中世農民転生物語 作:猫ですよろしくおねがいします
針葉樹と落葉樹の混在した森の中で、わたしは静かに深呼吸をした。
土地の気象と植生は、伝え聞いた北ヨーロッパに酷似している。と言っても、現地に足を運んだ訳でもなく、ヒストリーチャンネルで見ただけなのだが。
それで……あの少女のために危険を侵す覚悟は在るか?
その魂の問いかけに対し、肉体はただ無言の侭、頑固そうに口の端を曲げた。
……愚問だったな、と魂は静かに笑った。
北の森を越えたところに湿地帯が在ると、父から聞いた覚えがある。
魂の囁きに、覚えている、と肉体が応えた。
魂から頷いたような波動が伝わってきた。目には見えぬが、なんとなく分かるのだ。
絶対に行くなと下の子たちに念を押していたな。わたしには言い聞かせる必要などないと考えたのだろう。と記憶を振り返ってわたしは小さく呟いた。
「信頼を裏切ったのかな」
しばし瞑目した後、わたしは小さなため息と共に首を振るった。
「いや……それが必要なら、誰がなんと言おうとやるしかない」
能う限り足早に、しかし同時に最大限の慎重さをもって、わたしは森の道なき道を歩んでいた。踏破した経路の最中では目印としてこまめに枝を折り、小刀で幹に道順への矢印を刻み込み、時折、振り返っては、前方から見た後ろの地形を再確認して脳裏に叩き込む。
時に手頃な目印がない地形では、辿ってきた道を後戻りし、また地面に石を並べ、慎重に慎重を重ねつつ経路を進むのは、森とは見る方向によって全くその様相を変貌させてしまう土地であることを熟知しているが故だった。
進んできた筈の経路が、ふと振り返ってみれば、まるで見覚えのない道に見えるのも森では当たり前に起こることで、特に朝と夕刻、日中と日没後などは、森林はその印象を変えてしまうだけでなく、気配から匂いまでもを一変させてしまう。
気配と言っても湿気や土の香り、風の匂いや音、それら微小な変化を感じ取れるが故に惑わされるのだから、小さな森とて油断は出来ない。慣れぬ者が惑えば、僅かな距離さえ抜けられず、遭難死することすらあり得るのだ。
故にわたしは慎重を期した。森奥に踏み込んだのは此処最近だけでも七度目であった。前回までの六度は、森の地図を作るのに費やしてきた。
一度として道に迷った訳ではない。森の踏破だけでなく帰還も確実なものとする為、念には念を入れて経路を確認し、往路復路共に移動を確実なものにするには、それだけの手順が必要だったのだ。
一度で覚えられると判断しても、なお、独自の印や番号を木々に刻んでから撤退し、家に戻っては、置いた粘土板に記憶に在る限りの分かれ道や目印と成りうる木石を記し、拙いながらも湿地帯へと繋がる経路への地図を作り上げてきた。
……八。灰色の岩を右手に。反対の道は深い藪。
……九。背の高い針葉樹が並んでおり、似たような風景に見分けが付きにくい。曲がりくねった大木の根っこ。3本巻きつけた縄が目印。
……十、ちょっとした段差。少し崖を登る。蔦で道を作っておこう。帰り道用の目印として枝を折って、十字に吊るしておく。
……十一、ハシバミの一群。
流れてくる空気に水の匂いが混じってきた。変化に気づいて、わたしは少しだけ脚を早める。時折、水を含んだ地面が先を遮り、木製サンダルだと走るのも辛いが、体重の軽さが幸いしたか。泥濘にも足を取られることは殆どなかった。
茂みをかき分け、木立を踏み越えた瞬間、鬱蒼とした森が唐突に途切れた。まるで世界が切り替わったかのように、一気に視界が開ける。
抜けたか。と魂が呟いた。
澄んだ水と青々しい草をたたえた美しい湿地帯がわたしの目の前に広がっていた。
色鮮やかな羽虫が飛んでいる。あれは蜻蛉の一種だろうか?
呆然としている肉体に対し、底なし沼に留意しろ。と魂が警告してくる。
うなずきつつ、肉体はそっと足を一歩進めた。
「……湿地帯だな」
目のクリクリとした小さな両生類が水の上を飛び跳ねていた。
いたぞ、やっこさんだ、とお目当ての生き物を前に魂がそっと囁いた。
……Moor frog。ヌマガエルだ。と魂。
綺麗な水に生息し、藻と虫を食べている。
「思ったより小さいな」肉体の感慨は声に洩れた。
ウシガエルは北米原産。と鼻を鳴らすように魂が告げた。
鼻はないだろうに存外、器用だな、と、どうでもいい事を思う肉体に、魂が思念で言葉を続けた。
それでも、北ヨーロッパ種なら多分、食べられるはずだ。
毒ガエルは大抵が赤道付近か、アフリカ南部に生息しているから。
「多分、か?」肉体の唸りに、魂が渋い声で応じた。
多分、だ。と皮肉っぽく魂。
わたしはしゃがみ込むと、その可愛らしい小さな飛び跳ねる両生類をじっと見つめた。
「それにしても……カエルか」
声に応じて魂が聞かれてもいない薀蓄を語りだした。
中国やフランスでは食用とされている。日本では根付かなかったが。
同じ知識を持ってる筈だが……忘れたのか?
「どうにも記憶が歯抜けになってる、それよりも……」と肉体が呟いた。
なんだ?
素早く撥ねている蛙を鋭い眼で見据えた肉体が、小さく舌打ちする。
「思ったよりも素早い。寝ぼけているようには見えないな」
容易く掴まえられるようには見えなかったのだ。
……生息地を見つけるのに思ったよりも手間取ったのも確かだ。と魂が告げる。
とは言え、雪解けから既に一ヶ月が過ぎている。春も半ばとなって、わたしも些か焦りを隠しきれない。
「……森や草原でも蛙は時々、見つかる。
態々、取りに来る必要もなかったんじゃないのか?」
おやつにするなら一匹、二匹でも丁度いいな。
だが、人一人を食べさせるなら偶然見つかるだけでは足りない。と魂。
「蛙は何時まで採れる?」天を睨みながら、肉体は低く呟いた。
……分からん。餌の少なくなる、冬の直前だと思うが。
「頼りないな……所詮、わたしか」魂の答えにそう呟いて肉体は苦く笑った。
好き好んで森へと入り浸るのは、狩人を除けば、孤独を好む変わり者か、特に畑に気を使っている農夫しかいなかった。
わたしとて独りになりたい時はあるのだが、森に赴いた際は、多少でも必ずいくらかの腐葉土を袋に詰めて持ち帰るようにしていたら、それが目的と思われたようで、いつの間にか骨身を惜しまない働き者と目されていた。
村の他の子など、勝手に森に赴こうとすると大人から拳骨をもらうのだから、日頃の行いとは馬鹿にならないものである。
さあ、手を動かせ。時間がない。魂が発破を掛けてくるが、今さら言われるまでもない。
森と違って、湿地帯なら太陽の位置から時間を割り出すのも難しくない。
此処に来るまでに半刻は過ぎた。帰りも同程度掛かるとなると、上手く言っても恐らく3時間。いつもの滞在時間よりも、大分長い。親が心配するだろう。
上半身裸の下半身下着一つで浅い水場に駆け込んで、棒を振り回して必死に蛙を追いかける。
一匹掴まえては、頭陀袋に入れて入り口を縛り、再び湿地に駆け込んでいく。
正直、効率がいいとは言えないが他に方法がない。虫取り網を自作するべきだろうか。
それでも十匹程は、掴まえただろう。暗闇に放り込まれた蛙の一団は抗議するように激しくゲコゲコと鳴いていた。
「……そろそろ切り上げ時か」
手近でのんびりしていた蛙は大体掴まえた。乾いた布で体を拭きながら、太陽の位置を見上げた。今日は少し、森に長居しすぎている。毎日という訳にもいかないだろう。
「上手くいったな」
ホクホクと袋を持ち上げると、ずっしりとした重みが手に返ってきた。嬉しくて袋を抱きしめていると、魂が、うむ、と呟きつつも、緊張した雰囲気を発していた。
「なにか気になるのか?」
周囲に人が居ないのは確認済みで、他者に尋ねるような物言いをする。
一つ……結界から、かなり離れている。魂が冷静に呟いた。
そして恐らく、冬眠から目覚めた直後の寝ぼけた蛙は、他の生き物にとっても捕まえやすい貴重なタンパク質かも知れない。
冬眠明けは、熊や狼も気が立っていると注意を受けていた。狼は冬眠しないが、腹が空いているには違いない。いや、異世界の狼は冬眠するかも?異世界なのかな?星座よく知らない。
兎も角、わたしは静かに頷いた。はしゃいだ気持ちが霧散していく。
わたしは湿地帯を見回した。葦の間を吹き抜けた暖かな春風が、無人となった湖面を静かに揺らしている。
「長居は無用だな」呟いたわたしは、沼の畔で急いで服を着込むと、ずだ袋を担ぎ上げ足早に湿地帯を立ち去ることにした。さあ、腹がはち切れるくらいに、たっぷりとあの娘に蛙を食べさせてやろう。
湿地帯 遭遇率 6% 95以上で遭遇(ダイスは高いと遭遇)
遭遇判定 !1d100 結果 04
不確定名:小さな飛び跳ねる可愛い両生類 → 沼ガエル
採集判定 !1d60 結果 029(Webサイコロ) 成功!
地元の森 +15 採集目標(冬眠越えのカエル)+10 季節/春 +20
採集数 !2d6 +03 結果 6+2 +03 11匹
スキル 獲得/週 累積 獲得必要
・森歩き 30% +0.6技能点/31.0技能点/100.0技能点
・採取 20% +0.4技能点/01.6技能点/100.0技能点
――リザルト―――――――――――――――――
・湿地帯までの踏破に成功
冒険点 +20ポイントを獲得
所有冒険点 10 →30点