ライスにトレーナーさんが着いて初めての練習からずいぶん経ったと言えばたったし、経って居ないと言えば経っていない。でも、トレーナーさんは私にレースに早く出場させたいようだった。どうやら私にまず足りないのは、"闘争の体験"らしい。
「まぁ、練習してたらデビュー戦が直ぐ決まってちょっと短い期間だったが調整もすませて今日来たわけだが……良く来たな?ライス」
そして何と今日はあっという間にレース当日……ライスにとっては初めての雰囲気で思わず息を呑んだ。
朝も部屋からなかなか出れずにいたけど、ウララちゃんに応援されたし、電話でトレーナーさんに檄を入れて貰ってなんとか会場まで足を運んだ。そしてダメダメな私でもここまで頑張れた理由は
「決めたから……ライスがトレーナーさんについてくって」
「……頼もしくなったな。ちょっぴりな!」
そう言ってトレーナーさんはいたずらな顔で笑った。私はいつもなら自分も笑って冗談で返せた。
でも身体の先は物凄く冷たくて、声もうまく出ないし、まるで自分の身体じゃないみたいで、不安で怖くて億劫で……
「ライス。自分の胸に手を当ててごらん」
そんな震えるライスを見て、トレーナーさんはライスにそう声をかける。それは大事な話をする時のあの安心感のある優しくてとても頼もしい声だ。
「……」
ライスは言われた通りに手を胸に当てた。緊張しているのだろう。やはりと言うべきか
、ドキドキとライスの心臓はなっていた。
「どうだ?」
「凄い……ドキドキして……」
緊張に押しつぶされそうで自分をコントロール出来てないのかと、ライスはいつものように凹む。しかしそう思ったのは束の間、トレーナーさんは指を差しながら口を開く。
「恐怖は君が君自身を試す時の感情だ。不幸の象徴でも弱虫の証でも無い。その今ライスが感じた鼓動は心臓が今から戦う事を決意した時の音なんだ」
「……うん」
「おそらく今から始まる一走はライスにとって良くも悪くも忘れられないものになる。そして走者であるライスは今この一走を極上の数分にすることが出来る有権者だ」
「……うん」
ライスは相槌を聴きながらトレーナーさんの言葉を心に閉まっていった。ポジティブ思考とはまた違うトレーナーさんのその言葉はいつもライスに熱と勇気をくれる。おそらくトレーナーさんが今まで体験してきた本物の言葉だからだ。
「ライス。君は速い」
最後にそう言ってトレーナーさんはライスの背中に手を当て、レース場へ押し出す。
「うん、うん……!私は速いッ……!」
ライスは少しの沈黙の後、恐怖をねじ伏せる様にそう力強く叫んだ。
「っ……」
トレーナーさんはちょっと驚いた顔をしたけど、ニコっと笑ってから何も言わずにライスに背中を向け手を振った。
がんばれ、ライス。
がんばれ……
がんばれ……
*
気付けば、あっという間だった。練習通りにライスは号砲と共にスタートを切る。先行し3番手に着く。
今日まで繰り返しやってきた。一人でも、二人になってからも。
第一コーナー、第二コーナー。集中力が外界を遮断し始める。段々と会場の声援が小さくなっていき。私の近くを走行するウマ娘達の息遣いが聴こえてきた。
私は私の事が嫌いだ。
皆んなに迷惑ばかりかけて、不幸にして、いつもナヨナヨして、ダメダメな私が大嫌いだ。
でも……!
「ライスはダメダメのままじゃ、嫌だ」
私は、集中力の中何か自分自身と会話している様な感覚に陥った。そして私の中の私はトレーナーさんとの記憶を私に示す。
『俺が君が一体この先何者になるのかをこの目で見てみたくなったからだ……ライスシャワー、君をスカウトしたい』
第三コーナー。私は足を芝に食い込ませ、強く蹴った。ダメダメな私を置き去りにするために。でも多分、今日だけじゃライスは変わらない。そんな簡単な話じゃあない。しかし、今日はその第一歩だ。
ーー変わりたい。私のちっぽけな可能性と正面から向き合ってくれるトレーナーさんのために……!
残り200m。最終直線、私は同じタイミングで仕掛けたウマ娘と並ぶ。その子の顔を見る余裕は無い。しかしわかった。少なくとも私を殺しに来ている。わかってしまった瞬間、私は震え上がった。
そう、私はここまできても
怯えている。
恐怖している。
震えている。
同時に
奮え上がった。
だって、思っちゃったんだ。初めてレースを観たあの日私も皆んなをしあわせに出来るような……青い薔薇のようなウマ娘に……
ーー変わりたい。私のために……!
「なるんだッ!なりたい私に……!」
瞬間。私は身体に電流が走り、血が沸騰していくのを感じた。一蹴りに対する大地の反動、芝の匂い、そして美しい風の色。全て手に取るように分かる気がした。
それは今まで初めての感覚で、心の底から何かが湧き上がるような……煮えたぎるような……
私は先頭に躍り出る。
加速していく速度はもはや静止に近い。
今の私にはダメダメな私は追いつけない。触れることもできない。
ーーあぁ。気持ち良い。
「これが速さ……」
残り100Mでレースが終わる……あんなに出走するのが怖かったのに、何故か今はもっと"此処"に居たいと思ってる自分がいる。
ーーあぁ。そうか。
「ライス、走るのが好きだったんだ……」
それに気づいたと同時に私は自分をゴールに叩き込んでいた。
「ゴォォォォォル!!!」
叫ぶ実況、湧き上がる観客、崩れ落ちる先程まで並走していたウマ娘。
ライスは今日までずっと走って来た。でも、今日初めて私は全力疾走したんだと思う。息は整わず、視界はまだ狭い。思考もハッキリとしない。
ドキドキだってずっと止まらなかった。
ライスはとりあえず「やったよ」言いたくて、トレーナーさんの元へ向かった。
*
「どうだ?ライスシャワー。見ろ。この会場を」
レース後の歓声。勝者への喝采。会場は新たな才能の蕾に拍手を送る。ライスシャワーはまだ息を切らしながら集中力が切れてないっといった様子で目を見開き、当たりを見渡す。
「はぁ……はぁ……」
そんなライスに俺はお疲れと頭をポンと叩き、隣に並んだ。
「ふるえるだろ。ライスが沸かせたんだ……お前の速さが生んだ喝采だ」
「ライスが……」
ライスは観客席を十分に見渡した後、視線をあるウマ娘に向けた。そのウマ娘は最後、ライスと直線で一騎討ちを演じた子だった。その子は地べたに尻を着き、静かに歯を食いしばりながら涙を流す。
優しいライスの事だ。レースに自分が勝ったのだから敗者がいるのは当然のことであるのだが、気になってしょうがないのだろう。
「ライス。あれもお前がやったんだ」
「っ……」
だからこそ俺は今勝負への姿勢と残酷さをこの子に教えなければいけない。
「悪いと思う必要なんか当たり前だがないし、それは寧ろ対戦相手の侮辱にあたりかねない。今、君は今日一緒に走った全員の想いをぶち抜いて一着をもぎ取ったんだ」
「ライスが……潰した……皆んなの想いを……」
息が整い始めたライスシャワーはゾクリと背中を震わせた……
「そうだ」
いや、"奮わせた"と言った方が正しいのかも知れない。
「何……これ……私のせいで誰かの夢を壊してしまったのかも知れないのに……何……?なんでこんなにもライスは昂ってッ……!?」
ライスシャワーは瞳孔を開き、声を震わせながらそう言った。再びライスの息は荒くなっていく。
「コレがレースだ。ライスシャワー。お前がそうした様に全員がお前を倒しにくるんだ。ビビっただろ……?痺れただろ……?」
「はぁ……はぁ……」
「刻めよ。コレは勝利だ」
「コレが……」
この日、良くか悪くかライスシャワーはデビュー戦を勝利で締めくくった。そして、ライスシャワーは知った。知ってしまった。速さは自身のトレーナーが言ったようにもの凄い力があると。もしかしたら、自分の速度はダメダメな自分を変えられるかも知れないと。
しかし、この時彼女達は知らなかった。この勝利が狂想曲の序章となってしまうことを。
「トレーナーさん。ライス、また勝ちたい」
ライス。エクスタシーへ。正直、今後の展開悩んでます。カッコいいライス、幸せなライス……みんなはどんなライスがみたいんやろなぁ……