Lovely?
「あ~、もう、日直ってなんなのよ!」
悪態をつきながら、惣流・アスカ・ラングレーは教材室を闊歩する。
聖なる学舎の一角にしては、なんと健康に悪い空間だろう?
埃っぽいわ空気は澱んでいるわカーテンは引かれっぱなしだわ。
窓がはめ殺しなのは、もはや制作者と管理者の悪意以外感じられない。
ふんっと乱暴にカーテンを閉めると、アスカは薄暗い室内の探索を再開した。
積み上げられ埃を被った色々な本やら教材やらは、確かに年季を感じさせる。
埃の厚さからは、どれだけ掃除と無縁なのかも一目瞭然だ。
アスカはなるべく深呼吸しいないよう努める。
彼女にとって、整理整頓と無縁のこの雑然さは、どういうわけか保護者の私室を連想させた。
ったく、大掃除くらいはしなさいよね。あたしは絶対参加しないけど。
ブツブツいいながらアスカはどうにか目当てのものを発見。
最下層に位置するそれを引っ張り出した途端、盛大に埃が舞う。
「うげっ!! ぺーっぺっぺぺ」
自慢の金髪にまとわりつく埃を払い、アスカは涙目になる。
何が悲しくて、こんな真っ昼間から埃まみれにならなきゃならないのよ?
ああ、もう出よう、さっさと出よう、教室へもどろう。
固く決意をして彼女は戦利品を持ち上げる。
それは黒板用の巨大なコンパスと三角定規だった。定規の方はご丁寧に取っ手までついている。
ったく、端末で授業受けてるのに、何でこんな原始的な教材を使うわけ?
理由など百通りも推論できたが、アスカはなるだけ汚れてない部分を掴むと踵を返す。
しがない日直は、数学教師から準備しておいてと言われれば、逆らえるものではないのだ。
教材室を出ようとしたアスカであったが、ふと入り口付近の鏡の前で足を止める。
用途不明の大きな姿見の鏡。
家庭科ででも使うのかしら…?
薄汚れた鏡に、自分の全身が映っている。
思わず左手に持った定規を構えてしまったのは、きっとエヴァ搭乗者としての反射行動。
だって、取っ手がついているから、ちょうど楯みたいな感じなんだもん!
そして右手には折りたたまれたコンパス。柄を持てば、あらまあ不思議、まるで剣みたい。
構え、振り下ろし、振り上げる。
淀んだ空気を斬り裂いて、コンパスが小気味の良い音を立てた。
「必殺! スーパーメーザーバイオ粒子斬り !!」
鏡の前で決めポーズ。
…なにやってんだろ、バカみたい。
一人赤面したアスカは、照れ隠しみたいに勢いよく伸びをした。
途端に、何かが落ちて転がる音。
なんだろう?
よくよく見回せば、コンパスの先端のパーツが欠けていた。
ゴム製のそれは黒板に円を描く際に、支点が盤上に傷を付けぬようカバーするもの。
どうやら先ほどの一人演舞で弛んだのが、最後の大きな伸びで外れてしまったらしい。
ああ、もうどこに行ったのよ!?
瞬間的に苛立つアスカ。自業自得なだけに余計腹立たしい。
ざっと床を見て回る。見あたらない。
予備を探してみる。やはり見あたらない。
いっそ床に這い蹲って……ぶるる、冗談じゃない!
こりゃダメだ。
あたしじゃ無理だ。
よし、シンジに探させよう。
そもそも、アイツも今日一緒に日直当番なんだから…。
往々にして、諦めた途端、無くし物が見つかるという法則がある。
そそくさと再度教材室を出ようとした青い瞳は、入り口のすぐ右手の棚の間を何気なく見た。
あった。
狭い棚と棚の間に、全長5センチほどのゴムのキャップ。
アスカは躊躇うことなくその隙間に身を投じる。
小癪なことに、進めば進むほど先が狭くなっている様子。
それでもジリジリとアスカは奥に進む。
ああ、もう少しで手が届く。
あと半歩さき。
もう少し、もう少し…とれた!
と、そこで身体を起こそうとしたアスカであったが、全身がびくともしないことに気づく。
あれ?
おかしい、おかしいわよ?
埃まみれになるのも構わず、身体を動かしまくる。
どうにか上半身だけ起こしたものの、完全に棚と棚との隙間に挟まれ、身動きの取れない状態になってしまっていた。
なにやってんのよ、あたし!!
自分で自分を罵倒するアスカである。
よくよく考えれば、コンパスの先端か何かでたぐりよせれば、と思いついたのだろうけど、もはや後の祭り。
もがけばもがくほど、ますます深く挟まっていくよう。
…OK、あたし。冷静になれ。
カビくさい空気を吸い込み、深呼吸。
大丈夫、大丈夫よ。いざとなれば、大声だせば廊下まで聞こえるんだから。
でも、こんな醜態を衆目にさらすのは、出来れば避けたい…。
ならばどうにか自力で脱出しよう。
そもそも、どこかが引っかかってるから出られないわけでしょ? まさか腰回りじゃないわよね?
乙女の秘密の数値と角をつき合わせ、どうにか脱出しようともがくアスカは、人の気配が近づいていることに気づく。
誰かが廊下を歩いてくる。
どうしよう? 通り過ぎて行く前に声をかける?
でも、見ず知らずの人だったら…。
普段の彼女らしからぬ歯切れの悪さを発揮しているうちに、なんと気配は教材室の中に入ってきた。
その男子生徒を見て、アスカは思わず安堵の息をつく。
気配はシンジのものだった。
シンジなら、いい。この醜態を見られても、締め上げて口止めしておけばいんだし。
さっそく声をかけようとして、アスカは言葉を飲み込む。
気配は一つではなかった。
シンジの後に付いて入ってきた二つの影。
鈴原トウジと相田ケンスケの両人である。
…コイツらにまで見られるのはさすがに耐えられない。
でも、だからといってこのままじゃ…!!
逡巡するアスカであったが、鈴原トウジの大声に思わず耳を傾けてしまう。
「ったく、やっぱり惣流のヤツ取りに来てないやんけ!」
「…おかしいなあ、さっき教室を出ていったと思ったんだけど…?」
これはシンジの声だ。
「はっ! あのアマ、じゃんけんで負けたからゆーて、素直に取りにいくタマやあらへん」
またぞろ響くトウジの声に、アスカのこめかみに青筋が浮かぶ。
まったく好き勝手言ってくれるじゃないのさ!
いっそ怒鳴りつけてやりたい。でも、現状の無様な姿は見られたくない。
アンビヴァレンツに陥ったアスカは、シンジの次の台詞に凍り付く。
「…あれ? ここに出してある教材、今日使うヤツだ。…もしかして、アスカ先に来て出しておいてくれたのかなあ?」
次にシンジの取る行動は決まっているだろう。教材室を見回して、そして…!!
ああ、探さないで!
こんな無様な姿を見られるくらいなら、いっそ声を出して助けを求めたほうが。いやいや、ギリギリまで粘るのよ、そうよ…。
棚の隙間の暗闇に~…すぱいだーまっ♪
脈うつ心臓を宥め、プレッシャーに負けぬよう意味不明の歌を脳内で流すアスカ。
そんな彼女にとって、トウジの馬鹿笑いが救いの声に聞こえたのには、つくづく人生の皮肉さを感じずにはいられない。
「がはははは、だから、惣流はそんな殊勝なヤツじゃあらへんて!!」
「…他のクラスが使い終わったのを置いて行ったんじゃないかな?」
ケンスケの声も、この際は天佑と表現してもいいのかも知れなかった。
「そう…かもね。じゃあ、教室へもどろうか?」
そのシンジの声に、アスカは胸をなで下ろす。
しかし、三人が動く気配がない。
不審に思い眉根をよせるアスカ。必然的にそばだてた彼女の耳に、トウジの小声が忍び込んでくる。
「…で、なセンセ? おまえ、マジで惣流のことどう思ってるん?」
今度は、まったく別の理由でアスカの心臓は跳ね上がった。
思わず息を止めてしまう。
頭と顔全体が熱くなる。酸欠かも知れない。
なお息を潜めるアスカの耳に流れてくる会話。
「そ、そ、それは…、………だよ…?」
なんということだろう、シンジの声が聞き取れない。
よりにもよって肝腎なところが。
だからといって、今の自分にできるのは歯噛みをすることくらい。
ギリギリギリギリとひたすら頭蓋骨内だけに歯ぎしり音を響かせていると、どうやらまだ会話は続いている様子。
慌てて歯ぎしりを止めたアスカの耳には今度はケンスケの声が。
「でもさ、惣流のヤツは確かに外ヅラはいいけど、おまえには滅茶苦茶冷たくない?」
むう。冷たくしているつもりは無いんだけど。
「おまけに乱暴ものやし、ワガママ星からきたワガママ星人やし。性格ブスとはいわんけど、ちょっと酷いで、あれは」
へえ、あたし宇宙人だったんだ…ってあとで覚えておきなさいよ、鈴原…!!
「そ、そんなこといわないでよ…!」
おっと、ここでシンジが反論? よしいけ、いってやれ頑張れ! 負けたら許さないわよ!?
「確かにアスカは暴力的で女王様属性で八方美人で短気で堪え性がなくて嫉妬深くてケチだけどさ!!」
…………… _| ̄|○
なんか泣きそうになってしまったアスカであったが、シンジの台詞の続きに涙も引っ込んだ。
「でも、アスカにだって可愛いところがあるんだよ…?」
沈黙。
次の瞬間、教材室中の埃を巻き上げるかのような高笑いの二重奏。
「あ、あの惣流が!? 可愛いところやと!?」
「悪い、全然想像つかないよ、くくくくく…!!」
「ひょっとして、夜になるたび、メイド服に猫耳つけて『お兄さま』って抱っこでもして来るんかい!?」
「悪い、オレの想像力にも限界があるよ、くくくくく…!!」
明らかに面白がっているバカ二人の声に腹がたったけど、今の彼女にはどうでも良かった。
先ほどのシンジの台詞が、さっきから脳内で渦を巻いている。
あたしの可愛いところ…? どこだろー…?
ドタバタとした気配が立て続けに動く。
「おい、シンジ、待てや!! 冗談やから怒んなって!!」
「あ~あ、からかいすぎたかなあ…?」
結局こちらに気づいた様子もなく、全員が教材室を出ていった。
後に残されたのはアスカだけ。
薄暗い教材室で一人頬を赤らめ、ドキドキする胸をおさえた金髪碧眼のウツクシイ乙女。
なんともインモラルで絵になる光景だ。
棚の間に挟まってさえいなければ。
どうにか休み時間中に教室へと帰還を果たしたアスカはぼやく。
…おっぱいが痛い。
挟まっていた部分を無理矢理引っこ抜いてきた代償である。
順調に成長してくれているのは嬉しいけれど…。
「あら? 髪に埃ついてる…」
ヒカリが見咎めたらしく声をかけてきた。
「そ、そう? どこでついたんだろう、あはははー」
わざとらしくばばばばばと埃を払って、アスカは上目遣いでシンジの方を見る。
案の定、不審そうな顔でバカがこちらを見ていた。
あまつさえ立ち上がってこちらにやって来る。
「どこいってきたの、アスカ?」
「……ふん」
アスカははそっぽを向く。
まさか教材室で棚の間に挟まっていたとは言えない。
彼女の仏頂面をどう解釈したのかは分からねど、シンジは困ったような顔つきで苦言を呈した。
「キミも日直なんだからさ、その、少しは手伝ってくれない…?」
そういわれるのは予想していなかったわけじゃない。しかし、アスカは激高してしまった。
「うっさいわね! そんなこといわれなくても分かってるわよッ!!」
予想通りあからさまに怯むシンジ。そして、少し離れた場所でビビっている二バカ。
ああ、またこれであたしの評判が悪くなるのね…。
自覚しつつもそう簡単に改善できないのが彼女のサガ。
シンジがおそるおそる引き上げていったので、アスカも椅子に腰を降ろす。
結局、使われた教材の片づけもシンジにやらせた。
もはや諦観の境地にいるらしい同居人の少年の背中を眺め、アスカはぼんやりと考えた。
…別に、もう、アイツのこと嫌いってわけでもないんだけどさ…。
今日、家に帰ったら、少し問いつめてやろうかしら。
夕食も済み、家主は未だ帰ってこない葛城邸。
リビングに寝っ転がってTVを見ていたアスカだったが、シンジが洗い物を終えたのを見計らって行動を起こす。
「シンジ? ちょっといい?」
「え? う、うん」
エプロンを外しながら頷く少年を、顎で椅子に座るよう指示する。
「今日の話なんだけどさ…」
自分は立ったままでアスカは口火を切った。
シンジが緊張するのが分かる。
昼間の教室のやりとりを思い出しているのだろう。
アスカだって思い出している。
ただし彼女の方は教材室での出来事だ。
コイツは、あたしにも可愛いところがあるって言ってくれたわよね…。
改めてシンジを見やる。
子犬が震えるような怯えっぷりが痛々しい。
全く、そんなにあたしに怒られると思っているのかなあ…?
どこが可愛いのかを問いつめてやろうと思ってたのに、こんな雰囲気じゃまるで弾劾裁判じゃないの。
これじゃあ、答えてもらっても、本音かどうか甚だ妖しい。
じゃあ、とりあえず、雰囲気をほぐさなきゃね…。
では、手っ取り早くほぐすにはどうすればいいか。
アスカの脳裏に天啓が閃いた。
教材室でのバカたちの会話がリフレイン。
…ふむ、やってみるか。
今日は、ホットパンツじゃなくて膝上まであるハーフパンツも履いていることだし。
コケティッシュな笑みを浮かべて、アスカはシンジに近づいた。
そして、おもむろに少年の膝の上にまたがって、彼の太ももの上に腰を降ろしたではないか。
必然的に二人の身体は密着寸前、アスカは驚く少年の瞳は見下ろす格好になる。
「なななななな…」
シンジの狼狽ぶりがちょっと面白い。
面白ついでにアスカの唇から軽口が飛び出す。
「ふふ、明日学校で鈴原のバカにいってやればいいじゃない? ちゃんと夜になると抱っこしにくるんだって。 あと『お兄さま』っても呼んであげようかしら?」
シンジとてバカではない。狼狽しながらも、昼間の出来事とアスカの発言を関連づけている。
「…もしかして、教材室に……いたの!?」
驚くシンジに、アスカは微笑む。
「ふふん。壁に耳あり障子にメアリーよ♪」
挟まっていたという醜態を説明しなければ、別に肯定しても格好悪くはないのだ。
その返答を受けたシンジは戸惑っている様子。
どこからどこまで聞かれたのか? と考えているのは明々白々。
だからアスカは素直に引導を渡してやることにする。
「確かにあたしは暴力的で女王様属性で八方美人で短気で堪え性がなくて嫉妬深くてケチだけどねー?」
「…ごめんなさい」
言い訳もせず素直に謝って来るシンジが少しだけいじらしく思えた。
だから顔を伏せた彼の両頬に手を当て、無理矢理上を向かせる。
「…アスカ…?」
蛍光灯が眩しいのか、目を細めるシンジにアスカは囁きかけた。
「じゃあ、教えなさいよ」
「……え?」
「あたしの可愛いところって、どこ?」
「…あ……えーと…」
触れたシンジの頬が熱を持ってきた。視覚的にも赤みを帯びてきたのが分かる。
…なにコイツ、可愛い顔してんのよ!!
同時に、彼のこの態度から、あの時の聞き取れなかった台詞の一部も推察可能だ。
だとすれば、否定的な意味のわけがない。
質問そっちのけで、アスカは胸が高鳴るのを感じた。
しばし無言で見つめ合う二人。
だから、アスカの口からその台詞が飛び出したのは、極めて自然なことだったかも知れない。
「…シンジ。また、キスしようか?」
細かった少年の目が一瞬見開かれる。頬が更に温度を上げた。
具体的な返答はなかったけれど、その現象を是と判断したアスカは、そろそろと顔を下ろす。
唇が近づく。うん、今度は鼻息がこそばゆくない。
まさに唇と唇が触れようとする寸前、すっとまた距離が開く。もっともまだまだ吐息がかかる距離。
「…ねえ…キスする前に教えて…」
アスカは甘やかに囁く。どうせなら、色々とはっきりさせてからしたほうがいいに決まっている。
「…え?」
シンジは一瞬意味が分からなかったようだった。夢見心地だったのだから無理もない。
「だからさ、あたしの可愛い所って、なに…?」
アスカの問い掛けに薄目を開けると、ちょっとだけ口ごもってから、シンジは照れたような口調で答える。
「…うん、アスカの可愛いところは、素直じゃないところかな? ははは…」
「………」
アスカの手により、半ば無理矢理シンジは目蓋を閉じられた。
目蓋越しの蛍光灯の明るさの中、彼女の顔が近づいてくるのを感じる。
甘い吐息が鼻腔をくすぐった。
そう、もう少しで…。
がぶ
「あだだだだだだだ!!!??」
碇シンジは悲鳴を上げた。
なんせキスをされると身構えているところに、いきなり鼻を噛まれたのである。
一方、少年の鼻から口を離した少女はというと、あからさまに憤慨しているよう。
全身で、これで満足でしょ? とのオーラを放出しているのだが、涙目のシンジにはそれが看取できたかどうか。
シンジは混乱する。どうして鼻を噛まれたのか分からない。
滲む視界で彼が確認できたのは、惣流アスカ・ラングレーの綻んだ青い瞳と、釣り上がった口元から除く八重歯と小さな桃色の舌。
更に耳に響く彼女の心底意地悪そうな台詞。それで全てだ。
「しょっぱいわよ! ちゃんと顔洗ってんの? ばーか…」
こちらのお話は、『kaz商会秘密基地』へ投稿させてもらっていました。
巻末に、kazさんの素敵すぎるイラストが存在するのですが、そちらは是非アーカイブで御覧くださいませ。