中世農民転生物語 作:猫ですよろしくおねがいします
東の空で曙光が夜陰の衣を打ち払い、茜色の輝きが緩慢な野火のように稜線に広がりつつあった。
大きさの合わない木靴……と言っても、つま先と踵の部分が厚いだけの木の板なのだが。に柔らかくした藁と葉を詰め込んで履き心地を調整する。次に足に靴下代わりの布を巻いて靴と足を紐で軽く結んで脱げないようにしてから、わたしは棒きれを背負って森へと向かった。
酷い代物だが、靴を履かないという選択肢はなかった。
他に靴と呼べる代物がないし、土中に破傷風菌、もしくは類似したなにかが存在していることを、常に裸足で過ごしていた友人が身を以て幼少期に教えてくれた。
森に出向くのは、日課の鍛錬の為だけではない。足取りはしっかりしているが、実際のところ復調しているとは言い切れなかった。畑仕事をすると息切れを覚える。なんとも辛い。なによりあれ以来、耐え難い空腹に襲われている。体が栄養不足を訴えているのが分かる。体力が落ち、それに伴って抵抗力も弱っている。次に病気をしたら、少し拙いだろう。
そういう訳で森でなにかしら食べられる花や草、木の実などを探そうと思い立った。畑を広げたいとも考えたが、容易くは行えない事情も幾つかあった。
村の家々は、不思議と裏庭で野菜を作っている。聞いてみれば、昔からの慣習でなんでも裏庭で作る野菜には税が掛からなかったそうだ。移住してくる前に暮らしていた出てきた故国の法なのか。或いは、村を支配していた国が崩壊してしまったのかまでは、聞かなかった。いずれにせよ今現在、村長が野菜に税を掛けている訳でもなんでもないのだが、習性というのは恐ろしいもので、村人たちはいずれも揃って、裏庭で野菜畑を作っている。なんとも世知辛い習い性であった。
一方で表に面した村内の主要な土地はと言えば、共有地にあぜ道、木立と既におおよそが割り振られていて、空いている土地がないでもないが、村社会の話し合いで使いみちが決まるので、そうそう畑を広げられそうもない。
我が家に至っては、家と土地を買った際の代金。祖父の代からの五十年払いの年賦がまだ残っているらしく、村内の土地を買い求めようにも先立つものすらないと言う悲しい現実を先日、母から聞かされたばかりであった。そもそも、わたしの代で払いきれるのかしらん。
兎も角、村の傍の小さな森へとやってきたわたしは、どうにも鍛錬する気にもなれず、切り株に腰掛けつつ考え込んだ。こういうところで初志一徹出来る人が人物になれるのだろうけど、どうにもわたしは凡骨のようだ。
さて、凡骨は凡骨なりにやれる事からやってやろう、と言いたい処だが、本当に動く気になれない。そもそも運動すると腹が減る。自然の摂理だよなぁ。
どうやら中世農民の身では、体を鍛える事すら一種の贅沢、とまでは言わないが、多少の余暇と余裕がなければ成立しないようだ。まず基盤となる食糧事情を改善しなければならぬ。しかし、畑を広げるのは諸事情でやや難しそうだ。ちょっと挫けそうですよ、これは。泣いてもいいかな?
しかし、自治村の自由農民の子でこれだ。税だって随分と低い。強欲な領主やら地主の土地の小作人やら農奴からすれば、お前ふざけんなよって話かも。それでも土地があるだけマシなんだね。中世の闇は深いぜ。チート欲しす。
転生先がランダムとしたら平均よりそこそこ良いところに当たってると思える所存、特に理由なく殴らない親は最高だな、などとつらつら考えながら、億劫そうに立ち上がって食べられそうな代物を探してみる。しかし、生憎と山菜などにさほど詳しくない上、これちょっと関東地方と植生違いすぎませんか?森を見渡すと見慣れぬ植物、いやシラカバの低木くらいは知ってるけど、雰囲気がやはり欧州っぽい。なにが食べられるか全然、見当つかないんですけど。口元を抑え、濁った瞳で独り絶望にひたる。
肉体の記憶を探ってみても、父ちゃんが持ち帰ってきたのはキノコや木の実などで、タラの芽とか蕗の薹とか一回も見たことない。このままじゃ天ぷら食べられそうにないの。助けて家康公。
天ぷらの守護聖人に祈りを捧げて、しばし待ってみるが、奇跡が起こる瑞兆は欠片もない。神聖術はどうやらなさそうなので、次は魔法を試してみるべきか。
木々の根本や枝先、茂みなど覗きながらつらつらと歩き廻ってみるが実際にヘーゼルナッツは秋。コケモモも秋。ベリー類は夏。辺りの森だと、意外と春先に食べられるものが少ない。
周囲に視線を走らせながら、森の浅い領域を進んでいく。
狼が出たら?死ぬよ。
真面目な話、こんな杖一本じゃなにも出来ない。
できたらスリングスタッフを手に入れ、それでも遭わないに越したことはない。
人間にとって熊やら狼やらが単なる駆除対象に転落したのは産業革命以降の事で、火器の普及までは狼狩りは相応の犠牲を払わざるを得ない危険な戦いであったし、それ以降も度々、街道にまで出没して旅人を脅かし、酷い時には大都市にまで入り込んで多数の人々を殺傷することすらあった。
だから、転生後の今生きている世界がファンタジーではない方が望ましい。だって、現実の狼でさえ長く人々の恐るべき脅威であったのだから、魔獣やら龍やらが存在していたら、人類社会の富と知識の蓄積が遥かに困難な事になりそうだもの。そもそも人類が生き延びられるかさえ分からない。
人類、飛躍できるかな?それ以前にわたしが頑張れるかな?うーん、駄目かな?駄目かも。
すっかり腑抜けてしまった肉体が今、腰掛けている切り株は、それでも狼も猪もまず近寄ってこない人の領域の真中であった。村人たちが木材の補充に来る度、木々に小便を掛け、大便を捨てに来ている。
汚いと言うなかれ。それで人の匂いが木々や大地に染み付き、野生動物たちも他所様の縄張りと認識して敬遠する、いわば結界であった。
子供なら兎も角、斧や投石杖(スリング・スタッフ)で武装した大人たちが手強きことは肉食獣とて知っていよう。
人間の集団は、狼や猪にとっても(恐ろしいとは言えないまでも)警戒すべき生き物であることに違いなく、子供もある程度は安心して滞在できるいわば森の浅瀬であった。
かと言って過度の油断は禁物だろう。餓えれば人とて危険を承知で他者の領分を侵すは珍しくない。野生動物とて敢えて死中に活を求めないとは言い切れない。
まあ、一口に森と言っても、普段から出入りしている浅い領域は、ほぼ村の共有林の延長なのであるが、しかし、それでも侮ってはならない。中世の人々にとっての森の深さと暗さは、おそらく現代人の想像を絶している。
よく手入れされた雑木林から、一歩見知らぬ奥まで足を踏み入れれば、そこは完全に人界と隔絶された異なる世界であった。
風がそよぐ度に木漏れ日の中で影は怪しげに踊り、草木のざわめきがおぼろげな気配を醸し出す。古代人が森の影に怪しく潜む妖精や小人を想像し、森に異界の存在を感じた訳が理解できる。いや、むしろ、目に見える世界が間違っており、理性の薄皮一枚剥いで感じている妖しい異界の方が正しいのではないかとすら思えてくる。
文明の届かない人跡未踏の深部領域は、さながら異界の森そのものであった。
深部からの肉食獣の侵入を防いでいるのも、かなりの程度、匂いの効果であって、結界の維持は、村人たちの努力の結果でもあった。
なれば俺とて、結界を維持するにこの身を削らねばなるまい。なにやら格好よさげな思念を発した肉体が、用を足そうと両手でズボンを下ろしかけたが、そこで魂より制止が掛かった。
ちょっと待った。
なんだよ。急に声を掛けられたから引っ込んじゃったじゃないか。と、肉体の不満げな文句。
それは僥倖。呟いた魂が、続けて鋭い思念で警告を発する。
尻丸出しの間抜けな死に様を晒したくないなら、大樹を盾に今すぐ構えろ。
背後で茂みが、物音を立てて揺れていた。結界が野生動物の接近を防ぐとは言え、それはあくまで人間の匂いで嫌な気分にさせ、警戒させる程度の代物でしかない。
餓えたる獣には必ずしも効くと限らず、村の者たちも森に立ち入るのはあまり好まぬ様であった。
故に子供が単独でやってくるのは、仮令森の浅い部分でもいい顔をされない。
茂みをかき分けて顔馴染みの少女が現れた時、だから私も困った顔を浮かべて困惑するしかなかった。
どうやら、村から後をつけてきたらしい。
戸惑うわたしに、何故か得意げな顔をしてみせる少女。
危ないぞ、と渋い顔で注意すると、上げる。と返した少女が差し出してたる手に揺れるのは、白く可憐な花だった。
サクラソウ、サラダにも使われる季節の花であった。おなかすいてるでしょ、と花弁を指に摘みつつ、んふーと得意げな表情を浮かべている少女の頬がやや痩けているような気がした。心なし、以前はもう少しふっくらとしていたような気がしたが、気の所為だとも思いたかった。
本人もあまり食べてないのではないかな、という感慨に、気持ちを無にするのも悪いかな、という感情が混ざり合って、ありがとうと礼を言ってから、
じゃあ、はんぶんこにしよう。提案してみる。
気恥ずかしそうに照れている少女を引き寄せると、一緒に切り株に腰掛けた。
此処で何かをお返しできれば、きっと、格好良かったのだろうけれど。
生憎と森で糧を得られるだけの知恵や経験もなく、貧しい農民の倅に与えられるものもなく。
何処となく痩せた少女に微笑みかけると、一緒に冬を越えられたらといいな、思いつつ、嬉しそうな少女とともに、ほのかな味のサクラソウを口にした。
人里近くの森の浅瀬
遭遇判定 !1d100 結果 074 遭遇なし ※半月に1度
※毎日、出かけても、大型動物との遭遇は数年に一度の確率。
食糧事情 :やや不足~○やや貧しい~不足
※不足の下に、貧しい、足りない、空腹、飢え、飢餓が在る。