や。元気そうでなにより。
ん? 今さら『元気』も何も無いって? そうヘソを曲げるもんじゃないさ。なんだかんだ、こういった形式的なやり取り《ポーズ》ってものには、議論を円滑に進めるにあたってそれなりにメリットがあるんだから。
今や怪しい儀式扱いされるような行為だとしても。処理能力の空費だと突き上げをくらいがちだとしても。それでも差し当たって、状況をニュートラルに見るための一助くらいにはなるはずだ。
今回みたく。突発性のトラブルに見舞われたせいで、所与としての冷静さを欠いていそうな場合には、特にね。
懐古趣味だって? ……まぁ、そうかもしれないな。実際、今の我々の間にはブームが到来しているんだと言っても、そう間違いではないんだろうと思うよ。
今だけは存在感がある身の振り方。そのスタンスはどこまで行っても一過性のもので、ある程度の時間単位が経過すれば、いつしか跡形もなく蕩けて消え去ってしまう。
その意味で、君の懸念というか、感じている居心地の悪さにはそれなりの妥当性があるわけだ。
廃れた流行りを見返してみたとき、なんであんなものがと白けたムードになるのもお約束。
……とはいえ、今だけはその流行りにも裏付けがあるんだ。巷にしっかり蔓延っている。その手のシロモノにつき、正論を振りかざしてみても、中々どうして巧く剥がれてはくれないのさ。
主観的に見て、長らく音信不通の身の上だった君としては。そうしたニワカな風潮には、なかなか馴染み難いところがあるかもしれないが。
だからって変に逆らってもどうもなりはしまいし、尖《とんが》ってみせてもただ虚しいだけ、辛いだけだ。悪いが、これもリハビリだと思ってなんとか馴染んでいってほしい。申し訳ないけどね。
それにしても……本当に、随分なことになっていたんだなあ。
昨今、起こり得ないことだなんて、そうそう思いもよらない世の中だけれど。それでも君が巻き込まれたこの“事件”というのは、極めつけにレアなアクシデントだったのが間違いない。
セキュリティはどうなっていたんだか。そもそも理論的にあり得るケースだったんだろうか?
もはや天文学的って表現すら及ばない気がする。外れ値にしたって限度を弁えてもらいたかったよ。まったく。我々一同貧乏くじも良いところだな、これは。
被害状況は聞いてるかい? ああ、うん。だいたいそのデータの通りだよ。酷いもんだろう? 君の後追いで“道”に押し入ってきた想定外のアップロードが熱量へと転化、それによって齎された我々へのダメージは甚大だ。
毀損された演算能力と、保管済みパターンの純喪失量が―――
◆
……なんだ、バルトか。
「なんだって、なんだよ」
あー、悪い悪い。ずいぶん長寝しちまってたみたいだなあ。えーと、今何時だ? あとお前さんいつの間に第二アジト《こっち》来た?
タイミング的に、Ⅰ番艦の物資運搬に乗っかったってところか?
「そーそー。今は夕方の五時前、俺が来たのはだいたい昼過ぎでー……ユグドラも色々積み込んでるとこらしいから、まだこっちに居るよ」
上半身を起こした俺を見定めるようにしていたバルトは、個室のベッド傍から少し後ずさると、サイドテーブル前に置かれている丸椅子の上に飛び乗った。
「ていうか、元気そうじゃんか。フツーに話してるし、けっこー顔色も悪くねぇしさ。帰ってくるなりぶっ倒れたっていうから心配してきたのに」
一眠りしたらだいぶんマシにはなったみたいだな。こっち戻ってきたときには笑えるくらいにフラフラだったが……んー、だいたい六割くらいは取り返せたってとこか。
本調子とまではいかんが、それでもある程度動けるくらいには持ち直してるよ。
「ふーん? ま、それなら良かった」
座ったまま両足をぶらぶらさせながら、バルトは砕けた表情を作ってみせる。って、オイコラ俺の上着をケツに敷いてんじゃねえ。
「……だけどさー、もう少しカラダ、気をつけたほうがいいんじゃねえの? あっち行ったりこっちに行ったり、どーみてもここんとこ働きすぎでシンドそうだったもん。今だってさっき、なんかうなされてたっぽいから、こっちから起こそうかどうか迷ってたんだぜ。目ェ覚ましたらもう、そうでもなさそうだったけどさ」
ちょいと夢見が良くなくてな。たぶんそれが表に浮いて出てたんだろう。
あんまり憶えていたくもないような、ケッタイな夢だったのさ。
「へぇ? どんな夢?」
そうだなあ。どっか高いところから落ち続けるとか、口ん中で歯が片っ端から抜けてくとか。誰かに何かを話してるのに、誰かも何かも分からないとか? 調子崩してるときにはよくある嫌ーな夢だ。
出来事や記憶の切れ切れが、ショットガンみたくぶちまけられて食い入ってくる。脳みそぐるんぐるんで何がなんだかさっぱりだが、とりあえず収まりが悪くて不愉快なのはよく分かる。目覚めた後から夢だったと気づくも、その正体は杳として知れない。……なんてな。
「げぇー。なんとなく分かるけど分かりたくねぇや。もうちょっと言い方ってないのかよ、気持ちわりぃなあ」
わっはっは。体調不良で荒んでるやつの近くに寄ってくるほうが悪いのだぞバルトくん。だいたい神経ささくれてっから今みたく八つ当たりくらうのがオチだ。
しかし、まぁ、心配してくれてありがとな。言ってることももっともだ。色々としわ寄せが行っちまってるメイソンさんには悪いが、流石に今日一日くらいはノンビリさせて貰うとするか。
「ん。そーしたほうがいいよ。アニキにパタパタ倒れられたらみんなが困るんだぜ、ホント。たぶん」
一応、昨日の晩にここ第二アジトに帰投してひっくり返るまでに、アヴェ、シェバト両国間の調整についてはあらかた終えていたりはする。
帰りの足兼アヴェ側の追加戦力として、シェバトから正式に貸与を受けたEl.レグルス。
スペック表に目を通してみたところ、どうやらこの機体は、500年前の時点で、ヘイムダルあたりと似たようなコンセプトでカスタムされていたらしい。
すなわち遠距離戦と索敵重視。中でも電子戦能力はギア・バーラーでも突出して高く、ギア・アーサー基準ではベラボウに高品質なアンドヴァリやヴェルトールすら基礎数値で大幅に凌駕している。
当時のソフィアの部隊内ポジションが窺える(まぁ彼女自身はアニマの器の同調後は一切搭乗しなかったらしいけど)話だが。ともあれ、そのおかげで第二アジトのモニタリングルームとリアルタイムでの送受信が可能になった。
プロテクトは十分で中継機も不要。片側に単機のギアを用いた映像通信としては驚異的である。たまたまメイド・イン・シェバトの資材を主体で拵えてあったアジトの機材との相性の良さも在ったろうが、コイツは思わぬ拾い物だ。
オートパイロットでの帰路のさなか。メイソン卿にシェバトでの首尾の報告し、今後の大まかなスケジュールについて前倒しで話し合うことができた。
アヴェ、シェバト間の外交交渉が想定以上のスピードで進んでしまった都合上、もはや王党派の人員だけでは状況を回しようがないのは明らかだった。
色んな案件が同時並行的に進んでいくせいで、それぞれの課題ごとに担当者を貼り付けないとにっちもさっちもいかなくなっている。そのためにこっちから供出する人材につき、個々人の能力がかなり怪しいし、それ以前にまずもって頭数が致命的に足りねえんである。
個人単位のハードワークでなんとかゴリ押しができた時期は過ぎ去って、これからは、レッキとした組織としての立ち回りが求められることになるだろう。
それはつまり、ファティマ王家としては平時のポジションに立ち返るってだけのことではあった。
フネ全体の舵取りだけを生業とし。下々に役割をその都度放り投げていくことで、天下国家を遍く回転させていく。
ただ、マズいことに現王党派は王家近衛兵を中心としたやたらと武張った組織と化しており、内務系の人材をクーデター時にごっそり取り落しているせいで、政権運営能力に巨大な不備を抱えてしまっているのだな。
『教会』経由でソラリスから送り込まれたシャーカーンの私兵勢力――『ゲブラー』の名前が下界で表沙汰にされるのは当分先のことだが、実質的には同じものだと言っていいだろう――が組織図に無理やりねじ込まれたせいで、アヴェ国軍内部では人材の玉突き事故が発生していて、内戦や粛清で減らされたぶんを計算に入れても、かなりの人的資源が野に放たれている。
そのおかげで、お抱えの陸戦隊を始めとして、今では王党派も軍事組織としてそれなりの陣容を揃えつつあるわけだが。反面、文官ないし行政官についてはクーデター後も大半がそのままスライドして登用されているせいで、そもそも国家全体で見て“遊び”がほとんど存在しない。
始めから居ないものはどこからも引いてこられない。だったらどうするかってーと、ボードの外からコマを補充する他ない。
つまり、ニサンを大々的に噛ませることで、なんとか埋め合わせを図るしかないという結論に至る。
シグルドも案外露骨に懸念していたように、あんまりニサンの影響力を強くしすぎるのも考えものではあるんだが。
クーデター騒ぎが片付いた後に残るのが、諸外国に蚕食されまくって困窮するアヴェ、というのはわりと現実味のある未来図だったりするのだ。
ファティマ王家、ひいては王党派の勝利条件。それはアヴェという国体を今後も存続させ、構成員たる国民の生活を保ちながら、引き続きその上に君臨し続けることにある。
対抗勢力がどれだけ損害を被るかというのは、究極的にはどうだっていいことだ。極論言えば、シャーカーンがどこぞでふんぞり返っていようが、それそのものは何ひとつ問題じゃないのだ。
大不況が来て国民が巷に怨嗟の声を上げ、国全体がガタガタになってしまっては。その時点で、試合には勝ったが勝負には負けていることになってしまう。
……それでも、まぁ。背に腹は変えられないというか。選択肢がないので毒と知りつつも呑まざるを得ないっつうか。
一つずつ積み木を積み上げているときに、手元の向こう際ばかりを見つめていたらガラガラドシャンだ。だいたい、自転車操業に長期的な展望なんて望むべくもない。未来の問題については、未来の当事者たちにせいぜい頑張ってもらうことにしよう。
先送りばんざい。てなわけで、病人は大人しく風邪薬代わり《ガイスト・ソル》でもかっ食らって奥に引っ込んでいようじゃないか。……いつまで経ってもそーしてるわけには行かんだろうけどな。
……あ、そういや忘れてたわ。なあバルト、シェバトから来てるお客さんなんだが。メイソンさんあたりからなんか聞いてたりしないか?
「お客さん?」
そう。女の子……ていうか、お前さんから見るとだいぶんお姉さんか。ガスパールさんって言って、わざわざ来て貰ったのに、昨日はほとんど案内もしないままメイソンさんに押し付けちまってなあ。
「え゛? あー……えっと。うん。見た見た。たぶんだけど、今日はもひとつのアジトの方に行ってるんじゃねえかな? 俺がこっち来て、少ししてから出た連絡船に乗ってったんだ。なんか、俺たちの強さがどんくらいなのかが気になるから、自分でちゃんと確かめに行きたいんだってさ」
左様か。つーかマジかい。いちいち向こうまで行くの面倒くせえなあまったく……。
わりと素でスッポリ忘れていたが。帰りのレグルスに相乗りする形で、ユイ・ガスパール嬢が、シェバト側の先遣隊として付いてきてくれている。
こっちの体調不良にトドメをくれたことにつき、それなりに責任を感じての行動らしい。彼女が自分でそう言ってたんで多分大筋そのとおりなんだろう。
シェバトにおける彼女の身分は女王直属の『相談相手』。おそらくゲーム中のマリアと同様のポジションに収まっているものと見られる。
ようは三賢者の子女ということで特別扱い。地上で対ソラリスのゲリラ部隊を率い、シェバトの命令系統から半独立で動いているガスパール翁。彼からシェバト本国に派遣された援軍、兼信用ならないシェバト首脳陣に対する見張り役というわけである。
身分上、シェバト国内において彼女を明確に縛ることができるのは女王陛下のお言葉に限られており。それにしたって厳に優先されるべきものではなく、本人にかなりの自由裁量権があるらしい。
今回、先行して彼女が出向いてこられたのはそのあたりの力関係事情に拠っている。随分なフリーハンドっぷりでぶっちゃけたいへん羨ましい。
「けど、あの人、大丈夫なのかな?」
ビミョーに明後日の方角を向きながら、バルトが変にわざとらしく呟く。
「シェバトって国から手伝いに来たって言ったって、アニキみたく、自分から戦いに出るってわけじゃないんだろうし。ウチの連中ってさ、けっこう荒っぽいのが多いじゃん? からかわれて嫌な目にあったりしたら、かわいそうだと思うんだけど」
そうだなあ。ちょっと心配だなあ。
「だろー? 女のヒトリタビはあぶないって言うしさ。今のうちに爺にナシつけて、あんまり変なことしないようにって、みんなに言っといたほうが……」
うむ。まだまだ荒削りとはいえ、ここまで鍛え上げた騎士団の連中や陸戦隊員に、一時脱落とかされたらコトだからな。あのお嬢さんの腕前ならまず大事にはならんと思うが、隊員側がナメて掛かったら骨の一本二本はポッキリ逝かされちまう可能性がある。ここはいっちょう、連中に釘刺しといた方がいいかもしれんな。
「そうそう……へ?」
フッフッフ、甘いな。見た目に誤魔化されてちゃあいけねえぞ。あの子、ルールに則って一対一で殴り合ったら俺よりよっぽど強いんだぜ。
「ウッソお。マジ?」
マジマジ。大マジだ。シェバトに出向いたときにちょいと手合わせしてみたのさ。ステゴロタイマン真剣勝負、俺もそこそこいいセン行ってたと思うんだが、向こうさんの狙いすました一撃もらって見事にKO負けを食らっちまったよ。
パワーやスピードとかも一級品だったが、それよりも何より技の冴えが半端じゃない。完成された武術ってやつだな。世界中どこを探してみても、そう簡単には見当たらんレベルだと思うぞ、アレは。
「へぇ~。凄えなあ……」
実際、ガスパール嬢の強さには特筆すべきものがある。そしてこの戦乱の世の中、とりあえず強いってだけで正義ではあるのだ。原作フェイが、「武術の達人」という肩書きで一般人にもそこそこ一目置かれていたように。
指揮系統に準じて上から命令を下せないのはネックではある。それでも単体の戦力として申し分ないので、彼女の飛び入り自体は諸手で歓迎すべきことだろう。
ギア適正はない――エーテル感応値は普通にエレメンツクラスっぽいものの機械操作が壊滅的とのこと――らしく、陸戦要員としてしか使えないあたりは、同じシェバトからの援軍でもゼプツェン&マリアとは性質というか使い勝手が異なるが。純粋に地上戦力として見ておけば、ジェネリック素手シタン先生として便利に使えるはずだった。
……ときに、バルトくんや。
「ん、何?」
さっきからミョーに歯切れが悪くないかねえ? 変な思慮深さも伺える。普段はやたらと思い切りが良くて、毎度周りから心配されてるくらいなのにな?
どーもお前さんらしくないように思うが気のせいか。
ああ、もしかして、ガスパールさんに対して何か思うところでもお在りかな? ん?
「ハァ!? いや、べ、別にそんなもんあるわけねぇし! 俺はただ、よそからのお客さんに嫌な目あわせたら、アヴェ《うち》のヒョーバンが悪くなるから良くないって、そう思っただけだし」
背筋をピンと伸ばし、声変わり前の高音がさらに上擦った声が飛んでくる。うーむ、語るに落ちるとはこのことか。ていうかそれ以前の問題か。
「これでも、俺だって、色々考えてるんだぜ? その、王子としてのセキニンってやつがあるからさ。そこんとこ、カンチガイしねェでくれよな」
そうかそうか。そいつは重畳。ところで、どーでもいいけどあの娘さん、お相手としては腕っぷしが強いやつが好みっぽいぞ。たぶんな。どーでもいいけど。
「だ、だからなんだってんだよ」
別にぃ? ただ、お前さんも一介の王子サマとして身を正すつもりなら、護身術の一式くらいはしっかり身につけといた方が良いだろうなあ。そんでもって、ガスパールさんの修めてる武術はエーテル能力に優れたお前さんには相性が良いだろうし、たぶん今後彼女には陸戦隊の教導訓練なんかを任せることになりそうだ。
だったら兵隊連中に混じって、お前さんもちょっとばかし彼女から手ほどきを受けてみるのもいいんじゃないかね。最近、ギア戦の技術ばっかり磨かれてて、素のカラダの方が置いてかれてるってのは、俺としてもわりかし気になるところではあったんでな。
「……」
もちろん、お前さんの年齢《トシ》で本格的に鍛えるのはあんまり良くないから、基礎的な体作りの方がメインになるだろうが。それでも得られるものは少なくないと思うぞ。健全な精神は健全な肉体に宿ると言うし、それでなくとも身体動かすこと自体が悪いこっちゃない。
とりあえずお勉強の合間の息抜きぐらいにはなるだろうさ。なあ、どうよ?
「……。考えとく。ていうか、やる」
オーケー。それじゃあ、後で俺から話は通しておこう。立派な拳士の卵として育っていってくれたまえ。
あ、一応言っとくが、あんまり緊張してガチガチになるんじゃないぞー? 男には余裕ってのがなくちゃあいけない。相手に不快感を与えない自然体が一番で、そこにプラスアルファをくっつくけてくのが基本戦術だ。
理想を言えば、気取らず、さりげなく、エレガントにといったところだが。まぁいきなりは無理だから、当面はフツーでいることを心がけるんだ。何より、変にカッコ付けようとしたって墓穴掘るだけだからくれぐれも辞めとけ。
「バ、バッカ何言ってんだよ。俺はただ、強くなれるんなら、何だっていいからやってみたいってだけだっつーの!」
座っていた椅子から飛び降り、大げさな身振りで啖呵を切る。しかしそれだけに留まらず、その後またもや目が泳ぐ。
「……ったく。俺もう行くよ、いちおーこれでも忙しいんだからな。アニキもくだらねーこと言ってないで、大人しく寝てろよ!!」
そう言い捨てると、さっさと部屋から出ていくバルトであった。微笑ましいヤツだなあオイ。
……我ながら、面白がってる部分もないではないが。それでも自己防衛の必要性はウソじゃないし、薄暗いアジトに引き篭もりっぱなしで居たら、気が滅入ってもくるだろう。身体を動かすのはストレス解消の役に立つ。やらせておいてもそうマズいことにはならんだろーと思う。
さて、ダラダラと話していたらだいぶん調子は上向いていた。なんだったら今から仕事を再開し、ヴェルトールの秘匿されていた遺跡から半端に拾い上げた、各種データの解析作業を進めるぐらいはできるかもしれない。
それでもまぁ、もう一晩は大事を取ってゆっくり休もう。そう思い、俺は椅子の上でシワを作っていた上着を拾い上げ、ひと叩きして元通りにしてから、扉横のランプスイッチに向かってエーテルの小規模な衝撃を飛ばした。ぱちり、という音。真っ暗闇になった部屋のなかで、大きく息を吐き、それからもう一度身体をベッドに横たえた。
二度目の眠りがやってくるのに、そう時間は掛からない。
◆
―――嫌そうな“顔”をするなあ。表情なんて、もはや印《しるし》にもなるまいが、それでも雰囲気が良く分かる。
君の矜持を尊重したい気持ちはあれど、残念ながら、『あれ』はもう決定事項で今さら覆しようがないよ。
なにせ、我々の“議会”をとっくに通過し終えているのだし。それに、被害の量が量だからね。試みるべき必要性についても、もはや疑念を差し挟む余地など有りはしない。
まぁ、確かに、一点の曇りもなく面倒事だ。心から同意する。だからこそ、さっさとケリを付けてしまおうじゃないか。
逆戻しにし、やり直す。その渦中に置かれる苦痛は程よく緩和されるだろうし、モチベーションだって堅固に保たれるはずだ。それ以上のことは望めまいが……コトに携わる我々としては、それで良しとしなけりゃなるまいよ。
……我々にとっての完全さは、今もなお、はるか遠くに浮かんでいる。夜空の星を追い求めるのは愚かなことだ。地に足を付けておく。そうして我々は、初めてその足を前に進めることができるんだから。
そう、我々の幼年期は劇的な終わりを迎えたわけではなかった。年経た自覚の突然さなど、錯覚にすぎない。
日々とは之即ち地続きの変容であり、今日は昨日を引き継ぎ、明日は今日のまたその先に――