと運命の人を見つけられたって……ホンットに嬉しかったんだから!」
「〜っ、ありがと……」
巴は、割と感情を素直に表現する。
照れ臭くなることも構わず言ってのけ、涼をよく赤面させた。
「えへへ!他にはないの?運命を感じたこと」
「そうだなぁ。あとは、今のクルマ見つけたときと……あ、そうだ」
「なになに?」
考え込む涼を、巴は覗き込むように見上げている。
だが涼は、脳裏に浮かんだ人物を消し去るように、首を横に振った。
「いや、そんなところだ」
笑ってそう返した。
それから、涼は先日観たテレビ番組に話題を変え、2人はそれで盛り上がった。
駅が近づき、電車が発進するアナウンスが聞こえて来る。
帰宅ラッシュの時間帯で、人通りは多かった。
涼の自宅アパートはバルティモアから歩いて20分とかからなかったが、巴はこの街から数駅離れた自宅から通っている。
随分遠いところから通っているものだと涼は思ったが、理由も尋ねてもはぐらかされてきちんとした答えは返ってこない。
とはいえ、それくらい遠いところから通っている人間は他にもいるので、特段気にしなかった。
基本的に涼は、あまり細かいことは気にしないようにしている。
「ねぇ先輩」
別れ際、巴は話しかけた。
「今度、ボクの家に来ない?」
「巴んちに?」
「うん」
「いいのか?俺なんかが……」
巴は、姉と二人暮らしだったと聞いていた。
涼と同年代だが、アンティーク人形の職人として、店を切り盛りしている。
その界隈ではかなり名の知れた職人で、国内のみならず、海外にも多くの顧客を抱えている。
対して、単なるフリーターの涼。
細かいことや他人の目はあまり気にしない性格とは言え、さすがにフリーターだと恋人の姉に名乗るのは気が乗らなかった。
だが……
「うん!お姉ちゃんの仕事がひと段落つくから、今度連れてきなさいって」
どうも、向こうからの指名らしい。
そうなると、断る理由もなくなってしまう。
それに巴の懇願する眼を見てしまうと、断る気も起こらなかった。
「嫌がったら、ズダ袋に入れて連れてくからって」
「えぇ……まあ向こうが良いなら、俺はいつでもいいよ」
「本当!?じゃあ次の日曜日は?」
「いいよ」
話している間に、二人は駅の前まで来ていた。
「じゃあまた明日ね」
巴と涼は、明日もシフトが同じだった。
というより、気を利かせた店長が、なるべく二人同じになるように仕向けている。
「おう、じゃあな」
涼は手を振り、背を向けて帰路に着こうとする。
その時だった。
「あ……待って」
「ん?」
涼のパーカーの端を掴み、巴が涼を呼び止める。
振り返ると、エメラルド色の瞳を輝かせ、こちらを見上げていた。
「先輩……」
「ん?」
「あのメイドロボ……まだおうちにいるの?」
「…!?」
真剣な巴の声に、涼は思わず黙り込む。
心拍数が上がる。
「そっか、いるんだね」
背中がじわりと汗ばんだ。
まだ、夕暮れ時は涼しい季節のはずなのに。
数週間前の出来事を思い出す______
「巴。俺は別に……」
「ううん、気にしないで!ボクも、いつまでもわがまま言い続けるほど子供じゃないんだから」
おひさまのような笑顔だったが、涼の焦燥感は消えない。
「ただね、先輩……」
「なんだ?」
「ボクのことだけ…見ててね?先輩___」
巴の瞳は、混じり気のない宝石のようだった。
「分かってるよ…分かってる」
涼は、巴の頭にそっと手を置いた。
彼女の銀色の髪は、人形のそれのようにふんわりとしている。
まるでシルクの作り物のようだった。
やがて、巴が利用している路線のアナウンスが聞こえてきた。
「電車来たぞ。そろそろ行かないと」
涼は、ほっとため息を吐きそうになるのを堪えた。
「そうだね、急がなきゃ!」
そういうと、巴は小走りに駅の構内へ駆けていく。
「バイバーイ!また明日ね!」
「じゃあな!」
お互い手を振り合うと、巴は足早に中の改札の方へ消えていった。
巴の姿が見えなくなると、涼は大きくため息をついた。
首を左右に傾ける。
関節が鳴った。
「帰るか」
もう一度、大きくため息をつくと、涼は駅に背を向け歩き出す。
背後で、電車がゆっくりと走り出す音が聞こえた。
国内最大の機械メーカーである綾小路重工業が、人型ロボット“TYPE-SAKUYA”を産み出したのは、今から十数年前。
家事手伝い等の用途を想定した、通称“メイドロイド”の誕生は、世界中に衝撃を与えた。
高度な人工知能は人との自然な会話をもたらし、柔らかな人工皮膚に覆われたボディと組み合わされば多彩な感情表現が可能だった。
最初に発表されたA2型はまだ動きや受け答えが機械的であったが、初めて一般向けに発売されたA3、そして今年発売された新型のA6へとモデルチェンジしていくにつれ、ますます人間のような滑らかな動きと自然な受け答えができるようになっていた。
価格も年々リーズナブルになりつつあったが、1体で新車のフェラーリ1台分に相当した。
それでも人気は強く、富裕層向けの商品にも関わらず予約は最低1年待ち。
特に秋葉系の界隈での人気は異様で、「現実が二次元に追いついた」「AHIはアニメと現実を繋げる技術を持っている」と、発表当時は連日ニュースになるほど騒がれていた。
その用途は家事手伝いのみに留まらず、コンビニや飲食店のような人手不足に悩む企業などでも導入されている。
一方で高度過ぎるAI故に、いつか人類越されるのではないかという不安や、軍事転用されるのではないかという懸念の声も少なからずある。
近年盛り上がりを見せるAIに関する議論では、必ずTYPE-SAKUYAの存在が大きく取り上げられた。
そんな高性能で世界中から注目されているメイドロボは、街の一角にある古いアパートで肉じゃがを作っていた。
「ただいま、ユーミア」
アパートのドアが開かれ、涼が入ってきた。
「おかえりなさいませ、マスター」
菜箸を片手に、メイドロイドのユーミアが振り向く。
涼の顔を見ると、満面の笑みを浮かべた。
深い青色のメイド服に身を包んで夕食を作る姿は、人間のメイドとほとんど見分けがつかない。
ボブに切り揃えたブロンドからのぞく、銀色のヘッドギアが無ければ本当の人間の少女と、外見は全く変わりがなかった。
「良い匂いだな」
部屋中に満ちた肉じゃがの香りを感じながら、涼はソファの上に腰を下ろした。
「もうすぐできあがりますので、もう少しお待ち下さいね」
「はーい」
健気に料理をするユーミアの背中を少しの間眺める。
涼は立ち上がって、部屋の隅にあるコレクションラックのガラス戸を開けた。
ミニカーや車系のグッズと共に、コレクションのカメラが占めていた。
元は色々なものが雑然と仕舞われていたが、ユーミアが綺麗に清掃して見事なショーケースにしてしまったものだ。
涼はその中から、小柄な一眼カメラを取り出す。
中古で買ったソニーα7Cに、同じメーカーの広角レンズを取り付ける。
フルサイズのミラーレスだったが、ボディが小型で、涼はいつも室内撮りに使っていた。
モニターが点灯すると、レンズをユーミアに向けた。
完成し、小さくガッツポーズするユーミアの後ろ姿をファインダーに捉える。
小さな電子音に続いて、電子音とシャッターの音が響いた。
「できましたよ、マスター」
ファインダーの向こうで、ユーミアが涼に微笑みかける。
「今からよそいますね」
「ありがと」
涼も微笑み返すと、もう一度シャッターボタンを押した。
ユーミアの瀟洒で、しかしどこか幼さが残る笑顔が写った。
涼はユーミアに見守られながら、ほかほかの肉じゃがを口に運んでいた。
「美味しいですか?味付けは濃いめにしてあるのですが……」
「うん。いつも通り、美味しいね」
「良かったです」
自分の手料理を食べ続ける主人を見て、ユーミアは微笑んだ。
コンピューターでプログラミングされたとは思えない、自然で素直な感情表現だった。
「マスター?」
「ん?」
「何か、悪いことでもございましたか?」
「……」
涼の、味噌汁に伸ばす手が止まりそうになった。
ユーミアの察する能力の高さには、毎度驚かされる。
「……鋭いなあ、ユーミアは」
「マスターの心のケアも、メイドロイドの大事な役目ですから」
ストレスフリーな状態と、どこかで悩みを抱えている状態では、脈拍や脳波にも違いが出るのだろう。
頭ではわかっているが、それでも涼は、彼女が自分が悩んでいるのを
だが人間同士の恋愛相談を、ユーミアにしても仕方がない。
「ま、いろいろあってね」
適当にはぐらかす。
「マスター」
だがユーミアは、まっすぐ涼を見つめた。
人間の瞳に似せたカメラセンサーだと分かっていても、真っ直ぐ見つめられるとドキリとする。
しばらく、涼はユーミアに見つめられ続けた。
「……いえ、分かりました」
そう言うと、ユーミアは席を立った。
「お風呂の用意を致しますね」
「うん、ありがと」
ユーミアの微笑みに笑顔で返すと、涼は残りの肉じゃがを平らげ始めた。
深夜______
涼のアパートは3階建てだった。
計4部屋だが1つの部屋は狭く、建物自体も小さかった。
1階には4つのガレージがあり、2階と3階に部屋がある。
そのガレージの1つに、赤いハッチバックのランチア・デルタS4が静かに佇んでいた。
4灯の丸いヘッドライトや、直線的に描かれたボディラインは、現行の乗用車に比べてはるかに古臭いデザインをしている。
そんなデルタS4の運転席に、涼はエンジンもかけず座っていた。
巴に告白された時。
涼は即座に了承し、その場で人目も気にせず抱きしめた。
後輩として慕ってくれていたころから、心のどこかで彼女を好きになっていた。
その気持ちが両想いだと知ったとき、涼は心の底から幸せだと思った。
ユーミアと出逢ったのもその頃だった。
街はずれの廃工場で、瓦礫と共に倒れていた。
ロボットとは言え、ボロボロの彼女を見捨てられず、涼は介抱して連れ帰った。
メモリーを損傷し、今も記憶を失っているが、それでも徐々に調子を取り戻している。
今は涼を
だがそれらは徐々に、涼の悩みの種となりつつあった。
巴は、同居人であるユーミアを快く思っていない。
ユーミアも、巴のことを涼の精神的健康を阻害する存在のように言ってくる。
バルティモラでは巴に、
家ではユーミアに、
「そんな女とは距離を置け」と言われ続ける毎日。
涼は、なるべく話題を出さないよう気を遣い続けてきたが、最近ではそれも嫌気がさしてきた。
数週間前に起こした、巴との大喧嘩もそんな中で起きた。
だが、例えどんなに頭を抱えようと、涼は2人を愛していた。
恋人として、
あるいは家族として。
だからこそ悩むし、気を遣うのも苦痛になる。
大切な人のことを口にして、大切な人の機嫌を損ねることほど、悲惨なことは無い。
「二人に比べれば、お前は偉いよな」
スウェード巻きのステアリングを撫でて、涼は呟いた。
このデルタS4は、彼が巴やユーミアの次に大切にしている愛車だった。
相棒歴は彼女達よりはるかに長い。
この車を手に入れて、もう二年が経った。
ステアリングポストの付け根にあるシリンダーにキーを差し込み、捻る。
センターコンソールにあるスターターボタンを押すと、背中からアバルト製1759ccの目覚めの轟音と振動が伝わる。
デルタS4は見た目こそ3ドアのコンパクトカーだが、実際には運転席と助手席しかない2シーターだった。
本来後席とトランクがあるべき場所には、エンジンと2種の過給機が占領している。
ヘッドライトを点灯し、シフトレバーを1速に入れる。
重たいクラッチペダルをそっと戻すと、S4はスルスルとガレージを出る。
いつか、二人との問題にケリをつけなければならない日が来る。
それは分かっている。
それでも涼は、今は何もかもを忘れたかった。
涼のデルタS4はエンジン音を響かせ、アパートから走り去る。
遠ざかっていくその赤いマシンを、ユーミアはベランダから静かに見下ろしていた。