誤字脱字報告感謝です!
2026/9/2 加筆修正
あまり広くはないが、隅々まで手入れの行き届いた部屋には、三人が向かい合うように座っていた。
先ほどまで職人たちの笑い声が絶えなかった食堂とは違い、ここは随分と静かだった。
障子越しに差し込む夕暮れの名残と室内の灯りが畳を淡く照らし、外からは時折、人の話し声や遠くを行き交う足音が微かに聞こえてくる。
康イエは正面に座る少年――レオヴァを改めて眺めていた。
食堂では大勢の職人に囲まれ、その一人一人の話へ気さくに耳を傾けていたが、こうして静かな場所で向き合うと、やはり年齢には似つかわしくない落ち着きが目につく。
物おじせず真っ直ぐこちらを見返す瞳も含め、ただの子どもとは到底思えない。
隣に座るヒョウ五郎も似たようなことを考えているのか、腕を組んだまま黙ってレオヴァを観察していた。
そこへ、障子がするりと開く。
「レオヴァさま、お茶です!」
元気な声と共に入ってきたのは、まだ幼い子どもだった。
小さな両手で盆を抱え、その上には三つの茶飲みが乗っている。
よほど慎重に運んでいるのだろう、一歩進むたびに盆が僅かに傾き、茶の表面が危なっかしく揺れていた。
康イエは思わず身体へ力を入れる。
右へ傾けば右へ、左へ傾けば左へと視線が動き、見ているこちらの方が落ち着かない。
このままでは途中で躓くのではないかと何度か手を伸ばしかけたものの、子どもは唇をきゅっと結び、最後まで自分の力で盆を運び切った。
レオヴァの前へ辿り着いた時には、心なしか誇らしげな顔になっている。
「ありがとう。
そうだ、この菓子を後で妹と食べるといい。」
レオヴァは柔らかな笑みを浮かべながら礼を言うと、袖から小さな箱を取り出した。
蓋を僅かに開いて見せれば、中には色とりどりの金平糖が入っている。
途端に子どもの顔がぱっと輝き、先ほどまで慎重に盆を運んでいた緊張など何処へやら、両手で大事そうに箱を受け取った。
「やった! 妹とたべるね!
ありがとうレオヴァさま~!」
ぺこりと勢いよく頭を下げると、今度は足取りも軽く、嬉しそうに跳ねるような調子で部屋から出て行った。
閉じていく障子の向こうへその姿が消えるまで見送り、康イエは僅かに目を細める。
食堂で職人たちから慕われていたこともそうだが、子どもまであれほど屈託なく近付いてくるとなれば、この少年が村の中でどのような立場にいるのかは嫌でも伝わってくる。
「……酒ではなくて申し訳ないが…」
レオヴァはそう言いながら盆を引き寄せ、二つの茶飲みをヒョウ五郎と康イエの前へ置いた。
湯気と共に立ち上る香りが、ふわりと鼻先を掠める。
康イエは思わず鼻から息を吸った。
青臭さはほとんどなく、柔らかい茶葉の香りの中に、どこか甘ささえ感じさせる芳香がある。
「いや、茶も好きでな。ありがたく頂こう」
軽く手を上げて気にするなと示し、そのまま茶飲みを持ち上げる。指先に伝わる程よい温かさを感じながらひと口含んだ瞬間、康イエの眉が大きく上がった。
「…おぉ! これはまた…」
思わず漏れた声に、ヒョウ五郎が片眉を上げる。
「おいおい、なんだ? 茶がどうかしたのか?」
「ヒョウ五郎、お前もひと口飲んでみろ!
今までの茶だと思うと腰抜かすぞ!」
康イエの大袈裟とも取れる反応に、ヒョウ五郎は訝しげな顔をした。
しかし確かに香りは悪くない。促されるまま茶飲みへ口をつけると、今度はヒョウ五郎まで目を見開いた。
口いっぱいに広がる茶葉の旨みは濃いが、決して重くない。
飲み込んだ後には程よい渋みが舌へ残り、それがかえって次の一口を誘う。
「はっはっは!こいつぁ美味い!」
「言っただろう!この確しっかりとした茶ならではの旨み……いやぁ、こんな美味い茶は初めてだ」
「旨みもそうだが、飲み終わった後の程よい苦味が良い!
これぞ茶だろう、おれぁ気に入った。」
先ほどまで互いにレオヴァを見定めようとしていた二人だったが、今ばかりはすっかり一杯の茶へ気を取られていた。
康イエはもう一度香りを確かめるように茶飲みへ鼻を近付け、それから不思議そうに首を傾げる。
「だが一体、こんな茶を何処で手に入れたんだ?」
「そうさな……都以外で茶を作ってる場所なんざ、疾とうの昔に無くなっちまったと思ってたんだが。
若造!こりゃ何処で手に入る?」
二人が揃って身を乗り出すと、レオヴァは僅かに目を丸くしたものの、すぐに茶飲みへ視線を落とした。
「その茶は、この編笠村で作ってる。
買い取りたいってんなら茶畑の婆さんに、おれから話をつけよう。」
「ここで作ってる?」
「編笠村で茶を作ってるなんざ聞いたこたぁねぇぞ」
驚きを隠さない二人に対し、レオヴァは特に勿体ぶることもなく事情を話し始めた。
「実は土地を取られた茶葉農家がこの町に来たんだ。
今は彼らはうちで野菜農家をしているが、その合間に茶の栽培もしていたようでな。
採れた葉で茶を淹れてくれたんだが、それ以来すっかり茶にハマってしまって…
本人たちも"お茶"に誇りが有るようだったし少し所有地を増やして茶の栽培も出来る様にした…って訳なんだ」
話を聞いていた康イエの表情が、僅かに曇る。
土地を取られた農家。
今のワノ国では、決して珍しい話ではない。オロチの政策によって土地を追われ、それまで生業としていたものを捨てざるを得なくなった者は数え切れぬほどいる。
それでも、その者たちは編笠村へ流れ着いた後、完全に茶作りを諦めてはいなかったのだろう。小さな畑でも葉を育て続け、その味と技術を守っていた。
レオヴァはそれを知り、土地を増やした。
康イエは茶飲みの中に残る淡い色の茶を見つめながら、小さく呟く。
「……そうだったのか、土地を追われた者たちの」
「そりゃ茶農家も喜んだだろうなァ……」
ヒョウ五郎も腕を組み直し、納得したように頷いた。
しかし、そこでふと何かに気付いたらしい。片眉を上げると、レオヴァへ視線を向ける。
「にしても土地を増やしてやるたぁ太っ腹だな
ほかの村人たちゃ文句言わなかったのか?」
その疑問は康イエにも理解出来た。
土地には限りがある。
新しく誰かへ与えるのであれば、本来は別の誰かが持っている土地を削るか、村全体で何らかの調整をしなければならない。
善意だけで簡単に動かせる話ではなかった。
「編笠村の領地は決まってる。新しく土地をやるにも他の町人の土地を渡さなきゃならんだろう?
……どう意見をまとめたのか是非聞きてぇもんだ。」
康イエがそう続けると、レオヴァは二人の考えていることを理解したらしく、首を横へ振った。
「いや、二人が考えてる方法で土地を渡した訳じゃない。
この編笠村は領地の大半が竹で覆われているだろう?
だから少し整地して住んだり、畑作に使える割合を増やしただけだ。」
言われてみればその通りだった。
編笠村へ入るまでの道でも、周囲には巨大な竹が広く生い茂っていた。もともと人が使っていなかった土地を切り開き、耕作出来る場所へ変えたのなら、既存の農家から畑を奪う必要はない。
ヒョウ五郎と康イエは顔を見合わせ、それぞれ納得したように頷く。
「そう言う事だったか。」
「ははは!確かにここはデケェ竹に囲まれてるからな」
疑問が解けたことで、康イエは安堵すると同時に、少し居心地の悪そうな顔になった。
先ほどの問い方では、まるでレオヴァが村人から土地を取り上げたと疑っていたようにも聞こえる。
「疑う様な聞き方をして悪かったな、おれはてっきり無理に領地を分けさせたのかと
……いや誤解だった…」
するとレオヴァは気を悪くした様子もなく、むしろ僅かに眉を下げた。
「頑張ってくれてる皆から奪うような真似はしたくない。
それに誤解されても仕方がないだろう。
…………実際、オロチはそう言うやり方をしているらしい…」
最後の言葉だけ、声の調子が僅かに落ちる。
その表情を見逃さなかったヒョウ五郎が、すぐさま身を乗り出した。
「…そうだ。あの馬鹿はてめぇの事しか考えずに好き放題やってやがる。
だが、今日この村に来てお前がオロチとは違うやり方で村をまとめてるのを見た。
この村の者たちが幸せなのは揺るぎねぇ事実だ。」
康イエも否定する理由はなかった。
自分たちは報告書を読んだうえで、それでも疑ってここまで来た。
しかし実際に編笠村へ足を踏み入れ、農民や漁師、子どもたちの姿を見て、工場で働く職人たちの声まで聞いた。
作られた笑顔には見えなかった。
怯えて従っている者の態度でもない。
目の前にいる少年がどのような思惑を持っているにせよ、この村が豊かになっていることだけは、もはや疑いようのない事実だった。
「ヒョウ五郎の言う通りだ。
この村は昔と変わらず……いや、昔以上に平和で豊かだ。
……なぜだ? オロチは何も言わねぇのかい?」
問いかけながら、康イエはレオヴァの表情を窺った。
ここからが本題だった。
村が豊かなことを確かめるだけなら、既に十分すぎるほど確かめた。
二人が本当に知りたいのは、その状態をオロチの支配下でどう維持しているのか、そして何より、目の前の少年が何を考えているのかという点にある。
その意図を代弁するように、ヒョウ五郎が低い声で続けた。
「それだけじゃねぇ、お前自身の考えもわからねぇ。
……余所者の若造が村を平和に保つ事になんの利がある?
邪気は感じねぇ、だが腹が読めねぇ
はっきり言おう、おれぁお前を見定めに来た!
腹をわって話してぇ……本音で、だ」
先ほどまで茶の味に笑い、土地の話をしていた時とは明らかに空気が違った。
ヒョウ五郎の目から笑みが消え、長く裏社会を束ねてきた男の圧が静かに滲み出す。
それは大声を上げて威嚇するようなものではない。
ただ真っ直ぐ相手を見据えるだけで、誤魔化しは許さないと伝わってくる。
しかし、レオヴァは怯まなかった。
僅かに姿勢を正しただけでヒョウ五郎の視線を受け止め、康イエにも一度目を向ける。
「そうか、わざわざ大物がおれに会いに来たんだ
なにか理由があるのはわかってた。
………おれも本音で話そう。なにより貴殿らに嘘は通じないだろう?
全てに答えよう、何から聞きたい?」
その返答に、康イエは胸の内で僅かに息を吐いた。
逃げる気はないらしい。
ならば、ここから先は遠慮する必要もない。
ヒョウ五郎も同じように受け取ったのだろう。
腕を組み直すと、まず最初の問いを真正面から投げ掛けた。
「まず、何故村に良くするのかが聞きてぇ」
「逆になぜ酷くしなければならない?」
返ってきた答えに、ヒョウ五郎の眉間へ皺が寄る。
「……答えになってねぇぞ」
レオヴァは少し考えるように視線を落とした。
どう説明すれば伝わるのか、本人にとっては当然すぎて言葉へするのが難しいのかもしれない。
暫くしてから顔を上げると、慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「んん…言葉にするのは難しいが、おれは村の管理を任されている。
だから村の"為になる"事を成すのは当たり前じゃないのか?」
康イエは思わずレオヴァを見つめた。
あまりに簡単に言う。
だが、それこそ本来であれば上に立つ者が持つべき考えでもある。
「ほう、お前さんはそう言う考えなのか」
「…欲がねぇって事か」
ヒョウ五郎の問いに、レオヴァはすぐ首を横へ振った。
「いや、欲はある。おれも人だからな…
しかし、だからといって皆から無理やり搾り取るのは違うだろう。」
「その考えにゃ おれも賛成だ。」
ヒョウ五郎が短く頷く。
康イエも同じ思いだったが、それだけでは説明出来ないことがある。オロチがレオヴァのやり方を黙って見ているとは考えにくい。
「だがなぁ…オロチはお前さんのやり方に反発してこねぇのかい?」
その名前が出た途端、レオヴァは明らかに疲れた顔になった。
先ほどまで落ち着いていた眉間に僅かな皺が寄り、深い溜め息を吐く。
「……まぁ、色々と妨害はあるな」
その様子だけで、相当面倒なやり取りを繰り返していることは察せられた。
康イエの口元が僅かに引きつる。
「……ずいぶんと苦労してるみてぇで…」
ヒョウ五郎も半ば呆れながら続けた。
「逆らっても首が飛ばねぇとは」
オロチの機嫌を損ねた者がどうなるかは、二人とも嫌というほど知っている。
しかし、レオヴァは特に怯えた様子もなく淡々と答えた。
「おれは奴よりも、奴の配下よりも強い。
…まぁ…奴が手を出せないのは"百獣の息子"という肩書きのせいだろうがな」
そこで康イエは、改めて目の前の少年の出自を思い出した。
村人や職人たちとの接し方ばかり見ていたため、暫く意識から抜け落ちていたが、この少年はカイドウの実の息子なのだ。
「そうだった。お前さんカイドウの息子だったなぁ…」
ヒョウ五郎も同じことを思ったらしい。
レオヴァの顔を改めて眺め、白い角から髪、顔立ちへと視線を動かした後、何気ない調子で口を開く。
「遠くから見たこたぁあるが……若造、お前あんまり似てねぇなァ」
その言葉を聞いた瞬間だった。
レオヴァの表情が、目に見えて陰った。
康イエは思わず瞬きをする。
ここまで何を尋ねても落ち着きを崩さなかった少年が、初めて分かりやすく動揺したのだ。
「…っ…似て、ない?おれが?…いや…確かに猛々しく頼りがいのある父さんと比べるとおれは」
声まで僅かに沈んでいる。
どうやら本気で気にしているらしい。
康イエが何と声を掛けるべきか迷っている隣で、ヒョウ五郎は数秒ほど黙ってレオヴァを見つめ――やがて堪えきれなくなったように大声で笑い始めた。
「はっはっはっは!!なんだ小僧、気にしてたのか!」
先ほどまで大人顔負けの受け答えをし、村の管理やオロチとの関係を淡々と語っていた少年が、父親に似ていないと言われただけで露骨に落ち込んでいる。
あまりの落差に、ヒョウ五郎は笑わずにはいられなかったのだろう。
康イエも驚きながらレオヴァを見る。
確かに意外だった。
村へ来てから目にしてきたものがあまりに出来すぎていたため、康イエの中でも知らず知らずのうちに、目の前の少年を年齢以上の存在として見ていたのかもしれない。
だが今の顔は、間違いなく父親を慕う子どものものだった。
一方、笑われた本人は面白くないらしく、レオヴァは僅かに頬を強張らせてヒョウ五郎を睨む。
「……笑うことはないだろう、誰にでも悩みのひとつや二つあるもんだ
………はぁ、この話はいい……他に質問は?」
話を切り上げようとする様子が、かえってヒョウ五郎の笑いを誘った。
「なんだ、いじけるな小僧!
いいじゃねぇか、人間味がある!
なんでも完璧すぎて得体が知れなかったが、なかなかどうして可愛げがあるじゃねぇか」
「まったく、ヒョウ五郎!
あまりからかってやるな!……だが、意外ではあるな。
と、まぁ次の質問だ。工場での労働内容が聞きてぇ」
康イエが半ば強引に話題を戻す。
レオヴァはなおも肩を揺らして笑っているヒョウ五郎を一度だけ不満げに見たものの、それ以上相手にはせず、康イエへ向き直った。
一度緩んだ空気の中でも、会談そのものが終わったわけではない。
むしろ康イエにとっては、ここからさらに知りたいことが増えていた。
村を豊かにした少年が、実際にどのような仕組みで人を働かせ、利益を生み出しているのか。
そして、その先に何を見ているのか。
茶飲みから立ち上る湯気が少しずつ細くなっていく中、三人の話はさらに深いところへ進もうとしていた。
「編笠村と鈴後の工場では7時間労働、間に1時間昼休憩。午前10時開始の午後6時終わりだ。
少し長引く日もあるが、その場合は長引いた時間の給金が出る。
そして、一週間のうち5日が作業、2日は休みで、有給休暇もある。」
淀みなく説明された内容に、康イエとヒョウ五郎は揃って眉を寄せた。
一つ一つの言葉自体は理解出来る。しかし、それらを工場の働き方として並べられると、これまで自分たちが知っていた労働の形とはあまりにも違っていた。
「待て、仕事の時間がきっちり決まってんのか……いや、そもそもなぜ長引いた分も給料がでる?
それに昼休憩に1時間……20分ありゃ飯は終わるだろう?」
ヒョウ五郎は腕を組み直しながら、本気で理解出来ないといった顔をする。
康イエも同じように首を傾げたが、彼が引っ掛かったのは別の言葉だった。
「いや、それもそうだが…"ゆうきゅうきゅうか"とは聞き慣れん言葉だ」
二人から同時に疑問を向けられたレオヴァは、少し考えるように茶飲みへ視線を落とした後、まず前提から説明した方が早いと口を開く。
「うちは歩合制ではなく時給制なんだ。」
「あぁ…駄目だ。ちょっと待て。
聞き慣れん単語が増えすぎて意味がわからねぇ…」
ヒョウ五郎が片手を上げ、早くも話を止めた。
「ぶあいせい?…じきゅうせい?」
康イエまで眉を寄せて復唱する姿に、レオヴァは僅かに苦笑した。
この国では制度として明確に呼び分ける必要がなかったのだろう。
仕組みそのものは身近なものに置き換えれば難しくない。
「歩合制は出来高によって給料がかわる。時給制は時間で決まった給料が貰える制度だ。」
「……ほう、歩合制は商人や農家のような感じか?」
「まぁ、そんな認識でいい。」
康イエは得心したように頷いたが、ヒョウ五郎は逆に新たな疑問を抱いたらしい。
「ん?……じぁあ歩合制のがいいじゃねぇか?
やったらやった分だけ稼げる訳だろう?」
一見すればもっともな話だった。
多く作れば多く稼げる。腕の良い職人ならば、その方が得をするようにも思える。
しかし、レオヴァはすぐに首を横へ振った。
「確かにやった分だけ稼げるが、その分安定しない。
出来が悪ければ給金にならないし、質を良くするよう努めたら給金も上がりづらくなるだろう」
数を作るだけなら早い。
だが武器は、数さえ揃えば良いものではない。
刃の歪みを直し、重心を確かめ、僅かな欠けまで気にして仕上げようとすれば、それだけ一つにかける時間は長くなる。
出来高だけで給金が決まるなら、生活のために数を優先せざるを得ない者も出てくるだろう。
康イエはそこでようやく、レオヴァの考えていることを理解し始めた。
「……時給制ならば上がりやすいと?」
「あぁ。時給制に加え、昇給制度もある。
工場に勤めたばかりの新人職人と経験の多い職人が同じ給料だとおかしいだろう?」
「なるほどな、熟練度で稼げる金額も変わるわけか」
ヒョウ五郎が顎へ手を当てながら頷く。
レオヴァはそれを見て、説明を続けた。
「そうだ。昇給制度があれば極めた分だけ給料は上がる。
それに時給制なら極める間も安定した給金があるから生活にも困らない。
武器作りも私生活も楽しく過ごせることが一番だろう」
康イエは思わず目を細めた。
単に職人へ多く金を渡しているのではない。
新人には生活を維持出来るだけの安定を与え、腕を磨けばその分だけ報いる仕組みを作る。急いで粗悪な物を量産するより、時間を掛けて技術を身につける方が将来的に得になるようにしているのだ。
働く側にとって有利なだけではなく、結果として工場に腕の良い職人が残る。
「……ふむ、理想形だな」
感嘆を漏らす康イエの隣で、ヒョウ五郎も大きく頷いた。
「小僧の言う政策は働く者からしたら楽園みてぇな考えだ…!」
「ヒョウ五郎の言う通りだ。
…しかし、それだけ手厚い対応をしてお前さん達に利益は出ているのか…?」
康イエが問う。
どれほど理想的でも、続かなければ意味がない。
職人へ十分以上の給金を払い、休みまで与えるとなれば、当然ながら工場側の負担も増えるはずだ。
だがレオヴァは、何故そんなことを聞くのかとでも言いたげに首を傾げた。
「勿論だ、利益は出ている。ワノ国の職人は皆素晴らしいからな。
あれだけの出来なんだ売れないハズがないだろう?」
その言葉に迷いはなかった。
康イエは僅かに目を見開く。
職人の腕を褒める言葉はいくらでも聞いたことがあるが、ここまで当然のこととして信頼を口にする者は珍しい。
ヒョウ五郎はそんなレオヴァを暫く眺めていたものの、まだ腑に落ちないところがあるらしい。
「ワノ国でも編笠村の工場の武器は随一だって聞いてる。
……職人の給金を減らせばもっとも利益がでるだろ。
なぜ、手厚い対応を続けるんだ?」
余計な支出を削れば、その分だけ手元に残る利益は増える。
商いとして考えるなら間違いではない。
しかしレオヴァは、今度こそ本当に不思議そうな表情を浮かべた。
「そりゃ職人がいるから質の良い物が出来るんだ。
ならば、その職人達を尊重するのは当たり前だ。」
あまりにも迷いのない答えに、康イエは一瞬言葉を失った。
それから、嬉しそうに微笑む。
「そうか……そうだな。」
武器を作るのは工場そのものではない。
そこにいる人間だ。
言葉にしてしまえば単純なことだが、上に立つ者ほど忘れがちなことでもある。
康イエは手元の茶へ目を落とし、僅かに表情を和らげた。
それでも、ヒョウ五郎の疑問はまだ終わっていなかった。
「なら村人たちに良くするのはなぜだ?」
職人を大切にする理由は分かった。
工場の利益へ直接繋がるからだ。
では、農家や漁師、子どもや老人まで含めて村全体を豊かにする理由は何なのか。
レオヴァは少しも考え込むことなく答えた。
「農家は生活には欠かせない存在だ
村の発展において一番重要だとも言える。
そして、村人たちの殆どが農民だ。
…重要な存在を大切にするのは当然だと思わないか?」
「農民からは大きな利益は出ねぇだろう?
……それでも重要だと?」
ヒョウ五郎の問いにも、レオヴァの表情は変わらない。
「食料がなきゃ餓死する。
それを防げるだけで既に重要な存在なのは言うまでもないだろう。
それに特産品を作れば利益もでるさ…さっきの茶のようにな」
最後に僅かに笑ってみせる。
その言葉で二人は同時に、自分の前に置かれた茶飲みへ視線を落とした。
土地を追われた茶農家に場所を与え、技術を再び活かせるようにする。
その結果、村には新しい産物が生まれ、外へ売ることが出来れば利益にもなる。
誰かを救うことと、村を豊かにすることが別々に存在しているのではない。
その二つが繋がるように仕組みを作っているのだ。
康イエは暫く茶飲みを見つめた後、半ば呆れたように息を吐いた。
「……まったく、本当に敵いそうもないな
その歳でここまで先見の明があるとは……」
ヒョウ五郎も大きく鼻から息を吐き、改めてレオヴァを見る。
「ただの小僧じゃねぇことは良くわかった!
……だが、会ったら絶対に聞きてぇと思ってた事がある
お前の目的だ。」
空気が僅かに変わった。
ここまでの質問は、レオヴァが実際に何をしているのかを確認するものだった。
だが、今度は違う。
何故そこまでするのか。
ヒョウ五郎が本当に知りたかった部分へ、ようやく話が進んだのだ。
「おれの目的…?」
「そうだ。小僧が村を良くしていってるのは十分見たし、聞かせてもらった。
だが、理由がねぇ。利益を理由にするなら小僧のやり方は不自然だろ?
細かい所を切り詰めりゃもっと利益が出せるんだ。
…例えば工場の近くの自然とかな。あれの整備にも金はかかってるだろ?
そりゃ住む村人にとっちゃ大切な自然だ。
けどな、そんなこと余所者には関係ねぇはずだ。
……おれぁ、小僧のやってることの理由が聞きてぇんだ」
康イエも静かに頷いた。
「ヒョウ五郎の言う事、一理ある。
おれもお前さんが何故ここまで編笠村と鈴後を大切にしているのかが解らん。
善意……とはまた違うのだろう?」
二人はここへ来るまで、レオヴァを疑っていた。
カイドウの息子が善政を敷いている。
そんな都合の良い話があるものかと考え、何か裏があるのではないかと警戒していた。
実際に村へ来て、その疑いの多くは消えた。
農民は豊かに暮らし、子どもは笑い、職人はレオヴァを慕っている。本人と話してみても、横暴さや民を軽んじる様子は見えず、むしろ上に立つ者としての素質さえ感じさせた。
民を思う姿勢。
父親を慕う純真さ。
そして、先ほど僅かに覗かせた年相応の子どもらしさ。
気付けば二人とも、目の前の少年へ好意的な感情を抱き始めている。
だからこそ、余計に分からない。
どれだけ人格者であったとしても、レオヴァはワノ国の人間ではない。
しかも百獣海賊団――こちらから見れば支配する側の人間だ。
村の管理を任されたからといって、わざわざ将軍に睨まれながらここまで手厚く整える必要はない。
最低限の生産力だけを維持し、残りを利益として吸い上げる方が、よほど支配する側にとっては簡単なはずだ。
しかもレオヴァは、感情だけで動いているわけでもない。
政策の一つ一つには利益が出る仕組みがあり、職人や農家へ金を掛ける理由も筋道立てて説明出来る。
人格者でありながら、合理的でもある。
ならば、その合理的な人間が何故ここまで村へ手を掛けるのか。
ただの善意だけでは、二人にはどうしても説明がつかなかった。
問いを向けられたレオヴァは、すぐには答えなかった。
暫く黙ったまま二人を見つめ、それから茶飲みを手に取る。
既に少し冷め始めた茶をひと口飲み、静かに戻した。
「二人の言いたいことは理解しているが
……納得させる自信はないぞ?」
「構わねぇ、おれぁ知りてぇだけだ」
「あぁ、納得したい訳じゃないんだ」
二人の返答に、レオヴァはそれならばと小さく頷いた。
「まず、1つがおれ自身がワノ国の文化を気に入ってる事。
そして2つ目は……父さんの役に立ちたいからだ。」
予想していたものとは随分違う答えだった。
ヒョウ五郎も康イエも、思わずきょとんとした顔でレオヴァを見返す。
その反応を見た本人は、少し居心地が悪そうに眉を寄せた。
「気持ちは解るがそんな顔をしないでくれ…
……おれは父さんの喜ぶ顔がみたいんだ」
「父親……カイドウの為か」
康イエが確認するように問い返す。
「あぁ、父さんの為になるなら おれは何でもやるつもりだ」
言い切る声には迷いがない。
むしろ今までのどの答えよりも、はっきりとしていた。
ヒョウ五郎は困惑を隠さないまま眉を寄せる。
「いや、おれたちが聞きてぇのは……」
「動機が聞きたかったんだろう?
本音で話すと約束したからな。
この際だ、はっきり言おう…おれの行動原理は基本、父さんだ。」
あまりにも堂々と言われ、二人はますます混乱した。
村を豊かにする理由を聞いているのに、返ってくるのは父親への思慕ばかり。
少なくとも二人の中では、まだ話が繋がっていない。
「いやだから、何故そうなるのかが聞きてぇんだ!」
ヒョウ五郎が痺れを切らしたように声を上げる。
康イエも続けた
「……カイドウがそれを望んでるってことか?」
「いや、父さんは村の事については完全におれに任せてくれている」
「じゃあ、やはりお前さんの父親の役に立ちたいって気持ちと村を大切にする事に繋がりは無いんじゃないか…?」
「おうよ、それじゃ答えになってねぇ」
二人から揃って指摘され、レオヴァはようやく自分の説明が足りなかったことに気付いたらしい。
僅かに考え込み、それから言葉を選び直す。
「そうだな、すまない。少し言葉足らずだった。
……少し語弊があるが、分かりやすく言うならば
父さんから預けられたものを大切にしている感覚…だな」
ヒョウ五郎はそこでようやく「あぁ」と声を漏らした。
「さっきよりかは分かりやすいな」
「……ふむ…確かにそれなら理由にはなる、か?」
康イエも完全に納得した様子ではないが、少なくとも先ほどよりは話が繋がったらしい。
父親から任された土地だからこそ、粗末には扱いたくない。
その考えならば、村を大切にすることとカイドウの役に立ちたいという思いは確かに両立する。
レオヴァはさらに続ける。
「もちろん他にも理由はあるぞ?
ワノ国特有の文化や風景が素晴らしかった事
それに住む人々も真っ直ぐで好感が持てた。
……包み隠さず言うなら、気に入ったから大切にしている…という所だ」
ヒョウ五郎は暫く黙り込んだ後、鼻から息を吐いた。
「ワノ国が気に入ったから良くしてるってことか
普通なら納得できねぇ!……と言う所だが実際、本当に良く村をまわしてるからな」
康イエも苦笑する。
「変な所で子どもらしいと言うか、だが嘘をつく理由もないか」
合理的な答えを期待したところへ、最後に出てきたのが「気に入ったから」という随分と感覚的な理由だった。
けれど、だからといって嘘とも思えない。
むしろ先ほど、父親と似ていないことを気にしていた時と同じような、年相応の単純さが僅かに感じられた。
二人は完全に同じ結論へ至ったわけではなかったが、それぞれの中で一応の折り合いをつけた。
その時だった。
レオヴァが茶飲みから手を離し、改めて二人を見る。
先ほどまでよりも少しだけ真剣な表情になっていた。
「……腹を割って話す場だからこそ、おれも聞きたい事がある」
ヒョウ五郎も康イエも、自然と姿勢を正した。
これまで質問していたのは自分たちだ。
今度はレオヴァの番ということらしい。
「ヒョウ五郎親分、康イエ殿
……おれと共にワノ国を変えてはくれないだろうか?」
唐突に告げられた言葉に、部屋の空気が止まった。
二人とも、すぐには意味を飲み込めない。
先ほどまで茶や給金の話をしていた少年の口から、あまりにも大きな申し出が飛び出してきたのだ。
最初に反応したのはヒョウ五郎だった。
僅かに腰を浮かせるように身を乗り出し、先ほどまでとは違う鋭い目でレオヴァを睨む。
「おいおい、また突拍子もねぇ…!
……おれにお前の下につけってのか?」
声は一段低い。
部屋の空気が一気に張り詰める。
康イエもまた、軽々しく口を挟むことはせず、静かに目を閉じて腕を組んだ。
「……まったく話が見えんな」
二人の反応を前にしても、レオヴァは姿勢を崩さなかった。
ヒョウ五郎の睨みを真正面から受け止め、ゆっくりと言葉を返す。
「おれの下に付いて欲しい訳じゃねぇ、"共に"今の現状を変えて欲しいんだ
……正直オロチのやり方は目に余る。
事実、おれのやり方でオロチを上回る結果が残せてるんだ
民を徒に苦しめる政策を続けさせるのは百獣海賊団にとっても不利益かつ不合理だろう」
ヒョウ五郎は黙ったまま、レオヴァを見据え続けた。
康イエも目を開く。
先ほどまでの問いとは、重みが違う。
これは一つの村の経営について話しているのではない。
ワノ国そのものを、今とは違う方向へ動かそうという話だった。
しかも、その申し出をしているのは百獣のカイドウの息子。
簡単に答えを返せるはずがなかった。
ヒョウ五郎はレオヴァをじっと睨むように見つめたまま、すぐには口を開かなかった。
先ほどまで語られていたのは、編笠村や鈴後という限られた土地の話だった。
工場をどう動かし、職人や農民をどう扱うか。
それだけならば、若いながらも優れた元締めの考えとして聞くことが出来る。
しかし今、レオヴァが口にしたのは“ワノ国を変える”という話だ。
それも、自分たちに力を貸してほしいと言う。
侠客として長く人を見てきたヒョウ五郎にとって、軽く頷ける申し出ではなかった。
やがて腕を組んだまま僅かに身体を前へ傾け、低い声で問いかける。
「……小僧…もし、もしてめぇが国を仕切る事になったら編笠村や鈴後にしたように利益だけじゃなく、民に利になる政策をとれるのか?
……仮にだ…民の為になる政策をとるなら、小僧にとっての利益はなんだ?」
その問いには、これまで以上に強い警戒が込められていた。
目の前の少年が善政を敷いていることは、もう疑っていない。
編笠村へ来てから自分の目で見たものが、それを証明している。
だが、一つの村を良くすることと、一国を動かすことは同じではない。
今は村人と利益が両立しているから良いだけなのか。それとも、利益と民の暮らしが衝突した時にも同じ判断が出来るのか。
そこを聞かずに協力など出来るはずがなかった。
レオヴァはヒョウ五郎の問いを正面から受け止め、少しも間を置かず首を横へ振る。
「いや、元より おれが国を仕切るつもりはない。
だが、あらゆる素晴らしい文化をこのまま悪政で失うのは惜しい…!
そして、おれにとっての利益はワノ国の存続だ」
「ワノ国の存続……?」
康イエの眉が寄る。
「……ワノ国が滅びる、と言いたいのか?」
今度は康イエの声にも、僅かな険しさが混じった。
大名として国を支える立場にある以上、“滅びる”という言葉を聞き流すことなど出来ない。
レオヴァは二人の反応を見ながら、静かに続ける。
「少なくともこのまま民を蔑ろにし続ければ遅かれ早かれ国は終わる。
……民が豊かになれば国も栄える…逆も然りだ。
なにより、国とは民があってこそ。
それを忘れた者に上に立つ資格などない、とおれは考えている。」
室内が静まり返った。
障子の向こうから聞こえていた人の気配さえ遠く感じるほど、重い沈黙だった。
康イエは反論出来なかった。
大名として国を見てきたからこそ、その言葉が理想論だけではないと分かってしまう。
どれほど土地が豊かでも、そこに住む者が飢え、働く者が倒れ、子どもが育たなくなれば、いずれ国そのものが立ち行かなくなる。
税を取る相手も、田畑を耕す者も、物を作る職人もいなくなれば、残るのは名前だけの土地だ。
そして今のワノ国は、少しずつその方向へ進んでいる。
それでも、一つ腑に落ちない部分があった。
康イエは腕を組んだままレオヴァを見る。
「……お前さんの意志はわかった。
…なら何故ワノ国の存続が利益になる?」
民を守りたいという理由だけならば、善意として理解することは出来る。
しかし先ほどからレオヴァは、自分の行動を百獣海賊団やカイドウの利益とも結び付けている。
その二つがどこで繋がるのか、康イエにはまだ完全には見えていなかった。
レオヴァは少しだけ身体を前へ傾けた。
「逆に考えてくれ。
ワノ国がなくなる事は百獣海賊団にとって損失なんだ、なんたって今ある利益が出なくなる訳だからな」
康イエは一瞬黙り、それからゆっくりと頷いた。
「ふむ……存続し続ければそれが利益になると
……確かにその通りだ。」
国から利益を得たいのなら、その国が存続していなければならない。
民を搾り上げて短期間で多くを得るより、民の暮らしを維持し、生産を続けられる状態を作った方が、長く利益を得ることが出来る。
言われてしまえば単純な理屈だった。
だが、今のオロチのやり方は明らかにそれと逆を行っている。
康イエは手元の茶へ目を落とした。
土地を追われた茶農家へ新しい場所を与えたことで生まれた茶。
職人たちへ安定した給金を与えたことで高まった武器の質。
村人が健康に暮らせるよう環境を整えたことで保たれている生産力。
今日一日、自分たちが見てきたものの全てが、レオヴァの言葉を裏付けているように思えた。
レオヴァは改めて二人を見る。
「……で、どうだろうか。
おれは百獣海賊団の…父さんの為に現状を変えたい。
そして、ワノ国の文化に惚れ込んだ者として民を守りたい。
ヒョウ五郎親分、康イエ殿……この件について考えてくれるだろうか?」
今すぐ答えを求めるような口調ではなかった。
それでも、差し出された選択肢が軽いものではないことに変わりはない。
康イエはレオヴァの顔をじっと見つめた後、静かに口を開いた。
「……今ここで答えを聞かぬのか」
「簡単に答えが出せる内容ではないだろう?
……おれも唐突すぎたとは思っている」
確かにその通りだった。
相手はカイドウの息子。
百獣海賊団と共に動くということは、これまで自分たちが立っていた場所そのものを見直すことにもなり得る。
ヒョウ五郎は組んでいた腕を解かず、なおもレオヴァを見定めるように睨んでいたが、やがて別の疑問を口にした。
「…何故おれらに声をかけた…?」
「民を思い、今に不信を抱いているからだな」
即答だった。
ヒョウ五郎の眉が僅かに動く。
「……会ったばかりで分かるもんか?」
その問いに、レオヴァは少しだけ表情を和らげた。
「ふふ……少なくとも民の為、希望の噂を確かめようと罠かも知れない場所へたった二人で来るような人達だ。
本当に皆を大切に思って居ないと出来ないことだろう?」
柔らかな笑みだった。
先ほど国の存続や政策について語っていた時の冷静な顔とも、父親に似ていないと言われてむくれていた時とも違う。
大人びているようで、時折年相応の幼さが滲む。
そのどちらか一方ではなく、二つが自然に同居しているような不思議な少年だった。
ヒョウ五郎と康イエは押し黙った。
一人は強く腕を組み、視線を畳へ落としている。
もう一人は、目の前の少年が何者なのか最後まで見極めようとするように、じっとレオヴァを見つめ続けていた。
今日ここへ来るまでは、二人とも疑っていた。
カイドウの息子が善政を敷くなど、裏があるに決まっている。
そう思っていた。
しかし実際に見た編笠村は豊かで、そこで暮らす人々は笑っていた。職人たちは自らの仕事に誇りを持ち、子どもたちは元締めを守ると枝を構えるほど慕っている。
そして本人と話してみれば、政策には筋が通り、民をただ甘やかしているわけでもなく、利益を残す仕組みまで考えている。
それでも相手は百獣の息子なのだ。
好感だけで決めて良い話ではない。
長い沈黙の末、結論を急ぐべきではないという点だけは二人の間で一致した。
ヒョウ五郎と康イエは、後日あらためてレオヴァと会い、その時に答えを返すと約束する。
レオヴァもそれ以上迫ることはせず、二人の返答を受け入れた。
やがて席を立った侠客と大名は、来た時とはまるで違う思いを胸に抱えながら、編笠村を後にした。
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二人が去った後。
先ほどまで三人で向かい合っていた部屋には、静けさが戻っていた。
レオヴァは座ったまま、まだ残っていた茶をゆっくりと口へ運ぶ。
既に温かさはほとんど失われていたが、茶葉の風味は十分に残っている。
障子の向こうでは村人たちの声が聞こえ、工場の方角からも仕事を終えた職人たちの笑い声が微かに届いていた。
先ほどまで見せていた柔らかな表情はそのままだったが、その思考は既に二人との会話を一つずつ振り返っている。
今回、ヒョウ五郎と康イエが自分のもとを訪れる可能性が高いことは、事前に分かっていた。
少し前から、花の侠客が放った者たちが編笠村へ入り込み、レオヴァ自身や村の様子を嗅ぎ回っていたからだ。
別に止める必要はなかった。
むしろ好きなだけ見せた。
工場も。
農地も。
川も。
村人たちの生活も。
見られて困るものなど何一つない。
編笠村が本当に豊かになっていると分かれば、その情報は必ずヒョウ五郎のもとへ届く。
そして、大名である康イエと花のヒョウ五郎に繋がりがあることも、大方予想通りだった。
二人が今の状況へ不満や焦りを抱えていることは、火を見るより明らかだ。
康イエの領地は少しずつ荒れ、民は苦しくなっている。
それにもかかわらず、彼が信じる“王”は何も語らず、ただ踊り続けている。
事情を知っている者ならば耐えることも出来るのだろう。
だが、何も知らされていない者にとっては違う。
信じていた男が何故そんなことをしているのか分からないまま、目の前では民が苦しんでいる。
だが、康イエは、それでもおでんを信じるしかないのだろう。
かつて見た男の姿を。
いつか必ず立ち上がってくれるという希望を。
それを手放してしまえば、今まで信じてきたものまで全て失ってしまうかのように。
一方のヒョウ五郎は、康イエとは少し違う。
花の都という場所だけを見れば、彼の周囲はまだ華やかに映るかもしれない。
だが侠客として多くの者と関わり、各地から話を聞く立場にいれば、地方の惨状を知らずにいることなど出来ない。
飢える者。
土地を奪われる者。
労働によって使い潰される者。
皆が助けを求めているのに、自分一人では全てへ手を伸ばせない。
弱きを助けることを信条とする男にとって、その無力感は相当なものだろう。
いくらワノ国の侍が義理堅く、忠義を重んじると言っても、その信頼を揺らがずに保ち続けるには希望が薄すぎる。
レオヴァは茶飲みを畳へ戻した。
何も不自由のなかった頃なら、“光月おでん”はさぞ輝いて見えただろう。
圧倒的な強さ。
外の世界へ向かおうとする探求心。
考えるより先に身体が動くほどの行動力。
そして、困っている者を放っておけない人情の厚さ。
平和な時代ならば、その全てが魅力になり得る。
だが、飢えに呻く人々から見ればどうだ。
オロチを倒すことの出来ない“強さ”など、何の助けになる。
世界を見たいという“探求心”も、国が淀み始めた時にワノ国へ背を向けて海へ出たという見方をされれば、ただの身勝手に変わる。
“行動的”という長所ですら、政を任せる者として見れば、考えるより先に動く危うさと受け取られるかもしれない。
人の評価など、置かれた状況一つで簡単に変わる。
おでんは人情に厚い。
だからこそ、全ての泥を一人で被ろうとした。
誰にも理由を話さず、自分だけが恥をかけば民を守れると考えたのだろう。
しかし、その優しさは民から見えない。
事情を知らぬ人々の目に映るのは、国が苦しんでいる時に何もせず裸で踊り続ける男だけだ。
守りたかった者たちから、いずれ見限られる。
皮肉なものだ。
もっとも、レオヴァはそれを哀れむつもりはなかった。
おでんがどのような理由で動いていようと、自分にとって重要なのは父であるカイドウだ。
記憶にある光月おでんは、父に並ぶほどの強さを持つ男だった。
あの戦いを、そのまま再現させるつもりなどない。
自分が事前におでんをある程度まで削ることが出来れば、父さんとの戦いは間違いなく優位に進む。
無論、父さんが負けるとは思っていない。
それでも、可能性は少しでも潰しておく。
ましてや、おでんとの戦いが父の中に深く残り続けるようなことだけは避けたかった。
そのためにも、これから先のワノ国を支える人材は必要になる。
だからこそ、花のヒョウ五郎と霜月康イエが自分のもとへ辿り着くよう、事前に編笠村の噂を流させたのだ。
嘘だけで人を動かすのは難しい。
だからこそ、今日話したことも、全てが偽りだったわけではなかった。
父さんのために国を良くしたい、それは紛れもない本音だ。
父さんが治める土地が豊かになり、そこからより大きな利益が生まれるのなら悪いことなど何もない。
“役に立つ”ワノ国の民を、不必要に減らしたくないという考えも本心だった。
職人も農民も、健康で長く働ける方が良い。
飢えさせ、病ませ、使い潰してしまえば、そこで生み出せたはずの利益まで失うことになる。
ただし。
同じ本音でも、言い方一つで受け取られ方は変わる。
全てをそのまま口にする必要はない。
少し言葉を変える。
曖昧にする。
相手が求めている部分だけを強く見せる。
そうすれば、人は自分にとって都合の良い形へ勝手に意味を補ってくれる。
ヒョウ五郎と康イエが求めているのは、民を思いながらも現実を見て政策を行える者。
ならば、その姿を見せれば良い。
わざわざ嘘を積み重ねなくても、自分の中に本当に存在する部分だけを切り取って見せれば、それだけで十分だった。
結果として、今回の会談は成功とも失敗とも言い切れない。
二人とも、その場で協力を約束することはなかった。
しかし、拒絶もしなかった。
最初から即答を期待していたわけではない。
むしろ、その程度の話で簡単に寝返るような者ならば、こちらから願い下げだ。
レオヴァは二人が座っていた場所へ目を向けた。
おそらく一人は来る。
これまで信じてきた王に見切りをつけ、今苦しんでいる人々を救える可能性を選ぶ者。
だが、もう一人は来ない。
過去に見た輝きを捨て切れず、幸せだった頃の記憶を裏切ることが出来ない者。
どちらがどちらなのか。
今日の反応を見れば、おおよその予想はついている。
それでも、最後に選ぶのは本人たちだ。
レオヴァは冷めた茶を飲み干し、静かに茶飲みを置いた。
急ぐ必要はない。
こちらにも、まだ時間は残されている。
決戦まで――あと一年と少し。