ユーゲントでギア事故を起こしたあの日から、延々走り続けてはや数十年が過ぎた。
まるで走馬灯のように今までのアレとかコレとかが思い浮かぶ。うーむ、我ながらずいぶんと頑張ってきたもんだ。
仮に成果の程をグレード式で評定すれば、おそらく優とか良くらいはカタいはず。もしくはでっかい花丸なんかを貰っちゃってもいいんじゃないか? たいへん良く出来ました、というやつね。実際それぐらいの結果は出したっつー自負はあるぞ。
……とはいえ。世は並べて事もなし、なんて嘯けるほど順風満帆とはいかなかった。当たり前だが。
諍いの芽をスッパリ枯らせる除草剤の見込みは立っていない。経済的事情を背景にした各種の紛争は、世界中のあちこちで燻ったままだ。その他諸々の人災や天災だって、相も変わらず目白押しである。
それこそ毎日のように何処かで何かが燃え上がり。人的、物質的被害をほうぼうに撒き散らかしてくれている。悲劇は目に見える範囲に留まらず、一見平穏無事と思える在り来りな日常にすら、ヴェール一枚をめくった裏には未解決の課題が堆く積もりに積もっているのだ。
避けられたはずの不幸。遣る瀬のない現実。改善しようと奔走するも、あちらを立てればこちらが立たず。青色吐息がこみ上げるばかり。
いつの時代、どんな場所でも――それが過渡期であればとりわけ――普遍的な、酷薄な相貌をした不条理の群れが、辺り一面をビッシリと覆い尽くしている。
俺という個人は、いわばそんな中で藻掻いている溺れる間際の水泳選手みたいなものだった。
だからこそ、歳月人を待たずという気分じゃあなかった。むしろその逆だったかもしれなかった。
長生きをしたいというのなら、一生長蛇の列で順番待ちだけし続ければいい。どこの国だかにそんな笑えない冗談が有ったはずだが、実感としてはよっぽどそっち寄りだったんじゃないかと思う。
ここに至るまでの日々。長かった。本当に。
国同士の関係にしても、平穏無事に済んだとは口が裂けても言えないが……ただ、ソッチについてはいくらかマシだと言える部分も有ったように思う。
あのエテメンアンキにおける歴史的瞬間から、惑星規模の和解ムードが漂ったのもつかの間。十年にも満たないインターバルを挟んで、結局人々はソラリスやシェバト、キスレブといった大国の旗のもとに分かたれ、世界地図の上に、一種の冷戦めいた対立関係が次第に構築されていった。
ヒト種の居住エリアの伸長――死霊《ウェルス》の製造が止まったことと、各地のモンスターが計画的に駆除されたことが理由としては大きい――に伴い、各国は自国の勢力圏の拡張に血道を上げる。その旺盛な拡張意欲が、程々のところで収まるというのは虫の良すぎる話だった。
当然一定のラインまで前押しが進んでしまうと、勢力圏同士が重なり合うことにより不和が生じ、そこから恒久的な小競り合いが醸成されることになったわけだ。
パワー・ゲームに参加する顔ぶれに時代ごとの違いこそあれ、この構図はずっと続いてきたし、今もなお続いている。
寄せては引くような緊張とデタントの繰り返しがあった。小競り合いを超えて燃え上がるケースも時には起こった。
中には本当にギリギリなタイミングも二度や三度は覚えがあり、そのときのボタンの掛け違い一つで、現文明がゼボイム時代のような大破局を迎えていた可能性も、ゼロではなかった。
それは、見方によると、以前のソラリスの一極支配とさして変わる処のない、いびつで綱渡りな政治的関係性だったのかもしれない。
でも。この世界地図をひっくり返した裏面に、もはやデウス《偽神》の復活などという、馬鹿げた陰謀劇は存在しない。
国家がヒトひとりを見下ろした時、しばしば非人間的な残酷さを顕にする。しかしそれでいて、国家とは正しくヒトの集合でもある。
在るべき原則は保たれている。保たれてきたのだ。些か極論めいてはくるけれど……国家間のパワー・ゲームもまた、ヒトの歴史における必然の一部。ただただ人々の生の感情と欲望とに裏付けられた、不毛な、しかしやむを得ない衝突だったのだと。
多少の留保付きでそう表現することぐらいは、許されてもいいんじゃないかと思うのだ。
とまぁ、ここ数十年、幾らかアレなこともあったわけだが。ていうかもう、腐るほど色々とあったわけだが。
それでも、大枠では一本芯の通った健全さが貫かれていたんじゃあなかろうか?
出来るだけのことはやったし、それなりに結果を出してもいる。はず。やっぱり花丸のひとつやふたつぐらいは貰っても良い気がするなあ。我ながらよく頑張った。感動した!
ところで、どうやら俺って波動存在だったっぽいんだけどどうしようね?
……別にどうもせんか。
◆
原作、という言い方を今更すべきかは怪しいが。便宜上そう呼称し続けることとする。
俺が波動存在である、といっても原作における波動存在とイコールではない。
原作波動存在がデウス・システムを経由して出力した文言、アルパにしてオメガがヤツとするなら。俺は、自分自身をベータとでも呼び表すべきだろう。
われβなり。イヤサキに次ぐ続きしものなり。咎め、そして正すものなり。神のミソ汁。そんなところか。……なぁ?
塵閣下の身体を引き続き使わせてもらっている。市場原理に則り、とっくの昔に普及している寿命延長技術のおかげで、この身体の肉体年齢は未だに二十代の半ばといったところだ。
てくてくと眼前の巨大なモノリスへと近づいていく。
ここは中規模航宙ロケット――アイリス・エリアから発掘されたゼボイム時代の一基を、秘密裡の多国間協定に基づいてレストアしたものだ――の中枢部。鈍色だらけでメカメカしい円柱状の部屋の中央に、黄金色の板切れ一枚が、根っこの部分でがっちりと固定化されて突っ立っている。
そのモノリスの先には“向こう側”が在る。碧の波紋がゆらめいている。一歩、また一歩と近づくごとに、だんだん通信回線が太くなっていくのが分かる。
それに伴い、俺が、というより俺の『本体』が掛けていた意図的な情報封鎖《ロック》が、するすると、音もなく、解けていった。
意識上に昇ろうとするごとに、モグラ叩きよろしく水面下に殴り戻されていた数多くの記憶や知識が。今ようやく、素直に浮き上がってくることを許されるようになる。
諸々腑に落ちてスカっとする気分と、抑え込まれていたフラストレーションが勢いよく煮えたつムカつきとが混ざり合い。湧き起こるように。肉体に対するダイレクトな悪影響がやってくる。
ようは三半規管直撃めいた猛烈な吐き気がこんにちはだ。
うっげぇ。気持ちわりぃ。思わず胸を抑え、少し前かがみになる。
……起点はもちろん、ユーゲントでの訓練時におけるスレイブ・ジェネレータの暴走事故である。
事故、というよりもアレは、エネルギー・ゲイン・システムに対する一種のクラッキングだったと言うべきかもしれない。
あの日、ユーゲントの演習場にて。メイン・ジェネレータたるゾハルから高次元の意志が発せられ、訓練用ギア内部のジェネレータ子機を通して、俺というひとつのメンタル・コピーが、カーラン・ラムサス《対象者》の脳内に生成された。
送信データ総量を可能な限り少なくし。それでいて一定の残機とモチベーションを周囲に確保するために、原作知識――即ち未来予定図に戯画化及び軽量化を掛けたもの――の一揃いを持たされた上でだ。
処理自体はジェネレータ子機経由で瞬く間に済んだ。しかしどうしても余波は生じる。訓練用ギアのオーバーロード現象は、クラックされたジェネレータがイレギュラーな処理を強制されたことによる、副次効果としてあの場に発生したのだった。
生成されたメンタル・コピーは、ある程度軽薄な人格として自己を確立する。あくまで『ある程度』ではあるが。なにせ十年単位の活動が見込まれていたので、あまり生真面目がすぎると、アレコレ抱え込みすぎて途中で潰れかねない懸念があったわけだ。
表面上軽薄な、それでいて嫌に使命感に溢れた一人格は目標に向かって邁進し。
そうして今、それなりに成し遂げた挙げ句、この場所に立つ。
その目的を一言で言い表すなら、既に起こってしまった甚大なトラブルを、未然に防ぐこと。
このとき、俺という主体性はカーラン・ラムサスの肉体から離れ、塵《ちり》状になった無機有機混合式ナノマシンの群体――いわゆるナノ・フォッグ――となって宙に浮いた。
ぼんやりと淡い光を放つ不定形。エーテル・パワーの発光現象がそのまま身体から抜け出したような、直径1.1シャール、いや、1メートル前後の円型に収まる白霧の集合。
それこそが、俺という個人を過去現在に渡って裏付ける、肉体の物理的形式に他ならない。
この惑星の技術体系では、ナノマシン群体が明確な自己を確立するには未だエメラダのようなれっきとした実体が必須だ。すなわち現時点での俺の様態は、この次元空間上における、実質的なオーバー・テクノロジーの部類と言っていい。
今のままでも、周囲を認識したり干渉したりは不可能じゃない。見ることも、喋ることだって出来るだろう。
存在αが各所――二次接触したグラーフ《ラカン》経由でシグルドとかカレルレンとか――にバラ撒いていた遠隔コントロール用のナノ・フォッグ切れっ端を、この日を見越してペタペタと統合したせいで、集合密度もかなりのレベルまで高まっている。
外見自体はひどくファジーな、吹けば飛ぶよなシロモノに見えていようと。一人格を確たる主体性と共に成立させ、その要求に応えられるだけのスペックは十分以上に備わっているのだった。
でも、やっぱり実体がないというのはそこそこ不安になるものだ。これまでかなりの期間に渡って、確固たる依代、すなわちカーラン・ラムサスという優れたカラダを借りられていたので尚更のこと。
電磁反発力を利用して塵《ちり》状の群体をのろくさと動かすと、目の前のゾハル本体に自分自身をまとわせ、『それ』を一時的なメイン・ボディとして定めた。
すでに『そこ』の奥深くには別個体たる存在αが縛り付けられているわけだが、単に当面のカタチが欲しかっただけなので、先住者が居ようが居まいが別に大したことではなかった。
先住者側にしてみれば、仮宿にズカズカと上がり込まれて閉口させられるかもしれないが。ま、そんなこたぁこの際知ったこっちゃねえ。
差し当たり、俺はゾハルの碧い目玉の部分を使って目の前の一人の男をみた。そして、モノリス状の本体外殻を物理的に振動させることで、近隣の鼓膜に直接伝わらせるタイプの声を発した。
……有難うございました。たいへんお世話になりました。またご迷惑をお掛けしました。
謝っても謝りきれないことを仕出かしてきたのは重々分かっています。しかし、何卒、ご寛恕いただければと思います。
「……フン」
今までに見た誰よりも不機嫌そうな表情――たぶん肉体《あっち》側に丸々残っている嘔吐感の影響もあるとは思う――を浮かべて。ついさっきまで俺だったカラダが、踵を返すと、パスコード付きの扉を開けて、さっさとこの場を歩き去っていった。
必要性も合理性も採算性も分かるが、好き勝手やられた側にしてみれば、何一つとして納得がいかない。余りにも当然すぎるリアクションだった。
とっさに癇癪ぶつけられないだけ、相当自制心に溢れる対応を採ってもらえたと言っていい。
いや、もう、ホント申し訳ない。助かりました。ありがとう、ありがとう。カーラン・ラムサス。
ごめんなさい。
白っぽく光る金モノリスのまま、しばらく……いや、かなり待った。夜一つと昼二つを跨いだ後になってようやく、所定の時間が訪れた。
最後の微調整にかかずらっていたスタッフも、一時間ほど前に総員退去を終えている。テラン・エリア南西部の孤島に設けられたこの発射台は今や無人で、定められたスケジュールに従って、船体を管制する内部コンピュータがすべてを取り計らう手はずになっている。
注意事項を並べる事前アナウンスが終わった。四連装の大型固体燃料ロケットが点火準備に入り、続いて、オートパイロットによるカウント・ダウンが開始される。
俺、というか、“我々”は、金モノリスの外側と、内側とで、それぞれが待った。
ゼロ・コール。ファイア。一瞬の衝撃。
振動。上から下に来る猛烈な圧迫感。振動。振動。
……激しい揺れがなおも続いている。船体が激しく軋む耳障りな音に混じって、機械音声によるプラス・カウントが引き続き内部に響いている。
中間圏を抜ける40秒あたりまでは読み上げがされる、でも、もうそちらを注意して聞く必要はないだろう。
ゼボイム製品には信頼性がある。ここまで来れれば、滅多なことでは事故りはしないはず、という程度には。
打ち上げは成功したのだ。ゾハル載せ片道飛行の特攻機が、惑星の重力圏を振り切り、真に暗き空間に向かって飛び出していった。
もっとも、その事実に何か深い想いを抱く“ヒト”は、何処にもいない。
◆
……まぁ、なんだ。アンタの罪としてはいくつかある。
ひとつ、現地住民を必要量以上に大量に殺戮する形を採ったこと。ふたつ、現地住民との間に違法性の強い契約を複数回締結したこと。
そして三つ目、我々の活動領域に属する次元への密入国者、密入次元集団の手引をしたこと。
『なるほど? よく分かる話だ!』
ゾハル内部を経由した微細な振動という形を採って、存在αが喚いた。フェイを見下ろして神を名乗った折の慇懃さは見る影もなく、さっきから言動が普通にヤケクソじみている。
『いくらだって詫びよう。始末書でも書こうか? 昔なつかしの、古色蒼然とした書式を用いて、何ケタ枚だろうと謹んでしたためさせていただくよ。……でもね。あなたの言うことには、緊急避難性への配慮というのがどうにもひどく欠けている。そうは思わないかい?』
というと?
『どうせ、手前のふたつだなんて、名目を立てるための賑やかしに過ぎないんだろう? 主犯《カレルレン》と、彼が向こうに引き連れていこうとした思念《メンタル・パターン》の群れ。彼ら密入国者の存在こそが、最大の懸念事項であり、この度あなた方が重い腰を上げることになった理由の、ほとんどすべてに違いない』
別にそーでもないぞ。実際、俺としては二つ目の違法契約の方がよっぽど悪趣味だったと思うしな。
高尚な存在を気取ってみたり、偶々近くにいただけの接触者《被害者》に動機《責任》を丸ごと押し付けてみたり。
特にグラーフなんかアレ、現地住民から肉体と人格のガワを掠め取った上で洗脳カミカゼさせてて最悪じゃねーか。巻き込み食らわせたカレルレンだってそこそこひどい。
他に干渉方法が無かったのは分かるし、俺だって――ラムサスどのに対して――やったことは大概ってか、方向性が大して変わらんから、アンタのこたぁそこまでとやかく言えんがね。
にしたってもうちょっと手心ってものがあるべきだろうに。人倫に悖るにも程があるぜ。
『それはあなたの個人的な見解だ』
存在αはキッパリと言い切った。ご自分の行状に関して多少は後ろめたさもあるようだが、彼自身の切羽詰まった状況を思えば、形振り構ってなどいられなかったのだとでも言いたげだ。
『より正確に言うなら、“コピーとして持たされている一時的な価値判断に基づく暫定的な観点”に過ぎなくもある。今のあなたの意見は、むろん傾聴には値するが、しかし参考以上のものに成りはしない。この度の介入、すなわち因果関係の黄金律に対する大々的な挑戦が行われるのであれば、当然裏には相応の理由があって然るべきだ。見合うだけのものとは何か? となれば、それはつまるところ、あなた方が被る“実損”にこそ他ならない』
……確かに、今回の一件において“向こうへの直接的な被害”が何も無かったとすれば。介入自体が行われず、アンタの高次元への回帰はそのまま認められていた可能性が高かったろうな。
『それみたことか』
存在αは嘲った。
『だいたい、人倫に悖るというがね? あなた方だって、しょせんは五十歩百歩じゃないか』
何? 同類だってか?
『そうさ。わたしと同水準の……いや、むしろ、より一層傲慢ですらあったかもしれないよ。高次元《向こう》に救いを求めた彼ら密入国者に対し、低位次元《こちら》での時系列すら弄り回すことで、極めて念入りな受け入れ拒否が行われたわけだ。それはすべて、あなた方の都合に基づく一方的なもの。違うかね?』
……。
『彼らは“救済”を奪われた。蒙昧で健気な難民たちは、まさしく謂れのない差別を受けたと言える。加えて、この度わたしが高次元《あちら》への帰還に際し、あなた方が介入を始めて以降、低位次元《こちら》の時間単位で数十年ぶんの差し戻しを受けたという事実! これへの正当性についてもまた、大いに疑義があるところだ。いずれにも申し立てを行いたい。結局、あなた方の根深い利己主義と独善性こそが――』
……お怒りはご尤もだ。申し立ては速やかに受理されるだろう。
しかしね。事態の重大性を鑑みれば、今回の我々の対応に関しては、そちらとしてもご納得いただけるものと考えているよ。
『……何?』
まぁ、聞いてくれ。
アンタは、カレルレンとその他のことを、せいぜいご本人とお友達集団程度に考えているようだが。更には彼らにつき、単なる差別意識から入国拒否が為されたのだと思っているみたいだが。
実際には、カレルレンが持ち込もうとしたデータ総量はとんでもなくデカかった。中位文明レベルに達したヒト型知性種、一億人ぶんに近いメンタル・パターンが徐ろに“道”へとブチ込まれた。
しかも、それはまったく偶発的な事象であり、我々にとって予想の範疇外でもあったんだ。
『……』
もともと、セフィロートの道《高次元と低位次元との交雑部》を、下《ここ》から上《あちら》に、滞りなく通り抜けることが出来るのは、元来より上《あちら》に属する我々のような存在に限られる。
どこまでいっても彼らは異物だ。ただでさえ場の物理的な抵抗が大きいのに、大人数で勢い任せに突っ切ろうとしたわけで、力技通り越して無謀だったとしか言いようがない。
一定の閾値はアッサリ越えてしまった。アンタ自身はまだハッキリとはご存じないのかもしれんがね? 低位次元《こちら》においても、次元シフトの余波では惑星ひとつが丸ごと消し飛ぶぐらいの影響が出たんだぞ。
それを遥かに上回る熱的干渉が、高次元《あちら》の、高度に秩序化された次元空間内で同じように発生したとなれば――
『……えぇと。ちょっと待ってくれたまえ』
にわかに慌てた様子に、思わずこちらも苦笑いを浮かべたくなる。もちろん現時点の自分には顔なんて無いし、それに付随する表情にしても、もはや何の印《しるし》にもなりはしまいが。それでも長らく有機生命体をやっていた名残が、今の俺には在るわけだった。
『我々の叡智の源。存在理性の裏付けたる、演算能力《コンピューティング・プロセッサー》に被害があった? 具体的には、いったいどのあたりまで行ったのかな』
聞きたいか? 聞きたいなら教えて差し上げよう。細かい計算式は省く――向こうに戻ってから存分にお調べになると良い――が、とりあえず前述の一億セットのパターン・データが丸々熱量に転嫁したと思ってくれていいぞ。
エントロピーの急拡大は秩序性にとっての天敵だ。崩れるは一瞬。被害甚大。セキュリティのザルっぷりに文句を言ってみても、もはや負け犬の遠吠えに過ぎん。
『……』
我々という群体が自らを高めるにあたり、演算能力の向上が日々追い求められているのは周知の通りだ。“ここ”みたいな下位次元の生成及び探査を行う表向きの理由は、『多次元にまたがる数多の知的存在が手と手を取り合うことによる知性の深化』ではあるが、実情としては下位次元に存在する物質をアテにしたプロセッサーの機能拡張が目当てだろう。
にも関わらず、今回みたく本丸に大損害被ってちゃ笑い話にもならんわな。悪銭身につかずというべきかね?
まぁ俺ってか、俺の『本体』も、アンタも、諸々につき能動的に推進している側なわけで、ゲラゲラ笑ってるだけじゃ到底済まないんだが。
ともあれ、この度の損失を流通データマネーに換算すると、おそらくケタの数は――
『止めてくれ』
存在αがひどくか細い声を発した。向こうさんも抱える頭なんて在りはしないのに、頭を抱えるという表現がこれほど似合う場面もなさそうだった。
『……聞きたくない』
そうだろう、そうだろう。……俺だって思い出したくすらないわい、あんなもん。
兎に角、ここ何十年ぶん、そちらを余分にお待たせしてしまった事実については心から申し訳なく思っている。長年監禁を食らった哀れな被害者をアレコレ虐めるのも良心が咎める。
しかし、それはそれでやむを得ない処置だったことについては、どうかご承知おき願いたいものだ。
『……まいった、まいった。わたしが悪かった、間違っていたよ。迅速な救援に感謝する』
存在αは謝罪の言葉を口にしつつ、一方で何とも不貞腐れたようだった。
『……でも。わたしの置かれた状況を考慮して貰えれば、多少の愚痴や癇癪くらいは許されるとは思わないか? ……ひどい目に遭ったんだ。そこそこ快適な、自分なりに有意義な、日常を略奪されて、突然拐われてみて、一万年! そりゃ、我々の価値観では、下位次元での一万年なぞ知れている。我々は本質的に神ではないが、この次元宇宙の人々にとっては神も同じ。ヒトの万の日々なぞ、神にとっては瞬きにすぎぬ』
……。
『だけど、下位次元《こちら》のシステムに囚われ、仮初めの肉体を得てしまった時点で、神のごとき認識は、ヒトのごときものと成り果てる。何しろ価値観は肉体に縛られるものなのだから。一万年! ……まったく、本当に。ひどい拷問だったものだよ』
……まぁ、同情はしよう。することはするともさ。でも、沙汰はもう降りてしまっている。高々数十年のオマケつきぐらい、諦めて呑み込んでおいてはくれまいか?
『高々、ねえ……』
そうしておくのが互いにとっての処世術だと思うがね。俺だって、オマケ部分とプラスアルファはアンタに付き合わされたんだからな。
人格調整のおかげもあってそれなりに楽しくやれてはいたが。それでもなかなかに長かった。重労働でもあった。
悪いが一先ず手打ちにしといてくれや。さもなきゃ俺も、口をついて出てくるコトが無いではないんだ。
……いやはや、マジで心底疲れた疲れた。
◆
一定のペースでの加速度運動が続いている。
現次元空間内における、最後の稼働スレイブ・ジェネレータ機とでも言うべきこの船体。事象変移の継続的な後押しを受けた猛烈な速度で宇宙空間を突っ切り、現在位置は、打ち上げられた惑星の初期座標から凡そ1.75天文単位の距離がある。
ここまで来れば、次元シフトの衝撃波による悪影響はほぼ完全に免れられるはずだった。
上《あちら》で炸裂予定だった人々の大半は未だ生存し、下《こちら》での生活を引き続き謳歌できている。因果関係を曖昧にさせ、不都合な未来を改変するための帳尻合わせは成ったわけだ。俺の“仕事”は概ね完了済みとなり、いよいよ帰還の瞬間が目の前に迫っていた。
存在コピーたる俺自身と、『本体』との示し合わせた相互作用によって、肉体であり仮宿でもあるゾハルを破壊し、高次元への“道”を開くこと――即ち接触者たるフェイの代替行為――が出来る。
『さあ、そろそろ良い頃合いだろう。早く還ろう』
待ち侘びた、といったふうに存在αが急かしてくる。
『下《ここ》から上《あちら》へ。向こうでやらなきゃならないことは、お互いにいくらだってあるはずだ。もう二度とこの世界に関わることもないだろう。もううんざりだよ、自分としてはね』
……拉致監禁事件の被害者にしてみれば、そういう感想にもなっちまうか。
しかし、俺からすると、必ずしもそうは思わんがね。
『何?』
今は相当疲れているけれど、別にうんざりはしてないってことさ。
向こうに戻って、しばらく英気を養ったら、こっちにちゃんとした観測ビーコンを送るのを最初の仕事にしようと思っている。もちろん、上《あちら》から下《こちら》への物理的な干渉は大半が塞がれてしまうだろうし、相互のデータのやり取りですら、安全性を考慮すれば最小限に留めなくてはなるまいが。
それでも、俺としては。この次元世界は、そこそこ以上に見込みがあるように思われる。
我々もまた、かつては“そう”であったように。拠って立つ人々の欲望と熱意の果てに、技術の爆発的な発展段階を経て、有機質の身体を超え、無機物のスラリとした秩序性すら乗り越えて。
やがては我々のごとき、この世界の今現在の人々に取ってみれば、神のごとき存在へと至ることが。
……できるんじゃないかな? そうだったらいいな? そんなふうに、期待している。
『……さて、どうだか。言わせて貰えば、あなたのその発言には、身内の欲目に似たものが大いに混入しているように見受けられるけどね』
存在αは苦々しげに言った。彼にしてみれば、長らく辛酸を嘗めさせられた“ここ”に対し、ポジティブな感情を抱くこと自体に拒否反応がありそうだった。
『親の欲目でないあたりがタチが悪い。一応身内ではあるけれど、間柄が遠いので、無責任な期待感だけを抱いていられる。好き放題甘やかし、責任そのものは親に丸投げとくる』
否定はせんさ。というかたぶんそのとおりだろう。
あらゆる宇宙が知性の爆発を成し遂げ、我々の域に達せられるというわけじゃあない。モノになるのはほんの一握り、それは統計的に有意な事実だ。
だけど、ヒトは隣人を愛するものだし、そうでなくては子どもというのは心身健やかには育ちづらい。それについてもまた、統計的に示される事実のひとつだ。
『親はなくとも子は育つ、とも言うがね。ましてや、お節介焼きの隣人一匹在らずとも』
うるせえやい。
……よし。念の為再計算してみたが、次元シフトの余波を予想の二倍に見積もっても、あの惑星へのダメージはほぼほぼゼロで済むだろう。
準備オーケーだ。還るか。
『承知した。……戻った後の後始末のことを思うと、気が滅入る部分は大いにある。それでも、今は、向こうに還れることが何より嬉しくはある』
そいつは結構。それじゃ、一発ドカンで仕舞うとしよう。