全然書けなくて上げるかどうか迷ってたけど途中まで上げます。後編もその内。
私の世界は最初から全て、閉ざされていた。
三歳の頃に自我が芽生えた。
芽生えたという言葉が本当に的確だった。それまでは曖昧だった精神が、ある日唐突に確立された。そこに疑問を挟む余地は無い。言うまでもなく、私はギフテッドと分類されるタイプの人間だったのだ。俗に言う天才だ。
この『グレイス=フィールドハウス』と呼ばれる孤児院で、私はすぐに違和感を覚えた。
まずママと子供たちから慕われている存在。ドリーと言う名前だが、私は彼女のことを信頼できなかった。
目だ。
その澄んだビー玉みたいな目は私を見ていなかった。正確には私のみならず私たち全員を見ていなかった。目の荒い格子戸のように私たちをするりと通り抜けて、その先にある別の何かを見ていた。ママは私の本当のママではないと同時に、私たちの隣に並ぶ存在でも無かった。
それを幼いながら私は理解していたのだろう。
言葉を喋るようになった時から私は演技を続けていた。この孤児院で幸福に暮らす、エリエ・ミリシャではないただの凡人の演技をだ。不信感を胸に灯したまま私は笑顔でママと接した。他の子供たちともその仮面を付けたまま仲の良いフリをしたの。
そう言えば彼らはみんな私のことを家族と言うがとんでもないことだね。
家族というものは主体的に行動した結果出来る人間関係のことで、言わば副産物的な概念に過ぎない。男と女、それぞれが愛し合ったことで家族は形成され、子を成すとその子供も家族に名を連ねる。枝の分岐した樹木の如く祖父祖母、父母、子供と家系図は拡大を続ける。動物的な情動によって積み重なった結果が家族だ。
でもこの孤児院にいる子供たちは寂しさを埋めるため、或いは己を慰めるために家族という言葉を用いてる。しかも『孤児たちはみんな家族ですからね』と度々言うのはママだ。ママが子供たちの集団意識を一つに纏め上げている。不遇な立場から思考が暴走しないようにコントロールしている。まるで洗脳だ。ここがただの孤児院でないと確信する材料が私には多すぎた。
それに疑念は日々のテストにもある。
将来里親に出されたときの為、とかママは嘯いているけど合理性を感じない。効率的じゃないと思うの。
勿論勉強には意義があると思う。知識は身を守る盾となり矛となり得る。けどそれにしても力を入れていないのに、要らない箇所に無駄に力を入れている気がしてならない。
子供の為を思えば成績を上げるのが第一目標になるはずである。成績優秀な子供を伸ばすのは当然として、成績が悪い子供にはそのテストの復習をさせるなり個別で指導するなり本気で対策をすれば良いのにまるでその傾向が見えない。悪い点を取った子供もどうでも良いとばかりに放置しているのに、毎日テストをするのはおかしいとしか言えない。
私にはこのテストはラベルを貼るために行われる分別作業のように感じる。頭が良い子供と勉強のできる子供とそれ以外を明確に区切る機会の場にしか考えられない。孤児院にそこまでの機能を求めている訳じゃない。でも子供を本当に思っているならこんな非効率的過ぎるテストは早々に改められるべきだと思う。それに里親に出される子供の年齢とテストの成績がヤケに相関しているのも何か関係があるのかもしれない。
でもそれらの疑問は、私がテストで本気を出していないのとはまた別のものだ。
本気を出せば満点を取れることは毎日問題を見てるから確信できる。私の脳味噌なら欠伸を出すより簡単に300点くらい楽に取れる。
それをやらないのはケヴィンの為だった。ケヴィンに劣等感を与えないために平均的ではなく、敢えてケヴィン以下の点数を取っていた。
そう、ケヴィン。
私がたった一人。周囲に蔓延る温い有象無象と違って、この世界で唯一真の意味合いで家族になりたいと感じている少年。
ケヴィンは私と違って頭が良い訳じゃない。寧ろ悪い。この孤児院で一番悪い。テストで40点台を取るのはこの孤児院でもケヴィンだけだ。
だけど馬鹿じゃないし、何より勘が鋭い。
ケヴィンはあからさまにママを避けている。
会話をしない訳じゃない。話しかけられらたら挨拶を返すし、日々の生活も他の子供たちとあまり変わらない。それでもふとした瞬間にケヴィンの目は刃物みたいに鋭くなって、ママの相貌を突き刺す。悪いことをしてる人を見るみたいに。
ケヴィンは頭が悪い。私みたいに仮定と推測を積んでママに疑念を抱くようになった訳じゃないと思う。つまり勘。野性的な第六感によって、理由は無いけどママのことをケヴィンは怪しんでいる。
勿論、それは偶然と言う可能性だってあった。ママのお節介が嫌いで、反抗期の子供みたいに避けている可能性が。だから私は確認の意味合いも含めて、目立たないよう気を遣いながら『何でケヴィンってママから距離を取るの?』と直接尋ねたことがある。そうしたら『僕、この場所が何か気持ち悪いんだ……ママとか特に気持ち悪い……けど言ったらママを好きなみんなから怒られるからナイショだぞ……?』と小さく溜息を落とした。偶然は必然に変わって、私の中に存在意義を与えられていなかったケヴィンという固有名詞に初めて巨大な意味が流れ込んだ。
ケヴィンはただ一つの私の救いだ。
この矮小な世界を疑う存在は私だけじゃない。その事実がちっぽけな子供でしかない私にとってどれほど救いになったか、自分でも分からないくらいに嬉しかった。ケヴィンは救世主だ。私の恩人で、この身を捧げるに値する理由のある男の子だ。里親に出された後も探し出して、絶対に再会する。ケヴィンは頭が良くないからきっと外の世界で騙される。私が支えなくちゃならない。丁度良いことに私ならケヴィンの欠点を補完できる。無駄に回るこの脳味噌があればケヴィンを助けることが出来る。
4歳にもなると、ケヴィンを中心に回り始めた私の世界はより見るべき対象を区別するようになった。
私の頭はケヴィンとそれ以外の存在を鮮明に分けた。
それでも良い子の演技を止めなかったのは当然ケヴィンの為だった。
ケヴィンは身体が虚弱で、更に頭が悪いから孤児院でも他の子供たちからよく揶揄われていた。それを見て何度か殺そうかと思ったこともあるけどケヴィンの顔を見て止めた。ケヴィンの為にそれを殺したらケヴィンが孤児院にいられなくなるのは自明の理だった。
私はケヴィンの為に手を回した。ケヴィンはお喋りが得意なタイプじゃないけど出来ない訳でもない。ケヴィンが他の人間と会話を交わしてるのを見ると凄い胸がムカムカしたから取り敢えず孤立させた。少し嘘の事を言えば子供たちは信じたしママも特に疑う様子は無かった。お利口な外面が役に立った瞬間だった。これでお喋りが下手なケヴィンがあれと関わる機会も減る。加えて私もムカムカせず済む。一石二鳥って言うんだわ。
ただ厄介なのは私はまだ有象無象に埋もれる必要があることだ。他の人間を制御するには内部にいないと少々面倒だ。孤立したケヴィンとの心休まる接触は程々に、私は子供たちやママに目を向け続けた。
子供たちは全員何も知らない。それを理解したのはそれからすぐのこと。
10歳を超える年長の子供は一番ママに近い人間として警戒していたけど、探りを入れても何一つ出てこない。つまりママが全てを掌握している。この変な孤児院の真相をママだけが知っている。
でもそこまで理解しようとも、その先がどうしようもなかった。ママに直接聞くわけにも行かず、身体を痛めつけて喋ってもらおうにも私の身体じゃ逆に取り押さえられてしまう。
私はこの世界に詳しくない。もしかしたら孤児院というものが何かしらの慣習、或いは文化に基づかれてこのグレイス・フィールドハウスのような形態を取るのが当然なのかもしれないと思うこともある。それでも里親に出される孤児たちを外部から隔離する理由がどうしても思い付かない。何より私は知っている。孤児院の周囲は巨大な壁に囲まれている。そこまでして孤児たちを世間知らずに育てる理由は何なんだろう?
答えは出ずに更に一年強が過ぎて、3月になる。
転機が訪れた。
ケヴィンがテストでハイスコアを出した。
今まで一度も50点すら越したことの無いケヴィンが一躍80点台を取った。ママも大層ご機嫌そうだ。
私は一目でそれが正確にはケヴィンでないことを見抜いた。
私はケヴィンの頭の悪さを信じて疑ってない。不正をしない限りケヴィンがあのテストでそんなにスコアを上げるなんて不可能のハズ。本を読んでても勉強してる様子は無かった。それにケヴィンは『俺』なんて言わない。私以外は精神的成長と解釈したのか気にしてない様子だけど。
この世界で一番ケヴィンを見てきた私だからこそ分かったことだ。あのケヴィンはケヴィンじゃない。
でも観察するうちに彼が完全にケヴィンじゃなくなった訳でもないらしいと、大した時間も置かずに私の頭脳は結論を改めた。
ケヴィンはハイスコアを取って以降、異様にママを警戒していた。以前までと違う、まるでこの孤児院の何もかもが信じられないと言った風貌だった。生まれたばかりの小動物が野性を剥き出しにして警戒しているみたいだった。
その姿に私は人生で一番安心した。最初は動揺したけどケヴィンの在り方は変わってない。
会話をするとその確信は更に深まる。
ケヴィンを他の子供との遊びに誘ってみた。すると普通に着いてきた。最近は私とママ以外とは殆ど私語をしないケヴィンが至って何の抵抗も示さず着いてきたのだ。それは天地鳴動に等しい……って言うと少し過言かも。でも私にとっては同程度に重い意味を持つ。
察するに、ケヴィンは何か重大な事を知ったようだった。
今までと違ってママの一挙手一投足に注意を払っているのが伺える。これは一日中、暇な時間があれば悟られない程度にケヴィンを観察していた私だからこそ気付けたことだった。他の誰も解らないだろう。この気付きは私だけのものなんだから。
でも敢えて聞くことはしなかった。私はケヴィンの理解者だから。ケヴィンが話さないなら聞かない方が良いと思う。それがケヴィンの為になると判断した。あと不用意に突っ込んで嫌われたくないという我ながら年齢相応の感情もあったように感じる。だって私五歳だし。
その翌月、アリオの里親が見つかった。確か9歳だったと思う。正直どうでも良い。
冷めた目で見送る私と違い、ケヴィンの形相は筆舌し難いものだったわ。
キチンとした服装をして孤児院から旅立つアリオをケヴィンは凄い顔をして見送っていた。読み取れる感情は罪悪感。虚無感。それと危機感。
どうもケヴィンはアリオの身を案じているように思える。同時にその瞳には諦観の色が宿っていた。
里親に出されるだけなのに……と最初は考えたけど、ケヴィンの表情を見て考えを即座に訂正したの。
ケヴィンはきっと、里親という存在を根本的に信じていない。悪人……と言うにはその怯えは過剰に過ぎる。これはもっと、生物として本能的に湧き出でる純粋無垢な感情だろう。
つまるところ、死への恐怖。
ケヴィンは里親に殺される、或いはそれに準ずる被害を受けることを危惧している。私にはそれが真実かどうかを判断づける材料が足りなかったけどそうなんだろう。
その日から私はケヴィンへの視線を強めた。
ケヴィンは生来の弱い身体が理由であまり運動をしたがらない。なのに、突然走り始めるもんだからママも首を傾げていた。子供たちに新しい遊びと称して、木から飛び降りて着地までにどれだけの距離を稼げるかという危険な遊びを流行らせてママの目を誤魔化したけど、ちょっと不自然過ぎたわ。でも足りない箇所は私が補う。だから何も問題も無い。
或る日、ケヴィンは森の奥に入ったから私もこっそり着いて行った。
あの森には壁しかない。この孤児院の敷地と外を隔てる巨大な壁だ。大人でも乗り越えるのは容易じゃない。あれはこの世界に落とした私たちへの楔だ。
しかし、ケヴィンの用事は壁ではないみたいだった。
ケヴィンは中途半端な場所で立ち止まると、土を掘り始めた。ある程度の深さまで掘ると使い古されたコップを埋めて、今度は土を盛った。それから手頃な枝を盛った土に突き刺すと、首を振って枝を抜いた。手で折ろうとして、失敗したので膝で折ると短くなった枝を土に刺した。
全ての作業を終えたらしく、ケヴィンは土ぼこの前で手を合わせた。木の背後、草々の隙間からうつ伏せになって観察しているためにどんな表情をして拝んでいるのかは見て取れない。雰囲気的に楽しそうなものではないけど。
あのコップ、何処かで……。
いや、記憶を探らないでも順序立てて考えれば分かる。ハウスにあるコップは一人につき一つ。盗まれれば絶対に騒ぎになるのに朝食が終わっても何一つなく平穏を保っている。つまりあれはケヴィンか、それかアリオの物。自分の物を地中に埋める理由が仮説立てられないから確率的にアリオの物だと推測できる。
とすると、この土ぼこは墓標のつもりだろうか。
確かにそう見ようと思えばお墓に見える。
故人の遺物を埋葬して、忘れないように枝で目印を付ける。私は一度も現物を見たことないけど本で読んだことはある。
本格的にケヴィンはアリオが死んだと確信しているようだ。
……でも、やっぱり中途半端。ケヴィンにしては中途半端じゃない?
だって二択だ。アリオの墓を作るか、作らないか。
作るならもっとちゃんとした石を使えばいい。孤児院の周りには不格好でも石碑は作れるくらい大きな石がある。こんな枝で安っぽいものを作るよりそっちの方が断然良い。ケヴィンは真面目にアリオの死を弔ってない。
ママを警戒するなら墓なんてものを作るのは愚策中の愚策だ。アリオが故意で死んだならママはそのことを知られたくないはず。それを悟られてしまう危険を冒してまで墓を作る理由なんて無い。
……こんなみすぼらしい墓を作らなきゃならないほど精神が追い詰められてるの?
それは、問題だよね。
そこまで罪悪感が膨らんでいたなんて、これは私が何とかしないと。私しかケヴィンの隣に立てる人間はこの世に存在しないんだから。