朝日を背景にして輝く北東の空に、天を引き裂かんばかりの轟音が響き渡る。
鶴紗と梅は丘の斜面の途中で見つけた窪地に駆け込んでいた。その場で上を見上げると、空の青色に幾本もの白煙が奔っている。
白煙の向かう先は、生き残りのディアマント型。四体全てが回避する間も無く爆発を起こして果てる。
「防衛軍のF-3戦闘爆撃機ですね。スモール級やミドル級ヒュージの掃討を目的に開発された純国産の高速爆撃機です」
インカム越しに二水の解説を耳にした。
しかし空の方を見ても、鶴紗には米粒が四つあるぐらいしか分からない。二水のレアスキル、鷹の目の力だろう。
そう時間の経たない内に、米粒が飛行機の輪郭を露わにしてきた。尾から炎を噴き出し、羽ばたくことのない固定された銀翼で宙を行く。あっという間に鶴紗たちの頭上を過ぎ去ると、スモール級ファング種の群れに紡錘形の物体を投下した。
着弾の瞬間を確認することなく、鶴紗と梅はうつぶせの状態で縮こまったように頭も下げる。
質量を持った物体が重力落下によって奏でる風切り音。それが途絶えると同時に、先程の爆発とは比べ物にならない大音響が炸裂した。
大気が震え、遠く離れた鶴紗にも衝撃と熱波に襲われているように錯覚させた。
「街から離れてるからって、無茶苦茶やるっ」
鶴紗が頭を伏せたまま愚痴を零す。
「ヒュージ相手に、お上品にやってられないんだろう」
すると同じく隣で伏せている梅がそう言った。
ヒュージとの激戦は、あちこちに穴ぼこがあるこの丘を見ても一目瞭然。地形を変えてしまう程に戦闘が繰り返されてきたのだ。
やがてほとぼりが冷めた後、鶴紗は立ち上がって窪地を出た。丘の麓を見渡して、その光景に一言呟く。
「そうは言っても、これはねえ……」
四つの広大なクレーターが爆撃の威力を物語る。辺りにはヒュージの胴体やら脚やら頭やらのパーツが散らばっていた。元の灰色は真っ黒に焦げ付いており、原形を留めているものは少ない。
ヒュージの墓場と化した真鶴の地。だがいつまでもこのままというわけではない。
死してマギを失ったヒュージの体はせいぜい一晩で骨となる。骨の方も、数日あれば塵と消える。元より常識では測れない存在なのだ。
「皆さん、一度頂上に集合しましょう。ガーデンに帰るまでが外征。油断なさらぬように」
司令塔の楓に通信で促され、クレーターを見つめていた鶴紗は踵を返すのだった。
丘の頂に九人が揃ったところで、楓は早速次の指示を飛ばす。
「神琳さんと雨嘉さんでケイブの破壊に向かってください。空爆でヒュージは殲滅されたと思いますが、念のため一つずつ確実に」
「はい、承知しました」
「うん、分かった」
二人は肯定して斜面を降りていく。目的のものは爆心地から更に奥へと進んだ場所にあった。あの大きさなら見逃しようがないだろう。
ラージ級以上のヒュージを通常兵器で倒せないのと同じく、大型ケイブもまた爆撃では破壊できなかった。
「ミリアムさんは……」
「あ~、わしはまだ無理。動けんぞい」
「そのようですわねえ。仕方ありませんわ。梨璃さんと二水さん、ついてあげてくださいな」
地面に大の字で寝っ転がったミリアムが、楓に気の抜けた返事をする。左右に結った豊かな髪も、心なしか元気が無いようだ。
ミリアムのレアスキル『フェイズトランセンデンス』は一定時間マギを無限大にする。超攻撃的なレアスキルだが、反面効果終了後は一定時間マギが枯渇してしまう。今がまさにその状態だった。
とは言えミリアムのおかげでラージ級を一つ潰せたのだから、御の字である。
ちなみに残りのメンバーは、神琳たちが戻るまで周辺警戒することになった。
「鶴紗さん。ラージ級の攪乱、お見事だったわ」
警戒に立っていると、唐突に横から夢結に褒められた。
「見てたんですか?」
「ええ、遠目だけど。それでも動きの良さはよく分かったわ。同じ
「……皆のフォローのお陰ですよ」
真顔でそんな風に言われたらこそばゆいので、当たり障りの無い答えで流しておく。
「あははー。後輩が優秀だと楽ができて良いなあ」
「そうね、梅。もっと楽ができるよう、訓練に協力的だと助かるのだけど?」
「あっはっはっ」
「笑って誤魔化さないの」
先輩二人の恒例とも呼べるやり取りを横目で見る。もはや様式美となっていた。安堵感さえ覚えるようだった。
ふと、首を動かした鶴紗は後ろの方から視線が注がれていることに気付く。自分に対してではなく、夢結たちに対して。
梅もまた、その視線を把握していたようで。
「んー、でもまあ、梅たちが暴れられるのも後衛がしっかりしてるからだ」
「それはあるわね。一柳隊が
「そうそう、BZもよくやってるよな!」
梅が声を大にしたことで、夢結はその意図に勘付いたようだ。
「二水さん、鷹の目の索敵お疲れ様」
「はい」
「梨璃も、二水さんや楓さんの援護をよく果たしているわ」
「はいっ! えへへっ」
視線の主がはにかんだように笑う。桃色のサイドテールをぴょこんと振って。あれはマギによって動いているらしい。自分ではあまり意識してないが、鶴紗のアホ毛も時々動くことがあった。
「その通りですわ! 梨璃さんは立派にBZの役目を果たしておられます。梨璃さんの可愛らしい声援を浴びれば、チャームの刃は立ち所に鋭さを増し、マギも瞬く間に回復するのです」
「ほうほう、それは便利じゃなあ。ならばわしの枯渇したマギもどうにかしてくれんかのう」
「チビッ子2号はリリィとして精進が足りないので、無理ですわ」
「何でじゃっ!」
ミリアムとのお馬鹿な掛け合いの間にも、楓の姿勢と意識は警戒を怠っていないようだった。中等部時代から実績を積み重ねてきたのは伊達ではないということか。
鶴紗は「やはりただの変態ではないな」と改めて思う。
「じゃあミリアムさん、これならどうかな? ぎゅ~っ」
「おおっ、梨璃の柔らかい体が密着して、これは……。あぁ~マギが回復するんじゃ~」
「んなっ!? チチチッ、チビッ子2号! そこを代わりなさぁい!」
凄い変態だった。
「やっぱり、ヒュージはもう残ってないみたいです。神琳さんと雨嘉さんもケイブを破壊し終えたようですし」
鷹の目で戦場監視を続ける二水が安堵の声を出した。
俯瞰視野というものを、鶴紗も何度か体験したことがある。神琳のテスタメントによって拡大された二水の鷹の目の力を借りる、という形でだ。
鶴紗のファンタズムも、未来幻視の副次的効果として俯瞰視野を得られはする。だがそれは限られた範囲ごとの俯瞰であり、鷹の目のように戦場全体を把握するレベルではない。仮にそんな広範囲を俯瞰できても、鶴紗みたいな前衛で生かすのは不可能だろう。
故に楓のようなレジスタ持ちの司令塔とは別に、索敵要員が存在する意義は大きい。
「あっ、ちょっと待ってください。……8時の方向、ヒュージが居ました。森の中に紛れてはっきりしませんが、スモール級が10か、12」
「ふぅん。ミリアムさん、もう動けますわね?」
「うむ。でかいのはまだ撃てんが、身を守るぐらいならば」
「では念のため神琳さんたちと合流してから向かいましょうか」
しかし楓の指示は二水の叫びによって妨げられる。
「待ってください! ヒュージが来ます! これは、飛行型。カウダ型ですっ!」
声に釣られて鶴紗が南西を向くと、空の上に幾つかの影が浮かんでいた。それらは真っ直ぐ丘の上、即ち鶴紗たちの元へと向かっている。
速い。
ペネトレイ種カウダ型は速さが最大の武器なのだ。
「楓さん、そちらに合流しましょうか?」
「いいえ。神琳さんと雨嘉さんはその場で防御に徹してください。下手に動いて狙い撃ちされないように」
楓は隊の合流を一旦諦め、現状での迎撃を選択する。
「皆さん、わたくしと二水さんを中心にリング・フォーメーションを組んでください。それから梨璃さん、ペネトレイ種との集団戦について、覚えてますわね?」
「はっ、はい! 皆で地上から弾幕を張りつつ、相手の隊列が崩れたり数が減ってから追撃、ですよね」
「上出来ですわ。梅様や夢結様ならまだともかく、他の人間がアレの機動戦に付き合うのは下策でしてよ」
会話の間にも七人は陣形を組んでいく。大きく散開し、楓と二水を囲むように輪を作る。方円陣、あるいは輪形陣とも呼べるフォーメーション。
そうして態勢を整えたところで敵を迎え撃つ。
お椀を逆さにしたような、円錐形のヒュージが噴射炎を焚きながら向かい来る。それが十二機、楔形陣形を組んで一つの編隊と成していた。
ヒュージは陣形など作らない――――
そんな常識は既に過去の遺物となっていた。
「射撃開始!」
カウダ型の頭が下へ傾いたのを察知し、楓が号令を下した。
七つのチャームが一斉に砲火を放つ。
グングニルとニョルニールの弾丸が、ブリューナクとタンキエムとティルフィングの大口径砲弾が、ジョワユーズの小型弾が、火箭を形成して天を衝く。
対するカウダ型の編隊は急降下を始め、青く光る頭部の先端から同色の光弾をばら撒いてきた。
中空で交錯する互いの砲弾。鶴紗の足元にも何発か落ちてきて地面を抉る。
優勢なのは、一柳隊の方だった。
楓の判断によって機先を制したお陰で、半数の敵に火を吹かせ、残りも編隊を崩して射撃を乱れさせていた。
カウダ型の残余は降下の後に急上昇して再び高度を取る。
「新たなカウダ型が接近中……あぁ――」
鷹の目で索敵しつつ、申し訳程度にグングニルの引き金を引いていた二水が口を開いた。が、様子がおかしい。
「特型、特型です! 間違いありません! 特型『ファルケ』を確認! 編隊の中央にっ!」
最後まで聞くよりも先に、鶴紗は南西の空に見た。スモール級で構成された逆V字の後方を飛ぶミドル級の体躯を。全翼の戦闘機にも似た、鋭角的でスマートな機体を。
由比ヶ浜で出会って以来、特型が再び鶴紗の前にその姿を現した。
新たな敵編隊は更に高く高度を取っており、そこから降下を開始する。
誰もが「同じ轍を踏むのか」と思った直後、特型の機体からミサイルが射出される。これは想定通り。チャームの弾幕で撃ち落とす。
ところが、撃破したはずのミサイルの中から大量の鉄芯が飛び出した。鶴紗の背丈にも届こうかという長大な鉄芯が。
それらは広範に拡散した後、シャワーの如く地上の一柳隊へと降り注ぐ。
鶴紗は完全回避を諦めてチャームによる防御を図った。彼女のティルフィングは高い剛性を誇り、盾としても高い性能を発揮できるのだ。
「ぐぅ!」
軽い呻き声が上がった。
大半の鉄芯は頭上に掲げた剣身が防いでくれたものの、二本か三本はすり抜けて掠めてくる。だがリリィは常にマギの防御結界で守られているため、鶴紗も大事には至らなかった。この程度なら痣になるぐらいだろう。
他のメンバーはというと、回避を選んだ者、防御を選んだ者、様々だった。
梨璃と二水はこの中で一番実戦経験が浅いコンビだが、彼女らが持つグングニルは防御結界への補助機能が高い。初心者用チャームと呼ばれるだけのことはある。現に今も、二人の初心者を鉄のシャワーから守り切っていた。
一番心配だったミリアムも目に見える負傷は負っていない。楓や二年生組などは言うまでもなかった。
しかしせっかくのフォーメーションは大きく乱れてしまう。
そこへ、鉄芯の後に続くべくヒュージの編隊が迫る。たった一つの獲物を目掛けて。
「……私かっ!」
選ばれたのは鶴紗だった。取り巻きを従えた特型が機首から光弾を掃射しながら急降下してくる。
機関銃も
結界の上から傷付く百合ヶ丘制服。千切れ飛ぶ金色の毛先。それでも何とか致命傷は免れた。
「見た目は派手でも、狙いは大甘ですわ! 下手に動かず防御を固めますわよ!」
「まるで楓みたいだなっ」
楓に軽口を返しつつも、鶴紗は反撃の糸口を求めて空を仰ぐ。
既にヒュージは陣形を解き、単機か二機編隊でばらばらに旋回を続けていた。そうして代わる代わるに降下と機銃掃射、離脱を繰り返し、攻勢の主導権を握って放そうとしない。
このままではジリ貧だ。普通ならば。
しかし幸いなことに、ここには普通でない人物が居た。
「梨璃、二水さん。合図をしたら、私の真上にグレネードを撃ってちょうだい」
「お姉様? ……分かりました」
「えっ? は、はいぃ」
突然の夢結からの要求に、二人は困惑しながら頷いた。
「それから楓さんはレジスタをお願いします」
「はぁ。夢結様が何をなさるおつもりなのか、察しが付きましたわ。ここは信じると致しましょう」
楓がそう言うと、この場の七人が持つチャームのコアが淡く輝いた。レジスタによってコアの出力が向上し、チャームの出力が増大していく。
「まずはわたくしと梅様と鶴紗さんで敵の気を引きましょう。特に梅様、訓練では見られない動きを期待させてもらいますわ」
「へいへい。うちの司令塔は人使いが荒いことで」
不承不承といった調子で梅が頷く。
遅ればせながら鶴紗にも夢結の意図が分かってきた。梅の方は、恐らく初めから察していたのだろうが。
そうして楓による発砲を皮切りに、作戦が開始された。
小口径ながら優れた連射性能で弾幕を張るジョワユーズ。鶴紗のティルフィングも狙いを付けず、とにかく少しでも多くの砲弾を撃ち上げていく。
その弾幕の下で、梅が駆ける。駆けながら時折止まって砲を撃つ。縮地は使わない。気を引くのが目的だから。
ヒュージの群れは空の上で舞っている。
ぐるぐると円を描くように。
獲物を探る猛禽類のように。
鷹のように。
そうして鷹が爪を向けたのは、あえて発砲を控えていた夢結ではなく――――
「変更! 鶴紗さんの上!」
夢結の急な支持変更にも、梨璃と二水はよく応えた。グングニル銃口下の発射管から、気の抜けるような音と共に
そこに夢結のブリューナクの砲撃。
空中で続けざまに撃ち抜かれた二つの擲弾が炸裂し、辺りに爆風と黒煙がもうもうと立ち込める。
しかし特型を捉え切ることはできない。ただでさえ弾速の遅いグレネードでは無理がある。
特型を捉えたのは、宙に漂う黒煙から飛び出してきたブリューナクの刃。
「ふっ」
逆袈裟に振り上げられた夢結の一閃が特型の翼を斬り付けた。
バランスを崩し、しかし機体を無理矢理に捻って旋回した特型が、夢結から逃れるようにその矛先を変える。
鶴紗へと。
「って、また私かっ」
急ぎティルフィングをブレイドモードに。
この際自身に襲い掛かる光弾の掃射は無視し、横薙ぎに剣を払う。
すれ違いざま、被弾して顔から地面に倒れ込む鶴紗と、胴体からヒュージ特有の青い体液を噴き出す特型。
手応えはあったが、浅い。
鶴紗の勘の通り、特型は西へと機首を傾けジェットを吹かした。
西。それはさっきまで大型ケイブがあった方角。今はケイブは存在せず、二人のリリィが残るだけ。
速度と高度を上げる特型を、地上から伸びる一筋の光が貫いた。
間を空けてもう一発。更にもう一発。
それでも特型は飛ぶことを止めず、まるで爆発するかのように炎を噴射し西を目指す。
「ごめん、仕損じた」
謝罪の通信を入れてきたのは、狙撃を実行したであろう雨嘉だった。
他の者は他の者で、戦場に留まったカウダ型の生き残りに対処している。後詰と言わんばかりに、追撃などさせぬと言わんばかりに、一柳隊に激しく襲い掛かってきたからだ。
「どうして、また……。あぁ、くそっ!」
鶴紗は地に伏した状態で拳を地面に叩き付けた。
特型に受けた傷はもう治っていた。代わりに拳が傷んだが、それもその内消えていった。
傷は治るが痛みは残ったまま。
「鶴紗、駄々捏ねてないで立つんだ。まだ敵は残ってるゾ」
「でも梅様、またあいつを……」
「ああ、滅茶苦茶しぶとい奴だな。ワンワンの狙撃でやれたと思ったのに」
傍らに寄って来た梅の口調は、どこか諭すような緩やかなものだった。
「でも梅たちだって、しぶとさでは負けてないだろ? 皆こうして無事なんだ。だからまあ、またチャンスはあるさ」
「私たちが、生きてる限り?」
「そうだ。生きてるだけでチャンスの連続だ」
根拠は見出せずとも、そう言い切る梅の言葉を鶴紗は信じようと思った。どこか寂しそうな笑顔で、励まそうとしてくれたから。
真鶴にて一柳隊と特型ヒュージが交戦したその日の夜。
高松咬月は学院の執務室である理事長室ではなく、彼個人の私室で執務机についていた。
机の上、宙に浮かぶホログラフのディスプレイ。そこには『SOUND ONLY』という文字が映るのみ。
「横浜では派手にやったそうじゃないか」
ディスプレイは咬月と同年代らしき男性の声を発している。
「横浜? ……おお、そうでした。横浜と言えば、倉庫区画に現れたヒュージを、外征中に偶然居合わせた我が学院のリリィたちが討伐していましたな。いや、地元ガーデンの領分を侵す真似をして申し訳ない」
立て板に水の如く流れる白々しい台詞。これはお互いに想定内だ。
「まあ、構わんがね。君たち百合ヶ丘の
「秘密主義というものは、往々にして不幸な掛け違いを生みますからな。当方でも戒めております」
人助け。
百合ヶ丘の特務レギオンによる強化リリィ救出作戦。
それは表向きは『正義の集団』とされているゲヘナ施設への襲撃を意味していた。
決して表沙汰にできない行為だが、内調――内閣情報調査室――にはあえて漏れるように動いている。もしも本当の意味で極秘作戦となったなら、ディスプレイの向こう側に居る人物は間違いなく百合ヶ丘女学院に対して騒乱罪を適用しようとするだろう。
たとえどう取り繕ったとしても、それは人道を錦の御旗に掲げたテロリズムなのだから。
「しかし君のガーデン、本当に見事な手際だな。これでは泡を食って押さえ込もうとする連中が出てくるのも無理はない」
「大袈裟なことです。うちの生徒も含めて、リリィは年端も行かぬ子供に過ぎませぬ」
「子供、か。くっ、くくくっ……」
咬月の言葉に対し、皮肉げな笑いが返ってくる。
「咬月君、君は常日頃から外に対してリリィのことを子供と称している。だがその実、学院内では広範な自治権を与え大人同然に尊重しているじゃないか。これは大いなる矛盾だ」
「…………」
「まったく、食えない男だよ。君は」
「お褒めに
平静を保つ咬月。
すると相手が鼻を鳴らし、なおも追及してくる。
「フン。その子供とやらに
核心を突かれる。
だがそれはリリィに命運を託している時点で、百合ヶ丘のみならず全世界が共有する問題でもあった。
「いかな理由があろうとも、子供を戦渦の中に送り出すその咎は、いずれ必ず私と姉が地獄で受けることでしょう」
「……冗談だ。少なくとも現状では、君たちに任せるのが最善なのだから」
ディスプレイの向こうから溜め息が聞こえてきた。
もっとも、この程度の冗談は二人にとって軽い挨拶に過ぎない。
やや間を置いて、咬月は本題を切り出す。
「時に総理、本日連絡させて頂いたのは、以前にお尋ねした安藤少将の件です」
いかに有力ガーデンの長とはいえ、本来なら防衛省や安全保障審査委員会を通すべき相手。
しかしその安保審査委に問題があったことも鑑み、二人は直接コンタクトを取っていた。
「こちらも気になったので調べておいた。先に結論から言うと……少将の遺体あるいは遺骨の行方は今もって不明だ」
かつて静岡失陥の責で戦犯指定された陸上防衛軍少将。安藤鶴紗の父。
ヒュージとの戦闘で戦死した父の亡骸を探して欲しい――――
横浜技術実証隊から学院に帰還した彼女が、咬月に相談した内容がそれだった。
戦闘の余波で遺体が行方不明になるのは往々にしてあること。だが今回のケースには当てはまらない。何故ならば、安藤少将が率いていた独立混成旅団司令部の人員は、全員遺体が確認されていたからだ。
ヒュージの支配は基本的に点の支配でしかないため、状態さえ気にしなければ遺体の確認はそれほど難しいことではなかった。
「それは何とも異な事。戦犯扱いとは言え、いや、だからこそ遺体の管理は厳正になるのでは?」
「もっともだな。考えられるとしたら、軍が何らかの理由で遺体を逸失し、責任逃れでその事実を隠蔽したというところか。それにしたって逸失した理由が分からんが」
話に耳を傾けつつも、咬月は別の可能性に思いを巡らす。
しかし答えは出てこない。
総理の言葉を疑いはしたが、軍以上に政府には隠す理由が見つからない。
結局、調査は暗礁に乗り上げてしまったのだ。
(情けない……。生徒に墓参り一つ満足にさせてやれぬとは。本当に情けない)
拘泥たる思いで歯噛みする。この体たらくで、一体どうして大人を名乗れるというのか。
そんな咬月の内心をよそに、総理が話を変えてくる。
「今日は私の方にも言うことがある。例の人造リリィについてだ」
「一柳結梨ですな」
咬月は気持ちを切り替え、身構えた。
「彼女の処遇に関して政府が助け船を出したこと。当然善意だと思ってはいないだろう」
「はい」
「彼女の身柄がゲヘナに渡り、万が一にでも量産化に成功したならば、この地球上で奴らに逆らえる存在はいなくなる。ヒュージを除いてな」
量産化、という総理の言葉に咬月は激しく反応しそうになる。
だが表には出さない。咬月はそこまで若くない。
「量産については杞憂だったようだがね。後発の人造リリィは見られないし、百合ヶ丘でも詳細は解明できていないのだろう。ならば当面の危惧は去ったと言える」
「そうですな」
「既に存在する彼女に関しては、君の所ならば戦力として上手く活用してくれることだろう」
「ご期待に沿えるよう、善処致します」
結梨にレギオン復帰を認めた最大の理由がここにあった。
本人の意思といったら聞こえはいいが、それはあくまで免罪符に過ぎない。詰まる所、総理の無形の圧力に屈してしまったのだ。
ただ、具体的な運用にまで口を出されないのは幸いだった。その辺りは流石に理解してもらえたようだ。
あとは一柳梨璃という少女と、彼女の仲間たちの采配に委ねるのみ。
これもまた、大人として無責任極まる話であった。
「しかし、彼女には感謝もしている。彼女のお陰で身内に、安保審査委に紛れ込んでいたゲヘナの走狗を焙り出せたのだから」
「焙り出せた、ですか。受け身ばかりですな。時には攻めに転じてみるのはどうですかな?」
「ふむ。実の所、ゲヘナを押さえ付けること自体は、そう難しくはないのだよ。確かに奴らは政・官・財・軍と各界にシンパを作っているが、それ故に方々から恨みも買っている」
「であるならば、何故なさらないのでしょう?」
「難しくないからこそ、不用意にはできないんだ」
そこで一旦、会話が途切れる。
ややあって、ディスプレイから大きく息を吐き出す音がした。好物の葉巻を吸っているのだろう。
「君は知っているかね? 統合幕僚監部の急進派と
「それは、あまりにも……」
「ああ、そうだ。ふざけてる。この国で内戦でも起こす気か。維新気取りの馬鹿どもがっ」
忌々しそうに、本当に忌々しそうに総理が漏らした。
要は強権発動の前例を作りたくないのだ。後々起こり得る暴走を危惧して。今はよくても、今後急進派に迎合する政権が生まれないとは限らない。
やるならば先にそれら急進派をどうにかする必要があるだろう。
今やゲヘナはその関連企業も含めると、チャーム開発は勿論、医療、製薬、電子、保険といった様々な分野に進出していた。ゲヘナそのものに対する攻撃は、それら全ての分野に重大な影響を及ぼしかねない。故に慎重にならざるを得なかった。
それが分かっているため、百合ヶ丘も公然とはゲヘナを糾弾しないし、ゲヘナもまた事を荒立てるのを嫌うのだ。
「それに、だ。奴らの技術、腐らせるには惜しいものがある。民生分野でもそうだ。例えば君の所の卒業生も世話になっている同性間妊娠技術だが。これは奴らの『リリィ同士で子をなせば優れたリリィが生まれるのではないか』という狂った発想に促進された面が否めない」
「そのような、『戦争が文明技術を発展させた』と言わんばかりの論には賛同しかねますな」
「フン、相変わらずそういうとこは潔癖なのだな。まあ、君はそれで良いさ」
一呼吸置いて、総理の声色が僅かに変わる。
低く、鋭く。
「何にせよ、ヒュージであれゲヘナであれ軍であれ、この国に仇なす者にはいつか報いを受けさせる。君の百合ヶ丘がそうならないことを、願っているよ」
長い付き合いの咬月には分かる。これは単なる脅しではないと。この人物は軍もガーデンも、そして自分自身さえも、国家防衛のための
やがて二人の間に沈黙が訪れる。
「お互い年を取りましたな」
通信を切られない内に、咬月がおもむろに口を開いた。
「昔は良かった。貴方は外交官として各国の調整に飛び回り、私は前線でヒュージと対していた。あの頃はただひたすら眼前の事に当たっていられた」
「……懐古は、不毛だ。昔と今では立場が違う」
「いかにも、互いに立場は違います。一国を背負うというのは、私ごとき
ガーデンと国家。理事長代行と政府首班。昔と違ってそこには大きな隔たりがある。
「しかし貴方がこの国を想っているように、私もまた学院とリリィたちを想っているのだと、それだけは申し上げておきたい」
返事の無いまま、ホログラフのディスプレイがプツリと消え去った。