最強ノ一振り   作:AG_argentum

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ー追記ー
白神 紫音様、minotauros様、誤字脱字報告ありがとうございます




いざ!ボーダー…へ?

「お世話になりました」

 

 三門市立総合病院の玄関口で来栖は世話になった担当医の狭間と看護師の新見に深く頭を下げた。

 

「来栖さん、改めて1ヶ月間リハビリお疲れ様でした。これで一応、日常生活は普通に過ごせるとは思いますが無茶はくれぐれもしないように注意してください」

 

「来栖くん、ボーダーでも頑張ってね!」

 

「はい。肝に命じておきますし、精一杯頑張りますよ」

 

 来栖が目覚めてからおおよそ1ヶ月。血の滲むようなリハビリを来栖は乗り越え、とうとう退院にまで漕ぎ着けた。

 

 青白く、肉が削げ落ち肌が骨に張り付いていた様な以前の来栖の細腕はしっかり膨らみを取り戻し、肌にハリとツヤを宿している。

 また、数分歩けば翌日全身針の筵状態、などという大変煩わしく苦痛であった筋肉痛はストレッチと湿布を併用してとにかく乗り切った。

 

 来栖としてはまだまだ過去の体つきと比べれば程遠いボリュームなのだが、それでも日常生活を自力で行えるだけありがたいと今では思える様になっていた。

 

「お〜い、響さん!」

 

 来栖は自身の名前が呼ばれた方に振り返って見てみればカーキ色の屋根付きジープの窓から迅が身を乗り出し、来栖に手を振っていた。

 迅を乗せた車は来栖の前で停止し、助手席に座っていた迅が降りてくる。

 

「お待たせしました、響さん」

 

「別に待ってないですよ、迅さん」

 

「それじゃあ来栖さん。私たちはこれで失礼します」

 

「あっ、はい。改めて一年半、ありがとうございました」

 

 再度、来栖は頭を下げ精一杯に感謝を伝える。

 本当に世話になった。リハビリの際、数えきれないほどの弱音を呟いたがそれでも頑張ってこれたのは彼らのおかげだ。

 

「来栖さん。あなたのボーダーでの活躍、楽しみにしていますよ」

 

 狭間は穏やかな笑みを浮かべ、来栖に短い激励を送る。

 

「それじゃ行きましょっか、響さん」

 

 後部座席のドアが既に開けられているジープに迅が来栖を促す。それに来栖も頷いてよろしくお願いしま〜す、と運転席にいる男性に挨拶をしてから席にそっと腰掛けた。

 

「よっ、久しぶりって言うべきか? 来栖」

 

 先ほどまで前を向いていた男性がゆったりとした動きで振り返り、来栖に一声かけた。

 

 久しぶり。それはつまり過去の来栖と面識のある人物であることを示していた。

 

「えっと。出来れば初めまして、でお願いします」

 

「ははっ。いや悪いな、何分記憶喪失の人間(お前)にどう接すれば良いのかこっちとしても手探りでな」

 

「ボス、出していいよ」

 

「おっ、じゃあ行くか」

 

 狭間達と少し立ち話をしていた迅が乗り込んできて、シートベルトを締め終えてから男性に発進するよう求める。

 男性はゆっくりと車を発進させ、三門総合病院の敷地内から少し出て初めて信号機に引っ掛かった交差点で来栖に話しかけてきた。

 

「来栖、悪いが煙草一本吸わせて貰ってもいいか?」

 

「あー、窓開けて換気してくれるならどうぞです」

 

「ボス、響さん退院したばっかだよ。それに前にゆりさんから口酸っぱく言われたんじゃなかったけ? 少しは控えろって」

 

「来栖本人がいいって言ってんだから良いだろ。それにこれが今日一本目だしな」

 

 迅がボスと呼ぶ男性は来栖の注文通り、ドアコンソールパネルを操作してジープの窓が自動で開きはじめる。

 病院の玄関口で感じていたものより僅かに冷たくなった空気が車内に入り込んできた。

 

 男性は全ての窓が下りきったのを確認してからすっと懐からライターを取り出し、信号が切り替わる前に素早く煙草に火を着け口元へと持っていく。

 

 男性が一度吸って吐き出す頃には信号は赤から青に変わり、車窓から外を見ていた来栖の景色が横へと流れ始めた。

 そしてすれ違っていく景色を眺める内に改めて来栖は時の流れを実感してしまう。病院の窓からは見ることのできなかった景色だ。

 

 あそこにあった老夫婦の飲食店の漢字で綴られていた庇テントが下されていたり、その隣の店の外装がまるっきり変わってしまっていたり。

 移ろう景色の中で新しく何かが出来ているというのはほぼ無く、反対にシャッターが下されていたり置き看板が置き去りにされ色褪せ始めていたりと退院できた喜びと共に随分と寂しくなったと来栖は思ってしまう。

 

「そういえば来栖」

 

「あ、はい。なんですか?」

 

「いや、名前。言うの忘れてたよな。俺の名前は林藤匠。一応(こいつ)の上司だ」

 

「来栖響です。えっと、迅さんみたいに俺もボスと呼んだ方がいいですか」

 

「あー。いや、やめとけ。取り合えず」

 

 林藤は紫煙を窓の外へ吐き出し、ドリンクホルダーに収納されている灰皿に吸い殻を落とす。

 

「? わかりました。よろしくお願いします、林藤さん」

 

「おう、よろしくな。来栖」

 

 この人がボーダーのトップ。迅の彼の呼称から来栖はそう判断した。

 

 来栖が窓の外を眺めている間に迅との話し声が聞こえてきたが林藤には随分と気さくなイメージを抱いた。来栖はボーダーという組織のトップはもっと厳格で規律を第一とするようなお堅いイメージを想像したのでかなり拍子抜けだった。

 

 再び窓の外へと視線を移す。

 いよいよだ。いよいよあの病院ではブラックボックスの状態であったボーダーに向かうことができる。

 

 退院の日取りが決まった時は狂喜乱舞したものだ。ベットの上ではしゃいでる姿を新見に見られて随分と気まずくなったがそれでも冷めない喜びようであったと思う。その後すぐに迅へと連絡をしてみたらこれもまた来栖には喜ばしい返答が返された。

 

 =======

 

『おめでとうございます! 響さん」

 

『ありがとう、迅さん! それで早速なんだけど俺を』

 

『ボーダーに入隊、いや復隊させて欲しい。ですよね』

 

「最後まで言わせてよ、迅さん』

 

『もう根回しは終わってます。退院当日に迎えに行ってボーダーに連れて行きますよ』

 

『さすが迅さん、実力派エリート! それじゃっ。当日よろしくお願いします!』

 

 =======

 

 

 あそこなら、自身の記憶を取り戻すことができるかも知れない。掲げた目標を為せるかもしれない。昨夜は胸に期待を膨らませ過ぎた。そのせいで寝るのが随分と遅くなってしまい、お陰で若干目蓋が重かったりする。

 

「あれ?」

 

 寝不足がたたったのだろうか。見間違いだと思って目元を擦る。

 

「あの林藤さん」

 

「どうした? 来栖」

 

「俺今日、迅さんにボーダーの基地に連れて行くって聞かされてるんですけど」

 

 そこで来栖は言葉を切って改めて窓の外を見て間違いない、と再度確かめてから話し始める。

 

「ボーダーの基地から離れていってませんか?」

 

 ボーダーの基地は巨大な黒曜石を四角に切り取ったような堅牢感漂う建物だ。

 そんな巨大すぎる建物は三門市においてはちょっとしたランドマークと化している。よほど入り組んだ道でもない限りあの特徴的な建物の一部を見失うのはこの街では困難となっており、それ故所在する方角も掴みやすい。

 

 しかし林藤の運転するジープはボーダーの基地の方角から明らかに逆走するような進路をとっている。

 ボーダーの基地を来栖がわざわざ振り向いて確認するほどに、だ。

 

「「…………」」

 

 迅も林藤もわざとらしく3の口を作って無視した。

 その顔を見て来栖の顔は引きつった。嫌な予感だ。すこぶる嫌な予感がする。そしてその予感は的中してしまう。

 

「あー来栖、残念だが今から行くのはあの()()じゃなくてウチの()()だぞ」

 

「え。えええええ!!

 

 下手をすれば歩道にいる人間にも聞こえそうな来栖渾身の叫びが車内に響いた。

 迅はなんとか両手で耳を塞いだが、両手が塞がれており防御できなかった林藤からすれば堪ったものではなかった。

 

「来栖、おまえなかなかいいリアクションするな」

 

 林藤が怯んだ様子を見せる。確かに運転中にやってはいけないような行為だった。来栖は「すいません! 林藤さん」と一言謝罪を入れてから迅の座る助手席を2・3回ゆする。もし車の中でなければヘッドロックをキメているところだった。

 

「騙しましたね迅さん! どーゆうことですか」

 

「あーいやでも別にウチの支部でも本部と同じくらいの特訓はできますよ」

 

「そういうことを聞きたいんじゃなくて!」

 

 来栖としては今日は割と楽しみにしていたのだ。過去の自分に一歩近づける。未知の自分を思い出せる手がかりがそこにある、と。

 期待していた分、裏切られた反動は大きくアクションも大きくなった。

 

「まあ待てよ来栖」

 

「なんですか!?」

 

 なおもゆすられる迅のことを気の毒に思ったのか林藤が助け舟を出した。

 

「正直、今のボーダー本部よりウチの支部の方が記憶を取り戻す可能性はあると思うぞ」

 

「えっ?」

 

 来栖は林藤の言葉に困惑する。

 どうゆうことだろかと、来栖は目線で訴えかけたところ林藤はするりと回答した。

 

「前提として記憶を取り戻す切っ掛けっつーのは病院の先生曰く以前のおまえの行動を見聞きしたり再現したりするのが手っ取り早い。これは間違いないな」

 

「はい、あってます」

 

「ならまずボーダーの特訓つーか訓練について説明すんぞ。つっても対近界民(ネイバー)を想定して基本ボーダーの隊員同士での対人戦だ。おまえがこのまえ屋上で見たようなトリオン兵との訓練も勿論あるにはあるがそれでも対人戦闘の方が圧倒的に多くやってる。もっと言えばおまえが在籍してた期間は対人戦しかなかったくらいだ」

 

「はあ、そうなんですか。とゆうか林藤さん。なんで俺が病院の屋上でトリオン兵(それ)見たことがあるって知ってたんですか?」

 

「悪いが迅から聞いたぞ。聞くのはまずかったか?」

 

「いえ別に。続き、お願いします」

 

 今日が初対面のはずの林藤が来栖自身の目的や行動についてやけに詳しかったので疑問を呈したが迅を伝って知られていたとわかり納得する。

 よくよく考えてみればそれも当然か。ボーダーの連絡系統がどのようなものかは想像できないが少なくとも林藤は迅の上司、恐らくだが報告するように命じていたのだろう。

 

「おう、それでなんだがな。その対人戦でおまえと張り合うことのできたやつは両手でかぞえれるくらいしかいなかったんだよ」

 

「え、マジですか」

 

「マジだ。ちなみに迅もおまえと張り合えたやつの内の一人だ」

 

「ボス、あれを張り合えたっていうのは忍田さんに失礼じゃない? おれや太刀川さんと違って実際勝ったり負けたりしてたわけだし。おれたちは一本取れるかどうかで必死だったんだから」

 

「そうか? 来栖本人がおまえは随分粘ってくれるから他のやつより歯ごたえがあるって昔言ってたぞ」

 

「たぶんそれかなり縛ってもらってだよ。グラスホッパーとか旋空。それに()()()()()()()()()()()とか」

 

「まあたしかに来栖と縛りなしのフルセットの状況で斬り合うことができたのは忍田くらいだがそれでも十分だろ」

 

「あのーお二方、俺をよそに話広げないでくれませんか」

 

 このままいけば確実に脱線する。そう危惧した来栖は無理やり二人のやり取りに終止符を打った。

 

「あー悪いな、来栖。つい話し込んじまった。どこまで話したっけ」

 

「俺と張り合えた人の一人が迅さんだったって話までです。あとこれ嫌味とかじゃないですけどさっきの話の感じだと俺迅さんより強かったってことですか? そんなの想像できないんですけど」

 

 話を止めておいて質問するのはどうかと思ったが来栖は聞かずにはいられなかった。

 本当に想像できないのだ。自身が迅に勝ち越す光景というものが。

 

 来栖はそもそも迅が戦う姿を知らなかったがそれでもなんとなくではあるが迅さんは強いんだろうな、と思い込んでいた。サッカー部に所属していた来栖に戦うという行為は明らかに埒外なものであるがそれでも迅の纏う雰囲気をはじめ、動作や目線。体運びなど注視しなければ気づけない自然さど行われるありとあらゆる点でがサッカーでの巧者を彷彿とさせるものだった。

 

「まっ、今のおまえからすればそう思っちまうのも無理はないな。それでも事実だ。なにせ以前のおまえはボーダーの一部の連中から“最強”なんてあだ名を付けられるくらいには強かったからな」

 

「それ悪ふざけとかじゃなく本気で言われてたんですか」

 

「本気だぞ」

 

「随分と大層なあだ名ですね、それ」

 

 自嘲気味に肩を落とした来栖から思わずため息が漏れ出る。過去の自分はそんなのになるまで強さに執着していたのか。今の自分ではたどり着けない境地だな、と若干呆れてしまうが自然と切なくなってしまった。

 

(多分だけど気持ちの差、なんだろうな)

 

 今の来栖響と過去の来栖響との差。

 技術云々を抜きにして大きく分け隔てているのはそこなのだろうと勝手に結論付けた。

 

 当然といえば当然だろう。今から四年前。リアルタイムで被害にあった自分と口伝で聞いた自分とでは感情の入力も出力も違うのは自明の理。

 過去の自分は何をもってその境地にまで至ろうとしたのか。今の自分では草の根分けて探そうとたどり着けない。迅をも倒したとされる捉えきれない過去の自分という山の高さに困窮してしまうがそれ以上に興味が湧いた。

 

(これは是が非でも思い出さないとな)

 

 "最強”という今の自分には不釣り合いな称号にある程度折り合いをつけ、志を再度確認した来栖である。あるのだが……

 

「来栖。考え事は終わったか」

 

「あ」

 

 絶賛会話の途中だった。もっと言えば何度か林藤の呼びかけを無視しているような形だった。

 

 ぶわっ、と来栖の全身から汗が噴き出す。そこからの行動は早かった。

 言い訳などせず、スプリンター顔負けの速度で謝罪を何度も口にする。林藤は気にするな、と言ってくれるがそう簡単には受け止めれない。

 

 やってしまった。来栖は頭を抱える。最近、というよりは目が覚めてからこの様に他人を無視してしまうような事をしょっちゅう起こしてしまう。悪癖であることは確かでどうにかしなければと何度も思っているのだが意識し忘れるとすぐこれだ。

 

「ほんとに気にするなよ来栖」

 

「本当にすいませんでした。林藤さん」

 

「いやいや逆に安心した。相変わらずのおまえだなってな」

 

「相変わらず?」

 

 どういうことか、と来栖が首を傾げてみるが返ってきたのは林藤の含み笑いだけだった。

 

「さて、話を戻すとだ。来栖」

 

 辛気臭くなった雰囲気を一変させるような林藤の明るい声が発せられる。

 

「うちの支部には今、おまえと張り合えた人間が迅を含めて三人ほどいる」

 

「それだったら同数か過半数かが本部に在籍していることになりますよね?」

 

「本来ならな。ただ今は実質二人しかいない」

 

「本来なら、ですか。つまり今は何らかの事情があると」

 

「そうゆうことだ」

 

「それに付け加えて、うちの支部には響さんの剣を知ってるかわいい弟子兼元部下もいますよ」

 

「部下、ですか。正直こっちも想像できないですね」

 

 確か病院でも新見から来栖隊なるモノの存在があると聞かされていたがやっぱり意外だった。

 自身の名を冠していることから、隊長かリーダー。兎にも角にもチームの長として自分が多数の人間を率いていたという事は何度頭をこねくり回そうと思い浮かべることはできない。

 

「まっ、うちの支部の強みはこんくらいだな」

 

「なら、本部の強みは何ですか?」

 

「ハッキリ言って広いだけ、だな。訓練は迅も言った通り支部でもできるやつしかないし修行相手も二人。おまけに一人は力加減ができないときてる。ちなみにおまえの知り合いの蒼也のヤツも今はその事情のせいでボーダーにはいないな。どうだ来栖、うちの支部に入ってくれないか」

 

 やばい。ボーダー本部の良いところが全く見いだせない。本部より支部の方が環境として良いなんてこれ本当か? と思わず疑ってしまう。それにこれほぼ脅迫まがいなのでは? 人目がなければ頭を抱えてるレベルだ。

 

 おまけに現状ボーダーでの唯一の知り合いらしき風間は謎の事情でボーダー本部にはいないときた。その事情も聞こうとしたが林藤と迅からは聞かないでくれというような雰囲気を出されたせいで下手に突っつけなくなっている。

 

 正にほぼ孤立無援の状態。暗にウチしか無いぞと言われている気がして疑心が生じ来栖は押し黙ってしまう。

 

「だったらよ、来栖」

 

 林藤は走らせていたジープを路肩に停め、ハザードランプを灯す。幸い周りを走る車は少なく、通行に問題はなさそうだった。

 

「これから話すことを聞いて、その上でウチの支部に入るか本部に行くか決めちゃくんないか」

 

「ちょ、ちょっと待ってボス!」

 

「黙ってろ迅。来栖が本部じゃなくウチに入るよう説得してくれって言ったのはおまえだ。大体、いきなり行き先を本部じゃなくて、ウチに変えろだなんて病院に着く前に言いやがって」

 

 慌ただしい反応を見せる迅を林藤は無視してもう先がほぼ無い煙草を灰皿に押し付けてから体を捻って後部座席に座る来栖を見た。

 その一言とメガネ越しに感じる眼光で来栖の身が引き締まった。

 

「今から話すのはさっきの真逆。ウチの支部の弱みみたいなところだ」

 

「弱み、ですか」

 

「おまえを勧誘するにあたってはな。本部にはあってウチにはないもの。確実におまえの過去を思い出そうとするには足を引っ張る」

 

 本部に広い以外の強みあるんじゃないですか。詐欺ですよそれは。

 

 なんて言えなかった。明らかに林藤は真面目なことを話そうとしている。しかも顔を見れば余り話したくはなさそうだ。苦悩がその表情からは見え隠れする。

 

「それを説明するためにもボーダーの内部事情について少し知ってもらわなきゃいけない。もし話の途中で本部に行きたいと思ったらそう言え。お前の意思は尊重するし、(こいつ)にも有無は言わせない」

 

「分かりました」

 

 迅も林藤と似たように悔しさを顔に滲ませている。しかし、林藤の言葉には理解を示しているのか文句の一つも付けるような真似はしなかった。

 

 来栖は気持ちを作り替えて傾聴する姿勢をとった。

 

「良し。なら話させて貰うぞ。今、ボーダーは大きく三つの派閥に割れている」

 

「派閥ですか? ボーダーも一枚岩では無いと」

 

「どこの組織もそんなもんだ。その輪を乱してるウチが言える事じゃ無いがな」

 

 何やってんだこの人ら。

 

 林藤は乾いた笑みを浮かべるが対称的に来栖の顔は曇っていく。

 流石にこのタイミングで本部へ、と言う度胸もなく口を一文字に結んだままだ。

 

「まずボーダーの最高司令官が率いる"近界民(ネイバー)は絶対に許さない”主義の城戸さん派。次に本部の隊員のトップ。さっきの話にも少し出てきた忍田が率いる"街の平和が第一”主義の忍田派。そして最後がウチ。"近界民《ネイバー》にも良いヤツがいるからなかよくしようぜ”主義の我らが玉狛支部派だ」

 

「近界民《ネイバー》と仲良くでっ⁉︎痛っう」

 

 意外を飛び越えあり得ない。そんな思想がある事に来栖は驚きを抑えれず車内にいることを忘れて勢いよく立ち上がり頭を打ちつけた。つむじあたりにジーんと痛みが残り、右手で抑え込んでしまう。

 

「まっ、その反応が当然だよな。おまえがいきり立つのもわかる。現にウチの派閥は異端もいいところ。裏切り者だなんて呼ばれる事だってある」

 

「その、城戸さん派。とやらにですか」

 

「考え方が正反対だからな」

 

「ちなみに俺はどの派閥にいたんですか」

 

「城戸さん派だな」

 

 林藤はそこで一息ついてから話を続ける。

 

「来栖。今回黙っておまえをウチの支部に連れて行こうとした事は謝る。それでも(こいつ)は意味のない行動はしないヤツだ。城戸さん派にいたおまえをウチに入れたいっつうのも余程の理由があると思ってる。どうだ、来栖。改めてウチに入ることを考えちゃくれないか」

 

 来栖はドカッと座席にもたれ掛かり口元を隠すように顎に手を当て、悩む素振りを見せた。

 

 まずボーダーの派閥について。これに関してはその様なものがあるとおおよそ理解ができた。そして三者が掲げる理念にもある程度納得がいく。

 

 最も共感できたのは忍田派と称される派閥だ。自ら定めた為す事。弱かろうと誰かを(たす)けたいと願うならばこの派閥こそぴったりだ。街の平和を第一に考えているのにも好感が持てる。

 

 次に一番理解ができたのは城戸派と称される過去の自分が所属した派閥。当然といえば当然だ。近界民《ネイバー》に実の両親を殺され、妹も連れ去られた。これを恨まずいられるだろうか。いられない。過去その場面に直面したわけでもなく、言葉だけで知らされただけだがそれでも恨みを捨てきる事は不可能だった。

 

 そして最も理解が及ばないのは最後の派閥。異端とされる玉狛支部だ。彼らが掲げるそれは理想論だ。はっきり言って現実的では無い。甘すぎる。なにより、わからない。どうしてそのような理想を掲げられるのか。

 

 何よりも。仮にその玉狛に所属することは過去の来栖響が辿った道ではなく、真逆の新しい道を歩むことになる。過去から遠ざかること。それは林藤の言うように弱みである事は明確だ。

 

 しかしそれならばさっさと本部連れて行ってくれと言えばいい。行動ではなく、心理の方向から過去の記憶へアプローチするなら断然本部だ。

 

 なのに開きかけた口をすんでのところでつぐんでしまう。胸をくすぶるこの違和感。わかっている。この違和感はきっと今の来栖響だからこそ持ててしまうものなのだと。

 家族との別れに一切立ち会えていない自分だからこそ持ってしまう過去の在り方への疑問が口を閉ざさせていると。

 

 だって。過去の自分の、城戸派のその在り方は。

 

 ──哀しい在り方ではないだろうか。

 

 もちろん今尚近界民《ネイバー》に対する怨讐の焔が内に燃え盛っている。簡単にこの焔は消せはしない。きっと過去の自分もこの焔を今以上に燃やしていたのだろう。それは想像に難くない。

 

 しかしその焔と同居するように家族を殺されて、悲しみを知ってまだ冷徹でいれてしまう凍てついた氷があった。

 

 そして玉狛のその在り方は。人によっては耳障りかも知れない。それでも心地好い在り方なのではないか。排除するのではなく、歩み寄ろうとするその理想(ユメ)を追う姿はかっこいいものではないのだろうか。

 

 わからない。目覚めてからわからないことだらけだ。胸に渦巻く葛藤に終止符を打てないでいる。

 

 だがわからないからといって立ち止まってはいけない。思考を止めることはしない。知らなければ、今の自分では前には進めない。

 

「迅さんも玉狛の派閥の人間ですか」

 

「ええ、そうです」

 

 迅のその発言に来栖の両手に力が籠った。心臓が早鐘を打つ。こんなに緊張するのは病院であの話を聞いた時以来か。

 

「先に謝っておきます。無礼を承知で、あなたの心に土足で踏み入るような真似を今から俺はする」

 

 鐘の音は止まらない。加速するばかりだ。

 

 迅は以前と同じように来栖の言葉を待つ。

 来栖はありったけの勇気と覚悟をもって口を開いた。

 

「迅さんは。玉狛にいる人は大事な人を失って尚その理想を掲げているんですか」

 

 悲しみを。苦しみを知らない人が掲げる理想論はただの現実から目を背けているだけの思想に過ぎない。そんな戯言に付き合うつもりはない。

 

 この葛藤を。俺が持っているモノと同等かそれ以上の悲しみを内に秘めて尚あなた方はその理想を掲げているのかと。来栖は迅にそう問うた。

 

「……。失った人はもう帰ってはこない。それでもおれたちはあの時見出せなかった方法を探し続けていますよ」

 

 秘めて尚その理想を掲げている。迅は暗にそう返した。

 

 来栖の固く握られていた拳が緩む。いつの間にか張ってた肩ひじもストンと落ちた。

 

「迅さん。俺に病院でした話、覚えてますか。俺が、俺の存在が未来をより良くするって言ったあの話」

 

「もちろん」

 

「改めてですが信じますよ。あの話も、さっきの言葉も。そして林藤さん」

 

 葛藤はまだある。これはそう簡単になくなるものではないだろう。

 そしてこの宣言は過去に抱いた何かを決定的に別つだろう。

 

「記憶を求める実利からじゃない。俺は今ある心に従って過去の自分から遠ざかる。その覚悟はできたつもりです。だから俺をどうか玉狛に入れてください。城戸派ではなく、玉狛派の来栖響として俺はボーダーで記憶を取り戻す」

 

 それでもこの道を歩むと決めた。

 

 来栖は頭を下げる。しかし林藤は一切反応はしない。それどころか我関せずといったばかりに新しい煙草に火を着けている。

 

「り、林藤さん?」

 

「響さん。気にしなくていいよ。ボスは単に照れかく痛ったぁ!」

 

「痛いわけないだろ迅。トリオン体だろうが」

 

「いやいや。心が痛むんだよ」

 

 迅の余計な一言に林藤はチョップをお見舞いした。

 

 煙草を開けられた窓の外へと吹かし、ハザードランプボタンを再度押し込みシフトレバーを“P”から“D”へと切り替える。

 

「今から行けば京介がまだいるかも知れねえ。急いで帰るぞ。来栖」

 

「それってつまり」

 

「ボーダーの玉狛支部長としておまえを歓迎する。たった今からおまえはウチの隊員だ。来栖」

 

「あ、ありがとうございます! 林藤さん、いや。()()!」

 

 =======

 

 アクセルを踏み込みジープを加速させる。

 浅く吸い込んだ煙草の味が今日はいつも以上に旨く感じた。

 そのせいかいつも以上に表情筋が緩んでしまう。

 

 幸いなことに後ろにいる来栖は迅の玉狛の説明に夢中でルームミラーを一切見ようともしない。

 自分でもわかるほどのにやけ面をたった今入ったばかりのウチの隊員に見られでもしてはボスとしての威厳もくそも無くなってしまう。

 

(にしても、()()か)

 

 一年半前では考えもつかなかっただろう。もしウチ(玉狛)と本部が戦争をやり合うことになればあちら側の実質最強戦力であり先鋒を務めたかもしれない来栖が自分のことをそのように呼ぶ日がこようとは。あの日の自分は夢にも露ほどにも思わなかったろうに。

 

『林藤さん、あんたらと俺はきっと分かり合えない。ただ、出来れば聞かせてくれ。あんたらはどうやってあいつらとわかり合うつもりなんだ』

 

 過去の来栖との記憶に思いを馳せてみればそんなことを思い出す。来栖が一時の眠りに就くその前日。ボーダーですれ違いざまに言われた言葉だ。

 

 あの時はうまく答えれなかった。当時のボーダーは少し特殊な状況に置かれており、それを踏まえての来栖の発言には閉口せざるを得なかった。

 

(けど、おまえとは本当はわかり合えたのかもな)

 

 たらればの話をしても仕方がないがあの時。もしも来栖を納得させる答えを持っていれば……。

 

 いやそれこそ詮無きことだ。

 

 走らせ続けたジープの左に川景色が見え始める。それはつまり目的地への到着が近いことを示していた。

 

 玉狛の連中が来栖を見ればどんな顔をするだろうか。来栖が目を覚ましたのを知っているのは俺と迅と忍田。そして忍田直属の部下である沢村のみである。本部の方はわからないが玉狛の人間には何も気づかれていないはずだから取り合えずドッキリに近い形になるのは明白だ。

 しかも当時の来栖の雰囲気とは随分とかけ離れているから予想は困難を極める。少なくとも俺の知ってる来栖響はあんな大声でリアクションをとったり、頭を天井に打ち付けるような人間ではなかった。何より確実に明るくなっている。

 

 小南やレイジはまず驚きそうだ。4年前の入隊初期の来栖を知っている分拍車がかかるだろう。

 陽太郎や宇佐美はどうだろうか。陽太郎が来栖とあったのはあいつが三歳になって少し経った後だったから憶えているかどうか微妙。しかし恐らく初めてできた後輩だと調子に乗ってはしゃぎそうだ。宇佐美の方は蒼也からの繋がりで若干面識があるだろうし、来栖の特訓にはあいつのやしゃまるシリーズが火を噴くだろう。

 

 そして最も心配なのがとりまる。元師匠で元隊長。一番反応が予想できない。最近レイジの仏頂面が移ってきて余計に読めないでいる。

 

「来栖、見えてきたぞ」

 

 なんにせよ。なるようになるはずだ。

 

 迅との会話を中断させ、煙草を持つ左手で目的地のある方向を指す。

 

「あれがこれからおまえが住むことになる玉狛支部だ」

 

 叶うならば、どうか来栖が記憶を取り戻せることを。

 そして戻った先でどうなるかはわからないが、それでも。

 

 こいつが悔いの残らない選択が出きることを大人として祈っておこう。

 




たった一文入れるかどうかに三日。おまけに結局没にしたし。

何よりワートリ本格参戦どころじゃないし。玉狛に行く下りだって3000字程度をイメージしてたのに1話丸まる使い込んでしまった。

まだまだ未熟ですがよろしくお願いします。

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