「あらはめて、おへのなまえはマッシブーン。よろひく。」
「……
滑舌は痛みで散らばった。俺が殴られた痛みにもだえながらもハキハキと挨拶をしたのとは対照的に、
「かまいはひ、ほのこのなまえは」
「知らん」
「は?」
俺は驚愕した。
「何で知らねーんだ。……という訳で、遅いけれどもお前の名前を知りたいぜ。名前は?」
「……ぼくの名前は──」
盲目の少年は口を開く。母親となるかも知れない、俺たちに目を向けて。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
…………
(あーあ。こりゃ気まずいってやつだぜ)
少年が畑仕事に行った後、俺たちはずっと黙っていた。鎌鼬は鋭い目で睨んでいる。全てを射抜かんとするその眼光には侮蔑と怒りの色が混じっている。ように思える。その原因が、少年に対する俺の質問であったのは間違い無いだろう。少年が言うには、自分には名前が無い、ということだそうだ。
冷え切った空気をさらに冷やすように、冷たい風がごうっと吹いてきた。俺が筋肉ムキムキマッシブーンだった頃には無かった髪が視界を遮る。クソ邪魔である。目の前で全部抜いてやろうかと思いながら鎌鼬を見ると、彼女の髪はまるで揺れていない。口を開けていたので何か言い出すのかと思いきや、どうやら風を吸っている(食ってる?)らしい。
風って美味しいのだろうか、と俺は心の中で呟く。俺はたまに吹く強い風で肌がぴりぴりするほどに風が苦手だが、人間の姿でいるとこれが不思議と気持ちが良い。今までの『涼しいが、痛い』という状態から『痛い』だけが引き算されたのだから、そりゃ心地が良いのも当たり前なのだろう。人間って……面白!!とどこかの黒い死神のようなことを考えた。
「……なんて呼ぶか決めとかないとな。な、母親二号?」
さて、いい加減俺たちは話さなければならないと思い、俺は口を開いた。ひとまず少年の話題で攻めてみるとしたが、彼女は無言で睨んでくるだけだ。
その矢先のことであった。
(ぐえっ!!)
急に鎌鼬が猛スピードで接近してきたと思ったら、気が付くと俺は空を見ていた。全身が熱くなり、口から意図せず唾が飛ぶ。彼女が
数分が経過しただろうか。鎌鼬の顔は5cmもないような距離で俺の目に映る。彼女はずっと我慢していたのだろう。少年が去るのを待って、そしてやっと俺を殺すチャンスを手に入れた。
「いいか、人間。私はお前のことが嫌いだ。しかしまだ最悪な程に嫌いだって訳じゃない……」
彼女が耳元で囁く。
「お前のことが大っ嫌いになれば、その時は殺す。怖気付いて逃げても殺す。本当の嘘吐きだって分かったらぐちゃぐちゃにして殺す。……お前が逃げなかったんだぞ……逃げなかったからこうなった……だからこうなったんだ」
「そんな……俺たち……母…親…だろ……」
鎌鼬が無言で腹を殴る。
「ぐぁっ!」
「苛立つんだよ。お前のその全てが。」
顔から汗がだらだらと流れる。五月蝿い心臓が更にどくんどくんと波打つ。紅魔館で身体が爆発した時以上の痛みが走り、いよいよ俺は余裕がなくなってきた。答え方を間違えばきっと俺は殺される。人間の姿ではどんなに弱い攻撃でも致命傷となり得る。いつもの調子で生きていれば命がいくつあったって足りない。
鎌鼬は目も顔もぴたりと止めて動かさない。白い髪だけが時折ゆらゆらと揺れ動く。俺が息の詰まるような思いをしていると、鎌鼬が無機質に喋り出した。
「今、私の目を見て
今の俺には心臓が波打つ音だけが大きく聞こえる。彼女が更に顔を近付けて、とうとう互いの額がほぼゼロ距離となった。息をすれば相手に当たるし、息をされれば生暖かい風が顔にかかる、そういう距離だ。
そういう距離なのにも関わらず、彼女はとどめの大声で俺を極限まで萎縮させようとした。
「覚悟を誓え!」
ともあらば、反抗しない訳にはいかないだろう。
「ごたごた……」
俺は鎌鼬の頭を掴み、自分の後頭部を砂まみれの地面に押しつけた。そして人生で最も渾身の、本気の頭突きを行う。ついでに叫んだ。
「うるせぇっ!」
「!」
俺が脳を震わせる渾身の一撃を与え、彼女が驚いたような顔をしたところで、俺は自分が浮いていることに気が付く。しかしそんなことはどうでもいい。ぐわんぐわんと気持ち悪い感覚で、やっと解放された俺は二本足で地面に立ち、頭から垂れてきた血を舌で舐めてぎゃあぎゃあと吠えた。
「お前が舐めてる以上に!俺は覚悟してるんだぜ!鎌鼬!ちょっとは人間のこと信用したっていいじゃねぇか!鎌鼬!憎さ余りすぎて
「……たんだよ。」
一瞬、彼女の殺気が大きく増した気がした。睨まれただけでぶっ倒れてしまう程に際立つ殺意に、負けじと俺はマッスルポーズをする。しかし屈強な肉体でないがゆえに、ちっとも威嚇にならない。
「聞こえないぜ!なんて!?」
「……もう勝手にしろ。私は私がしたいことをする。」
彼女がそう呟いてからさっさと去る。俺は調子の変わらないふりをして、少し怒り気味に声をかけた。
「おう!じゃあな!」
鎌鼬は振り返らなかった。
「……ふぅ。死ぬかと思ったぜ。」
「マッシブーン。聞きたいことがある。」
「ババァルクウッ!?」
急に背後から名前を呼ばれて驚くと、声の主は八雲藍だった。そういえば確か俺は先程まで彼女と人里を観光して楽しんでいたはずなのだけれど、どうしてよく分からない白髪の妖怪に殺されかけていたのだろうか。
「なんだ、藍か。かつて傾国の美女と呼ばれていた藍……」
「鎌鼬と何を話した?」
「ん?」
その口ぶりからして、彼女は鎌鼬と知り合いの関係でいるようだ。ただ、口を動かす彼女の顔はやや曇っているし、目つきは鋭くちっとも笑っていない。
「顔見知りなのか。なぁ、あいつすっげえ
「違う」
「あ?」
「……あれとは知り合いなどではない。見るたびに虫唾が走るよ。」
(お?)
藍と鎌鼬の関係性について少し気になりはしたが、深く探ろうとは思わなかった。最近踏み込みすぎたり不用意な発言をしたせいでよく痛い目に遭っている気がする。俺は賢いしよく学ぶので死に土足で踏み込むような真似はしないと決めた。
藍が不快そうな顔を元に戻して、また喋り出す。
「それよりも何だ、お前はここに住むつもりでいるようだが。」
「その通りだぜ。このヒョロガリの身体で少年の母親を探すんだ。そんで見つかるまでは俺が母親。あとあの鎌鼬も母親。」
「せめて父親でいろよお前は」
しばらく話した後、藍と俺はお互いに確認したいことを話し合って、正午ぐらいには彼女がその場を去った。
「マッシブーン。あまり鎌鼬に心を許すなよ。奴は、
一言、忠告のようなものを呟いてから、その場を去った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
永遠亭に、私は往く。
幻想郷に存在する広大な竹林を知らない者はほとんどいない。その迷いの竹林の奥にある永遠亭と呼ばれる屋敷(別名、闇の病院)でひっそりと彼女たちは暮らしている。『迷い』と称されるだけあって頻繁に私も迷うが、不老不死の案内人や竹林の主の幸運ウサギを見つければ案外簡単に辿り着く。
「はい、血を抜き取り終わったわ。お疲れ様ね。」
この声は八意永琳という医者のものだ。彼女の着ている赤と青の派手な服にはいつ見ても違和感を抱く。数少ない昔からの知り合いであり、今は私の雇い主でもあった。
「薬はいつ貰える?」
「その前に、昨日の続きを話して頂戴よ。結構楽しみなのよ?貴女のお話を聞くこと。」
「どうせあんたには逆らえないよ。仕方ない……」
「仕方ないじゃないよお前!鎌鼬!」
「うわ」
微かに白みのかかっていた所からぬっと出現したのは、酒呑童子こと伊吹萃香であった。相も変わらず酒の臭いを身体から漂わせ、子供のような背丈は全く伸びていない。萃香は私に唾を飛ばしながらがーがーと騒ぎ始めた。
「何だい何だい!久しぶりに姿を見せたと思えば
「こんにちは。じめじめした場所で悪かったわね。」
「なぁ永林!なぁ!なぁ!なぁ!」
「ちょっと待て!」
私はこいつの面倒な絡みを静止させる。
「今
そして、たちの悪い冗談のような言葉を聞き逃さんとした。すると彼女は言う。決して冗談ではないといった風に。
「あー?うん。言ったよ。私はあいつの友達だからね!」
(……なにぃ……)
私は驚愕せざるを得ない。なにゆえ、あのマッシブーンというただの人間が八雲藍に目を付けられ、伊吹萃香と仲良しこよしでいるのだろうか。日本三大妖怪とも呼ばれたあの二匹が、一人の人間にちょっかいを出す理由は何だ?私が混乱している間に、永林と萃香は話を続けていた。
「永遠亭へようこそ。あなた初めてだわ?」
「ん?私は何度もここに来てるよ。あんたが知らないだけでね。」
「嘘付かないの。妹紅かてゐか知らないけど、案内した子は無事かしら。脅したのかしら、殴ったのかしら。」
「案内されたのは私じゃあない。お前らに人間の客が来ているよ。今は多分入り口にいるかな?私はそいつにくっついて来たんだ。」
(ぬ?人間の客?)
嫌な予感がする。私は私の白い髪が逆立つかのような怒りをふつふつと沸かせ、爪を立てて拳を力一杯握りしめていた。人間が私に近付くとなると、こうして無理矢理怒り、痛みを覚えないといけないのが面倒臭い。入口の方を睨んでいると、ウサギ耳の鈴仙という妖怪が元気良く声を出した。
「師匠〜!人間のお客様たちです!」
「マッシブーンだ!そちらにいる鎌鼬って母親を迎えに来たぜ!」
「む、迎えに来ました!」
嫌な予感は当たり、男の声とガキの声が聞こえてきた。
「母親?」
「母親??」
「お前が母親???」
「ちっ!」
鈴仙、永林、萃香がそれぞれ反応をする。思わず私は舌打ちをした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
俺はマッシブーン。美しい筋肉を体に連ね、四本の足でそれを支え……と言いたいところだが、生憎今は人の姿をしている。
自らを『藤原妹紅』と名乗った白い髪の少女に案内されて着いた場所は、いかにも秘境という感じであった。視界いっぱいに竹林がずらりと並び、そこには兎人間や伊吹萃香や鎌鼬や、赤と青で構成された素晴らしく奇妙な服の女が立っている。
すると偶然か、奇妙な服だと思った瞬間に、その奇妙な服の女が俺の方に近付いてくるではないか。読心術か?俺は死を覚悟した。
「あら、久しぶりね。元気だったかしら?」
「は、はい。ひさしぶりです。永林先生!」
どうやら心は読めないようだ。ほっとしたところで、少年の声に俺は首を傾げる。すると永林先生とやらは俺の方を向いて微笑みかけた。
「……あら、初めまして。不思議そうな顔をしてるわね。この子、少し前に盲目の治療でここに来てたのよ。もうすぐ治る薬が完成するから、そうしたら……」
「永林。この男は自分を母親と名乗る異常者だ。べらべら喋ってるとお前まで頭がおかしくなるぞ。」
「酷い言いようだな」
俺は嘆いた。すると急に身体が吹っ飛んだ。
「ぶぉえっっ!」
何が起きたのか分からなかった。が、吹っ飛ぶ寸前、萃香が突進してくるのが刹那見えたような気がする。二回ほど縦に回転し、竹にぶつかったところでやっと俺は止まった。
「げほっ、おかしいな。人間になってから痛い思いばっかりだぜ?」
「いやーびっくり。マッシブーン、やっぱりお前、藍のせいで人間と同じ強さになっちゃったんだね?」
「確認するために吹っ飛ばしてんじゃねぇよ。」
「あっはっは!」
俺は大声を出したが、目の前の
「こんなんだとお前、本当に鎌鼬に殺されちゃうかもね!あいつずーっと人間嫌いだからさ!」
「奇遇だ、俺も悩んでるんだ。あいつ、どうやったら人間を好きになってくれると思う?」
「そんなの一生無理だね、というのが答えだよ。コノキじゃあるまいし、無理無理!あいつが人間を好きになるなんて何があっても……」
「くく」
俺は不敵に笑い、自信たっぷりで言った。
「それが出来るんだよなぁ……。」
「……ふーん?」
萃香がにんまりとした笑顔を見せる。彼女は俺が今からすることに対して、大いに期待を寄せているらしい。結構だ。その過剰な期待に応えられるほどに、今の俺の自信は全身を駆け巡っている。血のようにな!と考えたら血を飲みたくなったので少し後悔した。
「やい!鎌鼬!」
遠くの方から、ちらりと鎌鼬が俺の方を見る。
「お前が人間を認める方法が思いついたぜ!これは絶対だ!絶対にお前は人間を好きになる!」
「誰が」
ずざざざっと擦れる音がして、鎌鼬は一瞬で俺の目の前まで移動してきた。萃香はいつの間にか霧になっており、そして俺たちを取り巻く。
「人間を好きになるって?」
「俺の目の前にいる怖い顔の奴!」
「人間ってのは、私の目の前にいる雑魚のことか?」
「目の前には大きな鏡しかないぜ。お前を映すためのな。」
「ほざけ……。」
鎌鼬の瞳孔が大きく開かれる。途端に、全身をぐさぐさと刺してくるような圧が俺を襲い、意図せず俺は冷や汗をだらだら流した。この、恐怖と殺意を押し付けがましく無差別に振り撒く傲慢さを、敗北という形で、へし折ってやるのだ。少々意地汚く狡いかもしれないが、しょうがない。
「証明してやるぜ鎌鼬!」
俺は竹林一帯に響き渡るように叫んだ。
「勝負だぁ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆勝負:ドキドキワクワク拳競争
☆内容:まず、お互いの拳をくっつける。
誰かの合図で(3、2、1、ゴーシュート!など)
両者は相手の拳を力いっぱい押す。
そうして先に『まいった』方が負け。
『まいった』の定義は審判に任せる。
☆報酬:鎌鼬の勝利→マッシブーンは言いなりになる
マッシブーンの勝利→鎌鼬は人間を認める
☆参加者:マッシブーン、鎌鼬
☆意気込み:マ「精一杯悔いの残らないように頑張るぜ」
鎌「
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
……あ?」
鎌鼬が真顔で俺の頭を掴む。
「痛いぜ!さっき血を流した所が痛いぜ!」
「何だこのふざけた勝負名は。」
「やるよね鎌鼬!審判は私がやってやるよ!」
「萃香?」
「やってもいいけれど、うちに迷惑かけないでよね。」
「永琳?」
「永遠亭にだけじゃないわ。貴女ね、あんなに馬鹿みたいな妖力を放出して、この子が怖い思いするって思わないの?」
「……悪かったよ!おい、止まれ!」
彼女がずざざざっと移動して、震えてる少年の頭を両手でわしっと掴んだ。何だかほっこりして勝負のことを忘れそうになったが、すぐさま正気を取り戻す。
「貴方も大概よ。ましぶーん?だったかしら。」
「マッシブーンだぜ。そうだ、永琳先生とやら。勝負の間にその子を風呂に入れてくれないか?入ったことがないらしくてだな。」
「え、いや、だいじょうぶです!お風呂だなんてそんなたいそうな……」
「鈴仙、案内してあげて。」
「え。私も見たいのですが……」
「あら。あのことを皆に話そうかしら?ほら、妖夢と明日……」
彼女の一声で、鈴仙と呼ばれた兎の少女が少年を抱えて脱兎のごとく走り去った。
「これでいいわね。楽しみ楽しみ。」
「……仮にだ、私がこの勝負を受けるとしよう。人間。」
「この流れで受けないとかマジ?」
「……そうだな。だが……」
鎌鼬は、睨み、拳を構え、凄む。
「人間のお前が、私に
「
俺は退かない。退くはずがなかった。力なら伊吹萃香にも勝てると自負している。霊夢にもフランにもレミリアにも多分勝てるし、まさか目の前の少女がその怪物連中より強いなんてことがあろうはずがない。
「人間に力比べで負けるともなれば、流石のお前も少しは認められるだろう?」
「……卑怯な真似は無いんだろうな、糞人間。」
「正々堂々が座右の銘だぜ!」
(卑怯とは言わせねぇよ……鍛え上げられた筋肉は本物、打ち砕くパワーは正直者!)
「やろうぜ!ドキドキワクワク拳競争!」
俺は強く片拳を握り、俺の胸をどんっと思いっきり叩いた。
パワーは虚言癖