シリアスな章が恐らく始まります。
十四、 盲目の人間
「………」
実に目覚めの悪い朝だった。眠気は頭の中でクルクルと回り、睡魔は奥底にまだ居座っている。年齢を重ねれば重なるほどぐっすり眠れなくなるというのはよく聞く話だが、ざっと千年もの間をジャングルの中で生きてきた俺はそういった老いの現象とは無縁のハズだった。
では何故こんなにも俺は疲れているのか。その原因は何を隠そう、みんな大好き夜更かしのせいであった。馬鹿だと思っただろう、思うのはいい。しかし心に留めておかず口汚く俺を罵った奴にはビーストブーストを六回発動させた特製インファイトをお見舞いしてやる。なお、お前が死ぬのはこれで七回目である。
自業自得と決めつける前に話を聞いてもらいたい。昨日の夜はとある来客のせいで酷く頭痛に悩まされたのだ。
「朝よ。さっさと起きなさい。」
「ババァルクウ……」
妄想の独り言を拗らせている俺を、博麗神社の管理人である博麗霊夢が容赦なく叩き起こした。縋るような弱々しい声も冷酷な彼女には届かない。薄々おかしいとは勘付いていたが、此奴はやはり巫女なんかではなく魔界の悪魔の類いなのだろう。そうでなきゃ、真冬の朝に布団を剥ぎ取るなどという残虐極まりない行為が出来るはずがない。
「あんた昨日ぐっすり寝たんでしょ?もうすぐ昼よ。」
「いや、昨日は
「さっさと起きないと叩き殺す。──天狗が来るわよ。」
彼女がそう言って、縁側の方に移動した。俺もようやく重たい体を起こして彼女の所に向かうと、"一人で外に出ろ"と指で指示される。それに従って柔らかい日光を浴びると、急に凄まじい風が吹いてきた。
俺は思いがけずしゃがみながら両腕で身を守った。風が吹かなくなってからやっと前を見ると、いつの間にか黒くて大きな翼を生やしたミニスカートの少女が、堂々と仁王立ちしていた。
「──あやや?風は苦手ですか?」
「ひこうタイプは四倍弱点だぜ。……すまん、つまり苦手ってことだ。」
「成程!よく分かりませんがメモに加えておきます。」
少女はどこからか出した手帳に、残像の見える速さで至極どうでもいい情報を書き加えた。さて、寝ぼけていたが彼女は初めて出会った幻想郷の住人である。天狗、と聞いたが鼻は長くない。あと美人。とにかく自己紹介をしようとマッスルポーズを決めたら、先手を打たれてしまった。
「申し遅れましたが私、清く正しい
可憐に笑う少女に、俺も返事をしようとしたその時だった。
「おぉっ?天狗じゃねぇかあ!飲むの付き合えよ!暇だからさぁ!」
「……これがあるから行きたくなかったんですけどね。」
萃香に捕まり、変な顔をしながら何処かへと連れて行かれる彼女を哀れみの目で見る。そうして天狗の少女が見えなくなった後、俺は昨晩レミリア・スカーレットから受け取った『輸血パック』をちうちうと吸っていた。
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ざっと一週間前ぐらいの話になるだろうか。その日、博麗神社は霧に包まれた。
朝から妖怪の山ではその話で持ち切りで、白わんこの犬走椛やら根暗携帯やらが私の家に押しかけ、口を揃えてこんな意味のことを言った。
「文!アンタは博麗神社の霧のこと知ってる!?」
「眠い。」
念写新聞『花果子念報』の著者であり私の敵、姫海棠はたての堂々たる登場である。扉が開かれた直後に彼女的には鼓膜を破るほどの大声の、近所に優しい小声がうざったくも私の耳に届いた。
「……念写はもうしたの?」
「したんだけど、ほら!霧のせいで真っ白なのよ!」
「あーそうですかそうですか……はいはい。で、あなたは直接足を運ばないわけ?」
「私は念写が売りだし、あんまり外出たくないし、それに……」
彼女は目をどんよりさせて、いつもより更に小声で喋った。
「伊吹萃香がいるし。」
「ですね。」
伊吹萃香がいる。それだけで、博麗神社に近付きたがる天狗は私を除いて誰もいなかった。
伊吹萃香とは、簡単に言えばパワハラの王である。元々妖怪の山に住んでいた彼女は当時かなり上の立場にいて、私たちは頭が上がらないだけならまだしも酒を無理やり飲まされたり急にタイマンを開始したり接吻されたりと、とにかくやりたい放題されていた。だから、誰もがあの鬼に寄りたがらないのだ。
今回とて例外ではなかった。が、そんなこと私にはなんの関係ない。
「しかもね、文!その霧は鬼の形をしてたの!あれはね、絶対に天狗が来ないように対策してるわよ!」
「ふむ。新聞に書かれたくないことがその霧の中で行われていたと……そそられますね。」
私はゆっくりと立ち上がって、身支度を十秒程度で素早く整えた。
「はい、あなたの期待通り行きますよ。私は真実を追う唯一の天狗なのですから。」
「でも……まずいわよ。あの伊吹萃香に捕まったら。」
「心配してるんですか?あなたにも可愛いとこあるんですね。」
「んなっ!別にそんなんじゃないわよ!」
「はいはいツンデレ乙。あなたは私を誰だと思ってるんです?」
むっとした顔のはたてに問いかけて、答えが返ってこないまま私は笑って口を開いた。
「──幻想郷最速、天狗の射命丸文!いざという時は風神の如き速さですぐ逃げます!そんな私が捕まるなんて、ぜーったいにあり得ないんですよ!絶対、ぜーったい!」
「ありえないんですよぉ!さいこうそくどでぇ!」
「あっはっは!酔ってるねぇ!もっと酔え!」
「いやだぁ……」
そしてあっけなく惨敗した。
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「………」
俺のことを取材しに来たという天狗の少女が萃香のせいで酔い潰れたので、暇になった俺は霊夢の命令で神社の中にいた。当の霊夢も人里へ買い物に行ってしまって、萃香もいつの間にか消え去って、今の俺は悲しき独りぼっちである。
「肌寒いから筋トレでもしてぽかぽかしたいってのになぁ、酷いもんだぜ。新聞に書かれるまでの辛抱だけどな。」
縁側に張られた薄い結界を、腕組みしながら俺は眺めた。
霊夢の扱う『結界』とはつくづく便利なもので、神社に張り巡らされたその膜のようなものは残念ながら俺のムキムキボディを隠してくれる。だから、たとえほぼ来ることの無い参拝客が万が一来たとしても俺の存在がバレることは決して有り得ない。
そう。有り得ないはずだったのに。
「──♪♪♪……」
綺麗な歌声だった。
汚れた服を着た一人の子供が、鼻歌を歌いながらやって来た。おぼつかない歩き方でふらふらと、俺の目の前に立ってこう言うのだ。
「……あの。神社はここで、あってますでしょうか……。」
もちろん俺は驚いた。何故なら見えないはずの俺を確かに彼は分かっていたし、人とは全く違う姿の怪物に対して驚いた様子がまるで無かったからだった。
「あぁ、合っているが、お前は俺が怖くないのか?」
「怖くは……ないです。」
「ほうほう。肝が据わっているな。まるで俺の体幹のよう。」
少年が困ったような顔をしたので、俺は賽銭箱を指さした。霊夢には後で結界の不具合を伝えることにして、一応俺も博麗神社のために貢献してやらねばと思った。彼はあいまいで素敵な笑顔をしたあと、小銭のようなものを一枚おずおずと入れてから深々と頭を下げた。
ちょっとだけ魔が差した。いたいけな子供を騙そうとした点において俺は醜悪な化け物だったが、普段は温厚で優しくて筋肉隆々としたマッシブーンなのだ。信じて欲しい。それで、こんなことを言った。
「なあ……実は俺、この神社の神様なんだが。」
「えっ!?そ、そうとは知らず失礼しました!」
「いやいいんだ。俺は筋肉の神だから心がジャングルのようにデカい。お前の願いを快く叶えてあげよう。ただそのかわり……」
一度深呼吸をして、彼にも深呼吸をさせて、やっと俺は口を開いた。
「さっき鼻歌を歌っていただろ。もう一度、俺に歌ってくれないか?」
「♪♪♪♪♪〜〜……」
少年が、透き通った声で不思議な歌を聞かせてくれた。
"風があなたをさらうなら"
"誰も止めはしないだろう"
そんな歌詞が妙に頭に残った。
「──よし!お礼に空の旅だ!人里まで送ってやるよ!」
「えっ?」
「俺は神だから飛べるんだぜ。っと……」
「わわっ!わっ!」
「痛くないか?よし行くぜ!筋肉神輿の空の旅!」
なるべく抑え気味に弱く抱きしめて、俺は羽をばたばたと動かした。風がごうごうとその場で吹いて、一気に青い空の中へと包まれる。
この時は、こんなに小さな少年でも俺にびびらなかったのだから、やっぱり俺が人里に行っても何の問題も無いのだろうと、霊夢の忠告をすっかり忘れていた。
『外に出るな。人里には絶対に近付くな。』
彼女が以前そう喋っていたのを、風を感じながらぼんやりと思い返した。
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ほどよく雲の流れる空を征く。今まで目立つからという理由で飛ばなかったからこそ、短い空の旅は開放感が凄まじい。そうして初めて見えた緑豊かな景色は、『幻想郷』への印象を大きく変えた。
(めちゃくちゃ綺麗じゃねぇか。おい。)
淡白な感想ではあったが、そんなことを考えていた。
「わっ!すごいです!凄い!空飛んでます!」
「ババァルクウフハハハ」
「あははははっ!」
胸元で興奮しきっている少年の首を、片手で支えながら丁重に運ぶ。人間の子供はかなり脆いので、出来るだけ慎重に、しかし確実に俺は進んでゆく。
やがて集落のようなものがぽつりと遠くに見えてきた。少年もだんだん落ち着いてきたようなので、彼と話すことにした。
「なぁ。神社で何を願ったんだ?」
「……!心の中でつぶやいたのですが、声が小さかったでしょうか。」
「あぁそうそう、聞き逃したんだ。もう一回言ってくれよ。叶えれる範囲で叶えてやるから。」
「僕、"どこかにいるお母さんに会いたい"って願いました。」
「………」
「……恥ずかしいですよね?あはは……」
(まずい。想像以上に重たい願いだった。)
笑いながら答える少年に俺は罪悪感を覚えた。
話を変えることにしよう。つくづく驚かされるのだが、この子供は信じられないぐらいに肝が据わっている。俺のような奴にだっこされても顔色一つ変えず、死と隣りあわせの高い所でも拍動はゆったりとしている。将来は仙人か。なにゆえそんなに仙人のように達観しているのかを、俺は非常に知りたがった。
「それにしても凄いな。ガキのくせしてよく俺を怖がらなかったもんだ。俺ぐらい度胸あるぜ。」
「……神様は、怖い顔をしているんですか?」
「ん?顔っつーか、触覚や尖った口や赤色の身体、何よりこの最高に引き締まった筋肉とかだな。見ようによってはかっこいいもんだろ?俺はかっこいいと思ってるぜ、俺のこと。」
「あっ、いえ……僕は目が見えない病気なので、はっきりとは分からないんです。すみません。」
「……マジ?」
それが本当なら、どうして俺を見つけられたのだろう。賽銭箱の位置を見えてるかのように知れたのは?そもそも盲目の状態で神社まで来れるものなのか?色んな考え事をしているうちに、人里は目前にまで迫った。
「おらっ!到着!」
土煙と共に地面に降り立ち、ぐるりと人里を見回す。遠くから一定の距離を保ってこちらを見つめる人々が、険しい顔をして俺を見ていた。
なるほど、どちらが先に自己紹介をするか、くだらないようで壮大な読み合いをしているのだと俺は判断した。だから、先手を打つべく俺はいつものマッスルポーズを繰り出した。
「初めまして人間たち!筋肉モリモリの俺はマッシブーン!どうもよろしくな!」
決まった。そう思った矢先だった。
「誘拐だっ!!妖怪が子供を誘拐しているぞーーっ!!」
「いやだーーっ!!だれかたすけてーーっ!!」
「破っているぞ!こいつ!『
「藍さんこっちです!人の姿をしていない妖怪が出ました!!」
「んなっ!?誤解だ……!」
歓迎されていたはずの未来が、がさつな音を立てて崩れ落ちる。
『──人里には絶対に近付くな。』
霊夢の言葉が頭の中で反芻する。たじろぐ俺の目の前に、黄色い髪をした少女が立ち塞がった。
「……今すぐ人に変化しろ。そうしなければ殺す。」
狐の尻尾が何本も、風でゆらゆらと揺れていた。
※編集済み