幻想世界の日常   作:世螺ナホ

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──塵歌壺。
それは、とある仙人によって作られた、幻想大陸テイワットとは全く別に存在する空間を行き来できる不思議な壺である。
実際に行く方法はテイワット中にあると言われている『ワープポイント』と同じで、基本的には神の目を媒介として元素力を蓄えている人物しか出入りすることが出来ない。
なんの変哲も無さそうなその壺の中には、一人で使うには勿体ない程のだだっ広い空間が広がっており、現実世界と同様、朝には日が昇り夜には星が輝く。ただ一つ違うことは、いつも冒険者が頭を悩ませているヒルチャールや、何をしたいのか未だによく分からないファデュイの連中の干渉を全く受けないことだ。
──例外として、過去に何回かその幹部の青年が目を輝かせながら走り回っていた時があるが。

要するに、塵歌壺の中の空間は外よりも確実に平和な世界だ。故に、その持ち主兼管理人である旅人の空は、どうにかこの世界を有効利用出来ないものかと試行錯誤を繰り返した。
各々の敵との戦闘時に備え、気軽に訓練できる『鍛錬場』。とある岩神に協力してもらい、水を引いて島の中央に大きな湖を作って、様々な魚を投入して釣りを楽しんでもらう『釣り堀』。その湖を炎の元素力を持つ者たちの力を借りてお湯にし、中央に厳重な仕切りを立てて暖かいお湯を楽しんでもらうための『温泉』────。

そして遂に、空が『清玉の島』と呼ばれる島の全土を解放したことによって、それらの施設を全て設置することが出来たのだ。
中央にある一番面積の広い島は、管理棟と必死に建てた大きめの旅館が建造されており、『清玉の島』の中枢部を担っている。
その下を降りた所に位置する浜辺には、前回の問題点を踏まえた上で改良に改良を重ねた鍛錬場。弓の正確性や筋力の増強等、自己鍛錬に幅広く対応している他、実際に刃を交えることができるコートのようなものもある。
更に、その周囲に位置する二つの離島には、それぞれ温泉と釣り堀も設置した。

そのお陰で、初期の何も無い頃から驚異的に開拓された『清玉の島』はもはや『仙人の作った神聖な空間』では無く、『暇潰しにはもってこいの娯楽地』といった印象に変わってしまったが、同じく管理人のマルとしては塵歌壺が賑やかになるのは決して悪いことでもなく、むしろここまで豪華な場所にしてくれて感謝すらしているらしい。

しかし、その時の空は考えもしなかった。様々な物事の解釈が異なる、言わば『外国人』同士が接しやすくなることが、良い影響を与えるだけでは無いということを。


塵歌壺日記#1

その例として挙げるべき出来事が起こったのは、つい先日のことだ。

 


 

塵歌壺は、空が通行手形を渡した者なら基本的に自由に出入りすることが出来る。そのため、騎士団の団長に悪事がバレてしまった少女や、強そうなカブトムシを探しに来る少年など、色々な目的でこの世界に訪れる。いざと言う時は宿泊することも出来るため、度々稲妻の少女たちが女子会をしているという噂も聞く。

 

そして、日が最も高い位置に昇る昼間にここへ訪れた、《白鷺の姫君》こと神里綾華も、とある目的のために旅館に足を運んだ。

入口の大扉を開け、不思議な匂いがする玄関に入り、すぐ左にあった受付窓にある鈴を軽く二回鳴らし、四六時中ここの面倒を見ている管理人を呼ぶ。旅館と言っても、無駄に部屋数の多い邸宅を改造しただけなので、本物に比べたら少し狭苦しいが、それでも数十人は入りそうな充分な広さを兼ね備えている。

内装は、旅人曰く璃月のとある旅館をイメージしたらしく、床の模様や家具、壁、天井、照明に至るまで全ての雰囲気を璃月に統一されていた。奥にある待合室を兼ねたソファには大抵巫女さんから逃げてきた早柚が寝息を立てて居るのだが、今日は誰もいない。

そろそろ『終末番』としての自覚を持って欲しい頃合ではあるが。

「──はいはい、おまたせしました!!」

と、奥から飛び出してきたのは見慣れた白い壺──では無く、その中にすっぽりとはまった鳥。

 

「これはこれは、神里綾華さん!お久しぶりです」

「こんにちは、マルさん。急に訪ねてきてしまって申し訳ございません」

「お気になさらず。つい昨日なんかは、モンド出身の吟遊詩人の方が急に押しかけてくるや否や、『ここに残ってるお酒全部出してもらおうか!』って厨房を荒らされましたから。それに比べればもう、全然」

「そ、そんなお忙しい時に....大丈夫でしたか?」

 

酔っ払いの襲撃にあったマルに同情の視線を投げかけると、「空さんがどうにかしてくれましたので!」と微笑む。確か管理人の彼に三度厳重注意された者は四ヶ月間の出入り禁止という掟があったはずだが、その吟遊詩人は大丈夫なのだろうか...と心配になる綾華に、マルは脱線しかけた話を戻した。

 

「それで、今回は宿泊の要件で宜しいでしょうか?」

「あ...いえ、そうでは無く。今日はその空さんとの待ち合わせで」

「なるほど。お部屋はご利用になられますか?」

「はい、一室だけ」

 

綾華の話を聞き終えると、即座にマルは手帳を取り出して書き込んでいく。

彼は『すぐ終わるから』と言っていたが、他人にはあまり聞かれたくない内容らしいので、念の為にわざわざ一部屋借りることにした。ここが常に満室になる超人気旅館なら多少遠慮する所だが、この旅館の部屋が埋まることはほとんどない。こう言った点では、やはり現実世界より優れているだろう。

その後、大まかな利用時間や所持品検査を行い、一通り手続きを終えた綾華はマルから『二〇三号室』と記された鍵を貰った。

 

「ではごゆっくり。ご退出なされる時は、またお呼びください」

「ありがとうございます」

 

丁寧に挨拶し、鍵を持ってその部屋に行こうとしたその時、綾華の背中にマルはこう言った。

 

「頑張ってくださいね!!」

「...?.........!ち、違いますよ!!??」

 


 

長い廊下を歩きながら、何となく今日呼び出された件について考える。

思えば、今まで空がこうやって直接綾華を呼び出すことは無かった。彼女の日頃の激務を考慮してのことだろうが、それ以前にそこまでして綾華と一対一で話したい事が無かったのだ。

それなのに、今になって何故───?

ふと、先程マルから投げかけられた言葉が脳内で甦る。

『頑張ってくださいね!!』

 

「........」

 

頑張って、というのは、所謂男女間の恋愛を応援するという意の頑張って、ということだ。

つまり、そういうことなのだろうか。

 

「...もしかして、ほ、本当に空さんが私を.....っ」

 

耳まで赤くなっていることに気付かず、綾華はついに立ち止まってしまう。

仮に...仮にそういう話だとしても、綾華は断らなくてはいけない。いくら大切な友人と言えど、そこはちゃんと友人と割り切って線引きをしなければいけない。そもそも、トーマや綾人が許可したとしても、得体の知れない旅人と結ばれたという事実は神里家として不名誉以外の何物でもない、と思われる筈だ。

 

「...私、なんて変なことを」

 

暴走しかけた妄想に自分でうんざりした、その瞬間。

 

 

『──ほら、早く横になれ』

 

 

そう聞こえた。

男性のものだろうか。咄嗟に辺りを見渡しても、周囲には誰の姿も見えない。綾華を驚かせようと潜伏している気配も無いし、そんなくだらないことをする者もいない。

 

 

『...よい、しょっと。これでいい?』

 

 

今度は女性の声が聞こえ、その声は右隣の部屋から漏れていることに気付いた。成程、今日は一人だけだと思っていたが先客がいたらしい。

礼儀を重んじる綾華は、当然その姿勢を稲妻以外でも崩すつもりはない。ましてや隣の部屋の盗み聞きなど、神里家として恥ずべき行為だ。

ここは聞かなかったふりをして、早く自分の部屋へ───

 

 

『では始めるぞ。....』

『んっっ.....う』

『...あまり動かないでくれるか?』

『ええ....だ、だって....きもち.......んっ』

 

 

───などという考えが消し飛ぶ程、綾華にとってその会話は鮮烈だった。

思わず声が漏れそうになり、慌てて両手で口を塞ぐ。小声程度なら隣の部屋には聞こえないのだが、今の綾華はそのような細かいことを考える余裕など皆無だったのだ。

...以前、家で学んだことがある。

『殿方と姫君の交わる時、それが新たな命の誕生の時である』と。

具体的に『交わる』とはどういうことなのか、まだ幼かった綾華は理解しかねていた。大人たちに聞いても帰ってくるのは抽象的な答えだけ。

そして二年後、綾華は『交わる』についてトーマから初めて具体的に教わった。あの時の『結局いつかは知ることになるから』と苦虫を噛み潰したようなトーマの顔は今も脳裏に焼き付いている。

 

そしてまさに今それが行われているのだと、綾華は直感した。

実際の現場を抑えたことがある訳では無い。が、そんなものよりも確実な証拠になるものが、直接耳に飛び込んできたのだ。

 

「────っ!!」

 

先程の妄想時よりも二段階ほど赤さが増した顔全体を必死に抑える。落ち着こうと幾度となく深呼吸を重ねるが、心臓の鼓動を早くなるばかりだ。鈍る頭で打開策を考える。

まずい。非常にまずい。この状態をもし誰かに見られたら、他人の行為で興奮する変態令嬢などという野蛮なイメージがついてしまう恐れがある。

最悪のパターンは、その印象が真っ先に空に浸透してしまうこと。そして、今ここに来る確率が一番高いのも空。

故に、最も優先すべきなのはここからの脱出。

その結論に至った綾華は、予備動作無しで身体全体を床に沈ませ、同時に体内で氷元素を循環させる。完全に姿が見えなくなった綾華は、氷の霧を纏いながら猛烈なスピードで出入口へと向かった。

『神里流・霰歩』──綾華が独自で生み出したこの走行方法を、まさかこんな時にも使う羽目になるとは彼女自身も思ってもみなかった。

やがて階段に差し掛かった綾華は、『霰歩』状態を一時解除し、思い切って階段の最上段から一気に跳ぶ。

そのまま豪快に着地した綾華は、終末番もかくやという勢いで出口へと走り──

 

「....おお、誰かと思えば」

「!?」

 

あっけなく、近くの長椅子で寛いでいたとある浮浪人に捕まった。

 


 

「──ええっと、失礼を承知で伺いますが...とこがでお会いしましたか?」

 

息を整えつつ、堪忍してその少年に返す。

まだ赤面しているかもしれないが、今はまだ走った後だからという言い訳が通用する。何故旅館内で走ったのかと聞かれればそれで終わりだが、その場合は何とか誤魔化すしかない。

 

「そういえば、何気に顔を合わせるのは初めてにござるな。...拙者の名は楓原万葉。しがない浮浪人でござる」

「万葉さん、ですか。ここにいるということは、空...さんのお知り合いでしょうか」

「知り合いと称するには、些か寂しい。数々の修羅場を共に潜り抜けて来た、言わば盟友....戦友?と表現する方が適切でござる」

「──へえ、戦友....ですか」

 

大人しく『そうなのですか。では私は急いでいるので、ここで失礼致します』と適当に理由をつけて去ればいいもを、ここで綾華の負けず嫌いが出てしまう。

 

「申し遅れました。私の名は神里綾華。空さんとは、もう知り合って半年以上は経つかと」

「拙者が初めて会ったのは、璃月港のある船の上にござる」

「...一緒に、夜の散策に出かけたり、舞を披露したことも」

「稲妻に着くまでは大変だった...想定以上の乗員で、毎晩同じ布団に潜ったことも」

「ぐっ....あ、あとは....トーマと三人で鍋遊びをしたり....訓練という名目で刃を交えたことも」

「拙者も抵抗軍の合同練習で、何度か空と打ち合ったことはあるでござる。いい太刀筋であった」

「....え、えと...........」

「ああ、そういえば雷電将軍の『無想の一太刀』から空を護ったことも」

「───降参です...」

「な、何に?」

 

と、尽く空との思い出自慢対決に敗れた綾華は、当初の目的をすっかり忘れていた。

 

「...というか、貴方の私に対する接し方には驚きました。普通、稲妻人なら神里の名字を聞くだけで、畏まって固くなるのに....あ、いえ、強いている訳ではありませんよ」

「それは承知している。...当然、『白鷺の姫君』の名は存知していたし、自分とは格が違う其方に憧れを覚えてすらいた」

「では...何故ですか?」

 

不思議そうに首を傾げると、万葉はさも当然のように言った。

 

「だって、名字なんて所詮飾り物に過ぎないからでござる。いくら家系が豪華でも、そこに生まれてくるのは拙者と同じ人間。何を畏れることがあろうか」

「────」

 

瞬間、綾華はまたもや直感的に感じていた。『この人は、きっといい人だ』と。

 

「...そう、ですね。貴方の言う通りだと思います」

「ま、これは拙者個人の考えに過ぎないでござる。戯言として聞き流してくれて結構」

「とんでもない。その言葉、しっかりと胸に刻んでおきま───はっ!!」

 

突如として、今自分がどのような状況に立たされているのかを思い出した綾華は、こんな良い雰囲気で語っている場合ではないと気付く。

早い所、適当な理由をつけて退出せねば。

 

「そういえば、綾華殿もここへ泊まりに来たのでござるか?」

「えっ!?あっ、ま、まあそんな感じです!でも急に空さんに呼び出されてしまって!」

「ならここで待っているといい。拙者はこの後釣り堀にでも行こうかと考えている」

「い、いいですね釣り堀!私も先日遊ばせてもらったのですが、中々釣れなくて!特に苦鉄砲ふぐなんかはとても私の力では」

「...何故そんなに声が上ずっている?顔も赤い...風邪でござるか?」

 

心配そうに覗き込んでくる万葉に、綾華はますます紅潮する顔を背けながら、この場から逃れる方法を必死に模索する。

何なら彼を無視してこの場を突っ切るのも手だが、今初めて会った自分を心配してくれるような優しい人に背中を向けるのは何とも心苦しい。

どうにか誰も傷つけずに済ませる方法は無いものか...と悩んでいた、その時。

 

「───あ」

 

彼女の頭の中で、ある一つの案が思い浮かんだ。

 

「...万葉さん、少々お時間頂いてもよろしいでしょうか」

「ん?...まあ、別に構わないでござるが」

「貴方に確認して欲しいことがあります。着いてきてください」

 

それだけ言い残すと、綾華は顔を見せず落ち着いた足取りで再び二階への階段をのぼり始める。

その様子に少し不信感を覚えつつも、万葉はその後を追った。

 


 

やがて問題の部屋の前に到着すると、ようやく後ろを振り向き人差し指を口に当てる。

 

「ここでは、あまり大きな声を立てないよう用心してください」

「う、うむ...それで、拙者に確認して欲しいこととは...」

 

肝心の確認内容を聞かれ、咄嗟に顔が赤くなる綾華。

『大丈夫、さっきので慣れたから大丈夫...』と自分に言い聞かせながら、更に一段階ボリュームを落とした声で言った。

 

「...........恐らく、ですが....ここの二〇五号室にいる御二方は...その、今まさに....男女の契りというものを...」

「──ま、まさかその言葉を綾華殿の口から聞くことになるとは。人生、何が起こるか分からないでござるな」

「からかわないでください...!本当なんです、先程声を聞いたので間違いありません」

 

軽口を挟んだ万葉に綾華が怒っていると、少年は再び真剣な面持ちで綾華に耳打ちした。

 

「...では、拙者も声を聞いてその是非を確かめろ、と?しかし、ここの旅館の掟では他部屋の盗聴行為は禁止だと」

「それ以前にいかがわしい行為をすることも固く禁じられています...!この際、仕方なのないことです!後で空さんには私から謝っておきます、ですから、早く!」

「...本当に信じていいのでござるな?」

 

最後の警告の意で聞き返す万葉に、綾華は何の躊躇いもなく頷く。

それを見た万葉は、やがて綾華の異常な熱意に押されたのかしゃがんで聞き耳を立て始めた。

同じく綾華自身もドアにピッタリと張り付き、中の様子を窺う。

 

 

『.....ふぅ.......あー、そこそこ.......違う、もっと右の方』

『ここか?....にしても、かなり溜まっているな』

『ちょー!女の子にそんな事言わないでよ!』

 

 

「...ただの推測に過ぎないが、この男性は女性に対してに『まっさーじ』というのをしているのでは無いか?」

「まっさーじ....」

 

以前、空に教わった言葉だ。身体全体を揉みほぐし、蓄積した疲労を取り除く健康的にも意味がある行為。

確かに、『右の方』や『溜まっている』といった言葉がその『まっさーじ』中に出てきたものでもおかしくは無い。

 

「なんだ...私、早とちりしてしまったみたいですね」

「みたいでござるな。まあ、揉め事に発展しなくて何より」

 

単なる勘違いということで話が丸く収まりそうになった、その直後だった。

 

 

『痛っ!ちょっと、もう少し優しくしてよ〜!穴が広がっちゃうでしょ〜』

『そうは言っても...元々こういうのはあまり経験がない。この棒も長い割に意外と...』

『挿し入れする時はもっと慎重に──』

 

 

「───あぁ、うん、黒でござるな」

 

何かを悟ったような顔をした万葉がそう呟いたのは。

 

 

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