塵閣下になりました   作:あーぷ

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正直相性は悪い

 

 

「っかー、言うに事欠いて世捨て人みてぇなことほざきやがって」

 

 ほとんどカラになった大ジョッキが、テーブルの対面で乱暴に一振りされる。呑み口に付いていた泡がこっちまで飛んできたが、今さら互いにそんなことは気にもしない。

 

「根が俗物のくせして白々しいったらねえぜ。そんなんじゃ付いてきたいヤツも付いてこなくなっちまうだろうが。俺を従えたいってなら、ざばっと根性入れ替えてイチから出直してこいや」

 

 いえ、従えたくないですので遠慮しときます。ていうか、むしろ先輩が俺を従えませんか? 今の立場をまるっと代わってもらえるのなら、俺は喜んで諸々の権限を差し出しますよ。

 

 はっきり言って、上に立つことほど面倒くさいことってありません。最近俺は、いかにやりたい放題をやって後始末を誰かに押し付けるかというのを追求したいと常々思っていますので。

 

「できてねぇんだろうがどうせ」

 

 はい。泣いていいですかね。

 

「野郎の泣きヅラなんて汚えモンみせんじゃねえ。そこらへんに穴でも掘って顔面突っ込んでろい」

 

 

 

 そう言いつつ、利き腕の左がこっちに向かってすっと突き出された。仮に、丈を詰めたライフルを片手で構えていたとすれば、ちょうどこちらの額に銃口がピタリとくっつく距離感だ。

 

 この場に実銃がなかろうが、エーテルパワーの直接投射で危害自体は加えうる。塵閣下の記憶にあるとおり、相変わらず雑に物騒な先輩どのである。

 

 

 

 ……さっきから、酒の勢いに任せて適当に絡んで行っているが。実を言えば、ジェサイア・ブランシュとカーラン・ラムサスの間柄ってのは、それほど近しいものとは言えなかったりする。

 

 どっちかと言うと、ブランシュ家に居候していたシグルド・ハーコートを介しての、友人の友人的な関わり合いがメインだったらしい。

 

 互いにソラリス・ユーゲント出身。その中でも飛び抜けたスペックの持ち主という部分は共通している。しかし、そもそも年次が三年ぶんズレているせいで普段の生活ルーチン上そこまで関わりがないし、どちらもエレメンツの一人に数えられてはいても、現時点だとエレメンツという組織自体にネームバリューなんてほとんどないのだ。

 

 原作で、ゲブラーの一部署として組織的裏付けを備えたのは四人娘の二代目からであって。今の所は塵閣下主催の一サークル活動に毛が生えたくらいのウェイトしかない。そして、当の主催者はもはやすっかり国外逃亡犯と化している。

 

 おそらくこの世界においては、エレメンツ・クラスというのが特別な意味合いを持つようなことにはならないだろうと思う。

 

 

 

 代わりになる呼び名はパッと思いつかないが、たぶんギア・バーラー操者クラスとかになるのかね? それだとガスパール嬢なんかがリストから漏れてしまうし、逆にエーテル感応値だけだと準エレ級のはずのバルトが食い込んでくるのでビミョーにズレが生じるわけだが、まぁ、どうでもいいか。

 

 

 

「……それで? 知る人ぞ知る地上復権の立役者サマが、何で今になってもっかい“上”に行く気になったんだ」

 

 いきなり話が戻りましたね。先輩が自分から軌道修正掛けるだなんて、相当なレアケースじゃないですか?

 

「うるせぇ。今さら、元の地位が恋しくなったってわけでもねェだろう。あっちじゃまだお前の名前は大々的にはなっちゃいねえが、どのみちとっ捕まったらシャレにならんハメになる可能性は高ェぞ。扱いとしてはとっくの昔に賞金首と変わらんだろうからな」

 

 でしょうね。たとえ当局が尻尾を掴んでいようがいまいが、疑わしきは罰するいつものソラリス《あの国》精神で行けば、引っかけられる部分なんていくらでもありそうなものですし。

 

「あの国は地上のことには全般的に関心が薄い。が、お膝元に火の手が回ってくるまで寝ボケっぱなしって程甘くもねえ。脱走だけでも身分次第で極刑だってのに、これまでの地上の活動で、テメェが与えた損害の一端でも知れた日にゃあ、マトモに死なせちゃ貰えないのはまず間違いねぇだろう」

 

 じろり、と視線がこちらを突いた。威圧感。既に芯までアルコールが回っているとは到底思えないくらいだった。

 

「にもかかわらず、きさまがわざわざ虎口に手を突っ込もうとする理由はなんだ。言え」

 

 

 

 

 

 

 ……会わなきゃならん人が居るんですよ。二人ほど。

 

「ミァン、か?」

 

 片方は、そうです。もう片方は……まぁ、我が身内にしてやんごとなき御方、とだけ言っておきますか。

 

「何ィ?」

 

 居やがるんですよ、そういうのが。行って会えるかは分かりませんが、出来れば今のタイミングで会っておきたいんですよね。ちょっとした悪巧みのために。

 

 以前はツテが無いのでどうしようもなかったのが、そろそろヒュウガ経由で何とかなるんじゃないかなあと淡い期待を抱いているんですが、さて、どうだか。

 

 

 

「ケッ。ヤンゴトナキ御方と来たか。いくつか候補は思い浮かぶがな、どいつもこいつもロクでもねえツラばっかりだ」

 

 と、先輩どのは構えた利き腕を緩ませ、ハエでも追っ払うみたいにヒラヒラと揺らせてみせた。それからテーブルに頬杖をつき、もう一度こちらを睨みつける。

 

「……カール。お前の出自に、不可解な点があることは調べがついてる。カーラン・ベッカー。その名前を引っさげてた二級市民のガキと、今俺の目の前にいる男とのあいだには、隔たりがある。今回のハナシの勘所はそこに在る、そうだな?」

 

 ええ、そのとおり。でもですね、調べがついてるって、どうせそれってヒュウガに無理やり調べさせたんでしょ?

 

「混ぜっ返すんじゃねえバータレが。……とにかく、お前はソラリス《あの国》の上層部の関係者であって、人知れず市井に紛れ込み、何かしら独自の目的を持って動いているってわけだ。ここまではいい。問題は、その目的が、果たしてどういう性質のものであるのか、ということだ」

 

 性質、ですか。

 

「おうよ。テメェが何を考え、何を為そうとしているのか。それが分からんことには出戻りに手を貸す気にはならねェな。……もっとも、ことの次第によっちゃあ、俺は迷わずテメェを撃つぜ。たとえ、背後からだろうとな」

 

 

 

 なるほど、先輩の懸念が分かったような気がします。お前は信用ならん、ブキミである、今までもわりと良くあったやつですね。実際、俺のこれまでの振る舞いには一本通ったスジというのが見えてこないから、不信感を持たれるのも宜なるかなだ。

 

 ただ……その答えについては、俺のさっきの言い分を思い返して貰えればと思うんです。

 

「ンだとォ?」

 

 

 

 

 

 

 ……“上に立つ”こと。これから俺はいよいよそれを実行する段取りに入る。

 

 でも、はっきり言って、そんなことはやらずに済むのならやりたくなんてないのだ。

 

 面倒だし、純粋に身に余ることでもあるから。あれこれ無理押しするたび胃はキリキリと痛むばかりだし、大車輪の脳みそは火の車、カロリー不足でいつだって悲鳴を上げている。

 

 状況に流され、加えて消極的な選択の果てに、あれよあれよとここまで来させられてしまった。

 

 幸いにして、やってやれなくもないのだけれど、やりたくはない。何もかも見なかったことにして背を向けて、どこぞで小ぢんまりとした家庭でも持って、一生を全うする。そういう未来図を描けるなら、是非ともそうさせて貰いたかった。

 

 それが、状況を努めて客観視した場合の、弾き出される順当なホンネということになる。

 

 

 

 ……とまぁ、大筋妥協の産物なわけですよ。能動的に通すスジがそもそもないので、外見にはひどく怪しく見えている。

 

 が、実情としては、伸し掛かってくる責任の重みに、ひたすらウンザリさせられているという次第。

 

「フヌケたことを言いやがる」

 

 否定はしません。以前のカーラン・ラムサスなら、こんなこと、口の端に上らせることすらなかったはずだ(もっとも、塵閣下ご本人としても、実はそういう在り来りな平穏というのを求めていたフシが無くもないんだが)。

 

 唾棄すべき、牙を抜かれた飼い犬の精神である。おそらくそんなふうにあっさり切り捨てていたでしょう。

 

「確かに、らしくねえな、カール。だが、それが今のきさまの望みだってなら、それはそれで悪かぁねえだろうさ。人間変われば変わるもんだ。飼い犬の一生も結構、それだって、レッキとした一つの道には違いないからな」

 

 ……。

 

「とはいえ……当面その見込みがあるようには見えねぇな。テメェが、テメェ自身の意志で、望みの道から外れているのは言うまでもなく明らかだ。もう一度聞くぞ。何故きさまは、今“そう”していて、そして、これからも“そう”在ろうとする?」

 

 

 

 

 

 

 ……別に、そう、大層な理由があるわけでもないのですけどね。

 

 我欲に塗れているわけでもない。崇高な目的意識があるわけでもない。ただ、そう、謂わば“これ”は義務だから、役目だから。家業なんだから。……そういう諦めとともに、やるわけです。

 

 目の前に積まれた課題をこなすように。微睡む午後の眠気のなかで、気だるい足を何とか前へと進めるかのように。

 

 ガワこそ特別そうに見えはするけれど、中身は在り来りの既製品。俺がやろうとしているのは、しょせんはそうした種類、性質のことなんですよ。

 

 

 

 ――あるいは、“仕事”だから、というのが一番実情に即した表現かもしれない。しかし、そのことからは、今はまだ意図して目を背けておきたかった。

 

 

 

「……ようはテメェは。高貴なる義務《ノブレス・オブリージュ》を果たすんだと、そういうたぐいのことを言いたいわけか。ヤンゴトナキ御方の身内として?」

 

 握りこぶしをしかめっ面に押し付け、先輩どのは苦々しげに呟いた。 

 

「ザケたこと吐かしてんじゃねえ、そんな燃えカスみたいな熱意で上手くいくわけねェだろうがと、一発食らわせてやりたいとこだが。……ざっと確かめた限り、ソラリス《あの国》の地上支配は既に相当ガタガタになってる。他ならぬきさま自身の手によってだ。つまり、ここに来るまで概ね何とかなってやがんだよなあ、ムカつくことに」

 

 褐色の肌の無骨な手が、自前の銀髪をガシガシと掻き毟る。

 

 かなり大きめのため息ひとつ。それから、ウェイトレスの女の子をもう一度呼びつけ、空になったジョッキとツマミのお代わりが飛んだ。

 

 ……今さらだが、やっぱり自分で払う気ねえな、この人。

 

「ったく、ケッタイな後輩を持っちまったもんだ。こんなに覇気のない革命家が居ていいもんか? 言ってるこたァ胡散臭え、やってることも突拍子もない。結果は出てるが、何で出るのか分からない。頭イカレてんじゃねえのかね、と、洗脳食らってちゃ、イカレているも同然か……やれやれ」

 

 

 

 もとより、先輩の中でのカーラン・ラムサス《俺》の人格評価については、わりとビミョーなものだったように記憶していますけどね? 能力自体はあるんだが、的な。

 

 だったら今のコレというのは、そこまで変な目で見られるようなことですかねえ。 

 

 もともとソラリス《あそこ》って、しばらく見なかった誰かと会ったらすっかり別人、なんて場面もわりと有り得るひどい国だったじゃないですか。

 

「そりゃほとんど第三階層《働きバチ》のこったろーが! 普通に暮らしてりゃ、そんなバカげた状況になんぞほとんど出っくわしゃあしねえっての。俺も今後は地上暮らしの身、あそこの連中を今さら色眼鏡で見る気はないがな? それでもあくまで国の恥部、暗部のハナシだ。いきなり目の前にポンと出されて平常心で居られるかボケ」

 

 左様で。んー、ヒュウガは結構すぐ馴染んだんですが。先輩もなかなか繊細な一面をお持ちだったんですね。

 

「俺様をあんなマッド野郎一歩手前のスカタンと一緒にすんじゃねえよ。シグルドのやつも良くもまぁこんなんと……あー、もういい、もういい。頭おかしいのの妄言なんざ、マトモに付き合うだけ時間の無駄だ。酒だ酒、酒飲むぞ。……おお、姉ちゃんありがとうよ。ついでに二つ前に頼んだやつもう一本出してくれや。あと、目の前のバカにもキツいの追加だ」

 

 

 

 まだ飲むんですか……。ちなみにコレ、誰が払うんですか。上物ばっか積んでるせいで随分といい額になってると思いますけど?

 

 このところ出費が嵩んでまして、俺の懐事情ってそんなに明るくないんです。もうちょっと手心を加えて貰えると……

 

「ハァー? 一大反乱組織の最高幹部クラスが、ンなケチケチしたことホザいてんじゃねーぞお」

 

 その朗らかな笑顔は、やけっぱちと嫌がらせの程よいブレンド品と見られる。

 

「先輩への気遣いがなっちゃいねえなあ。おまけにこちとらテメェのせいで、今このときも大いにアタマを痛めているんだぜ。ここで百薬の長の追加投入は、もはや医者の処方も同然よ」

 

 だからって無い袖は振れませんよ。我々一同、各地のインフラ整備に全ツッパしてて、余剰資金なんてほとんど残ってないんですからね。

 

「知ったことか。自腹だろうと、詰腹だろうと、散々っぱら切りまくってみせろい。それでもって最後はいつものハラダンスで締めるってわけだ。テメェだってそんくらいは弁えてるんだろ? ……そうだ、いっちょうここのセントラル借り切って、自称後輩様のオンステージってのも悪くないかもなぁ?」

 

 は?

 

「思い立ったが吉日、旅の恥はかき捨てだ。ブレーキなんぞ蹴っ飛ばせ。先達として命ずる。カーラン・ラムサス候補生、一発ドカンと派手にやって、フヌケた性根を叩き直してこいや。オラ行け、すぐ行け、とっとと行け!」

 

 いやいやいや、流石にそれは勘弁してください。馴染みのバーじゃないんですよここ。ていうか、互いに一応お忍びですんで目立つのは普通にご法度でしょうに。

 

 

 

 ……ああ、もう、払います、払いますから!

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 必死に宥めすかした上で、後続のアルコールを雑に積み増しすることでオンステージは何とかウヤムヤにすることができた。

 

 終盤はすっかり根比べの様相となっており、こっちの酒量も大概危険域に突入していたが、向こうがトイレに立ったスキに、懐に忍ばせてあった状態異常回復薬《ケルバー・ソル》を密かに投与したのが功を奏した形だった。フハハ、勝てば良かろうなのだ。つーか、ここに至ってムダに悪目立ちとかマジ勘弁である。

 

 

 

 見事に出来上がった先輩どのをタムズ医務室のベッドに投げ込み、それから、奥方のラケル・ブランシュに先輩所有の携帯端末を経由して一報を入れた。

 

 位置情報偽装のためのノイズが飛ぶなか、近況報告等々。出張仕事にかこつけて後輩にタカってひっくり返っている先輩については、一言、慈悲深くも迫力のある声色で、しょうがないわね、とのことだった。

 

 うーむ、何というか、ヒトとしての格が違っている感があるな。塵閣下の記憶の中にはそこまでハッキリした印象は無かったけれど、ほんの僅かなやり取りでも、彼女がよく出来た細君であることは伺い知れた。

 

 ブランシュ家の本体はあっちだな。かの一家の安寧のために、彼女には是非とも長生きしてもらいたいもんだ。

 

 

 

 ちなみに、細かいポイントまでは聞かなかったものの、どうもブランシュ一家は、今後はイグニス・エリアの北側、キスレブ方面にて居を構える予定らしかった。

 

 奥さんと息子さんの体質――どっちも肌の色素が極めて薄くてキツい紫外線は身の危険がある――を気遣ったためで、そりゃ、人種的に見て緯度高めの土地柄の方がよっぽど生きやすいタイプではあるのだろう。

 

 『教会』が機能停止し、ソラリスの地上支配が形骸化している現状、ここアクヴィ・エリアに拘る意味はない(ついでに言うと、正直ここらは世界的に見て後進地域なので、生活上の利便性もイマイチ悪かったりするのだ)。監視の目も全世界的に薄まっている。そうした前提条件さえ整っていれば、なんだかんだ先輩どのも、家庭を顧みるだけの甲斐性ってやつを持てるわけだ。

 

 原作で色々と残念なことになっていたのは、単に環境が悪かったんだろう。なにせ周りが敵だらけの上、生粋のソラリス人でわりと良いとこの出でもある彼には、ツテらしいツテもからっきしだった。そんな状態で、第三次シェバト侵攻作戦という大騒動に御自ら飛び込んでいったわけで、当然脇が甘くなりストーン司教もといスタインに良いようにされてしまった。

 

 

 

 そして、今は状況がまるっと異なる。もちろん良い意味でだ。次期ゲブラー総司令と目されていた先輩どののポテンシャルは並じゃあない。彼の手腕をもってすれば、キスレブだろうと何処でだろうと、一旗ブチ揚げるくらいは余裕綽々でやれるはずである。

 

 やり手の父にしっかりした母の揃い踏み。この世界だとビリーくんは変な宗教にハマらずに済みそうで、たいへん結構なことだった。

 

 ……そのぶん、性根がわりと親父寄りのくせしてビジュアルが母親似の優男という彼のスペックが存分に発揮され、なんか相当厄介なタイプの女誑しが爆誕しそうな気もするが。まぁ流石にそんなとこまで責任は持てんので、皆さんせいぜい頑張っていただきたい。

 

 

 

 

 

 

 高いびきをかいている先輩どのに書き置きを残し、タムズの医務室を後にした。

 

 ねじ式の回転エレベータ(個室の隅っこでグロッキーになっていた酔っぱらいに回すなよとか言われたので、阿吽の心でしっかり回して差し上げる。ってか歴代で承継でもしてんのかあのポジション)で甲板エリアに向かい。空っぽのケージやパラソルが立ち並ぶ雑然とした通路を抜けて、錆びついたタラップを登ると、外洋を一望できる船首デッキへと足を踏み入れた。

 

 

 

 登り切るなり吹きつけてきた潮風が目に染みる。肌がひりつく。赤みを帯びだした空の下、デッキの端まで近づき、小脇に抱えていたポータブル端末を床に立て掛けると。そのまま手すりに肘をついて、前のめりになって凭れ掛かった。

 

 そうして、遠浅の海原――現在タムズの主船は、サルベージ・ポイントの海域で波間に揺られて停留している――をボンヤリと眺めながら。取り留めのないことを考えた。

 

 

 

 今朝方からタムズ・物資搬入口の担当者に頼んである、使い古しの水中装備の下取りにはもう少し時間が掛かるだろうか? 正直大した額にはならないと思うが、それでも今は1ゴールドでも回転資金が必要なのだ。ああ、そういえば、くだんのプロパガンダ本の下書きが仕上がったらアギーに添削を頼まないと。アヴェ領土内に敷設予定の交通機関の警備計画はどんな感じにするのが良いのだろうなあ。

 

 近日締結予定の、イグニス・エリアの平和協定を発表するタイミングはいつ頃にするべきか? 経緯を考えると仲介役たるシェバトに華を持たせないといけないんだが、当然アヴェ、キスレブの当事者両国を蔑ろにするわけにもいかんわけで、なかなかそのあたりのすり合わせは厄介そうだ。

 

 協定といえば、のちのちソラリスに呑ませるべき倫理規定は、どの程度包括的であるべきだろう。ヒトとして超えちゃならんラインってのは当然ある、とはいえ、あんまり無理押しをしてしまうと、反発がデカすぎて掛け声倒れになりかねないからこっちも匙加減がむつかしい。正直、そこらへんは現地の状況を見て(いや見たくないが)臨機応変に考えるしかないのかもしれない……あれやこれや。

 

 

 

 だいたいにおいて、俺が何でも決められるわけでは無いのだけれど、それでもある程度は影響力を行使できる立場に在る。あるいは今後そうなる見込みがある。

 

 お陰様で、前もって検討すべきことはいくらだって湧いてくるのだが、アルコールの入ったアタマじゃフワフワするばかりで、いまいち実になることがない。ダメだこりゃ。

 

 

 

 

 

 

 人の目を憚らない欠伸をひとつ。続いて背筋を正し、バカでかい身体で伸びをする。

 

 それから、胸ポケットからパスケースを引っこ抜き、指先でつまんで注目してみる。

 

 そのケースの中には、野外バーで先輩どのから受け取った、IDカード数枚とパスコードが束で入っている。ブランシュ一家のソラリス脱出前にこれまたヒュウガに作らせたもので、コイツを使えば、本国人の地上担当官並びその身内に身分を偽装することが出来るとのこと。

 

 壊滅済みの『教会』経由でない、テラン・エリア発の物資輸送定期便のひとつに前もって当たりを付けてある。近いうちに、現ソラリスの数少ない命綱に便乗する形で、お空の上へとコソコソ乗り込むことになるだろう。

 

 

 

 上に戻ったら、会わなければならない相手がいる。さっきも言ったが二人ほどいる。大勝負が二回分、手ぐすね引いて待っているってわけだ。

 

 それさえ無事勝利に終われば……終われれば? 終わるんだろうか?

 

 

 

 まだまだ終わらないだろうなあ、俺のなすべき“仕事”というのは。

 

 

 

 思わず苦笑いが表情に浮かんだ。こなすべき内容は凡そ曖昧、しかし量の多さだけが確約されている未来の予定。そうした先行きが目の前に横たわっているわけだが、まぁ、ゲンナリさせられる類のものなのは間違いない。

 

 ここに至るまではがむしゃらに駆け抜けてきたけれど、これからについては、おそらく長距離レースの様相を呈することになるはずだった。

 

 スッ転ぶことの無いよう気をつけながら、一定のペースで走り続ける地道な作業。このフネの周りに広がる遠浅の海のように、どこまでも続く大陸棚の平坦さだ。

 

 繰り返される日々。抑揚のないリズム。そんな中で人知れず磨り減っていく心の殻を、たまの休みや息抜きで騙し騙しに癒やしながら。仕事、仕事、また“仕事”……。

 

 

 

 それでも、今度のソラリス行きで一旦区切りはつけられる、と思う。たぶんな。そうなって欲しいもんだった。

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、パスケースを裏返すと、そっち側には一枚の領収書が折りたたんで入っていたりする。

 

 オモテ面に見えているぶんのリストだけでも、バカみたいな数の品目が、バカみたいな値段で並んでいる。さっき酒場で切ってもらった領収書。いわば先輩どのの犯罪記録と言っていい。

 

 まぁ俺も共犯なんだけど。でも、その点に関しては一応情状酌量の余地があると思うんだが? あるでしょ?

 

 

 

 うーん、それにしたってちょっとひどすぎるか。経理を通る気が1ミリもしねえなあ、これ……。トホホ。

 

 

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