ドーム状の巨大な天蓋に、稲妻のように走ったひび割れ。そこから差し込むか細い光が、空洞都市ゼボイムの姿を人の目に辛うじて顕にしている。
かすかに吹く風。カビくさい臭い。そうしたものがここではまだまだ新参に過ぎないということは、この街全体の異常なまでの保存状態の良さが何よりも物語っていた。
数年前の地殻変動によってゼボイムは文字通り白日のもとに晒されたわけだが、その時点で4000年の年季が入ったタイムカプセルは開かれた形だ。
止まっていた時計の針が動き出している。これからはこの街も、地上のあらゆる風景と同じように、ゆっくりと、しかし着実に、時の流れに巻かれて崩れ去ってゆくことになるんだろう。
……つってもまー、そんな古代文明のノスタルジーに浸ってる余裕なんざ一切ないんだが。
『シグルド卿! 敵の第二波が来てます! ケモノが2! 金槌アタマが4! ミロク大尉のチームが弾幕張って防戦中!』
「了解した! 今行く!」
ファルケ少尉の切羽詰まった声が、内部スピーカー経由でカマボコ型の巨大兵舎に響いた。舎内ギア・ハンガー横の高架上でコンソールを弄っていたシグルドがすぐさま顔を上げ、跳ねるような勢いで駆け出していく。
その間も俺は開け放されたゼボイム・ギアのコックピットの中で、ブルースクリーンにゼボイム言語がずらずら並んだモニターを睨んで四苦八苦である。
空洞都市辺縁部の軍事基地跡。そこのギア・パドックに状態保全モード――内蔵スレイブ・ジェネレータの継続的な事象変移により、構造全体をより高い精度で保持できる――のまま並んでいた機体の中から、まずは最大戦力を引っこ抜くのが現時点での目標だった。
ギアの性能とジェネレータの出力は概ねイコールで結ばれる。出力係数に比例して高い潜在精神力が必要になってくる基本法則は、今も4000年前も変わらないわけだ。ゼボイム・ギア高級機種のスペックは、ゲブラーのナイツシリーズよりもヴィエルジェタイプに近く、搭乗者には相応の質が求められる。
つまるとこ、準エレメンツクラス以上の人間をコックピットに放り込まないとまず稼働自体させられないってことだが。重ねて言うが俺たちユーゲント生が身につけているメカニック技能ってのはあくまで緊急事態用の余技に過ぎず、エラー吐きまくってマトモに起動すらしないソフトウェアをシャッキリさせるのなんぞ、専門外も良いところである。
ゼボイム言語はどうやらソラリス語の古語にあたるようで、頑張れば読み解けなくもないため無茶振りとまではいかない。それでもあっちを弄ってこっちを確かめと、三歩進んで2.5歩くらい下がるような始末。お陰様で作業は遅々として進まない。
つーか、こないだようやく技師チームが充足したのに、なんで俺がこんなに機械仕事ばっかりせにゃならんのだ!
……答え。仮に防御能力が一般人レベルの人間を連れてきても、現状ただの自殺幇助にしかならんから。
こうして現地を訪れてみると、ソラリスに反旗を翻そうと一所懸命なはずの『教会』の発掘が、十何年も掛かって未だ途上だった理由がよく分かる。
原生動物どもがフツーに危険過ぎるのだ。
原作ではキャリアー原種、ハンマヘッド原種などと呼ばれていた、空洞都市全域に分布するモンスターの群れ。都市内部の探索は一区画内をギア・バーラーでウロウロするだけで済むこともあって、大して印象に残らない賑やかしにすぎなかったはずなのだが。
目的地までパッと行ってパッと帰るしかしないゲームとは異なり、あれこれ持ち出すためにそれなりに長時間滞在する必要がある現状。ソイツらはなかなか命に関わるヤバめな障害物なのだった。
原生動物の主なナワバリは、空洞都市地下部分に張り巡らされた交通用のトンネル網と見られている。
そのため市街地で四六時中エンカウントするわけではないのは好材料。しかし地上に上がってきた個体が生身のヒトを目撃すると、途端に凶暴性を剥き出しにして襲いかかってくる傾向があるようだ。
よそ者に対する敵意からか。それとも、死霊《ウェルス》同様に人間の血肉に惹かれているのか。
設定資料を思い返すに、こいつらはゼボイム文明時代に行われたソラリスまがいの生物実験(人体実験含む)の副産物である。強靭な膂力や敏捷性といった獣なりの強みに加えて、ヒト種由来のエーテル感応力を後天的に引き出されている個体が多い。ある意味で死霊《ウェルス》のプロトタイプと言えなくもないわけだった。
おかげで強さも死霊《ウェルス》並かそれ以上。近衛騎士クラスでも小銃弾バラ撒いて足止めするのが精一杯、俺かシグルドが前面に出ないとほとんどダメージが通らないとくる。
こんな危険地帯に技師連中なんぞ連れてこようものなら、不意打ちくらってちょっと掠めただけで一瞬の内に血ダルマが量産されちまう。
ゼボイム探索第一陣は、安全性の観点から、元近衛騎士及び陸戦隊の精鋭のみで組んだ作戦チームでゲリラ的に行うしかないという結論に至った。
まず初めに、空洞都市天蓋の亀裂部分から観測機を入れて狙い目の施設を見定める。その後は末端部から入り込んでいる『教会』勢とは異なり灯台地下の正規ルートから侵入し、目的地までまっすぐ急行。そこで目当てのモノを一通りかっさらったら、尻に帆かけてとっととトンズラという塩梅である。
……正直、やってることの方向性としては遺跡発掘というより銀行強盗あたりに近いよーに思う。
『カール! こちらシグルド、聞こえるか!?』
コックピット内にブラ下げてあるトランシーバーががなり立てている。嫌な予感しかしねえ。ようやく初期化が終わってOSがマトモに立ち上がったところだってのに。
……こちらラムサス。厄介なお客さんは首尾よくお引取りいただけたか?
『残念ながら顧客対応中に一件追加だ。裏手の側からかなりの大物が来てる、俺一人だと手が回らん! 作業は一時中断してそっちに向かってくれ!』
ですよねー。はいはい、行きゃいいんでしょ行きますよ……。
◆
とはいえ、技師チームに対して何か含むところがあるわけじゃあないのだ。
むしろ連中には感謝しかなかった。彼らが来てくれてからの展開の速さは、正直言って驚かされることしきりだった。
王都ブレイダブリクのギルドから、シグルドが水面下に引き抜いてきたメカニックの一団。過去に王家のお抱えとして仕えていたメンバーが過半を占め、その中には以前にユグドラのジェネレータ周りの担当経験がある古株が居たのが嬉しい誤算だ。
彼らは俺が半端に進めていた仕事を引き継ぐと、それこそあっという間に艦全体を本調子まで仕上げてしまった。
流石に本職はモノが違うと唸らされる。
塵閣下の地頭がいくら優れていようと、しょせんは俄仕込みの付け焼き刃にすぎない。一応、技師チーム元締めのオヤッサンからは「素人一人にしちゃよくやった」と言ってもらえはしたものの、労働効率的には普通に雲泥の差が有ったと言えよう。
その間に、ユグドラのクルーについてもワンセット分が確保済みである。
軍用潜砂艦を運用できる人員となるとただでさえ特殊技能保持者な上、下界では尚更レアなわけで、見るからに難題な目標だった。そう上手くはいかないだろうと踏んでいたんだが……シグルドの実家周り、即ちノルンの民から人材を引っこ抜いてこられたのが大きかった。
ノルンは通商と遊牧を主な産業としているそうで。その方面の伝手を頼ることで、ハーコート家知己の通商団ひとつをまるまるスカウトしてきやがったのだ。
砂上艦で砂漠を股にかけた知識と経験は、潜砂艦のコントロールにもそれなり以上に流用が利く。彼らだけでクルーの八割方が充足し、不足部分についても、アジトの人員を現任訓練でハメ込む見込みが立っている。
ユグドラ自体が操作性のいいインターフェイスを備えた素直な艦だったこともあり、既にバトコン・レベルでの運用が可能だ。
素のスペック差によって一般的なアヴェの戦闘艦相手なら大幅有利。ゲブラー相手でもそうそう引けを取らない戦いができるはずだった。
相変わらずシグルドは人材調整役の適性が高い。
技師チームにしても、クルーの件にしても。ヤツの働きなしにはこうも上手くは行かなかっただろう。
もちろん各種コネの有無もあろうが、それ以上に、全体を見通す視野の広さとバランス感覚、勘所を押さえた柔軟な交渉力が占める割合大なのは明らかだ。
俺やメイソン卿が同じことをやっても二枚落ち三枚落ちが見えているわけで、現有戦力として唯一無二は間違いない。
ご先祖のロニ・ファティマも商売人として人や物資の差配に長けていたそうだが、なるほどバルトと同じくこちらも血は争えないということなのかもしれなかった。
もっとも、これだけの成果を出すにあたり、イグニスの大砂漠をサンドバギーで昼夜に渡って強行軍するハメになったらしく。日がなの熱中症や脱水症状予備軍、昼夜の寒暖の差による自律神経への継続ダメージに加えて、座りっぱなしからくるエコノミー症候群なんかも危ぶまれるようだが。
まぁ、そこらへんは必要経費というやつだろう。今後も気にせずバリバリに頑張っていただきたい。玉座を奪還した暁には存分に労災申請するなりしておくれ。
◆
かくしてユグドラⅠは本稼働を果たした。
それを待ってまず行ったのは、ユグドラⅡの再稼働である。
……なんか、トートロジーというか、玉突き事故みたいな趣きがないではないが。まぁ細かいことはおいておく。今さら使える知識やモノを使い倒すのに躊躇いはないのだ。
原作塵閣下に一杯食わされて手負いとなり、その直後にイドの玩具となって熱砂の海に沈んだユグドラⅠ。砂粒化システムの停止とともに砂中に埋まりきって脱出不能。クルーともども王党派残党、枕を揃えて全員死亡となりかねなかったところ。
ご都合主……あいや、極めて運の良かったことに、ユグドラⅡの伏せられていた地下鍾乳洞の一角へと滑り落ちるに至る。
原作における一連の経過を念頭においた上で、確たるターゲットが存在するという前提で探索すれば、ユグドラⅡの発見自体はそう難しいことでもない。
ていうか、そもそもが地下鍾乳洞といっても巨大潜砂艦を伏せておけるようなポイントだ。ある程度人為的な手が入っているのは間違いなかろうし、ユグドラⅠ撃沈がニサンへ向かう途上だったという事実関係もあって、アヴェ、アジト、ニサンを頂点とするルート三角形のどこかしらに引っかかる公算は高かった。
実際そのとおりで、目標のポイントは拍子抜けするくらいにあっさり見つかった。
ソナー探知で発見した座標は、アヴェ~アジト間のアヴェ寄り3/4あたり。ユグドラⅠで鍾乳洞の砂底まで潜航浮上し、船体中央部のフラッシュライトで一面を照らすと。眼前に広がるは、まさしく宝の山であった。
洞穴側壁のすぐ近く、船体を半ばまで砂中に沈降させたユグドラシル級同型艦。あるいはパーツ単位にバラされたギアや兵器類。
少々のメンテでリカバリー可能な居住フロアに整備用施設。そして、長期保存を前提にシーリングを施されたコンテナの山々。
試しにコンテナをいくつか開けてみたところ、武器弾薬や保存食等に紛れて、換金用の一次資源がざっくざくだ。わっはっは、これこそ日照りに雨とでも言おうか。
……いやもう実際、恥も外聞もないレベルで有り難かったのだ。
戦争にカネが掛かるのは古今東西共通のことだが、首都近郊の財政基盤を喪失している王党派は、運転資金をニサンからの献金に頼らざるを得なくなっている。そのせいで懐事情は非常に厳しく、おまけにスポンサーが外にいるせいで、何するにしてもまずは逐一そちらにお伺いを立てる必要があったわけで。
そのあたりのゴチャゴチャした面倒ごとが、先人たちの備えのおかげで一挙好転である。
もちろん一回こっきりのブーストなので、完全に独立採算でやっていけるとまでは行かないが。それでも、王党派としての発言力がより強まり、それなり以上に無理押しが利くようになったのは確実だった。
ありがとう、ファティマのご先祖たち。感謝感激雨あられだ。法皇府の霊廟に向かって拝まずには居られん。
……まぁ、ユグドラⅡの外部ブリッジに埋め込まれていた紋章の件や、華奢な見た目ですぐにピンと来るシェバト製ギアのユニットが物資の中に含まれていたことを考えると、ちょーっと引っかかる部分があったりもするのだが。
アヴェやファティマ王家じゃなくて、シェバト側に所有権があるブツもかなり混じってんじゃねえのコレ、という。
もし将来、自分たちのぶんを耳揃えて返せと尤もなことを言われても、好き勝手使った後ではどーしようもなくなってしまう。しかし、国難の危機で王党派としては普通に切羽詰まっている今、使わずに済ませる選択も採りづらい、ていうか無理だ。
最悪、ゼファー女王への事後承諾と長期借款で済むよう祈っておこう。緊急事態ということで何卒ご容赦いただきたい。
早速技師チームを筆頭に人員を送り込み、サルベージ作業を開始した。
最初に取り掛かったのはもちろんユグドラⅡ本体の復旧だ。流石にちゃんとしたドックに停泊させられていたユグドラⅠに比べると保存状態が悪かったが、そこは同型艦の強みが活きた。
ニサンの工房で埃を被っていたユグドラⅠ用の各種交換用パーツがそのまま流用可能だったのはつとに大きく、修復作業はびっくりするほど急ピッチで進んだ。
ものの数日で微速航行可能にまで状態を巻き戻し、続いてアジトのドッグに場所を移して、本格的なレストアに掛ける。その間に俺は残ったメンバーの指揮を取って、物資搬出及び、現地のサブアジト化を目した改修作業を手掛けた。
どちらも一ヶ月足らずでほぼ完了。結果として、王党派はブレイダブリク近郊に第三の拠点を得、そこを母港として大陸全域で暗躍可能な潜砂艦《ユグドラⅠ》、潜砂潜水艦《ユグドラⅡ》のそれぞれを手中に収めたのである。
両艦ともに性能は地上随一。既に部隊レベルの戦闘力では、イグニス大陸のトップを走っているものと見られる。
積載ギア数がまだまだ少ないので、両軍共に布陣した上で正面から当たられると脆いのは難点だが。逆に言えば、頭数さえ揃ってしまえばもはや――ギア・バーラーみたいな一部巨大な例外は除くが――向かうところ敵なしと言える。
それならとっととギア部隊を……という意見が、上からも下からもしきりに飛び出てくるのは当然の流れだ。そしてそのアテは俺のアタマの中にあり、そこに至るまでの筋道だって立てられる。
空洞都市ゼボイム。4000年前から眠り続ける太古の兵器群。
バルト&マルー救出の折にゼボイム・ギアを使ってみせた経緯から、メイド・イン・ゼボイムの性能については既に証明済みだと言っていい。前述の発言力強化もあって、ニサンのお歴々の承認もあっさり得られた。
いよいよ戦力拡充フェイズの総仕上げをすべき時が来たわけだ。
俺たちはユグドラⅡを駆り、一路、ゼボイムへの進入路を擁するアクヴィ・エリアの大灯台へと赴いたのだった。
◆
軟体動物じみた気色の悪いボディに巨大な美女の上半身。陸戦隊チームの援護射撃を受けつつ、三体目のシエラ原種をなんとか仕留めた。
豊満なバストに突きこんだブレードを力任せに引き抜く。横倒しになった異形の身体を道路脇へと蹴り飛ばし、ブレードにべっとりと付いた紫色の体液を一振りして散らすと、エーテル探知で周囲に敵意が残っていないことを確かめた上で警戒を解いた。
陸戦隊の一人が誂って口笛を吹きやがったが、お前さん後で覚えてろよ? 見た目は確かにおっぱいかもしれんが、ゴムタイヤみてーな硬さで有り難みなんぞまるで無かったんだからな。まったく貧乏くじを引かされたもんだ。
……こちらラムサス。お客さんはようやっと沈黙。だいぶん釣り出されて市街地まで来ちまったが、ここまで目に届く範囲には敵影は残っていないと見られる。オーバー。
『こちらシグルド。了解だ。こっちは一通り片付いて既に作業に戻っている。しばらく警戒の上、後続がなさそうなら早めに戻ってきてくれ』
オーケー。これより俺以外はツーマンセルになって各自周囲の警戒行動に移る。追加の客が来ないことを願いたいもんだ。
もっとも、なかなかそう都合良くはいかないだろうとは思っている。
実際、軍事基地跡での作業を開始してから、似たような襲撃を既に四度も食らっているのだ。
だいたい二時間弱に一度の割合でスクランブル発生で、その都度何十分かは拘束されるハメになる。おかげ様でスケジュールの遅延っぷりはなかなかに凄まじい。
このままだと確実に今後の支障が出るだろう。何より体力面が厳しかった。近衛と陸戦隊の連中についてはローテーションで休ませればある程度保つはずだが、襲撃のたびに俺かシグルドの札を切らされるのが難点で、俺たち二人のスタミナ残量がそのまま活動限界になってしまっている。
騙し騙しやって、一昼夜くらいなら何とか堪えられるはずではあるが。フル警戒モードで二徹は流石にキツかろうと思う。一旦切り上げてユグドラⅡまで戻り、そちらで英気を養った上での再アタックを繰り返す形になりそーな気がする。
一応、エメラダが保存されているデータベースまでの道筋を付けておくというのも今回の作戦目標のひとつだったんだが……この調子だとどうも無理そうだなあ。
今のところ、ラヴィーネとかいうアバランチもどきの拠点に、培養シリンダーごと搬入されているということしか分かっていない。この広大な空洞都市のなか、モンスターの襲撃と隣合わせで反社会勢力の拠点探しなんてやってたら、時間と命がどれだけ有っても足りゃしないのは明らかだった。
もともと、エリィもヒュウガもいない状態でデータを解凍できるかというとわりかしビミョーでもあることだし。とりあえずハゲ二号とトロネ(とおまけのセラフィータ)だけでは手が出なかったわけだが、分子工学の知識レベルでは、俺たちも連中とどっこいどっこいのはずだからだ。
リスクリターンを考えると、彼女は救出の手はずが整うまでは放置しておき、タムズの協力が得られてから原作通りの末端ルートでお迎えにあがるのが無難なところか。
ボディ再構成前の液化ナノマシン群体の時点で彼女には自意識があったようなので、お預けをくらうエメラダ本人にはたいへん申し訳ない話ではある。しかしまぁ、3990年も4000年も誤差みたいなもんということで、悪いがもうしばらくだけ我慢してもらおう。
とにかく今回については、基地内のギア部隊確保だけに目標を絞って速やかにタスクを……。ん?
窓の灯が失われて久しい不気味なビル街。天蓋の亀裂から差し込む太陽光のおかげで、交通道路に向かって倒れ込むように、建物の影がうすーく差しているんだが。
連なる影のうちのひとつが。道路側に向かって、僅かに尖って伸び上がった、ような気がした。
違和感のあった路上をめがけて、遠目に視界の焦点を合わせる。確かにゆっくり動いている。そしてそれはどうやらビル影ではなかった。明らかに生物由来の有機的な形状と見たほうがしっくりくるのだ。
はじめはキャリアー原種かと思った。四足歩行の化け物が高所に顔を出し、それが、光の加減で巨大なシルエットになっているのかと。
しかしそうではないことはすぐに分かった。動いているのは影全体。そしてその影は200シャールほど先に位置する十字路のあたりに見えていて、その上だんだん高く大きく盛り上がってくる。
何か、バカでかいものがこちらに向かって近づいている。一連の影の動きは、その兆候を示しているとしか思えなかった。
ものすごーく、嫌な予感がした。
慌てて後方で警戒にあたっていた陸戦隊チームに指示を出す。全隊員ちょっと下がってろ。いやちょっとじゃない、基地まで撤退!
怪訝な表情を浮かべつつもやにわに走り出す陸戦隊を背に、俺一人がブレードを構えて戦闘態勢に入った。もし小銃弾の弾幕が抑えにならないサイズの敵が襲ってきた場合、全員揃って追い縋られるよりも、誰かが残って一当てする方がトータルでは有利だ。
俺一人でマトモに相手ができるかは分からんが、とりあえず出来る限り最善手を打っておく判断だった。
そして指示を出してから十数秒後。敵さんの全容がお出ましになった。
交差点の左側からぬっと現れたのは、黒褐色の鱗に覆われた有翼の巨体だ。ガッシリとした四肢。巨大なナタを思わせる恐ろしいツメに、極太のステーキナイフもかくやな物騒なキバ。更には切れ上がるように鋭い眼光が、周囲を我が物顔で睥睨している。
……おいおいおい、ドラゴンじゃねーか。確かにこのフロアの出現モンスターに含まれていたとは思うが。しかし、上空から観測したときはこんなデカブツ影も形も無かったんだが? いったい何処から湧いて出やがった。
丸太のように図太い首が僅かに曲がり。高みからジロリとこちらを見下ろして、俺ことカーラン・ラムサスを視界に収める。
見た目に反して体重はかなり軽いんだろう。あの図体で、接近されるまで足音がほとんどしなかったこと自体が詐欺みたいなもんだ。
それにしてもでかい。見上げているとサイズ差が有りすぎて現実味がない。変にアタマが冷えてしまった。笑顔になって片手を挙げてみる。やあ、こんにちは? 元気してる?
……返答は圧し殺すかのような唸り声。愛嬌のないヤローだ。
こちらをエサだと思ったか。それともただ害虫か何かと見なしただけかもしれないが。敵意の発散と共に相手の存在感が格段に増した。莫大な生命力から来るプレッシャーが、一瞬にしてあたり一面に張り詰めるのが分かる。
それに当てられた撤退中の陸戦隊チームが、恐怖のあまりにパニックを起こすのが聞こえた。いやもうそりゃしょうがないわ。みっともなかろうと一向に構わん、お前らとっとと基地まで逃げろ!
……おいシグ、聞こえるか。こちらラムサス。ヤバいことになったぞ。
『こちらシグルド。何事だ。こっちの作業は今のところ順調だが』
洒落にならん大物と遭遇した。目測で体長40シャール。空飛び火を吐くオオトカゲ。ランカーなんて目じゃないバケモンだ。
『なんだと!?』
生身でマトモにやりあえる相手じゃない。確か調整中のギアがOS立ち上げまで行ってたはずだな? 大至急ジェネレータ本稼働させて、取るもの取り敢えずでいいから加勢してくれ。
五分、いや四分以内で頼む。それだけ保たせられりゃあ御の字だ。
『……分かった、なんとか間に合わせてみせる。悪いがしばらく踏ん張ってくれ。無事でいろよカール』
おう。俺がスプラッタにならんうちに駆けつけてくれよ。頼んだぞ。
空洞都市辺縁部にドラゴンの咆哮が響く。その圧迫感を受けてじりじりと後退しつつ、しかし逃げ出すとまではいかないくらいで踏み留まる。
可能な限り膠着状態を維持し、付かず離れずで時間を稼ぐ。果たして上手くいくだろうか? 正直分からん。
俺だって陸戦隊チームの後追いをしたい気持ちは大いにあった。怖えっつうの!
……しかし、こいつは既に逃げ惑う陸戦隊のことを目撃している。『逃走』コマンドよろしくでさくっと撒いてしまうと、こっちより与し易い連中の方を追いかけていく可能性が危惧された。当然そうなれば向かう先は基地内、あの巨体で突っ込んで大暴れされたら大惨事不可避だ。
幸いエーテル防御は大物相手でも効果がある。しっかりブロックすればある程度までは耐えられるのは分かっている。
といっても、人類最高峰たる塵閣下のスペックを持ってして、カスったぐらいなら即死は免れ得る、といった程度だが。
それでも無いよりはよっぽどマシなのは確かだった。バッファー無しの一発アウトじゃ話にならん。その域に達せられる人材なんぞ全世界でも一握り、今ここでしんがりを勤める人間として、俺以上の適任はないであろう。
我ながらなんて素晴らしい判断力。いやあ、惚れ惚れさせられるね。
……クソッタレめ!