きみは、海を眺めている。
もう、どれだけそうしていたのか、定かではない。
でも、きみにそんなことは関係ない。
なぜなら、この世界では、時間とはひどく曖昧なものだから。
きみがもの心ついたとき、三人だった。
でも、今は一人だ。
これからも一人?
きみは腰をあげる。
素足の跡を砂浜に残しながら、きみはゆっくりと歩きはじめた。
果てしなく、ただ青く暗い空。
黄金色に染まった海と、血のように赤い天が交わる水平線が、延々と続くよ。
きみは髪をなびかせ、くるくると廻った。
笑っているのだろうか?
怒っているのだろうか?
それとも、悲しんでいるのだろうか?
きみは足を止めた。
瓦礫の狭間に、煌くものを見つけた。
なんだろう、これは?
きみは小首を傾げる。
紐がついた銀色のそれ。
きみの白い手がそれを掴む。
紐から吊るされたそれは、きみの目前で緩やかに廻った。
骨みたいだ。
きみは思う。
でも、違う。
きみは知らないだろうけど、それは‘十字架’と呼ばれるものだった。
銀色の十字架。
滲むような光を浴びて、鈍く煌く。
心を奪われたように、きみはそれに見入った。
しばらく、
ずっと、
長いあいだ………
「シンちゃん、お願い、もう一本だけ! ね? 」
少年は溜め息をつく。
それでも、渋々と新しい缶を冷蔵庫から取り出した。
「…太るわよ」
ボソっといった少女に、ミサトは目を剥いた。
「うるさいっ! わたしにとってはビールが主食なのよ! 」
少女は全く動じた様子はなく、やれやれといった表情で呟く。
「あ、いやねー、中年太りってのは。あたしはああはなりたくないわ」
「ちょぉぉっと、中年てなによ中年てのは!! わたしはまだまだ乙女よ!!」
「ふふん、見苦しいわね」
怒声を上げるミサトを横目に、少年は少女を宥める。
「やめなよ、アスカ…」
「なに? シンジったら、ミサトを援護するわけ? ふー、へー、そう?」
「いや、そういう意味じゃ…」
狼狽する少年の首をミサトが抱え込む。
「さっすが、シンちゃん♪ わたしの味方よね~~♪」
そして自らの胸を少年の頬へと押しつけた。
「や、やめてください!!」
顔を真っ赤にする少年を見やった少女は、なぜかとてつなく不機嫌そうに箸を置くと席をたった。
「ご馳走さま!!」
「あ、もういいの?」
ようやく戒めから脱した少年が訊ねると、少女はそっぽを向いたまま吐き捨てた。
「ふん、せいぜい乳繰りあってなさいよ!」
「な、乳繰りあうって…そんなわけじゃ」
「あーら、アスカ妬かない妬かない♪」
「誰が妬くもんですかっ!」
怒声と罵声。
しかし、根底に暖かなものが流れる時間。
まだ、幸せと呼べたであろう時間。
時は移ろう。
幸せな時を実感できることは少ない。
それは、瞬きしている間に通りすぎ、追憶のみにこそ、その痕跡を残す。
一瞬は永遠となり、二度と手の届かぬ場所から、じっと未来を見据えている…。
「ここで動かなきゃ、みんな死んじゃうんだよっ!」
少年の絶叫。
最後の勇気。
その真摯な思い。
誰もが聞き、誰もが望みを託すも、誰一人として賞賛せず。
空しいものか?
虚しいものか?
誰も答えることはない。
「エヴァに乗れないあたしには、なんの存在価値もないのよ・・・・・」
少女の呟き。
応(いら)えのない呟き。
茫洋とした生気のない瞳は、赤錆びた過去のみへと向けられている。
少女の痛み。
心の痛み。
誰も知ることはできない。
もがき、
苦しみ、
そして死ね。
人が無意識に強いた時。
少年と少女に亀裂が入る。
不幸の始まり。
破滅の始まり。
終局への第一歩………
「大人のキスよ…。帰ったら続きをしましょう」
彼女が死んだよ。
僕の目の前で死んだよ。
僕も死にたい。
なのに。
なのに。
紫の巨神はそっと手を差し出す。
偽りの優しさと、果てしなき残酷さを乗せて。
少年には道がなかった。
それしか選べなかった。
なのになぜ…?
「ママ、そこにいたのね!!」
彼女の雄叫び。
歓喜の産声。
奮い立つ少女の魂を、
赤い巨神の
腕が包むよ。
比類なき慈愛が、凄惨な未来も知らずに。
彼女はそれを望んだ。
それにより、自らの未来を切り開こうとした。
なのになぜ…?
渦巻く悲鳴。
言葉にもならない。
魂が軋む。
叫ぶ。
心を壊す。
14歳の心を
切り刻む。
引き千切る。
折り砕く。
流され行く時。
仕組まれた未来。
僅かに揺らいだのは、少年の心のせい。
少女を想った心のせい。
定められた流れに乗る二人を、
一体誰が責められるというのか!!
責めるのは誰?
貶すのは誰?
二人きりのこの世界で
誰が、二人を蔑すむというの?
嫌ったのは彼ら自身。
消し去りたがったのは二人自身。
殺したかったのは二人自身。
壊れた心を抱えた少年少女……
寂しい
寂しいよ
彼は思った。
苦しい
苦しいよ
彼女は思った
しばらくして。
彼は言った。
「きみの苦しさを僕に分けて…」
彼女は言った。
「あんたの寂しさをあたしに分けて…」
ようやく気づいた。
人は人と分かち合えることを。
だから抱き合った。
そして知った。
人は一人では生きていけないということを。
二人しかいない寂しい世界で。
みながいた世界では知り得なかったことを……。
きみは、十字架から視線を反らした。
とてつもなくずっとそうしていたようでもあり、ほんの一瞬にすぎなかったようでもあり。
きみは、不思議な感覚に頭を捻る。
これは見ていた。
昔の記憶を。
ただそこにあっただけかもしれないが、これは、ずっと見ていたのだ。
きみは感じた。
見知った顔があった。
懐かしさがあった。
寂しさがこみ上げてきた。
でも、きみにその気持ちを形容する術はなかった。
だから、戸惑う。
奇麗な漆黒の髪が、頬を流れた。
髪をかきあげたきみは、十字架をそっと握り締める。
そして、思いっきり黄金の海へと放った。
にびいろの軌跡を描きながら、それは空を飛び、海へと消えた。
そうしたほうがいいときみは思ったから。
それが望んでいることだと思ったから。
それから、きみは十字架の消えた海を眺めた。
黄金色の海は、ただ穏やかに引いては返すだけ。
それでも、きみは眺めつづけた。
蒼い瞳で眺め続けた。