緊急脱出用パラシュートの点検を終える。
アンドヴァリのパイロット・シートに座りながら。上半身だけ左後方を振り向き、不格好に折りたたまれた砂色のリュックサックもどきを、オプションツール用スロットに面ファスナーで貼り付けた。
コイツはいつもの出撃前チェックリストに記載のない新顔になる。だからってだけではないが、本点検は普段以上に念入りな確認をやったつもりだ。
戦場では調子に乗ったやつから死んでいくのだ。……みたいなのが、一年目の塵閣下を担当していたユーゲントの新兵教導官の口癖だったらしい。
基本を忘れることなかれ。愚直なまでに丁寧たれ。近い未来に約束されていた華々しい立場とは裏腹に、カーラン・ラムサスの身体には、士官教育初期に叩き込まれた習慣がしっかりばっちり染み付いている。結構なこった。
もちろん、理不尽な暴力の吹き荒れる鉄火場で、ちょっとした几帳面さなんて、吹けば飛ぶよな頼りなさではあるんだが。
それでも統計的観点で見れば、その重要性が否定し難いのもまた一面の事実ではあるんだろうさ。
外の整備チームからオール・グリーンの通達が来る。外部スピーカー経由でチームリーダーのおやっさんに一言礼を言い、ついでに、ギア内部についても特に問題はなさそうだと伝えておく。
アンドヴァリを取り囲む外部ギア・ハンガーの足場の上から、整備チームの面々がさっさと退散していくのがモニターに映った。
続いて、足場全体が鈍い軋みを上げながら左右に折りたたまれていき。格納庫の中央、備え付けの出撃用カタパルトまでの道のりが開ける。
ジェネレータをアイドリング状態から通常モードへ移行。目を醒ました機体を通常歩行で動かし、壁際のウェポン・ラックからいつもの汎用硬質ブレードを確保。腕の側面から射出されるチェーンウィップと干渉しないように、剣の握りを普段とは多少変えざるを得なかったが、近接戦時に言うほどの悪影響は出ないだろうと思う。
そのままカタパルトに乗り上げ、前傾姿勢を取って両足をロック。準備はオーケー。
ここまでどこにも違和感はない。ギア・バーラーらしく、生身の手足と見紛うばかりのスムーズさで動くことが出来る。
外見も中身も平常運行。一点の淀みもなく完品そのものだ。
こないだグラーフにボコされて、El.アンドヴァリはほぼほぼ大破まで行っていた。それが、たった半月あまりですっかり本調子に戻っているわけだった。
擬似的な生命体としての側面を持つギア・バーラーには一応ある程度の自己修復機能があるものの、あそこまでブッ壊されてしまうと人の手を入れるのは必須になる。細部の調整まで考慮に入れると、ゆうにまる一ヶ月くらいのお蔵入りは覚悟していたのに。
もともと王家御用達だった技師チーム。ファティマの至宝に対する潜在的なモチベーションの高さがありありと分かる作業経過と言えよう。
……ていうか、マジでどうやったのというぐらいにお早いし、質もバカ高いよなコレ。フツーにすげえわ。
そのぶん、ヨソモンの俺がコレに乗ることにつき、わりと心情的な抵抗が強そうな雰囲気があったが。
悪いが、そこらへんのお気持ちに関してはグッと堪えていただきたい。
本日は王党派にとっての大一番。確かに他ならぬ王位継承者が先頭に立つのが筋ではあろう。とはいえ……こんな急場しのぎな状況でバルトロメイ殿下にもしものことがあったりなんかした日には、彼らだって悔やんでも悔やみきれまいて。
ミッションの内容自体は大して芸のない挟み撃ちではある。ついでに言うと、こないだのバルト&マルー救出作戦の焼き直しでもあったりする。
別働隊のユグドラⅠで王都防衛隊を側面から急襲。それと前後して高高度のユグドラⅡからアンドヴァリを投下し、ギア・バーラーの機動性と頑丈さを活かして、ブレイダブリク王城に直で乗り込むという塩梅だ。
現地の混乱に乗じて王城周辺のギア部隊とシャーカーン私兵を全速力で沈黙させ、城下街に伏せていた諜報部の人員を総動員――そも現地人員は戦闘向けではない上におっとり刀であんまりアテにはならないため、そっちは現時点でも大立ち廻り中のガスパール嬢のワンマン継続になりそうだが――しつつ、中枢部を無理くり占拠する。
その後、防衛部隊に殺到されて数の暴力ですり潰される前に。バルトロメイ・ファティマの名の下に、アヴェ全軍に対して停戦命令を下すのだ。
電撃的に本丸を制圧するインパクト。そこに足すことの、赤き巨人たるファティマの至宝が簒奪者を誅するという、アヴェ臣民の忠義に刺さる(はずの)演出効果が相まれば。事態は速やかに収拾へと向かうに違いない。
……たぶん。おそらく。上手く行けばな?
シンプル・イズ・ベスト。かつ、過去にれっきとした成功実績アリ。ハッタリかましてそう言っちまえば、聞こえ自体は悪くないのかもしんないが。
単に、一から作戦練り上げる時間なんて何処にも無かった(コトが起こったのがいきなりすぎて既存プランはまとめてゴミ箱だ)ってだけなんだよなあ。
話が完ぺきギア・バーラーのスペック頼りになっててゴリ押しっぷりがハンパじゃない。おかげさまで、作戦遂行者に諸々の負担が全部乗せである。
降下中は迎撃システム各種の大歓迎が確定的だし、降下後についても、現地部隊と連携をとりつつ速やかに敵戦力を沈黙させなければいかん。その後の中枢部の乗っ取りにしたって、その場その場をアドリブでつなぎ、泥縄まがいの臨機応変で目的達成を目指さざるを得ない。
タイムリミットはアヴェ国軍の寝ぼけ具合如何によるが……こないだ夜闇に紛れて攻め入ったときの印象からすると、概ね教科書的ではあってもそこまでバカにしたもんではなかったはず。
総じてスケジュールは非常にタイトだ。シビアと言ってもいい。現場の人間のヌルい判断ひとつで、一発ご破産総崩れすらあり得るだろう。
ギアの操縦能力、状況把握能力、適切な判断力、思い切りの良さ。本作戦に必要なスキルだけを見ていくなら、El.アンドヴァリ本来の乗り手たるバルトにも、十二分にこなせるだけのポテンシャルがあると思う。
むしろ、彼がゲーム中に準じるくらいの年齢と経験を重ねていたならば。立場的にも、能力的にも、俺よりよっぽど下手人に相応しいのは実際疑いのないところだ。
しかし、今はまだ早すぎる。
そりゃ腕前は良いが。でも実戦経験ゼロだし、未だに御歳ヒトケタ後半。おまけに事前準備も皆無ときた。
これでぶっつけ本番っつうのは、いくらなんでも論外だ。仮に俺がレグルスで補助に回ろうと任せられるようなもんじゃない。名目上の正当性なんぞかなぐり捨てて、この場は俺が代理を勤めるべきだというのが理詰めで考えた上での結論になる。
そんなもん、冷静な目で見てけば誰だって分かる。しゃーない。
もっとも。そういうわけだからガキは後ろで大人しくしてろ……と、言い切れないのが、情けない話ではあるんだがな。
◆
ユグドラⅡがブレイダブリク王城上空に達するまで後20分少々。メイソン卿に最終連絡を入れ、その後、僅かに躊躇ってから、登録済みの友軍機の一つにコールを入れた。
何百ケルテも離れた場所の、ガスパール嬢の持つ木っ端通信機からでも平気で拾えるレグルスの異常性能と比べれば見劣りはするものの。アンドヴァリの通信能力だって、一般的なギアと比べると大層高水準なのは間違いない。
数十ケルテ先で互いに移動中のアンドヴァリと、ディルムッド四号機のコックピットで、直ちにリンクが繋がった。
『……おう? 大将。どうしたい』
薄茶色の軍服を身に着けたむくつけき髭面のオッサンが、モニターの個別ウィンドウに映しだされる。さしものミロク大尉も、今は緊張に引き締まった面持ちで、いつもより舌回りが大人しそうな空気がある。
『何かトラブルでもあったかね。正直、この期に及んで丸ごとひっくり返すみてぇなネタは勘弁だぜ』
……いや、今のところ概ねコトは順調だよ。急な動員にも関わらず、皆よくやってくれている。
ただ、殿下のご様子はいかがかと思ってな? 何分いきなりすぎるご登板だ。言うのも何だが、普通の足手まといぐらいで収まってくれればいいんだが。
『あー……流石にかなり緊張されてるみてぇだな』
ビミョーに薄くなっている(誰もそのことを指摘はしないが)頭頂部に右手をあて、心配そうに顔を歪めてみせる。
『ま、無理もねえ話だ。あのトシで初陣なんざ、俺だってこれまで耳に挟んだこともねえ。……つっても、今でもそこいらのペーペーよりはよっぽどしっかりしてる、とは思う。それだけでもう十分以上にご立派よ』
そうか、それなら良かった。
なんとも肝が据わっておられる。血は争えないというか、いざとなれば、生まれの勇猛さは自ずと立ち現れるということかな。
『おうよ。だいたい、とっくに俺ごときじゃさっぱり敵わねえ腕前をお持ちだ。乗ってるブリガンディア《機体》の質も、El.アンドヴァリ《そっち》にゃ劣るがえげつねえシロモンでもある。出鼻はちったあもたつくかもしれねえが、すぐに並々ならぬお働きをされることだろうさ』
ユグドラⅠ、及び追加戦力のゼボイム製ホバー艦に積載されている急襲部隊は、ディルムッドが19機に、赤い塗装に意匠を散りばめたエーンガスのB型機、通称名ブリガンディアがもう1機。レストアに回っていた機体とレグルス以外を総浚いにして引っ張り出してきた形だった。実質的に、これが王党派の全機械化戦力と言っていい。
一個小隊+ニ分隊の合計五分隊を3:2で前衛と後衛に分割。そのうち2の方の指揮権がミロク大尉に行っている。
実はこれ、今までの王家騎士団には前例のないフォーメーションだったりするのだ。もともと腕前で見ると騎士団員のなかでかなりの上澄みだった大尉は、本来先頭立っての切り込み役が本業だからな。
そんな男が今回後詰めに回っている理由としては、ひとつ巨大なお荷物を、彼に背負ってもらうからこそだった。
バルトロメイ・ファティマの初陣。そのフォロー役への抜擢である。
本当ならバルトが14歳だかそこらの時分に消化されるはずのイベントで、大幅前倒しにも程がある。
年齢的にほとんど児童虐待みたいなもんで忸怩たるものがあるんだが、流石に筋論というか、世間体考えるにこの場に王子サマが居ないのはありえないから仕方ない。
一方、前述のとおり、本来あるべき最前線を彼に担ってもらうわけにもいかず。そうしたところの折衷案が、今回の後詰めでお茶を濁しての参戦というわけだった。
ミロク大尉が非常に義理堅い男で、いざとなれば、王家への忠誠をその身を持って示してくれることは“知っている”。
それこそ別の未来では、自分自身が若《バルト》のために捨て駒として散っていくことを甘んじて受け入れるくらいには。
なもんで、この人事に掛けてはそれなりに自信があるんだが。任される側としては、根拠レスにいきなり役割を振られた感があるはずで、イマイチ釈然としない思いでいるかもしれない。
……大尉、殿下のお守りをよろしく頼む。当人が思った以上にやれそうなのは結構なことだが、それでも未経験者には変わらない。普段に輪をかけて、何が起きるかなんて知れたもんじゃないからな。
ベテランのフォローが命綱だ。急な話で悪いが、頑張ってもらいたい。
『あいよ。いきなり引っ張り出す手前、アンタがケツ持ってやれと言いたくならないではないがな。いくらなんでも初っ端から敵本丸に切り込みたぁ無茶だわな。おまけに白昼堂々、その上急造と来てる。仕方ねえ、殿下についちゃァこっちで面倒みといてやるよ』
すまんな。こんなことになるんなら、アンドヴァリ《もっと安全な機体》で、とっとと小競り合いにでも出ておいて貰うべきだったんだろうが。いくらなんでもあのトシで戦場に出すってのは躊躇われてな。……しかし、言い訳だな、これは。迷惑をかける。
『へっ。……まぁ、アンタの気持ちも分からんじゃないさ。俺も、これでも一応一児の父だもんでな?』
そうなのか?
大尉のプライベートはあまり聞かない気がするな。その子は今も王都に?
『いちいち言うようなこっちゃねえからな。前から家内と一緒にニサンにいて、ジーンって名前なんだが。最近は向こうに出向くたびちょくちょく会ってる。つか、ここんとこ王城に赴任してた頃よか顔が見れてて皮肉なもんだ』
と、大尉が照れくさそうな笑顔を浮かべてみせた。うーん、似合わねえ。
『あいつも誰に似たんだか、近ごろは自分もそのうちギアで戦うんだと息巻いちゃいるが、正直、気軽に首を縦には振りかねるわな。俺だって兵隊家業にゃ誇りはあるし……ま、なんだ、それを見習ってくれるってなら、嬉しくは思う。それでも、この仕事が明日をも知れん浮き草仕事だってのを、丸ごと見なかったことにはできねェわ』
へぇ。意外な一面って感じだ。家族とか身内には、もっと豪放磊落に振る舞うタイプかと思っていたよ。
もっとも、大尉らしい「まっとう」な意見だとも言えそうではあるか。そういうところを今回買わせてもらったんだし……。
『そりゃ、野郎だったなら別の考えもあったろうさ。しかし、あいつは女だ。きな臭いお役目なんざ俺らに任せておきゃぁいい、将来はどっかでいい男でも捕まえて、銃後に居てほしいってのが本音かねえ』
概ねポジティブな、しかし複雑そうな表情を浮かべながら、大尉は画面の向こうで頭をポリポリと掻いている。
『気が早すぎるって言やあ、そうなんだろう。でもよ、シャーカーンの野郎をぶっちめて、この国が先王陛下の方針に立ち戻ることができりゃァ。今後はいくさ働き自体が先細りってーのも、十分あり得る未来だろう?』
……そうだな。その見通しが現実とせんがために、我々はこれから銃火に身を晒しにいくってわけだ。
『無謀にもな。ったく、事情が有ったのもわかるけどよォ、いくらなんでも急すぎらあ。道理が引っ込むかはそっちがどこまでやれるかに掛かってる。頼んますぜ』
任されましょう。何、一度は首尾よくやり果せていることだ。ドジョウ二匹目だろうと見事釣り上げてご覧に入れよう。
……ああ、そういえば思い出した。ファルケのやつが言っていたな、大尉の奥方はとびきりの北方イグニス美人だとかなんとか。
今いくつくらいなのか知らないが、とりあえず、大尉の娘さんが将来奥方に似ることを祈っておくとしようかな。
『あぁん? ……そうさな、あと7、8年もすりゃあ手ェ出してくれても構わんが。そんときゃ、責任ってやつを取ってもらうぜ、大将』
強面の口角がニヤリと歪んだ。
『それが砂漠の男のケジメってもんだ。少なくとも、俺はそうした』
たはは。そいつは長生きしないとならんな。今日や明日のことで右往左往するのが、随分間抜けて思えてくるよ。
それに、大尉の馴れ初め話もなかなか面白そうだ。ドンパチはとっとと終わらせて、面倒事もさっさと片付けて。どこか酒の席ででも、そのへんとっくり聞かせていただくとするか。
『フン。打ち上げが大将の奢りってェなら話してやるよ。年下だろうが、ヨソモンだろうが、上役のサイフにゃ遠慮しないのが俺のポリシーだ。ニサンに行きつけのいいとこがあるからそこでどうだ?』
いいだろう。幸い(主にシグルドの)懐具合には余裕があるから。
『ほぉー。ギアチーム全員分だぜ?』
ああ。
『もちろん殿下のぶんもだ』
オーケー、オーケー。丸ごと面倒みるからお手柔らかに頼むよ。それじゃ、ありがとう。通信終わる。
◆
子どもを大切にする、という価値観に、絶対的な正義があるわけじゃあない。
そんなものは単なる自然淘汰と遺伝的浮動から導き出された均衡点に過ぎない……みたいな、ひね曲がった解釈を採ることだってできなくはないのだ。
ヒトとは子育てに莫大なリソースを費やす生き物で、育ち盛りの子どもたちがその身に溜め込む内在価値は巨額に上る。だからこそ、たとえある程度自分から遺伝的に距離のある個体だとしても、その子どもを庇護することは、種の適応度を高めて全体の生き残りを促すことに繋がるってわけだ。
そしてそれはあくまで程度問題だから、価値観を過剰に尊重してしまうと、逆に全体適応が悪くなって先細りというのも十分あり得るケースとなる。
故に、その価値観には普遍性はない。絶対性もない。ただそこには俺個人の主観的正しさがあるにすぎず、その思い込みを支えてくれる確からしさだなんて、何ひとつ存在しない。頼りないこった。
それでも、まぁ。それはそれで構わんのだろう、とも思う。
なぜなら、この世に遍く在る現象を見つめようとするとき。他ならぬ自分自身に努めて立ち返ろうとすることは、おそらくとても大事なプロセスのはずだからだ。
……とまー、そんなどーでもいいことをのらくら考えていられるくらいには。落ち着いた気持ちでミッションスタートを待つことができた。
降下ポイント到着まで、残り凡そ数十秒――