最強ノ一振り   作:AG_argentum

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再会①

「お疲れ様っす」

 

「おっ、とりまるくんおかえりー」

 

「む、かえってきたか。とりまる」

 

 玉狛支部の扉を開けた烏丸を迎え入れたのは宇佐美、陽太郎。そして。

 

「バイトお疲れさん、京介」

 

 迅らが備え付けのソファーでテレビを見ていた。

 

「迅さん、珍しいっすね」

 

「おれが玉狛にいるのがか?」

 

 迅にも自覚があるのだろう。趣味を暗躍とし、席に着いていないこともある迅が食事時に玉狛にいることを烏丸は久しぶりに見た。

 

「そっすね。ひょっとして小南先輩の機嫌が良いのと関係してますか?」

 

 適当に、とは少し違うがあたりをつけて聞いてみる。

 

「あれ、なんでこなみ?」

 

「いや、バイトが終わってから電話鳴らされまくりだったんっす。そん時やけに機嫌が良くて。さっきもいつ帰ってくるんだ、って言われました」

 

「んもー。やめといたらって言ったのに」

 

 烏丸からの報告に宇佐美は呆れた様につぶやく。

 

「それで、何があったんすか。小南先輩もそこだけは口を割ってくれなかったんすよ」

 

「ふっ、しりたいかとりまる。じつはだな」

 

「あっ、陽太郎! ちょーっと黙ってようか」

 

「むぐっ。なにをするしおりちゃん」

 

 宇佐美は無邪気にも事情を話そうと得意げな顔をした陽太郎を抱き寄せながら口をふさぐ。陽太郎はもごもご、とどうにか言おうと抵抗を見せるがいくらわんぱく盛りの陽太郎といえど、流石に十歳以上離れていてはどうにもならず宇佐美に閉口させられてしまっていた。

 

 この二人のやりとりを見て、ますます烏丸は興味を強めた。いや、ここまでくればなぜ自分には小南も宇佐美も教えてくれないのか疑問にも思えてくる。それに先ほどの小南の電話では来たらすぐにわかる、と言っていた割には未だに分からずじまいだ。支部内部の様子はあまり変わった様には思えない。

 

「そうだな、うん」

 

 そんな疑問を知ってか知らずかソファーに腰掛けていた迅が立ち上がり呟いてみせる。その呟きは烏丸にはどこか覚悟を決めたものに思えた。

 

「京介、屋上に行こっか。おまえに会わせたい人が居る」

 

「会わせたい、人っすか?」

 

 そう、迅は真剣な面持ちで烏丸に提案した。

 

「ああ、ついてきてくれ」

 

 =======

 

 

 一階に宇佐美と陽太郎を残し、烏丸は迅に連れられて玉狛支部を移動し始めた。

 支部の隊員たちが寝泊りする二階の居住区を通り抜け、隊員たちがたむろするリビングやキッチンがある三階では一階で見かけなかった小南と木崎がいそいそと夕食の用意を行なっているのが烏丸の目に入った。

 

 烏丸は二人に一声かけようと前を歩く迅に先に行っておいて下さい、と告げてから足を止める。

 

「お疲れ様です。レイジさん、小南先輩」

 

「帰ってきていたか、京介」

 

「おかえり、とりまる」

 

 二人は一瞬だけちらりと烏丸を見ると、すぐさま作業を再開する。どうやら買ってきた肉塊と色とりどりの野菜を一口サイズにカットしているようだ。こんもりと二人の間には準備万端の肉野菜の山が出来上がっている。

 

「……。京介、屋上に行くのか?」

 

「そうすけど。なんすか」

 

 木崎は視線を手元から離さず、躊躇いがちにだが烏丸に話しかけた。

 

「いや。晩飯のことは気にするな、とだけ言っておく」

 

 いまいち脈絡のない、木崎にしては珍しい物言いに烏丸は僅かに困惑を覚え首をかしげる。一年以上この支部に所属してわかった事だがこの人は今みたいに言葉を濁すような言い方はしない。理路整然と言うべきことを確実に相手に伝える。

 

 どういうことか。そもそも会わせたい人とは誰なのか? 

 

 そう烏丸が口を開きかけた時、それに待ったをかけるよう木崎の横で黙々と、時偶肉の筋に悪戦苦闘しながら作業していた小南が手を止め、会話に割って入ってきた。

 

「いいからさっさと屋上に行ってきなさい。行けばわかるから」

 

「行けば、っすか」

 

「そうよ、行けばわかる」

 

 尚真意の掴みきれない一言に烏丸の疑問は更に深まった。

 ただ小南の一言でわかったこともある。言葉通りであるが屋上に行けばわかる、ということだ。

 

「なら、すぐ行きますね」

 

 止めていた足を再び動かし始める。階段の手すり上部からは迅が顔を覗かせていた。先に行っておいてくれと確かに言ったのだがどうやら意地でも一緒に行くつもりらしい。

 

「いいわよ別にちょっとぐらい遅れたって文句言わないわ。あんたも散々待たされたんだから

 

「なんか言ったすか。小南先輩」

 

「別に、気のせいじゃない?」

 

 歩みだした烏丸の背後で小南が呟くが残念ながら烏丸の耳には届かない。小南は何もなかったように止めていた手を動かし始めた。

 

 =======

 

「それで、誰なんすか迅さん。俺に会わせたい人って」

 

「大丈夫。すぐに分かるさ」

 

 階段の先を行く迅の顔は烏丸からは一切見えず、未だに誰に会わせたいのかは見当がつかない。

 三階から屋上へと続く階段を上り、もはや目前。屋上へと出るドアのノブに迅は手をかける。しかし。

 

「迅さん?」

 

 烏丸は前にいる迅に呼びかける。視界にはまるで石像のように固まり、微動だにしない後ろ姿が映った。

 

「何でもない、行こっか京介」

 

 数秒の静寂の後に言葉そのまま。普段烏丸が目にする顔つきで迅は振り向き、ドアを開け屋上に一足早く出る。

 

「えっ?」

 

 迅に続く形で屋上に出た烏丸は図らずそんな声を上げてしまう。

 

 迅の背中に隠れる形で先ほどまで見えていなかったが屋上には先客がいて、烏丸が訪れるのを待っていた。

 その先客を視界に入れた瞬間、烏丸の頭が真っ白になる。

 

 夢か。

 幻か。

 冗談か。

 

 いや、紛れもなくここは現実だし、彼の足元からは影が薄っすらと伸びている。そしてこれはきっと冗談ではない。

 

 しどろもどろとした足取りで前に立っていた迅を押し除けその人物へと近づいて行く。

 その姿が嘘でないように心で祈り。確認するように何度も見直しながら近づいて行く。

 

 そしてその男性の顔を見て烏丸は震える声で最後の祈りを込めて呟いた。

 

「来栖、隊長?」

 

 =======

 

 空の色が茜から黝に変わろうとする中、玉狛支部所長。林藤匠は屋上のパラペットに腰掛け煙草を空へと細く燻らせながら待ち人の片割れがくるのを待っていた。

 

 ガチャり、と屋上のドアが開けられる。

 

「おう、来たか。来栖」

 

「お疲れ様です、支部長(ボス)。言われた通り換装して来ました」

 

「連絡がきちんといってたみたいだな。とりあえず飯食って風呂入るまでは換装体(それ)でいてくれ」

 

 傍目から見れば来栖の姿は病院からこちらに来たときと同じ普段着。

 しかしその実態はトリオンで構成され、戦闘用トリガーなどの基本装備を取っ払った云うならば日常用の換装体になっていた。

 

「わかりましたけど、飯食べるときはずっと換装体(これ)でですか?」

 

「暫くの間はな。多分その状態なら飯もしっかり食えるだろうし肉も付けやすい。ただ満腹にはなりにくいだろうから食べ過ぎには気をつけろよ」

 

「おっしゃってる意味がよくわかんないんですが?」

 

「あーそうだよな。説明しねぇといけないんだよなぁ」

 

 林藤はメンドくさそうに煙草を持っていない空いた手で頭を搔く。一頻り悩んだ様子を見せてから煙草をひとふかしして口を開けた。

 

「トリオン体になってる時は生身のときと違って消化効率がすげーいいんだ。ついでに満腹中枢も刺激されにくい。以前のおまえと比べればやっぱ細いからたらふく食え、と言いたいんだが食い過ぎたら食い過ぎたでやばいからな。気をつけろって話だ」

 

「なるほど。つまり程々に食えってことですね」

 

「まあ、ざっくり言えば……。来栖、ちょっとこっち来い」

 

 林藤はその場から立ち上がり来栖を手招きする。

 

「どうしたんです、支部長(ボス)?」

 

「あっこにいるやつ見えるか? あれがおまえに会わせたいやつだ」

 

 林藤はそう言いながら河川敷を歩く、常人ならばまだ輪郭程度しか掴めないだろう人影を指差す。

 

 しかし今の来栖は視力も強化されるトリオン体。ボストンバックを肩に掛け、なにやら電話を片手にしている顔立ちの整った男性がはっきりと見えた。

 

「⁉︎」

 

 ドクン、と一際大きく心臓辺りが跳ねる音がした。

 そしてそれに呼応するよう身体中の血管が踊り狂うように暴れ出し、事故で負った胸の傷が熱を持つ。熱は伝播するよう全身に広がり、また頭部には狂いそうになる程痛みが走った。

 

 来栖は思わず手で頭部を覆い、その痛みと熱に耐えきれず側にいる林藤に寄りかかる。

 身体は熱せられる水のようにぐんぐんと温度を上げていく感覚に襲われ、頭部はまるで針を何千本と直に突き刺されているような激しく鋭い痛みを味わわされる。事故で負った胸の傷がやけに熱い。来栖は頭を覆っていない手で服の上から押さえつける。

 

 ──あっ、ヤバイ。

 

「おい、来栖⁉︎」

 

 林藤の叫びと重なるように来栖は視界が真っ暗となり、まるで糸の切れたマリオネットみたいにその場に倒れ込んだ。

 

 =======

 

 昏い、不思議な世界で目が覚めた。

 

 辺りを見回してああ、またか。と無感情にも思ってしまう。どうしていつの間にこの世界に来ているのかは知らないが、兎にも角にも来てしまっている。

 

 この前ここに来たのはいつだったろうか。暫くではあるがそんなことに頭を捻ってみた。

 

 けれどああ、ダメだ。うまく思い出せない。うまく頭が回らない。

 邪魔をするのだ。胸を何度も切り裂くこの痛みが。鐘を打つみたいに叩きつけられる頭部の痛みが。身体中を駆け巡るこの痛み、泣き叫んでしまいたいと思えるこの痛みが思考の邪魔をする。

 

 何より、気持ち悪い。この世界はやはり気持ち悪い。光の無いこの世界は気持ち悪い。

 この昏い世界が今にも自分を飲み込んで、自分という存在を消してしまいそうで気持ち悪い。

 

 痛みと気持ち悪さが考えることを邪魔し続けていた。

 

 けれど暫くすると痛みはまるで鎮静剤を打たれたみたいに薄らいでいく。

 勝手ながら安堵した。この気持ち悪さだけで堪えるというのにプラスアルファがあってたまるかと思っていたから。

 

 だがそれも束の間。痛みは別に消えた訳ではないとわかって安堵は絶望に変わった。

 

 指先が、足先が。文字通りこの世界に溶け込み始めていた。見えていた肌は徐々に世界に同化する。先ほどまであった感覚が無かったものになっていく。

 同化。もしくは消去。それが徐々に自分という存在になされていっていた。

 

 ああ、なるほど。と絶望する感情の裏で冷静に慌てふためくことなく理解する。

 

 先ほどまでの痛みは別に消えた訳じゃない。その形、作用を変えただけなのだ。

 激痛を与える毒から、侵食するみたいに自分の体をこの世界に溶け込まさせる毒に。

 

 絶望する。その毒に対する対処を知らないから。その毒から逃れる術を知らないから。

 何より、この絶望に対して立ち向かおうとする意思が自分にはないことに絶望する。

 

 ただただ侵され、死んでいく。

 

 この昏い世界から抜け出すためのもの、それを自分は忘れてしまっていたから。

 

 気づけば毒は既に自分の肢体を溶かしていて残すは胴体と頭だけ。

 

 嫌だ、と大して拒絶する訳でもないのに呟いた。もっともその呟きすらこの世界に溶けていってしまったが。

 

 毒が身体を蝕んでいく。胴体は世界と一体化を果たし、後はもう頭だけ。無情に世界は自分を消し去る。

 そう諦めた手前で世界に変化は起きた。

 

『俺はココで最強に成ってみせる』

 

 誰かの声が確かに聞こえた。残されていた耳がその声を拾う。

 

 それは救いの声だった。

 世界と同化、消失しかかっていた胴体と肢体が姿と感覚を取り戻させる。

 

『員、きみには』『んたは俺が堕と』『励めよ、来』『っけんなよ来栖テメェ!』『ました? オ』『れが君専用のトリガーだよ』

 

 一つ一つ唐突に。この世界で声はより鮮明に聞こえてきた。

 

 聞き覚えのない声。知らない声が無数に聞こえてきて、普通なら怖くなりそうなのに不思議と声に恐怖は抱けない。

 

『なに言ってんのよ。まだあた』『減にしろ、戯』『美栞です』『分かりました、頼』『りあえずおまえは飯を』

 

 言葉は中途半端に切り抜いたみたいに不完全で、意味を読み解く前に次の言葉が矢継ぎ早に聞こえてくる。

 

『こは俺が凌ぎます』『かせたぜ、来栖』『そのまま突っ込んでく』『栖さん! 後ろから』

 

 言葉は次第と光を帯び始める。言葉がこの鼓膜を打つ度に真っ昏な世界に小さな光がポツポツと出現し始めた。

 

 ああ、思い出せた。思い出した。

 

 なお増え続ける光は昏闇の世界で一筋の路を作り出す。

 五体満足。どこの感覚も欠ける事なく、光の路に自分の存在が接地する。

 

 ああ、思い出せた。思い出した。この光が自分を救ってくれたのだと。

 

『最強は、俺だ』

 

 この言葉は特別だったのかもしれない。

 

 光は一気に輝きを増す。世界はさっきの自分みたいに光に飲まれていく。昏闇が光に飲まれていく。

 

 やがて光が昏闇の存在を許さないとばかりに喰らい尽くした時。

 俺は、来栖響はいつかみたいに……

 

 

『また会おうぜ、来栖響』

 

 =======

 

「っはぁ!」

 

 夢から醒めるように意識が現実に浮上する。息も絶え絶え。溺れていた人間が助けられたように来栖は喘いでみせた。

 

「おい来栖! 大丈夫か⁉︎」

 

「はぁはぁはぁっ。林藤さん?」

 

 顔に息がかかりそうなほど寄せられた林藤の目と目が合う。その表情は酷く焦っているように見えた。

 いまいち状況がわからないまま来栖は息を整えてから林藤の名を呼んだ。

 

「大丈夫か? なにか体に違和感は?」

 

 同じ形相のまま林藤は来栖に尋ねた。来栖はそれと真反対の惚けた様子で質問に答えた。

 

「大丈夫、です」

 

 知らぬ間に屋上の地面で仰向けになっていた体の上半身をゆっくりと起こし、来栖は胸、頭。そして全身と触っていって異常を確かめていく。

 

「うん、大丈夫」

 

 来栖は思った事をそのまま呟いた。

 

「本当にだな。無理していないんだな」

 

 念を押さんとばかりに林藤は心配そうに聞いてきた。

 

「大丈夫ですよ。ただ、えっと。なにがあったか説明して貰ってもいいですか?」

 

「来栖、おまえ憶えてないのか?」

 

「いや、急にしんどくなったとこまではわかるんですけどその後が」

 

 来栖はお恥ずかしい、とばかりに頭をかく。

 

「倒れたんだよ。その場でふらっ、ってな。ギリギリのところで支えれたから良かったが頭とか打ってはいない、よな?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 朗らかに笑って来栖は答える。

 しかし座り込んだままでは説得力のかけらも無い。来栖は林藤を安心させようとその場で立ち上がろうとした。

 

「ほら、っ!?」

 

 しかし、来栖の気持ちとは裏腹に立ち切る前に膝から力が抜けてしまい、体は林藤にもたれかかるようふらついてしまった。

 

「おい! やっぱり無茶してるんじゃないのか⁉」

 

「いや大丈夫、大丈夫です!」

 

 半ば林藤を突き放すような形で来栖はそこから一人で立つ。

 

 来栖はそれから何度も林藤に。そして自分に言い聞かせるように大丈夫と言うが説得力は減る一方だ。なにせ来栖は何事もないように振る舞っているが林藤からは精一杯歯を食いしばって立っているように見えたのだから。

 

「なあ来栖。烏丸の件だが今日はやめておくか?」

 

 見兼ねた林藤が来栖にやさしく提案する。それは来栖の現状を見れば当然のものだった。

 体調が万全とは言えないこの状況はタイミング的に烏丸を来栖が見てしまったからだろう。見るだけでそうなってしまった人間に会わせるなんて行為はなにが起こるかわからない。だからこその提案だったのだが。

 

「いえ、今日会う必要がある」

 

 ときたまふらつく体を気力で無理やり静止させ、来栖はしっかりと強い口調と意思でそう告げた。

 

 予感がしたのだ。不確かで確証なんてこれっぽちもない、打算に近いものではあるが。今日彼に会えば何かを掴む。そして今日彼に会わなければ、二度とその何かは掴めない、逃してしまう。

 

「今日会わないといけない」

 

 林藤をにらむように。梃子でも動くつもりはないとその視線で主張して、来栖ははっきり言いきった。

 

「来栖……」

 

 林藤の顔には躊躇いが見えた。

 来栖とてわかっている。これは我がままであり正しいのは林藤の提案に乗ることだ。だけども。

 

「お願いします支部長(ボス)。彼と会わせてください」

 

 これがきっと未来を変える選択だと信じて。来栖響はそう告げた。

 

 =======

 

 屋内と屋上を隔てるドアのガラスに影が映る。

 

「来るぞ、来栖」

 

 隣の林藤のつぶやきに来栖はコクリと無言で頷いてみせる。

 胸によぎる不安を押さえ込んでそのドアが開けられるのを待った。

 

 影が映って数秒経ってから開けられたドアからはまず迅が屋上に足をつけた。

 そしてその背からは()が続くように姿を表す。

 

「えっ?」

 

 まるで鳩が豆鉄砲撃たれたみたいに彼は随分と情けない声を出す。

 

 彼は口元を震わせながら、ゆっくりと迅を押しのけるようしながら来栖との距離を詰めてきた。

 そしてその手が届きそうになる程近づいて彼はその口を開く。

 

「来栖、隊長?」

 

 ああ、君なんだ。と来栖は頭の中で符合させる。

 あの暗闇の中で聞こえた声の一つに彼の声はそっくりだった。

 

 そして彼のその呼びかけに来栖はドキッとさせられる。

 今の俺は(『来栖響』)ではないのだから。

 

『別に問題ないわよ、きっと。でも、泣かれる事ぐらいは覚悟しときなさい』

 

 大丈夫。後押しは既にして貰っている。

 決めた覚悟から逃げるな。逃げようとするくらいなら初めから会おうとするな。

 締め付けられる胸の苦しみに無視を決めて、あらかじめ決めていた言葉を発する。

 

「初めまし、って!?」

 

「初めまして」そう言うつもりだったがその前に烏丸が思い切り来栖の胸に飛びついた。

 来栖は烏丸の勢いに耐えきれず、あえなく押し倒されてしまう。

 

 突然の出来事に来栖は痛い、と言おうとしたが抱きついてきた烏丸の一言が来栖の口に蓋をした。

 

「本物、っすよね」

 

 烏丸は来栖の胸に顔を埋めるように呟いた。

 

「そう、だね。俺は来栖響だ」

 

 烏丸の問いに来栖は正直に答える。

 

「でも、俺は来栖隊長じゃない」

 

 そして戸惑いと覚悟を乗せて言葉を続けた。

 

 バッ、と埋めていた顔を烏丸があげる。

 どう言うことだ? と言わんばかりのその表情からは困惑が簡単に読み取れた。

 

 来栖は意を決して口を開こうとする。しかしそれを。

 

「もう十分ですよ、響さん」

 

 二人を見守っていた迅が遮った。そして有無を言わせぬと間を一切置かずに言葉を続ける。

 

「京介、大事な話がある。落ち着いて聞いてくれ」

 

 ゴクリ、と烏丸の息を呑む音が聞こえる。それが来栖にはやけに印象に残った。

 

 =======

 

「来栖隊長が記憶喪失」

 

 来栖が目覚めた九月からのあらましを迅から聞いた烏丸は未だその事実を飲み込めていないのだろう。大きく驚くわけでもなく、俯きがちにその事実だけを口にした。

 

 烏丸は迅と会話を始めてから来栖にずっと背を向け続けている。そのため来栖には一体何を烏丸が考えているのか。その背中からは及びもつかないでいた。

 屋上という空間に緊張が張り詰める。解放的な空間であるはずなのに来栖は息苦しさを覚えた。

 

「……。それでも」

 

 烏丸は振り返り、来栖へとその視線を向ける。

 

「それでも俺はあんたが起きてくれて嬉しいっす。ずっと待ってたんすから」

 

 目尻から一条の雨粒を流し、烏丸は静かに呟いた。

 

「おかえりなさいっす。来栖さん」

 

 

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