鶴紗たち調査班が地下空間に侵入していた頃、工場周辺で待機していた警戒班は問題を一つ抱えていた。
「それでフーミンさん、あれから対象に動きは見られましたか?」
「いえ、相変わらずです。北西3キロ先の雑木林でじっとしたまま動きません」
インカムによる神琳からの通信に、鷹の目を発動中の二水が答えた。
彼女らの懸案事項とは、少し前にヒュージサーチャーの探知外から接近してきたヒュージのことである。そのヒュージはある地点で前進を止め、以降はジッと息を潜めていた。
スモール級ファング種バグ型。それも、たったの一体のみ。
「神琳さん、どうしましょう? やっつけに行きましょうか?」
困り顔の梨璃が司令塔に判断を仰ぐ。
レギオンが十全の状態なら迷うことはないのだが、今は隊を半数に分割している上に敵地の中。慎重な判断が求められていた。
「バグ型は周囲のヒュージのマギ密度を向上させて、火力支援や防御支援を行なう厄介な型。しかしそれ自体の戦闘能力は低い。集団戦で初めて真価を発揮できるヒュージです。なので罠の可能性を疑ったのですが」
「周囲に敵影はありませんし、携帯のサーチャーも反応しません。不気味ですね……」
神琳の言葉を引き継いだ二水が当惑した声を出す。鷹の目の俯瞰視野で戦場を把握できる彼女だからこそ、余計に敵の行動が理解できなかった。
「神琳、いつまでも放っておくのは良くない、気がする」
「……雨嘉さんの仰る通りですね」
神琳は一瞬だけ逡巡した後、もう一度口を開く。
「では結梨さん」
「はい」
「北西方向のバグ型を倒してください。可能な限り迅速に。何か状況に変化があれば、無線で連絡するのを忘れないでくださいね」
「うん、分かった」
返事をするや否や、結梨は工場跡のある窪地から大きく跳躍し、一足飛びで崖上に到達した。
結梨の足と戦闘能力を以ってすれば、たとえ罠でも問題なく戻ってこられるだろう。そう考えての人選だった。
「セキュリティクリアランス、承認。リンガ・フランカプロジェクト、ファイナルフェイズ開示」
聞き慣れぬ単語が機械音声によって唱えられ、地下の一室に緊張が走る。
鶴紗はブレイドモードのティルフィングを握り締めて不測の事態に備えていた。
ところが、そんな鶴紗の目の前に現れたのはヒュージではなかった。ホログラフによって、幾つものディスプレイが立体映像として宙に出現したのだ。
「これは、あの特型?」
よく見覚えのある、全翼の戦闘機型ヒュージを映した写真。ついに見つけたお目当ての資料だ。
写真入りのものとは別のディスプレイに長々と記された文章を、鶴紗は食い入るように読み進めていく。専門用語や聞いたこともない単語があちこちに見受けられたが、代わる代わる出現するホログラフの資料を見逃すまいと目で追い掛ける。
すぐ隣でミリアムが何やら叫んでいるが、鶴紗の耳には入ってこない。肩を揺さぶられても反応しない。
どうしてもその資料から、特型を形作ってきたルーツから目が離せなかった。離してはいけない気がしたのだ。
あの特型を生み出す切っ掛けとなったのは、ヒュージとのコミュニケーション確立に関わる計画だった。
リンガ・フランカプロジェクト
被験対象――――スモール級ペネトレイ種カウダ型
スモール級ペネトレイ種クチハナ型
スモール級ファング種ピスト型
スモール級ファング種ルレット型
スモール級リッパー種ブル型
ミドル級テンタクル種オルビオ型
捕獲を実行した陸上防衛軍中部方面軍より計六体を受領
ファーストフェイズ――――対象の意思伝達機能調査 未達成
動作コミュニケーション 不明
音声コミュニケーション 不明
嗅覚コミュニケーション 不明
セカンドフェイズ――――対象への意思伝達手段付与 未達成
刺激による条件付けを利用した意思伝達 失敗
外付けの発声機能付与 失敗
外付けの嗅覚機能付与 失敗
サードフェイズ――――対象への知的機能付与 達成
脳移植による知的機能付与 成功
ファイナルフェイズ――――知的機能を得た対象との意思伝達実験 未達成
サードフェイズ唯一の成功例、カウダ型の逃亡により実験不可
以上を以ってリンガ・フランカプロジェクトを凍結
逃亡個体の処理の要あり
計画のあらましを流し見して、鶴紗は更に別の資料へ視線を走らせる。
サードフェイズの詳細資料。ヒュージへの脳移植という狂気の沙汰。
『ドナーは高い教養、合理的思考能力の持ち主が最適。適格者の一人を陸上防衛軍東部方面軍より受領。身体に重大な損傷有り。意識不明。されど脳組織に損傷無し。実験可能』
息が止まる。
両の目を見開いたまま、目蓋を閉じれなかった。
この先を見てはいけない。しかし知らなければならない。
もはや半泣きとなって掴み掛かってくるミリアムを手で押さえ付け、鶴紗は次の一文を目に入れる。
『ドナー、陸上防衛軍東部方面軍隷下、独立混成旅団旅団長、安藤――――』
一瞬、鶴紗の視界が真っ暗闇に塗り潰された。
そのまま意識も暗闇に溶け込んで消えてしまえば。そんなことも思ったが、しかし現実は都合良くはいかない。
鶴紗の目の前に再び、閉塞感ある地下の部屋とホログラフのディスプレイが変わらぬ姿を現した。
「あ…………っ、ああっ…………」
幼い頃の、おぼろげな記憶の中の父。
強く優しかった父。責任感の強かった父。コーヒー好きだった父。
その肖像が炎に焼き尽くされて、全身灰色をしたヒュージの姿が現れる。
「…………っ!」
恥も外聞もなく泣き叫んでいるはずだった。
ところが、瞳と同様に大きく開かれた鶴紗の口からは、喉の奥を詰まらせたかのような音しか出てこない。
そんな時だ。インカム越しに夢結の険しい声が響いてきたのは。
「梅! 二人を連れて逃げて!」
普段なら即座に状況を察するはずが、今の鶴紗は動かない。二本の足は地に根を張るかの如し。心は宙に漂い続け、感情をぶつける先を見い出せずに震えていた。
だが鶴紗の事情とはお構いなしに、周りの状況は動いていく。
「ミリミリ、動けるな? 梅についてこい」
「りょ、了解なのじゃっ」
梅が左腕で鶴紗を小脇に抱え、部屋の出入り口へと向かう。鶴紗ほどではないが動揺していたミリアムも、我に返って後に続いた。
扉を開いて端末ひしめく空間を出た先では、夢結と楓が背中合わせでチャームを構えていた。
「敵襲ですわ」
「馬鹿な、ヒュージサーチャーに反応は無かったぞ!」
「何らかの妨害でしょう。ヒュージによるものか、この地下施設自体の機能か」
楓とミリアムのやり取りの横で、夢結は梅の小脇に視線を送る。
「大丈夫なの? 鶴紗さんは」
「大丈夫じゃない。だから梅が連れていく」
「そう……」
話の最中にも、長大な地下通路の薄暗い空間に、青い光がぽつぽつと浮かび上がってくる。ヒュージの目だ。未だ距離は遠いものの、五人のリリィを獲物と見定めて前後の通路を遮断するように現れる。
「敵の数は未知数。通路は複雑に入り組んで視界も悪い。陣形は組みますが、乱戦に陥った場合は個別にでもエレベーターを目指してください」
楓の号令を合図にして、五人は伏兵の蠢く巨大通路に突破を図る。
「十時の方向来ます! シュテルン型、数は3!」
窪地を臨む高台に二水の精一杯の大声が轟く。
地下とほとんど同時期に、地上でもヒュージの襲撃が起きていた。
始まりは、結梨が遠方のバグ型を撃破した時のこと。次の瞬間、携帯内蔵式のヒュージサーチャーが一斉にアラームを鳴り響かせたのだ。
バグ型の正体は
「続いて一時の方向から2! 三時の方向から2! 五秒の時間差を空けて突入してきます!」
敵襲に勘付いた時には既に複数方向からの接近を許していた。二水の鷹の目が発動していたが、敵は効果範囲の外から一息に距離を詰めてきたのだ。ペネトレイ種シュテルン型の機動力ならば、そんな芸当も可能であった。
「速いし、しぶといっ。ごめん神琳、墜とし切れない」
「仕方ありません。雨嘉さんとフーミンさんは狙い撃ちされないよう、射撃位置を変えつつ応戦してください」
片膝を付き、狙撃銃と化したアステリオンを抱える雨嘉。彼女と索敵要員の二水は戦闘前から崖上の高所に陣取っていた。
しかしながら、高速飛行型のヒュージに対して地形の高さはあまり意味を成さない。それどころか下手に目立って集中攻撃を食らう事態もあり得る。故に神琳も無線で二人の身を案じた。
だが危機に瀕しているのは窪地の中に留まっている神琳と梨璃も同じこと。二人は工場正面で合流し、互いの死角を補い合うよう背中を向け合っている。
「梨璃さん、弾幕を張って牽制に努めてください。すぐに結梨さんが戻ってくるはずですから」
「はい!」
これまでのところ、敵は高空からレーザーや光弾を放って駆け抜けていく一撃離脱に徹していた。迎撃は困難だが、敵の照準も甘い。守りを固めれば時間稼ぎぐらいはできる。
そんな梨璃たちの事情に勘付いたのか、横合いから新手の敵編隊が急降下を仕掛けてきた。
「梨璃さん伏せて!」
別方向の敵へグングニルの銃口をかざす梨璃。自身の危険に気付けなかった彼女へ、神琳がチャームを向ける。マソレリックの多銃身が重厚な唸りを上げて、暴雨の如く多量の弾丸を吐き出した。
マソレリックが放つ火箭は梨璃の頭上を通り越し、高度を落とした敵を絡め取る。
星を模した頭に、頭部から伸びる鋭角的な胴体。全長三メートル程のミドル級ヒュージ、シュテルン型。
一機のシュテルン型は真正面からガトリングの銃撃を浴び、目に灯っていた青い光を瞬く間に失った。その残骸は勢いを残して突っ込んでくるが、しゃがんだ梨璃の上から突き出された円盾に激突。軌道を逸らされて無人の大地に墜ちていく。
「ふぁっ、神琳さん――――」
その場に屈み込んだ状態で礼を言おうとする梨璃だが、柔らかで弾力ある感触に顔を押さえ付けられる。
神琳が梨璃の上に覆い被さっていた。もう一機のシュテルン型が弾幕を掻い潜り、目前まで迫ってきたからだ。
前に突き出されるマソレリックは、主とその仲間の盾となる。
しかし、そこに衝撃が襲い掛かってくることはなかった。横からの射撃を受けて敵機の軌道が外れたお陰で。
「戻ったぞ!」
「結梨ちゃん!」
梨璃の視線の先。崖上から滑空するかのように身を踊らせた結梨。彼女の無事な姿に、梨璃は自分自身の危機も忘れて顔を綻ばせる。
一方で、急降下からの一撃を邪魔された敵機はよろめきながらもそのまま直進。大きく旋回して体勢を立て直す。
それと入れ替わる形で新たな敵機が接近し、空中で無防備な結梨の背中に矛先を向けた。
ところが結梨は全身をくるりと捻ると、ノールックでグングニルの銃弾を叩き込む。
星形の顔へまともに被弾し、シュテルン型は堪らず上昇。そこへ狙いすましたかのように一条の光が伸びて。胴体を貫かれたシュテルン型が数舜の後、高度を取り戻すこと叶わず低空で大爆発を起こす。
「墜とした。フーミン、次は?」
「残りのシュテルン型は全て離脱に移っています。ただ……」
崖の上、片膝立ちの狙撃姿勢のまま問い掛ける雨嘉に、二水は顔を強張らせて答える。
鷹の目を発動して赤に染まった二水の瞳が、状況の悪化を誰よりも早く掴んでいた。
「西へ5キロの地点からヒュージの一群が接近中。数は50。いずれも地上型。後方に発生したケイブより更に増援が出ています」
それは全力の一柳隊ならともかく、隊を分けた現状では厳しい相手だった。
「先程の空襲は陽動。本命は陸路での侵攻ですか。あの数は、流石に分が悪いですね」
「……神琳さん! お姉様たちは絶対に戻ってきます! だからっ」
「ええ、勿論分かっていますよ、梨璃さん。わたくしたち警戒班はこれより、調査班の帰還まで工場跡出入り口を防衛します」
神琳はそう宣言した後、梨璃の顔と、既に着地して戦闘態勢を取っていた結梨の顔を見回す。
「陣形を変更しましょう。結梨さん先頭中央、わたくしが右翼後方、梨璃さんが左翼後方へ。結梨さんは突出してきたヒュージを、足の速さを活かして順番に討ってください。わたくしたちは支援に回るので、結梨さんが迎撃の要ですよ」
「おー、任せろ!」
意気揚々と返事をしてから、結梨が跳躍して陣形の先頭に移動する。
結梨を矢の先端に見立てた楔形陣形。彼女の攻撃力とレアスキルを活用するには、単純だが効果的な陣形だ。
「また結梨ちゃんに頼っちゃうねえ」
「気にするな、梨璃。老いては子に従えって言うだろ?」
「まだ老いてないよ~」
一緒に訓練に励んでいた梅の影響だろうか。結梨は戦闘前の軽口を叩く。無論、彼女の立ち振る舞いに過度な緊張は見られない。
「雨嘉さんとフーミンさんは引き続き射撃支援と索敵を」
「了解」
「はいっ!」
そうした崖上との無線越しのやり取りを終えて、神琳たち警戒班は迎撃態勢を整える。
その頃、西の方角には地面から舞い上がる砂埃が見えていた。まだ結構な距離はあるが、こちらに近付いているのは明白だ。
「敵先頭集団、接敵まで残り3キロ。ミドル級1、スモール級7」
二水の報告と、続いて放たれたアステリオンのレーザーが、これから展開する長い撤退戦の狼煙となるのだった。
長い長い、幾つものルートに枝分かれたした地下通路。電気が生きているとは言え、天井に設けられた照明はあちこち機能しておらず、場所によっては深夜の如き暗がりになっていた。
「夢結たちとはぐれちゃったなあ。しかもこっち、エレベーターとは逆方向だし」
タンキエムを腰だめに提げて通路を前進する梅。やや遅れて、無言で歩き続ける鶴紗。
最悪の想定通り、乱戦に持ち込まれた彼女らは他の三人とは別方向に逃げていた。
鶴紗は自身の足で動いてはいたが、その様はさながら幽鬼のよう。自らの意思というよりは、切迫した状況によって無理矢理動かされていると言うべきだった。
不意に、前を行く梅が180度向きを変え、鶴紗へ砲口を突き付けた。
発砲。
甲高い金切り声の断末魔。
鶴紗のすぐ後ろで、大きな耳と巨大な下歯を持つ四つ足のヒュージ――フィープ・ピープが頭を撃ち抜かれて倒れた。
ネズミを模したこのスモール級ヒュージこそが乱戦の元凶。これと同型の群れが地下通路に潜んでいるため、鶴紗たちはエレベーター方面に帰りたくとも帰れなかった。
「鶴紗」
咎めるようにそう言って、しかし梅はそこでまた180度向きを変え、中断していた歩みを再開するのだった。
「行くゾ。どこかに他の出口があるはずだ」
五人が侵入に使ったエレベーターとは別に、必ず物資搬入用の出入り口が存在するはずだった。外部からは巧妙に隠蔽されていても、内部からなら見つけられるだろう。それを目指して、梅と鶴紗は手探りでヒュージ蔓延る地下迷宮を踏破しなければならないのだ。
延々と続くかと思われた脱出行だが、やがてゴールの端緒が見えてきた。
通路の途中に現れた巨大な縦穴と、資材運搬用と思しき巨大昇降機。そしてその片隅に人員用の四人乗り小型昇降機がおあつらえ向きに用意されていた。
「これ、天井はちゃんと開くよな? こっからじゃ操作できないけど。ま、いざとなったらチャームでぶっ壊すか」
梅は人員用の昇降機に乗り操作台を確認すると、鶴紗の手を引いて隣に乗せ、上昇のスイッチを押した。
幸いこちらの機能も生きていた。鈍い駆動音を上げ、二人を乗せた金属の籠は地上を目指して出発する。
鶴紗の胸ほどの高さがある落下防止用の柵が手すりを兼ねていた。それ以外に壁は無いため、昇降機からは周りの光景が嫌でも目に入る。
弱々しい照明が要所々々に点在するだけの、薄ぼんやりとした縦穴。それは鶴紗の心と相まって、現世と地獄を繋ぐトンネルのようだった。
何も考えられない。何も話したくない。そんな鶴紗の心境とは裏腹に、すぐ横に立つ梅は屈託無い声で喋り続けている。
「ここだと無線が通じないから、上に着いたら他の皆と連絡を取らないとな。夢結が付いてるから、あっちの方が先に地上に戻ってるだろ」
上へ上へと引き上げられる昇降機の駆動音と、梅の話し声だけが辺りに流れていた。
縦穴付近にヒュージの姿は無いようで。その事実がまた不気味さを際立たせる。
「しかし、どこに繋がっているんだか。下でかなり歩いたから、本当に海に出たりして」
手すりに前のめりで寄り掛かる梅に対し、鶴紗は立ち尽くして押し黙る。
こんな状況でも、梅は気分を害した様子も気まずい様子も見せなかった。いや、本当のところは分からない。鶴紗に他人の心は分からないし、他人にも鶴紗の心は分からない。
そんな風に考えるなど、まるで一柳隊に入る以前の鶴紗に戻ったかのようだった。
やがて縦穴の終着点が近付いてくる。頭上に広がる天井が音を立ててスライドし、薄暗い地下空間へ光が差し込んできた。
あまりに眩い明かりに、二人が目を何度も瞬かせる。
そうして自動で解放された天井から昇降機がせり上がり、地上の地面と同じ高さで停止した。
降りた梅はタンキエムを構え、油断なく周囲360度を見回す。
鶴紗たちが立っているのは、背の高い草が生い茂ったなだらかな高地だった。東を向くと、緩やかに湾曲した海岸線が遠くに映る。相模灘だ。さっきの梅の言葉通り、本当に海の傍まで辿り着いたのだ。
「……ああ、神琳か。夢結たちと合流できたんだな。こっちは今のところ無事だ。……分かった、そのまま北に向かって落ち合おう」
地下から出たことで回復した無線にて、梅が別動隊の神琳と方針を確かめる。
その間、鶴紗は視界に広がる濃紺の海を何とはなしに見つめていた。幼い日々の記憶におぼろげながら残っている相模の海を。記憶の中の自分は、笑っていた気がする。
今と過去の境が曖昧になりかけたその時、海の濃紺から赤い光が迸る。
直後に横から力が加わって、鶴紗の体は草むらの中に倒れ伏した。地べたから仰ぎ見た視線の先に、梅の顔がアップで飛び込んだ。
「バカッ! ボーっとするな!」
そこで鶴紗は自分たちが撃たれかけたことに気付く。
起き上がって辺りを見渡すと、海岸部の上空からこちらを見つめるヒュージを発見した。
灰色の機体に赤い一つ目の戦闘機、特型ファルケが空中静止の状態から前進を開始する。
「早くチャームを構えろ!」
「…………」
「鶴紗ぁ!」
鶴紗の右手がティルフィングのグリップを固く握る。だがその切っ先が上を向くことも、射撃形態に切り替わることもなかった。
そうしている内に、速度を増した特型が地上に光弾をばら撒きながら、二人の頭上を翔け抜けていく。
光弾の掃射と上空からの風圧により二人は再び地に伏した。顔や制服を土で汚しつつ、梅は鶴紗を強引に引き起こす。
「あのヒュージは、お前の親父さんじゃあないっ!」
その言葉によって、きつく締められていた鶴紗の口が弾かれるように開く。
「梅様に何が分かるんだ!」
否、本当は鶴紗も理解していた。
地下で発見した資料にも『元の人格的な要素はヒュージとの融合で消え失せた』と記されていたのだ。
だがそれでも、頭ではなく心が追い付いていかなかった。父の痕跡がこの世から全て消滅したようで、受け入れられずにいた。
「私にはもう、何も無いっ。親も家族も、家族との繋がりも、何も残ってない!」
百合ヶ丘という新しい居場所。
しかしそれは本当の意味で繋がりと言えるのか。家族と呼べるのか。
普段は鳴りを潜めているものの、疑問が鶴紗の中から完全に解けることはなかった。それはレギオンにあっても例外ではない。
「独り……独りなんだ、私は。本当は独りなんだ……」
無論、一柳隊の皆は掛け替えのない仲間だ。それは間違いない。
けれども仲間から先に進んだものがあるだろうか。仲間とそれとは、また別種のものなのだ。
「たづ……っ」
梅は伸ばしかけた手を伸ばせず、開きかけた口を開けない。今度は彼女が押し黙る番だった。
やがて、一度は過ぎ去った特型が上空で旋回して再度の降下を図ってくる。
特型の瞳と同じ赤いレーザーが青空に奔った。それは俯き小刻みに震える鶴紗の横顔を貫くはずだった。
しかし鶴紗に攻撃が届くことはなく、代わりにまたもや地面へ押し倒される。
押し倒した梅の背では制服が線状に焼き切れて、切れた跡が真っ赤に染まっていた。
目と鼻の先に、苦悶に歪む梅の顔。それでもなお、鶴紗はチャームを構えることができなかった。自分がどうすれば良いのか、どうしたいのかが分からない。
特型に集束していくマギを感じる。次弾発射の予兆だろうか。
地面に折り重なる二人はこの上なく無防備だった。
ぐちゃぐちゃになった思考の中で、鶴紗は不意に砲声を耳にする。
「結梨、跳びなさい!」
今度は夢結の声だ。
直後、射撃体勢に入っていた特型が下方から突撃してきた人影に進路を逸らされる。飛行の速度も大きく削がれる。
人影は、結梨は空中でチャームを変形させると、特型へ追い打ちの射撃をお見舞いした。地上の夢結も砲撃を加えていく。
二方向からの同時射撃は特型の動きを制限した。何発かは灰色の機体を捉え、黒煙と爆炎、そして青い体液を空に舞い散らせる。旋回でもしようものなら、たちどころに致命打を食らうだろう。
結局、特型は進路をそのままに元来た海に向かって増速を始めた。形勢の変化を見て撤退を選んだのだ。
追いすがるように射撃を続ける結梨。一方、夢結は倒れたまま起き上がってこない梅と鶴紗に駆け寄っていく。
「私はっ、何をやってるんだ」
ようやく絞り出された鶴紗の声は消え入りそうで、相模の海に溶け込むようだった。なので必死に二人の名を呼ぶ夢結には聞こえなかっただろう。
鶴紗と梅。二人が立ち上がるのは、まだ先のこと。