マッシブーンが紅魔館に来てから六日後のこと。
「あら、珍しいことも二度あるのね。あんたがまた一人で来るなんて。」
「……次に貴方は『それでお賽銭は?』という」
「
「一銭でいいわよね。」
博麗神社にやってきた咲夜が小銭を一枚投げ入れ、カランコロンと雅な音色を奏でた。
冬に入ってから二度目の孤独な訪問だった。
メイド服に身を包んだ彼女は、つい最近にも博麗神社に姿を現している。それは、止まった時の中で
曇り空の風に咲夜の赤いマフラーが靡く。彼女がここを訪ねて、掃除をしている最中の霊夢に話しかけた時には既に空模様は
だから、雨は降らないかしら、お嬢様は散歩を楽しんでいるかしら、などといったことをぼんやりと考えていると、霊夢が突拍子に口を開いた。
「数日前にウチの筋肉お化けを預けたでしょ。あいつ、調子はどう?」
「あー、いいんじゃないかしら。……そう、そうよ。その件でここに来たの。」
「ふーん。迷惑ならどっかに追い出してもいいわよ。明日には天狗がウチに来るし、こっちに帰らせるわ。」
「……違うの。」
「え?」
思わぬ否定の言葉に、巫女服姿の少女が声を出す。
「逆、逆なの……迷惑とは真逆の存在。」
言葉を絞り出すようなその姿に、完璧で瀟酒な従者の姿は何処にも見当たらない。凝り固まりの無い、純粋無垢な彼女がそこには存在する。
主のいないこの神社では、メイド長ではなく一人の少女として。咲夜は恐る恐る霊夢に尋ねた。
「……マッシブーンって……何者なの?」
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一週間くらい前に新しく紅魔館で働くことになった、というか霊夢に頼み込まれる形で私が雇ったマッシブーン。
彼という妖怪には、私の常識が全く通用しないのだ。
その例を一つ挙げるとすれば、時は彼が働くことになった初日にまで遡ることになる。
「……今からいくつか質問をさせてもらうわ。可能な限りで答えてくれればいいけど、嘘はつかないようにね。」
「任せとけ。嘘をつくのは苦手なんでな。」
その日は確か、マッシブーンにナイフを何本かぶん投げて、それで彼の強さを確かめてから門番勝負として美鈴にぶつけ、門番としての自覚が無いだのと説教をしてお灸を据えたと思う。そして更にその後、私は彼にちょっとした質問攻めをしたのだった。
「じゃあまず始めに、貴方のスペルカードはどんな感じかしら。」
「……カード?」
「スペルカードよ。ほら、こういうの。」
「へぇ。いろんな絵が描かれてるな。」
「……まさか持ってないの?」
「おう!」
「弾幕勝負って知ってるかしら。」
「知らないぜ!」
「……じゃ、貴方の能力を教えてくれる?」
「能力?なんだそりゃ」
「えーっと、ほら。普通じゃ出来ない特別な力とか。そういうの、自分で一つは決めてるものでしょ?」
「うーん……そうだな。いろんな技を使えるぜ。」
「そうそれ!そういうのよ、マッシブーン。どんなことが出来るの?」
「まず敵を絶対粉砕するマッシブーンの超高速パンチだろ、そんで
「分かった分かった。もういいわよ。」
こんな感じで、彼への問いは早々に切り上げた。
質問をした理由は主に二つ。前者は彼をリラックスさせるためで、後者は彼がお嬢様にとって脅威となり得るかどうかを確かめたいからだった。
そして聞き出した彼の『能力』は、内容を噛み砕けば『妖術を色々使える程度の能力』といったところだろうか。決して博麗霊夢のように『浮くことによって無敵になる』とか、そういう類いのものではないようで、あまり脅威を感じる必要はなさそうだった。
ただ、これで浮き彫りになったのは彼の『スペカも弾幕も知らない』という異質な事実。幻想郷で妖怪として生きる以上、そんなことはありえないはずなのだが、実際に目の前に『例外』として彼が存在しているのだから、謎は深まるばかりだった。
彼の『例外』は他にもあった。それは、見た目と中身の違いだ。マッシブーンという妖怪は、例えるとすれば『矛盾の塊』だった。
本来であれば妖怪というのは、姿に性格や生き方そのものが現れる『正直な生き物』である。普段は人間に化けることによって隠されている本性が、元の妖怪の姿に戻ることによって一目瞭然となるのだ。例を挙げるなら、鬼などがそうだろう。
凶暴な性格の妖怪は、凶暴な姿に。
弱々しい性格の妖怪は、弱々しい姿に。
この特徴に例外は無いと、パチュリー様から借りた本にも書いてあった。
なのに、昨日のマッシブーンはどうだ。
「なぁなぁ師匠……頼むからその手品みたいな瞬間移動の秘密を俺にも教えてくれよ。」
「駄目よ。これはね、
「なっ!?俺を信頼してないのかよ師匠!悲しいぜ!」
「はいはい。信頼して欲しいのなら態度で示しなさいよ。……"ほら、私の分のお茶を注いできて、私にマッサージでもしなさい。貴方は私のために尽くすのよ。"」
「………」
「なーんてね。これ、お嬢様の真似なの。……怒った?」
「分かったぜ。」
「え?」
「はいお茶!」
「……あ、ありがとう。」
「はいマッサージ!」
「気持ちいいわね。」
「はいベッドの上に寝転んで、お休み!」
「まだ寝ないわよ!」
このように、ただ私の冗談に乗っかってくれただけなのかも知れないが、その殺意満々な見た目からは想像出来ないほど従順に私の命令を聞いてくれたのだ。怒ることも暴れることもなく、律儀・真面目・丁寧な仕事ぶりをメイドとして日々行ってくれている姿に、私の常識は音を立てて崩れ落ちるばかりだ。
そして時は現在に至る。
「……ね?こんな調子で、マッシブーンって色々おかしいのよ!全然妖怪っぽくないの!何者なのよ本当!」
「ま、こうしてあんたも休める時間が出来て助かってるんでしょ?もっとウチのマッシブーンに感謝しなさいよ感謝。」
「そりゃ確かに感謝はしてるけど……」
縁側で博麗の巫女と一緒にバリボリと煎餅を食べながら、咲夜は不満そうな感情を顔に出す。
「なんだか調子狂っちゃうのよ。分からないことだらけでモヤモヤしちゃう。だから、貴方があの妖怪について何か知ってないかと思ってここに来たの。」
咲夜が喋り終わるのと同時に、霊夢は湯呑みのお茶をずずずっと飲み始めた。彼女は茶の味を、メイド長は沈黙をゆっくりと味わい、互いに息を一つ吐いた後、少女たちが口を開いた。
「じきに分かるわ。少なくとも私から言えることは……」
「言えることは?」
「あいつは妖怪じゃないってことだけ。」
「えっ!何よそれ!?」
「さ、私も今から修行する時間だし。あんたもそろそろ紅魔館に帰ってあげなさい。
そう言いながら彼女が立ち上がると、二人の休憩時間は呆気なく終わりを迎えてしまう。すたすたと歩いて行ってしまった霊夢を追いかけずに、咲夜はその場で大声を出した。
「どうしてそう言えるのー?」
博麗の巫女は当たり前のように答えた。
「勘よー。」
それ以上、彼女が何か答えるつもりは無さそうだったので、咲夜は一瞬で姿を消した。
縁側には茶碗と菓子袋と木枯らしだけが残った。
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自分だけの『能力』を、私は幾度となく使ってきた。その力で過ごした時間は、もしや人間の寿命などとっくに超えているのかも知れない。
止まった時間は私だけの時間、私の時間。常にどことなく漂う息苦しさから解放されて、毎度飽きもせずに心の底から気を緩めてはため息をつき、足を進めながら思考する。
(結局さらに謎が深まっただけだったけど……。とにかく、マッシブーンを明日返すわけにはいかない……彼は紅魔館のメイドとして私が鍛えるのよ!)
そう考えるようになったのは必然だと、私は数日前を思い出した。
「……ん?」
ある日、私が人里から帰ったときのことだ。止まった時の中で廊下を歩いて、そのままマッシブーンを驚かせようとして使用人の部屋に入ってみると、彼と妖精メイドたちが疲れ切った様子でいるのを発見した。
それは怠惰な印象を私に与えたのではない。一仕事を終えて皆が清々しく誇らしい気分で休んでいるのが、ちょっぴり鈍感気味な私にもすぐに分かったのだ。
驚きに満ちた胸と足で、私は紅魔館内を歩き続けた。廊下にはホコリも糸くずも無い。洗濯物は干されていて、外では侵入してきたらしき伊吹萃香がぶっ倒れている。とにかく私が言いたいのは、私が帰った時には既に私のすべき仕事が全て終わっていたということだ。
『そろそろ私より役に立つ人をね、一人ぐらい紅魔館に呼び込められたらね。』
そんな自分の言葉が、頭の中で反芻された。
「マッシブーン。これ……」
「おう師匠!俺と妖精メイドたちで力を合わせてピッカピカにしたぜ!だからもう休んでいいぞ!」
「……洗濯は、誰が?」
「俺がしといたぜ!」
「……ありがとね。でも空模様が怪しいから、今日は室内で干しましょ。」
「あ、本当か。じゃあ俺がしとくから師匠はそこで駄弁っててくれ。師匠が勝手にするなよ!絶対にな!」
「……えぇ。」
マッシブーンが丁寧に扉を開けて、あっという間に走り去っていった。
それから、彼の言葉に甘えて普段は話さない妖精メイド達と喋ってみた。なんでも、急に現れた鬼の妖怪が自分たちを驚かせて怖かったのだが、それをマッシブーンが一方的にボコボコにして追い出した、と。自分たちはそれに憧れて、彼のようにムキムキになり、彼のように堂々と羽を広げるために今日から心を入れ替えて頑張るらしい。
彼女たちは一人一人、私にいろんな話をしてくれた。そのどれもが何だか可笑しくて、初めて私は彼女たちの前で何度も笑った気がする。そして最後に、『今まで迷惑をかけてごめんなさい』と言ってきた時には思わず『能力』を使って彼女たちの頭を撫でてしまった。
私と同じくらい優秀なメイド。彼は想像以上に頑張ってくれて、腕っぷしも強くて、妖精メイドたちを惹きつける力を持っていて、それでいて妖怪だから私よりよっぽど長く生きることができる。
彼ならいつの日か、私の死が訪れたとしても……
そんなことを考えているうちに、私は紅魔館に辿り着いた。
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「ん?」
いつもより早く目を覚ました早朝五時の薄暗い廊下を、眠気に襲われながら歩いていた時のこと。目の前の景色が急に変わったと思ったら、俺はいきなり咲夜の部屋にいた。
「……また手品か?師匠。いい加減どうやってるのか教えてくれたっていいと思うけどなぁ俺は。」
「貴方が師匠って呼ぶのをやめてくれたら考えなくもないわ。」
「嫌だぜ。師匠は師匠だしな。」
俺がそう断言すると、彼女は少し眉を動かした。
時刻は午後に差し掛かろうとしており、普段なら昼飯として特性スープを貰う時間帯である。薄暗い部屋の中、急に強制的に連れてこられた意味とは何なのか。
しばし辺りが静かになり、俺がキョロキョロ周りを見渡していると、彼女はやっと口を開いた。
「前にも言ったけど、これは信頼してる者にしか教えてないのよ。例えばお嬢様とか、パチュリー様とか。」
「─────いならいいんだけどな」
俺は小声でそう呟いたが、彼女には聞こえなかったようでただ不思議そうに目を見開いている。
「何か言ったかしら?」
「何でもないぜ。それで話は?」
そう俺が聞いて、咲夜は黙る。
まだ話さない。咲夜は黙る。
ちっとも話さない。咲夜は黙り続ける。
「……?」
その時間があまりにも長すぎて思わず俺が声を出そうとした瞬間に、彼女が喋り出した。
「……えぇ。話は一つだけ。」
「貴方、クビよ。」
そう口にする咲夜が、片手に持つ金色の懐中時計をぱかっと開いた。
「ま、そういうことらしいので。短い間でしたけど、お疲れ様でした。」
目の前にはへらっと笑っている門番の紅美鈴と、閉ざされた大きな門が俺を阻むかのように聳え立っていた。