ジョゼと虎と魚たち~人魚とかがやきの翼・After~ 作:空想病
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◇
恒夫は、どことも知れぬ闇の中にいた。
自分の呼吸音ばかりが、やけに大きく聞こえる。
何故だろうか。まるでダイビングの時のような感覚に近い。
ふと、振り返る。
「ジョゼ?」
降り始めた雨の中。
電動車椅子のジョゼが立ち往生していた。
まるで、あのときのように────
「ジョゼ!」
そこは横断歩道の中ほど。
見れば、バイクが高速で車椅子のいる方向へ突っ込んでくる。
ジョゼは動けない。溝にはまって動けない。
「ッ!」
たまらず恒夫はジョゼのもとへと駆け出した。
そして、光が恒夫に突っ込んできて────
「!!」
轢かれた衝撃で目を覚ました。
荒くなった呼吸を整える。薄暗い天井を凝視する。
……あの時のフラッシュバック。
恒夫を呼ぶジョゼの声すら聞こえなかった、事故の記憶。
「……っ……イヤな夢」
恒夫は、ふと横を向いた。
そこには、小さな体をさらに小さく丸めるように寝入る
恒夫の不安をかき消してくれる可愛らしい様子に、思わず笑みがこぼれた。
寝入るジョゼの頬を指先で少し触れてみる。
「んー、こらー、つねおー……アタイは諭吉ちゃうで──」
思わず吹き出しかける恒夫。
どんな夢なのか気になる寝言を呟く彼女を起こさないよう、慎重に抱き締める。
まるで見えない翼でジョゼを包み込みようにしながら、恒夫は再び、眠りの世界へ。
◇
恒夫のメキシコ留学が終わり、再び日本での暮らしが始まって、数ヶ月が経った。
彼の地元である広島を訪れ、観光がてら恒夫の母親との顔合わせもすませたジョゼは、彼と再び同棲することに。
なにせジョゼは車椅子の身。月一のヘルパーさんなみに頼りになる同居人がいた方が良いだろうという、恒夫からの当然すぎる提案であった。
無論、ジョゼには断る理由もなかったことだし、恒夫との共同生活自体、メキシコ留学まえにすませている。
二人が共に暮らすことに、何の問題もありえなかった。
そんなある日。
「絵本の、続き?」
花菜と二人きり、女友達同士のショッピングの休憩中、ジョゼはカップから口をはなした。
「そ。あの『人魚とかがやきの翼』の続き」
花菜は笑顔で首肯した。
モールのカフェで話題にあがったのは、図書館に寄贈されたジョゼの手描き絵本のことだった。
図書館で司書を務めるジョゼの親友は続けざまに言い募った。
「里緒ちゃんたちな、あの続きが見たい見たいって、もう聞かへんのよ。
『あのあと人魚はどうなったん?』とか、『青年とはもう会えへんかったん?』とか」
里緒とは。
図書館ではじめジョゼが人魚姫の絵本の読み聞かせをした際に、最後まで残ってくれた女の子だ。
彼女の質問に催促されるままジョゼは人魚姫のお城を描き、それによって花菜はジョゼの絵の才能を賞するに至った。
言ってしまえば、ジョゼの夢の“原点”となったと言っても過言にはならない。
他にもたくさんの子供やその両親らが、ジョゼの絵本を高く評価してくれている。
「里緒ちゃんたちがか……せやけどな」
ジョゼは唸った。
ジョゼが恒夫を励ますために書き上げた絵本『人魚とかがやきの翼』
あれは最終的には青年は夢を実現し、人魚はそれを見届けて海の底に帰る。キラキラと輝く宝石のような思い出を胸に抱いて──
「あの話、もうあれで完結してもうてるから、続きなんて書けへんと思うけど?」
少なくともジョゼはそう思った。
青年は光の海へ至る夢を叶えたし、人魚も満足の内に海に帰る──これ以上のハッピーエンドなどありえるのか疑問なほどだ。
「うん。ジョゼの気持ちも分からんではないけどな」
「つか、花菜ちゃんかて『物語のラストは読者の想像にゆだねる感じがええ』って、いうてくれてたやん」
「まぁな。でもあそこまで気になる子らがたくさん出ると、うちも気になってしゃあないし」
「……さては、ほんまは花菜ちゃんが続き読みたいんとちゃう?」
「まぁ、
二人は同時に微笑んだ。
「ほんまに、最初ジョゼから相談された時はどうなるかと思ったけど……うちの見立てにまちがいなかったからな」
図書館のホワイトボードへ溢れんばかりに描き出された。ジョゼの才能。
それを見ていたから、花菜はジョゼの試みを全力でサポートした。
そうして書きあげられた絵本の完成度は見事だった。
とても処女作とは思えないほどに。
花菜はティースプーンで紅茶をほどよくかき混ぜながら、ジョゼの才能をあらためて実感する。なにより、彼女はジョゼと協力して絵本を完成に導いたのだ。彼女がどんな思いで、人魚と青年のラストを描き切ったかも、今ではよくわかる。そのうえで、花菜は持論を述べる。
「そんでも。
物語の続きが見たい・読みたいって気持ちは、ジョゼにも判るやろ?」
「それは──まぁ、確かに」
紅茶を口に含みつつ、ジョゼは考える。
たとえば、自分が大好きなフランソワーズ・サガン──彼女が描いた数多くの物語、その続きが読めるものなら、たとえ千金を積んででも読んでみたいという欲求は確かなものだ。
「ん~、里緒ちゃんには読み聞かせの時に世話んなったし、なんとかしてあげたいねんけど……」
花菜は眼鏡の奥の視線を鋭くする。
「でも、アタイじゃあどうにも……
あの後の結末なんて、どんだけ頭こねくりまわしても思いつかへん」
「せやな。そこはうちもそやし──あ。だったら、恒夫くんとかに相談してみない?」
「──管理人に?」
「あと、舞ちゃんに、隼人君も。皆で考えたら、結構ええアイディアも出るんちゃうかな?」
ジョゼは考える。
サガンですら『眠くなりそう』といっていった
「わかった、花菜ちゃんがいうなら」
花菜はジョゼの死角になってるテーブルの下でガッツポーズを握った。