塵閣下になりました   作:あーぷ

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夢の形見は遥か遠きに

 

 

 たぶん、二分か三分くらいはだんまりが続いていたように思う。その間、親父どのの纏った金色の仮面を、正面からまっすぐに見つめていた。

 

 平然としたふうを装いつつも、こっちとしてはジリジリと焼け付くような一時だった。さっさとしてくれい。

 

 

 

「……では、如何にする?」

 

 やがて口を開いたカインの調子には、さっきよりも少し、前のめりになった雰囲気があった。

 

 疲れ果てた老人の呟きだったものが。にわかに活力を注がれることで、幾ばくか勢いを得たかのように見えた。

 

 苛立ちからか。あるいは期待からか。そのあたりはまぁ、良く分からない。

 

「我らの見果てぬ夢を焦がし、焼き落とさんとするその“熱”。なるほど、それこそ若きの特権、我々古きものどもには望めぬ一手なのやもしれぬ。しかし、ヘテローギェンよ。斯様な移り気な熱意とは、得てして、高きを積みあげるための思慮深さを欠いているものだ。お前にもその兆候があると見える」

 

 ……戦いの長所は若者の長所、すなわち勇気と希望である。平和の短所とは老人の短所、つまりは不信と警戒心である、というやつかい。

 

「下界の箴言か。……そうだ。我々は、私は、不信を抱くのだ。その“熱”のより深きには、果たして新たな枠組みの萌芽が在りうるか? お前の夢想する未来図とは如何様なものか。確固たる見通し《ヴィジョン》なくば、お前たちの行いは、只の無軌道な既存秩序の損壊にすぎぬ。神の復活……その実がどれだけ虚ろなものと謗られようと、それが、我らの抱きし遠大なる展望、福音であったという事実を消せはしまい」

 

 黄金の仮面の裏側で、視線が鋭くギラリと光った。

 

「知恵の果実を口にしたヒトは、不毛の荒野を歩み、そして道半ばにて果つるもの。すなわち宇宙の孤児として、この星の原生動物とともに、無為に生き、そして無為のまま滅ぶのだと。そうした未来がこそ脳裏を過ぎる。お前とは、さしずめ蛇の唆しだ」

 

 

 

 ……んー。正直、将来的なリターンなんぞ確約できんってのがホンネだなあ。

 

「……何?」

 

 ちゃんと実になるかどうかなんて、誰にも分からないってことさ。とはいえまぁ、既存プランをぶっ潰すんだから代案を寄越せっていうのはもっともだとは思うよ。しかし、俺としてはだね。くだらねー誇大妄想よりも、この星に生きるヒト種の生存権や自主性の方が、優先順位的には遥かに上だってだけなんだよ。

 

 親父どのは滅びの道だのとおっしゃるが。彼らヒト種の創造性だって捨てたもんじゃあない。

 

 おたくらの過激な横槍さえなけりゃ、自分たちなりの日々を着々と積み重ねることで、いつか、あらゆる過去の栄光に勝るとも劣らない、独自の輝きを持てるはずなんだ。

 

 

 

 それこそひとつの神――の如きもの――に至る道かもしれないぜ? 機械じかけの神……外部から押し付けられた、御仕着せのシロモノなんかじゃなく。自分たちの内側に、芽生えさせるものとしてのな。

 

 それが、正道ってもんだ。俺はそう信じている。いや、そう確信してる。

 

「……」

 

 もちろん、こんなもん、ノープランで全ツッパしているだけの放言にしか聞こえないのも承知している。だが、鼻白むのは待ってくれよ? とりあえずおたくらがやらかしている諸々の非人道的行為に費やされているリソースを、通り一遍の経済活動に注ぎ込むだけでも、目を瞠るような結果が確実に出るはずだぜ。

 

 こっちは信念の問題じゃない。明々白々たる事実だ。ウチで作らせてある試算表を後で送りつけるつもりだが、だいたい、『この技術レベルの文明が惑星規模で蔓延っているのに、世界人口が今程度の頭数で済むはずがない』んだから。

 

 

 

 

 

 

「……今、聞くとしよう」

 

 あからさまに匂わせた最後の言葉で、カインは、ついに一歩踏み込む決意をしたようだった。

 

「お前とは、何か。私もそれを識らねばなるまい。答えよ、ヘテローギェン」

 

 

 

 ……およそ、推測になるけどね。カレルレンとミァンが作り出した俺というイレギュラーな存在は、その異質性ゆえに、カイン同一存在としての本来の枠を、超えちまったんだと思うのさ。

 

 ゾハルという名前のついたエネルギー・ゲイン・システム。その大掛かりな構造物の内側に押し込められている、有限では在りつつも、有機知性体の基準では無限とも思えるほどの可能性を体現した、“存在”。

 

 親父どのも、事象の地平の向こう際に、そんなふうなものを感じたことは無いだろうか?

 

 有る? 無い? まぁ、いくら貴方でも、はっきりとは分からないだろうけど。

 

 

 

 今や俺は、ラメセスは、そんなふうな“存在”と連携してここに在る。がっしりと向こうの手を掴んでいるわけでなく。あくまで途切れ途切れのリンクにすぎなくはあるが。それでも、そこには確たる意義と価値とが残存する。

 

 

 

 そしてこの世界には、親父どのもご存知のとおり、似たような立場に在った男《ひと》が、過去にも独り居たはずだ。

 

 おそらくだが……俺は、現時点で、『接触者』に近いポジションにあるらしい。

 

 

 

 ここに居る男は、いわば、カインでありながらアベルでもある。しかしそのいずれかそのものでもない。半端者の原初の霊長《ホモ・サピエンス》ってわけだ。

 

 それがために。ゾハルとの関係性につき、理解できる、というよりも“感じる”ことができる。

 

 だからこそ、事象変移の粋をこの身に宿し、不確定な未来を演算することで、それなり以上の確度を持って、過去と、未来とを、賢しらに語ることが出来るのさ。

 

 

 

 

 

 

 ……仮面の奥の瞳は、たぶんこちら側のそれと同じ色味をしているんだろう。

 

 こがね色の虹彩に囲まれた空隙。その暗闇の奥深くで、“存在”がゆらゆらと揺れている。

 

 波のように。焔のように。不定形な、しかし明白でもある形貌を取りながら。一万年近くの永きに渡って、不愉快な微睡みのなか、在り続ける、それ。

 

 

 

 今のは、俺の識り得た事実を、余す処無く丸ごと伝えたわけではなかった。けれど、一応それなりに整合性の取れた説明ではあったはずだと思う。

 

 親父どのが、微かに身じろぎをした。

 

「……そう、か」

 

 その零れ落ちるような一言を、俺なりに真摯に受け止めたつもりだ。現時点ではこれが精一杯。そして、必要十分でもあるだろう。……たぶんな。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「……アーネンエルベ、為せるというのか?」

 

 為せるかな、じゃねえよ。為すんだよ。

 

「!」

 

 フン。アーネンエルベ……新たな地平へと歩み進む、来るべき神の人、か。

 

 マァ、そもそもがシステムに致命的なまでに囚われているガゼル法院《あんた方》には、深く同情せんでもないがね。

 

 それに、間に横たわる一万年。対岸の罪を糾弾するには、馬鹿げたくらいの広さがあるのも確かな事実だ。

 

 

 

 とはいえ……だからって受け身に回ってサイの目が出るのを待ち続けてるだけとか、有り体に言って無責任ってやつだろうよ。

 

 誰かに歩んでもらおうってんじゃなく。テメェの足で立って歩かんかい。

 

 先頭に立って進みゆくからこそ、リーダーという呼称が付いてくる。やせ我慢はおたくらの義務だろ? 王様商売が割りに合わないってことぐらい、とっくの昔のご存知のはずだ。

 

 

 

 ……ま、足腰すっかりヘタってて無理くさいってなら。せめて代わりの足を邪魔するのは止して貰いたいもんだな。だいたい、不信も、警戒心も、漸進主義の足しになって初めて意味があるんであって、それ自体に値段が付くってのは思い上がりに過ぎんぜ。そーゆーのを、老害って言うんだよ。

 

 

 

 

 

 

 いま一度、沈黙が場を支配する。

 

 こっちはあからさまな迷惑顔を作ってツラの皮の上に貼り付けてある。対して、仮面の奥に隠れたその表情は、いったいどのようなものだろう?

 

 憮然としているか。苦虫でも噛み潰しているか。それともすっかり呆れ果ててなんかいるかもしれない。

 

 

 

 乏しい想像力を働かせて、目の前の独りの老人のこと、カインという男の胸中というのを思い描いてみた。

 

 原初の過去。瑞々しい自然に溢れた、しかし、文明という意味では不毛極まりないこの星に生まれ落ちたそのとき。自ずから得た経験ではなく、システムから与えられた広範な知識がその人格を形作る。

 

 増えゆく民の率い手としての身分に収まり、それを当然のことと思う。彼はそうしたものとして生まれ、そうしたものとして在ったはずだ。

 

 

 

 望む望まぬに関わらず、というのは、選択権の存在を知っているからこそ初めて当て嵌められる表現である。

 

 おそらく、彼は、そんな振れ幅すら無いままに、ただひたすら、所定の事実としてこの地に立ったのだ。

 

 

 

 数多くの不安。それを打ち破る山ほどの挑戦。無数の達成の充足感、反面、その合間に差し込まれたいくつもの挫折に、心をヤスリでジリジリと削られもする。

 

 あるとき、母の片割れ《エレハイム》を殺し、血の繋がらぬ弟《アベル》をも処断した。それこそ最も大きなトラウマ、彼の人生に墨のように落ちた、巨大なひとつの黒い影だったのだろう。

 

 でも、しょせんは彼の生きた生の数百分の一時点での出来事。とおい昔に置き去りになった、苔むしたマイルストーンに過ぎなくもあった。

 

 だからこそ、彼はこれまでやってこられたのだと思う。天帝としての職務――その中には、理不尽なもの、残酷なもの、馬鹿げたもの、諸々が含まれていたのは間違いない――をだ。

 

 心身をこそげられる痛み苦しみを振り払い、目的に向かって邁進する。その目的が自ずから選び取ったものなのか、それとも与えられたものであるかはどうだって良かった。

 

 なぜなら、「生きて」いるヒトにとって、どうして生きるのかというのが愚問だというのは、一般的な事実だから。

 

 彼は目的のために生み出された。その目的のために生きるのは、まったく当然のことだった。別に、それそのものは不健全とは言えないだろう。

 

 

 

 ただ、何物も、何者も、経年劣化は避けられない。

 

 繰り返される日々の浸蝕力は、水の流れを思わせる。一見取るに足らないようなものなのに、実際にはどんな物理現象よりも強力なのだ。岩盤が割られ、泥土を洗い流し、静かで着実な忍び寄りの果てに、やがて、地層の奥深くまでが露わにされる。

 

 歩んだ時間が逆戻しになる。心のヨロイが朽ちてゆく。

 

 剥き出しになった古い傷口。吹きすさぶ風が神経を刺し、痛みを呼ぶ。

 

 いつしかそのじくじくした痛みは耐え難いものとなり、ついには弱音を零したとき、目的は突然その輝きを失い、ひどく色あせたものとして映るんだろう。

 

 

 

 ……結局、何も変わらない。そんなふうに思う。目の前にいるのは単なる草臥れた老人ではなかろうか?

 

 至上目的を見失い、ただ現在《いま》という名の不毛な荒野だけを眼《まなこ》に映した、寂しい独りの男なのだ。何も他と変わることのない。生きることの重荷にずっしりと伸し掛かられた、それでも生きようともがく、個人。

 

 

 

 

 

 

「……良かろう」

 

 ボソリ、と囁くような声だった。

 

 諦めと、気だるさと。そして、ほんの僅かな期待の気持ちがそこにはある、ように思えた。

 

「やってみるがよい」

 

 

 

 ……御身のお言葉のままに。父上。

 

 

 

 崩していた全身を緩やかに立て直し、立て膝で面を伏せて敬意の姿勢を作った。しばらく、見おろされているのを感じていた。しかし、やがてカインが片手を掲げ、俺が乗っている謁見用浮遊機械に、エーテルパワーのマーカーを飛ばしたのが、分かった。

 

 動き始めた足場のせいで、重心がややぐらついた。

 

 面をあげる。次第に小さくなるカインの輪郭を見あげる。どうやら謁見は終わりのようだ。今の所、あの仮面の裏側がどんなふうなのかはイマイチ捉えどころがないけれど、いずれそのあたりにもいくらか触れることが出来ればいい。そう思う。

 

 

 

 とりあえず、遺伝的、身体的な部分に限って言えば、お互いこの世界に取り残された数少ない「生きた」肉親であることは、レッキとした事実ではあるのだし?

 

 こっちの中身がおかしなことになっているのは懸念材料ではあるだろう。とはいえ、心療療法《セラピー》ってのは、まず形式が整っていることが大事なのだ。

 

 

 

 すっかり老け込んでる独居ジジイに対して。家族サービスのポーズを取ることくらいなら、まぁ、異存はないし、然程問題だってなかろうさ。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 王国《マルクト》・エリアの南端部。第2級市民層にほど近い位置を横切るマコン通りの一角に、その喫茶店はある。

 

 ペールブルーを基調とした透明感のある内装。若者客を当て込んでおシャレさを前面に出したチェーン店で、類似店舗がこのエリアにもいくつか居を構えている。合計席数は、カウンターも含めると30と少しだ。

 

 塵閣下一派にとっての行き付けのひとつ。実はここ、食事処としてもそこそこだったりするんだが。書き入れ時を終えた昼下がりの今、店内は概ねガランとしていた。

 

 オートメーションの助けを借りて、ワンオペで注文から会計までを回しているウェイトレス――ちなみに三年前と同じ顔だった――も、さっきからカウンターにもたれ掛かって手持ちの携帯端末を弄っている。入店時に注文したコーヒーを持ってきてくれて以来、もはや客席のことは我関せずといったふうだ。

 

 もっとも、彼女には込み入った用事で待ち合わせだということを前もって伝えてあるので、別に彼女が気の利かない店員だってわけじゃあない。

 

 

 

 ポップ調のBGMを聞き流しつつ。窓際のテーブル席に陣取って、さっきから大通りを伺っている。

 

 このあたりはいわゆる学生街なので、道行く連中が着こなしているのは、その多くが各々の制服である。

 

 ベージュ色がベースのシックな装いや、カッチリとした詰め襟の白装束。ソラリスには、身分ごとに画一的な身なりを強いる風潮があって、学生についてはその傾向がよりいっそう顕著だ。見る人が見れば、たとえプライベートの時間だろうと、個々人がどこに属する何者かというのがひと目で分かるようになっている。

 

 ユーゲント生だってその例外ではない。

 

 生活サイクル自体は勇猛《ゲブラー》・エリアの軍用敷地内で完結している彼らだが、たまの休みには、このあたりに繰り出して羽根を伸ばすのが一種のお約束なのである。

 

 

 

 

 

 

 と、女性がひとり、大通りの北側から、早足でこの店舗に向かって駆けてくるのが見えた。

 

 ソラリス・ユーゲントの制服に身を包み。胸元には第三年次を示すタイピンを付けているのが分かる。

 

 インディゴ・ブルーの髪と瞳。誰もが目を瞠るという程ではないけれど、総じて整ったマスクは実に印象的……ていうか、ミァンですな。

 

 ミァン・ハッワー。ナンバー998。どっからどう見ても。あな恐ろしや。

 

 

 

 思わず全身が強張った。脳内警戒レベルがストップ高だ。……まぁ、こっちからわざわざ彼女を呼び出したんだから、お越しいただけるのは当たり前ではあるんだが。しかしながら、この俺の臆病さを、いったいどこのどいつが責められようか?

 

 現実問題、彼女こそがこの惑星上で一等おっかない人間なんだから。

 

 その容貌からは到底思いも寄るまいが、彼女のやらかした非人道行為の総計は、間接的なものまで含めればグラーフが可愛く思える数になるはず。万年モノの実績は並じゃあないのだ。それでも、そのすべてを『今の個体』の責に帰するのは、いまいちフェアではないのだろうけれど。

 

 

 

 

 

 

 来店を検知した自動ドアが開き切る前に、勢い込んで店内へと踏み入ってくる。彼女は息を切らしつつも周囲を見回し、ただちに俺の座っている窓際席に角度を合わせると、驚愕に両目を目いっぱい見開かせた。

 

 表向きの彼女の立場を考えれば、それはまったく自然な振る舞いだった。なにせ、このキナ臭い案件まみれの統制国家において、長らく行方知れずだった恋人から、数年跨ぎのコンタクトを突然食らった形なのだ。そして実際現地に足を運んでみれば、本物らしき人影が、馴染みの店でいけしゃあしゃあとコーヒーをシバいている。

 

 常識的に考えれば真っ赤なニセモノ、あるいはユーレイだかゾンビだか、オカルトじみた方向に思考が行きかねない状況だろう。

 

 まぁ、彼女も、俺も、元より常識とはかなり距離があるイキモノではあるんだが。むしろオカルトの方が近いかもしれんな。とはいえ、今はまだ互いにそんなことはおくびにも出さずにいる。

 

 

 

 そのままミァンは、他の何物にも目もくれずに(ウェイトレスも空気を読んで遠巻きのままで居てくれていた)、俺の側まで詰め寄った。

 

「カール、あなた……っ」

 

 このとき、俺はあえて演技をしなかった。普段の他所行きの振る舞いでも、プライベート用のちゃらけた装いでも。それどころか元のカーラン・ラムサスですらない、シンプルな、自然体の人格として、ここで座って待っていた。

 

 別に、何か思い入れとかがあってそうしたわけじゃあない。ただ、百戦錬磨の目の前の御仁に対して、付け焼き刃でしのぎを削るよりも、体当たりを仕掛けた方がいくらかマシだろうと思ったのだ。

 

「心配したのよ、本当に! 何の知らせもなく居なくなって、音信不通で三年も。いったい、何処で何をしていたの!?」

 

 ……すまなかった、ミァン。どうしようもない事情があったんだ。

 

 この場でスンナリとは話せないくらいの、ね。まったく厄介な事情だった。何とか、今になってようやくここに戻ってくることが出来た。

 

「どういうこと? この国で。あなたの身で。いったい何がどう出来たっていうの?」

 

 ミァンは、いかにも憤懣やる方ないといったふうな、美しくも歪んだ表情を作ってみせた。

 

「それに、あなただけじゃないのよ。シグルドも何処かに消えてしまった。四ヶ月前にはブランシェ一家まで全員行方知れずになっているわ。もう、丸っきりおかしな事ばかり! ヒュウガに聞いてみても要領を得ないし、何もかもあやふやで頼りない。こんなの、こんなの、私独りじゃ、どうしようもなくて……」

 

 本当に、悪かった。けれど。とにかく、俺は無事で、ここにいる。やるべきことをやったし、罪に問われたりも(たぶん…)していない。

 

「……」

 

 色んなことがあった。それを、君にちゃんと伝えられないのを歯がゆく思う。でも、今や、厄介ごとは丸く収まろうとしているんだ。それだけは確かだ。

 

 荒れ模様は終わった。夜明け前の晴れた空色が目の前に見える。このまま上手く行けば、『これから』も君の側に居られるはず。どの口が言うんだと思われそうだけど、今はそのことを、目を瞑って、丸呑みしては貰えないだろうか。

 

「訳が分からないわよ……そんなこと、いきなり言われても」

 

 無茶を言っているのは分かってる。いつか、近いうちに、君にもしっかりした説明が出来ると思う。

 

 でも今はダメなんだ。分かってほしい。

 

 それならどうして今日この場に姿を現したのか? それは、何よりもこのとき、君に許しを請いたかったからだ。君に受け入れて欲しかったからだ。俺には……カーラン・ラムサスには、君が必要だから。

 

 

 

 

 

 

 ……ミァンは、両目を瞑り、心の整理を付けるかのように、ゆっくりと左右に首を振らせながら面を伏せていた。

 

 けれどずっとそのままでは無かった。

 

 十数秒の後。彼女はやにわに距離を詰めると、店舗の椅子に座ったままでいる俺の頭を、おもむろに抱き寄せた。

 

 いきなりのそのリアクションにはビックリさせられたが、これまで積み増してきた予防線のおかげで、こっちとしては何とか取り乱さずに済んだ。

 

 強く抱き締めてくる彼女の身体に身を任せ、なすがままになる。……なお、感触を楽しむほどの心の余裕はなかった。残念ながら。

 

 

 

 たぶん、今しがたの十数秒の舞台裏には、尋常ならざる計算高さがあったんだと思う。

 

 この場で補体としての本性を露わし、目の前の鉄砲玉の失敗作に対してシビアな追求を仕掛けるか。それともしばらくは現状を維持し、水面下での情報収集に徹するのか。

 

 不確かな判断材料の山を加味した上で、その二つの方針を天秤にかけ、まがい物の所作を継続することの将来性の方が勝ったというわけだった。

 

 

 

 ともあれ、互いにしばらくそのままで居た。彼女はさめざめと泣いていた。それが、ミァン・ハッワーとしての迫真の演技なのか。それとも補体にされた女性本来の人格としての涙なのか。それもまた、俺には分からない。

 

 

 

「……髪型、変えたのね。カール」

 

 ……自分ではそんな気はなかったよ。たぶん、床屋の流儀が違うからだと思う。しかし、分かるものかな。

 

「分かるわよ。自分の、恋人のことですもの。薄情者の、ね」

 

 そう言われると返す言葉もない。……君は前よりずっと綺麗になったね。もちろん以前もとびきりだったが、さらに磨きが掛かってる。

 

 さっき、ひと目見た瞬間、心の底から驚いてしまった。君みたく、何処がどうと言い表せない、己の観察力、表現力の無さが恨めしい限りだ。

 

「あなたって、そんなセリフが吐けるような人だったかしら。違った気もするけれど……でも、本当はそんなふうだったのかも」

 

 少し、抱きしめる手の力が緩んだ。俺は彼女の腕の中で彼女自身の表情を見あげた。ミァンは、込み上げる思いの余りにくしゃついた笑顔、といったものを見せてくれながら、制服の右袖で目元をしきりに拭っていた。

 

 

 

「……三年は、長かったわ。ほんとに。時間って、こんなに無慈悲なものなのね。毎日の生活のなかで、ゆっくりと、いつの間にか、あなたとの思い出が曖昧になっていった。そんなことは、決して起こらないと信じていたのに」

 

 ふっ、と彼女は微かにため息を漏らした。

 

「……このまま、自分までが押し流されて消えてしまうんじゃないかって、怖くなったの」

 

 分かるよ。重ねた年月には重みがある。重すぎるくらいに。それに比べれば、人間ひとりの存在だなんて、羽根よりもなお軽いもんだ。

 

 俺だって、とっくの昔にすっかり変わり果てているのかもしれない。過ぎ去った日々の流れに巻かれて。こうして君の暖かさを感じていられるのが、自分でも信じられないくらいだ。

 

「……」

 

 ……ねえ、ミァン。これまでの不義理の埋め合わせに、ちょっとした予定《プラン》を考えてあるんだよ。

 

「プラン?」

 

 そう。君のお気に召すかは分からないけれど、俺なりに頭を捻って考えたものがね。今日このあと、半日ぶん、俺に君の時間を貰えないだろうか。

 

 

 

「……ええ、そうね」

 

 と、ミァンは可愛らしく微笑んだ。目元に残っている涙の跡も相まって、彼女の様相はまるで優れた美術品のように素晴らしかった。……その裏にある真意はさておき。

 

「いいわ、カール。付き合ってあげる」

 

 

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