玉狛支部の屋上からは煙が立ち上っていた。
無論火事などではなく、夕食たる焼肉が屋上で行われているからだ。
炭で焼かれた肉が食欲を掻き立てる匂いを放つ。
俺はいい感じに金網で火が通された肉を皿にのせ、レイジさん特製のタレにつけて噛み締める。
口の中に大量の肉汁が広がり、舌鼓を打った。
肉もさることながらやはりこのタレ。これがいい。醤油をベースに作ったのであろうこのタレは肉の味を邪魔することなくそれでいてまろやかな味わいだ。
レイジさんの作るとんかつと焼肉。どちらを食べたいかと言われれば圧倒的前者だが、このタレがあるなら甲乙付け難い。
「どうだ、京介。楽しめてるか」
「迅さん」
ごくん、と十分に味わった肉を胃に流しこみ、俺は肩に置かれた手に反応する。
「まあ、それなりに楽しんでますよ」
「それは良かった」
俺は迅さんと目を合わすことなく、思った事をそのまま述べる。
視線の先には小南先輩やレイジさん。そして陽太郎と談笑し、屈託の無い笑みを浮かべる来栖さんを俺は見ていた。
随分と懐かしいものだ。
一年以上寝顔だけを見続けたというが一番の理由だが、そもそもあんな笑みは片手で数えるほどしか見ていない。あの人が笑うようになったのは隊ができて随分と経ってからのはずだから。
「迅さん」
「ん? どうした」
それはさておき。俺は聞かなければと思っていた事を迅さんを横目に口にした。
「来栖さんのこと、なんで太刀川さん達にだけでも伝えなかったんすか」
「ああそのこと、か」
予期していたのだろうか。あるいは
迅さんはあっさりと返答した。
来栖さんが起きたのが9月というのならまだ遠征には行っていないはず。 あの人達は、もしかすれば俺以上に来栖さんが目覚めるのを待っていたかもしれないというのに。なぜ俺には教え、太刀川さん達には教えないのか。
「京介の疑問はもっともだよな」
迅さんは手に持つコップの中にある水に映った自分の顔を眺めるように視線を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「まず太刀川さん達は遠征までもう秒読みに入ってたし、教える事で良くない未来が増える可能性があったからっていうのが一番の理由かな」
僅かだけどね、と迅さんは付け加えるが俺は迅さんの発言に目を細める。
迅さんは明言こそしなかったが、言わんとする事はわかる。
なるほど、と理解を示す。たとえそれが僅かであろうとも、リスクは限りなく少なくするべきだ。それを増やすなんてとんでもない。
「それと」
横目に見ていた迅さんに俺は目を引き寄せられる。
迅さんの顔は怒りを堪えるようにしかめられ、続きを口にした。
「太刀川さん越しに城戸さんに来栖さんの存在を知られる可能性を少しでも下げたかった」
「どういう事ですか」
思った疑問をそのまま口にする。
確かに太刀川さん達は城戸総司令の派閥の人間だ。報告がいくかもしれない。
そういえば、林藤さんも来栖さんについての報告は忍田本部長と側近の沢村さんにしかしていないと言っていた。
何故そこまで城戸総司令に連絡されたくないのか。忍田本部長が良くて、城戸総司令が駄目なのか。
俺にはそれが分からなかった。
「京介。来栖さんが起きる前からある未来が見え続けてた」
「どんな未来だったんですか」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
屋上に一際強い風が吹いて、迅さんの声が消えかける。
「聞き間違いじゃ、無いっすよね」
それでも俺の耳に届いた迅さんの言葉は思わず俺の目を見開かせて、合っているかどうか戸惑いがちに確かめてしまった。
「無いよ。京介の聞いた通りだ」
迅さんの言葉に俺は恐怖を覚えた。
そんな未来があるのか。いや、そんな未来があってしまうのか。
「そうなる未来の可能性は低い。けれど、城戸さんに会わせる訳にはいかない。多分だけどその未来にいく条件は響さんを城戸さんに会わせる事。だから万が一にも会うかもしれない本部の方に連れて行く事を
「そう、っすね」
同意の言葉を呟く。と言うよりその言葉以外が思いつかなかった。
「京介。これは個人的な頼みだ。嫌なら断ってくれていい」
迅さんは視線を上げて俺を見つめる。
先程までの険しい表情は消え失せているが、その真剣味だけは残っていた。
「響さんを強くしてほしい」
迅さんの発言に思わず面食らってしまう。いきなり話が飛びすぎだ。
「さっきの話と全然関係ないっすよね、そのお願い」
「ああ、さっきも言ったけどこれはオレの個人的な願い。オレの望んだ未来を叶える為だ。だから断ってくれても良い」
「そう言いながらも未来見えてんでしょ? 迅さん。わざわざ聞く必要ありますか?」
「わからないよ。未来は無限に広がってるから。それに」
迅さんはそこで言葉を切って俺に背を向ける。
「たとえ見えてても、未来を動かすにはきっかけが必要だからね」
迅さんの顔は俺からは全く伺えず、何を考えているのかは一切わからない。
「きっかけ、すか」
俺は迅さんの発言をそのまま復唱する。
「良いっすよ。その話、受けます。ですから」
未来を動かすにはきっかけが必要。
さっき迅さんが言った言葉だ。
「必ず、いつか太刀川さん達に来栖さんの事を伝えてください。それが条件です」
だから俺は未来を動かすきっかけになる。未来を動かすきっかけを得る為に。
たとえ迅さんのいう未来が未来が待っていようとも、どうにかしてもらわなければ困る。あの人たちもまた待っている人なんだから。
「オッケー。この実力派エリートに任せとけ。絶対にその約束は守る」
迅さんは振り返り、俺にそう言い切って見せた。
「迅さんそれに、えっと烏丸くん。ちょっといい?」
「ん、響さん」
ずっと見計らっていたのだろうか。
ちょうど話が終わったタイミングでさっきまで肉をつまんでいた来栖さんが俺たちに近寄ってくる。
「えっと、話。大丈夫ですか? 随分真剣な雰囲気だったんで」
「大丈夫ですよ。それより楽しんでくれてます? 歓迎会」
「ああ、はい! 楽しませてもらってますよ。凄いっすよね、レイジさん。このタレ手作りなんでしょ。市販品って言われても信じますよこれなら!」
来栖さんは目を輝かせ、まくし立てるように感想を大声で述べた。
視界の隅に映るレイジさんが心なしか笑顔になった気がする。
「なら良かった。それじゃあ、あとは二人でどうぞ」
さいならー、と言ってここから迅さんが唐突に
やられた、と思った頃には遅かった。
大方これも視えていたのだろう。来栖さんは俺に用があるようで、迅さんを追わずじっと側に立っていた。
「あー。気遣わせたかな?」
「大丈夫っすよ。いっつもあんな感じすから」
小南先輩達のいる輪に入って行く迅さんを余所に俺は目の前の人に注目する。
大人びた風格にどこか幼さを混じらせたような様子が俺にはなんだか不思議に感じた。
「あーそうなんだ。そっか。ふーん」
来栖さんは何処と無く上の空で受け答えする。
俺と視線はいつまでも合わず、むしろ意図的にそれしているようだ。
けれどよし、と一言小さく呟いてようやっと目が合う。
「改めまして、なんだけど。来栖響です。よろしく」
ああ、そういえば遮ったんだった。先刻こちらがバッファローの突進みたいに来栖さんに突っ込んだ事を思い出す。
「烏丸京介っす。よろしくお願いします。来栖さん」
俺がそう言うと、なぜか来栖さんは悲しそうな顔をする。
どうしたのか? そう俺が尋ねる前に来栖さんは答えを零した。
「ごめん。君の事を憶えてなくて」
そんな事、と言おうと思ったが口に出なかった。
たとえどんな形であれ、俺にはあんたが起きてくれただけでも嬉しいというのに。
目の前の来栖響の目に圧倒されて俺は何も言えなかった。
「でも絶対に思い出すから。絶対に君のことも思い出す。だからそれまでよろしく頼む」
先ほどのものからは想像できない、毅然とした顔でそう来栖さんは口にする。
力強い目だ。それに懐かしい目。この目に、この言葉に宿る意思に何度過去の俺は助けられただろう。
何も言えず閉口してしまう。その言葉の思いを。懐かしさを噛み締めてしまっていて。
「えっと、烏丸くん?」
来栖さんは無反応な俺に反応を求める。
大丈夫。聞こえてますよ、いつかのあんたじゃないんだから。
「京介。そう呼んでください。俺にはそっちの方が馴染みがあるんで」
「……。わかった、そう呼ばせて貰う。俺のことも好きに呼んでくれ、京介」
ああ、久しぶりにあんたにそう呼んでもらえた。
『京介、あっちのトリオン兵やってくるからこっちの奴任せるぞ』
思わず懐かしい記憶を思い出す。
その思いを胸にしまいこんで、いつかそれがこれから先にも出来ると信じて。
「ええ、これからよろしくっす。来栖さん」
俺は来栖さんを歓迎した。
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──これで借りが返せるなんて思っちゃいない。あんたに受けた恩は大きすぎる。けれど俺が何かのきっかけになれるなら。喜んで俺はあんたを助ける。いつかあんたがそうしてくれたみたいに──
「でさ、早速なんだけどお願い事があってさ」
「ひょっとして修行付けてくれって話っすか?さっき迅さんに頼まれましたよ」
「え、もう!?迅さん仕事早いな。で、その。返答は?」
「勿論、いいっすよ。ただ、普通にきついすから頑張ってください」
「・・・。マジで?」
「マジっす」