塵閣下になりました   作:あーぷ

43 / 47
死なず、ただ去るのみを

 

 

「いやあ、良いところですねえ」

 

 トーラの隠れ家にほど近い手狭な空き地。待機モードの片膝立ちを取らせたEl.フェンリルから顔を出し、ヒュウガはやけに浮かれた口調で言った。

 

「程よい海抜、主流河川からの適度な距離感。安定した地盤。それでいて水回りは良く……農用地などについても、近隣随一のスペースを確保し、アクセスも良好と」

 

 この一帯は雑木林の間隙部に当たる。上空からだとほとんど違いなんて分かりはしないが、フタバガキ科に似た常緑樹が絡み合う鬱蒼とした森が、実はこの周辺に限って比較的まばらな植生になっているんだな。

 

 おかげで視界の通りはかなりいい。大小の土饅頭を二つ並べたシェルターまがいの家屋が、ヒュウガの目線では100シャールほど向こうに見えているはずだった。

 

 ちなみに、先んじて乗機ディルムッドから降りていた俺は、匂い立つ腐葉土のグズグズした地面の上。木賊色に塗り替えられたフェンリルのスマートな前部装甲を、下から見上げられるポジションにいる。

 

 

 

「内部施設の維持に当たっては、地下備え付けの大基軸スレイブ・ジェネレータをふんだんに用いているとしか考えられません。先ほどの反応強度とスペースの狭さを勘案すれば、おそらくここはゆうに数千年保つはずだ。晴耕雨読、隠棲するのにこれほど恵まれた立地もないものですよ」

 

 ……そりゃ、場所取りは良いのかもしれないけどな。いくらなんでも文明から遠すぎるぞ、ここ。

 

 バカでかい樹海のド真ん中。最寄りの農村ですら俺ら基準で半日コースだ。ていうか、雨季真っ盛りだとそもそも陸路が物理的に消滅するんじゃねえのか。

 

「分かってないですね、カール」

 

 何が。

 

「俗世より離れた静謐な場所で、心赴くまま思惟を巡らす。つかの間の閃きや、重厚な執着に誘われて……あるときは積み重ね、またあるときはひょいと別の何かを拾い上げてみたりもする。空想の中の当て所もない旅路に身を委ねること。このような処に在る者には、そうした生き方を、自ずと許されているんです」

 

 はぁ。

 

「ここはいわば聖域です。こうでなくてはいけない! 貴方が言う欠点は欠点足りえず、むしろ、欠かすべからざる無二のエッセンスとすら言えるでしょう」

 

 左様で。分かるような分からんような。ドルイド僧か何か?

 

 

 

 

 

 

 

 ……とまぁ、趣味人の隠遁者賛美――なんでこの男がラハンであんな辺鄙なところに家を建てたのかは分かった気がする――を聞き流しつつ。遅れ気味だったブリガンディアの到着を待ち、三人揃ってから隠れ家へと向かった。

 

 先頭は俺。シグルド真ん中、ヒュウガが最後尾の縦隊を組んで進む。一見ゲームじみたことをやってるようだが、横並びで進むよりは実際よっぽど安全策ではあったりする。

 

 

 

 隠れ家の本丸に続く道なき道の左右には、根菜類がメインの野菜畑が広がっていた。

 

 盛り上がった焦げ茶色の畝の上。カミナリダイコンやら何やらの葉っぱが、等間隔でズラリと並んでいる。畑の総面積としてはそれなりのものがあり、これがお一人様向けだとすると、些かサイズ過剰な感があった。どうも、最近になって急遽規模が拡張されたらしい?

 

 家屋横にある材木置場に視線をやると、横倒しになった丸太がみっしりしている。少し離れた場所には、差し渡し7~8シャール近い大きな穴の痕跡もある。多分だが、引っこ抜いた木の根っこや石なんかをあそこに放り込んで埋め直したんじゃないだろうか。

 

 丸太はまだまだ生乾きだし、穴の痕の表面も土がむき出しだ。工事完了からワンシーズンも経たないのが明らか。中々分かりやすい状況証拠と言えそうだった。

 

 

 

 そうやって周囲に目配りしながら、玄関前に縦に並んだ飛び石の二つ目を踏んだあたりで。ふいに先の扉が開いた。

 

 一応ここは非戦闘地域であるわけだ。胸中で警戒感は保ちながらも、表面上は大人しい客人として振る舞うために、俺たちは三人揃って足を止めた。

 

 

 

 扉の向こうから現れたのは、つい先日シェバトから姿を消し、これまた水面下で騒ぎになったゼファー・シェバト女王陛下だった。

 

 もっとも、彼女も普段のままじゃあない。今のゼファー陛下は、アウラ・エーペイルの市街地を往くシェバト女性の夏向けのような、在り来りな長スカートのキルト衣装を身にまとっている。

 

 いかにも女王サマめいたお上品さからは随分と距離があるけれど、それでも、彼女のまとう雰囲気から来る“それっぽさ”は十分に残り香があった。

 

 ただ、残っている、という言い方になってくる時点で。本体は既に投げ捨ててしまっている、みたいな捉え方も出来なくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 差し当たって一歩踏み出し、まずは彼女に微笑みかける。先手必勝だ。いつもの調子でこっちから仕掛けてテンポを取りに――

 

「ラメセス殿下」

 

 ……と、思ってたら、先んじて切り出されて出鼻を挫かれた。うーむ、バレバレ?

 

 

 

 しかし、そこから二の句が継がれることはないらしい。閉め直した扉の前に立ち塞がり、ゼファー・シェバトは、いつもの奥を見通し難い茫漠とした風貌を纏って、口をつぐんだまま、こちらを見据える。

 

 密かに練り込まれていたエーテル・パワーが、彼女の小柄な体躯の内側で犇めいているのに気付かされる。単純なチカラというだけでなく、そこには、何か、確固たる意思とでも言うべきものがあるようだった。

 

 何かが在るのに、それが何なのかがはっきりとしない。有り体に言って非常に不気味で、交渉にあたって相当厄介なのが見て取れる。叶うことなら、こういうタイプのお相手からは謹んで距離を置きたいもんだ。

 

 それでもここまで来てしまっている以上。手を突っ込まずに踵を返すというわけにもいかないのだが。

 

 

 

 ……お久しぶりです、ゼファー陛下。事前の通達もなく押しかけてしまいましたが、平にご容赦の程を。

 

「今さら、あなたに、格式に沿った振る舞いなど期待は致しませんよ」

 

 そう言っていただけて何より……何より? いや、お元気そうで何より。それでこそ、シェバト《彼の国》の歴々が抱きし憂慮も晴れようというものだ。

 

 末席に名を連ねる私としましても、貴女のご健勝を目の当たりに出来、思わず胸を撫で下ろさずには居られませんね。

 

 

 

 ところで、我々の目的についてはご承知おきでしょうか? 実は少々捜し物に駆り出されておりまして。原則、貴女にご迷惑をお掛けすることにはならないかとは存じますが、しかし事によっては――

 

「このまま、何も見ず、何も知らず。帰っていただけはしないでしょうか? 可及的速やかに」

 

 割り込むように。というより、こっちの発言にあえて被せてしまうように。ゼファー陛下は要望を告げた。

 

「誓って言いますが、この扉の向こうにいる存在は何れも。もはや、この世の巷に何ら関わるものではありませぬよ」

 

 

 

 ……残念ながら、そうもいかないのですよ。我々はその『向こう』にこそ用がある。

 

 貴女の庇い立てする何某かは、とっくの昔に、存在自体が巷への影響力そのものだ。今は姿を晦ましていようが、本人にその意志が有ろうが、無かろうが。それだけの潜在性が確実に在る。

 

 そんなこと、貴女には、今さら言うまでもなくご存知でしょう?

 

 今後の世の中が、どういった方向感を持つのかは分からない。しかし、今のところは概ね悪くない方角を向いているとは思います。そんななか、余分な不確定要素など無いに越したことはない、というのは、意見としてそれなり以上に説得力が有って然るべきだ。

 

 確かめねばなりません。殊によるとそれは……貴女の無事よりも重く見られるべきかもしれない。

 

 

 

「そうですか」

 

 彼女の声色が、突如として冷ややかになった。

 

「……そうでしょうね」

 

 続いて、女王サマが静かな仕草で構えを取る。貫手の形にした右手を引き絞る、防御を軽視した特攻の構えだった。

 

 そのあからさまな仕草を受けて、後ろのヒュウガとシグルドもまた身構える気配がしたが。俺は振り向かずに、片手だけ上げて彼らを制した。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 俺ひとりだけが棒立ちのまま、突如として臨戦態勢に移ったゼファー女王のことを観察している。

 

 当たり前だが、目の前の女性の危険性は大だ。本来棒立ちでなんかいるべきじゃない。いい加減危機的状況にも慣れてはいるが、別に察知能力がマヒしているってわけではないのだ。

 

 俺がやっているのはいわば理性的な棒立ちとでも言うべき高等プレーである。これはこれでちゃんとした意味がある。とはいえ、絵面がかなーり間抜けて見えるってのは、まぁ、はい。

 

 

 

 ……見たところ、エーテル能力者としての彼女のスペックは準エレメンツ級。

 

 足すことの護身術的な武道の技か? 単体戦力としては体格のぶん、青年バルトにやや劣るぐらいのレベルに収まるだろうか。エレメンツ級に+αが混じったこちら三人に比べると、明確に見劣りはするものの、我々の素の防御力だけでハネられる足切り段階は十分にクリアしているものと見られる。

 

 こっちの油断を突けば、先頭の俺ひとりぐらいならしっかり殺し切れるレベルにはあるんだろう。もちろん、その後は後ろの二人に袋叩きにされて御用ってわけだが。

 

 

 

 しかし、そんなことは彼女もわかっているはずで、つまるところこれだって単なるポーズではあるんだろうな、とも思う。

 

 年季と覚悟と情念とが、積もりに積もっているせいで。その出で立ちに、余りにも迫真性が醸し出されているってだけなのだ。……だよね? 誰かそうだと言っておくれ。

 

 

 

 常識的に考えると、どーみてもそうだと思うし、一見トチ狂ったことをしているように見えて、目の前の女性は依然として理性のヒトで在り続けているように見受けられる。

 

 だとしても、牙剥く猛獣の前に無防備で立つってのはやっぱり怖いぜ。本能的な恐怖がある。たぶん、俺の周りにいた一般兵の皆さんも、時と場合によってはこんな気持ちで居たのだろうなあ。

 

 

 

「……シェバト大講堂、中枢コンピュータには」

 

 白く煌めくエーテル感応の波動を、ほのかにまとわせた女王サマが。油断なく身構えながら声を発した。

 

「王家の人間の継承順位を、機械的に判別する機能があるのです。私をここで屠らば、その機能の働きが、次代の王を速やかに選び取ることでしょう。すなわち前代の死没が即座に明らかとなる。……彼の首取りたくば、王殺しの汚名をも被る覚悟で参ずるが良い。私は退かぬ」

 

 

 

 ずいぶんと、大げさなことをなさるのですね、陛下。そのエーテルパワーの奔流を収めてくださいませんか?

 

 ハッキリ申し上げれば……それでもなお、我々を害せるレベルには達しておられませんが、玉砕覚悟で来られると、流石に怖いですよ。

 

「……」

 

 此の度の示威行為の必要性は、理解できなくもないですが、ちょっと度を越している。

 

 たぶん、貴女の私情から来るものなのでしょうが、かなり危険な兆候だ。我々だって貴女を……というか、たとえ誰であろうと、相手を“予防的に”傷つける、だなんてことはしたくない。

 

 信じていただきたいものです。毎度のことながら、今は言葉以上の持ち合わせが手元にありませんけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 しっかり言質を取られ、向かい合ったまま、しばらく経った。

 

「……すみません。あなたが、そこまで酷い人ではないのは、知っていますよ」

 

 エネルギーの高まりが静かに引いていく。構えを解き、目線を斜め前に逸らすと……深く憂える表情を作って、女王は呟いた。

 

「だけど、あなたのその人らしからぬ頑健さには、危惧せざるを得ぬ部分があるのです。メカニックな処理があるとき反転し、私にとって、誰かにとって、この上なく残酷な決断を、あっけなく下してしまうことだって、あり得るのではないかと」

 

 どことなく、掠れ色褪せた想い出を前に、途方に暮れるかのようだった。彼女は続けた。

 

「だから、私は。あなたによく似たソフィアのことが苦手だった。あの人は、彼女に忠実だったのに。ソフィアに愛されるのに値する男だった。彼女だってまんざらでもないように見えて、それは、悲しかったけれど、でも仕方ないと思えた。だのに……彼女の心変わりが、私には恐ろしかった」

 

「ゼファー・シェバト。ソフィア《彼女》は……」

 

 

 

 口を挟みかけた後ろのシグラーフくんを、もう一度片手で制し、俺もまた続けた。

 

 ……そいつは考えすぎってものですよ。そんなスタンスは、むしろ俺とは真逆に位置している。

 

 ヒトは、ヒトらしくあらねばならない。クサい言い方をしますがね、メカニックな処理とやらに自らを明け渡すこと、そんなものはヒトとして、ほとんど死んでいるも同然だ。

 

 自我に執着し、感情に振り回され。自らを律することとのせめぎあいのなかで、下される結論こそが、尊重するに値する。

 

 それこそが俺の本心ですよ。矜持でもある。システムとは『使う』ものであって、自らがシステムの風下に立ち、意のままに『使われる』だなんてことは有ってはならないんです。

 

 そうしたわけで、俺はソフィアを、即ちエレハイム《母》を哀れにこそ思うが、自らに重なるところが在るとは滅多なことでは思いませんね。

 

 言わせて貰えば、あなた方は立場《スタンス》と個人《パーソナリティ》を混同されているんだ。

 

 システムの判断を信じることと、システムに主導権を擲つことは、明確に異なるのだから。

 

 

 

「分かり、ました」

 

 くすんだ宝石のような瞳でこちらを見据えていたゼファー・シェバトは、やがてすっと身を引いた。

 

「それでは、彼に、会ってあげてください。貴方の、ヒトらしい優しさを信じるとしましょう。彼はたくさんの罪を犯したけれど……それでも、“今の”彼には、情状酌量の余地くらいは、あるはずだと思うから」

 

 

 

 今の、ね。可能性のひとつとして考えてはいたけれど……やっぱりあの男も、“影響”を受けていた、いや、いるんですね。

 

「……おそらくは」

 

 フェイ《イド》が。グラーフ《ラカン》が。歴代の接触者、そして二次接触者の操り人形へと堕した人々が、悉くそうであったように。

 

 偽神《デウス》に。いや、その本丸、即ちゾハルに近づきすぎることで。その奥深くから滲み出す“欲望”に、めっきり当てられてしまっているんだ。

 

「……」

 

 やれやれ。……あー、シグ。スマンがお前さんが先頭で行ってくれや。あの黒装束、全身ちゃんと着込んだ上でな。

 

 何でだって? まぁすぐに分かる。お相手を無駄に警戒させるのもどうかと思うんでな。

 

 いやあ、メルキオール翁向けに念の為持ってきたコスプレ衣装、あんがいしっかり役に立ってくれるもんだ。見た目はアレだが、まぁ、この場においてはいい塩梅には違いない。

 

 ……たぶんな。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「おお、ラカンじゃないか!」

 

 メルキオール家の書庫。壁際に並んだ木造りの無骨な書籍棚の前で、分厚い一冊を紐解いていたカレルレンは、正面口から入ってきた俺たち三人を見出すと……傍の三脚の上に本を置き、グラーフ・スタイルを着込んだシグルドの方へと寄ってきた。

 

「随分と良いガタイの依代と見える。久方ぶりだな、いったいどうしたんだ、こんなところまで」

 

 と、カレルレンは黒装束を纏ったシグルドの胸元に軽くゲンコツを押し付ける。彼は目の前の一人のことしか見えていないかのようだ。もっとも、別に俺とヒュウガを意図的に無視したわけじゃなく、どうも本人がただただ近視眼的になっているらしい。

 

 ……事実として、声を掛けた相手のすぐ近くに二人も別人が居るのに? どっちもすっぽり見落としているってか。いやあ、流石に視界不良にも限度があるんじゃなかろうか?

 

 

 

「……久方ぶり、と言っておいて何だが。ひとつ前にお前と会ったときのことは、実は覚えがないんだ。しかし、運良く面会の記録だけが残っていてな。ミァン《あの女》が四世代前で、その時のナンバーが、確か991だから……たぶん、110年から120年前あたりの何処かだったのだと思う。合っているか?」

 

 カレルレンは朗らかな笑顔を浮かべて話している。そのカラッとした態度は、彼に対して事前に抱いていた印象とはめっきり異なるもので。何というか、場違いだった。

 

「いつもどおりのその格好で、お前は、ソラリスの研究施設にフラリとやってきた。そのくせ、一言二言話しただけですぐに去っていったと履歴にあった。まったく薄情なやつだよ。もっとも……そうした部分については、俺だって人の事など言えまいがね」

 

「……」

 

「ん? ……ああ、この服装か? ゼフィに仕立てて貰ったんだ。たぶん、ニサン式の書生服といったところなのかな。別に、俺としては僧服のままでも何ら構いはしないのだが、彼女が言うには、その時々、身分に見合ったものを身につけるのは、一種の礼儀なのだとさ」

 

 左手を上げて、着衣の薄茶色の生地を分かりやすく見せようと、右手の指で摘んで少し引き伸ばしてみせる。

 

「ここにきて、ようやくまとまった時間が取れることになったんだ。メルキオール師と再びお会いできたのも望外の幸運だった。それで、この機会に、基礎からしっかりと学びなおしてみようと思ってな。そのために見た目から入らせて貰ったというわけなのだよ。これを着て、今ではひたすら師の文献を漁る毎日だ」

 

「そう、なのか」

 

 シグルドが曖昧な口調で相槌をうった。黒装束に隠れてモゴモゴしている感じは、図らずもそこそこラカンっぽくなっているのかもしれない。いや、実際のところは分からんが。

 

「ああ、そうなのだ。やはり、本は良い。洗われるようだよ。心を落ち着けるには本を読むのが一番だって教えられたのは……はて、誰だったかな?」

 

「え? いや、お前……」

 

「……いかんな、このところ、本当に物忘れがひどくなってきた。まるで穴の空いたコップにでもなった気分だ。継ぎ足しても、継ぎ足しても、残るのはほんの僅かだけなのが、なんとも口惜しい」

 

 至って自然体でそう宣うカレルレンを前に、シグルドが思わず押し黙った。

 

 ……うむ、そりゃそうだろうな。俺だって目の前で今のをやられたら絶句するわ。お前、マジかよ。

 

 

 

「……まぁ、それでも、幾らかは手元に残るだけありがたいというもの。もう少ししたら今日のぶんも、一段落つく。終わったら後で昔話でもするとしよう、別にそう急ぎってわけじゃあないのだろう、ラカン?」

 

「あ、ああ。大丈夫だ、今日一日は余裕がある」

 

「良かった。じゃあ、片付くまではしばらくゼフィのお相手を頼めるか。わざわざ言うのもなんだが、どうもこの頃、彼女を不機嫌にさせてしまうことが多くてな。彼女のおしゃべりに付き合うのはまぁ、嫌いじゃないんだが、やはり俺はあまり口が巧くない。いっそロニのやつにでも任せてしまえたら……いや、あいつとはもう、会えないのだったな。残念だが、仕方ない」

 

 カレルレンが胡乱な目つきを作る。それによって、突然彼そのものが虚ろになった。一見若々しい一人の男の相貌が、にわかにひどく年老いたものとして映った。

 

 歓びや、哀しみも。両方向へと振れる心の蠢きの何もかもが、あまりに遠すぎることで霞んで見える。それがために保たれる、独特の平衡。

 

 それは、得てして老人にとってありがちな、一種の寂しい幸福のように思われた。

 

「時の流れというやつは……なんとも残酷なものだな。なあ、そうは思わないか、ラカン?」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。