TSチート異世界転生者の責任   作:真っ黒オルゴール

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第八話

 うっすらとした蝋燭の明かりの中、羊皮紙が細い指先でめくられる。

 山脈都市グランドルフは戦支度に追われて昼夜もない騒がしさで満ちている。ただ城の執務室まではその喧騒は届かない。

 エルデリカのめくる羊皮紙は放った斥候達の報告書である。どんな些細な情報でもと命じていたためその量は膨大だったが、目を通さないわけにはいかない。元々有利な戦ではないのだ、見落としは許されなかった。

 

『テオ砦都市難民のおよそ半数が山脈都市グランドルフに近日中に到着予定。三割が移動中に脱落。残りは蛮族に捕捉された模様』

 

 テオ砦都市に関する報告だ。斥候達も正確に数を数えている余裕はないからざっくりだが、おおよそ外れてはいない。

 この数字が報告にあるのは別に領民を心配しているという人道的な理由ではない。蛮族にとって捕らえた只人は糧食にもなりうるから数えているだけだ。戦争が長期化すれば蛮族たちは只人を使って増えることもある。そんなろくでもない理由からだった。

 

「(よく七割も逃がしたものね…)」

 

 コルセのことだからろくな情報も与えずに送り出しただろうに。

 テオ砦都市はエリナード子爵領の大きな都市では最北端だった。つまり最も早い段階で敵とぶつかったのだろう。カナバルの話によれば義勇兵を得ていたようだが二百も届かない手勢で逃げる難民を守るのは至難の業だ。

 

「ほめてはあげないわよ、あんたはそれができて当然だし、自分を捨て駒にするなんて…親不孝よ」

 

 私はあんたの親じゃないけどね、と目を伏せながら羊皮紙を伏せる。

 ちょうどそのころだ、執務室の扉が叩かれた。

 入るように告げるとぬっと長身の青年が入ってきた。

 燻ったような短い金髪。整った顔立ちだが何かに疲れたように胡乱に開かれた目。

 肉体は鍛え込まれているが色白で、身を包む貴族然とした服の襟のボタンをすべてきっちりと締めてその色を隠しているように見えた。

 テル=ロア=エリナード。エリナード子爵家嫡男にしてアメリアの実兄だ。

 

「…お呼びと聞き、参上しました」

「ん、よく来たわね。逃げるかと思ったわ」

 

 あんまりな言い様ではあるが、あのコルセが跡継ぎと目する息子である。

 正直なことを言えばエルデリカはこの男のことをよく知らない。ただ事前に聞いた話でわかっていることはある。

 曰く、妹のアメリアの才覚に心折られた青年。

 気持ちはわからなくなかった。戦技を教えたエルデリカからしてもいくら只人がドワーフやエルフでは考えられないような効率で技術を修得するとはいえアメリアのそれは気色が悪い領域に入っていた。…信じられるだろうか、あいつは弓を触った当日中に二百メートルを当然のように当てるようになったのだ。そんな奴が身内にいたら自信も無くするだろう。

 本人の能力は少なくとも極端に劣るわけではない。学院には通わなかったようだが、アメリアの教育係であるログセなどの優秀な家庭教師に教わっている。盗賊退治などの実戦もほどほどに積んでおり、決して無能と言うわけではないはずだ。

 …なんにせよろくな噂ではない。コルセ同様に何かと理由をつけてグランドルフを離れる当日までのらりくらりとやられるのではないかと勘ぐっていた。

 

「…オレも親父のやり方すべて賛成しているわけじゃありませんよ」

 

 テルは微かに怒りの色を目に宿したが、抑揚の少ない口調でそう言った。

 領民も領地も丸ごと捨てるコルセの選択は貴族としては唾棄を通り越して狂気のそれである。多くの場合貴族家の嫡男は跡取りを外されることを恐れてイエスマンになりがちだが、さすがにその程度の良識はあったかとエルデリカは息をついた。

 これなら話を進めることができる。

 

「そう、安心したわ。あいつは頭は良いけどちょっと気合の入った外道だから困るのよね」

「…オレに何をお求めで?」

「今、山脈都市グランドルフは大規模な徴兵を行っていることは知っているわね? でも、それじゃ全然足りないのよ。特に質がね」

 

 山脈都市グランドルフは大都市だ。徴兵を完了すれば蛮族には及ばないまでも相当な大兵力となるだろう。しかし、職業軍人とも言える精鋭兵とはその能力は著しく落ちる。

 ただ城壁に籠って戦うならば頭数としては十分だ。だが、打って出るとなれば話は変わる。身を守る城壁のない戦場で十分な能力を発揮することを望むのは難しい。

 

「…エリナード子爵領軍は親父に従いますよ。…まさかと思いますが」

「別にコルセをぶっ殺して軍権奪えとまでは言わないわよ。でも百人弱の素人交じりだけど戦意旺盛な兵がいるのよ。正規教育を受けた騎士付きの」

 

 エリナード子爵領軍はすぐにでもいなくなるだろう。エルデリカはそれを止めることはできない。貴族的な常識をかなぐり捨てたコルセは貴族的な命令は聞かないし、二百近い職業軍人を物理的に制止すれば内輪もめで被害が出かねない。ただ、例外はあった。

 

「…。…アメリアの手勢ですか」

「そう。あれは一部エリナード子爵領軍っていってもコルセの命令なんてそうそう聞かないでしょ。アメリアが連れてきた兵と義勇軍の練度は不安だけど戦意旺盛な理想的な兵隊よ、正義のためならば死ぬでしょう。それにカナバルは正規教練を受けた騎士よ、使わない手はない」

 

 カナバルはアメリアと一緒にいるからパッとしないが、正規の訓練を受けた騎士である。

 王国において騎士とは魔術と戦技を高い水準で治めた者しか得られない名誉称号だ。

 一代限りではあるが、相当な武功を立てるか、王国最難関の一つである騎士学院を卒業せねば得られない立派な爵位だ。

 二十前後で資格を得ているカナバルは相当な使い手だ。…それにアメリアについて回って未だ無事と言うあたりが有能さの補強となる。

 

「あんたに貴族としての矜持があるなら、アメリアの手勢を率いて武勇を示しなさい」

 

 試すように言う。

 領地領民を捨てるなど貴族にとって末代までの恥。親の恥を雪ぐのは子の役目だ。

 この特大の汚点を消すにはアメリアの武勇ですら足りない。コルセからすれば潰れる国での面子など価値はないと言ったところだが、お前はどうだ?

 テルはしばし目を伏せた。そして聞き取れない何事かを押し殺すように呟き、尋ねてきた。

 

「…オレである理由を教えてください」

「あんたは仮にもエリナード子爵の嫡男だから。一応エリナード子爵領軍の枠組みに入るアメリアの部隊を率いるのが一番スムーズだからよ。さすがに私が命令するのは難しい」

「…親父への意趣返しってだけじゃないんですね」

「なくはない。クソ腹立つからね。でも違う…そうね、あんたが必要なのよ」

 

 あんたが必要。エルデリカはあえてその言葉を使った。人づての話でしかなかったあやふやな推測だが、テルに必要なのはそういう言葉だと思った。

 実際その言葉は暗い影のように重々しいテルの気配に小さくない動きをもたらした。

 拳を静かに握り込み、歯を強く噛む。目は目蓋の下でとめどなく蠢いていた。

 蝋燭の蝋がじっとりと受け皿に伝い、固まり始めるほどの時間が過ぎるころ、テルはゆっくりと頷いた。

 

「…親父にはオレから言います。伯爵様と事を構えずに逃げられるなら親父も了承すると思いますから」

「わかった。頼んだわよ」

 

 ぬっと重たい影を引きずるようにしてテルは執務室を後にした。

 エルデリカは重たいため息を付きながら執務室の大きな椅子に身を沈ませた。

 これでまた一つ負けの要素を削ぐことができた。貴族の役目も果たさず逃げるコルセからぶんどれるものはこれが限界だろう。それはともかく。

 

「…断られるかと思ったけど、話ほど腑抜けじゃないかもね」

 

 噂は当てにならないものだと、ぐっと伸びをした。


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