ナナシはペイラー榊の研究室の診察台に横たわっていた。
「なんと、これは……ほう、成程…! 実に興味深いね…!」
榊はモニターに映し出される数値に喜色に満ちた声を上げる。ナナシの身体は、彼の知的好奇心を大いに刺激する存在だったようだ。
ある程度のデータを収集し終え、榊はナナシに会話を振った。今日はヴェイン内のアラガミについてだった。
ナナシは基本的にヴェイン内の出来事については、包み隠さず榊に話していた。QUEEN計画や神骸については危険性を考慮して情報を伏せようかとも考えたが、最終的に情報を開示することにした。
それらについて隠すとなると、ナナシの活動やヴェイン内に歴史についても多くのブラフを混ぜる必要性が出てくる。
結果としてナナシの話に矛盾が生じ、彼らの信頼を損ねないとも限らない。
外の世界の人々の信頼を得たいならば、まずナナシ自身が彼らを信じなければならない。そう彼は考えた。
「…それでヴェインの地下には原種に近いアラガミが封印されいたわけだね」
「ああ、その殆どは封印が弱っていたこともあり既に討伐されたが、一部のヤツはまだ生き残っているはずだ」
「ふむ、是非とも彼らのオラクル細胞を入手したい。アラガミは周囲の環境に応じ、常に進化し続ける存在だ。進化の袋小路に彼らが陥ることはない。君はサラブレッドと言う存在を知っているかい? 馬の一種でね。人の手によって極限まで進化した彼らの身体は、個体ごとの優劣はあれど種としてはもうあれ以上進化できなかったそうだ。……っと、君はアラガミ出現前の社会出身だったね。すまない、いつもの癖で」
ともかく、と榊は続ける。
「アラガミは常に進化し続けるが、同時に現存のアラガミの殆どは、既にある程度の進化の方向性が決定づけられてしまっている。空を飛ぶことに特化したアラガミは、今更強靭な足腰なんて必要はしないし、逆もまた然りだ。だからこそ、我々の刺激によって何処までも柔軟に形を変える真っ新なオラクル細胞、いわばレトロオラクル細胞は、多くの分野で我々の研究にブレイクスルーを与えてくれる」
ナナシの話はペイラー榊に多くの刺激を与えているようだが、同時にナナシにも多くの実りを与えてくれていた。まさか深層に封印されていたバケモノたちにそのような使い道があるとは思ってもみなかった。
この数日で確信したことではあるが、基本的に外の世界の方がヴェインに比べて技術の水準は上である。
ヴェインでは大崩壊から然程時を経ず、周囲のアラガミを駆逐してしまっていた。ヴェイン内にはアラガミはもはや居らず、故にオラクル技術の向上の必要性もない。
加えてヴェインの統治者のシルヴァは、クイーン討伐戦以降は技術の進歩を忌避していたフシがある。娘を発端とした悲劇が彼の心に大きな楔を打ち込んだのだろう。
外の世界は違う。
無限に進化するアラガミとのイタチごっこに打ち勝つため、先に、先に、と技術を発展させる必要がある。レトロオラクル細胞もその一つだろう。
「深層のバケモノがその、レトロオラクル細胞を持っていると?」
「可能性はある。まあ、君の話を聞く限り、ある程度の不純物は混じっているようだがね。デミ・レトロオラクル細胞とでも言うべきかな。…そもそもレトロオラクル細胞が机上の空論だ。本当にあるかどうかも分からない以上、現状はヴェインのアラガミで我慢するしかない」
加えて、とペイラーはその糸目を僅かに開いた。
「レヴナントを外の世界で産み出すにはヴェインとの交流が必要不可欠だろうね。君の心臓にBOR寄生体は完全に融合している。それを取り出すことは、君の死を意味するだろう」
「それは勘弁してほしいな」
ナナシは苦笑する。
(外の世界とヴェインの交流、か。或いはそれが俺のやるべきことで、世界を救うことに繋がるのかもな)
「私だって頼まれたってやらないさ。…それに君はレヴナントの中でも特異な存在だ」
診察室の大画面モニターに写真やグラフが映し出される。ナナシの胸部のレントゲン写真だった。グラフの数値は血中のオラクル細胞を示していた。
「君の心臓には大きな穴が開いている。致命傷…間違いなくそのままでは死亡していただろう傷だが、そこを埋める形で金色の未知のオラクル細胞が癒着している。その細胞は心臓から流れる血液を通して、微量ではあるが体の各所に運ばれている。君は確かにレヴナントなのだろうが、どうにも私にはその定義から半歩外れているような気がするね。とどのつまり、君個人という生物には大変興味をそそられるが、レヴナントと言う種の研究対象として見れば、君は余り相応しくない」
「まあ、そうだろうな。……博士、ここではっきりさせておきたいんだが、貴方たちはレヴナントという存在をどのように見ている? いや、どう扱うつもりなんだ?」
「……支部長の考えの全ては私では到底知ることはできないさ。……だが、この世界は神機使いだけで支えるには、余りに数が少なすぎるし課題も多い。神機使いの損耗率も依然として高いままだし、どんなに適合率が高い者でも十数年も経てば活動限界で引退だ。だけどレヴナントはその現状を打破できる可能性がある。とはいえ、問題点も多い。技術的問題……それに」
「倫理的問題、だろ。レヴナントは死体から蘇る存在だ。アーカイブで調べたところ、この世界は大崩壊前の倫理観を強く残している。レヴナントには、かなりの抵抗がありそうだよな」
それに問題は他にもある。ナナシは榊に問いかけた。
「……レヴナントはアラガミか? 死者が生き返っているのではなく、生前の人格と記憶を持ったアラガミが産まれているだけで、その実、哲学的ゾンビに近い存在じゃないのか」
「……その質問には安易に応えることは出来ないな。哲学的な内容に入らざるを得ない。そちらは門外顧問だ。心が何処にあるのか、という永遠の謎にも近しいよ」
「言外に身体的にはアラガミに近いと認めたな」
ずっと疑問があった。
ナナシは他人のブラッドコードに適合できる特異体質だ。しかし、どうして深層のバケモノのブラッドコードまで取り込むことができたのか。
(簡単だ。レヴナントもバケモノも本質的には変わらない)
ぽつり、と榊が言った。
「今の私と科学には明確な答えは出すことができない。どこまでがアラガミで、どこからが人間なのか。しかし、仮に、仮に君たちが『そう』だとして、君は悲しいのかい?」
ナナシは首を振った。
「いいや、俺は……そうでもないな。人間だろうがアラガミだろうが、俺のやることは変わらない。
虚勢でも強がりでもなく、それは紛れもない本心だった。
イオはイオの意思を貫き通した。
どのような産まれであっても。
どのような役割があっても。
彼女自身の意思でヴェインを救い、白い樹となった。
だからナナシも彼女に続きたい。
その意思を継いで、世界を救う。
彼女のやるべきだったことをナナシが為す。
だけど、
「俺はよくても、同胞たちが、少し可哀そうだ…」
ナナシの体験とそこから得た決意は彼だけのものだ。
他のレヴナントは違う。
訳も分からず墓から掘り起こされ、人間の為に戦って、取り戻したのは荒廃した世界と自分の命だけ。
そして、実際のところ、自分自身すら失っていたとしたら。余りにも残酷が過ぎる。
「……神が人となるか、人が神になるか」
「?」
榊が小声でつぶやいた。小さく笑いながら言う。
「私は友人とずっとそういう競争をしていてね。君たちレヴナントはその狭間に立っているのかもしれない。狭間にいて、どちらにも立っている。だからこそ、君たちの在り方、自分が人なのかどうかは自分で決めても良いのだと思うよ」
「…貴方は、ロマンチストなんだな。少し救われたよ」
ペイラー榊は優秀な科学者であり、変人であり、優しい人間であり、何よりロマンチストだった。
だから、ナナシは榊にあんな質問をしてしまったのだろう。
彼ならば、きっと優しく希望のある答えを返してくれると期待して。
「友達にも、よく言われるよ」
そう言って榊は肩を竦めた。