二十七、 名前を忘れた少年少女 ─前編
忘れられた者の楽園、幻想郷に辿り着いたマッシブーン。観光客として平穏な暮らしを送る彼には謎が多い。と、私は考える。
どうして私があんたを殺そうとした夜、あんたは私を助けて死にかけた。直接質問をすることは、今までもこれからも永遠に無いであろう。能力を失い、勘が僅かに鈍った今、アテにはならないかも知れないが。
ただ知りたいと思った。彼がどうして彼となったのかを……。
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口の大きな鳥が白魚を咥える。被食者にとって食物連鎖は非情である。白魚は暴れるもむなしく全身を丸呑みされ、口の大きな鳥の栄養となった。
二足歩行の生命体が鳥を捕まえる。被食者にとって食物連鎖は非情である。口の大きな鳥が羽根をばたつかせ、困りましたねと生命体が苦戦しているうちに、飢えた獣が生命体を襲った。
四足歩行の怪物がそこに通りかかる。場所は、ウルトラジャングルの川のほとりであった。
真っ黒な瞳や銀色のクチバシはこの世の者とは思えない、真っ赤でムキムキな筋肉お化けである。
怪物にとって主食はこの様々な木の実のエキスであり、何十個もちゅうちゅう吸いまくること──いわゆるドカ食い気絶部*2──が娯楽の一つであった。
大きな獣の死体を、血の池が覆い尽くしている。四足歩行の怪物は
「あ い う え お」
怪物は歩き続ける。
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
途中、葉で覆われた道にカゴを置いて一個のヒメリの実を取り出し、銀色のクチバシを突き刺した。
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
夕方、永久に溶けることのない氷でこしらえた冷凍庫に着くと、カゴの中身を全てぶち撒けた。
さらに、足元にあったオレンの実やオボンの実などを数個カゴに入れると、寝床の大きなあばら家へと歩き出す。
ま み む め も
や ゆ よ
ら り る れ ろ
扉を開き、中へと一歩足を踏み出す前に、怪物は空を見上げた。つい先程まで明るかった大空が今やオレンジ色に染まりきっている。
わ を ん
怪物はひらがなを呟くのをやめて、扉を閉めた。こうして怪物はいつも通りのウルトラジャングルでいつも通りの退屈な日々を暮らした。これから出逢う少女によって、ちょっとした非日常が始まるとは知らず。
白魚のように乾いた眼が蘇り光るとは知らず。
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ウルトラホールから日本人の少女が一名落下。これを回収する。
ヒト用ログハウス十号へ案内。だが困ったことに彼女は──────用ログハウスへのワープを繰り返した。』
その場所の名前はウルトラジャングル。大地をあらゆる植物が覆い尽くし、多様で凶暴な生命体たちが生息し、数え切れないほどの木々の中にはマッスルポーズをしている大木もあり、凍り付いたまま少しも溶けない怪物に塞がれた火山がある。まさに、異次元と呼ぶべき異質さと不思議さである。
そして密林の世界には、一人の少女が迷い込み──
「いやっ!」
少女が叫びながら目を覚ました。初めに目に入ったのは、木で造られた茶色いあばら屋の天井。
しばらく呆然としていた少女が辺りを見渡せば、ここは誰かの家だということが分かった。不安から、少女は一息吐き、片方の長袖をぎゅっと握る。
(……あつい……?)
妙に蒸し暑いと、少女は汗ばんだ身体で考えた。
記憶がぼんやりとしている。
何故自分がここにいるのか。
今が真夏だとすれば、何故かこんなにも蒸し暑い季節に、自分は腕の隠れるような紫色の着物を着ていて。
ぼおっとしながら、少女は大きなベッドの真ん中に座っていた。ベッドは三メートルの長さを誇り、あまりにも大きくそしてふわふわとしている。
また寝てしまおうかと少女が横になった丁度その時、あばら屋の主がのしのしと帰ってきた。
ぎいっと建付けの悪い扉が開く。
単刀直入に言えば、そこには怪物がいた。真っ黒な瞳や銀色のクチバシはこの世の者とは思えない、真っ赤でムキムキな筋肉お化けである。
"お き た?"
怪物の緩やかな呼び声に、少女はフリーズした。記憶を失くした少女に、恐怖、困惑、恐怖、気味の悪さ、恐怖など三種類の不快感が一目散に襲ってくる。
少女は目を見開き、何も話せずにいた。一種のパニック状態である。屋根のスキマから差し込む日光の暑さの為か、はたまた──彼女は汗を滝のように流した。人間らしい反応と言えよう。問題は怪物がどう受け取ったかである。
彼は少し考え事をした後、こう言った。
"こ れ み て"
怪物の方は、何も考えずに、両手に三つの木の実を持っていた。モモンの実という、甘い味をしたピンク色の木の実である。みずみずしいそれらの果実を机に並べ、大きな器の上で一つ果実を持つと、
おもむろに片手でぎゅうっと強く握り潰した。
『次はお前がこうなる番だ』
ぐしゃぐしゃになった果実を呆然と見つめる少女は、怪物からのメッセージをしっかりと受け取り、そして顔面を蒼白させた。怪物はそれに気付くことなく、残り二つの命も順当に握り潰していく。
かくして生ぬるいきのみジュースが完成した。絞られてしわしわになったモモンの実の残骸はまるで今の少女の心であった。怪物はきのみジュースの入った器を机に置いたまま、しばらく少女を見つめた後、扉をギイイと開けて外に出て行ってしまった。
怪物はバタンと扉を閉めた。そしてこう考える。
(会話が通じないぞ……?)
何てことだろう。ショッキング&ショッキングな事態。というのも、これまで怪物はウルトラジャングルに来るであろう観光客を心の底から待っていたのだ。
その時会話も出来るようにと、普段から怪物はひらがなの発音の練習を日課で行なっていた。
雨の日も風の日も、雪の日……雪は滅多に降らないが、怪物はおよそ百年の間ひらがなの練習をしていた。「あいうえお」から「わをん」まで、ぶつぶつと呟いていた。
その百年の努力が、カミナリ親父のちゃぶ台返しのようにひっくり返った。
相手は金髪の美少女、パープル色の両目、これは西洋人の特徴である。英語なんてものはせいぜいOKぐらいしか言えない怪物には、あまりにもショッキングな事態だった。
(どうしようか?とりあえず飲み物を用意したが……あぁいや、飲み物はキンキンに冷えたものが一番美味いと相場が決まっている。氷を持ってくるか……)
かくして怪物は猛ダッシュで冷凍庫に行き、大きな氷から小さめの氷を削り出し、ついでに遊び心でダイヤモンドのように綺麗に削り整えた後、また猛ダッシュで自宅の──────用ログハウスに戻った。約20秒間の出来事である。ワールドレコード。
(……本当に)
氷を握りしめながら。
(本当に、ここに誰かがやって来るとはな……)
氷を握りしめながら、怪物はあばら屋の前で立ち尽くしていた。昨夜ウルトラホールから降ってきた彼女を体当たりのようなスピードで回収した時も、彼は似たような感情を抱いた。両手に抱えたその温もりに戸惑い、半ば放心状態で飛び去った満天の星空の夜。
絶対に楽しませてみせる。いつかは別れもあるだろう、その時はお互いに笑って別れられるようにしてみせる。
楽しい観光録を、元の世界で語り継がせてあげよう。そう思いながら怪物は紳士のような手付きでそっと扉の取手に手を添え、ガチャリと扉を開けた。
「あー、オーケー氷?オーケーきのみジュース?thank you!!」
「あれ」
あばら屋の中には、いたはずの少女がいない。
怪物の渾身の英会話が空を切ったのはともかく、この短時間で少女が逃げることは不可能なハズだった。扉は建て付けが悪いから、ギイイと音が鳴るし、その音に怪物が気付かないはずはない。
「どこ に……」
怪物は机の下を覗き込んだ。
いない。
怪物はベットの下を覗き込んだ。
いない。
怪物は椅子の脚の下を見た。
やはりいない。
そのうち怪物は酷く焦り出した。
「おいおい」
少女が何らかの方法でここから逃げたことは明らかである。モモン味のきのみジュースが入った器は放置されているから、とりあえず怪物はそこに氷を入れてちゅうちゅうと飲み干した。
それでも落ち着かない。
(ここをどこだと思っている?)
怪物はバンと勢い良く音を立ててドアを開け、真正面の密林に向かって走り出した。
(ここは気狂いの巣窟、ウルトラジャングルだぞ……!)
事が起こる前に、少女を救出しなければならない。怪物はそう思った。このままでは間違い無く、少女は殺されてしまうだろう。
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平和なウルトラジャングルを四本脚で駆け回る生命体がいた。赤い図体は超高速で木々の間を通り抜け、川をジャンプして跨ぎ、真っ暗な両目は金髪の少女の幻影を追う。必死な様はそれこそ飢えた獣のようであったが、その獣どもから救おうとしているのがこの怪物であった。
(まだ遠くには行ってないはずだ!絶対に死なせない!)
怪物は自身がよく訪れる場所を中心に少女を探した。
真っ直ぐに行けば木の実が山程取れるいつもの狩場、そこから北東に向かえばたまに一人寂しくキャンプファイヤーをする広場。
南に走り続ければ練習で点々と作られた昔の家たち、西に飛べば絶景の滝に繋がっている大きな川……。
その何処にも少女はいない。思いついたのはこうだ。
(馬鹿か俺は……家の近くに隠れてる方がまだ納得できる)
灯台下暗しである。怪物はさらに急いで元の村へと戻り、一つ一つのログハウスなどの中を見て回った。しかし、やはりいない。
(クソ馬鹿!勘はアテにならない!)
「どうするかな」
困り果てながら外に出た時である。
突然、一匹の黒くて大きなオオカミのようなものが怪物に襲いかかった。その身体は2.9メートル程もあり、怪物のサイズを優に越している。
怪物はするりと獣の突進を避けつつも、けたたましい咆哮は避けることが出来なかった。
「があぁぁぁぁぁ!!」
「今忙しいんだ!」
素早い動きで怪物は大きな獣の頭を鷲掴みにし、森の方へと思い切りぶん投げた。
「ごあっ」
どしん、と木にぶつかった音が痛々しい。
「がああ!!」
だが獣は怯むことなく果敢に襲いかかって来る。
(躊躇が無い……
厄介なものだと愚痴を漏らす暇もなく。
大きな黒い塊を避ける。また来て避ける。時には華麗に避ける。ひたすらに避け続けるが、牙は怪物に喰らいつくまで止まらない。
怪物にはたくましい二本の腕とは別に四本足があった。故に、あらゆる二足歩行の生命体よりも縦や横へと自由自在に動く事が出来る。
このまま避け続けることも出来たが、時間はもう無いに等しい状況。
「俺の硬い肉なんて食えないぞ!」
怪物はそう言ってみたが、獣は止まらない。
「最後だ!殺すぞ!」
「があぁぁぁぁぁ!!」
(会話が……通じない!)
力いっぱい警告をしてみたが、獣は止まらない。とうとう怪物は避けられず、牙はその真っ赤な腕に喰らい付いた。
喰らい付いた……かに思えた。
「なら、仕方ないな。」
実際は、怪物が素早く腕を引いたことで噛みつきは避けられ、獣が手足をじたばたさせながら、怪物に首をぎりぎりと絞められている。
怪物はそのまま大きく高くジャンプをし、頭からどごおんと獣を叩き付けた。そして動かなくなったその巨体に乗っかり、目にも止まらぬ速さでずだだだだだんと高速張り手を繰り出す。
地面がぶるぶると振動し、怪物がまた首を絞めれば、苦しそうなうめき声がその場で渦巻いた。
「ぐ……ぎ……」
「知ってるか!飢えたケダモノ!」
唸り声をあげてもがき苦しむ獣を、慈悲なる怪物はぱっと離してやる。
慈悲は一瞬。無慈悲なパーが獣の腹にクリティカルヒット。身の毛のよだつ
「がふっ!!」
「パーは暴力にならない。」
手のひら理論──自身の邪魔をする者に対し、殺傷力の低いパーでなら攻撃をしても良いという独自のルールである。
グーよりかはパーの方がマシだろうという程度の低い考えから繰り出される張り手やビンタは、しかし泣くほど痛く、大抵の生物は二度と近付かなくなる。それは怪物の信念である『不殺』を支持した。
「相手は選べよ。腹壊すぜ」
「………」
腹を強打された獣は気絶しているようだった。ゆっくりお休め……と毛布の一つでもかけてやりたくなった怪物だが、逃げたあの人間を探すという本来の目的をはっと思い出す。
彼女の生存確率は下山する一方である。しかしどこを探せば良いのか全くもって定かでない。それでもとにかく急がねば、と赤き不屈の肉体が立ち上がった。
その時だった。
「流石ですね」
気絶していたはずのオオカミが、実に穏やかな声で怪物に話しかけた。
その称賛の声は怪物の動きをぴたりと止める。オオカミらしき獣は眩い光に包まれ、そのまま大の字で仰向けに寝転がる二足歩行の生命体の姿へと元に戻った。
「やっぱりアイツのとこのか……モノマネ野郎」
「野郎ではないですよ。それにちゃんと名前があります。」
そう言いつつ二足歩行の生命体は立ち上がって猫背になる。浅黒いその生命体は、誇張をしすぎたようなウルフカットの灰色の髪で目が隠れており、腕は金属で構成されているみたいにメタリックなシルバー色を輝かせていた。首から下がった赤い宝石のペンダント、胸を圧迫する白い包帯のサラシ、裾引きを短くしたような腰下の二つの黒い布は、さながらスケバン*3のようであった。
ふと思い出したようにパッパッパと土を払い、彼女はにこにこと笑いながら目の前の偉大なる信仰対象へと浅く一礼した。
「“
マガレは再び頭を上げる。
「あら」
そこにはもう怪物の姿は無かった。
「どこだどこだどこだどこだ」
先程よりも更に血走っていそうな目で少女を隈なく探していたのは、真っ赤な怪物であった。そのつぶらな瞳はいつだって真っ黒だし攻撃力を一段階下げそうである。あんなストーカー信者に構っている暇は無い……と逃げた信仰対象。
すると背後から何かが恐ろしい速度で走ってくる音が聞こえた。軽やかで規則的な足音が、怪物の後にぴたりと張り付く。うんざりした怪物は舌打ちをしようとしたが、舌は無かった。
(俺のことを崇拝しているらしいストーカー集団……『筋肉蚊教』の
オシャレはともかく下ぐらいは着た方が良いですよ、と怪物に口うるさくしているマガレが想像されたが、すぐに振り払う。
(何にでも変身できるというのはあのポケモン*4のようだ……。加えて変身をしていない時の身体能力……。中々強い。コイツ多分、俺より
「珍しい。焦っていますが、何かありましたか?」
「関係無い!」
二匹は仲良くランニングをしているように見える。ただし、時速50km*5級。行く手を遮る木々を避けながら、半ば現実逃避のように怪物は前へ進み続ける。
その時、一つの言葉がブレーキとなった。
「もしやもしや、あの
怪物はせっせと足を動かすのを止め、ざざざざと地面と摩擦しながら土煙を纏った。やっと停止したと思えば、すぐにマガレの方を向いて言う。
「詳しく聞かせろ。」
「はい。分かりました。」
にこにこと笑うマガレに、怪物は余計苛立ちと焦燥感を覚えた。
「昨夜、このウルトラジャングルに大きな穴──『ウルトラホール』が開きました。これはまさしく貴方の予言通りです、素晴らしい。迷惑にもリーダーは私たちを叩き起こして祝福の宴を始め、夜明けまで踊り狂う始末。ともかく我らが筋肉蚊には王たる力のみならず未来を見る力まで──」
「人間は!」
「失礼。実は私、今回の襲撃にあたって4匹ほど強めの子を連れて来た筈なんですが、これが何故か途中でいなくなっています。」
胸騒ぎはとうとう頂点に達した。今すぐにでも動き出したいような衝動を抑えながら、怪物は黙っている。普通のスピードで話すマガレが彼にとっては嫌がらせのようにしか思えない。急かしたいが聞きたくはない。次の言葉が、そうであってほしくはないという気持ち。
そしてマガレは次の言葉を放った。
「不思議でしょう……私はこう思ったんです。きっと珍しいエモノを見つけたんだと。」
「どこだ」
「……ほら、指輪から出るこの光が、あの子たちを指し示していますよ。」
赤い四つの光がマッシブーンの胸を貫く。光に害は全く無い。しかし、光は彼の胸が異常なまでにざわついたことを指し示すかのように。
即座に怪物は180度ぐるんと背後を向き、ばっと真っ直ぐに飛び出した。あっという間に静かになってしまった森の中で、マガレはふらりと倒れそうになる。蹲ったまま、彼女は怪物に与えられた腹へのダメージを我慢しないようになった。
「ゲホッ!ゲホッ!」
(困りましたね……。もし合っていたのだとしたら、本当に申し訳ないのですけれど……)
ぜえぜえと息をし、咳き込む中でマガレは最悪の未来を考えた。昨日、空から降ってきた謎の少女。彼女が血みどろになって動かない未来。マガレにとっても、それは良くない。
(連れてきた子たちは特にお利口さんじゃありません。十中八九、殺してるでしょうね……)
続きの後編は、もし明日完成させられたら明日投稿します。