ジョゼと虎と魚たち~人魚とかがやきの翼・After~ 作:空想病
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◇
「やっぱり人魚と青年を再会させるべきです!」
ジョゼの新居にて。
絵本の続編の話となるや否や、舞は熱く語りだした。
「ジョゼさんの物語はとても素敵で、人魚さんの自己犠牲精神なんかも童話のようにお子さんへの教訓じみていて素晴らしいと思います!」
「それでも!」と早口で熱弁を振るう舞を抑えるように花菜が両の肩を押さえつけた。
いったん落ち着いてと言われて初めて、ジョゼを押し倒しかねない勢いで顔を近づけていた事実に気づく舞。
「す、すいません。熱くなりすぎちゃって」
「い、いや、かまへんけど」
一度は恒夫を巡って火花を散らした両者ではあったが、それも過去のこと。
いまの舞はジョゼの手掛ける絵本の、一人のファンとして、その完成を待ち望む立場に甘んじている。
そんな彼女が、あの『人魚とかがやきの翼』を知らぬわけもなく、今回の話を携帯で話した瞬間に家にまで駆けこんできたほどであった。
「男性陣はどう思う?」
花菜の呼びかけに隼人がグラス片手に上機嫌な調子で答えた。
「えへへへ、エエんとちゃいます?」
「おまえな……」
隣にいる恒夫が顔をしかめるのも無理はない。
隼人は女性三人がキャッキャウフフしている様を文字通り眼福という視線で拝んでいた。
「恒ちゃん。俺、いま、人生で一番幸せかもしれへ~ん」
「そうかよ。お気楽な人生だな、おまえは」
恒夫は思い出したようにつぶやく。
「おまえ、それで“社長”が務まんのか?」
「心配いらんて! 恒夫の方も、大学の仕事のうなったら、いつでも雇ったるさかい!」
「はいはい。せいぜいセクハラで訴えられるなよ?」
恒夫はぶっきらぼうに言い終えると、部屋の隅のソファでジョゼたちのやり取りを見学するしかない。
留学を終えてから恒夫とジョゼは、なんだかんだと理由をつけて、同棲中の真っ最中だ。
恒夫は「ジョゼの管理人」なのだから、当然といえば当然か。
部屋を見渡せば、メキシコ留学時代に撮ったクラリオンエンゼルの写真や友人たち、さらにはジョゼたちとの思い出の数々等が、棚の上や壁のコルクボードを席巻していた。
「…………」
本当に、ジョゼと出会ってからいろいろなことがあったと、改めて思う恒夫。
グラスに注がれているレモンサワーを一口あおる。
「──人魚と青年を再会させるにしてもやなあ。まずどうやって会わすかやな」
「そこは、やっぱり、青年の方が努力していくんとちがうん?」
「でもそれだったら、人魚の方にも相応の代価みたいなのが必要になってきません?」
「青年は翼を失ったかわりに夢を叶えとる──これ以上を望むとしっぺがえしがきそうやな」
「せやったら、──」
「…………!」
「────?」
三人よれば何とやら。
彼の視線の先で、熱く物語の展開を語るジョゼの様は、絵本作家の、創作者のそれだ。
ジョゼの真剣そのものな様子を眩しく愛おしく思いつつ、恒夫は静かに見守り続ける。
「恒夫くんは?」
「ん……えっ?」
「ですから、恒夫さんも続編について何かご意見はありませんかって」
二人の視線に恒夫は背筋を伸ばす。
花菜と舞の申し出は完全に予想していなかった。
「はいはいはい! 俺の意見はやな!」
「隼人さんは黙って酔いつぶれてください」
「え~、ケチ~」
ぶーたれる隼人。
恒夫はそんな友人の隣で何を言うべきなのか迷う。
「いや、俺は」
「二人とも。恒夫みたいな
あまりの物言いに二人はジョゼを振り返る。花菜は怪訝そうに首を傾げ、舞が率先して恒夫の擁護にまわった。
「ジョゼさん、そういう言い方は」
「ああ、大丈夫だよ。舞」
「でも」
訳知り顔で微笑む恒夫の様子に、舞は二の句が告げなくなる。
「こりゃあ、ま~た“二人の秘密”かいな?」
「さあな?」
隼人と恒夫のやりとりに眉をひそめるしかない舞。
実のところ。
ジョゼが花菜から『人魚とかがやきの翼』の続編について語られたその日のうちに、恒夫はジョゼから意見を求められていた。
そうして、恒夫の意見はすでに伝え終わっている。
恒夫は思う。
ジョゼの照れ隠しな横顔を肴に、酒をあおるのも悪くない。
◇
ジョゼは連日作業机で筆を走らせ、恒夫は自分の仕事の合間にジョゼを手伝う。
もちろん、ジョゼもただ甘えるだけではない。
自分も事務の仕事で忙しいだろうに、美味しい手料理をふるまってくれる。
てんで料理の才能がない恒夫は、ジョゼの手が届きにくい洗濯や掃除を担当。
二人はずっと以前からそうであったかのように、自然と互いの存在を受け入れあい、夜は同じベッドに入り、朝は共に起きる──怒ることも泣くこともあるが、それ以上に笑い合える関係が幸せで──互いの息遣いを感じながら生活し続けて──それがあたりまえにように感じられて──
だからこそ、恒夫は夜、寝入るジョゼの手指を握りながら、決心した。
◇
三々五々、意見を出し尽くした結果、ジョゼの『人魚とかがやきの翼』のアフターストーリーが無事に完成した。
その報告を真っ先に受け取った少女が、図書館の外で花菜と連れ立って進む車椅子のジョゼに前から飛びついてきた。
「ジョゼせんせー!」
「り、里緒ちゃん!?」
初めて会った時から背丈も伸びた里緒は、いたずらっ子めいた表情で微笑んだ。
ジョゼは微笑み返しつつもたしなめる。
「も、もー、急に抱き着いたりしたら危ないって、言うてるやろ?」
「にししし、ごめんなさい!」
あんまり反省した様子のない里緒。
「それよか! 花菜ちゃんから聞いたで! あの
感謝の言葉と共に頬を摺り寄せる少女に対し、さすがのジョゼもたじたじである。
「り、里緒ちゃん、そ、外で、その、アタイのこと、せ“先生”いうんは、やめ」
「えー? だってウチにとっては、ジョゼ先生はジョゼ先生やもん!」
まっすぐ断言され、ジョゼは真っ赤になって俯くしかない。
その口元は、嬉しさと気恥ずかしさが半々という具合に波打っているのが見てわかる。
「もう。里緒ちゃん? あんましジョゼを困らせたらアカンよ?」
「う……ごめん。ジョゼ先生」
「それに、ジョゼ先生やのうて、“クミコ”先生って読んであげな、失礼やろ?」
「あううう」
「え、ええから、ええから」
花菜に指摘され、ようやく里緒は体を離した。
お団子にした髪の毛がチャームポイントはそのままに成長した少女は、ジョゼの車椅子の隣に並ぶ。
ジョゼは里緒を改めて眺める。
『なあなあ。
人魚姫、どんなお城に住んでたん?』
あの読み聞かせの頃から数年、里緒は立派に成長した。
童話を読んでもらう側から卒業し、自分の力で読むのがあたりまえな年ごろだが、彼女ははじめて会った時にジョゼの描いた人魚のお城を気に入ってくれた──そして、ジョゼが恒夫のために書き上げた『人魚とかがやきの翼』のファンとなった。ジョゼが読み聞かせを終えた後、図書館の絵本コーナーに残されたスケッチブックを大変気に入り、花菜に読んでもらうのが定番となったほどに。
そうして何度も何度も人魚と青年の物語を読みふける内に、『物語の続きが見たい』と思うようになったのは、ジョゼの作品を愛好する読者として、当然の帰結ですらあった。
ちなみに、ジョゼが花菜の勧めでネットに掲載・世界中に発信するようになった絵本などについても、里緒はすべて網羅している。
学校でも友人諸氏に勧めては、かなりの高評価を得ているらしい。
ジョゼの
──ジョゼを“ジョゼ”と呼べるのは、恒夫たちなど、ごく限られた者だけなのである。
「? どうかしたん? クミコ先生?」
「な、なんでもない。──ほな、これ」
頼まれていたものを、ジョゼは鞄からスケッチブックを一冊取り出した。
里緒は一瞬の思考を空白に費やし、ついで両手を叩いて跳びあがる。
「ひょ、ひょっとして、これが?」
「せやで?」
「新作……ジョゼ先生……やのうて、クミコ先生の!『人魚とかがやきの翼』の続編!」
目を煌めかせて、手渡されたスケッチブックを掲げる里緒。
ジョゼのファン一号にとってはまさに垂涎の代物である。
「うう、うちが、よよよ、読んでしもうてもええんでっしゃろっか!?」
緊張と幸福感のあまり素っ頓狂な口調をしてしまう少女に、ジョゼは口元に笑みを浮かべ頷いた。
「ええよ」
里緒は体中が震え上がるように飛び跳ねた。
「ほあああああ! あ……ありがとうございます! じゃ、じゃあ、さっそく図書館の中で!」
今にも小走りしそうな里緒にすすめられ、ジョゼと花菜は図書館に入った。
興奮しきった様子で読書スペースの一角から席を一脚のけて、電動車椅子が入れるスペースを開けた里緒は、スケッチブックを胸に抱きつつ、深呼吸を数回繰り返す。
「では、
小声でのやりとりを終えて、里緒は夢中になって絵本の表紙を開いた。
タイトルは『人魚とかがやきの翼~After~』──文字通りのアフターストーリーである。
「…………」
里緒はページをめくる指が震えるのをこらえつつ、真剣なまなざしでジョゼの作品に没頭する。
そんな少女の様子を、ジョゼと花菜は
最後のページにさしかかろうという時、里緒は感極まって大粒の涙を両目に
だが、ジョゼ渾身の新作にして、己が夢にまで見た続編を汚すまいと、最後の最後までぐっとこらえる。
そうして、里緒は絵本を閉じた。ほうっと静かに息を吐く。
「どうやった?」
ジョゼは
彼女の読者は、言葉にならないという風に首を振る。
「うち、幸せや……」
思わずジョゼは咳き込みかけた。
いつかの日に、自分が誰かさんに言ったことを思い出してしまう。
「ありがとうございます、ジョゼ先生!」
涙をぬぐった里緒は、絵本の表紙を宝物を見つめるように瞳を輝かせて見下ろした。
真っ赤な夕暮れの色にそまる幻想的な海──そこにたたずむ人魚と、青年の光景。
里緒の感動する様子に、ジョゼと花菜は安堵の吐息をついた。
「よかった……こんなんアカンやんとか言われたら、アタイへこむとこやったわ」
「そんな! ジョゼ先生の作品はどれもすごいです! 私だけじゃなくて皆も!」
里緒の素直な弁護は嬉しいが、作品を創り発表する上で、低評価を受けることも覚悟する必要はある。
万人を納得させることは難しい──以上に不可能なことだと、花菜から説かれてジョゼは理解している。
それでも。
「ありがとう、里緒ちゃん」
「?」
「里緒ちゃんが頼んでくれんかったら、アタイ、これの続き描こうなんて、思えへんかったわ」
『人魚とかがやきの翼』は、恒夫を励ますべく書き上げられたもの。
当時、歩けなくなるかもしれないと、夢に手を伸ばすことがどれだけ恐ろしいことかと、絶望の海に沈んだ青年を救いあげるべく紡いだ物語。
人魚と青年は別れて終わるはずだった──ジョゼが、恒夫たちと離れようとした時のように。
だが、恒夫はジョゼを見つけてくれた。
一人孤独に、海の谷の底に落ちかけた
それで十分だと思っていたが──
「アタイ、もっと描けるようになりたい」
絵を。
物語を。
まだまだ、ジョゼの挑戦は始まったばかりだ。
里緒が喜び、花菜が評価してくれた時にもらった力が、ふつふつと体の奥底からわきあがってくる。
そんなジョゼの様子に感化されたのか、里緒は勢い込んで語りだす。
「私も! 全力でジョゼ先生を応援します!」
「う、うん。ありがと!」
ジョゼも勢いに押されるように頷いた。
「そうなると、やっぱり、あの計画を推し進める必要がありそうですね!」
「……けー、かく?」
ジョゼが首を傾げると、里緒は打てば鳴る鐘のごとく応えた。
「ジョゼ先生の絵本『人魚とかがやきの翼』を題材にした“劇”をやってみたいんです!」
「……劇?」
オウムのように言葉を繰り返すジョゼ。
「そーです! 小学校の学芸会! コンクールに出るのに、なんかええもんはないかなって、クラスの皆と相談してて!」
「そ、それをアタイの、絵本で?」
はちきれんばかりの笑顔で頷く里緒。
「ジョゼ先生の絵本をもとにした劇を、みんなに見せたろう思います!」
「で、でも、アタイの絵本で劇なんて──そんな」
「ええんとちゃう?」
これまで貝のように沈黙を保っていた花菜が、里緒の提案に賛成票を投じた。
「これも
「せ、せやけど花菜ちゃ」
「花菜ちゃんの言う通りです! あのお話なら、会場のひと皆が感動してくれる思いますし! 勿論、クラスの皆や担任の先生にも話はつけます!」
熱弁を振るう里緒の勢いはすさまじい。一回り以上も歳が離れてるとは思えない論調でまくしたてられるが、
「……先生が嫌や言うたら、やめにするけど?」
里緒に判断をゆだねられ、ジョゼは花菜を振り返った。
そこには優しい微笑みの色しか、うかがえない。
「────ええ、よ」
「ほんとですか!?」
ジョゼは真っ赤になって頷いた。
里緒と花菜がお互いの手を叩いて喜んだ。
劇の題材に自分の絵本が使われるという異様な事態を前に、目の前の二人が隠れて親指を立て合っていることに、ジョゼは気づいていない。
◇
めくるめくうちに、月日は流れた。
ジョゼは慣れた事務仕事の合間に絵本の製作、さらには里緒の学芸会で行われる「劇」の“監修”を受け持つことになった。
このことを恒夫に事後相談した時は、何故か恒夫も乗り気だったのだが、その真相を明らかにする間もなく、ジョゼは多忙を極めた。
何しろ、自分の処女作と、その続編を主題にした劇など、初の試みである。
舞台設定や大道具小道具、劇の進行方法やアレンジの有無などをチェックしていくため、里緒と緊密な遣り取りを必要とした。時には小学校の教室に招かれ、細かな指示やリテイクなども行った。学校に通いきれなかった思い出を有するジョゼにとってはけっして小さくない障害ではあったものの、恒夫と共に通ううちに障害は取り払われた。里緒の担任の先生や級友、学年主任や保護者の方々とも親交を深められた。皆がジョゼの絵本を気に入ってくれていたのが、涙が出そうなほど嬉しかった。
恒夫や花菜や舞や隼人らの全力サポートを受けて、ジョゼの絵本による劇は無事に公開の運びとなった。
しかしながら。
ひとつだけ誤算だったことが。
「こ、ここで、……劇、するん?」
劇の公開日、ジョゼたちが訪れた場所は、大きなシアター形式を
学校の体育館など目ではない収容人数を誇り、1000人以上の観客が座席を埋め尽くしていた。
「一学校の学芸会、ちゅーよりも、地域小学校のコンクール、って感じやな?」
隼人が
ジョゼは確かにコンクールという単語を里緒から聞いていたが、やはり昔から学校というものと縁遠い生活を送ってきたジョゼにとっては、その意味を完全に理解することは難しかった。公会堂について事前に説明を受けた時も、せいぜい体育館や公民館程度の規模だろうとタカをくくってしまったのだ。
今更な事実を前に慌てふためくジョゼ。
観客席に移動するのさえ畏れ多い──傍にいる恒夫の腕に縋りつかないと、車椅子から転げ落ちそうな畏怖に
「ア、アタイの絵本の劇で、ホンマに大丈夫なんか?」
「──ジョゼ」
ひざを折り背中を優しくさすりながら、言葉をかけようとする恒夫。
それに先んじて、駆け寄ってくる元気溌剌な声が響く。
「クミコ先生! 来てくれはってホンマ嬉しいです!」
「あ、えと」
「うはー! 今日の先生、髪型もメイクもお洋服も素敵です! 本当にありがとうございます!」
舞台用の衣装に身を包んだ里緒と、彼女の級友たち──劇の演者となる少年少女が大挙して現れた。
どうやら、花菜から連絡を受け取ったようだ。
「り、里緒ちゃん……アタイ」
どう取りつくろうべきか惑うジョゼであったが、劇の直前という興奮状態にある里緒たちに、彼女の異様を気づくことは不可能であった。
「──うち、絶対やり遂げます。……あん時の先生みたいに……先生の劇、必ず成功させてみせます!」
これまた元気いっぱいに応じるクラスメイトたち。
その様子を前にして、ジョゼは物怖じする自分が急に情けなく思えた。
恒夫の顔を見やり、彼の微笑みを受け取る。深呼吸をひとつ。
「皆、きばりやっ!!」
ジョゼの発破に対し、里緒たちは姿勢を正して応じる。
「「「「「 はいッ!! 頑張りますッ!! 」」」」」
里緒に先導され、再び舞台裏へと駆け戻っていく演者の子どもたち。
「さすがジョゼ子ちゃんやな。一発で皆の火力全開やな」
「何いってんですか、隼人さん。ジョゼさんと一緒に、皆あれだけ練習してきたんですから!」
「やね、舞ちゃん。──きっと大丈夫」
「うん。大丈夫だよ、ジョゼ」
恒夫の腕に縋りついていた握力を、ジョゼは緩める。
「──せやな。皆の言う通りや」
自分一人で物怖じしている場合ではない。
実際に舞台に立つ里緒らの前で、情けない姿など晒せるはずもなかった。
「ほな、行こか」
ジョゼは恒夫にグリップを押されつつ、エレベーターに乗り込み、自分たちに用意された二階ボックス席に向かった。