前回もでるわでるわ誤字の山……本当に誤字報告助かります<(_ _*)>
ご感想等もニコニコ楽しく読ませて頂いております!
暖かいお言葉や、考察をありがとうございます…!
2026/9/2 加筆修正
緑豊かな、長い歴史を持つ島。
その島に三か月ほど前、一人の少年がやって来た。
名は、レオヴァ。
年齢に似合わず落ち着いた話し方をし、振る舞いも妙に大人びている。
だが決して無愛想なわけではなく、礼節をわきまえ、何より勉強熱心な少年だった。
今ではビィクター博士と、その妻フランシュの家に身を寄せ、三人で共に暮らしている。
その日の朝も、食卓にはいつもと変わらない穏やかな時間が流れていた。
「あら、アナタ 今日は少し遅いですね
昨日も遅くまで研究してたんですか?」
朝食を並べながら、フランシュが夫へ声を掛ける。
ビィクターは席へ着くなり、機嫌良く髭を撫でた。
「ほっほっほ!研究する時間などいくらあっても足りんからのぅ!」
「もう歳なんですから、無理したら身体にひびきますよ?」
妻の心配を笑い飛ばすように、ビィクターは胸を張る。
「問題ないわい お前の作ってくれる飯を食べればすぐに元気100倍じゃよ」
「うふふふ……仕方ない人なんですから…
じゃあ、これを食べてまた研究頑張って下さいね」
そんな夫婦のやり取りを向かいから眺めていたレオヴァが、小さく息を吐いた。
「フランシュ…またそうやってビィクター博士を甘やかして…」
「別に甘やかされてなんぞないわい!」
すぐにビィクターが反論するが、フランシュは楽しそうに笑うばかりだ。
「うふふ…好きな方はどうしても甘やかしたくなるものなのですよ?
レオヴァちゃんがもう少し大人になったらわかるわ」
「…そうか。 ……まぁ、フランシュさんと博士が仲が良いのはよくわかってるが」
「ぐぬぬ…フランシュもレオヴァもワシの話を無視
しおって~!」
夫の抗議にも、フランシュは慣れたものだった。
「まぁまぁ…また血圧が上がってしまいますから…
はい、今日の朝食です。 どうぞ。」
目の前へ料理が置かれた途端、ビィクターの意識はあっさりそちらへ向いた。
「うぬ。では、いただこうかのぅ!
んむ…今日も最高に美味いぞフランシュ!」
「喜んで貰えて嬉しいわ」
相変わらず仲の良い夫婦である。
レオヴァも食事を終えると、席を立った。
「……おれは書斎を借りる
構わないか博士?」
「好きにしてよいぞ!
ワシはこの後研究会に行くから勉強の続きは夕方からじゃ」
「わかった。フランシュ、ご馳走さま。」
「は~い お粗末様でした。お勉強頑張って下さいね。」
レオヴァは軽く頭を下げ、そのまま二階の書斎へ向かっていった。
その背を横目に見送りながら、ビィクターは再び妻の手料理へ舌鼓を打つ。
こうして三人で食卓を囲むことも、今ではすっかり当たり前になっていたが、この少年と出会ったのは、ほんの三か月前のことだった。
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その日、ビィクターは研究に行き詰まっていた。
机へ向かい続けても考えがまとまらず、どうにも頭が煮詰まってしまう。
そこで気分転換も兼ね、本を持って森へ入った。
木々に囲まれた静かな場所で本を読む。
研究室とは違う空気を吸えば、何か良い発想も浮かぶかもしれない。
そう考えてのことだった。
問題が起きたのは、帰ろうとした時だ。
地面へ置いていた本を持ち上げようと腰を屈め、力を入れた瞬間。
「ぬぐっ…!?」
腰に鋭い痛みが走り、その場で身体が固まる。
どうにか伸ばそうとしても、少し動かしただけで痛みが増した。
「ぬぉぉ……こ、腰が!」
歳は取りたくないものだ。
そんなことを思いながら呻いていた、その時だった。
茂みの奥から、荒々しい音がした。
枝が折れる。
葉が揺れる。
何事かと顔を上げたビィクターの目に飛び込んできたのは、この森では見たこともないほど大きな獣だった。
その獣は迷うことなく、こちらへ向かって駆けてくる。
まずい。
この身体では逃げられない。
脳裏へ浮かんだのは、家で待つフランシュの顔だった。
愛する妻を残して、こんな森の中で死ぬわけにはいかない。
ビィクターは痛む腰を押して必死に身体を捻った。
最初の飛びつきだけは、どうにか致命傷を避ける。
「ぐっ……!」
それでも立ち上がれない。
獣が向きを変え、再びこちらを見た。
逃げられぬ獲物を仕留めるため、地面を蹴る。
迫ってくる巨体を前に、ビィクターはフランシュの笑顔を思い浮かべた。
もう一度、会いたかった。
その瞬間。
眩い光が視界を覆った。
轟音。
次いで、鼻を突く焦げ臭い匂い。
何が起きたのか分からず、ビィクターは目を瞬かせた。
先ほどまで自分へ襲いかかろうとしていた獣が、黒く焼け焦げて地面へ倒れている。
動く気配はない。
「……なんじゃ……?」
開いた口が塞がらないまま獣を眺めていると、森の奥から足音が聞こえた。
姿を現したのは、白い角を持つ少年だった。
少年は倒れた獣より先に、地面へ座り込んでいるビィクターへ目を向けた。
「大丈夫か?」
「う、うむ……助かった…ありがとう
見ない顔じゃが、ヌシはいったい…?」
「おれは先ほどこの町に来た。
名前はレオヴァ…町まで案内して貰えないだろうか?」
どうやら、この島へ来たばかりらしい。
命を救ってくれた相手からの頼みである。
それくらいなら喜んで引き受けたい。
「そうだったか! では案内してやろう!
……と、言いたい所なんじゃが…腰が……立てぬのじゃよ」
情けない話ではあるが、どうにもならない。
ビィクターが腰を押さえると、レオヴァは少し様子を観察した。
「腰をやってしまっているのか。
…治せるかもしれないが…」
「治せる?」
聞き返すより先に、レオヴァが腰へ手をかざした。
次の瞬間。
皮膚の下を細かな何かが走るような、ピリピリとした刺激が伝わってくる。
強い痛みではない。
むしろ、不思議な感覚だった。
そして。
「……む?」
恐る恐る腰を動かしてみる。
先ほどまで身体を動かすことすら出来なかった痛みが、驚くほど軽くなっている。
ビィクターは目を見開き、そのまま身体を起こした。
立てる。
腰を伸ばしても、ほとんど痛まない。
「おぉ!! 少年!…レオヴァじゃったか?
これは、どうやって!?
それに先の獣を倒したのも……ただの子どもではあるまい?」
命を救われたことも驚きだったが、今の治療も理解できない。
研究者としての好奇心まで刺激され、ビィクターは一気に質問を重ねた。
レオヴァは特に隠す様子もなく答える。
「おれは悪魔の実を食べている。それで少し電気を扱えるんだ。
あの獣には強い電気を放ち、アンタには微弱な電気を流した……まぁ、電気治療みたいなものだ」
「悪魔の実か……ワシの知っている子にも食べた子がいるが…電気をのぅ……
それに“電気治療“とは聞かぬ言葉じゃ
どういう仕組みなのかね?」
先ほどまで死にかけていたことも忘れたように、ビィクターの目に研究者らしい光が戻る。
レオヴァは少し考えてから説明した。
「……軽い電気を流すことによってその刺激で筋肉をほぐし血行の促進を促して、痛みやコリを和らげる治療だ
…効果は…言わずともわかるだろう?」
「ほほう、電気でそのような治療ができるとは…」
もっと詳しく聞きたい。
どの程度の電力なのか。
他の症状にも使えるのか。
そんな疑問が次々と浮かぶ中、少年は地面に散らばった本を拾い上げる。
「では、町へ案内を頼む
……本はおれが持とう」
「そうしてくれると助かるわい…」
なんとも奇妙な出会いだった。
だが、レオヴァのおかげでビィクターは無事に森を出ることができた。
そして何より。
愛するフランシュのもとへ、生きて帰ることができたのだった。
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その後、レオヴァとは様々な話をした。
分かったことはいくつかある。
彼には母親がいないこと。
人間が築いてきた文化や歴史に強い興味を持っていること。
そして、それらを学ぶために長い道のりを経て、この町までやって来たということだった。
何よりビィクターが気に入ったのは、その探求心だった。
分からないことがあれば質問し、一つ教えればそこからさらに疑問を広げていく。
年齢を考えれば驚くほど勉強熱心だ。
そこでビィクターは、レオヴァを弟子として迎えることにした。
フランシュも反対しなかった。
夫の命を救ってくれた恩人であること。
そして、まだ少年でありながら母親がいないと聞いたこともあって、すぐに家へ迎え入れることへ同意してくれた。
さすがは自分の愛するフランシュである。
レオヴァが家へ住むようになってから、生活へ馴染むのに時間は掛からなかった。
ビィクターから歴史を学び。
時には研究を手伝い。
フランシュが家事をしていれば、そちらにも手を貸す。
少々生意気なところもある。
ビィクターが無理をすれば口煩く注意してくることもあった。
それでも、挨拶や礼儀はきちんとしている。
近所で困っている者を見掛ければ手伝うこともあり、根は優しく真面目な少年だった。
まるで本当に息子が出来たようだ。
そう言って、フランシュと顔を見合わせて笑ったことも一度ではない。
研究を終えて家へ帰る。
レオヴァへ歴史を教える。
夜になれば、フランシュを含めた三人で食卓を囲む。
優しく、思いやりに溢れた愛しい妻。
何かと口煩いくせに、自分の身体を心配して世話を焼いてくれる少年。
ビィクターは、その生活を心から幸せだと思っていた。
これからも続く。
明日も。
その次の日も。
いつか自分が寿命で死ぬ、その日まで。
愚かにも、その時のビィクターはそう信じていた。
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炎が、オハラを包んでいた。
轟音が響く度に地面が震え、遠くで建物が崩れる。
長い年月を掛けて築かれたものが、次々と炎に呑み込まれていく。
ビィクターをはじめとした学者達は、燃え広がる炎の中で必死に書物を運んでいた。
一冊でも多く。
一つでも多くの知識を。
炎から守るため、湖へ本を投げ込んでいく。
腕が痛もうと。
煙で喉が焼けようと。
誰一人として手を止めようとはしなかった。
自分達は、ここで死ぬのだろう。
ビィクターもそれを理解していた。
だが、それでいい。
フランシュとレオヴァは逃がした。
レオヴァが残ると言って聞かなかったため、フランシュが泣きながら必死に説得していたが、最後には二人とも避難船へ乗り込んだ――はずだ。
ならば、せめて自分達が積み重ねてきたものを少しでも未来へ残す。
それだけを考え、ビィクターは一心不乱に本を運び続けた。
その時だった。
聞きたくなかった言葉が、耳へ入った。
避難船が。
撃ち沈められた。
海軍によって。
一瞬、周囲の音が遠ざかった。
「……なに…?」
手にしていた本が落ちる。
避難船。
そこにはフランシュとレオヴァが乗っていたはずだ。
次の瞬間、ビィクターは走り出していた。
止めようとする学者達の声も聞こえない。
痛む身体も。燃え広がる炎も。何も気にならなかった。
なぜ。
何故、自分達がこんな目に遭わなければならない。
歴史を調べたからか。知ろうとしたからか。
それが罪だというのなら。
「ならば何故、なにも知らないはずのフランシュが!!
レオヴァが!!死ななきゃならんのか!!!』
胸の内で膨れ上がるものは、悲しみだけではなかった。
怒り。
憎しみ。
抑えようもないほどの憎悪。
許せない。
憎い。
憎い。
憎い。
世界政府は神にでもなったつもりなのか。
自分達の都合だけで。
何も知らない人間まで殺して。
愛する者を奪っていく。
どうせ自分も死ぬのなら。
せめて一人。
一人だけでも。
奴らを道連れにする。
炎の中を走ったビィクターの目に、狼狽えている海兵達が映った。
足元には、誰かが落とした剣がある。
ビィクターはそれを拾った。
そして、考えるより先に斬りかかった。
一人の海兵へ刃が食い込む。
突然仲間を斬られた男達が、一瞬動揺した。
だが、それだけだった。
相手は訓練を受けた兵士。
こちらは年老いた学者に過ぎない。
すぐに反撃され、ビィクターの身体は地面へ崩れ落ちた。
「あ"あ"ッ!!!なぜもっとワシに力がないのか!!」
握った剣へ力を込めようとしても、腕が震える。
立ち上がることすらままならない。
「この老体では憎き政府の犬の1人を道連れにすることも叶わぬ!!
悔しいッ!!!」
目の前で、一人の海兵が銃口を向けた。
引き金へ指が掛かる。
その時、空が白く光った。
凄まじい轟音と共に、天から稲妻が降り注ぐ。
一瞬だった。
目の前にいた海兵達の身体が光に包まれ、次の瞬間には黒く焼け爛れた肉塊へ変わっていた。
焦げた臭いが鼻を突く。
ビィクターは、その光景を見た。
そして。
大声で嗤った。
憎き者達が惨たらしく死んだ。
それが堪らなく嬉しかった。
全員。
全員死んでしまえば。
そうすれば、この胸を焼く憎しみも少しは――。
だが。
すぐに思い出してしまう。
何人死のうと。
何百人殺そうと。
愛するフランシュは戻ってこない。
愛弟子のレオヴァも。
「…もう……もう、フランシュもレオヴァも居ないッ……!!」
ふらつきながら立ち上がる。
ビィクターは焼け焦げた海兵達のもとへ歩み寄ると、手にした剣を振り下ろした。
肉塊となった男の首へ。
一度。
また一度。
その背後から。
聞き慣れた声がしたきがした。
「…ビィクター博士」
ビィクターの身体が止まった。
ゆっくりと。
いや、弾かれるように振り返る。
そこには、白い角の少年がいた。
「……あ……」
生きている。
レオヴァが。
生きている。
視界が一気に滲んだ。
「れ、レオヴァっ!!
良"か"った"!!わしは……わしは…!!」
足へ力が入らない。
駆け寄ろうとした身体がもつれ、そのまま前へ倒れかける。
だが、地面へぶつかることはなかった。
レオヴァが身体を受け止め、しっかりと支えてくれた。
「いい…わかってる…ビィクター博士…アンタの気持ちはわかってる……」
穏やかな声だった。
先ほどまで燃え上がっていた怒りが、その声を聞くだけで僅かに弱まっていく。
全てを失ったと思っていた。
だが、レオヴァは生きている。
少年の身体へ縋るようにしながら、ビィクターの口から堪えていたものが溢れ出した。
「う"う"ぅ"……!!!レオヴァ!ワシは……!
…ただ……ただ歴史を"知ろう"とっ
間違っていたのか! ワシの人生は……!
……愛するフランシュを……殺したのは…ワシの身勝手のせいなのか!?」
自分達が歴史を研究しなければ。
自分が学者でなければ。
フランシュは巻き込まれなかったのではないか。
そう考えずにはいられなかった。
レオヴァは泣き崩れるビィクターの目を真っ直ぐに見た。
そして、強い声で否定した。
「いや、違う!! 博士はなにも間違えてなんざいねぇ!!!
ただ歴史を知り、学びを深めることが罪な筈がねぇんだ!!
世界政府がテメェらの都合で権力を振りかざしてる…!
……この世界は間違ってる。関わりの無い人間までも無差別に殺す、そんな奴らが支配する世界……無くなって良いと思わないか?」
ビィクターは何度も頷いた。
間違っている。
自分勝手に全てを奪っていった世界政府が支配する世界など。
存在する価値などない。
「ぁ…あぁ……!!その通りじゃ!!!
こんな世界は間違ってる!!」
「博士…アンタならわかってくれると思ったんだ。
……おれと来てくれるか…?」
迷う理由などなかった。
今や自分に残されたものは、この少年だけだ。
「もちろんじゃ……たとえ死にに行くとしても共に行こう!!」
だが、レオヴァは首を横へ振った。
「死なせるつもりはない
アンタはこんな所で死んで良い人じゃないんだ
……おれと生きてもらう。」
その言葉に。
一度は止まりかけていた涙が、また溢れた。
生きろと言ってくれる。
まだ、自分を必要としてくれる者がいる。
ビィクターは何度も頷き、共に生きると強く返事をした。
すると、目の前のレオヴァが眩い光に包まれた。
思わず目を細める。
光の中で少年の身体が大きく変わっていく。
腕は翼へ。
身体は巨大になり。
やがてそこに現れたのは、全身から淡い輝きを放つ大きな鳥だった。
あまりの姿に、ビィクターは一瞬言葉を失う。
だが、見惚れている場合ではない。
レオヴァから背へ乗るよう促され、渡されたコートのようなものを身につける。
ビィクターがしっかりと背へ掴まったことを確認すると、黄金の巨鳥は大きく翼を広げた。
風が巻き起こる。
地面が急速に遠ざかっていく。
眼下には、炎に包まれた島。
長年研究を続けた場所。
多くの仲間達。
そして、愛する妻を失った場所。
ビィクターは焼け落ちていく故郷を見下ろしながら、レオヴァの背へ強く掴まった。
こうして二人は、地獄と化した島――
───オハラから飛び立ったのだった。
─────────────────────────────────
しばらくの間、レオヴァは海の上を飛び続けた。
ビィクターには、どれほどの速さで進んでいるのかも分からない。
ただ、眼下の海と島影が凄まじい勢いで後方へ流れていく。
やがて、一つの小さな島が見えてきた。
人の住んでいる気配はなく、船影もない。
レオヴァはゆっくりと高度を下げ、その無人島と思われる場所へ降り立った。
背から降ろされたビィクターは、まだ覚束ない足取りで周囲を見渡す。
そして。
目の前に立つ人影を見た瞬間、全身が止まった。
「これ…は…そん、な……幻覚なのか…?
……ふ、フラン…シュ……」
そこにいた。
死んだと思っていた。
二度と会えないと思っていた。
愛する妻が。
「アナタ!! 良かった、本当に良かった……!
もう逢えないかと……私…ぅ…う…」
フランシュも泣いていた。
次の瞬間には、二人とも互いへ駆け寄っていた。
ビィクターは妻の身体を強く抱きしめる。
温かい。
確かに生きている。
腕の中の感触も、声も、匂いも。
幻ではない。
「フランシュ…!
フランシュ!!」
言葉にならないまま、何度も名を呼ぶ。
フランシュも夫の胸元へ顔を埋め、声を上げて泣いていた。
二人とも、しばらく離れることができなかった。
そんな二人の肩へ、レオヴァが大きな毛布を掛ける。
海風で冷えた身体を包む温もりに、ビィクターはようやく周囲へ意識を向けた。
フランシュは生きている。
レオヴァも生きている。
自分も。
あれだけ全てを失ったと思ったのに。
何一つ失わずに済んだのだ。
「ありがとう…ありがとうレオヴァ!!」
二人揃って礼を告げると、レオヴァは少し困ったように目を伏せた。
「…良いんだ。二人には本当に世話になった。
……なにより世界政府のやり方は気に入らない…!」
やはり。
この少年は優しい子だ。
自分達のために、あれほど危険な場所へ戻ってきてくれた。
あの地獄から、自分もフランシュも救い出してくれた。
ビィクターは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「…2人に提案なんだが、おれの住んでる国に来るつもりはないか?」
「レオヴァちゃんの国……?」
フランシュが聞く。
「あぁ、ワノ国だ。」
「なんと!? ワノ国じゃと!
レオヴァ……おぬし、侍じゃったのか!」
聞き覚えのある国名に、ビィクターは驚いて声を上げた。
鎖国国家。
外との交流をほとんど持たない、独自の文化を築いてきた国。
学者であるビィクターにとっても興味深い土地だった。
だが、レオヴァは少し微妙な顔をする。
「いや、侍ではないんだが……」
その横で、フランシュは迷いなく答えた。
「…私はレオヴァちゃんとビィクターさんが居るなら何処にでも行きます!」
ビィクターも大きく頷く。
「うむ、ワシもレオヴァと共に行こう」
「本当か…!」
レオヴァの表情が一瞬明るくなる。
しかし、すぐに僅かに視線を落とした。
「……ただ、言っていない事がある…
…おれは…海賊の息子で海賊だ。」
「「!?」」
ビィクターとフランシュが揃って目を見開いた。
海賊。
三か月共に暮らしてきた少年からは、想像していなかった言葉だった。
レオヴァは二人の反応を見ながら続ける。
「2人に海賊になって欲しい訳じゃない
ただ、ワノ国なら政府も簡単には干渉できない……だから安全だと思ったんだ。
……ついて来て欲しい………海賊が嫌なら、ワノ国に入ったらおれはもう2人に関わらないと誓う」
そこまで言われ、ビィクターは慌てて声を上げた。
「ま、待ってくれ!ワシは海賊でも構わん!
……レオヴァが海賊であろうと…フランシュを、ワシを救ってくれた…おぬしを信じるよ。」
海賊だから何だというのだ。
政府の名を掲げた者達は、自分達の島を焼き、何も知らない者まで殺した。
それに比べて。
目の前の海賊は、自分達を救ってくれた。
フランシュも柔らかく微笑む。
「私もよ。レオヴァちゃんは約束通り私の愛する人を救ってくださいました。
だから……私はレオヴァちゃんを信じます…!」
レオヴァは二人を見つめ、しばらく何も言わなかった。
それから、ゆっくりと表情を和らげる。
「フランシュ…ビィクター博士…
……ありがとう…じゃあ、船でこの島を出よう。」
その微笑みに、ビィクターもフランシュも笑顔を返した。
やがて三人は用意されていた中型の船へ乗り込み。
今度こそオハラを離れ、ワノ国を目指した。
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ワノ国へ移り住んでからも、ビィクターの研究は終わらなかった。
むしろ、以前以上に集中できる環境が用意されていた。
レオヴァが二人のために用意した家には、研究に使える部屋まである。
さらに、必要だと思われる書物も次々と運び込まれた。
住む場所。
食事。
研究環境。
安全。
何から何まで、レオヴァが面倒を見てくれた。
その厚意を受ける度。
ビィクターもフランシュも、同じことを考えるようになった。
何か恩を返したい。
これほどのことをしてもらっているのだ。
せめて自分達にも出来ることを返したい。
そう考えて、何度もレオヴァへ申し出た。
だが。
返ってくる言葉は、いつも同じだった。
『見返りを求めて助けたワケじゃない。
……それに恩ならおれもオハラで世話になった恩があるだろ?』
そう言って、レオヴァは困ったように眉を下げて笑うだけだった。
だからといって、ビィクターが諦めるはずもない。
自分には長年学んできた知識がある。
研究者として積み重ねてきたものもある。
ならば、それを役立ててもらえばいい。
何度も。
何度も。
しつこいと言われるほど頼み込んだ。
自分を部下として使ってほしい、と。
そして、とうとう。
ビィクターは“レオヴァ様”の部下となった。
その日、最初に頼まれた仕事は――古代文字の学習だった。
ようやく恩を返せる。
そう意気込んだビィクターだったが。
実際に始めてみて、すぐに別の意味で驚かされることになる。
「なんじゃと……!?」
完璧ではないが、読めている。
細かな部分に不足はあるものの、基礎から教える必要などまるでない。
どういうことなのかと尋ねると、レオヴァはオハラに来てから度々地下室へ入り、そこで独学を続けていたという。
さらに。
研究の様子を映像電伝虫で記録し、学者達が研究している姿まで見ていたらしい。
ビィクターは驚きを通り越し、興奮した。
さすがはレオヴァ様。
優れた隠密行動だけではない。
自分へ教えを乞う前から独自に学習し、これほどのところまで古代文字を習得していたのだ。
褒める言葉が次々と口から出る。
だが、あまりにも興奮して話が進まなくなったため、最後にはレオヴァ本人から落ち着くよう促されてしまった。
結局。
ビィクターが教えられたのは、既に理解している内容への補足がほとんどだった。
初仕事は、思っていたよりも随分あっさり終わってしまった。
せっかく役に立てると思っていたのに。
落ち込むビィクターを見て、レオヴァは少し困ったような顔をした。
そして。
『まだまだアンタにはたくさん研究してもらいたいことがある。
これからも頼りにしてるから頼むぞ…博士』
その一言で、ビィクターの気力はあっという間に戻った。
「任せとくれ!」
力強く答え。
そのまま家の研究室へ戻っていく。
今後の研究は、もう自分の知識欲だけのためではない。
大切な家族であるフランシュ。
そして。
恩人であり。
自慢の生徒であるレオヴァのため。
老い先短い自分の人生で、どれほど恩を返せるのだろうか。
そんなことを考えながら、ビィクターは今日も研究へ没頭していった。
─────────────────────────────────
オハラへ向かうより前から、レオヴァはあの島に何が起こるのかを知っていた。
前世の記憶を辿れば、正確な日付までは分からない。それでも、オハラの悲劇が起こる時期ならば、おおよそ見当はついていた。
だからこそ、その前に島へ入り、“古代文字”を扱える考古学者を見つけ出してワノ国へ連れ帰る。
最初から、そのつもりだった。
オハラへ到着してからの一か月、レオヴァは学者達のことを慎重に調べていた。
知識の量はもちろん、性格や人間関係、普段の行動まで一人ずつ確認していく。単に古代文字を扱えるだけでは足りない。オハラを離れ、ワノ国まで連れて行った後も扱いやすい人間でなければ意味がなかった。
その中で、最も都合が良いと判断したのが“ビィクター博士”だった。
古代文字を扱うことができ、学者達の中でも上位に入るほどの知識を持っている。それだけでも十分に価値はあったが、レオヴァが何より目を付けたのは、ビィクターに愛する妻がいたことだった。
研究だけを人生の全てとしている者では困る。
歴史と共にオハラへ残るなどと言い出されれば、連れ出すのも面倒になる。力ずくで連れて行ったところで、自害でもされればそこで終わりだ。
その点、ビィクターは何よりも妻のフランシュを大切にしていた。
ならば扱いやすい。
必要になれば、最悪フランシュを人質として使うこともできる。
そう判断し、レオヴァはまずビィクターとの接点を作ることにした。
一人で森へ入ったところを見計らい、獣をけしかける。ある程度追い詰めさせ、死ぬ直前で助けに入れば、自然な形で恩を作ることができる。
その予定だった。
だが実際に様子を見てみれば、ビィクターは腰を痛めたらしく、ほとんどまともに動けていなかった。
想定していた以上の速さで獣に追い詰められ、このまま放っておけば恩を売るどころか本当に死にかねない。
仕方なくレオヴァは予定を早め、“爆雷砲”を最小限の威力で放った。
獣を倒し、その後で偶然通りかかったように姿を現す。
そうしてビィクターと知り合い、そこから三か月をかけて弟子として教えを受けながら同じ家で暮らした。
フランシュとも日常的に交流し、二人との間に一定の信頼関係を築いていった。
そして予定していた時期に、バスターコールが始まった。
島が燃え、海軍が人々を殺し、長い年月をかけて築かれてきた全てが崩れていく。
その中でレオヴァは、精神的に追い詰められていくビィクターの様子を見ていた。
愛する妻が死んだと思い込み、世界政府への憎しみに呑まれ、自分が歩んできた人生そのものまで否定しかける。そこまで心が壊れかけるのを待ってから、レオヴァはようやく側へ寄った。
優しい言葉を掛け、ビィクターが最も求めていたもの――生きているフランシュへ会わせた。
その後は二人をワノ国へ連れ帰り、安全な住居と食事、研究を続けられる環境まで用意した。
すると案の定、ビィクターとフランシュは何か恩を返したいと言い始めた。
だが、そこで素直に受け取ることはしなかった。
『見返りを求めて助けたワケじゃない。』
そう言って、相手が受け取りやすい言葉を選びながら何度も申し出を断った。
恩は、忠誠へ変えやすい。
だからこそ、こちらから部下になれと命じてはいけない。
ビィクター自身が、自分の意思でレオヴァの役に立ちたいと願い、部下にしてほしいと懇願してくるまで待つ必要があった。
やがて狙い通り、ビィクターは自分の知識を役立てたいと何度もしつこく頼み込み始めた。
そこで初めて、レオヴァは説得されたふりをしてその申し出を受け入れた。
その後、ビィクターから古代文字について最後の補足を受けると、レオヴァは魚人島へ忍び込んだ。
目的は、そこにあるポーネグリフ。
刻まれている古代文字を読み進め、そこに記されていたジョイボーイからの謝罪文を確認する。
内容も理解できる。
読み違えている様子もない。
これで古代文字は問題なく扱える。
当初の目的は達成した。
ならば、ビィクター博士はもう――用済み。
そう考えたものの、すぐに殺すことはやめた。
ビィクターが持っている価値は、古代文字を読めることだけではない。研究者として長年積み重ねてきた知識と経験があり、知恵者として見てもまだ十分に使い道がある。
ならば、生かしておく方が得だ。
ただし、ポーネグリフを読める人間を自由に外へ出すわけにはいかない。そのためビィクターとフランシュには、気付かれない程度に監視を増やしておいた。
これで問題はない。
絶対に“百獣海賊団”を裏切らない自分自身が、古代文字を扱えるようになったのだ。
今まで読み手がおらず持ち腐れになっていたポーネグリフも、これからは違う。
その先に何があるのかを知り、父のために役立てることができる。
……父さんこそ海賊王の名が相応しい…!
その考えに迷いはなかった。
一つの目的を終えたレオヴァは、すぐに意識を次へ切り替える。
そして今度は、電伝虫の飼育場へ向かって歩き出した。