「作戦終了。お疲れ様、太刀川さん、出水くん」
「最後の最後、まさか佐鳥にやられるとは」
場は太刀川隊隊室。
オペレーターである国近とつい先ほど嵐山隊
結果は敗北。任務も失敗。
此度の争奪戦は城戸派対忍田・玉狛派の代理戦の側面を有するが、城戸派のほとんどが戦場から強制的に退場させられている。
城戸派の部隊のうち、四分の三が遠征明けという悪条件であったのは確かだが、数の利があったのもまた城戸派だ。
負ける要素はほぼなかった。
そう、負ける要素はほぼなかった。しかし結果は敗北。
ならば。
「柚宇さん」
「なにー出水くん」
背もたれに身を預けたままの国近に出水が声をかける。
返事を返す国近の様子は、まるで空気の抜けた風船のようであった。が、その消沈っぷりをひた隠そうと普段通り、明るい顔を振る舞っている。
「…………」
2年間も一緒の部隊に所属しているのだ。
それが取り繕った表情であると、出水はすぐに見抜いた。
なにより。
自身より先に
眠っているというわけでもなく、呆然としている。
起き上がる気力すら喪失してしまっている。そのように出水は太刀川を捉えた。
出水も、覚悟を決める。
「
事ここに細やかな指摘は必要ない。
この争奪戦が始まってからの尽きぬ疑問。
その答え合わせの時間がやってきた。
明るく振る舞っていた国近の顔が一瞬固まり、すぐに崩れた。
堪えていた涙が溢れ出して、僅かな嗚咽と共に答えは返ってきた。
「
「……ほん、もの」
戸惑いを抱えたまま、思わず復唱する。
国近がそれ以上言葉を尽くさずとも出水は理解できた。
目覚めて、くれた。
長く眠っていたあの人が。意識をとりもどしてくれた。
あの人が玉狛の側に立ったことは理解しきれずとも、喜ばしいことのはず、だ。
ならばなぜ。
「なんで柚宇さん、泣いてんですか」
国近の涙は歓喜によるものではなかった。
いつか見たことのある、悲しみの涙。絶望にも似た啜り泣きが続いている。
泣き続ける国近が、我慢するように出水へ語り始めようとする。
「あの、ね」
「その話は、ちょっと待ってくれないかな。国近ちゃん」
国近の声を咎めた主は、太刀川隊の入り口に立っていた。
出水は弾かれたように反応し、声の主の名を呼ぶ。
「迅さん」
「よう、出水」
色付きのサングラスを掛ける
何をしに来たのか。
皆目見当がつかないなかで、出水は迅の言葉を待つ。
「伝言を頼まれてね。三人に伝えに来たんだ」
「伝言?」
「そ、伝言。
「「!!」」
出水と国近の顔がこわばる。
「内容はね」
「何しに来た、迅」
声は、部屋の奥から聞こえた。
暗がりの影から、幽谷に潜む亡霊のように。
怨嗟の声を上げる太刀川が簡易ベットの置かれた部屋からゆらりと出てきた。
迅への不快感を隠そうともしない太刀川であるが、迅はそれを気に留めなかった。
「時間がないから先に伝えるよ。”会いたいなら来てくれ”だってさ」
「…………!! で、も、今の来栖さんって」
国近が言葉を詰まらせる。
国近は、太刀川へのオペレート越しに知ってしまった。
今の来栖は、自分達との
「大丈夫」
優しく、迅が国近に語りかける。
「今の来栖さんは、みんなのことを憶えているよ」
「…………」
それでも、国近は恐怖を払拭しきれなかった。
来栖からもしも。見知らぬ誰かとして扱われるかもしれない未来に国近は怯えを隠せない。
「柚宇さん」
「出水、くん」
座ったままの、気が抜けた国近に出水が手を差し出す。
出水は未だ、来栖が記憶喪失であることを知り得ない。
あの戦場で知り得たのは、病院から直接聞き出した風間隊の面々。迅から伝えられた太刀川とそれをオペ越しに伝え聞いた国近だけであった。
ただ出水は決して疎い訳ではない。
目覚めた来栖が何らかの事情を負っていることを国近の様子のみならず、太刀川の様子。そして迅の不穏な発言から感じ取っていた。
それでも。
「行くべきだ」
「…………!」
「会いに行かないと、またあの人はおれたちを置いて。どこかへ行ってしまう」
出水は、来栖の後ろ姿を思い出す。
先へ先へ。
後ろを振り返ることなく、前だけに集中するあの人に会おうと言うのなら。
こちらから出向かなくては。出向いて、肩をたたかなければ。
今度はもっと手の届かない場所へ。その姿すら、見えなくなってしまう場所へ行ってしまう。
「来栖さんはそういう、自分勝手なところあるでしょ」
最後に愛想笑いを浮かべて、出水は国近に語りかける。
そこまで聞いた国近は恐る恐る、伸ばされた出水の手を取った。
「後悔、しないかな」
出水の言うこともわかる。
それでも、恐怖はやはり残る。
決意を後押ししたのは、変わらず出水の言葉だった。
「おれはきっと、もう会えなくなることの方が後悔すると思います」
会った時の後悔よりも、会えなかった時の後悔の方が辛い。
出水の言葉に国近の瞳が揺れる。
「そう、だね」
伸ばされた手を握ってゆっくりと立ち上がる。
「来栖さんには、いろいろ怒んないといけないことがあるんだから。直接、言わないとね」
涙を拭きながら国近は軽々しさを取り繕いながら口にした。
一つの区切りを見せた会話に迅が口を開く。
「来栖さんはいま、このフロアの自販機横にいるよ。行っておいで、
「行きましょう、柚宇さん」
「うん!」
出水に手を引かれる形で国近が続き、扉の前に立つ迅の横をすり抜けていく。
その後ろ姿を、太刀川は
「行かないの? 太刀川さん」
「…………行こうとしたら、止めるんだろ。迅」
「うん、そのつもり」
忌々しげに迅を睨む太刀川。
迅が殊更に強調した”二人”という言葉。
出水と国近は来栖に会えるという興奮でそこまで気に留めていなかったが、あれは太刀川を除く。来栖に会わせないという迅の意思表示だ。
「俺への、伝言は?」
「あるよ」
短い問答。
太刀川とて、会いたい。その想いは揺るがない。
だが。
その私情よりも優先すべきことがあることを太刀川は感じ取っていた。
「聞かせろ」
「じゃあ、伝言そのまま」
一度、言葉が区切られる。
「”お前に今、会うつもりはない”」
「…………!」
太刀川の息が詰まる。
頭をガンと殴られたような、強い衝撃が太刀川を襲った。
なぜ、という疑問が胸の中で渦巻く。
”会うつもりはない”。
来栖は自分に、会いたくないのか。
──俺は。……俺も!!
太刀川は。太刀川も、来栖に会いたかった。
いなくなってしまった理由を聞いた時。
恨みもした。誹りもした。一度だけ、泣いたこともあった。
来栖に対して言いたいことは、山ほどある。
それと共に。
感謝があった。尊敬があった。一人で背負わせてしまった、申し訳なさがあった。
それら全てを吐き出すためには会うしか。会うしかなかったのだ。
それが、当の本人から拒絶されてしまってはどうしようもない。
視界が暗くなっていく。
頭に血が登らなくて、意識が断絶しそうだった。
「今は、だよ」
それは残照だった。
雲の中から差し光る、僅かな光。
なくなったはずの希望が残っているということを示す言葉だった。
「”お前の全力を、見せてくれ。その時がお前と会うべき時だ”」
迅が、確かに告げる。
その裏側には、姿が見えた。
会いたいと思う彼の後ろ姿。
彼は剣を握って。自分と、相対することを望んている。
今宵のごとく、満身創痍の中での戦闘ではなく。
太刀川の全力全霊を求めている。
「…………ハッ」
乾いた笑みが漏れ出た。
言葉ではなく、剣で。
何とも、来栖と自分らしい関係なのだろう。
来栖は、そう思ったのか。
100の言葉よりも、1度の剣戟こそが。
自分達を確かに繋いでくれるのだと。
2年にも迫ろうという歳月の中で剣を研ぎ続けてきた太刀川に。止まってしまった来栖が渡り合えるとそう本気で思っていると。
呆れてしまった。
堪えきれず、太刀川の頬に涙が伝う。
自身が最強であることを疑わない彼の言葉はまさに。
「来栖さん、らしいな」
呆れるほどに傲慢で、呆れるくらいにかっこいい。
それが来栖隊隊長。来栖響という男だった。
「どうする? ”隊長じゃない
「今更、だな」
唐突な、あの日を思い出す。
来栖が海外へ行くと聞かされて。隊長を任せると言われたあの日。
あの日確かに、来栖隊は太刀川隊に生まれ変わった。
肩書きも確かに変わったのだ。
それでも、胸の内に秘めてきた。
「今は会いたくないっていうんなら聞いてやるよ。なんせ俺は、来栖隊の隊員だからな」
隊長命令だ。
恨みつらみは然るべき時に吐き出そう。
目頭を抑えながら太刀川は、静かにそう誓ったのだ。
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急く気持ちは隠し切れるはずもなく。思いが動力になって早々とした一歩を刻む。
最後に見たのは、遠征出発の前日だった。
管に繋がれ、電子音しか響かぬ病室で。彼の顔を眺め、こちらが一方的に話す。
固く閉じられた瞼。表情無き、白じろとした顔。
彼がどんな時にどんな表情をしていたか、忘れたくなくても忘れてしまった。
──会いたい。会って話したい。
話したい内容は定まらないくせに、気持ちが前へ前へと忙しなく発破をかけて、最短の通路を辿る。
次の曲がり角。
そこに──。
「ぁ」
声を漏らしたのがどちらかかはわからなかった。
だが、そんなことは些事に過ぎない。
きっと向こうも、足音で気づいたのだろう。
忙しない歩みは、静かな深夜の廊下で酷く反響していたに違いない。
向けられた視線は優しいもので。
こんな表情だったと、瞬間的に思い出す。
出水からか自分からか、どちらからかはわからないが既に繋がれていた手を離している。
ただ同時に、一心不乱に駆け出した。
駆け出した勢いを緩めることなく、ただ彼の元に飛び込む。
受け止めようとした彼は、残念ながら受け止めきれず。
背を壁に打ちつけては、うめき声をあげる。
随分と情けない声だった。格好がつかないにも程がある。
だが──。
「ぁ、ああ。あ、ぁあ」
そんなことはどうでもいい。
確かな温もり。しっかりと聞こえる呼吸音。
「…………」
涙が止まらない。
彼の衣服が汚れてしまうことなんて気にする余裕がなくなって、鼻水まで出てしまう。
ただこんな顔が見られたくないばかりに彼の胸元に額をくっつけて、なんとか歪んだ表情を隠そうとした。
「ああ、ぁ。ぅあ、あ」
嗚咽も止まらない。
溢れた思いがとめどなく湧き出てくる。
話したい、話したい、話したい。
この2年間のことを。あなたがいなくなってからのことを。
聞きたい、聞きたい、聞きたい。
あなたの声を。あなたのあの日の決意を。あの日、わたしたちを置いて行った理由を。
彼の背に回した腕が、彼をより強く締め付けた。
もう、どこにも行かないでほしい。
手の届かない場所へなど、行ってほしくなどない。
その思いを伝えたくて。この思いが伝わってほしくて。
ゆっくりと、震えているような手が私たちの肩に添えられる。
彼の手が私たちを包み込んだ。
「………ただいま」
穏やかな声が、廊下に響く。
──生きている。
この場にあるすべてが、証明してくれる。
来栖響が、帰ってきてくれたことを。
「「おかえり、来栖さん」」
出水と自分の声が、重なった。
今はただ、この温もりを手放したくなかった。