塵閣下になりました   作:あーぷ

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軋んだ欠片たちの夕暮れ

 

 

 夢を見た。

 

 カーラン・ラムサスの、しかし俺ではないカーラン・ラムサスとしての生涯。誠実なように見えて、その実酷く傲慢な……それでも、どちらかと言えば善良ではある。……つまり普遍的な、特記すべき項目のない、半端者としての日々。

 

 ながい、ながい夢だった。

 

 そして、今、ようやく。俺は俺として、遥々とした先での目覚めをみた。

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 

 いくつもの、いくつものミァンという連なり。心なき女、システムの走狗。自由意志を剥ぎ取られ、泣き喚くことすら許されずに、使い潰されてゆく哀れな者ども、そのすべてを。

 

 ミァン・ハッワーとしての生涯。

 

 ながい、ながい夢を、私は見た。

 

 そして今ようやく。私は、私であることを、思い出せていた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 カーラン・ラムサスは、かつてのバベル・タワー、現シェバト王国領土内の一角に居た。

 

 ロケット発射台近郊に予め準備されていた航空機――スレイブ・ジェネレータの計画的な廃棄を受けて、純キスレブ製のジェット・エンジン搭載機である――に揺られ、つい先ごろ、巨大塔楼の中腹にある外部搬入デッキからタワー内部に足を踏み入れたのだった。

 

 カラダは疲れからじんわりと重く。気分も今ひとつ優れなかった。相変わらず胃のあたりがムカムカしていたが、既にエーテル治療はほとんど効能を発揮してくれない。また、体力面での底上げを失ってゆくことで、現状に身が馴染むまではしばらく辛い思いもするだろう。

 

 それでも、逸る気持ちが鈍ることはなかった。もしヒトの足で済む範囲に目的地が在ったなら、このとき彼は全速力で走り出していたことだろう。そうした衝動の代わりに、ラムサスは入管手続きを身分を笠にきた超法規的措置により省略し、目指す市街地辺縁部の医療機関へと、航空式のハイヤーを急がせるのだった。

 

 

 

 

 

 

「つまり、彼女は大筋健康だということですわ、ツァナート卿」

 

 と、四十前の女担当医――単にそれが彼女の仕事に都合のいい風貌だというだけなので、実年齢は分からない――は、淡々とした口調でラムサスに告げた。

 

 リノリウム張りの医療機関の廊下を、横並びになって早足で歩きながら。受ける説明は概ねポジティブなものだった。

 

「そうか。それは安心した」

 

「ええ。あのような前時代的な処遇を受けていたにしては、驚異的と言っていいかと思います。退院はいつでも構いませんわ、何なら、このあと今すぐにでも」

 

 女医が言うには、シェバトにおけるこの医院の特殊な立ち位置から、煩わしい手続きは大半を省くことができるのだという。公的な記録にも残らない。

 

 良くも悪くも融通が利かせられるのだ。シェバト本国の医院ではなくわざわざここが選ばれたことも、『彼』がこの星を去りゆくにあたって、事前に図られたいくつかの便宜のひとつと言えた。

 

 

 

 従って、今この瞬間から好きにして貰って構わない。ただし念の為来週に一度、その後も一月に一度ずつくらいは、定期的な検診を行っていくべきだろう、と女医は告げた。

 

 瑕疵ひとつない健康体。シェバトの外務省、駐留ソラリス大使が雁首揃えて後ろ盾、バックグラウンドも盤石ではある。とはいえ、エーテル・パワーの漸進的な消失に伴い、ハイ・クラスな能力者だった彼女にも、今後何らかの悪影響が生じることが否定できないからだった。

 

 今にちでは一般に幼児期に投与される、医療用ナノ・マシンの基礎構造も彼女には無い。そのため遠隔でのモニタリングには頼りづらいという事情もあった。

 

 

 

「承知した、ドクター。痛み入る」

 

「口うるさいようですけれど、予後についてはくれぐれもお気をつけくださいましね。……さあ、そちらの病室ですよ。早くお会いになってあげてください」

 

 言われるまでも無かった。

 

 含み笑顔で部屋前から立ち去る女医のことを視界に忘れ、ラムサスは横開きのドアをひとり開け放つと。再会に向けての第一歩を、強く踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 ラムサスの姿を見るなり、ミァンの顔に浮かび上がったのは、喜悦と、それを上回る恐怖だった。

 

 広々とした品の良い個室。病室中央、壁ぎわに寄せた備え付けのベッドの上で。彼女は上半身を起こして、入り口の方角を、怯えた眼差しで見つめていた。

 

 それは、おそらく当然のことだった。予告もなく、兆しすらもなく、ある日突然“補体”とされたひとりの女。人並みに善性な、人並みに欲望もあった、そんな女性が、お仕着せの人格に基づく自らの所業と、遥かな過去から続くめくるめく陰惨劇とを、半ば我がこと、半ば他人事として識るに至った。

 

 カーボナイトからの目覚めとともに、感じられた落差は殊の外大きく。その上で、今や自分と繋がりのあるヒトが、目前に現れた恋人ひとりの他、どこにもいないのだと思い込めば。

 

 誰だって、このときの彼女のような、取り乱した気配と憂慮の表情とを、身に纏わずには居られない。

 

 

 

 ラムサスは心中わずかに躊躇いを覚えたが、しかしその躊躇を力任せに振り切って、彼女の名を呼び、おもむろにベッドに駆け寄った。

 

 少し前、己でない自分が。この場で直ちにそうすべきだと考えていた通りに。

 

 ここ何十年と幅を利かせてきたあの人格。口数だけは多く、軽薄で独善的な、しかしそれなりに――あくまでそれなり――考えはあったあの『者』の、言葉なき助言に従うのは、些か癪な話ではあった。

 

 とはいえ、今ここで、目の前の女性の心持ちを慮れば。その対処を採らないというのもまた、相応しくはなかった。

 

 

 

 抱き寄せた腕のなかで、ミァン・ハッワーは、何かから逃れようとするかのように、しばし抗った。だが、ただの女の細腕では、大柄な男の体躯はもはや如何ともし難かった。

 

 やがて観念して大人しくなり。それから、彼女は謝罪の言葉をうわ言のように呟いた。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい、カール。本当に……」

 

 その言葉は、あのエテメンアンキでのささくれた一幕の続きであり。それでいて、今このときを生きる彼女の、散り散りに乱れた本音でもあった。

 

 

 

「もう、良いんだ、ミァン。分かっている」

 

 そう言いつつ、ラムサスは笑おうとしたが、上手く笑えなかった。

 

 顔の筋肉が、別人の笑顔に長年に渡って酷使されたせいで、彼なりのやり方をこなすにあたり、すっかり衰えてしまっていたからだ。それでも、ラムサスは至って真摯に言葉を継いだ。

 

「俺たちは、色んなものに翻弄されてきた。ひどい筋書きだった。だが、これからは、俺たちだけの生を、俺たちだけの力で、歩んでいくことができる。それだけは、喜んでいいはずだ。……そうだろう、ミァン?」

 

 

 

 ミァンは何も答えなかった。ただ、ラムサスの胸のなかで涙していた。

 

 それは、いつぞやのようにひどく調律されたものではなく、顔中をぐしゃぐしゃにした、見るも無残な涙だった。

 

 ありのままの感情が、そこにはあった。

 

 ラムサスにとって、こんな彼女を見たのはたぶん初めてのことだった。もしかすると、本当に二人が出会ったばかりの頃であれば、場面次第で、そんなふうな彼女を見ることだって出来たのかもしれない。でも、今となってはそれはもう知る由もない。

 

 置き去りになった過去は戻りはしまいし……その一方で、代わりとなるものは、これから幾らでも伴に手にすることができるだろう。

 

 

 

 二人は長い間、そのままでいた。

 

 窓ガラスの外からの日差しが、緩やかに赤みを増してくる時刻。広々としたこの病室で。ベッドに座り込み、無言のまま、互いの存在を確かめあった。

 

 近づく夕暮れの帯びるやさしい気配が、この場所の静けさを、ひどく居心地の良いものへと保ってくれていた。

 

 

 

 

 

 

 了

 

 

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