中世農民転生物語   作:猫ですよろしくおねがいします

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ある秋の夜

 忌まわしき巨人よ、今宵が汝の滅びの刻なり

 輝く剣を掲げたる人こそ、白銀のエイリク……

 

 ある日の秋の夕暮れ。竪琴を弾き鳴らしている詩人の音吐朗朗たる語り口に、大広間に屯っている聴衆は固唾を呑んで聞き入っていた。

 

 一日の作業が終わった後に、突然の家族揃ってでのお出かけである。初めて訪れた村長の館は思っていたよりは広かったが、それでも開放された庭地と地続きの大広間は群衆で埋まっていた。

 

 十年足らずの人生で初めての祭りめいた集まりに、わたしも興奮と好奇心を抑えきれず、物珍しげに周囲を見回している。木製のテーブルが庭地にいくつも並べられ、簡素だが美味そうな料理が並べられている。

 野菜と腸詰めを脂と牛乳で茹でた濃厚な塩味のポタージュが湯気を立て、焼き上げたばかりの柔らかなパンが濃密な甘い香気を放っている。

 陶器製のフラゴンから杯にりんご酒やスモモ酒が注がれ、庭の中央の巨大な篝火にはよく肥えた豚がまるごと焼かれていた。

 香ばしい匂いに歓声を上げる下の子たちを見ると口元からよだれが垂れている。だらしないにゃあ。言いつつ、わたしも垂れていた。

 

 ほつれもなければ、汚れもない厚い布服を着た長身の少年が村の子供達の前で腕組みしている。豚の一頭に近寄ると腰から吊るした大ぶりのナイフで肉を切り分けては手近な子供の皿へと入れていく。

 ははあ、これは村内の序列を定める儀礼だなと察しをつける。きっと村長一家の子供だろう。美味しい思いをしたければ、村長様の子供さまである僕さまに従えよという訳か。くっ、わたしが一切れの豚肉なんかで屈すると思うなよ!

 

 卑屈にお礼を申し上げつつ振る舞われた豚の炙り肉を一口一口惜しむように齧って味わう。結構な大きさの炙り肉で、滅多に食べられないご馳走だ。子供には一切れだが、時折、口にした栗鼠の肉などとは脂の量も食いでも違う。周囲では早くも食べ終わった他の子供が男も女も野獣の眼光でまだ食べ終わってない他の子の肉を狙っている。

 ちょっと待て、奪い取るの許されるのか?がん泣きしてる子もいるんですよ。

 

 困惑して大人たちを見つめるも、情け無用の子供らの乱戦を眺めて、村人たちは腹を抱えて笑っている。

 ああ、祭りの催し物の一部なのね。こういうのも。畜生め。

 奪われるのも癪(しゃく)なので盾とするべく弟妹たちの傍に避難すると連中、唇を脂で光らせながら、わたしが食べてる途中のお肉に遠慮なく手を伸ばしてくる。

 ブルータス、お前もか。

 血を分けた弟妹の裏切りに衝撃を受けつつ、しかし、大した税や地代も取らず村人に馳走を振る舞って、割に合うのだろうか、などと村長の懐具合に対して要らぬ心配を廻してしまう。

 子供たちの知らぬところで祭りの準備に村人たちが食料を持ち寄ったのか、それとも財産家の村長にとって饗宴を供するのはさしたる負担ではないか。

 年上パワーで肉を求める餓鬼どもを押しのけながら豚肉を食べ終わると、小さい子たちがこの世の終わりみたいな悲鳴を上げた。もうちょっと味わって食べたかったんだが。兎に角、塩と脂が美味い。たまらん。にく、うまかっ です……にく……ウマ。

 

 他に食べ物も振る舞われ、今日ばかりは子供にりんご酒も解禁されている。一杯きこしめた後は、いい気分で村長の家を探検し始める、と言っても入れるのは精々、庭地と厩舎に大広間までなのだが。

 召使いとおぼしき女性まで服地のいいドレスを着込んでいるからには、村長はどうやったか、相当な財貨を蓄えこんでいるに違いない。村で見かけぬ召使いたちの姿に加えて、皮服に小剣を吊るした男女の姿も見かけられた。

 館に一冬滞在するという客人が紹介されたのは、食事が終わって暫く後。竪琴を携えた痩せた男が、村人の呼びかけに応えて、体格に見合わぬ声量で物語を朗々と語り始めるや、観衆の大半は大広間に釘付けで吟遊に聞き入ったが生憎、わたしは普段入れぬ村長の家の構造の方に興味があった。

 

 通りかかった際に麓から見上げていた村長の家屋は、どうやら館の一部分に過ぎなかったようだ。普段見ない方角からの奥行きがかなり深く、木造の大きな厩舎に石造りの見張り塔まで備わっている。

 一角の頑強な石造りも相まって、村長の館は一見、まるで砦のような外観を呈しており、迂闊に歩み寄るに躊躇わせる威容を放っている。

 外部との取引の大半を担う庄屋であれば富裕に不思議はないが、村長というよりも貴族なり、族長に近い権威を持っていてもおかしくはなさそうだ。と、いや、早計に過ぎるな。

 一口に農民と言っても、豪農と貧農の富と役の差が大きいのは洋の東西を問わない。

 今まで俺が勝手に村長と翻訳していた単語が、実は貴族の意なんだろうかと疑問を抱くも、丘陵に近づくほどに村の家々は古びた感を増している。高台に聳える砦めいた農場の苔むした石垣からして多分に、村長の一族が先で、後から村人が土地に住み着いたのだろう。

 

 物心ついて初めて見かけた老若男女の姿も多く、村にこれほどの人が暮らしていたか、と望外の感に捕らわれつつ、物知らぬ肉体は口を半開きにしてぼうっと眺め続ける。

 遠目にも綺麗な服を着てると分かるのが、きっと村長に違いない。中庭へとやってきたやや腹回りが太い大男に気づいただろう一家の代表らしき大人たちが、次々と挨拶へと向かっている。

 巨大なナイフを巧みに使って豚の肉を皿に切り取っては、顔を寄せて陽気に言葉をかわし、冗談で笑い、酒を勧めては親しげに肩を叩く大柄な男性の姿からして、彼我の立場が貴族と平民ほどに離れているとは思えず、やはり村長は村長に違いあるまい。

 実際のところ、一介の農民からみれば村長も貴族も大した違いはないと思えるようになってきた部分もあるが。上位者の知識って生きていくのにそんなに必要かな?

 わたしの両親も村長に近寄って二言、三言、言葉を交わしたが……おや、あまり親しくはないのかな?

 あまり地位が高くないのか、距離をとっているのか。母がまだ村長夫人とおぼしき女性と話し込んでるにも拘らず、父はさっさと村長と離れて大広間へと戻ってきた。

 詩吟に聞き入ってる子供たちの背後に座ると、節くれだった手で子供らの肩を抱き寄せるように包み込んだ。

 子を見て穏やかな微笑みを浮かべているところを見ると、家族が大好きなのだろうか。考えてみれば、今生の父に手を上げられた記憶は殆んどないぞ。むむ、これは当たりの家族ですね。間違いない。俺は詳しいんだ。

 

 弟と妹。同居していて、わたしより体が小さいから多分、弟と妹なのだろう。

 詩人の一言一句を聞き逃すまいと齧り付きで詩吟に聞き入っているこれらは、伸ばされた父の腕を無情にもうるさげに振り払うと、いかにも夢中な様子に目を輝かせて詩人の朗々たる美声に聞き入っている。

 立派な農夫にも拘らず、我が家における父の権威が低いのは一体いかなる仕儀か。

 戻ってきた母が苦笑いした父にふっくらした体を預けると、仕方ないので私も懐に寄りかかってやる。父は穏やかに微笑んでから頭を撫でてきた。心地よくて安心する。

 

 詩人は、控えめに言ってかなり上手かった。節回しが上手く、人物の台詞には感情が移入され、区切るところを区切り、沈黙と間の使い方を熟知している。

 目を閉じれば、情景が浮かんでくるほどに言葉廻しとタイミングによる感情の呼び起こし方は称賛に値すると手放しで褒めた上で、しかし、正直言えば、わたし自身は詩吟にさほどの興味は沸かなかった。

 物語自体は、智勇兼備の剣士が人々を苦しめる魔法使いを退治するまでの、日本人からするとありふれた話で、だけど農村に暮らす人々にとっては、きっと初めて触れた娯楽らしい娯楽なのだろう。

 老いも若きも村人の誰もが詩人の一言一句を聞き逃すまいと耳を澄ませ、剣士の危機に手に汗握り、その恋に酔いしれ、勝利と栄光を我が事のように感じ入っているのが、手にとるように理解できた。

 これは凄い、と。僅かに身が震えた。一体、何年を修行して過ごせば、これだけの詩を吟すること適うのか。

 弟子になりたいとかそんな事は欠片も思わなかったが、単純に漫画やアニメよりは下と見ていた技術の奥深さに驚かされた。

 

 しかし半刻ほど過ぎると、詩人はゆっくりと朗読を終えた。

 エイリクの恋人が宿敵に攫われたところでの打ち切りである。いかにも不満げに騒いでいる聴衆を前に、客人は一冬滞在する、と村長の言葉。続きはまた明日、と言う訳だ。

 村人たちは誰もが顔を見合わせ、今度は興奮冷めやらぬ様子でざわざわと騒ぎ出した。

 実際には連日ではなく3日後。喉が詩人の商売道具であり、使いどころが肝要なのだろう。喉を酷使して使い潰すつもりは無いという事か。いかにも続きが気になる部分で区切ってくれるとはやるじゃあないか。

 冬の間、夕暮れの訪問を歓迎するとの村長の言に、村人の誰もが望外の喜びを隠しきれない様子でざわめいていた。本来、家に籠もらざるを得ない季節に思わぬ楽しみが出来た訳だ。

 退屈な冬に予想外の贈り物で大変、結構。だが、この村長の善意は、村の子供たちの間にちょっとした災厄をもたらすのだった。特にわたしに。

 

 




1話はそのうち少し書き直すかも知れない

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