ナナシはロビーに設置されたターミナルの画面に視線を向けていた。ターミナルではデータベースにアクセスし、アラガミや各種用語の閲覧、装備の変更等を行うことができる。ナナシも極東支部の正式な一員となり、これらの機能を一般神機使いと同様に十全に使うことが許可されていた。
とはいえ、ナナシが見てたのはアラガミの弱点属性でも偏食因子の概要でもない。自身のフェンリルクレジットの残高だった。
ルビーのように煌めく瞳が訝し気に細められる。そのシャープな顎に手を当て、苦笑するように呟いた。
「―――ふっ…金がない」
近くのソファに座っていたコウタがそれを見て言う。
「イケメンて得だよな。あんな情けないセリフでもなんかカッコいい気がするもん」
横に座っていたユウが呆れた顔で言う。
「いや、カッコ良くないよ。流石に誤魔化されないよ」
「ふうん、やっぱ男は顔じゃなくて中身か! 良いこと聞いた!」
「そうは言ってないけど…」
自身の発言を都合よく解釈したコウタにユウは呆れる。顔はやはり大事だと思う程度には神薙ユウの嗜好は普通の女子だった。
おつかれさまでーす、とコウタがナナシに手を振る。
「ナナシさん、金欠なんっすか?」
「まあ、肯定か否定の2択ならば前者を選ぶしかないな」
「何でこの人素直に認めないの…」
「プライド高いんじゃない? というか意外とお金の使い方荒いんだね、ナナシって」
意外にも歯に衣着せぬ言葉でナナシを切るユウ。それに対して、
「待て、理由がある。『バケモノ討伐の片手剣』だよ。装備の更新の費用が自分持ちなのは良いとして、何故初期装備にまで金がとられるんだ」
「ああー、確かに俺たちは初期装備はタダで貰いましね。そっからのカスタムは自腹でどうぞって感じだけど」
「コウタはツバキ教官の神機をそのまま貰えたから良いよね。ボクのは出来たばかりの新しい神機だからどんどん強化しないとアラガミの進化に置いてかれるよ」
「まぁーつまり最近新調した武器にお金を全部取られた訳なんすね」
「ああ。極東支部の正式な一員となったからにはその扱いも一般の神機使いと同様にあるべき、だそうだ」
「ん、でも確かにおかしいっすね。神機使いの初期装備は確か無償で支給されるはずっすけど。少なくとも俺たちはそうでした。同じじゃないじゃん」
と、コウタが呟く。その先はユウが引き取った。
「多分初期装備は書類上は別の剣なんじゃない? 確か『女王討伐の片手剣』ってヤツ。実際数日前まではナナシはアレを使って戦ってたんでしょ。いまいちアラガミには効果が薄かったみたいだけど」
でも、と続ける。
「確かに聞いてると酷い話だ。あの剣って元々はナナシが自分で持ってきた剣だよね。確かに榊博士が折れた剣を繋いで無理やり修復はしたけど、あれをフェンリルが用意した初期装備と言い張るのは、うん、酷い。ナナシにお金はらいたくないだけじゃないの」
ユウには珍しいことに早口で長々と言う。小首を傾げてナナシに問いかけた。
「一緒に抗議する?
「いや、別に文句がある訳じゃないんだ」
自分で思うのも何だがナナシはその出自故目立ちやすい。ここで抗議して周囲から余計な関心を買うのは得策じゃないだろう。それに人間と言うのは、苦労している人間を見ると安心し、地道にコツコツと努力する人間に親近感を覚える。金欠に悩み地道に金を稼いでる今のナナシの現状は、レヴナントという壁を壊し周囲に溶け込むには、悪くない状態だと言えるかもしれない。
「……とはいえ、金がないのはやはり応える。まさかこの時代になって貨幣経済に振り回されるなんてな」
アラガミの出現以降、既存の宗教の神々は人の心から死んだが、唯一残った神がいる。それが金だ。正確にはフェンリルがそうなるように仕組みを整えた。
「何か手軽にお金を稼ぐ裏技でもあればいいんだが。例えばガラス繊維を行商人から買ってそれを売ると何故か手元のお金が増えている、みたいな」
「なんすか、そのえらく具体的な錬金術じみた金策は…」
「分からん。はるか昔にはそんな裏技があったような気がするんだが。記憶の欠損…?まあ、俺は食料を摂る必要がないからな。最悪金が無くても何とかなる。回復錠も俺には必要ないしな」
神機使いは普通の人間に比べて非常に高い治癒力を持つが、アラガミとの戦闘時においては回復錠を投与してその回復力を更に高める。回復錠と銘打っているが実際の所は人体の偏食因子にエサを与え活性化を促すドーピング剤である。人体を一瞬だが意図的にアラガミに一歩近づけているともいえるかもしれない。
故に一度の任務で携行できる数はフェンリルによって厳重に制限されている。因みにこの回復錠も自腹である。これに関して神機使い(特に傷の絶えない近接神機使い)からのクレームが激しいが、一向に改善される見込みはない。
この回復錠であるが、ナナシは使用を禁止されている。レヴナントに使用した場合、どのような効果が現れるか現状正確には把握されていないからである。とはいえレブナントは自身の心臓部のBOR寄生体を刺激することで、神機使いを遥かに上回る再生力を発揮することが可能であるため、もとより回復錠いらずであり、ナナシはその分の経費を削減することができる。
「それはダメだよ」
ユウが少し口を尖らせて言った。
「ん?」
「いくら食べなくても平気でも、人らしく暮らしをやめちゃいけないと思う。人の命は、生きてるってだけで宿るもんじゃないから。ただ生きてるだけじゃ、人じゃないよ。だからあげるね、これ」
ユウは食べかけのチョコバーを差し出した。ナナシは目を細めた。
「いや、お前…」
ティーンエージャーとの間接キッスに恥ずかしがるほどナナシは子どもじゃない。しかし、戸惑いはあった。いくら少女側が遠慮なく距離を詰めてきても、少なくとも大人側は倫理と理性を持って窘めるべきだと思う。
「はい」
ユウの有無を言わせぬ迫力に結局負けたが。
「ありがとな」
口元に突きつけられたチョコバーを受け取けとる。
(無自覚に距離が近いな、この子は)
魔性の女の素質があるかもしれない。もしユウと同年代だったならば、危うかった。
「え、ちょ! え!」
コウタが慌てる。その様子にナナシはおや、と思いながらも問いかける。
「人の命は生きてるだけで宿るものじゃない、か。良い言葉だな。ユウが自分で考えたのか?」
「ううん。友達が、言ってたんだ」
ともだち、の四文字には強い想いが乗っていた。
「そ、それ男友達か!?」
コウタが叫ぶ。
「若いって眩しいな」
チョコバーを齧りながら、ナナシは笑った。片方は何処までも透明度が高い故の無自覚魔性ムーブ、片方はそんな少女に振り回されながら自身の想いに気づいてもいないようだ。いいや、まだ恋と言えるほど大きな感情ではなく、一番距離が近い異性にドキドキしてるだけか。
ともかくナナシは笑いながら目を細めた。過ぎ去った青春を懐かしむように。
◆
その日の午後、ナナシはアナグラのある小部屋に足を運んでいた。室内には第一部隊が揃っていた。ミーティングである。ソーマだけは特務があるらしく、席を外しているが、逆にソーマ以外はいる、ということは当然この少女も部屋にいた。
「本日付で原隊復帰になりました。また、よろしくお願いします…」
アリサ・イリ―ニチナ・アミエーラだった。銀髪のロシア娘は伏し目がちにか細い声で頭を下げた。
「いやあー! 復帰できてほんと良かったよ! すっごい心配してたんだ!」
コウタが喜色の声を上げる。
ナナシは右手を差し出しす。アリサはおずおずと握り返した。
「はじめて会うな。ナナシだ。書類上は第七部隊の所属になっているが、実質的には第一部隊で配属されている。よろしく」
「は、はい。お久しぶりです…!」
言うや否やアリサは握手をほどき、自分の首周りに腕で回す奇妙なポーズをとった。
「なんだそのポーズ?」
リンドウが目を丸くした。
「首を守るポーズだな」
そういえば、とナナシは記憶を何とか復元する。ユウの血を啜った際、アリサはドン引きです!とか言ってた気がする。アリサの中ではナナシは婦女子の首元を狙うド変態になっていうのかもしれない。
(一応、レヴナントが血を求める情報は回っているはずなんだが…)
「アリサ…」
ユウが咎めるように言う。アリサははっとして、ナナシに再度向き合った。
「は、はい。その、ユウからお話は聞いています。支部の人々を守るために一人で突破された防壁に向かって戦ったって。人々を守るために戦い、成果を出す。とても素晴らしいことだと思います。…私と違って」
今度はいきなり卑屈になられて、ナナシは面食らった。
(なるほど。リンドウから厄介なことになっているとは聞いていたが…)
ナナシが目配せし、リンドウが横から口を挟む。
「アリサ。ありゃお前さんのせいじゃない。悪いのは大車だ」
「は、はい…ごめんなさい…」
目線を逸らしてアリサは謝るばかりだった。そんなアリサが混じった第一部隊のミーティングは腫物を触るような何とも言えない空気の中で終わった。
他のメンバーが退出する中、ナナシはリンドウに声を掛けられる。
「ナナシ、ユウ。少しいいか? アリサの事なんだが。さっきのミーティングで言ったようにアリサは第一部隊の正式な任務には出さない。代わりに、しばらくお前たちはアリサと一緒にスリーマンセルで演習任務に出てほしい」
「ユウは分かるが、どうして俺…あぁ、いや分かった」
「話が早くて助かるぜ。お前さんなら人格・戦力的にも安心して任せられる。ユウがいるのは、アリサのメンタル面を考慮してだな。アリサはこのアナグラではユウを一番信頼してる。本当なら俺がアリサに着くべきなんだろうが、見ての通り完全に委縮しちまってな。俺に銃を向けたことが余程トラウマになってるらしい」
確かに、あの緊張具合ではアラガミとの戦闘にも影響を及ぼすだろう。そして、リンドウはナナシならばアリサがアラガミとの戦闘中にどんなに取り乱しても、対処できると信頼してくれている。ならばその信頼に応えたい。
「まずは自信を取り戻させること。そして可能なら新型神機使いのノウハウも教導すれば良いんだな?」
それが今回ナナシがアリサとユウに保護者に選ばれたもう一つの理由だ。
「ああ。新型神機は最近正式に配備されたばっかりで、戦術も教導マニュアルも正直どこの支部も手探りでな。俺が教えられるのは近接だけだしサクヤなら遠距離での立ち回りも指導できるんだろうが、これまでのユウの戦う姿を見るに、単純に2つを足して別個に戦うんじゃなく、近遠両方を融合させたまったく別個の戦闘ロジックが必要みたいだ」
似合わねえ難しいことを言いすぎたな、とリンドウは頭を掻く。
「ともかく、遠近両方を素早く切り替えて戦うお前さんのスタイルは新型神機使いに近いと前々から思ってた。ユウ、これを機にナナシから色々学んどけ」
「うん、わかったよ」
「ユウ、これからよろしく頼む」
「アリサと一緒にお世話になるね」
かくして、尋常ではない過去を背負った